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kagomori

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「偽物です」
 ずらりと並べられた絵画の数々。状態の良いものもあれば、あきらかに修復が必要なものもある。共通しているのは筆遣いと色彩感覚。素人目にもそれは一人の画家が描いたものだと分かる。それがすばらしくうまいということも。もう少し知識がある人間ならば、その画家の名前すら出てくるだろう。
「はっ……馬鹿なことを言うな。これらはすべて最新の科学鑑定を」「フェルメールが天才と言われるのはその構図の美しさや人々の暮らしを描いた技術もさることながら、細密な絵画とは思えないほどタッチが大胆であることです」
 幾人もの中高年の男女がいる中でもっとも年若い少女は、そう答えた。そして、手袋をつけた手で、一枚だけ平置きで台に置かれている絵を横から覗き込む。
「角度を変えてよく見てください。フェルメールのタッチとはまったくことなります。細かすぎるほどに細かく、丁寧な筆遣いですよ」
 誰も声を発しなかった。誰もが茫然と少女を見つめる。そして絵に視線を落とす。誰も確かめようとはしないのは、確認しなくとも彼女がそういうのならそうであることが分かっているからだ。
「ですが、複製画だと思えばこれほどの完成度のものはまずありません。贋作として販売するならばかならず欲しがるひとが出てきますよ。資産価値は本物の四割と言ったところでしょうか。状態もまずまずですし、これほどの完成度の品を作るには相当な腕とお金がかかります。複製画としては異例の高値がつくかもしれません」
 それだけ告げると、少女はさっさと荷物をまとめ始めた。作品の鑑定は済んだし、金は前払いでもらっているので、帰らずにいる理由がない。背中がそう物語っている。
「では、もし修復する必要ができたならばまた私にご連絡を。いつでも参ります。別料金で」
 少女の姿が消えても、誰も声を出さなかった。


**


 第三次世界大戦。今ではもう遥か昔の事になりつつあるその大戦は、世界から国という国を消し去ってしまった。ついでに世界の人口のかなりの数と人類の様々な財産をぶち壊して戦争は終わった。そして壊されたのは古い慣習や街並みだけではない。過去の美術や芸術も少なからず犠牲になった。
 今の世界においても絵画や骨董は大きな価値を持つ。皮肉にも第三次世界大戦により数多くの財産が失われたことでそれらは貴重さを増した。裕福層はステータスとして、愛好家は趣味で、学者たちは人類の英知の一部として、企業家は投資の対象として骨董を求める。だから優れた鑑定士や修復師は、今の時代においてもなくてはならないエキスパートなのである。その地位は、優れた学者と同等かそれ以上ともいわれる。
「で、私はその中でも世界で十指に入るとされるとてもとても有名な鑑定士なんだけど。分かってる?」
「分かってる。冷泉はすごい」
「分かっていますよ。神無さんは美の守護神なんですよね」
「分かってるなら目を見て話せ。そして武器を収めろ」
 旧東京に位置する東洋随一の学園都市、トランキライザー。そのウエストヤードの呼ばれる場所の中でも特に人が集まる地域に水葉庵はある。主人は鑑定士あるいは修復師として骨董屋美術の業界では知らぬもののいない英才・【アルヴィース(賢きもの)】冷泉神無。その二つ名は北欧神話に登場する神すらしのぐ技術力を持つという小人族に由来する。学園でもトップクラスの成績を誇る実力者である。
 その店舗では一番奥、店の主が座る席の目の前で二人の男がにらみ合っていた。正確には主の作業机を挟んでそれぞれ椅子に座ってお茶を飲んでいるのだが、その様子は少しも友好的ではない。相手から目を離さず、その手は武器にかかっている。
「言っておくけど、今使ってるマイセンカップは昔にキャンペーンの一環で作られたものでもう生産してないからね。セットで百万」
 二人の男は同時に茶器を置いて自分から離れた場所に移動させた。神無はため息をつく。
「戒さん、陽狩さん」
 名前を呼ばれ、片方は憮然として振り向き、もう片方は女性受けを意識したとろけそうな笑みを浮かべて振り向く。神無はこめかみに手を当てた。
「帰れ」
「っ、帰るなら陽狩のほうだ。俺の癒しの空間にこれがいるなんて我慢ならない」
「ここはお前の癒し空間じゃなくて私の店だからね」
 ぴしゃりと神無は言い切った。心なしか戒はがっかりした顔になる。陽狩はくすりと笑った。
「そうですよ。ここはお店です。私はたまに買い物をする立派なお客様です。ここにいて何の問題があるでしょう?」
「陽狩さんは存在自体が問題だと思うよ。二人とも、来るなとは言わないよ。でも殺気とか出されると商売の邪魔だし、気が散るんだよ。美形がいっぱいなのは嬉しいけど」
 余裕のあった陽狩の笑みがこわばる。陽狩は大きくため息をついた。
「私にそうも堂々と命令できるのは、貴女くらいですよ。まあ、命令されても聞きませんけど」「聞けよ」
 ぼそりと戒は呟いた。陽狩は無視する。
「いえいえ、本気で関心しているんですよ」
 女性なら何人でも騙せそうな艶のある笑みを浮かべて陽狩は言葉を紡いだ。
「学園でも両の手を使って数えるかどうかくらいしかいない、本物の殺人鬼を前にしても常変わらぬ態度を取れるあなたはとても貴重な人種だと思いますよ。抵抗できる力があるわけでもないのに恐れない。それが面白いから、まだ殺していないわけですが」
「やったら俺がお前を殺す」
 薄い笑みを張りつけて、二人の男はにらみ合った。
 【レッドラム(赤い羊)】法華堂戒。職業、ホームセンター店長にして総合製造小売業ブラックシープ商会幹部。かつて学園の夜を震撼させた元殺人鬼。幼少時代のトラウマと日々のストレスから、スラム街で人の腹部を引き裂いて殺害する通り魔事件を数年に渡り連発。ただし明確な証拠が発見されず、逮捕されることなく今に至る。現在は上司であり恩人であるエドワード・ブラックシープのもと真っ当に生きるべく殺人活動は停止し、驚異的な身体能力は護衛能力として生かされている。二つ名は血の海を作る凄惨な現場と残虐なやり口に由来する。
 【ヴァイスワーシプ(悪徳礼賛)】不死川陽狩。職業、掃除屋。表向きは万屋だが、本業は組織や個人から金を請け負って掃討作戦や暗殺を行う現役裏稼業。一見すると普通の好青年だが、悪事を好む傾向があり、殺人、強盗、詐欺など一通りの悪事はすべて経験済とされる。こちらも証拠がなく逮捕には至っていない。現在は相方である夏羽とともに、傭兵稼業や暗殺家業の傍らあちこちで悪事に加担している。女好きでもあり、結婚詐欺などをしていた来歴もある。
「うちの店で血を流したら怒るよ」
「おやおや。流れるのは貴女の血かもしれないと言うのに」
「…………」
「戒さん、武器から手を離して。陽狩さん、挑発しないで」
 二人の殺人鬼はいずれもたまたま神無の店を訪れ、何が気に言ったのかそのまま常連客として居ついている。そして、殺人鬼同士だからか単なる性格か、とても仲が悪い。
「戒さん、エドワードさんに言いつけるよ。陽狩さん、夏羽さんに電話するよ」
「…………悪かった。けど、陽狩のほうが悪い」
「止めてくださいよ。あの馬鹿は馬鹿なりに見境がないから、ヘタに呼ぶと殺されますよ? 折角、私が大事に生かして取っておいてるんだから勝手に死なないでください」
 文句を言いながらも、しぶしぶ戒は武器から手を離した。陽狩は嫌そうな顔で椅子に座り直す。
「まったく、久しぶりに学園に戻ってきたのにすぐこれだもの。二人とも黙って座ってれば見てくれはいいのに」
「すまない」
「有難うございます」
 戒は謝り、陽狩は礼を述べた。見事に分かれた反応に、神無の頭痛は増す。
「陽狩さんはもうちょっとネガティブになってもいいと思う……」
「その自信満々なところが格好いいってよく女性には言われるんですが」
 憂いを帯びた顔で、陽狩はため息をついて見せた。だが、神無には通じない。なぜなら彼女は非常に面食いだが、その面食いの意味は彼氏にしたいとかではなく芸術的に見て美しいものを大事にするという意味での面食いだからだ。
「陽狩、自重しろ。いつか刺されるぞ」
「刺しに来た人は幾人かいらっしゃいますが、刺せた人はいらっしゃいませんよ。それに男なんてそんなものでしょう。隙があれば出撃体勢ですよ」
「お前は戦いすぎなんだよ。そのうち病気や女の両親とかと戦うことになるっても知らないぞ」
「そのような抜かりはありません」
 神無はため息をついて、見ていたカタログを閉じた。これから開催予定のオークションの目録だが、気が散って集中できない。
「………………二人とも」
「ん?」「はい?」「帰れ」
 神無は、二人の殺人鬼を店から追い出した。


**




 人の気配の消えた水葉庵は静寂に満ちている。気のせいか気温すら下がったような気がする。
 水葉庵を直接訪れる客は少ない。学園都市において骨董に日常的に接する必要性がある人間など少数派だからだ。代わりに右手においたパソコンには、世界中からオークションへの招待や修復の依頼、鑑定に関する問い合わせに不確かな美術品情報がメールで届いている。昔ながらに郵便で届けられるものも多い。特に招待状の類はアナログなものほど誤魔化しが効かないからだ。一つ一つ確認して、不要なものと必要なものに選別していく。存外にはやくその作業は終わった。まだ日は完全には落ちていない。
「…………買い物、行ってこようかな」
 空は燃えるような赤色。このあと紫色に変わり、紺になり、やがては闇に落ちる。だが、その前に買い物にいって帰ってくる時間くらいはあるだろう。
「から揚げ、食べたくなっちゃった。花花でお持ち帰りしようと」
 高級中華料理としても人気のある花花だが、実は小花という名前で一般庶民向けの格安中華料理店や出前も展開している。
 手早く身支度すると、神無はカピバラのポンチョとピローピロの頭を撫でて外に出た。


**


 風が強い。
 もともと建物が無秩序に乱立するウエストヤード中心部は建物のせいで妙な風が吹く。それを差し引いても風が強い。神無は目を細めた。伊達眼鏡に埃が付いて視界が悪くなる。今の時代、視力も瞳の色も自在に変えられるからコンタクトなんてするひとはまずいないが、昔は風が強いと目が痛くて大変だったという。
 通りを行く人も面倒くさそうに空を見上げて身をかがめる。スカートを押さえて毒づきながら歩く少女もいる。買い物に出たのは失敗だったかもしれない。そう思って苦笑した時、ふと影がさした。考えるよりも先に、反射的に前に跳ぶそしてわき目もふらずに走りだした。遅れてどさりと何かが落ちた音がする。人や石よりずっと軽いその音が、網の音だと神無には分かった。
「失敗した」「廻り込め」「地の利はあちらにある。奥に逃げ込ませるな!!」
 叫び声を聞きながら、神無は近くにあったゴミ箱を蹴り飛ばして上に跳んだ。違法建築同士をつなぐ飛橋に手をかけ這い上がる。そのまま、橋や看板の上を走りだした。ウエストヤードの住人はこの迷路のようなごちゃごちゃした街で、より効率的に移動するためによくこういう三次元ショートカットを試みる。失敗すれば運が悪いと死ぬが、慣れればかなり機動力が上がる。
 頬をかすめるように何かが飛んできた。咄嗟に横に跳んで避けながら確認するとゴム弾だった。神無は眉をひそめる。網もゴム弾もいけどりにするための道具だ。だが、そんなものに狙われる心当たりは―――――
「………………いや、あるね」
 神無――冷泉神無は修復師で鑑定士だ。その意味するところは、神無さえいればそれっぽい贋作をいくらでも真作として売りさばくことが可能だということだ。神無の技術は真作に近い贋作を作ることも、それを本物と鑑定することも十分に可能にするからだ。しかし、神無のコネクションを知っているならばそれが危険な行為であることも分かるはずだ。
「よほどの馬鹿か大物か」
 一瞬だけ思考がそれた。その瞬間、目の前に人が降ってきた。身体のぴたりとした黒い服の、あきらかにプロと分かる人間だ。悲鳴を上げる暇もなく、腕を掴まれ口を塞がれる。ばらばらと数人の男女が集まってきた。
「捕まえたか」「撤退するぞ」
 周辺の住人も異常に気付いたらしく窓や建物の影から視線を感じる。だが、表だって止めるようなお人よしはいない。ひょっとすると通報くらいはしてくれているかもしれないが、間に合わないだろう。
 全力で暴れても人海戦術には敵わない。飛橋からひきずりおろされて近くに止まっていた何の変哲もないワゴンに押し込められる。知人たちを店から追い出したことを神無は少し後悔した。その時、神無の口を塞いでいた男が横殴りに吹っ飛んだ。
「………………へ?」
 反応できなかったのは神無だけではなかった。続いて足を押さえていた男が車外に引きずれ出され、応戦しようと銃に手を伸ばした男が中を舞う。一方的な暴力を経て、乗り込んできた相手を見て神無は目を丸くした。色々な意味で。
「……………………夏羽さん?」
 陽狩とコンビで仕事をしている学園有数の殺人鬼、不死原夏羽が不機嫌そうに立っていた。彼が不機嫌なのは珍しいことではない。彼が他人を助けるという前代未聞に近い事態もそれほど問題ではない。問題は別のところにあった。
 彼の額にはそれこそ何かの漫画のように第三の目(らくがき)が開眼していた。
「…………」
 意味が分からない。神無はマジマジと夏羽を見つめた。視線を感じて夏羽の悪い機嫌はさらに悪くなる。
「冷泉……」
 唸るように夏羽は神無を呼んだ。何か彼にしただろうかと神無は真剣に考える。
「…………助けてくれてあり」「陽狩のくそ野郎がどこにいるか教えろ!!」
 すべての事項に合点が言った。神無は引きつった笑みであいまいに頷いた。おそらくこういうことだろう。つい先ほどまで水葉庵に居座っていた陽狩は出かけ前に昼寝かなにかをしていた夏羽の顔に落書きをした。それも多分、特殊なインクで。水や石鹸では落とせないペイントというのもこの学園では普通にある。きっとあれもエンジェルエッグとか無名庵が販売している、特殊なクレンジング剤が必要なインクだろう。そして、目覚めた夏羽は落書きにマジギレ。陽狩を探して、居場所を知っていそうな神無を追ってきた。結果として誘拐されかけていた神無を発見し、邪魔な奴ら=誘拐犯を倒した。
 とても納得いく展開だった。
「……一時間前まではうちの店にいたけど、戒さんと喧嘩しそうだったから追い出したよ」
「本当だろうな?」
「すごまなくても本当だよ。今は……多分、クラブにいるんじゃないかな? あと」
 遠慮がちに神無は夏羽を見た。
「その落書き、消したほうが……」
「消えねえんだよ!!」
「特殊なボディペイントだと思うから、多分エンジェルエッグか無名庵に行けば消してくれるはずだよ。どっちもそういうのは得意分野だもの。もし出入り禁止喰らってるとかいうなら、せめてバンダナで隠すとか……」
 思いつかなかったらしい。神無の指摘に、夏羽は沈黙した。そして、
「それくらい知ってる! 俺は一刻もはやく陽狩を殴りたいだけだ!」
「そう…………」
 思い至らなかったんだな。神無はあいまいな笑みを浮かべた。


2へ続く
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