選挙が始まるとよく公明党を宜しくお願いしますという言葉を聞きます。中には普段連絡をとってない小中高校の同級生から突然電話があったりしてびっくりした経験をおっている人も大勢居ることでしょう。この言葉を言う人たちはどういった人たちなのでしょうか?政党の政治理念に共感し、少しでも世の中を良くしていこうという人たちでしょうか?答えは創価学会という宗教団体の会員達です。
特定の宗教団体の信者が、特定の政党のために政治活動をする。宗教活動と政治活動がなぜ結びつくのかということに疑問を持っている人は多いと思います。
ここではこの2つがなぜ結びつくのか?ということについて少し説明しましょう。
特定の宗教団体の信者が、特定の政党のために政治活動をする。宗教活動と政治活動がなぜ結びつくのかということに疑問を持っている人は多いと思います。
ここではこの2つがなぜ結びつくのか?ということについて少し説明しましょう。
公明党は昭和39年に創価学会を支持母体として結党された政党です。余談ですが、公明党の名前の由来は池田氏が三国志好きというのもあり、三国志の諸葛孔明から取ったという説があります。
結党時、王仏冥合、それにともなう国立戒壇建立、仏法民主主義という独自の宗教色の強い理念を打ち出しておりました。
国立戒壇などは呼び方から国が建てる戒壇なので明らかな憲法20条違反なのですが、そのことを共産党から指摘されると、学会がこの時期に起こした言論妨害事件による世論の反発もあり、公明党はこの主張を撤回し、今のような福祉や世界平和等を理念とするようになりました。また、共産党から国会で憲法違反を追及されそうになったこの頃、共産党の状況を探るために共産党の幹部宅を盗聴するという事件を起こしています。当時の学会が政党を作り国政に参加した理由はこれらの理念を実現するためでしたが、まあ、これは建前ですね。
結党時、王仏冥合、それにともなう国立戒壇建立、仏法民主主義という独自の宗教色の強い理念を打ち出しておりました。
国立戒壇などは呼び方から国が建てる戒壇なので明らかな憲法20条違反なのですが、そのことを共産党から指摘されると、学会がこの時期に起こした言論妨害事件による世論の反発もあり、公明党はこの主張を撤回し、今のような福祉や世界平和等を理念とするようになりました。また、共産党から国会で憲法違反を追及されそうになったこの頃、共産党の状況を探るために共産党の幹部宅を盗聴するという事件を起こしています。当時の学会が政党を作り国政に参加した理由はこれらの理念を実現するためでしたが、まあ、これは建前ですね。
上で書いた理念を実現することが建前ならば、本音は一体どこにあるのでしょうか?それは、量らずとも第三代会長である池田氏が直接述べています。その発言を少々見てみましょう。
「広宣流布(池田のいう広宣流布とは、国民のほとんどが学会員となる状態)の時には、参議院議員、衆議院議員もいてさ、皆な財布の中には少なくとも10万や20万入れて、洋服も月賦じゃないの着てさ、ひとつ国会議事堂やプリンスホテルや帝国ホテルで会おうじゃないか。要所要所を全部ね、学会員で占めなかったら広宣流布できゃしませんよ。ひとつ天下取るまで諸君は大事な体だから、うんと修行していきなさいよ」(「聖教」昭和32年9月6日)
「目立たないように枝を伸ばし、産業界に網の目を張りめぐらして、最後に総合商社を作って決戦だ。(中略)中曽根康弘は心配ない、こちらの小僧だ。総理大臣になりたいと云っていたので、よしよしと云っておいた。ケネディきどりだ、坊やだ」(第6回社長会=昭和42年11月25日)
「警察だって、動かしているのは竹入・井上だよ」(第13回社長会=昭和43年7月8日)
「竹入に、今まで以上に王仏冥合。政教一致でゆけ、と云おうか。(中略)ざまあ見ろ、と云うには10年かかるな、でもやろうよ」(第34回社長会=昭和45年5月5日)
「私が教わったのは帝王学だ。私は最高権力者になる。そのときには創価学会を解散してもいい」(『現代』昭和45年7月号)
「天下を取れることが少し私には見えて来た。天下を取らない党なら、やる必要はない。私がひかえているから心配するな」(公明党議員との記念撮影=昭和51年11月16日)
公明党とはつまり、全ては池田氏の天下取りのための私党ということですね。創価学会という団体自体、この天下取りを縦軸として考えると良く理解できます。すなわち公明党を含めた一つのシステムです。天下を取るためには政治に介入するのが最短コースなので、創価学会は選挙活動にあれだけ熱心になるのです。
参考:王仏冥合とそれに伴う国立戒壇論
日蓮正宗には”国立戒壇論”という考えがあります。もともとこの考えは、戦前の同じ日蓮宗系の国柱会を創設した田中智学によって提唱されました。有名な国柱会関係者に石原莞爾陸軍中将や宮沢賢治などがおり、また、戦時中の思想面に大きな影響を与えました。この国立戒壇とは簡単に言うと、王法(天皇)と仏法(日蓮宗)が結びつき(王仏冥合)、その象徴として天皇が建立する戒壇(本尊を安置する場所)のことです。