「おしえて☆のうかりん先生」~母の日~

「ゆっ、のうかりんきれいなおはなだね!」
「ああ娘が母の日にたくさん送ってくれたんだっぺ」むーしゃむーしゃ「ん~今年もいい味してるっぺ」

「ねぇ、のうかりん?『ははのひ』ってなに?」
「ん?『母の日』ってのは、カーネーションって花さお母さんに贈って「いつもありがとう」って感謝する日だっぺ。
 日本やアメリカは五月の第二日曜、今年だと…こないだの九日だっぺな」
「ゆー?!れいむ知らなかったよ…どうしよう」
「あっはは!なんもあわてる事ねっぺよ。五月にゃかわりねけんど世界中じゃみんな日付が違ってるんだっぺ。
 スペインでは第一日曜、北欧スウェーデンでは最終日曜2月、他にも3月3日、春分なんて国もあるし、アルゼンチンは10月、ロシアは11月、インドネシアはなんと12月なんだっぺ」
「それならゆっくりおいわいできるね!でもなんでそんなちがうの?」

「まぁどの国も起源がちがってるからだっぺな。たとえばイギリスは17世紀の復活祭の40日前の日曜。
 奉公さ出た子供が一年に一回教会で母親に面会できる日が「Mother's day」「Mothering Sunday」っていっててこれがイギリスの母の日の起源なんだっぺ」
「いちねんにいっかいだけ?それじゃさびしいよぅ…」
「そんだけ特別な日だったって事だっぺ、今みたく毎日お母さんに会えてるのはしあわせな事なんだっぺ」

「そんじゃ次は日本の母の日の基になったアメリカの母の日だっぺ。
 時は南北戦争が終わった1860年頃、女性参政権運動家のジュリア・ウォード・ハウって人が『夫や子供をもう戦場にいかせない』っちゅう「母の日宣言」(Mother's Day Proclamation)をしたんだっぺ、一応これがアメリカで最初『母の日』って名前のもんだったんだっぺ」
「なんかイメージとちがうね」
「んだなぁ、これは南北戦争中にウェストバージニア州にあったアン・ジャービスって人の始めた「母の仕事の日」(Mother's Work Days)っちゅう、
 女の人皆で怪我した兵隊さん達は敵味方関係なくお母さんのように手助けしよう、ってのから考えたもんだからだいぶ違うっぺな」
「ゆ、ゅ、ゅ~…ぜんぜんつながらないよ~…」
「まぁこれは結局広まんなかったから、むしろこっからが本題だっぺ。話はその「母の仕事の日」のジャービスさんが亡くなって2年経った1907年5月12日。
 ジャービスさんの娘さんのアンナさんは亡くなったお母さんを偲んで、お母さんが日曜学校の先生をやってた教会で記念会をしたんだっぺ。
 その後アンナさんのお母さんへの想いに感動した人達の手で1908年5月10 日、同じ教会に470人の生徒と母親達が集まってアメリカ最初の「母の日」が祝われたんだっぺ。
 その時にアンナさんはお母さんの好きだったカーネーションを贈って、カーネーションはそのまま母の日の象徴となったんだっぺ。
 それからアンナさんが「母の日」を国中で祝う事提案して。 1914年に5月の第2日曜日は「母の日」としてアメリカの祝日になったんだっぺ」
「もともとはアンナさんのしんじゃったおかあさんのきねんびだったんだね」
「んだな、これがその後日本に入ってきて今『母の日』ちゅうわけだっぺ」
「いつになくながかったね!」
「娘が花好きでなぁ、色々教えてくれたんだっぺ。はぁ~でもやっぱつかれるっぺ」

「ありがとうのうかりん、れいむもおかあさんにお花あげるね!」
「れいむ、母の日だけでなくてお母さんには毎日ありがとうするんだっぺよ」
「うん!」
「それじゃあ今回はここまでだっぺ」

おしまい





母の日ネタ、書いていたらば簡単に、オーバーしたのでお茶濁し。字余り―

by. とりあえずパフェ

  • ためになるなあ -- 名無しさん (2011-06-09 16:21:06)
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最終更新:2011年06月09日 16:21