夏の宵月

夏の宵月



その日は例年に比べて湿度が高く、そのくせなかなか風が吹かなかった。
茹だるように暑い空気が充満する家の庭先で、私は草毟りをしていた。
麦わら帽子を被ってはみたが、身が焼けそうなこの日差しの下では、それもあまり役に立たず、体中からとめどなく汗が吹き出した。

元々はここで何か育てようと考えてはいたが、生来の出不精のために手を付けずにいた。
そのまま放っておいたら、いつの間にやら元気な雑草が庭一面を埋め尽くすみまでに至ってしまった。
このままでも良かったが、今度は草葉を寝床にする虫が大量に発生してしまい、家の中にまで侵入してくる始末だった。
これは堪らんと一念発起し、庭に大量に群生した雑草の掃除を始めたというわけだ。

黙々と作業をする私の横で、庭の木に居着いた蝉がけたたましく鳴く。
その鳴き声は庭中に広がり、私の気分をより一層不快なものにした。

なんとか雑草をむしり終えた私は、立水栓にホースを取り付け、開けた土の上に水を撒いた。
噴き出した水が熱せられた地面に飛び散り、地面と私を濡らす。
足にかかる水は肌に冷たく、非常に気持ちが良かった。



一頻り水を撒き終えた私は、使った掃除道具もそのままに、涼陰の広がる縁側に腰を下ろした。
縁側に腰掛けると、体中から疲れが染み出してくるのを感じた。

(こんな時は日の当たらない場所で居眠りするに限る…)
そう考えた私は、すっかり重くなった腰をあげて縁側から居間に移り、座布団を枕にして畳に寝転がった。
労働の疲労が、私を深い夢の世界へ誘おうとしたその時

「ねぇ~おなかしゅいた、なんかたべちゃい」
「あついのじぇ、むーしむーしするんだじぇ」
と、我が家の同居人である手乗りゆっくりの『れいむ』と『まりさ』が話しかけてきた。
吹き抜けだらけの日本家屋とはいえ、容赦なく入ってくる夏の空気にやられた2頭は、もはや跳ねる元気もないのか、気怠そうにその体を畳に這わせて私に近づいて来た。

しかし、これからという眠りを邪魔された私は話を聞くどころか
「庭で草でも虫でも好きなもの食べてなさい」と素気なく言葉を返して背中を向けた。
ゆっくり達はそんな私の背に、日頃の不満を交えて抗議の言葉を投げかけた。

確かにこの暑さと湿度は尋常ではなく、人間ならずともまいってしまう。
ゆっくり達の不満は分かるが、さてどうしたものか。
私は思案を巡らした。

空腹を満たすなら食事をするしかないが、あの労働の後で食事をしようとは思えなかったし、何か作ろうという気力もなかった。
れいむには、私が昼寝から起きるまで空腹に耐えて貰う他ない。

涼をとるなら日陰にいるしかないが、この不快感を固めたような空気は、家のいたる所から遠慮なく入り込んでくる。
さらにこの家には扇風機やエアコンのようなハイカラな家電製品はなく、縁日で貰った団扇が2つあるだけだった。
まりさには、太陽が西に落ちるまでこの蒸し暑さと闘って貰う他ない。

そう背にいるゆっくり達に言おうと体を向き直した時、私の眼の端に写るものがあった。
何かと思いよく見てみると、それは今年の七夕のために近くの竹林の主から譲り受けた竹であった。
七夕が終わった後は、知り合いに頼んで竹炭にでもしようと思い、庭の隅に置いておいて、そのまま忘れていた。

竹を暫く眺めていた私は、不意にある事を思いつき、突っ掛けを履いて物置きに向かった。
饐えた匂いが漂う物置きから鉈を引っ張り出し、それで竹を真っ二つに割った。

パカーーン!!!

気持ちの良い音が庭に響く。
私は草毟りの疲労も忘れ、思いつきのための工作に励んだ。
れいむとまりさは、そんな私を不思議そうな顔で眺めていた。

「よし、出来た」
私の目の前には大きめの木桶と、縄で脚立に括られた竹のウォータースライダーが置かれていた。
括った竹のバリは丁寧に取り、木桶には横穴を開けて、ある一定の水位以上にならない工夫も施してある。
素人の日曜大工ではあったが、割りと良くできていると思う。

庭に現れた見知らぬ物体に興味を持ったゆっくり達は、居間から縁側に躍り出ていた。
「これにゃに?ゆっくりできる?」
「ながいんだぜ!あっとうてきにながいんだぜ!!」
と各々初めて見る竹細工を見て感想を漏らした。

高く上げた竹の端に、立水栓から伸ばしたホースを乗せ、私は竹の中に勢い良く水を流した。
中を通る水が木桶に流れ落ちて涼しげな音を奏でると、「お~」と感嘆の声が聞こえた。

「おみずしゃん、ゆっくりしていってにぇ!!!」とれいむが語りかける。
私はゆっくり達の装飾品を取り外し、結ばれた髪を丁寧に解いた。
普段は風呂に入る時位にしか飾りを外さないので、2頭は少し不安げだった。
そして髪を下ろしたれいむとまりさを持ち上げ、高く上げた竹の端に持って行く。
2頭が驚きから「ゆゆっ!?」という声をあげた。

テニスボールにも満たない体のゆっくり達には、この竹のコースは丁度良い横幅と深さであった。
竹の端に乗っかった2頭は始めちょろちょろ、次第に速度を増して勢いよく木桶に流れていった。
「ゆぅ~、つめたくてきもちーのぜ」
「すぃーってながれるよ」
この猛暑の下で涼がとれたためか、れいむとまりさはとても嬉しそうであった。

竹の中を滑って進むれいむとまりさ。
そして竹の端に辿り着いた2頭は、勢いそのままに空を舞った。
「びゅーん」
「びゅびゅーん」
と口ずさむその顔は、どういうわけか得意げであった。

ポチャポチャンという音と共に、2頭が木桶に落ちた。
「「ぷはっ! ひーやひーやすっきりー!!!」」
桶の水に飛び込んだれいむとまりさは、満足そうに笑いあった。

冷たい水で満たされた桶の中は、れいむ達にとっては十分な広さのプールそのものであった。
目の前に広がる光景に2頭は眼を輝かせ、早速遊び始めた。

「れいむ、ぴゅー」
「ゆひゃあ」
まりさが口から水を飛ばす。
「ゆ~…、ざぱーん!」
「のわー!!」
れいむも負けじと体を沈め、その反動を利用して水を掛けた。

普段は風呂で戯れ合う2頭だが、温かさのためにすぐにゆっくりしてしまう。
しかし好奇心がそうさせるのか、初めての水の中でも、新しい遊びを次々に実践していった。
「ざーぶざーぶ」
「ぷーかぷーか」
2頭はじゃれ合うように遊びながらも、とてもゆっくりしているようだった。
その様子を確かめた私は、次の準備のために台所へと向かった。



台所に立ってから10分程して、準備を終えた私は台所から庭に戻った。
私の腕には笊が抱えられており、その上には冷水で締めた素麺があった。

私は笊を縁側に置き、水遊びを楽しんでいたれいむ達を掬って、再び竹の端から流してあげた。
れいむ達は「ゆひょー」と楽しそうな声をあげながら桶に落ちた。

れいむとまりさが何回かウォータースライダーを楽しんだ後、私はホースから流れ出る水を止め、ゆっくり達を桶から掬い上げた。
「おそらをとんでるよ!!!」とはしゃぐ2頭を、縁側に置いたバスタオルに乗せる。

私は木桶に溜まった水を庭に撒き捨て、2頭を桶の中に入れた。
そして今度はその中に、水で割った麺つゆを、2頭の口元の少し下の所まで注ぎ入れた。

これまた今まで見た事がない謎の黒い液体に、れいむとまりさは興味心身のようだ。
れいむとまりさは恐る恐る、目の前の麺つゆを舐めて見た。
「ゆっ!?あましょっぱい!」
「このくろいおみずさんはとってもおいしーのぜ!」
2頭はバシャバシャと、体で麺つゆを打ちつけて喜んだ。

私は、水遊びの時より量をずっと抑えて水を流した。
水が桶にチョロチョロと音をたてて流れ落ちる。

私は笊の素麺を少量摘み、水に流した。
素麺は、その量が少ない事もあってか勢いよく下流に流れていき、竹の下で滝行ように水浴びをするれいむに直撃した。
ペチョという音と共にれいむの顔が麺つゆに沈む。

れいむは体を振り、頭上の素麺を麺つゆに落とした。
「ゆ~?にゃんだこりぇは?」
「なんなんだぜこれは?」
自分達の前に現れた初めての素麺に、再び好奇心がくすぐられたようだ。

「食べてごらん。むしゃむしゃって噛むじゃなくて、つるつるって啜るのよ。」
と私はれいむとまりさに言った。
「「ゆっくりりかいしたよ!!!」」
2頭は元気良く答えた。

れいむとまりさは麺つゆに浸かった素麺を器用に啜った。
「「ずずずっ、ゆゆゆっ!!!」」
2頭が声をあげる。
「うみゃい!めっちゃうみゃーい!!」
「どんどんたべたいのぜ!!」
そう言いながられいむとまりさは、次々に素麺を食していった。

私も素麺を啜ってみた。
やはり夏場の、特に食欲が落ちてるときはコレに限る。
味もそうだが何より喉越しが良い。
ゆっくり達と一緒に、私も夢中になって素麺を啜った。

桶の中の素麺を食べ終えたれいむとまりさは
「「つーる♪つーる♪しあわしぇー!!」」
と叫び、桶の中をぴょんぴょんと跳ね回る。
全身で嬉しさを表現するれいむ達を見ていたら、自然と笑みがこぼれた。
そうだ、確か冷蔵庫に御中元に貰った蒲鉾があったはずだ、あれも出そう。
笊の素麺を今度はさっきより多めに流してから、私は冷蔵庫に向かった。



日が沈んだ空の下、私は縁側でゆっくりしていた。
横に置いた蚊取り線香から、煙がのろのろと立ち昇る。

れいむとまりさは、居間の座布団の上で、ゆぅゆぅと寝息を立てていた。
そんな2頭を、私は団扇で扇いでやる。

私達は素麺と惣菜を食べ尽くし、その後またたくさん水遊びをした。
いっぱい遊び、たらふく食べた後はどんな生き物も眠くなる。
目一杯遊んだためだろう、それぞれの頬を突っ突いても何の反応もない。

私は押し入れから蚊帳を取りだし、天井に吊るした。
そして気持ち良さそうな寝顔のゆっくり達を、座布団ごとそっと蚊帳の中に移した。

蚊帳から出た私は、あらためて庭を眺めてみた。
宵月に照らされた庭は、掃除の甲斐あってこざっぱりとしており、その様は夕立ちの後のように涼しげであった。

広くなった庭を見ていたら、家庭菜園の願望がふたたび頭をもたげてきた。
せっかく雑草を取っ払ったんだ、明日にでも庭にサツマイモの苗を植えてみようか。
上手く育てば秋頃にはサツマイモが食べ放題だ。
れいむとまりさも大喜びするに違いない。

そんなことを考えていたら、いつの間にか私も寝入ってしまった。
月明かりに照らされた庭の草からコオロギの鳴く声がした。
秋はもう近い。


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最終更新:2021年08月14日 06:25