魚をせしめた。いやはや、人間と言うものはがんらい注意力に欠けているのではないか、と思わないでもない。
もっとも、追いかけられていなければこの不平も正当性を持ったのだろうが。
「くそ、どこへ行ったんだ、あの馬鹿猫」
馬鹿猫という呼び方はいささか不快だが、黒いからクロと呼ばれるよりは若干ましである。
だいいち、阿呆に馬鹿と呼ばれたところで何を思おうかというものだ。
戦利品はというと、まぐろの切り身だ。がつがつと食べ、ぺろりと鼻先の辺りをなめるころには、周囲を見渡す余裕も出てきた。
がたがたという荷車の音が上から聞こえる。そう、ここは橋の下だ。
江戸だか東京だかにかかっていると伝え聞く日本橋だとかの大きなものではなく、小川に必要だからかけてみました、と言う程度のものだが、どことなく風情が気に入っている。
だいたい、車にぶうぶう走られるぐらいなら、荷車のがたがたのほうが全体、雅なものだ。もっとも、渡られる橋のほうは雅なつくりどころか、装飾らしい装飾もないのだが。
「……妬ましいわ」
どきり、とした。はて、他に何かいたのか、と首を回してみると、緑色に光る目が視線に入る。
西洋の話によれば、嫉妬の怪物は緑色をしているという。なるほど、これは嫉妬のほうが取り付きたがる風情の色だ。だいいち、暗い。
「妬ましいわ!」
なんだ、という感慨しか沸かない。ゆっくりという生き物の中でも、妬ましい妬ましいといい続けるひねくれ者のぱるすぃだ。
とがった耳に、不気味に光る緑の目、どこかくすんだ金髪の丸っこいこいつは、このお気に入りの場所にどこからともなく現れては、いつものお決まりの台詞を言って消えていく。
他人の幸せな面がなにより気に入らぬらしい。
頭だけのため、飛頭蛮か何かかと思ったが、こんな呑気な面をした妖怪がいてたまろうかというものだ。
「またお前か。ぼくは全体昼寝に忙しいんだ」
くちくなった腹が寝ろ、と告げているのだ。食後の睡眠の権利は全猫に備わっているのである。
その正当な権利の行使を邪魔されるのはいささか不快であった。とはいえ、剣呑な空気と言うより、じゃれ合いといった風情で、別段嫌ってはいない。
だいいち、蝶が飛び、菜の花が元気よく咲いているここでどう剣呑になれ、というのか。くわあ、と口を開き、足に頭を乗せて丸まる。
ぶつぶつというぱるすぃの呪詛が耳に響くが、気にしない。
だんだんとふくれっつらを作り始め、涙目になってくるぱるすぃをちらと確認すると、目を開けて顔を上げて大きなあくびをした。それを見て、ぱるすぃは撃発した。
「きけよ! ひとの話を!」
「君、人じゃないだろう。ぼくは猫の権利を行使してるだけだぜ」
首をぷい、と振ってたまたま視野に入った蝶の動きを追う、あの蝶はいかにも捕ってくれ、という風情だ。
鼻面をひらひらとかすめていくのも、その表明に相違ない。全体面白くないのはぱるすぃで、糠に釘を打ち込んでいるようなものだ。
もっとも、嫉妬心の赴くままに、藁人形に釘を打ち込むよりは建設的ではあるのだが。
蝶に飛び掛るが、あいにく捕り損ねた、なんだか気恥ずかしく、ぱるすぃのほうから慌てて視線を外す。
目を細め、こちらの周りを愉快そうに回っている。なんという鬱陶しさだ。
「ねえねえ! いまどんな気持ち? どんな気持ち?!」
ぱるすぃはぼくの周りをにやにやと笑いながら回っている、一つ引っ掻いてやろうかと思うぐらいだ。
そう思って爪を出して、前足を突き出すが、ひょい、と避けられる。ぼよん、とゆれていて、いかにもさわり心地が良さそうだ。
くそう、ぜひ触ってやる。そう決心し、ひょいひょいと腕を突き出すが、器用に避けている、耳を掠めたが、ほほを触れなければ意味が無いのだ。
「ええい、動くな。ぼくが触れないじゃないか!」
そう言うと、ぴたと止まって、にやにやと笑いながらぱるすぃは口を開く。
「さわってもいいのよ?」
しまった。いつもの調子で憎まれ口を叩いていると、こいつの策にはまってしまう。
おのれ、もちもちとしたほほをしやがって。
だが、触っていいといわれたからと言ってのこのこ触りに行くのもどこか間が抜けているし、だいいち癪に障る。
ここは目をそらし、蝶のほうを狙ったふりをすることにしよう。そう考えていると、じりじりとぱるすぃが近寄ってくる。
にやにやと笑っているのは相変わらずだが、私をかまえ、という気色だ。駆け引きは、先に折れたほうが負けである。
いまだ、蝶が近寄ってきたところで、飛び掛るふりをして、空中で体をぐりん、とねじってぱるすぃのほほをこれでもかと言うほど触る。
「ふふふ……腕をあげたわね」
「ぼくも成長したということだ」
お互いに口角を上げてにやりと笑う。とうとうまともに触れた、というえもいわれぬ喜びである。
後ろ足で立ち、ぷにぷにしたとほほの感触を思う存分楽しむと、ちょっとした悪戯心がわいてきた。ぺろりとなめてやると、ぱるすぃは毛を逆立てる。
「痛い! 痛いけどなにこれ!」
「ふふん」
ぺろりと鼻面を舐める。ぱるすぃは何か嫌な塩味がした。汗をかくようには見えないのだが。
「妬ましい、そのざらざらの舌が妬ましいわ!」
というか気持ち悪いわ! とぱるすぃは言い放つ。癪に障ったので、これでもかと言うほど舐めてやった。
そのころにはとっぷりと日が暮れていたので、またしても昼寝の権利の行使に失敗したのである。ぱるすぃとの勝負には勝ったが、試合には負けてしまったのだ。
夜の帳が落ちれば、そこはもう猫の天下である。ワンワンと吠え立ててこちらを追いかけてくる犬もいないし、だいいち人間も寝ている。
例外は、あのぱるすぃの親戚のような外見のちぇんを含めたゆっくりなどである。というものもたまに家からまろびでては猫の集まりに顔を出していたりするので、顔見知りなのだ。
はじめは案外気付かないものであるから、なるほどさすがに猫らしいものだ。
今日は、向かいに住み着いているちぇんから面白い話が聞けた。どうやら、このあたりに人間に化けた狐がいるらしい。
臭いでわかるんだよー、などと言っているあたり、本当かどうかはわかりかねるが。
最後にみゃあみゃあと合唱してから、三々五々に皆帰っていく。例のぱるすぃの寝込みを襲ってやろうかと思い、屋根伝いに橋に行くと、人影が見えた。
こんな時間にうろついているのは、酔っ払いか、貧乏学生という種類の人間である。
その御仁たちは一種獰悪なもので、猫を捕まえては鍋にしたがるらしい。全く冗談ではないし、何か悪寒めいたものを感じたゆえである。
さすがに鍋になどされたくはないから、引き返して、さっさと家に帰ることとした。家人の子供の間に挟まって寝れば、この悪寒も治まるかもしれない。
日が多少頂点より傾いてから家人の目を盗み、ひょいひょいと外に出る。
家主の子供の間に挟まって気持ちよく寝ていると、泣き叫ばれた挙句、尻尾を引っつかんでぶんぶんと振り回された。
全く持って子供と言うものは度し難い。主人にも怒られ、したたかにしりを物差しで叩かれたうえ、飯も抜きになってしまったので、ありつけるものも探さねばならぬ。
ここで愛嬌ある三毛猫ならともかく、ぼくは知ってのとおり無愛想な真っ黒だ。
毛並みは他の猫に劣らぬつもりであるが、人間のほうでは毛並みよりも、面構えのほうが気になっており、なおかつそちらのほうはそれほどよろしからんのは自覚済みである。
家にいる、酷く年を取った女の使用人には三味線にでもしてやりたい、とまで言われてしまったほどだ。
三味線が何かは寡聞にして知らぬが、どこか不吉なひびきであった。
今よりも幼かった時分に抱き上げられた際、鼻面をおもいきり引っ掻き、慌てて逃げたのが不味かったのやもしれない。
猫の仲間に何か食うものはないか、と哀れっぽい声を出して無心してみたが、どれも今は無い、という親愛なる返答が返って来た。
魚をくすねようにも、せんだって盗みに入ったばかりだ。加えて、裏につながれた犬が今は起きている。
「まったく。ぼくが何をしたというんだ」
冗談じゃない。とぶつぶつつぶやきながら、お気に入りの昼寝場所に向かう。
こんな日は寝てしまうに限るのだが、どうにも橋の周りが騒がしい。何かあったのかと思うが、腐ってでも居たのか、牛が板を踏み抜いている。
骨折はしていないようであるが、何人かがかりで必死に引き上げようとしていた。それをぱるすぃは、普段の不遜さとは正反対に、おろおろとした様子で見守っていた。
これは昼寝が出来ないな、と思うが、どうにもおかしい。まるでぱるすぃが見えていないかのように周りの人間たちは振舞っているし、足がするりとすり抜けている。
だが、尋常小学校帰りらしい子供はそれを見て首をひねっており、近くにいた大人の着物の袖を引いて、あれはなんだと騒いでいた。
なるほど、子供にはあのひねくれ者が見えているらしい。本当に妖魅の類だったのやもしれないのだが、あれがそうだといわれても、いささか首をひねるところである。
「何の騒ぎなんだ? ぼくはこれから眠ろうと思っていたんだが」
「牛が……でも、けがは無いみたいだわ」
どうしよう、どうしようつぶやいている。何事かでもやったのかと聞いてみると、やったけど落ちちゃった、と涙ながらに迫ってきている。
これは、矢でも降るのではないだろうか。
「わかった。わかったから落ち着いてくれないか。だいたい、無事ならいいじゃないか、無事なら」
右の前足でぱるすぃを押しやると、はて、何の話なのだろうか、と猫なりに考えてみる。
だが、全体何も見えてこない。何かやったが落ちたということは、何もやらなければもっと酷くなった、ということだろうか。言っていることが正しければ、だが。
無事ならいいんだから、ということを耳に入れると、ぱるすぃは気色ばむ。どうにも触れてはならぬところに触れてしまったようだ。
「よ、よくないわ!」
曰く、この橋をずっと見守ってきたのに、まさかこんなことが起こるとは思って居なかったらしい。
確かに、いささか古いが、造り自体は頑丈な部類のもので、猫が百匹乗ったところで落ちるような橋でもない。
はて、このなまものはこの橋の守り神だったのだろうか。どうにも不相応である。
「それにしても、よくないのはわかったが、ぼくにどうしろというんだ」
何せ猫であるがゆえに、大工仕事の真似をしようにも玄翁の一つも握れず、ノコギリでぎこぎことやろうとすれば、逆に前足を切ってしまうのではないか、という体たらくだ。
ねじり鉢巻ぐらいはつけられそうなものだが、形から入ったところで何らの意味も無い。
むむむ、とぱるすぃは考え込むが、ぼくはあくびをこらえる。
だいいち、飯抜きだから腹が減って仕方が無いし、それをがまんするために寝ようとしていたのだ。
「……この状況でねむいとかそういう態度をとれる、その図太さが妬ましいわ」
いつものニヤニヤ笑いは陰を潜め、どこかどす黒いものがまるっこいぱるすぃから湧き出している。
ぼくもさすがにこの気色を読めないほど鈍くは無かったし、無視してひと眠りできるほど神経も太くは無かったので、何事かを言ってみようかと思うが、ぼくの知恵はそれほどではない。
だが、どこか引っかかるものを感じた。
「……ところで、なんで橋のことが心配なんだ。修理は要るが、あんまり剣呑だぜ」
見守ってきた、とぱるすぃは言う。見守るだけならば誰でも出来るのだから、そんなに心配するようなことでもない。
「剣呑にもなるわ! だって……」
最後のあたりはむにゃむにゃというこもった音で、耳のよい僕ですら聞き取ることも適わなかった。
今日は、これでは眠れないということで、慌てているぱるすぃに別れを告げて、ひょいひょいと塀を登り、瓦屋根のちょうどよいところを確保した。
僕はあくびをする。眠くて仕方が無い。
あの橋がかけなおされる、と言うことを主人の新聞を盗み見て知った。
こいつは尻尾も長いし、字も読めるようだ、猫又にでもなるかもしらん、などと失敬なことを言っている。頼まれたってなりたくないものだ。
猫は猫らしくあくびをして、たまにねずみをとって暮らしておればそれでよいのに、人間にかぶれるなど、だいたい猫の名折れだ。
「さてはて、やつはどうしているのか」
思い起こすのはぱるすぃのことである。丸っこい顔に不安の気色を一杯にし、常の不遜さが消えうせるほど慌てていたのを放置して寝こけていたのはいかにもまずい。
橋の下についてみると、案の定怒り狂ったぱるすぃに遭遇する。
「やるきあるの?!」
「こっちもともかく橋は大切だが、きみの態度が全体気に入らない。剣呑すぎるぜ」
こちらもヘソをまげて、ぷいとやる。確かに橋は大切だし、気に入った昼寝場所が消えるのはいかにも困る。
寝床の傾きがちょいと変わっただけでも、寝づらくて敵わないのだ。作業員が出入りしてうるさいのは別にかまわぬが、と考えたところで、僕はふとしたことに気付いた。
「おいおい、この橋を修理するんだろう。そんなにあわてる事もあるまい」
「そんなわけないでしょ! レンガ造りにかわるのよ!」
がん、と衝撃を受ける。レンガ造りは確かに頑丈だが、この川にはいかにも不恰好だ。
ちょんまげを結い、刀を差したまま背広を着て市中をうろつくようなもので、いかにも可笑しい。西洋かぶれといっても限度があろう。
なにより、僕はレンガがきらいだ。ごく幼きころ、近所の尋常学校生がレンガを投げてきて、危うくひき潰されるところだったのだ。
それ以来、あの赤くてじゃりじゃりしたものが大きらいである。
「……しかし、どうするんだ?僕じゃ大工仕事のひとつもできないぜ。それに、そんな話、どこで聞いたんだ?」
猫に小判というが、猫に大工道具を持たせたって様にもなりやしない。
小判なら招き猫の真似事でも出来そうだが、僕は黒猫だ。そういう風ではない。
そもそも、僕は橋が架けなおされることは知っている。だが、レンガ造りだなどと書いてすらいなかった。
あのこすっからい目と、いやに大きい新聞屋が聞き逃し、見逃すはずもあるまいと思うのだが。
「……いいから、あの神社に連れてって」
ぱるすぃは僕の背に乗り、どうやってか神社の場所を教えてくる。なぜかはわからない。ともかくわかったのだ。
こんなところに神社があったのか、という驚きもあったが、まあそれはよい。
「降りろよ。僕は人力車じゃないんだぜ」
「猫車でいいじゃない。足があるのがねたましいわ!」
ぎゃっと悲鳴を上げそうになる、耳をはもはもと唇に挟んでいるのだ。
ぱるすぃのそれは人間のそれよりもはるかにやわらかく、そしてもちもちとしており、どうにも気色が悪い。
「わかった、わかったからやめろ! 僕をもだえさせて楽しいのか!」
「ええ、たのしいわ!」
くすくすとぱるすぃは楽しそうに笑う。くそう。
ちょっとしたお返し、とばかりにぐん、と走り出す。振り落とされそうになったぱるすぃは、不可思議な力で僕の背から離れない。
もっと早くしてやろう、とばかりに石段を駆け上がり、鳥居をくぐり、猫がやってきたことに驚いた子供の間をすりぬけ、本殿にたどり着いた。
手を洗ったほうがいいかもしれないが、あいにく柄杓も握れない。ここはなんとかというどこかの大きな神社の分社だという。
「ちょっとお話があるから、そこいらであそんでてね!!!」
「餓鬼の使いじゃあるまいし、適当に暇を潰しておく」
お互いにふん、と鼻を鳴らして離れる。ぱるすぃは本殿に、僕はそこらをうろうろするうち、子供の向こうに一種おかしなものが混じっているのを見かけた。
異人のようにさらさらとした金髪に、奇妙な目のついた茶色い帽子。貝紫と思しき、貴人が身につけるにふさわしい刺繍の衣をまとったそれは、どうにも人間とは呼びがたい。
だが、外見だけを見れば尋常小学校で通るといった具合で、いささか不釣合いだ。
その御仁は、足をぷらぷらとさせながら、子供が騒ぐのを見ている。
「……」
齢が7つになるまでは神のうち、といったものは誰だったのだろうか。
まあ、そんなことはどうでもよいが、吸い寄せられるようにその者に向かっていく。
「……おや、猫か」
「猫だが、名前はある……はずだ」
後ろ足を曲げて、しりをぺたりとつける。尻尾を揺らしているのは、どうにもそうしていないと落ち着かない。
なるほど、確かに尻尾は長いが、こういうところが猫又になるやもしれん、といわれるゆえんやもしれぬ。
「今日は何を」
「神頼みをしに来たようです。僕も、神様が助けてくれれば一番だと思います」
そういうと、その少女はふう、と一息はいて、言う。
「……何をして欲しいの? それがわからなければ、私には何も出来ないな」
「何も。今までどおり、あの橋が無事に架かっていて欲しいのです」
ああ、そういうのか。というと、残念ながらそれはできないな、と言って、少女は沓を履く。
「だってさ、人の話だもの」
そういうと、少女はふわと消えた。もっともだが、不思議と腹が立った。
なるほど、神のうちにあるものならば助けられもしたのだろう、だが、あれは神のうち、ではないようだ。
確かに神徳を振るえばなんとか出来るだろうが、そこまでやる理由が無い、という断り文句なのだろう。
ぱるすぃも、本殿で会った神様に同様のことを言われたようだ。
さらには、普段信仰しないものを助けるほど、神様も神徳が有り余っているわけではない、と来たものだ。
実際、ぱるすぃは信心するという単語から程遠いものである。
「……帰ろう。僕は、疲れた」
「……そうだね」
行きのときとは違い、僕とぱるすぃの足は重かった。疲れだけで重かったのであれば、ここまで重くもなるまい。
失意という鉛が胸のうちにずうんとわだかまっていた。
橋は、そうこうしているうちにどんどんと原型をとどめなくなっていった。
ぱるすぃと僕はいろいろな神様やらに頼みに行ったが、どうにも色よい返事はもらえない。
八百万の神々と言うが、頼む相手は無限にいても、僕とぱるすぃの足は短い。近所の神社に頼みに行くだけで精一杯であった。
邪魔をしてやろうかと思ったし、実際邪魔もしてみようとしたが、ぱるすぃに止められた。僕はいやに腹がたち、彼女に怒りをぶつけた。
「全体どうしたいんだ、頼みに行くだけで何もしないじゃないか!」
子供のかんしゃくに近い声。実際子供であったから、印象と実際は近かった。
「…………妬ましいわ」
短く、ぱるすぃはそういった。ふん、と鼻を鳴らして勝手にしろと言い捨て、家に戻る。
何に妬ましいといったのか、全体僕にはわからなかった。
いつもいつも嫉妬ばかりしているのだから、それしかいえなくなったのか、と悪態もつき通しで、他の猫から不気味がられたものである。
わかる、わかるよー、と向かいのちぇんは慰めてくれてはいたが、それが余計に癪にさわり、彼女をも呆れさせてしまった。
僕は、それからしばらく、橋には顔も向けなかった。
体つきもしっかりし始め、ようやく成猫といった塩梅であった。僕は、しばらくぶりに橋に足を向けることにした。当り散らしたことを謝罪せねばならぬ。
気が重ければ、足も重い。全体小心なのは昔も今も変わっておらぬ。今は図体ばかりでかくなり、肝もより一層小さく見えるようになってしまった。
「やれやれ、おれはこんなに気が小さかったのか」
意識して一人称を変えると、僕はえいやっと塀に飛び乗り、屋根伝いに橋へ向かう。中には瓦ではなく、ざりざりとしたすれーとだとかいうモダンな建材を使った家もあり、どうにもそこは歩きにくい。
そんなことを考えるうち、ずっと遠ざけていた橋が見えた。
「……」
赤いレンガで造られ、しっかりと塗り固められたそれは、真新しく、人々の装いもどこか変わっていた。
前はちょんまげ姿もたまには見られたというのに、ざんぎり頭にシャツを着て居るようなものの姿が目立つ。
ただ、そのときは気付かなかったが、ちゃんとちょんまげ頭も居たのだ。
「……おおい、居るか」
声を橋の下にかけると、横に気配がした。ぱるすぃだ。
「いるわよ!」
「そうか、おれは君が入水自殺でもしたのかと思っていたぜ」
憎まれ口を叩くと、ぱるすぃの側からは奇妙なものを感じた、どこか、さびしげだ。慌てて、本来言うはずだったことを口に出す。
「……すまなかった。おれは……」
「いいのよ。仕方がなかったのよ」
「……仕方が、無かった」
噛んで含めるように、そのじゃりじゃりしたものを口に出す。僕は何を言いに来たのだろう。
だが、口をついて出てきた言葉は、同じじゃりじゃりとした言葉だった。
「そうだな。……仕方が無かった」
そう、短く言うと僕は隣のぱるすぃの気配がすうと消えるのを感じた。
何か、胸の中のどこかに穴が開いている風だった。いつかは埋まるのだろう。今ではないが。涙のようなものを、流せればよかった。風が目に沁みる。
実際。あのぱるすぃは僕の、いやおれの子供時代を象徴する存在だったのだ。それが居なくなるというのは、本当に、本当にさびしいものである。
おれはとぼとぼと歩き、速度を上げて走り始める。何かから決別するように。
橋の下のぱるすぃ
――了――
あとがき
ちょっとつかれました。
- 文体に憧れる -- 名無しさん (2009-03-31 03:13:03)
- 純文学の書き手のような文体でありながらラノベばかり読んでる私にも実に読みやすく中身も非常に楽しめた、その能力が妬ましい -- 名無しさん (2010-09-07 03:43:04)
- 我が輩は猫であるみたいな作風とぱるすぃの設定が新鮮です。 -- 名無しさん (2010-09-10 18:53:01)
最終更新:2010年09月10日 18:53