厳しい冬の寒さから解放され、近くの土手には輝く様に新緑が芽吹く頃。私、十六夜咲夜はこの町『東京』に上京して、馴染めてきた頃だった。
テーブルに肘を立ててもたれかかり、『今日は、何をしようかなァ』と本日何回目かわからない溜め息をほうっとつく。
ちょっと前までは家の中ですら息が白くなったのに、今ではさらさらそんな事は無い。これも、春の訪れの証拠なのだろう。
ついでにテレビの真上に架けてある時計に注目すると、時間は午前10時30分前だった。
時間はまだまだたっぷりあるが、いかんせん私にはやることがさっぱり無いのだ。
私がこの町に来て衝撃を受けた事は、文字通り『何でもある』という事だ。
お金に糸目をつけなければ、大抵の物はすぐに買える。移動手段だって、この町には『電車』と呼ばれる画期的な乗り物があるため、買い物に行くのがおっくうに感じないのだ。私の田舎とは大違いだ!
サービス、娯楽も共に充実していて、この町は欲求を満たす事にとても溢れている。
だからこそ、私にはやることが無いのだ。いや、無くなってしまったと言うべきだろう。
どんな事をやっても、すぐにそこそこ満たされてしまう。私の中の欲求は、『飽和』されてしまったのだ。
そのため、何をやろうにもおっくうになり、折角の休日なのに家で溜め息をついてばかりといった勿体ない使い方になってしまう。
このままごろごろしているのも満更では無いのだが、どこか頭に『勿体ない』と言った考えがよぎり、このまま今日は寝ていようと踏ん切りがつかないままでいる。
…あーあ。面白い事、無いかなあっ! 投げやりにテレビをつけるためリモコンを手に取った、その時だった。
『なら、ゆっくりしていけばいいですよっ!』
「!?」
「久しぶり、おねーさんっ! 元気にしてた?」
「…さなえっ!」
昔、田舎にいた頃に一日だけ触れ合ったゆっくりが私の家に遊びに来てくれたみたいで、いや、いつの間に現れたのか相変わらず謎の多い生き物だけど!
ゆっくりさなえが来てくれた事実に思わず涙を禁じえず、私は泣きながらさなえを抱き締め、もう離さないと強く強く頬擦りをする。
「ゆうっ、おねーさん、んんっ! 嬉しいですけどっ、東京は、何も『娯楽』だけでは無いんですよっ!」
「…へ?」
さなえが何やらすっとんきょうな事を言い始める。しかし、何やら重要な事の様な気がしたので私は黙って聞く事にした。
「…ゆはぁっ。もう、おねーさんったら強く抱き締めすぎですよっ!
いいですか、何も東京はおねーさんの思っている様な『無機質』なものの集まりじゃあ無いんですっ!
東京にだって『文化』があって、その派生した延長線におねーさんが日頃うんざりしているサービス、娯楽があるんですっ!
文化があるという事は『名物』があるという事! 名物というものはその地域の文化に触れ合いながら直接味わうというのが一番美味しく頂ける方法なのです、わかりますね!?」
「は…、はぁ」
さなえが顔を真っ赤にし、息を切らしながら私に大演説を繰り広げる。
私は何の事を言っているのかさっぱりわからなかったが、圧倒されてはいと答える以外に何もなかった。
「なら、そういう事ですっ! 時は金なりと言いますし行きますよっ、おねーさんっ!」
「…はい、え、あれ? さなえは何で私の財布をくわえながら私の体を押しているの、あれれ?」
「なーにをとぼけてるんですか! そんなの、町めぐりに決まっているでは無いですか!
さあ、早く、早く!」
さなえがその小振りの体付きからは想像できない様な力で私の背中を押してきて、とうとう玄関にまで押されてしまった。なんという!
「待って、ちょっと待ってよさなえ! 私給料前でお金ピンチだし、引っ張らないで、あ~れ~!?」
…そのまま、私はさなえに引きずられるまま外へと出てしまったのであった。
☆
「…」
「やって来ました、浅草ですっ♪」
私とさなえは今、雷門の前に立って通りすがりの人に記念撮影をして貰っている。パチリ、とインスタントカメラのフラッシュが一瞬だけ私の視界を白く染め、通りすがりの人にお礼をしてカメラを受けとる。
「嬢ちゃん、何だか呆気にとられた顔をしていたぜ?」
「…はあ、すみません」
「そうですよ、おねーさんっ! 折角浅草に来たのにそんな表情でどうするんですか!」
「いや、だって、ねえ。いきなり電車に押し込められたと思ったら…」
さなえの行動力はすざましいもので、気が付いたら電車に揺られていて、気が付いたらすでにここに立っていたのだ。呆気にとられないでいる方が難しい。
「…でも、折角浅草に来たんだしね。さなえのいう通り、楽しみますか!」
「おう、浅草を楽しんでいけっ!」
通りすがりの人との挨拶もそこそこに、通りすがりの人はすぐに人混みに紛れてどこかへ行ってしまった。
何だか、昔の江戸っ子みたいにさばさばした人だったなあ。好い人だった。
「それにしても、浅草かあ。何だ間だで来たことが無かったなあ…」
「ゆっ! 浅草は昔から観光地と呼ばれいて、なんと1400年もの歴史があると言われているんですよっ! 有名なのはカラクリ時計や人力車、浅草寺などですね!」
「へえ、そうなんだ! 前々から観光地とは知ってたけど、そんな昔からの歴史があるなんて、知らなかったなあ…」
「ゆふんっ! リサーチ済みのさなえに隙はありませんっ!
…しかし! おねーさん、さなえたちは観光を目的だけに浅草に来た訳では無いのですっ!」
「うーん、他に何か?」
「もちろんっ! 『食べ物』ですよ、おねーさんっ!!!」
さなえが今日一番の大声で私に告げる。さなえの目は、今にも光りだそうと言わんばかりに輝いている。
…なるほど。何故、さなえがあそこまで熱弁していたのか、謎が解けた様な気がした。
「…要するに、さなえは文化と触れ合うのを名目に美味しいものをいっぱい食べたいのね?」
「…ゆ゛っ! …ゆふふ♪」
さなえはばれた! と言わんばかりに体をびくつかせて動きを止めさせたが、すぐに少し照れ笑いをしながら舌をペロリと出して私に笑いかけてきた。
もちろんその仕草が私にとってツボに入らない訳が無く、気が付いたらさなえにホイホイ誘導されるがままに人形焼き屋さんの前に立っていたという訳だ。
「ゆうぅ~ん、甘い匂いがさなえをそそります…♪」
さなえが体をよじらせながら、買って欲しそうに目を潤ませて切なそうに私の顔を覗きこんでくる。
はいはい、そんな表情をされたら買わない訳にはいかないじゃない。私は懐からなけなしの野口を一枚差し出して14個入りのあん入り人形焼きを購入。
私が人形焼きを買った後に後ろからどっと人が押し寄せて来て、瞬くまに行列が出来てしまった。さっさと買って良かった。
袋の中を開けてみると、中には小粒の人形焼きがずらり。あんの甘い匂いが鼻をくすぐって、心地好い気持ちになる。
「ゆうっ! さなえ、食べたいですっ!」
さなえが今にもかぶりつきそうな位に袋に視線を注目させている。食べ物でじらすのはどうかと思うし、私は素直に人形焼きを一つ摘んで、さなえに食べさせてあげる。
ちなみに、今摘んだ人形焼きの柄は五重塔で、粗いものの良く出来ていて食べさせるのを躊躇してしまうものだった。
「はむっ、はふっはふ、…しあわせ~!!!」
さなえが歓喜の声を上げている。私も一口ちょうちんの人形焼きを摘んで口に入れると、最初に感じたのは出来立ての人形焼き特有のほくほくした熱とほのかに塗られたはちみつの味だった。
生地はうっすらとあんを包んでいるだけの様で、人形焼きを奥歯で少し噛むとすぐにこしあんの味が口内一杯に広がった。
私が今まで食べてきた甘食の中でもとても美味しいもので、いつまでも噛んで味わっていたかったけどすぐにあんの味が消えてしまい、口内がなんだか物寂しくなった。
「ゆう、美味しいけどすぐに無くなっちゃいますね」
さなえが寂しそうに私に話しかけてくる。確かにすぐに無くなってしまうが、袋の中にはまだまだ人形焼きが残っている。あったかい内に食べよっか! とさなえに告げて摘んで食べさせていたら、瞬くまに人形焼きが無くなってしまい袋の中が空になってしまった。
「あっちゃ~、もう無くなっちゃったかあ。でも、店には行列が出来てるしなあ、どうしよう」
「ゆっ! それなら、次のお店に行きましょう!」
さなえがそれならばとぴょんぴょん人混みを掻き分けて進んで行くので、私ははぐれないように急いでさなえを追い掛ける。
さなえが向かった先は、まさに浅草名物とも言えるお店『亀十』だった。
「ゆっ、ここです! このお店の名物の『どら焼き』が、とても美味しいのですよ~!」
「なるほど、亀十だったんだ。このお店は何回かテレビのバラエティ番組で見たことがあるんだけど、凄い行列ね…」
店の近くは愚か、なんと歩道にすらズラア~っと行列が並んでいるのだから驚き! 店の前には行列対策に一応映画館などのチケット購入所で良くみられるしきりが置かれているが、余裕で許容量をオーバーしていてその役目を果たせていない。
確かにこのお店のどら焼きは魅力的だけど、並ぶとなるとざっと30分は覚悟しなければならないだろう。どうするか…!
「ゆっふっふ。おねーさんっ! 先程も言った通り、リサーチ済みのさなえに隙はありませんよっ!」
そう言ってさなえが私に差し出したものは、な、なんとどら焼きっ!
一体、どうしたことか!
「ゆふふっ! この東京で、常識に囚われてはいけないのですよっ!」
さなえが食中毒にでもあったのか様な事を言っているが、きっと失恋でもしたのだろう。些細な事だ。
ともかく、ほくほく顔のさなえからどら焼きを一つ貰い、口の中に含む。
パンケーキの様な、しっとりと、それでいてふんわりとした雲の様な繊細な食感が私の口内を包む。そのままパクリと一口かじると、舌の上ですぐにとろけてしまう粒あんが私を待ち構えていた。
…美味しいっ!
「ゆぅ~ん、しあわちぇ…」
さなえも一口かじる度にどら焼きの虜になっているみたいで、美味しそうに頬を震わせている。
うーん、かわいいなあ…!
「…ふう、ご馳走様。お腹は膨れたけど、なんだか口の中が甘ったるくなっちゃったかな」
「…ゆっ! なら、メインディッシュと行きましょうか!」
「え? まだ、行くところがあるの?」
「もちろんですっ、おねーさん!」
『浅草もんじゃですよっ!』
咲夜メモ
色んなお店があるが、概ね味・触感共に変わりは無い。
形の種類は五重塔から可愛らしい亀のものまで様々。味の種類はこしあんと粒あんがあり、大体粒あん。
私が買った人形焼きはこしあんの一袋1000円で14個入。
亀十さんは人気のお店なので、ピークの時間には一時間並ぶことを覚悟しなければならない。
一個210円で、味はまさにどら焼きの高級お菓子。市販のものとは当たり障りも後味も違う。
続く!
このシリーズは続き物にするつもりで、咲夜さんとさなえちゃんに転々と色々な所へ行かせるつもりです。よろしくお願いします。
早苗ちゃんの人
- この咲夜さんは紅魔館のメイド長とは同姓同名の別人ってことでおk? -- 名無しさん (2009-03-15 22:44:25)
- うーん、特に考えていません。咲夜さんとさなえちゃんが好きなので、出してあげたいと思いました。 -- 名無しさん (2009-03-15 23:29:59)
最終更新:2009年03月17日 06:44