「ゆっくりヴァンパイア」
そりゃあ、俺だってクーラーは苦手な方だ。
だから同居人があの如何にも人工的な冷気の中で眠るとたちまち体調を崩してしまうタイプならば、
この真夏の熱帯夜に大汗垂らして寝る事くらい、幾らでも付き合おうと思う。
窓を開けておけばそれなりに空気が流れて幾分かマシになるし、俺の部屋は3階だから
道行く人らに部屋の中を覗き込まれるような心配も無い。
そう、クーラーなんて要らない。窓さえ開けて眠ればいいだけの話だ。暑さに関しては。
問題は、蚊。蚊だ。こうして半分眠ってる脳にも響いてくる、あの忌々しい羽音。
わざわざ目を覚ますのも面倒だし、かといって放置していれば喰われた痒みで結局起きざるを得ない。
眠い。痒い。鬱陶しい。
大体、人間の血を吸いに来るのは連中にとって命懸けだろうに、何故わざわざ耳の方に寄って来る?
羽音が耳に入らないような距離を置いて吸血するという知恵は無いのか、蚊よ。
そんなんだから叩き潰されるんだ。
……ああ、ほら、またこう、ぷうううぅぅぅ~ン…とかいってこっちに寄って来て……
「ゆっ!」
小さな掛け声の一瞬後、蚊の羽音がピタッと途絶える。間髪入れず、ぽすん、と控えめな着地音。
目を開けてみると、同居人…いや、同居ゆっくり? まあ何でもいいや。
とにかく、横になった俺の目の前にゆっくりれいむの得意げな笑みがあった。
「ゆゆっ? おきるのおにーさん! ゆっくりしていってね!」
いや、まだ起きないし。まだ真っ暗だろ。というか、こんな夜中に何してる。
「れいむ、うるさかった? ごめんねおにーさん」
いやべつにうるさくはないが、と話している最中にも、れいむは再び「ゆっ!」と跳び上がり、
空中で何かをパクッと……そうか、コイツひょっとして蚊を食ってるのか?
「たべるよ!」
そういえば、そうか。うーん、去年の冬にれいむが居ついてからこっち、食事は俺と同じのを
食わせてたからついつい忘れてたけど、ゆっくりは本来虫とか草とか食ってるんだよな。
でも虫食うのはいいとして、れいむのこのバレーボール大の身体で蚊ァ食って腹の足しになるのかね。
「むしさんいっぱいとんでくるから、いっぱいたべるよ!」
ああ、確かに近所の公園に池があるからなのか、毎年夏になるとこっちにも蚊がいっぱい飛んでくる。
一匹一匹は小さくても、数を食えば夜のおやつくらいにはなるわけだ。
「むしさんいっぱいたべるよ!」
そうか。
「たべほうだいだよ!」
そうかそうか、じゃあ蚊はれいむに任せた。俺は寝る。俺の安眠のため、虫さんいっぱい食ってくれ。
「ゆっくりおやすみしてね!」
よし、睡眠の続きだ。蚊のあのプンプン音に比べれば、れいむの声は大して耳障りにもならない。
…だが。
さっきから聴いてると、蚊を食った後に「しあわせー!」という時といわない時があるのは、
これは一体どういう差だ?
気になって目まで覚めてきたので、蚊を追い掛け回すれいむに訊いてみた。
「ゆう~。いいしつもんだね、おにいさん」
蚊ァ食ってるくせに何を気取ってるんだコイツ。
「ちいさなむしさんはそれなりだけど、おなかがぷっくりしてるむしさんはおいしいよ!」
……同じ蚊なのに、味に違いがあるのか?
「おなかがぷっくりしてるむしさんは、おつゆがでてきておいしいよ!」
おつゆ…って、虫の腹の中身か? うえぇ、考えたくない。ただでさえ蚊に食われて痒いのに、
余計にムズムズしてきた。これ以上気持ち悪い考えになる前にさっさと寝よ寝よ。
……待てよ。
蚊の腹がぷっくりって、蚊の腹には多分、吸った血が溜まるわけで。
つまり虫さんの美味しいおつゆ、要するにそれは俺の……
「しあわせー!」
……いやいやいや。考えない、考えないぞ、俺。
変な事考えてないで寝ちまえ。眠れ。
そんなんだから、夢を見た。
俺の首筋に吸いつくれいむ。
ちゅーちゅーと音を立てて吸引される度に俺の身体は萎み、れいむの身体はぷっくりと膨らんでいく。
微かに赤い色を内部から透かせたれいむが、感涙に身を震わせながら叫ぶ。
「しあわせー!!」
そしてカラッカラに干からびた俺は、最後の力を振り絞って口元に笑みを浮かべるのだ。
そうかれいむ、そんなに美味しかったか……。
何が嫌って、そんな夢を見ておいて、目覚めの気分が実に爽やかなものだった事だ。
夢の中での行動に当人の制御なんて効くはずもないが、もう少し何か、リアクションがあるだろう、俺!
逃げるとか、悲鳴を上げるとか。何で笑ってんだ。
どうにも妙な感じに気が治まらないので、俺の枕元でゆぅゆぅと寝息を立てるれいむのほっぺたを
むにむにと引っ張ってやった。
ったく、この吸血鬼め。
後日。
れいむが夜食に励んでくれるので蚊の被害に関してはある程度安心していたのだが、
ここ数日になって急に蚊に食われまくるようになっていた。
これはどういう事だろう。れいむはもう蚊を食べなくなったのか。それとも蚊が大増量したのか。
「ゆ? ちいさなむしさん、まいばんいっぱいたべるよ!」
……そっか。じゃあなんで急にあちこち蚊に刺されが……。
「おにいさんにとまってからのほうがぷっくりしておいしくなるから、
むしさんがおにいさんにとまるまでゆっくりまってからたべるよ!」
くそぅ、吸血鬼め。
- 和んだ。おもしろい -- 名無しさん (2010-07-23 13:47:57)
- これは傑作だ -- 名無しさん (2010-11-28 16:45:10)
- 間接的に血吸ってるじゃんw -- 名無しさん (2011-06-09 16:16:08)
最終更新:2011年06月09日 16:16