【概要】
古将棋の1つ。囲碁の碁石と19路盤を使うのが特徴。
江戸時代の有名な儒学者・荻生徂徠(おぎゅうそらい)によって考案されたとする文献が残っている。
全体的に他の古将棋と比べてかなり異質。
特殊ルールが多く、また駒の動き方も独自性が強い。
また取れる駒・取れない駒の関係が煩雑で、コンピュータの支援がなければスムーズな対局は難しいと思われる。
盤のサイズで言えば
摩訶大大将棋と同じだが、対局の進行はまるで異なっている。
駒の名前は古代中国の政治・軍事制度から影響を受けているようである。
【由来に関する伝説】
【先哲叢談】
「少時兵學を精習す、其仕途に就くや、亦兵學を以てし、必ずしも儒を以てせず、晩に復た專ら武を談ず、熊本の藪震菴と初めて見るや、徂徠首(はじ)めに曰く、陣法行伍〔軍隊の編制〕、是れ究めざるべからず、子は西海の人、必ず水軍に習はん、水軍は其れ何を以て策の上となすやと、遂に數刻戰法を談じ、他事に及ばずと云ふ、松宮觀山が學論に曰く、近日儒士の武を談ずるは物茂卿一人のみ、亦唯博覽の餘力、臆斷〔勝手に斷定す〕自負〔自慢〕す、不世出の豪傑の資を以てすと雖も、然も未だ明師に遇はず、牢(かた)〔堅〕く法制を執りて、軍略を問はず、孔子が謀を好むの言に乖く、其著す所孫子解及び鈴録、渉獵〔普く閲讀〕殆ど盡くと雖も、未だ事物釋然の功を見ず、遂に七書を以て空理となし、後世の戚南塘、鄭芝龍を崇んで備はれりとなす、區々たる〔微なること〕小技に拘はりて、未だ鎭國の規模を建て、戰勢の地形を畫し、所謂帷中に千里の勝〔張良の故事〕を决し、草廬に三分の謀〔孔明の故事〕を定むるの術を知らず、亦惜しからずやと
又一家の象棋(しやうき-ママ)を創造し、以て兵機を寓す〔寄す〕、廣象棋と名く、其子は百八十、局は則ち棋局を用ふ、而して陣列軍伍、攻撃守備一として備はらざるなく、工極まると謂ふべし、嗟羣儒に超えて大業を建つ、又何の餘力あつて此等の事に及ばんや、片山兼山廣象棋の譜に序して曰く、命世の人は鞅掌〔職務を勤むること〕拮据〔仕事に精を出すこと〕の際と雖も、胸中別に悠然たる閑日月あり、優に之をなすと、信なるかな」
【広象棋譜】
ネット情報によれば、明治時代の類書『古事類苑』に収録されている『広象棋譜』の序文には、
徂徠が広将棋を創作した動機が書かれているらしい(内容未確認)。
オリジナルの『広象棋譜』にも同じ記載があるかは不明。
【外部リンク】
【史料】
【現代の資料】
最終更新:2020年09月20日 20:32