夜雀と亡霊のぬぎこたつ! 下




「じゃ、はい靴下片方脱ぐよ」
「え~、お決まりとは言えつまらないわね」

 私の考えすぎだったのかな‥、
ミスティアはそう思いながら、幽々子の言葉を無視して片足の靴下に手を伸ばし、丸めて無造作に部屋の端へ投げる。今の季節は冬、寒さ対策の重ね着をしている状況だ。その上に靴下や帽子の数を勘定に入れて考えれば、アウトゾーンにはまだまだ程遠い。
 確かにミスティアは負けた。だが、彼女が最後の一段を積み重ねた時、特別ヘマをやらかした覚えはないし、天井から見る限り幽々子もゆっくりに対し触れるようなことはしなかった。ミスティア自身のミスの所為でも、幽々子による工作の所為でもない。単純に、ゆっくり達の許容できるギリギリの高さまで塔が積み重なった結果、限界を越えて崩れてしまった、それだけの話。そうとしか考えられない話。

「それじゃ、二戦目、始めましょう」
「これで負けても、もう片方の靴下脱ぐだけだけどね」

 ―もしかしたら、西行寺幽々子は、特別な小細工を使わないのかもしれない。
 ―もしかしたら、策と呼べる策など持っていないのかもしれない。

 ミスティアの楽観的とも言えるその予感は、二戦目の決着が付いた時、更に確信的なものになった。
 今度は14段目、ミスティアが13匹目のゆっくりの上にゆっくりを乗せた瞬間、

『ゆわぁああああああ』『おいおいまたかよ!』『なかなか勝てないね、重力』『結局ゆっくり達は地球の重力に魂を縛られ、自分たちのことしか考えていない!』『だから抹殺すると宣言した!』『エゴだよ、それは!』『ていうか抹殺すんなよ!』

 先と似たような段数、同じような状況で、ゆっくりのタワーは崩れ落ちた。 
ミスティアが特別ミスをしなかったのも、幽々子がゆっくり達に触れた様子がないということも同じ。
 負けたには負けた、だが‥、
実力差や、策略で負けた訳ではない。ゆっくり達の言うとおり“重力”以外の力が働きかけていない以上、ミスティアの今回の敗北もまた偶然の産物であるということだ。

「しょうがない、じゃ、靴下もう片方、ぽいっと」
「もう少し可愛く脱いでくれても良いのに」
『色気の欠片もないね!』『お色気ポーズってもんを分かってないね!』『せめて可愛いこぶってくれればまだマシなのにね!』
「五月蝿いぞ、お前ら!」

 ゆっくり達の軽口に怒ってみるものの、ミスティアの心の中にはすっきりした安堵感が広がっていた。
 この喧嘩を買ってしまった当初は、先の見えない勝負展開を不安にも思ったが、蓋を開けてみれば、少しのバランス感覚が必要なだけの、運の要素の強いただのゲームだ。
 そして、目立つミスがミスティアにない以上、数をこなしていけば、いつか必ず勝つことはできる。二回連続で負けてしまってはいるが、それは目に見えない程の小さなコツを、幽々子が経験で掴んでいるからとか、その程度の理由だろう。目に見えない程度のコツなら、ミスティアが気付くことは難しく、一回や二回負けることもあるだろう。だが、その程度の些事が、この先何回、何十回もの、確実な連勝をもたらすものだとは思えない。
 少なくとも、ミスティアはそう考える。
 ならば、今は勝負を重ねればそれでいい。回をこなせばいつか必ず勝つ時はやってくるのだから。その時は、冥界の主としてのプライドを持つこの亡霊のことだ。約束は必ず守るだろう。

(その時は、幽々子の衣服を一度に全部脱がしてやるってのもアリかもねぇ)

「あらあら、どうしたミスティア? 負けたのに嬉しそうに」
「別に、あんまり大したことのないゲームだから拍子抜けしただけよ。それじゃ、三回戦始めよう。今度こそ勝つからね」

 内心でほくそ笑みながら、ミスティアは安心しきった心持で、次の勝負を持ちかける。この勝負もまた負けるかもしれないが、そしたらまた次に勝てば良い。まだまだ衣服の余裕はあるのだから。

「そう?なら頑張ってね。一方的に勝ち過ぎるということも、決して楽しいことではないのだから」

 ―精精今のうちに余裕ぶってろ、亡霊め。

 いつかの勝利を確信しながら、ミスティアは幽々子と交互にゆっくりを重ね合わせて、高い塔を作っていく。
 高く積み上がるにつれ塔の完成度は増すが、その分不安定になり、いつかは崩れ落ちてしまう。
 彼女は分かっているのだろうか。
 自信や確信もまた、高く積み上げてしまう度に、疑いを抱くことをやめてしまう度に、何時しか確信は妄信へと変わり、その強度は歪み、崩れ易くなってしまうことに。そして、高く積みあがっていればいるほど、崩れ落ち、地面に叩き付けられた時の衝撃は大きいものになるということに。



 三戦目。勝者、西行寺幽々子。
 ミスティア、帽子を脱衣。

「また負けか‥。まぁいいや。次、次」


 四戦目。勝者、西行寺幽々子。
 ミスティア、右耳のピアスをはずす。

「それは衣類なのかしら?」
「着脱可能だから多分衣類だよ。ああ、もう次!」


 五戦目。勝者、西行寺幽々子。
 ミスティア、左耳のピアスをはずす。

「くそ! まだまだ、次は絶対勝つ!」


 そして六戦目。勝者、西行寺幽々子。
 ミスティア、上着を脱衣。

「やっと、衣服が薄くなったわね。ここまで長かったわ」

 勝負の行程は毎回同じ。
 決着はいつも、13~15段目のゆっくりを積む頃に付いた。ミスティアの敗北を共にして。
 ミスティアが特別なミスをした訳でもなく、幽々子がゆっくりに触れた訳でもない。ミスティアが特別劣っている訳でも、幽々子が特別優れている訳でもない、すべて運の良さによって決している勝負。
 全ては、ミスティアの確信どおりに事が進んでいる。

「でも、ここまで来れば後はもう短い。楽しみね」

 “いつまで経ってもミスティアの勝利が訪れない”という、たった一つの、致命的な問題を除いては。

「どうしちゃったの、ミスティア?だんまりしちゃって。負けすぎて疲れちゃった?」
「‥‥‥」

 この状況は、あまりにもおかしい。
 おかしすぎる。
 自分の確信どおりに事が動いているのなら、六戦六敗という結果が出るはずがない。一度も勝てないはずがない。
 だが、事実として勝てない。今の今まで一度も勝つことができていない。これは、偶然なのか。
 それとも‥、

「顔色が悪いわね」
「う、うるさい!少し勝ちが続いてるからって優位に立った気でいないで!」
「なんだったら、ここでやめてもいいのよ?」
「馬鹿にしないで! こんな負け続けで、終われるはずないでしょ!」

 ミスティアは頭を振って、心の中の迷いや疑問を打ち払う。必然だとかおかしいだとか、そんなことは関係ない。
 一度勝負を受けた以上、中途半端では終われない。一度でも勝てば十分なんていう、ハンデで塗れた状態なら尚更だ。
 それに、ミスティアの敗因は、偶然以外の理由で説明付けることはできない。ならば、やはりミスティアの勝利が未だ訪れないことも偶然だということだ。
 数を重ねれば、いつかは勝てるはず。いつか絶対勝てるはずなのだ。
 逃げる訳にはいかない。自分から勝利の目を逃がすわけにはいかない。

 ミスティアは、再び付近でゴロゴロしていたゆっくりの頭を掴むと、力強く炬燵の上に置いた。

「次の勝負を始めよう。私は勝つまで諦めない」

 次こそは必ず勝てる、既に妄信へと姿を変えた確信にしがみ付き、それをそれと気付かぬままに。

『どーでもいいけど、わたしってずっと最下層なのかしら。ずっと一番下なのかしら。たまには上の方に乗りたい』

 軽く溜息を吐きながら、ミスティアによってまたもや一番下の台として選ばれたゆっくりれてぃがアンニュイにそんなことを呟いた。






 その後、ミスティアは一度の勝利も迎えないまま、また同じように偶然としか思えない状況で五回の敗北を迎え、物語は冒頭へと、ミスティアの残る衣服が二枚となったところまで遡り、

「あと、二枚。あと、二枚ね」

 12回目のゲームで、彼女は初めてミスを犯し、12回の連敗を迎えることになる。




 それは、仕方のないミスだった。
 もう後がないという焦燥感と、服を殆んど脱いでしまったことから起こった紅潮と高揚により、普段どおりの集中力が発揮できず、結果、あらぬ方向へ震える腕を動かしてしまい、

『あべしっ!痛いです、殴らないでください!』

そして片腕の肘が、積み上げられている最中の、塔を構成しているゆっくりのうち一匹に当たってしまった(ちなみに肘をぶつけられたのは“ゆっくり星”。勿論泣いてしまった)。その衝撃により、バランスを崩し仲間の体重を支えきれなくなり、塔全体が崩壊する。
 ミスティアの表情が、一瞬で青ざめた。

「あ‥、あぁぁあ!」

 取り返しの付かないことをしてしまった。そんな絶望めいた思いが胸中に広がる。だが、どんなに後悔しようと既に手遅れ。ミスティアの状態を考えれば、仕方ない状況だったとはいえ、負けは負け。

「あらあらあらあら、また私の勝ちね」

 ミスティアに残された衣類が、残り二枚、たった二枚の肌着のみであろうと、容赦なく罰ゲームは執行される。

「ま、待って!これ以上‥、これ以上脱いだら、もう‥!」
「分かるわ、ミスティア。あなたはこう思っている、もうこれ以上“脱げるはずがない”と。そうよね、さっきスカートを脱いだ時だって、本当に恥ずかしそうに、“こんなことできない!”なんて目で訴えて、顔を真っ赤にして迷って逡巡してから、やっとの思いで脱いでくれた程だものね」

 何故ならば、亡霊はもともと、こういうシチュエーションこそを望んでいたのだから。

「だから、あなた一人でそれをやらせるなんて、そんな残酷なこと私にはできない。つまり、超手伝いますわ、ミスティア!」
「ひぃ、いやぁあああああああ!!!」

 ミスティアの悲鳴も空しく、幽々子は颯爽とミスティアの背後に回りこみ、その小さく震える無防備な背中を全力で抱きしめて、彼女の肌着、その内部へと躊躇いなく掌を伸ばして、指を動かした。

『人が崩れ落ちてる最中にエロいよね、この二人』『まったくもって呆れるよね』『あれ絶対襲われてる方も喜んでるよね』『字が違うぜ、こういう時は“悦ぶ”って書くんだ』

 ゆっくり達の冷ややかな視線を浴びながら、ミスティアはとうとう胸部を隠す衣類さえも失った。





―もう‥、どうでもいいや。

 12回目の罰ゲームの執行が終わった後、既にミスティアの心中に勝利への執着はなく、その代わりに敗北を受け入れた諦念だけが虚しく心を埋め尽くしていた。
 背中に生えた大きな羽を胸の前で折り曲げて交差させ、何とか胸部を晒さないよう努めながら、ポロポロと涙を流す。
 自分の何がいけなかったのか分からない。分からないまま敗北を迎え続けた。そして、次の勝負もどうせまた同じように負けるに違いない。負けることが分かっていながら、飽くまで勝利の可能性にしがみつき、無駄に抗うほどの反骨精神は、もう彼女には残っていない。寧ろ、どうせ負けるのならそういう無駄な抵抗はないほうが潔いのではないのかとさえ思っていた。

(もう、これ以上恥ずかしがってもしょうがないし‥。それに‥)

 紅潮しながらも、暗い表情で幽々子を上目遣いに見つめるミスティアを心配したのか、幽々子は優しく声をかける。

「流石に寒いかしら?こんな季節にやる罰ゲームじゃなかったかもね」
「ううん、大丈夫」

 寒さなんて感覚、もうとっくに麻痺している。

(それに‥、相手が幽々子なら‥幽々子相手ならどんなことされたって、別に嫌じゃないし‥。さっきみたいに、無理矢理に身体を触らせるくらいなら、寧ろ自分から‥)

 そんな弱気な考えがよぎるほど、彼女の精神は弱まっていた。

「そう‥、でも風邪をひいたら大変ですし、最後のゲームを始めましょうか」

 かくして、勝負は最終回。最早、夜雀の敗北を疑う者は本人含めて誰もいない。




『やっぱりわたしが最後まで一番下担当なのね。いやべつにどーでもいーんですけどねー』

 今までの通例どおり、炬燵の上にゆっくりれてぃを置くことから勝負は始まる。

「ねぇ、幽々子」
「なぁに、ミスティア?」

 身体前方でクロスさせた翼を纏い、極力肌を隠しながらプルプルと振るえる手つきでゆっくりを積み上げるミスティア。余裕ある笑みで、今までどおり、乱暴とは言わないが雑多な手つきで適当にゆっくりを積み上げる幽々子。
 二人の手つきに違いはあるものの、二段、三段と、ゆっくりの塔はあっさりと積みあがっていく。

「私みたいなのの裸を見て、何が楽しいの‥?」
「う~ん、楽しいのとはちょっと違うわね」

 前述通り、四段以降の高さになると座ったまま積み上げていくことは難しい。炬燵から立った状態でゲームを続けなければいけなくなるが、そうなると必然的に幽々子の見ることのできる、ミスティアの肌の表面積も大きくなる。ミスティアの腕の震えが更に大きくなる。

「じゃぁ、どうしてこんなこと‥」
「裸体を見たいのではないのよ、ミスティア。あなたの服を脱がしたいの」
『変態だぁああああ!』『変態だぁあああああ!』『石原ぁー!早く来てくれぇ!!』

 そんな状態でもゆっくりはやっぱり簡単に積みあがる。四段、五段、六段、七段、もう見上げることができるくらいの高さまで大きくなった。

「なにそれ、意味分からない‥」
「分からないかしら? 衣服を脱がされて震えているあなたは、とてもとてもカワイイのよ。食べてしまいたいくらいカワイイの」
「‥馬鹿」
『お前ら集中してプレイしろよ、おれら完全に空気じゃねーか』
『無駄だよ、あれはあれでああいうプレイなんだってれいむには分かる』

 八段以降の高さになると炬燵の上で爪先立ちしても届かない高さになるので、ゆっくりの積み上げは飛行状態で行われる。夜雀の飛行には当然翼が必要となるので、今までどおり翼を交差させ胸部をガードすることはできなくなる。

『おお、あたまに柔い感触がー』
「変なこと言わないでよ!」

ミスティアは仕方なくゆっくりを乳房に押し当てることで胸部を隠しながら飛び、なるべく素早くゆっくりを塔に重ねて、その直後に両腕で胸を隠して降りる手段を取った。他に手段がないとはいえ、その方法だと、ゆっくりを積み重ねる一瞬だけ、胸部が無防備になってしまうのだが。

「見た‥?」
「ピンク色でしたわ」
「うぅうぅ‥、馬鹿ぁ!!」
『おい、お前感触どうだった』『柔かった』『柔かいって、うちら以上に柔らかいっての!?』『イエスイエス』『うわー、すげー!』
「あんたらもうっさい!」

 九段、十段、11段、12段、ミスティアの羞恥心を犠牲に、塔は完成へと近づいた。今までのパターンどおり、ここまでの高さになると、その揺らぎも最大まで大きくなってくる。
 ゲームの終焉はすぐそこだと、誰もが予感した。

 そして、13段目。ミスティアのターン。
過去12回のゲームでの塔の崩壊は、13から15段目の間に集中している。だから、早ければこれがこのゲーム最後のワンプレイとなる。十中八九、ミスティアの負けをもって。

『むぎゅ』

 ミスティアは最後になるかもしれないゆっくり、紫色の髪をした“ゆっくりぱちゅりー”を掴み、ぎゅっと抱きしめて、パタパタと天井へ飛んでいった。
そして、塔の一番上の段の前で停止すると、そっと腕を突き出して、ゆっくりぱちゅりーをいつでも積み重ねられるように構える。
 これで最後だろうという強い予感はあった。だから、その手はなかなか動かなかった。覚悟を決めたとはいえ、やはり、恐ろしいものは恐ろしいし、恥ずかしいものは恥ずかしい。

「でも‥、やらなきゃ」『むきゅ』

 そっと、下の様子を見てみる。亡霊が、いつもより三倍くらい朗らかな笑顔でミスティアのことを見上げていた。これから先起きることが本当に楽しみで仕方無いという風だ。そういう余裕のある微笑みは、今現在余裕がまったくないミスティアにとって極めて腹立たしいものであったが、同時にそのお陰で、どこか諦めの境地に至ることもできた。

(どうせ負けたって、あの亡霊にちょっと身体を好きにされるだけだ‥。大したことなんてない)

そんな風に強がって考えることで、少し気分が楽になった。それに、このままずっと空中で制止し続ける訳にはいかない。定められた敗北でも、向かい合わねば前に進めない。
 ミスティアは仕方ないかと溜息を吐いて首を振り、いざ、ゆっくりぱちゅりーを塔に重ね合わせようと持ち上げ、

 「ひっくちゅん!!」

 よりによってそんな大事なタイミングで、彼女は小さなクシャミをしてしまった。やはり、この季節にほぼ全裸で過ごすには、身体が丈夫な妖怪とはいえ寒すぎたのかもしれない。
思わず、ミスティアの手が緩みゆっくりぱちゅりーが空中へ放り出される。

『むきゅー!?』
「あ‥」

 ゆっくりぱちゅりーは、自分の身に何が起きたのかも分からないまま、塔に積み重なることも、ぶつかることもなく、驚愕の表情でただただ地上へ落ちていき、

『む、むきゅぅうううううう!!』
「へ?」

 計ったかのように、見事に綺麗にその様子を眺めていた幽々子の顔面へ直撃した。
 バチーンッと、重いビンタが人間の頬へぶち当たったような音が部屋の隅々まで響き渡る。

「ま、また当たった‥。私って普段の行いそんなに悪いかしら」『むきゅ~』
「だ、大丈夫!?」

 顔を痛そうに押さえてうずくまる幽々子とゆっくりぱちゅりーに、その原因を作ってしまったミスティアが慌てて駆け寄って、心配そうに声をかける。もちろん、ゆっくりが顔面に直撃したくらいで致命傷を負うような亡霊ではないが、それでも顔の柔らかいところへ受けたダメージは大分きつそうだ。

「だ、大丈夫大丈夫。ちょっと余所見してたから」『むきゅん、むきゅむきゅ』
「ご、ごめんね。ごめんね」

 まだ痛そうにしている幽々子に対し、もしかして怪我でも負ってしまったのではないかと心配してミスティアは更に彼女の近くへ駆け寄る。

 ―カコン
「ん?」

 そして、畳の上で歩を進める自分の足に、妙な物体がぶつかったことに気が付いて、彼女は足を止めた。
何だろうか?平べったく堅い感触。

「なんだこれ?」

 彼女は足に当たったそれを拾い上げる。
 薄いプラスチックで出来ている、ノート帖くらいの大きさの乳白色のプレートだった。模様や、濃い配色が使われていないところを見ると、何か文字を書いて壁や扉にかけておくのが主目的といったところだろうか。しかし、ミスティアにはどうしてそんなものが幽々子のすぐ側に落ちていたのか理解できず、

「お、裏に何か書いてある」

 眺め回すうちに、ミスティアが見ていた方とは反対方向の面に、何か文字が書いてあるのを発見した。
 綺麗な行書体で、大きく簡潔に一行だけ、

【今そこで崩れて!】

 とだけ書かれた、奇妙なプレート。

「どういう意味だろ? ねぇ、幽々子。これなに?」

 まるで使用用途が分からないプレートを掲げたまま、取り敢えず持ち主であろう幽々子に話を聞いてみようと思い、彼女の方へ振り返ってみたら、

「な、なに‥?」

 物凄く何かを誤魔化すようにそっぽを向いて、冷や汗をたらたら流しながら不自然に笑う亡霊がそこにはいた。

「どうしたの?まるで絶対に見つかっちゃいけないものを見つけられてしまったような犯罪者のような顔して」
「な、何でもありませんわー。それより、ミスティア。早く次の段を積み上げないと。タワーが崩れてしまうかも」
「いやだって、気になるじゃない。こんな意味深に【崩れて】なんて書かれた板なんて‥。いったい何に対して崩れてなんて‥」
『むきゅ』

 ミスティア、喋っている途中で、先ほど幽々子にぶつかって目を回していたところから復活したゆっくりぱちゅりーと目が合う。
一瞬の思考、考察。
そして、一瞬の閃きと問題の解決。

「‥‥‥あ」

 彼女は何かに気付いたように顔を上げた。それと同時に、プレートの文字が書かれた方を前方に向け、ゆっくりのタワーに対し掲げようとして、

「危ない!」

 それを、幽々子の身体によってデフェンシングされた。精一杯身体を広げ、そのプレートがゆっくり達の眼に入らないよう精一杯守っている様子だ。依然、冷や汗をたらたらと流しながら。

「ねぇ、幽々子。どいて」
「い、いやその‥、それはちょっと‥」
「いや、うん。いいからさ、どいて、ていうか、どけよ」

 無理矢理に身体を押し出して、ミスティアはプレートを前方へ突き出す。

「い、いや。待ってミスティア。危ないから、危ないから、ね!良い子だから!」
「何が危ないの? どうして危ないの? ねぇ、私の目を見て答えてよ、幽々子!」
「し、知らないけど!とにかく危ないから!危ないからぁ!」
「なにそれ、全然分からない!!」

 そして、ミスティアは真上、幽々子のデフェンスが届かない天井に向かって大きく羽ばたき、高くそびえるゆっくりタワーに向かってそのプレートを見せつけた。マジマジと、ゆっくり達にプレートを押し付けるくらいの勢いで。

『‥‥‥』

 ゆっくり達は、無言で“うんうん”と何かしら分かったような顔で頷くと、

 ゆっくりの塔は自主的にあっさりと、『崩れ落ちた』。

すぐさまにバラバラバラバラと、プレートを見た全てのゆっくりが、同じタイミングで、プレートに書かれた命令通り『崩れた』訳だ。
 それは、ミスティアが何度も見た塔の崩落とまったく同じ姿だった。

「‥‥‥」「‥‥‥」

 気まずい沈黙が、夜雀と亡霊との間で暫し流れた。




 西行寺幽々子の連戦連勝は、確かに偶然の産物ではなかった。必勝の策は確かにあった。
 確かにあるにはあったが、その手段は酷く簡単でシンプルさを極めたものだった。一言でその策を表現するのなら、カンニングペーパー作戦。略してカンペ作戦。

{適当に積み上げる→ミスティアの見てないところでこっそり崩落の命令をゆっくりに示す→タワー崩壊!→完}

 ご覧の通り、一行で説明することが可能な作戦である。
 ちなみに、予めゆっくり達に『このプレートで指示を出したらすぐに崩れて』と命令を出していた訳ではない。目の前で何かを頼まれたら、取り合えず何も考えずそれを実行してしまう、その単純さと素直さがこのゆっくりという謎の生物の性質だった。
 ネタ晴らししてみれば、全然策謀していないし、シンプル以前に、どうして今までばれなかったのか不思議に思えるくらいバレバレの仕掛けだが、実際幽々子本人も(よくバレないわね~)と内心思っていたりしたが、幽々子がゆっくりに触れていないところを見ただけで「不正はないようだ」と安心してしまう程度の観察力と考察力しかない単純な妖怪が相手だったゆえ、今の今まで事が明るみに出ることはなかった。

 今の、今までは。

「あ、アハハハハハ」
「う、ウフフフフ」

 別に何かおかしいことがあった訳ではない。ただ、ミスティアは馬鹿らしく思った。こんな単純な手に騙され、こんな単純な手段を使っているだけの亡霊のことを、先ほどまで“完全に敵わない”と敗北を認め、寧ろ感服していた自分が本当に馬鹿らしく、ただ笑うしかなかった。
 一方、幽々子もまた、ただ笑うしかなかった。目の前の、さっきまであんなに可愛く震えていた夜雀が、妖怪としての形相を全開にして、狂気に満ちた笑顔で笑っているのだから。幽々子とミスティアとでは、天と地ほどの実力差があるはずなのに、この妙な空気に圧倒され幽々子は不自然に微笑むことしかできない。

『じゃ、うちら邪魔になりそうなんでそろそろ帰るね』『今日は楽しかったよ』『後は若い二人でごゆっくり』『バイバイ』『おお、くわばらくわばら』『女の子って怒らすと怖いよね』『おお、こわいこわい』

 身に迫る危険を察知した為か、いそいそと、ぞろぞろと、それまで辺りに散らかっていたゆっくり達は、みんなまとめてピョンピョン跳ねながら襖から外に出ていった。

「ま、待って! ゆっくり達だけじゃ危ないでしょうから、私もそこまで送って‥」
「逃がさないよ?」

 突然、部屋が暗闇に包まれる。それまで付いていた部屋の電灯が、何者かの手によって切られてしまったらしい。その“何者”かが誰なのかは、語るまでもない。
 慌ててゆっくり達を追おうとした幽々子の肩を、ミスティアががっしりと掴んだ。安らかとも言える微笑を浮かべながら。といってもその眼はまったく笑っていなかったが。
 それと同時に、幽々子の瞳から完全に光が消えた。それまで障子から漏れる月明かりによって、かろうじて何処に何があるかは漠然と見えていた視界が、黒一色に染まる。
 夜雀による、“鳥目にする能力”の発動である。

「み、ミスティアちゃん? あのちょっと、暗いのだけど‥」
「さっきさぁ、一番最後のゆっくりのタワーが崩れた時だけどさぁ」

 声のトーンを最大まで落として、幽々子の耳元でミスティアは語る。

「あの時、まだ私はタワーに触れていなかったじゃん。私が積み上げようとした“ゆっくりぱちゅりー”だって、結局積み上げることが出来なかった。ということはさ、最後の崩落は、幽々子のターンに起こったっていうことだよね?その認識で合っているよね?」
「ええと‥、まぁそういうことになるかもねぇ」
「そうだよね、なるよね。じゃぁさ。私の、初めての勝ちってことだよね? てことはさ、私のお願い何でも一つ聞いてくれるんだよね?約束だもんね? ねぇ、そうだよね幽々子?」
「はい、聞いてあげます。聞いてあげるから‥ね。ちょっと灯り点けてくれない?亡霊とはいえちょっと怖いんだけど、この状況」
「アハハハハハハッハ‥、やったぁ‥」

 幽々子の嘆願を聞き入れることなく、ミスティアはまったく喜びが感じられない笑い声で暗く笑う。そして、幽々子の身体を後ろから抱きしめた。締め上げると言うには力が弱すぎて、抱擁と言うには力が強すぎる、そんな絶妙な力の入れ具合で。

「じゃぁさ、お願い。簡単なお願い一つだけ」
「な、なにかしら~?」
「えっとさ、これからさ、幽々子にちょっとだけ。ほんのちょっとだけ、酷いことするからさ」

 幽々子からは決してミスティアの表情を覗き見ることはできなかったが、きっと、先ほどより数倍狂気に満ちた笑顔で、それでも愉しそうに笑うミスティアの顔が楽々と想像できた。それほどまでに、ミスティアがどんなことを考えているか、良く通じる声だった。


「それを、動かず騒がず抵抗することなく、ただ“受け入れて”」





 この日、白玉楼の居間からは、その館の主人のものと思われる嬌声が何度も何度も響き渡り、亡霊は生まれて初めて攻められる悦びを知ったとか味わったとか。


『本日の教訓』『勝負はフェアに』『ズルして積み上げたものが大きければ大きいほど、そのしっぺ返しは大きくなる』『セクハラは犯罪です』『SとMの関係は紙一重で変化する』『食べ物で遊んじゃいけません』

 そして、ゆっくり達はそんな知識を持ち帰って、今後の教訓にしたとかしなかったとか。



 白玉楼のゲーム乱痴気騒ぎ。これにて終了。




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最終更新:2011年02月27日 03:55