君の知らない物語(前編) ◆ARe2lZhvho
0
真実は残酷だ。
1
折れず曲がらずよく切れる――それが虚刀流であり、おれであったはずだが今もそう胸を張って言えるかどうかとなると口ごもってしまう。
さっき被っちまった泥、否、ここははっきりと毒と言っちまった方がいいだろう。
それに侵されたおれはひたすら逃げた。
地図なんて見ていない、見る余裕なんて全くなかったが方向はこっちで間違いないはずだ。
あのとき否が応にも見えちまったからな。
周りの建物やら地面やら生えていた植物やらあらゆるものがどろどろになっていくのを。
それがおれに向かって押し寄せるように近づいてきたから背を向けて走った。
どろどろが広がるよりおれが走る方が速かったからなんとかなっているが全身に走る痛みはそうもいかない。
早い段階で水分を含んだ着物の大部分を脱ぎ捨てたことで身軽になれたのはよかったが、剥き出しだった手足は今もずきずきと痛む。
考えるのが苦手なおれでもわかる、こいつは致命的だ。
錆びるなんてものじゃない、腐食されているようなものだ。
草鞋や手甲――おれにとっての鞘があれば少しはましかもしれないがとうに脱ぎ捨てていたからな。
途中から固い地面がいつの間にか柔らかい土になり木々が生い茂っているのに気づいたおれは躊躇なく幹を駆け上った。
元々おれが島猿だってのもあるが、枝を飛び移っていった方が足にかかる負担は少ないだろうと思って。
とにかく『これ』をなんとかできる場所かものが欲しかった。
もちろん、『そこ』に人がいたときや『それ』を持つやつがいたら排除して奪い取るつもりで。
再びこみ上げてくるのを感じたおれは滑りそうになりながらも口の中のものを吐き出した。
全く、めんどうだ。
2
忍者というものは強い。
つくづく実感させられた。
『魔法使い』にしろ『魔法』使いにしろ基本的には魔法の能力の尊大さにかまけているせいで肉体強度はそうでもないというパターンが多かった。
実際りすかも小学五年生という年齢であることを差し引いても体を鍛えているとは到底言えない。
僕が事件を持って行かなければ普段はコーヒーショップの二階に引き籠って魔導書の写しをしているようなやつだったしな。
探せば武闘派の魔法使いもいるかもしれないが。
そもそもどうして僕がこんなことを考えているかといえば。
「おい、今どの辺だ?」
「もうすぐ広い道に出るはずだから今はE-4とE-5の境目くらいだろう。半分は越えてるはずだ」
「お、その通りだな。見えてきたぞ」
こうやって忍者に担がれて移動しているからだ。
正確に言うなら、僕とりすかの二人を両肩に担いで、だ。
小柄な小学生二人と言ってもそれぞれ体重は30kgはある。
つまり、少なくとも60kgの荷物を持って移動している状態なのだ。
それも長時間担いだ状態でいて木々の間を走り抜けるのではなく跳び抜けているのだから。
忍者――真庭蝙蝠、全く、恐れ入る。
「僕たちを担いで疲れたりしてないのか?ランドセルランドに危険人物がいる可能性もゼロじゃないんだしここらで休んでもいいと思うが」
「きゃはきゃは、そんなんで疲れる程やわな作りはしてねえよ。それにこの身体はよくできてるようだしな」
「大したやつだよ。別に時間に余裕がないわけでもないし休んでも構わないんだが蝙蝠がそう言うなら――いや、少し止まる可能性が出てきた」
蝙蝠が小首をかしげるのも無理はない。
何故なら、僕のポケットに入れておいた携帯電話が振動を始めたからだ。
画面を開くが、表示されていたのは当然、僕の知らない番号だった。
左右に見通しの良い大通りで人影が見えないのを確認して僕は電話に出る。
「もしもし」
『もしもし』
知らない声だった。
3
「情報を整理しておきたいのだけれど、零崎さんが目下探してるのは
供犠創貴、
水倉りすか、それに真庭忍軍の真庭蝙蝠、でいいのよね?」
「ああ、そうだが漢字が同じだからってさりげなく目下(もっか)を目下(めした)にしてんじゃねえ。何の意味があるんだよ」
「最近やっていなかった言葉遊びよ。そういえば私ったらシリアスモードに入っちゃったせいでこういう遊び全然やってなかったなって思い出して」
「今明らかにいらねえ場面だろ」
「でもやれるときにやっておかないと次がいつくるかわからないじゃない」
「少なくとも今はそういうことを求められる場面じゃねーと思うぞ」
「案外読者のニーズってわからないものよ」
「メタ発言が露骨すぎるぞ」
まあ、そんなわけでこの私、
戦場ヶ原ひたぎの出番なのだけれど。
といってもできることなんて限られているし、今もっぱらやっているのは詳細な情報交換。
私のターゲットである
黒神めだかの情報を仔細に伝えたり逆に零崎さんのターゲットが誰かを聞いたり。
また、放送で呼ばれていない知り合いの話をしたり。
正直な話、羽川さんが私の知ってる羽川さんならあんな書き込みをするとは思えなかったから、伝えるのに若干の抵抗があったのは事実だけれど。
「それにしても真庭忍軍って言いにくいわね、まにわにって呼んでもいいかしら」
「俺に聞くなよ……それにしてもなんだそのゆるキャラみたいな名前は」
「あら、案外こういう名前の方がウケがよかったりするのよ」
「さっきから思ってたんだがあんたはどこの業界人だ」
「しがない女子高生よ」
「俺の知ってる女子高生は……いや、小学生であんなんがいたからだめだな」
「ロリコンが」
「そんな趣味はねー」
阿良々木君ならもっとおもしろい返しをしてくれるんでしょうけれど、零崎さんに期待するのは酷というものね。
……なんて、何を期待しちゃっているんだか。
全く、私としたことが協力者を得たことで気が緩んでいたようね。
危ない危ない。
ああ、そういえば。
「零崎さんの携帯には誰の番号が登録されているんでしたっけ?」
「あんたからもらった電話がちゃんと兄貴のとこにいってるなら、兄貴と欠陥製品と伊織ちゃん、で終わりだな」
「……そう。ならそろそろ動き始めてもいい頃合いかもしれないわね」
「?何がだ?」
私は告げる。
有無を言わせぬようはっきりと。
「私がこれから電話で何を言っても決して声を出さないで。できれば物音も」
4
「もしもし」
『もしもし』
「あなたは誰ですか?」
『そちらからは名乗らないのね』
「素性がわからない人に名前を明かすなんて愚の骨頂だとは思わないですか?」
『ええ、その通りよ。だからこそ私も名を明かしていないのだし』
「お互い懸命ですね」
『つまりは馬鹿ではないということがわかったわね』
「……何が言いたいんですか?」
『少なくとも組んで損をする相手ではなさそうということよ』
「なるほど、納得しましたよ」
『あら、協力してくれるのかしら?』
「馬鹿ではないとわかっただけで協力する価値があるかどうかは別ですよ。あなたがどちら側かすらわからないのに」
『まあ、それもそうね。少なくとも私は殺して回る側じゃあないわ』
「口ではなんとでも言えますからね。一応僕は
第三回放送を目安にランドセルランドにいる予定ですが」
『そうやって堂々と居場所を言えるというからには簡単に死なない自信はあるようね。それに場所も好都合のようだし』
「好都合と言うと?」
『
掲示板の書き込みを見ていただければわかるとは思うわ』
「掲示板とは?」
『あら、知らなかったの?携帯電話があるのなら誰でも接続できると思ったのだけれど』
「いや、事情があって接続する余裕がなくて……このままだと知らないでいたでしょうから助かりました」
『お礼を言われるほどのものじゃないわよ。そういえば私も2時間程チェックしていなかったし』
「ならばどうせ遅かれ早かれ知ることでしょうから、代わりと言ってはなんですが伝えておきますと僕はこの後黒神めだかという人と合流する手筈になっています」
『…………彼女、既に人を殺していたはずでは?』
「その情報は先程おっしゃっていた掲示板から?」
『ええ。誰かが
第一回放送までに死んだ人の死に際の映像の一部をアップロードしてるみたいで』
「そうですか……ですが彼女は今はこの殺し合いを止めるために動いているはずです」
『……その口ぶり、確証はあるのかしら?』
「はい、僕は実際に彼女と会って話をしましたから」
『そういうことなら会っても大丈夫そうね。……ただ、時間はまだまだかかるかもしれないけれど』
「一応、この電話があるから連絡が取れないということはないでしょう。最後になりましたが名前を聞いても?」
『ここで拒否なんてできるわけがないでしょう。私の名前は
羽川翼よ』
「僕は供犠創貴です。では後でお会いできるといいですね」
『供犠さんね、会えるのを楽しみにしていますわ』
通話終了。
友好的に見えて隙のない相手だったが……
「おい、今のはなんだったんだ?」
「電話だよ、見ればわかるだろ」
「その電話ってのが俺はよくわからねえんだが」
「離れたところにいる相手と話をする手段、ってなんでこんな常識未満のことすら知らないんだ」
「ああ、忍法音飛ばしと同じ原理か」
「こっちを無視するな」
「それで、さっき言ってた掲示板ってのは?」
「今から確認する。というかそれもお前が無駄な質問をしなければ確認し終わっていたことなんだが」
まさか蝙蝠が電話を知らないとは思わなかったぞ……
戦術面では申し分ないのにどうしてこう知識が偏っているんだ。
ともかく、携帯電話からネットに繋げると件の掲示板のページが表示された。
こんな簡単に繋げられるならとっととやっておくべきだった……なんて暢気なことは言っていられなくなる。
羽川翼の書き込みは探し人・待ち合わせ総合スレのもので間違いないと見ていいが、そんなものは些細な問題に成り下がった。
よりにもよってりすかが
零崎曲識を殺した映像が出回っているだなんてさすがに想定外だ。
しかもすぐ下のレス(
零崎双識か
零崎人識が書き込んだものだろう)でしっかりと僕と蝙蝠の名前まで入っている。
何も知らない者が見れば確実に僕たちが危険人物の集団に見られてしまうのは間違いない。
口ぶりからして映像しか見ていなかった羽川翼にも僕の名前を伝えてしまった以上合流するのは得策じゃないな……
使われているIDだけでも6つあったしそれぞれに同行者がいれば情報を見たものは二桁に及んでもおかしくはない。
更に性質が悪いのが、黒神めだかのことまで記載されていることだろう。
直接彼女から聞いた話から鑑みるに書き込んだのは戦場ヶ原ひたぎか?もうそれも些細な問題だが。
誤字だらけのレスの方は……
「なあ蝙蝠、真庭鳳凰について聞きたいんだが……」
「鳳凰?どうした藪から棒に」
「物の記憶が読めるらしいが本当か?」
「記憶が読める?そいつは川獺の野郎の忍法で鳳凰の忍法は断罪炎と命結び……ああ、ならできなくもないが……だとするとどういう状況で……」
一人で勝手に考え始めてしまった。
一応心当たりはあるみたいだが……実際物の記憶が読めるというのが本当ならかなり使える手段にはなるはずだ。
ただ、黒神めだかと組んでいるというのは十中八九ブラフだろう。
彼女には仲間がいないと言っていたし、場所がE-7となると遠すぎてあのあとにできた仲間だとは考えづらい。
それに何より、相手を襲うような人間と組むとも思えないしな。
彼女の手持ちは元々僕の手持ちだったから通信機器はないだろうし……
「キズタカ」
「どうした、りすか」
僕と蝙蝠のやり取りを終始見ていたりすかが突然黙り始めたことに怪訝に思ったのか僕に声をかけてきた。
いや違う。
視線は僕の後ろに向いている。
ぶつぶつと呟いていた蝙蝠もいつの間にか静かになりりすかと同じ方向を見据えている。
ようやく僕も気づく。
木々がざわめいていた。
それも不自然に。
5
何か考えがあるんだろうからと言われた通り黙ってやった零崎人識クンだがさすがに最後のだけは聞き捨てならなかったぜ。
「おい、今の電話どういうことだ?」
「そう目くじらを立てないで頂戴。私も半分驚いているのよ」
驚いていてあの受け答えは咄嗟にできるもんじゃねーと思ったけどな。
肝の据わりっぷりは一般人の女子高生だっつーなら信じられないくらいだが。
「保険がてら聞いておくが、あいつらと繋がっていたわけじゃねーんだよな?」
「もちろんそんなわけないでしょう。あなたも最初に掛けなおしているところを見ていたじゃない」
「ならどうやってそいつらに繋がったのか聞きたいところなんだが」
「どうせこれからはできない方法だし、教えてあげるわよ」
しかしどうしてこう一々上から目線なんだか。
死んじまったらしい彼氏さんに同情したくもなるぜ。
「できれば電話番号教えてもらえると助かるんだがな」
「それくらい構わないわよ。で、種明かしをしてしまえば私の携帯にはランダムで繋がる番号が二つ登録されていただけの話よ」
「そのうちの一つが繋がったわけか」
「そういうこと。最初にかけた方はコール音すら鳴らなかったから電波が届かなかったか電源が切れていたか……」
「破壊されたって可能性もあるな」
「やはりそう考える?」
「こういうときは最悪の可能性を常に考えておくもんだろ」
「でしょうね」
「それで、話はまだ終わってないんだが」
「聞きたいことは大体想像できてるわよ。何から話せばいいのかしら」
「他は大体理由が想像できるから聞くのは一点だけだな」
「どうして羽川さんの名前を騙ったか、かしら?答えは簡単、彼らが黒神めだかと繋がっているかもしれないから。しかも彼女、今はどうやら正気に戻っているようなのよね」
「ああ、なるほどね……今は正気、ねえ……確かに映像のあれは正気じゃあなかったもんな」
「その彼女と繋がっているかもしれない彼らに私の名前なんて出したら一気に警戒されてしまったでしょうし。それに、目的地がちょうどランドセルランドのようだったから」
「そいつは確かに好都合だ。奴らを一網打尽にできるってことだからな」
「でしょう?できればこのままランドセルランドに向かいたいところなのだけれど……」
「そいつはちょっと俺の我儘を優先させてもらいたいね。診療所で待ち合わせてるやつは車持ちだから結果的には早く着けるだろーしよ」
「……なら診療所に向かいましょうか」
「それにしても大したもんだ、電話口でいきなり大胆な勝負に出られるなんてよ。他人の名前出したのだってとっさのことだったんだろ?」
「どちらともとれるようにあらかじめぼかしておいたから。それに、嘘をつくときはそれが嘘だとばれても貫き通せばいいだけの話よ」
ひたぎちゃん、師匠が詐欺師だって聞いても信じられるぞ……
おい、誰だ俺が名前呼びするのおかしいとか言ったやつは。
俺は基本的に名前呼びだぞ、原作参照してこい。
それにしても、と俺の考えていることを知ってか知らずか、いや知らねーんだろうけど、ひたぎちゃんは続ける。
――今更正気に戻ったところで許されるとでも思ってるのかしら
やれやれ、まだまだ油断はできそうにねーな。
6
肩が軽いのは気のせいではないだろう、うん。
落ち着いて考えてみれば言いだしっぺはぼくではなく後部座席に座っている人間未満なのだったのだから。
――そういえば、裸えぷろんという単語を最初に出したのは禊さんでしたっけ
静まりかえった車内で七実ちゃんがぽつりと呟いたこの発言によりぼくには晴れて情状酌量の余地ができた。
推定有罪なことには変わりないけども。
一方で逃げ道を塞がれた人間未満はというと、
『………………………………』
顔面蒼白だった。
あーあ、かわいそうに。
こういうときはさっさと吐いてしまえばいいのに。
相手が哀川さんだったらとっくにボディブローを浴びてしまってるだろうからこんな考えができるのかもしれないが。
まあそういう状況じゃなければしぶといもんなあ、人間って。
しぶといというか往生際が悪いというか。
「禊さん、隠し通せるわけがないんですから今言ってしまった方が楽になれますよ」
うわー、七実ちゃんの言い方が完全に尋問だ。
真宵ちゃんを膝枕しているせいで七実ちゃんと球磨川はかなりつめて座っているけど、そのせいで余計に恐怖が増してるというか。
ぼくはそれをおくびにも出さないけど。
油断してガブリとかよくあるからね。
今は安全運転安全運転。
『……わかったよ』
お、ついに観念したか。
『僕がお手本を示せばいいんだね』
「ちょっと待て」
思わず言葉が漏れた。
お手本を示すってどういう意味だ。
お手本ってことは後々誰かにやらせるということであって……え?
「わかっているではないですか」
いや、七実ちゃんは何もわかっていない。
というかこんな狭い車内でやられても困る。
主にぼくが。
きっと七実ちゃんも。
そして真宵ちゃんが目を覚ましたら色んなショックで再び昏倒してしまう。
あと翼ちゃんに至っては目覚めた途端に見た光景がこれじゃ金切り声をあげてもおかしくない。
本人以外迷惑かかりまくりじゃねえか。
もしもぼくが運転ミスってそこらの木に激突でもしたらどうしてくれるんだ。
気づけ、人間未満。
って何エプロン取り出してるんだ。
支給されてたのかよ、それ。
普通なら外れ支給品とかいうやつになるんだろうけど、今のこの状況じゃ大外れもいいとこだぞ。
あ、まずい。
学ランのホックに手をかけてる。
このままじゃ誰得な光景の出来上がりだ。
やめろ。
やめてくれ。
やめてください。
「禊さん、まずはえぷろんがどういうものかをまずは知りたいのですが」
服を脱ごうとしていいた球磨川を制止するかのように七実ちゃんが助け舟を出してくれた。
ぼくの考えなど知らない七実ちゃん本人は助け舟を出した自覚とかはないだろうけど。
『エプロンってのはね、料理をするときにつけるもので……』
「前掛けですね、見ればわかります。ですがその前に裸という文字をつけるだけでどうしてそう後ろめたいものになるのでしょうか」
甚だ尤もな疑問である。
この疑問にどう答えるか次第でぼくたちの命運が決まるわけだが、少しだけ寿命が延びたようだ。
「見えてきたよ、診療所だ」
今度は無事到着できたようだ。
車を近くにつける。
『よし、なら僕がまずは危険人物がいないか見てくるよ!』
「あからさますぎるぞ」
「いっきーさんも行っていいんですよ?もちろん彼女たちには何もしませんから」
『そう、ならよろしくね。さあ、行こうか欠陥製品』
「お、おい、勝手に決めるなよ」
もしもこのタイミングで真宵ちゃんが目を覚ましたら大変なことになるが、人間未満を一人でほっとくのも危ないし……
渋々、診療所に行くことに決めた。
できるだけ早く戻れば問題ないだろうと諦めて。
「どんな言い訳を考えてくるのか楽しみにしていますね」
車を降りるときに聞こえた声にぼくたちの背筋が震えたことは言うまでもない。
7
みなさんこんばんは。
みんなのヒロイン
八九寺真宵です。
なんて言う余裕もなくなりました。
今私は大人のお姉さんに膝枕されています。
状況だけ聞けば羨ましいシチュエーションなのでしょうが、そうではないのです。
聡明な読者のみなさまならおわかりでしょうが、この方は既に二人の人間に手をかけていたのですから。
そんな方の着物(しかも返り血ついてるんですよ!)で膝枕とか心休まるわけがありません。
怖いです。
恐怖しか感じません。
しかも羽川さん(殺されてしまったはずなのに生き返ってます。わけがわかりません)が気絶しているようなので狭い車内で実質二人きりです。
密室で、二人きり。
……犯罪的な響きしかしません!
いえ、羽川さんもいるにはいますけども。
逃げられるものなら逃げたいです、というかとっくに逃げてます。
今こうやって膝枕に甘んじている以上、逃げられないのはお察しの通りなんですが。
「お二人もいなくなったことですし……真宵さん?」
急に呼びかけられました。
びっくりしましたけど我慢です。
悲鳴を上げそうにもなったし体が震えそうにもなりましたけど我慢です。
この方とお話ししてはいけないような気がしてならないのです。
私の一方的な思い込みかもしれませんが、とにかく怖いのには変わりありませんし。
「寝ているふりをしているのはわかってるんですよ。起きないと殺し……は駄目ですね、何もしないと言ってしまいましたし」
今さらっと殺すって言いましたよ!
怖い怖い怖い怖い怖い!
幸か不幸かご自身の言ったことは守るつもりのようですので何かされるということはなさそうですけど。
「脅し……ても意味はなさそうですし、そうですね、こうしましょうか」
こちょこちょこちょこちょ。
言うが早いか私の太もも、スカートと靴下の間の地肌が露出している部分をくすぐってきました。
これには勝てるはずもなく。
「ひゃうっ!」
「あら、おはようございます」
……しまりました。
もう寝たふりはできません。
覚悟を決めました、腹を括ります。
「何もしないのではなかったのですか……?」
「言葉のあやですよ、現にわたしはあなたを傷つけてもいませんし殺してもいません。それに、話もちゃんと聞いてたようですしね」
「……あ」
括った矢先にほどかれました。
でも、何もしないというのが本当なら私にも立ち向かう余地があります。
「別にわたしはあなたが寝たふりをしていたことについては何も言うつもりはありませんから」
「なら、なんで私と話をしようと思ったんですか?」
「もちろん聞きたいことがあったからですよ。……裸えぷろんとは結局なんなのです?」
「それはさっき球磨川さんが取り出してたエプロン……七実さんは前掛けとおっしゃってましたっけ、それを他の衣服は着ないでエプロンだけをつけることですが」
身構えてたら拍子抜けです。
そんなに気になりますかね、裸エプロン。
「それだけですか?」
「それだけです」
裸体にエプロンをつけるだけでそれ以上の説明はしようがありません。
そもそもさっきからなんで裸エプロンで躍起になってるんでしょう、みなさん。
そして私の答えを聞いた七実さんはというと、
「…………はあ」
それはそれは物憂げでありながらとても彼女に似合いそうなため息をついていました。
それを見て私はどうしてでしょう、一瞬とはいえ美しいと思ってしまいました。
「たかがそれだけのものなのにどうしてお二人は必死に隠そうとしていたのでしょうか」
それはエロいものだからですよ、とはさすがに言えませんでした。
普通ならその答えを聞いた時点で察しがつくとは思うんですけどね。
まあ本人がそう思っているのならいいでしょう。
無理してイメージを植え付けるものではありません。
戯言さんのためにも。
「前置きはこれくらいにしておきまして」
そして七実さんは話を続けます。
やはり裸エプロンはワンクッション置くためのものだったんですね。
だって、たかが裸エプロンのために起こすのもおかしいではないですか。
あくまで私視点の考えですけども。
「いっきーさんから聞きましたが真宵さん、あなたは幽霊だそうで」
……やはり本番はこれからのようです。
8
診療所の扉を開けた瞬間に襲ってきたのは異臭だった。
もっと突き詰めて言ってしまえば死臭だった。
少なくとも真宵ちゃんを連れてこなかったことだけは正解と言えるだろう。
もっともぼくは今更死体の一つや二つ見たところで動揺するようなことはないし、それはどうやら僕の方も同様らしかった。
「で、僕はこれをどう見るんだ?」
『別にどうも思わないね。人が死んだ、それだけの話だろう?僕にとってもぼくにとっても』
「全くもって同感だ。知り合いなら多少は話が違ってくるんだけどね」
『僕の知った顔でもないしねえ。というかこの人そこはかとなくモブの匂いしかしないんだけど』
「言っていいことと言ってはいけないことがあるぞ」
ぼくも考えていたけどそこは伏せておくべきところなんじゃないのか。
そもそもぼくらの目的は別にあるわけであって。
『……で、だ。僕たちはもう一蓮托生なわけだけど』
「割合でいえばきみの方が多いのは確実なんだ、諦めろ」
『そうはいかないよ。こうなったら君も道連れだ』
「させるか。そもそもなんで持ってたんだよ、エプロン」
『支給されていた理由を説明なんてできるわけないだろ』
「やっぱり支給されてたのか……他に何支給されたんだ、この後トラブルあったら困るから今のうちに出しておけ」
『他って言っても僕の趣味三点セットの残り二つを出すだなんて……』
「おいなんだその犯罪的な響きは」
『犯罪的だなんて失礼な。手ブラジーンズと全開パーカーは少年ジャンプの表紙だって狙えると思ってるんだぜ』
「みんなの少年ジャンプになんてものを載せるんだ貴様は。あがいても見開きカラーが限界だろ」
『ダメかな?』
「ダメだろ」
エプロンと違ってジーンズとパーカーそれ単体ならそこまで変じゃないというのが不幸中の幸いといったところか。
主催は何を思って支給したんだよ。
こんな場所で一人の性欲を満たしてどうするんだ。
ともかく、ぼくと僕による七実ちゃんへの対策議論がしばらく続いたがそこは割愛。
取っ組み合いにこそならなかったが不毛であったことだけは伝えておこう。
そして場面転換、死体があった場所とは違う部屋。
医療器具やら薬やらを調達しに来たぼくたちだったが、やっぱり同じことを考える人は当然いたわけで。
「根こそぎ持っていかれてないだけマシか……」
包帯や消毒薬の類は全て持ち去られていた。
危険人物が治療するのを阻止するためかはたまた逆か。
考えても仕方ないことではあるが。
『でも解熱剤はあったんだからよかったんじゃない。これから記憶を消すのに意味があるかはしらないけどさ』
「原因を消したところですぐ効果が出るかどうかは別だろう?持っておいて損はないと思うし」
『熱くらい僕がなかったことにしてあげるのにさ』
「やっぱりやってのけるのか、きみは」
『でもなかったことをなかったことにするのはできない、つまり消耗した体力とかは戻らない』
「……ならぼくは薬で済ませとくよ。疲れだけ残っててもかえってストレスを与えかねないし」
下手に熱があった方が風邪でもひいたのだろうと言い訳しやすいだろうという底の浅い考えもあったけれど。
一番はこれ以上こいつに借りを作りたくないから、だった。
『あ、そうだ欠陥製品』
「なんだ人間未満」
『さっきから聞こうと思ってたんだけど、どうして君が僕の携帯を持ってるんだい?』
「え、これきみのなの?」
『僕の持ってるうちの一つなんだけど、それ』
「うち一つって……一応聞くが何台持ってるんだ?」
『全部』
「は?」
『だから全機種』
「キャリアも?」
『もちろん。全部揃えてないと気が済まなくてね』
おいおい。
全種類揃えるって酔狂な金持ちでもやらないぞ。
こいつ、過負荷過負荷言ってるけど背景が絶対恵まれてる側じゃねえか。
おかしいと思ってたんだよ、頭だって決して悪くないし身なりだって整ってないわけじゃないし。
……だからこその精神性の異常さ、否、過負荷さなのか。
ぼくと同じで。
「ああ、そういえば思い出した。ツナギちゃんに教えてもらった掲示板の存在」
『掲示板?』
「なんか参加者同士で情報交換できる掲示板を公開してる人がいるらしい……ぼくには心当たりしかないけど」
『ふーん』
そっけない態度とは裏腹に興味はあったようでネットに接続しようとポケットから取り出した携帯をぼくからひったくる。
自然な動きで。
くそっ、あまりにも自然すぎてしばらく取られたことに気づかなかったぞ。
まあ今となっては緊急性も低いし見たいというのなら先に見ても文句は言わないが。
『…………欠陥製品はまだ目を通してないんだっけ?』
「それがどうした」
『……なんていうか、さあ、本当に……どうしたらいいんだろうね』
ひと通り目を通したのか意味深なセリフと共に携帯をぼくに返してくる。
ぼくはそれを黙って受け取り、画面を見る。
トリップを見て、予想通り玖渚の仕業だったと息をついた。
博士のところというのは斜道郷壱郎研究施設のことだろうけど今あそこは禁止エリアになっているはず……
書き込みは朝だったし今頃は零崎の妹と共に避難しているはずだろう。
あいつのことだ、そうなった場合の対処法だって用意してるだろうし。
だが、人間未満があんな反応を示す理由はまだ見当たらない。
画面を下にスクロール。
……なるほど、おそらくはこれか。
操作していた時間からして動画を見る余裕まではなかったはずだから、読んだのは文字だけだろう。
となると……
「黒神めだか、彼女のことかい?」
「そうだよ。僕がずっと勝ちたいと思っている相手だ」
「思っている、ねえ」
「彼女ならこんなときでもどんなときでも僕とぶつかってくれると思ったのに、なんでこんなことしてるのさ」
「誤報の可能性……はないな。動画貼られてるし、全く玖渚もやってくれたな」
「別に事実なら遅かれ早かれ知られてたんだ、むしろ知れて助かったくらいだよ」
「それでどうするんだ?残念なことにぼくにはきみの気持ちはわからないからね。括弧をつけてもつけなくても。
尤も、勝ち負けで言うなら既に殺してる彼女の方がきみよりは負けているように思えるけども」
「変わらないさ。僕は黒神めだかに勝つ。僕はいつも通りでめだかちゃんが変わってるだなんてがっかりだ。僕は認めないよ。
こんなのでめだかちゃんに勝っただなんて言えるわけがない。めだかちゃんと直接対峙して初めて勝負になるんだ、今の段階で勝ち負けなんてつくわけない」
「ぼくも少なからず因縁できちゃったしなあ。会いに行くのならついていくぐらいはしてやってもいいけど」
暦君を殺してしまったとなるとぼくにも無関係とは言えなくなる。
どうやら、すっかり真宵ちゃんのことを他人とは思えなくなってしまったらしい、今更だけど。
しかしそうなると心配なのが真宵ちゃんと翼ちゃんなのだが。
……あれ?これぼく行かない方がいいんじゃないか?
『なら戻らないとね。いつまでも七実ちゃん待たせるのも悪いし』
「そうだな……覚悟決めないと」
とはいってもいつまでもここでぐだぐだと考えているわけにはいかない。
今この瞬間に真宵ちゃんが起きてたら大変なことになっているかもしれないし。
さすがに殺されはしないだろうけど、うん。
ただ、少しばかりの本音のやり取りでわかったことがある。
人間未満、
球磨川禊。
彼は勝てないのではない。
価値を認めないし、勝ちを認められないのだ。
そこが、人類最弱でありながら勝つことはできるぼくとの最大の違いだろう。
9
「最初に言っておきますが、話にちゃんと応じてくれる限りわたしはあなたを殺しませんし傷つけもしません。それが例えふざけた回答でもあなたの身の安全を保障します」
本人が真面目に答えたつもりでも傍から聞くとふざけているように聞こえるというのは古来からよくあることですからね。
わたしはそれについて怒るようなことはないですが。
どんな答えだろうとわたしにとっては同じでしょうから。
ですからわたしは真宵さんにあらかじめ説明しておきます。
「わたしにとって死も痛みも身近な友人です、とは前々から言っていることなんですが厳密には違います。
「痛みは常にわたしに付いて回ってますが、常に共にいますが、死は身近でしかありません。
「言ってしまえば、身近以上に近づくことができないのです。
「二度程死んだ身で言うのもなんですがね。
「この死にぞこないの体は、この生きぞこないの体は、常にわたしを死から一定の距離に置き続ける。
「近づこうと思っても死にぞこないの体が邪魔をし、
「遠ざかろうと思っても生きぞこないの体が妨げる。
「ですからわたしは弟に殺してもらうために島を出ました。
「国中を回り、あちこちを踏み躙り、虚刀流でありながら刀を手にしてまで、死のうとしました。
「結果どうなったか、ですか?
「死ねましたよ、ええ。
「一度目の死はそれによるものです。
「それで満足できたらよかったんですけどね。
「最期で噛んじゃったんですよ。
「心残りがよりにもよって最後の最期でできてしまって。
「それだけのことでと思うかもしれませんが、わたしにとっては重大な問題です。
「こうして生き返ったのもまたとない機会ですので再びわたしは弟探しを再開しました。
「もちろん再び殺してもらうためです。
「一度しかないはずの最期をやり直すためです。
「最初はそのつもりでした。
「今もそのつもりのはずです。
「ですがどうやらわたしは錆びされたようで。
「禊さんか、その前の人識さんか、はたまた最初の出夢さんか。
「あるいは三人全員か。
「そんなものは些細な問題ですがわたしはとにかくほだされました。
「ぬるい友情につかるのも悪くないと思ってしまっています。
「あら、話がずれてしまいましたね。
「長話はどうも苦手で。
「何を聞きたいのかわからない顔をされていますね。
「手っ取り早く言ってしまうなら、死んだ後とはどういう状況なのでしょうかということです。
「わたしがここに来る前も、ここに来て橙色に殺された後も、死んでいる間の記憶はありませんから。
「参考までに聞きたいのですよ。
「あなたは言ってしまえば死んだ後も死に続けているようなものですから。
「だってそうでしょう?
「死んで別の存在になったというわけではなく生き返ったわけでもないのなら死んでいるとしか言いようがないのですし。
「わからないというのでしたらそれで結構ですが、あなたから見た感想とか感触でいいから聞きたいのです。
「本来聞くのは専門分野ではないのですが、得られるものがあるなら得たいと思うのは当然です。
「今までも結局そうして得てしまいましたしね。
「もう一度言っておきますが、ちゃんと答えてくださるのならば、わたしはあなたに何もしません。
「ねえ、真宵さん。
「幽霊とはどういう心地ですか?」
わたしは真宵さんに問いかけました。
真宵さんはわたしの言葉をゆっくりと咀嚼して、唸り、返します。
「始めに言っておきます。
「私は嘘をついています。
「どういう嘘かはわかってもいいしわからなくても構いません。
「その嘘だって今もつき続けている状態かどうかは怪しいですが。
「あなただから言うのではなく戯言さんには聞かれたくないから今話すのです。
「記憶を消されてしまっては話すことができなくなりますからね。
「もちろんあなたの質問に対しては真摯に答えますが。
「怖いですからね。
「まずは私の背景を説明させてもらいます。
「七実さん、あなたもしたのですから私もしてはいけない理由はないでしょう?
「と言ってもすぐ終わるとは思います。
「わからない単語もあるかもしれませんがあなたはそれを気にする人ではなさそうですし。
「ある年のこと、小学五年生、当時十歳だった八九寺真宵は母の日に離婚してしまった母親に会いに行こうと単身家を出ました。
「途中、ある交差点で青信号だったにも関わらずトラックに轢かれました。
「そして死にました。
「人間、八九寺真宵のお話はこれでおしまいです。
「それから、私は迷い牛という怪異となって彷徨い続けました。
「人を迷わせ、自分を迷わせ、いつまでも目的地に辿り着けませんでした。
「そんな日々も唐突に終わります。
「彷徨い始めてちょうど十一年後の母の日、とてもとてもお人よしな
阿良々木暦という高校生のおかげで私はお母さんの家に辿り着くことができました。
「正確には戦場ヶ原ひたぎさんという立役者もいらっしゃいましたが阿良々木さんがいなければ解決することはありませんでした。
「その日を境に私は迷い牛という怪異ではなくなりました。
「幽霊であることには変わりませんが、人を迷わすことはなくなりましたし、また私も迷うことはなくなりました。
「阿良々木さんの家にお邪魔することだってできるようになりました。
「質問ですが、幽霊がどういう心地なのか、でしたっけ?
「はっきり言ってしまえば変わりませんよ。
「気づかれないことがほとんどですが、特定の何人かとお話するときはいつも通りです。
「喜びますし、怒りますし、哀しみますし、楽しみます。
「生きている人間となんら変わりありません。
「求めていた答えとは違うかもしれませんが、私にとってはこういうことです。
「幸せか不幸せか、ですか?
「間違いなく不幸せですよ。
「ただ、幽霊になったことで阿良々木さんに出会えたことは幸せです。
「同じようにこんな殺し合いの場に招かれたのは不幸せですね。
「その中であなたや球磨川さんのような方に出遭ってしまったことも不幸せです。
「ですが、最初に戯言さんに会えたことは幸せですし、その次にツナギさんに会えたことも幸せです。
「三人でいた間はとてもとても楽しかったですし。
「ですから、私の記憶を消させはしません、絶対に。
「以上が、私の結論です」
そう締めくくって真宵さんはまっすぐにわたしを見つめます。
当然ですが、聞いていますよね、記憶についても。
「……はあ」
わたしはため息をつきます。
真宵さんの話がつまらなかったからというわけではありません。
むしろ興味深く聞かせていただきましたよ。
役に立つ立たないは別として、ですがね。
原因はあれです、わたしの視界の中でちょこまかと動き回っている四季崎です。
わたしと真宵さんの話を聞いてそれに一喜一憂しているのがものすごく目障りです。
消そうとすると途端にかしこまるのにちょっとおもしろく思ってしまうのが癪ですが。
「なるほどありがとうございました。記憶については当事者同士で話し合ってくださいな。わたしは誰の味方もしませんから」
「もちろんそのつもりです。きっと戯言さんは反対するでしょうが、私が決めたことですから」
「なら決断は早く済ませてしまいなさい。戻ってこられたようですし」
診療所の方を見れば二人とも凛々しいお顔。
そういえば裸えぷろんについて言い訳を期待してると言ってしまいましたね。
真宵さんから答えを聞いてしまったのですっかり忘れてしまっていました。
ここは再び出鼻を挫くとしましょうか。
おや、いっきーさんが慌てたように駆け寄ってきます。
ああ、真宵さんが起きてるからですね。
ですが、わたしは何も疚しいことはしていませんし真宵さんもそう証言してくれるでしょう。
それよりも問題は――
「真宵ちゃん!大丈夫!?」
「ぅうーーん……ここは……?」
「おいおいなんだ、こんな大所帯になってるなんて俺は聞いてなかったんだがよ、欠陥製品」
目を覚ました羽川さんと戻ってこられた人識さん(なぜか同行者がいるようですが)にどう対処するか、ですかね。
10
処理しなければいけない事態が一度に重なる中、ぼくが真っ先に選んだのは真宵ちゃんの容態の確認だった。
目が覚めてそこが七実ちゃんの膝の上でぼくがいないなんて状況じゃパニックを引き起こしてもおかしくない。
だからこそ、急いでドアを開けて呼びかけたのだけど、
「私は大丈夫ですよ、戯言さん」
「本当に……?」
真宵ちゃんは至極冷静だった。
今しがた起きたばかりとは思えないくらい。
「ええ、本当に大丈夫です。七実さんも私に何もしてませんから」
七実ちゃんを見ると目線で伝えてきた。
どうやら事実らしい。
「でも顔色は悪いままじゃないかっ……!」
「体調が優れないだけで思考は正常です」
はっきりと大丈夫だ、と意思表示してぼくを見つめてくる。
視線はしっかりとしているしているようだし、その思いは本物なのだろう。
だが、隠しきれていない焦燥が伝わってくる。
強がっているのがわかってしまう。
そもそも真宵ちゃんの態度だって起き抜けにしては異常すぎるのだ。
なんていうか、ある程度話、いや、状況を把握していたような……まさか――
「真宵ちゃん、いつから起きてたの……?」
「……やっぱりバレてしまいますか」
「まさかとは思うけど、最初から聞いていたなんてことは」
「さすがに最初からは無理ですよ。覚えてるのは球磨川さんの頭が吹き飛んだあたりから、ですかね」
そのあたりから、となると記憶云々についても聞いてしまってるわけで……
「あの、お取り込み中のところ悪いんですけれど、あなたがたは真宵ちゃんとはどういう関係で?」
考えを巡らせているうちにぼくが車のドアを開けた衝撃で目覚めたらしい翼ちゃんが話に割って入ってくる。
今の口ぶりからしてぼくのことを知らないみたいだけど……
「真宵ちゃんとは知り合ったばかりで、そこまで説明できるような仲ではないですよ」
事実しか述べていない。
実際出会ってからまだ18時間も経過していないのだ。
それに、この関係を一言二言で説明できる間柄でもないし。
「わたしもつい先程知り合ったばかりですね。いっきーさんには及びませんが」
七実ちゃんも翼ちゃんの質問に答える。
そういえば、「あなたがたは」って聞いていたっけ。
質問の対象に七実ちゃんが含まれるのも当然か。
にしても、七実ちゃんが素直に答えるとは思わなかった。
さっきは文字通りの意味で殺し合いしてたのに。
ん、七実ちゃん、なんか迷惑そうにしてないか……?
「あ、ええと、申し遅れました。私、羽川翼と申します。初対面で不躾かとは思いますが、いくつか質問してもよろしいでしょうか?」
「初対面」
これはぼくの懸念は確定と見ていいだろう。
思わず真宵ちゃんと顔を見合わせるが、同じことを考えていたようだった。
「……別に構わないけど」
「ではお言葉に甘えさせていただきますね。まずはあなたがたの名前、次にここがどこか、最後に……私がどうしてこんな格好をしているのか」
尤もな質問だった。
ただ、この様子だとここが殺し合いの会場だということも認識していないらしいし、下着姿から装束に変わった理由だってぼくの与り知ることではない。
殺し合いのことを伝えるということは必然、思い人である暦君が死んでしまったことも伝えなくてはならないわけで……
「わたしは鑢七実といいます。ここがどこか、はわたしも知りません。服装……は元々の服が濡れてしまって中に入ってたそれを着たからだとか」
どうしたものかと考えている隙に七実ちゃんが答えていた。
おそらくは知り得ない情報を知っていることといい、やはりさっきから七実ちゃんの様子がおかしい。
ある種のうっとうしさみたいな感情が滲み出ているし。
例えるなら、周囲にまとわりつく小蝿を煙たがるような――
「鑢さんですね、ありがとうございます。それで、あなたは……?」
「名簿には
戯言遣いの名で載っているけど、もちろん本名じゃない。まあ、気軽にいーさんとでも呼んでくれればいいよ」
「彼女」に呼ばせていた名を出すのに抵抗がなかったと言えば嘘になるけど、一番しっくり来るだろうとは思ったから提案させてもらった。
なに、実際にぼくのことをなんて呼ぶかは翼ちゃんの自由だ。
しかし、目のやり場に困る。
ただでさえサイズがでかいというのもあるが(何が、とは言わないでおこう。ぼく自身のために)、七実ちゃんが貫いた跡が生々しく残っているというのが……
「……そうだ。おーい、球磨が……わ?」
あいつの持っているジーンズとパーカーならまともな着替えにはなるだろうと今更のように思い出したぼくは振り返る。
振り返って、止まる。
「何やってんだよ、零崎」
「ただの八つ当たりだよ、かはは」
人間未満はのびていた。
位置関係からして、零崎に殴られたとみて間違いないが……
ぼくの知らないところで何かやってたんだろう、きっと。
十中八九人間未満の自業自得であるようなことを。
なら仕方ないな。
「とりあえずそいつの荷物もらっていいか」
「おうよ」
零崎は仰向けの人間未満を乱暴にひっくり返して背中を出すと背負っていたデイパックを剥がし、ぼくに投げてよこした。
それをキャッチしてそのまま翼ちゃんに渡す。
「えーと、今は急ぎでもないし格好が気になるなら着替えてきたらどうかな?中にパーカーとジーンズはあるはずだし少なくともそれよりはマシだと思う」
「あ、はい。話は後で詳しくお伺いしますがよろしいですよね?」
「もちろん」
ぼくから返事とデイパックを受け取ると翼ちゃんは診療所へ一直線に向かって行った。
やはりあの格好は恥ずかしかったのだろう。
寝起きで周囲に気を配る余裕もなかったようだし、零崎たちよりも更に離れた距離から向かってくる視線にも気づいてないみたいだ。
さて。
診療所の扉が閉まる音を確認したぼくは一歩下がり、目線を車内から車の後ろへ飛ばす。
「きみが戦場ヶ原ひたぎさんだよね。違うかな」
「ええ、その通りよ。初めまして」
こっちは正真正銘の初対面だ。
……あ、診療所には死体があったの忘れてたけど翼ちゃん大丈夫かな。
最終更新:2013年11月06日 18:18