カーテンの隙間から薄い朝日が差し込み、細く開けておいた窓から爽やかな冷気が流れ込む。
今日もいい目覚めだ。活気ある一日の始まり。気分がいい。
「よっし! 起きるか!」
気合を入れて布団から身体を起こす。
起こ、す。
「…………あれ?」
違和感。身体の調子がおかしい。
起きられない。
身体の感覚がまったくない。首だけが動く。
特に疲れているわけでもないのに。あるいはこれがマジモンの心霊現象というやつなのだろうか。
横に立っているはずの姿見に視線を向ける。唯一動く首に力をこめて。うう……霊とか映ってたらやだな。
薄明かりの中だったが、鏡の中の光景ははっきり見えた。
「?!」
ビビる。
白くぼやけた存在が俺の上にのしかかっていた、というわけではない。
問題は自分自身にあった。
身体の感覚がないのは当然だ。
身体そのものがなかったのだから。
「なっ……」
俺の顔が絶句の表情を作る。「顔だけ」の俺が。
「なんじゃこりゃーッ!!」
一拍置いて飛び出た叫びは、肺も喉もないのにやたら大きく響いた。
ど、どどどどどーなちゃってんの、これ。え、何、俺の胴体どこ行っちゃった? あれか、あまりに連日の激務で酷使したから逃げ出したのか。じゃあ置き手紙とかあんのか、『実家に帰らせていただきます』みたいな。『──一身上の都合で』みたいな。胴体なだけに一身上ってな! つーか、実家ここだし!
いやいやいや、落ち着け、俺。普通に考えろ。そんな上下それぞれに人格のあるアンパンマンみてーなことが人間の身に起こるはずがないだろうが。どんなポケモン進化だ。
もっと現実的な理由があるだろう。そう、たとえば手品師だ。人体切断マジックとかのアレだ。アレをやったわけだ。
俺を実験台にするために夜中こっそりと窓をピッキング。そして、密かに「イッツショータイム!」などと一人盛り上がったあげく、一刀両断に首チョンパ、と。
「いやいやいやいや」
さすがに自分でツッコミを入れる。そんなわけがねぇっつーの。
どうにもテンパりまくっているようだ。頭だけになってれば当然なのかもだが、それにしたってパニくり過ぎだ。
理由なんていくら考えてもわかりようがない。前代未聞ってやつだ。
ならば、できることを冷静に考えよう。そうだな……まずは相談か。
今の時間なら母ちゃんが階下で朝飯の準備をしているはずだ。
「ふっ、んっ」
気合を入れると、動ける。首だけでも何とかなりそうだ。
移動にはゴロゴロ転がるしかないように思えたが……ふむ……あれこれやっていると、飛び跳ねつつ前進できることがわかった。意外と普通に行ける。
階段を降りるのは流石に怖々と、ずり落ちるようにやっていったが。
(しかし……どう説明したもんかな)
母ちゃんがこんな姿を見たら仰天するに違いない。かといって、何がどうなってこうなったかも知らないのだから、説明のしようがない。落ち着かせるにも、俺の方も心が静まりきってない。一緒にパニくるかもだ。
いや、そんなこと言っている場合じゃないか。突然首だけになった息子が現れて、見るも憐れなほどにテンパってしまう母ちゃん。想像するだけで嫌だ。そういう事態は避けたい。だから、散り散りになった平常心を総動員してなだめよう。
居間で人の気配がする。ゴタゴタのせいでいつもより下に行くのが遅くなったからか、もう食事の支度は終わって、母ちゃんが居間で俺を待っているのだろう。
(よし)
初手を誤らないように、深呼吸する。平常心。平常心だ。
行くぞ。
「な、なあ、母ちゃん……」
のそっと頭を居間に乗り込ませると、母ちゃんの顔がこちらを向いた。
「あら、おはよう」
顔だけの母ちゃんだった。
「って、お前もかよ!!!」
思わずツッコむ。
心配して損した! 確かに別の意味で心配なんだけども!
「いや、どうしてそんなに落ち着いてられんだよ! 胴体なくなってんだぞ、二人とも!」
「でもお隣の山田さんも同じだって言ってたわよ。ご家族そろって頭だけになってるんですって」
「うちだけじゃないのかよ?!」
なおさらその落ち着きっぷりはおかしいだろ。大異変じゃねぇか。原因不明の奇病でも流行ってんのか?
「そんなに驚くほどかしら。山田さんが言うには世界中そうなってるみたいよ」
「普通におったまげるだろ、前代未聞だよ! しかも世界中?!」
「だって今は百年に一度の大不況よ?」
「どういうこった」
「誰がクビになってもおかしくないでしょ」
「生首になるってことじゃねぇだろ!!」
ある日会社で部長に肩を叩かれて、翌日生首になってたら恐ろし過ぎる。
「まあ、でも正確には生首ってわけじゃないのよね」
「え? 手足とか生えてくんの?」
それも不気味だが。
「論より証拠。ご飯食べましょ」
「は?」
関連性がわからない。朝飯食うことと現状の説明がどう結びつくのか。
母ちゃんは俺のとまどいなど知った風もなく、ぴょんと卓上に飛び乗った。
特に食えるようなものなど見当たらない。どんな朝食だ?と怪訝に思う間もなく、
「さあお食べなさい!」
と母ちゃんが縦に真っ二つになった。
「どういうこと?!」
どうやってしゃべってんだ?!という疑問はともかく、何が起こった?!?!?
「気にすることないわよ」
「いや、気にするよ! 右半身と左半身に分かれてしゃべられたら、めっさ気になるよ!」
「うーん、やっぱり個人差があるみたいね」
「個人差?」
「隣の山田さんが言ってたんだけどね、人によってはこんなふうになるのを驚いたり、驚かなかったりするんですって」
「普通は驚くだろ……」
「そうでもないのよ。私とか山田さんちの奥さんとか、自分がどんな状態で、何ができるのか、そんなことが目が覚めてすぐわかっていたもの」
新たな生物に生まれ変わったようなもんか。「本能」として自分の生態が脳に刷り込まれているとか、そんな感じなのだろう。
「たとえばこんなふうに『自分の意志で身体を割って食べさせることができる』のがなぜかわかっているの」
「俺には全然わからなかったぞ。あ、それが個人差か」
いろいろついていけないところはあるが、事実は事実として受け止めるしかないだろう。
「そんなことより、早く食べてほしいんだけど」
「いやいやいや」
流石にそれは受け止められんだろ。肉親が自らの頭部を食ってくれってのは。
「あ、言っとくけど」
「?」
「食べるといっても性的な意味じゃないわよ」
「昔はともかく、今は親殺しって罪にならないよな?」
こんなときに下ネタかまされると殺意が湧く。
「まあまあ、とにかくお食べなさいよ」
「だから無理。おかんを躍り食いって」
「大丈夫よ。ほら、生首とは違うって言ってたでしょ。ちょっと断面見てみてよ」
「断面を?」
んな気持ち悪いもん見られるか、と思ったが、気づけば血など出ていない。切れ目が赤くない。これは、黒い?
母ちゃんは「ほらほら」と双方の半身を動かして見えやすくした。そこにはやはり薄い黒色があった。目を近づけると、どうも練り物のような物質が詰まっている。甘い香り。どこかで嗅いだ匂いだ。えーと、この匂いは確か……
「餡子か、これ?」
「そういうこと」
二つに分かれた母ちゃんがにこやかに言う。どうやってしゃべってんだ? いやそもそも、
「中味が餡子なのにどうやって活動してんだよ。いや、頭だけで生きてる時点でおかしいけど」
「そう言えば、餡子って○ンコって伏せ字にするとと何だか危険よね」
「全然関係ねえよ。そして自重しろ。アラサーどころかアラフィフの言う台詞じゃねえだろ」
「いいから、ほら、召・し・上・が・れ・☆」
「食わねぇっつってんだろがッ! あと言い方がムカつく!」
「ただのお饅頭なんだから断る理由ないでしょ」
「いろいろあるよ! 真っ二つでしゃべってるとことか!」
俺の怒声による拒絶に、母ちゃんはニヤリと笑い、ブルブル震え出す。
「食べないと……」
おや? 母ちゃんの様子が……
「「増えちゃうぞ!」」
おめでとう、母ちゃんは二体に増えた!
「って、おーいッッ!」
デュアルおかん?!
半身二つがそれぞれ再生し、同じ姿の生首が二つになった。
「何じゃこりゃ!何増えてんだよっ?」
「「日本の少子化もこれで解消ね」」
「高齢化が進むわ! 身体的に分裂症起こしてねーで、さっさと融合しろよ」
「「あのねえ」」
あきれたように母ちゃんは言った。
「「人がそんなふうにくっつくわけないじゃない」」
「増殖もしねえよ!!」
「「そんなに騒ぐんだったら、やっぱりすぐ食べればよかったのよ。分割して時間をおいたら、それぞれ再生するに決まってるじゃない」」
俺の左右からステレオでたしなめる母ちゃん二体。生首饅頭の常識なんて知るわけないだろ。
しかし、なぜか自分の身体(頭?)の生態をを熟知している母ちゃんは、こちらのとまどいなど意にも介さない。お互い顔を見合わせて「「ねー」」とか同意しあっている。酷い自演だ。
「じゃあ、次はちゃんと食べなさいよ」「食べなさいよ」
「えっ」
また母ちゃんが力もうとしている。まずい、またあの「お食べなさい」をやられる!
「あ、あー、悪い! ちょっと遅刻しそうだから飯はいいや! じゃあな!」
慌てて言い捨てて居間から飛び出す。ガラス戸を頬で開け、隙間から割り込むようにして外へ出た。背後からの視線を感じない距離まで飛び跳ねていく。
ややもして、ホッと一息ついた。母が四人に増える事態は去ったわけだ。
上を見れば青。よく晴れている。風は無く、鳥の声が遠くで聞こえていた。
ごく普通の平和な世界だ。異常なのは顔だけになってる自分だけ。
ただ、それさえも、多くの人にとっては平常と変わりないのかもしれない。母ちゃんと山田さんの言葉をそのまま信じるならば、だ。
少し考える。
「……行ってみるか」
職場たる学校へ、である。
口実として出した出勤」だけれども、今更家に戻って母ちゃん増やすのもなんだし、世の事情がどうなっているか知ってもおきたい。他に行く当てもないし、いつも通り勤務地に向かってみよう。
考えを固め、俺はポイン、ポインと、車置き場へ跳ねていく。
庭の地面の感触が直接肌に伝わるのはちょっと気になるが、まあ今更だ。履ける靴もないし。
「ん?」
何だろう。妙な感じだ。いつもと何かが違っているような。
視点が格段に低くなっているのはわかる。それ以外で、何か違う。
見える物が……
「俺の、車?」
いつもなら、家と植え込みの向こう側に、愛車の尻が見えるはずなのだ。それが、ない。
常にきっちりと奥まで停めているし、昨日だってそうした。
なのに、見えない。
「そ、そんなっ」
焦って駆け寄る。毎週欠かさず洗車し、月に一度はワックスも掛ける愛しのスポーツカー。それが、まさか。今回の騒動で何かしらの影響を?
饅頭の身体を駐車エリアに飛び出させ、その全貌を見る。
眼をぱちくりさせた。
「ぐ、ぐふぅ……」
認識が追いついたとき、俺の身体は崩れ落ちた。饅頭なのでうなだれただけの形だが。
お、俺の愛車が……ローンを完済して完全完璧に俺のものになったスポーツカーが……白のRX7が……
何 で 台 車 に な っ て ん だ ! ! !
そこにあったのは畳大の平板に、四つの車輪がついただけの代物。子供のおもちゃでもちっとはマシと言えるほどの、何か。
白く輝く流線型の車体は、木目の浮く真っ平らな板に代わり、大きく薄いロード専用のタイヤは、小さく陳腐なプラスチックっぽい車輪に代わっている。
何というダイナミック改装。
「ははっ、そうだよな、エコのご時世だもんな、ハイオクしか食わない上に、リッター2キロの大食らいじゃあ、こっちにモデルチェンジした方がいいもんな……ぐふぅ」
再びうなだれる。今度は額が地面に当たった。自分でしゃべっててエラい傷ついた。
やべえ、くじけそうだ。
俺の胴体だけでなく、車のボディまで消えるとは。
理不尽。あまりにも理不尽だ。
力なく台車の上に載ってみる。スッポリと身体を収めるレーシングシートはどこにもない。
ハンドルも何もない。ただただ、黒い板。あごの下で感じる質感は木材のそれだ。
あらためて変わり果てた愛車を見回す。
「鉄とアルミとカーボンでできてた痕跡もねーな……」
そもそもエンジンすらない。
不格好なスケボーと化したマイカー。
こんなんじゃ動きようもない。五体満足なら足で蹴って使用することも(無理矢理感漂うが)可能だろう。しかし、今は頭だけの存在だ。どうにもならない。
「こんなんじゃ微動だに…………?!」
突然、台車が大きく前後に揺すられた。ただの一度だったが、地震でも何かの衝突でもなく、独りでに動いたのでビックリしてしまう。
「な、何だ?!」
まさか、これ、と思ったところで、台車はスィーと滑るように前へと移動した。車置き場から道路上へと出る。
「こいつ……動くぞ!」
動力など無いはずなのに、台車は俺を載せたままスムーズに移動した。車体と体重、それを余裕で運ぶだけの力が生じている。
しかも、(まさか、これ、前に動くのか?)と考えた途端にその通りに動いた。
今も、曲がれと思うだけで、クイッと車体の方向を変えた。(そのまま走れ)との思考の通りに、車線に沿って走り続ける台車。
搭乗者の思考を読みとって動いているのだ。
すげえ! こんなレトロ感たっぷりの車体に、実はオーバーテクノロジーが仕込まれているとか!
まさに思うがままの操縦が可能になっている。人馬一体がこのような形で達成されようとは、トヨタもマツダも予想していなかったろう。
まあ、デザイン性には大いに難があるけれども、とりあえずはこれで通勤することができるだろう。
爽やかな風が顔を、髪を撫で、後に流れていく。気持ちのいいスピードが一定に保たれていた。
ふと、カーブミラーが目に入る。通り過ぎるとき、自分の姿が映った。
「…………」
表情が一瞬で漂白される自分を感じた。饅頭がまな板に載ったような、ものすごくシュールなビジュアルだった。
いいのか、と思ってしまう。この姿を衆目にさらすことに躊躇の気持ちが働くのは当然である。
確かによくよく考えれば、本来恥ずかしいと思わなくてはいけないはずだ。移動式さらし首たる現状を何とも思っていなかった自分は、明らかに変だった。
問題になる前に戻ろうか。こんな奇妙キテレツな前衛芸術が日常にあっちゃならないだろう。
そんなことを考えていた矢先、
スィーッ
何ぃ?!と、すぐさますれ違ったものに対して振り向いた。
見間違いではなかった。自分と同じ「板付き饅頭」が走っていたのだった。
遠ざかっていく白髪混じりの生首。
唖然としたまま前に向き直って、さらに驚いた。
赤信号があり、5台くらい止まっていたのは……台車に載った生首たちだったのだ。
みんなそろって特に動じたふうもない。青信号になるのを自然体で待っている。
昨日までとは明らかに違う光景を、通常のものであると受け止めている姿だった。
その後に停車してしばらく茫然としていたが、悲しいかな、集団に対して右へならえな日本人的気質を自分も有しているのか、それまであたふたしていたことが恥ずかしくなりさえした。
自分の常識は同名ファイルのようにあっさり上書きされたのだった。
ああ、まったく、母ちゃんの言ったとおり、世界は一変してしまったようだ。そしてそのことを何となく受け入れてしまう世間というのも理解できた。
かくして俺は朝のパニくり具合もどこへやら、平静な通勤を行うことになった。
違和感は消えないながらも心の片隅に追いやられ、昨日と変わらぬと言ってさしつかえない精神状態だ。まさしく平常運転。
そのまま何事もなかったかのように学校に着いた。
ポイン、と台車を飛び降りたところで声を掛けられる。
「せんせー! おっはよー!」
「おう、おはよう」
クラスの女生徒だった。
ご多分に漏れず首だけの姿である。ショートカットの似合うハツラツとした笑顔だけはそのままだ。
「ねー、今日の授業どうなるのー?」
「いやぁ、まだわからんけど、普通にやるんじゃないか? みんないつもの生活送ってるだろ」
頭一つの饅頭状態で会話する俺たちの横を、他の登校してきた幾つもの生首が通り過ぎてゆく。
ありふれた光景として成立しているのだった。
「なんだー、いつも通りの授業かー。せんせーと私で織りなす大人の保健体育とかすればいいのにー」
「んなもん公開した日にゃ、俺は明日から無職だよ。ったく、キワドイ発言は変わってないな。頭の中身はそのまんまか」
あきれたように言うと、心外そうに返された。
「中身なら変わってるよー。せんせーも同じでしょー?」
「あん?」
「そう、それ。餡、だよ」
そういう意味で言ったんじゃないんだが、みんながみんな同じ変化をしているならば、母ちゃんと同様、俺たちの中身は餡子が詰まっていることになる。
「まあ、私も始めは何が何だかわからなかったけどねー。朝一トイレで気張ったら、ウンコじゃなくてアンコが出てビビったよー」
「年頃の娘が言う台詞じゃないな」
黙っていればカワイイのに、顔を合わせるたび下ネタで絡んでくる。何アピールなんだろうか。
まあ、たしなめるだけじゃ芸がない。こっちも軽口で返しておくか。
「それよりスカート短過ぎだぞ」
「っていうか、はいてないからね」
「だな」
なにしろ胴体がない。アオキとかコナカとか倒産の危機だな。
「体が無くなったことにもビックリだけどさー、一番はやっぱアレ、ママが真っ二つになったのー」
「お前もか」
「『お食べなさい!』とかいうけど突然じゃ無理でしょー? そしたら今度は二人に増えてさー。ものすごいキョドったよー。で、そしたらママのうち一人がまた真っ二つになってねー」
「大惨事だな」
というか、下手すれば同じ状況に自分は陥っていた。
「サンジー? ううん、三児の母じゃなくて……えーと、何て言うの、こういうのー?」
日本語って難しいな。とりあえず合わせておこう。
「まあ、言うならば、そうだな、『三母(さんぼ)の児』」
「サンボマスターみたくなってるねー」
「じゃあ『三母(さんはは)トリオ』とか」
「あー、それいいかもー」
いや、全然よくないと思う、我ながら。三バカトリオのもじりだぞ。
「で、また増えられたら困るから、しょうがないんで食べたよー」
「そうか、勇気があるというか、無謀というか、とにかくよくやり遂げた。味の方はどうだった?」
変な質問してるなとは思わないでもなかったが、興味があるのはしょうがない。彼女はちょっと上を見て考えていたが、やがて言った。
「おふくろの味かなー」
まんまじゃねえか。
「ただの餡子だったんだけどねー、妙に後を引くっていうかー、それでいて喉ごし爽やかっていうかー」
「全然想像ができないな。ラーメンとかビールに使う形容だろ、それ」
「せんせーも食べてみたらわかるよー」
「は?」
「さあ、お食べなさい!」
止める間もなかった。
くぱぁ。
珍奇な音を立てて、彼女は真っ二つになった。
分かれたそれぞれが口の動きを合わせ、艶のある声で呼びかけてくる。
「ねぇ、せんせー……女の子の中、見るの初めてー……?」
断面は黒々としている。
どうみても餡子です。本当にありがとうございました。
「いや、ちょっ、何言ってんだ、お前! ていうか何やってんだよ!」
「せんせー、私を、食・べ・て・☆」
「食わねぇっつってんだろがッ! あと言い方がムカつく!」
あれ、何かデジャヴ。
生徒に対しての口の利き方じゃないと直後に反省したが、しょうがないだろう、怒りが再燃する形で噴き出してしまったのだ。
落ち着いて考える。
もしこのままこいつを放っておいたら、多分、いや間違いなく二人に増えるだろう。
俺のクラスに騒がしいのがダブルに。勘弁願いたい。
だが、それを防ぐためには……
「ねーねー、食べてー、食べてー」
「それしかないのかよ。しっかしなぁ……」
「食べないとー」
「わわっ、わかった! 食うよ!」
最後通牒を突きつけられ、慌てて女生徒の片割れに向かって口を開ける。
ええい、ままよ!と思い切って噛みつくと、もっちりとした歯ごたえを感じたのも束の間、意外なほどにあっさりと口内に入った。
驚く間もなく、その一片は喉の奥へと綿菓子の溶けるがごとく消える。正確には喉などないのだが、そのような感覚が生じたのだ。
さらに信じがたいことには、それはとてつもなく美味かった。
気づけば再びかぶりついていた。美味さに惹かれるままに飲み込み、またかぶりつく。
なるほど、確かに後を引き、喉ごし爽やかだ。
そうして自分と変わらない大きさの顔面が、あっという間に食べ尽くされた。
「ねーねー、どうだったー? どうだったー?」
半分残った女生徒の体がポン!と再生し、一つの饅頭に戻った。
「女生徒を食べちゃった感想ー」
「危ない呼び方をするな!」
捉え方次第で意味合いが全く違ってくる。
噛みちぎって食うっていうのも十分アレなんだけども。それに他に表現のしようもないというのもわかる。
まあ、責任を取るというわけじゃないが、食った感想は述べておこう。
「うん、感想というと色々あるが……ともかくも美味かったよ」
正直なところだ。満腹感も得られた。
彼女はえへへー、と嬉しそうな笑みを浮かべる。手料理を誉められるようなもんだろうか。あるいは自分そのものを認められたような?
「うちのママを食べたとき美味しかったからさー、せんせーに私を味わってもらいたいと思ってー」
昨日までの自分なら理解不能な台詞だが、今の自分なら言っていることはよくわかる。
そして、変な話だが、同じような気持ちを自分も抱いていることに気づく。
人に自分を食べてもらいたい、味わって美味しいと言ってもらいたいという望みだ。
この感覚は、彼女を食べたことで得られた。彼女は彼女の母を食べることで得た。
そうなるとだ、もしかして「食べられたい」という思いは次々と伝播し、やがては人類全体に広がる可能性があるんじゃなかろうか?
恐ろしいとは思わない。むしろ素晴らしいことだ。自らの身体を他者に捧げるって、奉仕とか自己犠牲に繋がることだろう。飢餓は言うまでもなく、争いも解消されるのでは? それも世界全体で。
「ん?」
ふと周囲が陰ったような気がして、思考が中断される。雲が出てきた? しかし、辺りは青空。よく晴れている。
そこで、女生徒がポカンと口を開けて目線を上にしていることに気づく。目線を同様に上に向けた。
ひっくり返った。
「なにぃいいいいいぃいいッ?!」
正門の正面にある三階建ての校舎、その高さをはるかに越す物体、いや顔面が、向こう側から見下ろしていた。
丸みを帯びたフォルムから胴体はない、つまりは俺たちと同じ生首だとわかる。大きさが桁違いなのだ。
片側にお下げを一つ垂らした金髪で、周囲にツバを巡らした黒い三角帽子を被っている。山のようにそびえる帽子の先端は、天を衝いて太陽を覆い隠していた。
さらにあろうことか、驚愕に身を固めているこちらに向けて言葉を投げかけてきた。
『ゆぅ、みんな、おはよう。ゆっくりしていってね』
スピーカーから放たれるような声が響く。
女生徒が、あー、と飛び跳ねて叫ぶ。
「あれ、校長先生だー」
「何言ってんだ?!」
失礼すぎるだろ、超大型饅頭と校長をイコールで結ぶなよ!
「でも、あの挨拶ってさー、違うー?」
確かにいつも校長は校門前に立って生徒を出迎える。そして朝の挨拶もする。
しかし、それだけだ。姿形も声の質も、というか全体的に違う。そもそも校長とデカ饅頭だぞ、校長とデカ饅頭。
だが、そいつはこちらの会話を耳にしたのか、ニッコリ笑って言った。
『ゆぅ、よくわかったね。ドスは校長だよ』
「ほら、やっぱりー」
「えぇええええッ?!」
──かつてある予言があった。
『1999年7の月、空から恐怖の大王が降ってくるだろう。アンゴルモアの大王を復活させるために。その前後、火星(マーズ)は幸福の名のもとに支配するだろう』
正確に修正すると、こうだ。
『1999年7の月、空から牛皮の大福が降ってくるだろう。アンコロモチの大王を復活させるために。その前後、饅頭は幸福の名のもとに支配するだろう』
全人類が饅頭と化し、その一部はドスと呼ばれる超大型饅頭になってしまうという未曾有の異変。
しかし、それこそが有史以来願ってやまなかった世界平和に繋がることになるとは、どれほどの人間が気づいていただろうか。
けれどその話はまた次回。
- シュールさに笑わしてもらいました。 -- 名無しさん (2014-12-19 09:58:34)
最終更新:2014年12月19日 09:58