どうやら自分はクビではない、という事が解ったのは、翌週火曜日の事だった。
そして、エレベーターが動き始めたのが翌日の夕方ごろだった。
腕力・妖力が全てであろうが、弱肉強食であろうが、社会ならば暦はつきまとう。
その年の5月は、水橋も忙しかった。
橋の改修自体は2か月も前に予定されていたが、肝心の土蜘蛛一派への連絡が全く
成されていなかった様で、スケジュールの大幅な変更と調整・見積もりの打ち合わせ
で不眠不休の日が続いた。果ては貴重品棚の解体と移動から、各帳簿の名札の変更
と新規での作成まで全てを一人で背負わされた。
2日ほど休日(その週のシフトは木曜と月曜午前)を返上して何とか終わらせ、水橋
は床に突っ伏した。
無償で手伝ってくれたのは勇儀とお燐だけだった。ヤマメは立場上動いてくれたが、
報酬を支払っている分、慌てている水橋を見てニマニマ笑い続けているのが彼女の
神経を逆なでし続けた。
「おのれおのれおのれおのれおのれ」
労働は労働。
職があるのかどうかさえ怪しい地底の連中の中にあって、明確な役職に就いている
水橋は、それだけで周囲を嫉み続ける事ができた。
現場で力仕事をしている鬼や土蜘蛛には、「頭脳労働のこちらと違って、単純作業
で気楽なものね」と嫉み、連中が休憩している隙を狙って棚を直したり小物を運んだり
して、「そもそも力仕事に向いていないから、休憩時間を割いて苦手な作業を続けな
ければならない」 と嫉む。
そうした自家発電によって力を蓄えようとしたが、3日程で限界が来た。
周りはそんな彼女を別段蔑みも嫉妬もしなくなっていた。
「あぁ。こうしている間にも、地上の連中は……何かしら……を謳歌しているに違いない」
「まあ何かしらはしてるだろうね」
「長い長い休みが欲しいわ」
最後に行ったのはいつだっただろうか。白黒の魔法使いが先日事もあろうに勇儀に
誘われて飲みにやってきた他、頻繁に訪れるのは山の神様とたまにどこぞの住職くらい
のもの。
水橋自身、地上自体にはさして興味は無かったが、隣接して実際に見聞きしていない
他者の生活空間を、嫉まない訳にはいかないので、定期的にこうした呪詛を口に出して
いたが、職場の中で何日も寝泊りが続くと本心で他人の庭が青く見える。
「もう、旧都へ飲みに行こう」
「またあの白黒と勇儀が一緒に飲んでる所を見そうだから 嫌だわ」
「あの人間はきっともう来ないよ」
最後の総点検を終え、大の字に寝そべるなどという事はせず、欄干の隅でお燐と膝を
抱えてぼそぼそと話した。
「色々やったんだ。さとり様には話してみるよ。少し長めに休みでもとらせてもらったら?」
その日の内に、水橋は休日届を提出し――――思い切って外出許可証も貰ってきた。
色々手続きを済ませ、詰所に戻ると不自然に蜘蛛の糸が絡まった人里観光案内の本と、
古びた人骨が卓上に置かれていた。
「あいつら…………」
糸は読みにくくされただけだし、人骨は普通に意味が解らない。また神経は逆なでされるの
だった。
そうした訳で地上に出てから真っ先に向かったのが、人里。
「素晴らしい店があるものね」
二日程滞在する予定だったが、もうこのまま帰ってもよいほどの感動を、その夜水橋は早くも
味わった。
「地上も捨てたもんじゃないわ」
注目の店として付箋がつけられていたのは蕎麦屋だったが、その向かいの団子屋に、躊躇なく
水橋は入った。
古くとも清潔で内装も悪くは無い良店。
だが、それを補って有り余る程の陰気さ
経営している老夫婦の愛想の悪さ。
向かいの店の繁盛の眩い輝きを一身に遮蔽して生まれた、深い闇の様な延々と続く二人の愚痴。
光ある所に影あり。
こうも純度の高い嫉妬が生まれるとは、人間も変わってはいない。
(あああ、唾液が、唾液が止まらない…………)
気前よく団子を追加注文し、「頑張っていたのが馬鹿みたいだ」「もっと楽になりたい」と、
能力を使うまでも無く生活が崩れていく様子に、食欲は促進され、体は産声をあげるようだった。
支払い時、思わず笑顔を振りまくのを必死にこらえたほどだ。
うきうきしながら、水橋は人里を巡り始めた。
そうして繁盛している店の近くにいけば、簡単に渦巻く嫉妬を目の当たりにできるだろう。
勿論、低レベルで能力は発動させたままである。
まき散らした、小さな嫉妬の種はどんな花を咲かせるか…………?
想像すると口の端が吊り上る。
民宿の一間を借りて荷物を下ろした後、寝る前に一杯と、深夜に水橋は宿を出た。
妖怪向けに、こうした時間も営業している店があるとは、これは嫌味や皮肉では無しに素晴らしい。
「こうまで来ると、この気遣いが嫉ましいほどだわ」
店内には、嬉しい事に人間客も多くいた。
妖怪連中と楽しげに飲んでいる。
酒は確かに万人をこうして幸せにするかもしれないが、ここまでの有様では、なるほど確かに
人間よりも妖怪が平和ボケしていると苦言があがるのもうなづける。
「やりがいがあるなあ」
種類に限らず、とにかく異質な要素のある者同士が集うだけで嫉妬はすくすくと育つのだ。
楽しげな地上の妖怪も人間も、嫉妬心が煽り続けられれば会話もおかしくなり、いがみあい
そして生活も破綻をきたすだろう。
そこまで付き合わなくても、その予兆を感じさせる事前の雰囲気に浸りながら飲む酒は、さぞや
美味しいに違いない。
不自然にも、開いているのに隣のテーブルに腰を下ろすと、一同会話が一瞬止まった。
(しめしめ)
「あ、こんばんはー」
「こんばんはあ」
丁寧に、人間達は頭を下げる。
「………誰?」
「橋姫」
「おお、噂の」
知られているのか。小声で訪ねる妖怪達が知らなかったという事は、人間の間で何かしらの
資料が流れているのか。
だとするとやりづらい。
客達は、何か空気が変わるのを微妙に感じ取った様だったが、特に動じる事も無く話を続けて
いる。わきまえて、能力が使われていない――――という態度で来たわけだ。
「―――ふん」
内心は皆穏やかではないのかもしれないが、表情に出さない客達に、水橋は愛想を尽かした。
鬼達もこうした対策が気に食わなくて地上を去ったのだ。
一杯飲んだだけで水橋は店を後にし―――その後も何軒か梯子をした。
行く先々で、客達は挨拶はするし、こちらが話しかけても返事は二言三言するも、それ以上は
向こうが続けてくれない
「おのれおのれおのれおのれおのれ」
どこのどいつが自分の悪評(事実だが)を流したのか。
少なくとも地底に来てしまったような相手には優しく接していたはずだ。
情報を流したと言えば、丑の刻参りも伝わっているはずだった。
しかし「人に見られてはいけない」などと言うルールを設定してしまったから、そこら辺で
行われているはずはないし、どこか目立たない場所でやっているかもしれないが、それを探す
手間を考えると面倒くささで悶絶しそうになる。
やはり地上は地上。
人里は人里で、妖怪は妖怪で、嫌われ者は嫌われ者という訳だ。
素直にもう宿で眠り、適当に玄武の沢でも見てから帰ろうと考えて会計を済ませた時――――
店主が、初めて話しかけてきた。
「折角外に出たんでしたら、お寺にでも行かれてはどうですかね」
「寺?」
「『怪談大会』が妖怪の衆に絶賛されてまさあ」
元より、人間の恐怖を煽るために編まれた話の事
妖怪が何故それを楽しむというのか。
しかも、悪名高き地底の妖怪が
「まあ、土産話に」
「馬鹿にしなさんな。こう見えて、何年地獄の橋渡しやってると思ってるんだい」
妖怪が、今更怖がる怪談話なんてあるか
「死ぬかと思った」
比喩と事実を含め、2度ほど死んだようなものなのだけど。
あれを楽しめるというのは、平和ボケの反動か、元より肝の据わった連中が多いのか……・・
「何が色即是空よ」
あの住職、紅白巫女よりも凶悪ではないか?
生死のかかった(程度に見せかけた)適度なスリリングさを楽しむ趣向だという事は解る。
人間が怪談を楽しむのはそういう事。
妖怪も、身の危険に晒される様な話を安全な場所で聞くのも一興という事も解る。
だが――――自己の否定から始まる解脱とか目的の一つだそうだが、あれはそんな生易しいもの
ではなかった。
僧侶だって、性欲や食欲を削ろうとはしても、突然それを奪われる訳では無かろう。
最終的に両方を捨てる事はできても(それも人生の終末に臨み)、睡眠欲まで捨てられる奴はいまい。
橋姫から、嫉妬を捨てろとは、そういう事。
スリルとかそういう問題では無い。
兎に角、つまらない事この上ないはずの仏法会は、水橋にトラウマも残しかねないものとなった。
初日にして、楽園と地獄を味わった。
いや、上げて、落とされた気分だった。
最初に入ったのが良い店過ぎた。いや今となっては後のこの嫌がらせのための布石だとすら思えて
きた。大体、人里の連中は行儀が良すぎる。町中で妖怪が殺戮に走るとは思っていない安心感と、
怒らせまいとする謙虚さが入り混じっているのかもしれないが、どいつもこいつも自らきちんと挨拶
をしてくるのだ。
殺伐とした地底とは真逆である。
付け入る隙があまりない。
この空気は少し受け入れがたい。
だが人里全体を観光した訳ではないし、湖の方や竹林、妖怪の山付近など、行ってみるべしと言わ
れた名所はまだまだある。せっかく数日間の休みももらったし、実に久方ぶりの地上である。
帰ってしまえばそれはそれで後悔が残るだろう。
それに、元々地底への穴もそこそこ遠いのだ。
宿で風呂に入って眠り、朝食を近くで済ませ、二泊と言った所を一泊に変える手続きをして身支度を
し、キスメ・黒谷・勇儀・お燐・お空・さとり、あとチビゆっくりとこいし用とその他補佐の橋守役に
にお土産を吟味して帰り、それを抱えてちょっと先の穴まで帰り、帳簿もつけねばなるまい
そこまで想像して、あまりの面倒くささに水橋は膝をつきそうになった。
というか、無人の人里内の街道の隅で、一度腰を下ろした。
月も出ていない。
きっと、幻想郷内で一番カッコ悪い妖怪は自分であろうと思うと、またぞろ暫く会っていない人妖や
地底の連中の顔を思い出して、嫉ましさがこみ上げるのだった。そうすると気分は悪いままだが、
体力面では多少元気になる。
とりあえず宿で寝てから考えようと立ち上がると、無人だと街道に、影が二つあった。
生首だった。
薄暗いので、色まではよく解らない。
さて物騒なものだと―――――転がる生首以上に、ここが人里だという事と、気が付かなかったことが
ショックだったが―――よく見ると、見知った顔かもしれなかった。
長い髪を左右にまとめているので、一瞬キスメかと思ったが、何となく首をちぎる事はやってもキスメ
がちぎられることは無いはずだと頭からそれを否定した。一度呼ばれた宴会で、天狗の中に似たような奴
がいた覚えがある。あいつか?もう一人似たような髪型の大柄な奴も見た気がするが、思い出せなかった。
もう一人は、色素の非常に薄い髪型なので暗がりでも何となく解った。
十六夜咲夜さんである。
あの吸血鬼の事を連想して、この場に立ち会ってる事の面倒くささに卒倒しそうになった時、生首1頭が、
喋った。
「ゆっくりしていってね!!!」
なんだ。ゆっくりか。
しかし、喋ったのはキスメか知らない天狗っぽい奴の方だった。顔も声も、ゆっくりは大体が同じだから
区別はつかなかった。対して、十六夜咲夜さんの方は押しだったままで――――顔も、普通のゆっくりとは
違っていた。
何と言うか、酷く不気味なコケにしたような笑顔だった。口元も目の下もそれだけなら気持ちよく大いに
笑っている部分だが、どうにも不自然で、斜め上から見ている様だった。
「………何だい……?」
「パルさん、お帰りかえ?」
まあ、色々な意味で帰りたくはある。
「見た所良い休日は過ごせていない様だねえ」
「うるさいな、生首が何よ」
「こっちは今から休みだよ! ゆっくりすごそうよ!」
ゆっくり――――確かに、時間だけはまだ余裕があるのだから、先程考えた手続きだって、ゆっくりと
行えば問題はないのかもしれない。
ただ、地底でもそうした過ごし方をしたことはあった。それで、結局時間を無駄にした気がしたものだ。
有意義な休みの過ごし方とはやはり難しい。
どんなに休みがあっても、終りは必ず来る。
必ず働かなくてはならない日がやって来る。
短い休みを満喫するために働いてるのか、働くために短い休みを満喫しようとしているのか?
やはり、前者が望ましい。
どちらにせよ、満喫などは難しいが。
どうあっても休みの方が短いのだし。
「実は旅行で地霊殿に行こうと思ってるんだけど、帰るんなら一緒に行かない?」
「地霊殿に?」
鼻が鳴ってしまう
「あそこは、あんたらみたいなお饅頭の行く所じゃないよ」
「大丈夫だよ。怖くない所まで行くから!」
「最初にヤマメの奴にいじめられちまうよ?」
「パルさんは通してくれないの?」
「仕事ならそのまま帰ってもらうところだけどねえ」
まあ、殺しても死ぬような連中でも無し。今更身を心配するほどでも無いか?
加えて、地底においては害も無かろう。
事実上は今は休日中。
行きたいと言うのなら行かせてやろう。
「でも少し遠いよ?」
「近道を知ってるんだよ!」
知らないと言うだけで、どこかに入口があるのだろうか?
だとすれば仕事が増えそうな話だ。
「詳しく聞かせてもらおうかい」
「じゃあ、ゆっくり仕度してね!!!」
ゆっくり達は水橋についてきた。
連中は宿には入らず、宿の先で待っていた。結局戻って風呂だけ浴びてひと眠りした
水橋は、明け方も二人の姿の詳細を見る事は出来なかった。
手続きを済ませると、早朝水橋は宿を後にした。
「で、近道って?」
「ゆっくりついてきてね」
「あー……お土産どうしようか」
今はどこの店も開いていない。
「お土産なら、腐るほど買えるところがあるよ!」
「どこよ」
「ほら、そこに」
宿の向かい側に、掘立小屋が立っていた。
木造の、不気味な程正確な立法体だった。
昨日までは無かったのに。
それも、かなり大きい。
往来に迷惑にも程があると思ったし、早く断ち除かねばという義務感さえ芽生えかけ
たが、良く見ると植物の様に根深く地面から生える様に立っている。
全体的に土を被っていて―――まるで、地中から登って来たかのよう。
ガラリ、と障子が空いた。
洋間だった。
これは地霊殿の内装に近い。
白黒の清潔なタイルに、角には観葉植物、天井からは高そうなシャンデリア。
くつろげそうな大きな椅子が3脚。
可愛いテーブルが一つ。
あと棚。
窓は無い。
「何これ」
「地底まで直通のエレベーターだよ!」
「えれ………?」
「釣瓶みたいなもんだと思ってね!!!」
動力は解らないが、地底と地上の間を行き来する桶に当たるのがこの部屋か。
それで本当に地霊殿に行けるかどうかは別として、入って調べてみる必要はあると思った。
足を踏み入れると、空調は非常に良かった。
柑橘系の良い匂いまでした。
もう一歩踏み込んで、棚を見ると酒が少し。
あと花札やトランプなどのカード類の玩具が軒並みと、ルールは解らないが中々面白そうな
玩具が数種。
その時、障子がしまった。
重たげな音を立てて、部屋ごと、すでに地球の中心へ向かって進んで言っている事が解った。
障子の外が見る間に暗くなり、地上が遠ざかるのが解る。
焦って声を上げそうになりながら振り向いた。
何だか変な笑顔のゆっくり咲夜さんと並んで、うやうやしく、キスメか知らない天狗っぽい
ゆっくりは、うやうやしく頭(全身)を下げた。
真っ赤な髪が翻る。
よく見ると、部屋の隅には大きな鎌が置かれていた。物騒な。
「ゆっくりゴールデン………■■…………を楽しんで言ってね!!!」
「ゴールデン、何だって?」
「次は地下2階、果物売り場でございますー」
鐘の様な音が聞こえ、部屋は動きが止まった。
そして、ひとりでに障子が開く。
「は?」
そこには、見渡す限りの果物市が広がっていた。
『――――で、今どこにいるのさ?』
「”ぷらもでる屋”って所」
あれから、4ヶ月が経った。
一日一階か、下手をすれば一週間のペースで、「エレベーター」は地底に潜っていく。
地上からどの程度の深さになったのかは想像がつかない。
そもそも、既に何階分降りたのかが解らない。
「エレベーター」が停止すると障子が開き、その先にはいつも広い市場が広がっていた。
果物市
お菓子市
肉市
魚市
弁当市
本屋
家具屋
着物屋
たまに、同じ様な市がまたあったりして混乱する。
全部を見渡すのに最低2時間はかかった。エレベーターの内装同様、非常に清潔な場所で、
従業員は全員人間。
客はちらほら妖怪らしきものも見受けられたが、ただ暇そうにうろついていたり、隅の休憩
場所の長椅子に寝そべっていたりした。それ以外は人間だった。
ところどころに、ゆっくりもいたが、大抵はなぜか胴体が生えていて、安らかな顔で
眠りについて動こうとしなかった。
客も従業員も、それを器用に避けて通る。
出口は、どこにも無かった。
窓も無い。
休憩所とトイレだけは隅にあった。
業務員用の扉は、各階にあったが、水橋は、その中に入るのが、とんでもない恐怖に思えた。
そういう訳で、一日一回か、下手をすると3日に一度動くエレベーターに乗って、下を目指す
しかないのだった。
ゆっくり達や従業員の人間達に質問すると、確かにいつかは必ず地霊殿に到着すると言うので、
それを信じるしかない。
お酒を初めとして、市場でお土産は十分買った。
どれも外の世界のもので、購買欲・探究欲は大いに促進された。
正直、楽しい。
2時間かけていた物色も、今は一日ゆっくりと、あの奇妙なゆっくり咲夜さんと見て回っている。
更に、4日目に、途中で「電話」という真っ黒な機械を紹介された。
僅かな小銭を払うと、その機械の先から、まずヤマメの声がした
「―――という訳で、休み明けまでに帰れそうにない」
『―――じゃ、さとり様には伝えとくよ』
小銭を払って、指定のボタンを押すと、その度に、地霊殿の連中と会話ができた。
仕組みは全く持って解らなかったが、単純に話せることだけでこんなに自分が喜べるとは
思わなかった。
2回目は勇儀。キスメ・お空と出て、翌週火曜日に、さとりが出た。
『長旅になってしまいましたねえ』
「すみません」
『反省しているのは伝わってきますがね。―――帰ったら頼みたいこともあるんですから』
「はあ」
『見本棚の組立とか』
「………また壊れたんですかあ!?」
各階で、思わず買ってしまうお土産
通話代
そして、長旅における食費。
定期的に、浴場がしつらえられた階もあるので、そこで体を洗うが勿論有料だ(しかも高い)
見る間に所持金は底を突き始めた。
財布を見て焦る水橋に、ゆっくり達はしごく真っ当な意見を忠告をする。
「稼ぐが勝ち だよ!!!」
そういう訳で、着いた階の従業員と話したところ、買い物籠の整理を手伝わせてくれた。
あまり興味の無い市場に着いた時を狙って、水橋は大いに働いた。
買い物もそこそこに、水橋は籠を片付けていった。
階によっては、迷子をあやしたり、車椅子の客の介助や、ゆっくり達を籠の横に積み上げる
という謎の仕事も、地味に地味に続けた。
たまに、ゆっくり達をまとめて段ボールに収納する仕事があったり、逆に様々な位置に「風水」
だとか言って配置する謎の作業も多くあった。
その度に小銭をもらったが、一日働くとかなりの額になった。
5.6日は飲み食いして買い物もできるほどに。
そうして、「よせばいいのに」と自分でもうんざりしながら、土産物を買い、市場をくまなく
足を棒にして見て回り、そして何か変わった部分はないかとその階を探検して、「ここでしか
食べられない」と半ば義務感に駆られて、その階の飲食店で食事をとり、徒労感とともに
エレベーターに戻る。
そして買ってきてそろそろ古くなりそうなものをおやつ代わりにして、ゆっくりゆっくりと
下降するエレベーターの中、真っ赤な髪のゆっくりと花札をしたり、たまに賭け事をして遊ぶが
大抵は負けた。
電話をかけて、地霊殿とも連絡をとった。これも生甲斐の一つになっていた。
そんな生活が、かれこれ5年程続いた。
電話先では、色々な話を見な聞かせてくれた。キスメが新聞の記事として載っている本が発見
されたとか、ヤマメとお燐がかの地上のお寺へ入門しようとして断られたとか(幸いな事である)、
こいしが本当に在家だが入門してしまったとか、話題には事欠かない。
近頃では、水橋は頑張って貯金をしている。
来る日も来る日も、ゆっくりを片付けたり、積んだり、まとめたり。
「この階しか食えない」とは言っても、似たような店があるはずだと、なるべく抑え、お土産
の吟味や計算にも時間をかけている。
そして、何か豪華な物でも見つけたら買おうとしているが――――まあ、地霊殿に到着する前
に傷んで、自分で食べる事になるだろうか。
『ああ、そうそう。貴重品棚も壊れてしまいましたから、帰ったら直して置いて下さいね』
「またですか…………」
5年間も職場に顔を出せていない訳だが、とりあえず解雇はされていないことを、さとりとの
会話で確認している。
6年目にして、ようやくエレベーターの止まる階や速度にもある程度のリズムがある事に気が
ついた。
正月の飾りつけを、エレベーターの中で片付けている時だった。この発見に思わず手を打った。
5.6日に二度の割合で、今いち水橋の購買欲にひっかからない階に止まるのだ。この時、水橋は
一気に働く。
それはもう、今までのダラダラ具合を取り返すように。
非常に充実した2日間だ。
そして、十分な賃金を得る。
翌日からは、また自分にうんざりしながら購買欲と知識欲と好奇心を満たすための行軍が始まる
のだが、これはもうどうしても止められない。
本当に止められない。
「ゆっくりしなよー」
「そうもいかないの」
「休日と、ゆっくりと、どっちが大切なの!!?」
「ばっか、おめえら、休日とゆっくりを比べられる訳がないじゃない!」
エレベーターの中で、一緒にくつろごうというゆっくり達をふりきって、毎日水橋はその階を
物色してしまう。仕方ないのだ。帰りばかりが最近めっきり遅くなる。
そして、待ちに待った稼ぐ日がやってくる。
「こんな時だけうきうきしちゃってー」
「うるさいね。ゆっくりに、稼ぐ良さが解るもんかい!」
8年目には、大体この「エレベーター」に乗った時期にあたる時期に、長期にわたって稼げる週が
ある事を把握していた。
今では、もうその一週間から二週ほど前から水橋はそわそわしている。
毎日、うんざりしながら市場を満喫してはその週を待ち、そしてその週に突入すると、顔を輝かせ
ながら作業にあたるのだった。
あと、年末年始と秋と、お盆の頃にもそれはあった。
地霊殿に帰れば、さとりに頼まれた直さなければいけない棚の数や橋の修繕箇所・付けなければ
いけない帳簿などが膨大な量で詰まれているはずだが、もう、気にならなくなっていた。
了
- 遭難先で生きるために工夫をしていたら意外と住み心地が良くなったので
そのまま生活をしていた的な感じかしら
パルスィはこれから先どうなるのだろうか?
きっと氏の別の作品で明かされるに違いない
にしても、何年も顔を出していないのにクビにされないなんていろんな意味で凄い職場だことw -- 名無しさん (2012-06-01 23:44:04)
- ところどころ笑える箇所もありますが、
いつ着くのかわからないエレベーター。
何も解決しないままの幕引き。
延々と続く、一見したら普通だけどよく考えたら不気味な地下市。
そして、それをさしたる疑問もなく受け入れているパルスィ。
静かで隠れてはいるけど、確実にそこにあるホラーの存在を感じました
-- 名無しさん (2012-06-02 23:06:22)
- 途中で一頭身の饅頭が現れるまで、これがゆっくりSSということを忘れてましたw
ところどころに求聞口授ネタが使われててお見事。何か不気味な雰囲気ですが、パルパルが幸せそうで何よりです -- 名無しさん (2012-06-03 00:06:02)
最終更新:2012年06月03日 00:06