ギリギリ、と軋み、捩れる。
ガリガリ、と削り取られる。
歯車を摩耗させながら、脳内時計は時を刻む。
妄信的に、望まれた結果のためだけに、動き続ける。
噛み合ったパーツの間に違和感が挟まろうとも、その結果として致命的な綻びが生じたとしても。
歪みに気づくことのない精密機構は、空虚な妄執を抱えたまま、ただ無機質な稼働を繰り返し続けている。
*
深夜、森の奥深く。
幾重にも広がった樹冠が夜空を塗り潰し、まるで悪夢から逃さぬように世界を閉じ込めているようだった。
その自然の牢獄を、軍服姿の少女が一人、とぼとぼと頼りない足取りで歩いていた。
「現実、なんだよね……? ベリアルが言っていたことも、目の前であの子が……殺されたことも」
少女――メアリー・スーの唇から溢れたのは、いまだに現実を拒絶しきれない、縋るような独白だった。
歩みを進めるたびに思い浮かぶのは、ねっとりとしたベリアルの宣告。そして果敢に立ち向かうも無残に散った少女剣士の姿。
暗黒空間の惨劇を目の当たりにし、自分ができたことは何もない。
ティエレンホーフ市で「ラインの悪魔」を追い詰めた時のような復讐の炎はかき消され、あの瞬間、彼女は死に怯えるだけの無力な子羊になり下がっていた。
今も辛うじて正気を保っていられるのは、支給品の中にあったM1ガーランドーー愛用していたものとそっくりな小銃が手元にあること。そして。
「どうしたのさ、スー。早くしないと置いてっちゃうよ~」
「あ、ごめんね、アン。ちょっと考えごとしてたの」
心配したのか、先を進んでいた緑髪の妖精がパタパタと翅を羽ばたかせながら戻ってくる。
彼女の名はメアリィ・アン。森に転移した直後、不安と恐怖で立ち竦んでいた自分に声をかけてくれた、唯一の味方だった。
ヘッドドレスに緑のレオタード。翅で空を飛ぶ幻想的な姿に最初は戸惑ったものの、互いに「スー」「アン」と呼び合えるほどに打ち解けるのに時間はかからなかった。
「それにしてもさ~、そっちの世界は大変なことになっているみたいだね。悪い帝国と戦争なんて、スーはイヤにならない?」
「……正直なところ、とても嫌だよ。でも、それ以上に帝国が許せないんだ。アンのほうも大変じゃない? 故郷がめちゃくちゃにされて、恋人のグリムさんとも離れ離れになるなんて……」
ふいに漏れた言葉に、アンの顔に一瞬だけ寂寥感がよぎったように見えた。スーはハッとして息を呑む。
出会ったばかりの彼女に、なんて無遠慮なことを。
後悔に沈むスーを気遣ってか、アンは「気にしてないよ」と、どこまでも明るい聖母のような笑顔を向けた。
「今は大変だけど、ボクは大丈夫! あと少しで、ぜーんぶ解決できそうなんだ♪」
天真爛漫な笑顔。その光のような明るさが、血腥い森の中では唯一の救いだった。
「そう、なんだ。良かった。だったらなおさら、二人で元の世界に戻らないと――っ!」
「どうしたの? 急に」
立ち込める、どろりと重い死の匂い。
足を止め、震える手で数メートル先の茂みを指差す。
アンは不思議そうに首を傾げながら、スーが示す暗がりへと目を向けた。
「あ、あれ……アン……見て……!」
「あっちに何があるのさ。教えてよ」
「し、死体が……! 誰か……殺されて……っ!」
「――わかった。ボクがちょっと見てくるね!」
言い切るより早く、アンは蜻蛉のような素早さでその「亡骸」の方へと飛んでいった。
スーが追いついたとき、そこには無残に腹を裂かれ、内臓をぶちまけた女性が横たわっていた。
「……ごめん、ちょっと、正視できなくて……」
「……うん、無理しないで。気をつけてね、アン」
アンは手で口を覆い、肩を震わせながら少し離れた草むらへと顔を背けた。
心優しい妖精の彼女には、この光景はあまりに毒が強すぎるのだろう。ちらりと見えた彼女の瞳には、涙のような光るものが溜まっていた。
スーも吐き気をこらえ、死体の検分を始めた。
ここで下手人の手がかりを掴まなければ、アンのような善良な人々までもが悪人の魔の手にかかってしまう。父のように、弱き人々の盾になるために。
(胸からお腹の下まで、真っ直ぐに切り裂かれた大きな傷。刺し傷も酷い……なんて、なんて惨いことを……)
殺し合いに巻き込まれ、どれほど怖かっただろうか。
膝をつき、両手を組み、敬虔な信者として女性の安寧を祈る。
しかし、この「蒼穹の地獄」に神の慈悲などない。
少女の祈りを嘲笑い、死者の尊厳を冒涜するかのように、毒々しい色の夜霧が辺りに立ち込め始めた。
「がはっ、ごほっ……! ど、毒ガス……!?」
肺を焼くような異臭。視界が急速に紫に染まり、喉の奥が引き攣れる。
恐怖で震える頭に、合衆国軍のマニュアルが断片的に響く。
『ガスに遭遇した際は、直ちに姿勢を低く保ち……防護装備がない場合は布で……』
震える手で小銃を握りしめるが、魔力回路は沈黙したまま。奇跡は起きない。
魔導式を発動させるための演算宝珠がない今のスーは「守られるべき子供」でしかなかった。
魔導式を発動させられなくても軍人としての責務を果たさなければ、神の御許に召された父に、祖国で帰りを待つ祖母と母に、顔向けができない。
軍服の袖を引き千切るように口に当て、毒霧の中を泳ぐようによろめきながら、「悲しみに暮れる友」の待つ草むらへと進む。
「待って!」
言葉を遮るようにアンの鋭い叫びに、草むらに向かっていたスーの歩みが止まる。
顔を強張らせて立ち竦んでいる友の細腕を掴んで引き寄せ、この場から一緒に離脱しようと促す。
「早く逃げよう、アン……!ここを離れないと毒に……!」
「……分かってる、分かっているよ。でもあいつが……赤いあいつが近くに……!」
「赤い……?」
アンの言葉にスーの頭の中に疑問がよぎり、アンの腕を掴んでいた手がほんの少しだけ緩む。
視界を覆う紫煙が一層濃くなり、夜の色が一層強まったように感じた。
ーージャリ、ジャリ。ぐちゃ、ぐちゃ。
何かが擦れる音と何かが潰れるような音が聞こえてくる。
それはゆっくりと、確実に少女たちのもとへと歩み寄ってくる
メアリー・スーとメアリィ・アン。寄り添いあう二人の少女たちに向けた殺気が。
這い寄って、来る。
夜風が吹いて、濃紺の深淵が晴れる。スーの認識が音の主を捉えた。
それは、巨大な血のように赤い毛皮の獣。しかし、その姿はどこか異形だった。
狼のようでありながら、頭には紅いフードを被っており、その下から覗くのは人間のような金色の髪。
そして何よりも恐ろしいのは、その獣が咥えている赤みがかった肉切り包丁。短剣ほどの大きさにも係わらず、纏う雰囲気は異質であった。
ぐちゃり、と獣の蹄が最後の一歩を踏み出し、亡骸の胴を真っ二つに踏み潰す。蒼空を思わせるような双眸が少女二人を射抜く。
「荵�@縺カ繧翫�、繝。繧「繝ェ繧」繝サ繧「繝ウ」
獣の口から深い憎悪と憤怒を孕んだ唸りが発せられる。
戦場の血腥さとは違う種類の殺意——捕食者が獲物に向けるものと同質のものーーが向けられている気がした。
「……あ、あ……」
スーの喉から、声にならない悲鳴が漏れる。
その獣こそ毒霧を発生させた張本人であり、彼女たちを狩るために現れた、地獄の化身に違いなかった。
彼女は震える手で小銃を構えようとした。だが、体が恐怖で動かない。
「スー!早くーー」
「ーーえ?」
アンの言葉よりも早く、紅い人狼がスーに肉薄。引き金を引く直前で銃口が包丁でかち上げられる。
明後日の方向に飛んでいく銃弾。それを認識するよりも早く、人狼の蹄がスーの腹部を打ち抜いた。
かはっと空気が吐き出され、少女の矮躯が九の字に曲がり、地面を転がる。強烈な痛みに少女は兵士の命とも呼ぶべき銃を取り落とし、うずくまった。
武器をあっさりと手放し、判断も遅い。兵士の規定値すら満たしていない少女を人狼は冷酷に見下ろした。
痛みに呻きながら顔を上げるとそこには狂気と憎悪に満ちた……ような蒼い瞳が二つ。
「豁サ縺ォ縺溘¥縺ェ縺代l縺ー縺薙%縺九i蜍輔°縺ェ縺�縺薙→縺ュ」
呪詛か、怨嗟か。獣の口から発せられたのはまたしても意味不明の唸り声。
ジャリリと一歩、獣が踏み出す。その動きに合わせ、腰を抜かした少女も後ずさる。
きっと紅の人狼は、このまま自分を嬲り殺すに違いない。早く動かなきゃ、殺される。
だというのに、動けない。じりじりと掻き毟るような焦燥が「動け」と体に命じても、たった今刻まれた恐怖と苦痛が身体を縛り付け、己の肉体を拒絶する。
獣が口を開き、再び唸り声のようなものを発しようとした瞬間ーーー。
「《ソウルの——連射》ァッ!!」
勇ましい声と共に、紅の人狼(ビースト)目掛け、4つの光弾が飛んでくる。
獣は身を翻し、放たれた光弾全てを回避。スーの目の前が爆ぜ、小さなクレーターが出来上がる。
《ソウルの連射》らしき光弾を放った声の主——メアリィ・アンは瞳に激情を滲ませ、紅い獣を睨みつけていた。
「まさかお前も来ていてたなんてねェ……紅ずきん!!ボクのグリムを……ボクの物語(せかい)をメチャクチャにしやがったクソ女ァ!!」
「鄒ス髻ウ縺�縺�k縺輔>繧上�、鄒ス陌ォ。莉雁コヲ縺薙◎縺雁燕縺ョ荳九i縺ェ縺�迚ゥ隱槭r邨ゅo繧峨○縺ヲ繧�k繧�」
アンと紅い獣———紅ずきんの衝突は、もはや言葉を介する余地のない殺し合いへと変貌した。
「きひひひっ! 死ね死ね死ねぇ! ボクの邪魔をする奴は全員死んじゃえッ!!」
「繧ゅ≧縺>……縺励¥縺倥▲縺溘縺ッ縺薙%縺ァ谿コ縺!」
アンが放つ魔法の光弾が、夜の帳を暴力的な輝きで焼き払う。
対する紅ずきんは、その巨体からは想像もつかない速さで肉切り包丁を振るい、幾度となく迫る光の奔流を真っ向から叩き伏せる。
魔力と鋼鉄が衝突するたびに凄まじい衝撃波が巻き起こり、周囲の巨木が悲鳴を上げて折れ飛んだ。
その余波を至近距離で浴びるスーの身体は、逃げる間もなく木の葉のように翻弄され、何度も地面に叩きつけられた。
「……う、あ……っ」
視界は点滅し、世界がぐにゃりと歪む。激しい耳鳴りに思考を遮られ、アンの叫びも、獣の唸り声も、遠く離れた異世界の出来事のように感じられた。
内臓をかき回されるような激痛に耐え、泥を噛みながら顔を上げる。
炸裂する光弾の輝きに照らされ、ひび割れた視界の先にアンの表情が浮かび上がった。
憎悪。殺意。嫌悪。軽蔑。怨恨。あらゆる悪感情がミックスされた双眸は、ただ目の前の「紅ずきん」のみを射抜いている。
親しげに笑いかけてくれた同行者の安否など、その苛烈な怒りの炎の前には消え失せ、顧みる余裕さえないようだった。
(……紅、ずきん……?)
うっすらと遠のく意識の中、その名前だけがスーの脳裏に深く刻まれていた。
優しかったアンの故郷(せかい)を壊し、愛する人を奪い、鬼神に変えてしまった忌むべき邪悪。
「……あっ」
激突の余波で舞い上がった何かが、スーの目の前にひらりと舞い落ちた。
それは、獣のフードの隙間から零れ落ちた数本の髪――夜の闇でも隠しきれない、鮮烈な「黄金」。
その色は、かつてティエレンホーフの空で、そしてモスコーの地で、自分からすべてを奪い去った忌まわしき「ラインの悪魔」の色。
理不尽に平和を蹂躙し、父アンソン・スーの命を弄んだ、あの幼女の髪と同じ色。
「ーーーあ、ああ、ああああッ!!」
喉を掻き切るような絶叫が、深夜の森に響き渡る。
紅ずきんの金色と「ラインの悪魔」の金色。二つの黄金が完全に重なった瞬間、スーの視界はどろりとした憎悪の紅に染まった。
もはやそこに軍人としての理性など一片も残っていない。今この瞬間の彼女を動かしているのは制御不能な激情だった。
「……ろす……!殺してやる……!!お父さんの……皆の仇ィ!!」
激痛に震えていたはずの身体が、怨念にも似た活力で跳ね起きる。
泥を噛み、這いずるようにして手を伸ばした先には、愛用していたものと酷似したM1ガーランド。
指先に触れる冷徹な鋼鉄の感触が彼女の憎悪をいっそう激しく燃え上がらせる。
視界の先では、なおもアンと紅ずきんが人間業とは思えぬ速度で死闘を繰り広げていた。
光弾が炸裂し、肉切り包丁が大気を断ち切る苛烈な戦闘の渦中、背後で殺意を撒き散らす少女の存在など、二人にとっては考慮に値しない「背景」に過ぎなかった。
しかし、その事実こそがスーにとって邪悪を断つ最大の好機に他ならなかった。
重い銃身を震える手で支え、照準器(サイト)を覗き込む。
「死ね……。私たちの世界を汚す、悪魔め……っ!」
狙いは一点、激しく動き回る紅い獣の眉間。
悪魔をこの世から消し去るため、少女の細指が引き金を引き絞る瞬間。
蒼い瞳と、目が合う。
その瞬間、燃え上がるような憎悪が急速に氷結し、スーの思考は真っ白に弾け飛んだ。
軍人としての冷徹な狙撃ではない。恐怖と混乱に突き動かされた指が、己の意思を置き去りにして引き金を引き絞る。
乾いた破裂音と共に、獣狩りの弾丸が火を噴いた。だが、死を運ぶはずの鉛玉がその役割を果たす寸前、紅ずきんの巨体が揺らいだ。
足取りは軽やかに。
そう詠うようなステップで、獣は物理法則を無視した足運びを見せる。放たれた弾丸は無情にも空を切り、標的の背後へと突き進んだ。
標的を失っても、銃弾は止まらない。直線の死神が吸い込まれていく先には。小さく可憐な姿があった。
「―――アン!」
味方であるはずのメアリー・スーが放った、あまりに無慈悲な友軍相撃(フレンドリーファイア)。
その一発がメアリィ・アンの右肩を無残に撃ち抜いた。アンは短く、苦悶の悲鳴を漏らして体勢を崩す。
命綱であった光弾の嵐——《ソウルの連射》が痛ましくも霧散した。宿敵の動きが止まったその致命的な隙を、眼前の魔獣が見逃すはずもなく。
「く……あの役立た――」
「豁サ縺ュ縲」
後ろに飛んで躱そうとするも、負傷した身体では一歩遅い。
袈裟懸けに振り下ろされた冷徹な刃が噴き出したアンの鮮血によって深紅に染まり、彼女の小さな身体を地面へと叩き伏せた。
「は……早くしなきゃ……! で、でないとアンが……っ!」
眼前で繰り広げられる惨劇。自らの弾丸が友を窮地に追い込んだという恐慌と、焼けつくような罪悪感。
思考を塗り潰すパニックの中、スーは視界を涙で滲ませながら銃を構え直す。
だが、照準が再び紅ずきんを捉えたのも束の間。銃口を向けるスーへ獣の毛むくじゃらの手が向けられ、アイスブルーの魔力が凍てつく輝きを放つ。
弾丸が放たれるよりも早く、その掌から冷気を纏う氷の塊が、明確な殺意を伴って射出された。
「きゃあああっ!!」
放たれた氷弾は四つ。咄嗟に地面へ滑り込むようにして回避を試みる。しかし、演算宝珠の加護なき身では、人智を超えた魔術を避けきることは叶わない。
回避しきれなかった塊の一つが、逃げ遅れた彼女の右足を無残に撃ち抜いた。
今度はアンだけでなく、自分も「獲物」として標的にされた。
足の凍傷が、そして引き裂かれた肉の感覚がじくじくと、しかし鮮烈な痛みを伴って彼女の正気を削り取っていく。
それは、改めて自分たちが「殺し合い」の渦中にいるという冷酷な事実を、非力な少女に突き付けるものだった。
「スー、大丈夫!? 足が……あぁっ、なんてひどいことを!」
倒れ伏すスーの元へ、アンが傷ついた翅を必死に羽ばたかせながら舞い戻ってきた。
鮮血を流しながらも、彼女は献身的にスーの身体を抱き起こす。その瞳には、自分の傷よりもスーの容態を案じているような悲痛な光が浮かんでいた。
「ご、ごめんなさい、アン……! 私のせいで……!」
「いいの、謝らないで! ボクが油断しちゃっただけだから……。さあ、立って。一緒にここから逃げよう?」
アンの細い腕が、震えるスーの身体を支える。その暖かさは、死の恐怖に支配されかけたスーにとって唯一の救いだった。自分を撃った愚かな人間を見捨てず、共に歩もうとする心優しき友の姿が眩しくて、少女の頬に涙がつたう。
二人が寄り添い、立ち上がろうとしたその時。ジャリ、と死神の足音が重く響く。
夜闇を背負い、影を踏みしめながら、紅い獣がゆっくりと歩を進めてくる。
獣臭を吐き散らしながら、意味不明な唸りを紡ぐ。
「■■■■■■■■■■■■。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■。」
ぽたり、ぽたり。
一歩ごとに刃から血雫を滴らせ、足元の砂利を濡らしながら、恐怖を煽るように迫る。
人狼と二人の少女。その距離が十数メートルまで縮まった時、獣の歩みが止まる。
「■■■■■■■■■■■■。
■■■■■■■■■■■■■■■■。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■。」
鋭い眼光を向けながら、紅ずきんは人の理解の及ばぬ言葉を撒き散らす。
その呪詛にも似た呻きが意味するのは警告か、あるいは怨恨か。スーの脳が受理を拒む異質の言語。
「あの……紅ずきんはなんて言っているの……?」
「……さあ。嘘で塗り固められた戯言なんじゃないかな?」
怯えながら疑問を投げかけるスーと、嫌悪を露わにして答えるアン。
二人の対話が癪に障ったのか、紅ずきんは「はぁ……」と苛立たし気に息を吐いた。
「ーー■■■■■■■■■■■■■■■■■■」
喉を鳴らしながら、血濡れた刃を向ける魔獣『紅ずきん』。
逃がさない、とばかりに先程とは比べ物にならないほどの殺意が膨れ上がる。
「スー、ボクの陰に隠れて。ボクが……ボクが盾になるから……!」
アンは体を起こし、健気にもスーを背負うようにして前へ出た。
「で……でも、アン……!傷が……!」
「だいじょーぶ!あいつが訳の分からないお喋りをしているうちに魔法で治したからっ」
心配ないよ、と言わんばかりにスーに向けてアンはウインク。
注意深く見れば、袈裟懸けの斬撃も、スーの誤射による弾痕も、いつの間にか跡形もなく消え去っていた。
その奇跡的な回復に安堵しつつも、スーには友を見捨てて逃げるという選択肢など存在しなかった。
「だ……ダメ……!で、出来ることがあるはずだから、私もここでーー」
「いや、だからーー」
足の痛みを堪え、恐怖で震えながらも銃を構えようとするスー。それをアンが押し留めようとしたその時。
敵前で繰り広げられる「友情ごっこ」を、血に飢えた獣が見逃すはずもなかった。
仕掛けてこないと見るや、紅のビーストは片腕に魔力を滾らせ、一瞬で肉薄する。
「ーーーあ」
振るわれる赤刃。瞬く間に命を刈り取るであろう死神の鎌が、極限状態のスーの瞳には、ひどく緩慢な速度で迫ってきているように見えた。
滾る魔力。迫りくる包丁。それに合わせてのろりと動き出す、アンの背中。
その背は、力なきスーを守護るために動いたのか、それとも――。
だが、その刃が少女の小さな身体を切り裂くことはなかった。
轟、と爆裂音を轟かせ、周囲の木々をなぎ倒しながら、純白の魔力を纏った「何か」が突撃してきた。
流星のごとき速度で飛来したそれは、紅ずきんが反応するよりも速く、その勢いのまま獣の巨体を真っ向から跳ね飛ばす。
凄まじい激突の余波に、アンとスーの身体も木の葉のように吹き飛ばされた。地面を幾度も転がり、口の中に砂の味が広がる。
「……っ、あ……」
スーの視界の先、もうもうと立ち込める土煙の向こう側には、自分たちを背中で守るように立ち塞がる「影」があった。
土煙の隙間から時折覗くのは、白銀の輝きと、汚れなき純白の揺らめきだけであり、それが何者であるのかは確認できなかった。
その影は紅ずきんと同じく人の理解を及ばぬ言語を、しかし先ほどの獣とは対照的な、どこまでも清冽で慈愛に満ちた響きを伴って紡いだ。
「——■■■■■■。
■■■■■■■■■■■■?」
*
「ーー貴女の持つ得物、それは剣の類かしら?」
少女たちの無事を確認したのも束の間、激突で吹き飛ばした参加者ーー紅いフードを羽織る黒いボンテージ姿の少女が片手に血濡れた肉切り包丁を携えて戻ってきた。
昏く淀んだ碧眼は、白い軽鎧を身に身に纏う金髪の少女——アルトリア・ペンドラゴンの若き姿(リリィ)と、背後で寄り添う二人の少女を射抜いている。
「……さあ、どうでしょうか。戦斧かもしれませんし、もしかすると弓かもしれませんよ?
それより、貴女は殺し合いに乗っているんですか?ベリアルが言ってた願いを叶える権利のために」
不格好ながらも、未来の騎士王(じぶん)のように不敵に笑い、風の鞘に包まれた「それ」を構え直す。
激突をしなやかなに受け流して衝撃を軽減する体捌きや隙を一切見せない立ち振る舞い、そして鋭く洗練された殺意が、紅フードの少女が紛れもない強者であることを感じさせる。
アルトリアの問いに紅い少女は「ふっ」と鼻で笑う。
「後ろの羽虫共とは違って、話が通じるみたいね。
私の目的は元の世界に戻ることだけ。殺し合いにも今のところは乗るつもりはないわ。
上位者が叶えてくれる願いの形なんて、どうせ碌でもないものに決まってる」
「ならば、何故後ろの二人を……巻き込まれただけの人たちを狙ったんですか?」
足を穿たれた軍服姿の少女と、負傷した少女を気遣う緑の妖精。
軍服姿の少女が話す言語は理解の及ばぬ言葉であるものの、一目見ただけでも殺し合いに乗るような存在とは、アルトリアはどうしても思えなかった。
「……そうね。こちらの事情も話しておきましょう。後ろの羽ーー」
「ーー騙されちゃダメ!そいつは紅ずきん!幻覚を見せる悪魔だ!!」
「え?」
紅い少女の言葉を遮るように緑の妖精の悲痛な叫びが響き、アルトリアは思わず振り返った。
軍服姿の少女に寄り添う緑の妖精。その手にはデイパックから取り出した、掌に収まるような小さな歯車が。
廻る。ギリギリ、と正気が「う……ぁ……」捩れる。
逆巻きに廻る。ガリガリ、「■■夫ですか……?!」と削り取られ、「あの■■……どう■■■そ■■……!」濁る。
立っていられず、「ぐ……ぎぃ……」ガチガチと噛み合う音が聞こえて、不協和音が対魔力を貫通し、「■■■■、彼奴を■■■■■■……!」世界が浸食される。
軍服姿の少女も頭を抱えて蹲り「うーん、もう少し強めに廻した方が良かったかな?」、いつのまにか足元には女性の亡骸が「■■■■■■」転がっていた。
不快な音響が脳内を掻き回したのはほんの一瞬。蹲るアルトリアの背後で聞こえる獣の凶悪な唸り。。
「……ぅ……ハッーー!」
直感が全力で警報を鳴らす。弾かれるような動きでアルトリアは振り返った。
歯車を持った緑の妖精ーーアン目掛け、人間に擬態していた「紅ずきん」が迫る。
その手には血濡れた包丁。立ち尽くす妖精目掛けて振り下ろされようとしていた。
狂刃が迫る中、妖精の綺麗な瞳が純白の騎士を見つめーー。
ーー殺意を抱き続けるんだ!
天啓のごとき快活な声が、アルトリアの背中を押す。
淀む思考を不快感ごと振り払い、視線を「紅ずきん」の方へと向けた。
「ーーーやぁぁぁッ!!」
魔力放出。
純白の魔力を爆発させ、肉眼では捉えきれない速度で紅い獣ーー少女たちを害する邪悪の前に立ち塞がる。
風に包まれた得物を振り下ろされ赤刃の軌道上に渾身の力で突き出す。
ギィィィンと、鼓膜を裂くような、凄まじい金属音が森に轟く。袈裟懸けの一撃を風の鞘で真正面から受け止めた。
不可視の刃と包丁が噛み合い、火花を散らし、ぶつかり合いながら殺意を迸らせた蒼い瞳が交差する。
「……殺し合いに乗るつもりはない、と。そう仰いましたね?」
「■■。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」
歯を食いしばり、圧し潰すような獣の怪力を必死に押しとどめながら、血に飢えた獣を睨みつける。
幻影で人を惑わし、殺し合いを誘発させれる凶悪な魔獣。
何れ王に至る者として、騎士の誓いにかけて、眼前の災厄を見過ごすわけにはいかない。
「ーーハァァ!!」
魔力を一気に放出し、肉体を一時的に強化。かち合う包丁を強引に押し切り、筋力に任せて獣を撥ね飛ばす。
宙を舞う紅ずきん。その巨体にそぐわぬ豹のようなしなやかさで空中の体勢を立て直し、着地の衝撃を最小限の予備動作で受け流した。
場に静寂が戻る。両者の距離はおよそ十メートル弱。紅ずきん側もこちらの出方を窺っているのか、すぐには仕掛けてこない。
だが、どちらかが動いたその瞬間、均衡は崩れ、周囲を巻き込みかねない強烈な嵐が巻き起こるであろうことは容易に想像できた。
「……お二人とも、下がっていてください。ここは私が食い止めます!」
剣を構えたまま、アルトリアは背後の二人に鋭い声を飛ばした。
「ボクも残るよ! 傷を癒す力ならあるし、さっきまであいつと戦っていたんだ!君を死なせやしないさ!」
アンは力強く宣言し、自信に満ちた笑みを向ける。その瞳には、騎士の少女と共に戦うという強い意志が宿っていた。
アルトリアは一瞬逡巡したが、彼女のから感じる桁外れ魔力、そして「妖精」という幻想種の持つ力を信じ、短く頷く。
「……わかりました、貴女の加護を信じます。ですがーー」
アルトリアの視線が、震えながら銃を握りしめる軍服の少女へと向けられる。
「貴女は、ここを離れてください」
「えっ……でも、私も……私も戦えます! 父のように、人々を……ッ!」
「いいえ。貴女の足では、今の彼女の速さにはついていけません。このままでは貴女自身の命が危ういだけでなく、私たちが守りに徹することも難しくなります」
『足手纏い』という言葉を飲み込み、アルトリアは努めて穏やかに、しかし拒絶を許さないトーンで言葉を継いだ。
「貴女にしかできない役目があります。どうかこの場を離れ、誰か……助けを呼んできてもらえませんか。今の私には、背中を任せられる誰かが必要なのです」
「あ……」
スーの言葉が詰まる。その唇は悔しさに震えていたが、激痛を訴える己の足が、騎士の少女の言う「現実」を何よりも冷酷に突きつけていた。
「……わかり、ました。必ず、必ず誰か連れてきます! だから、死なないで……!」
名残惜しげに、そして自らの無力さを呪うように何度も振り返りながら、スーは痛む足を引きずって夜の闇へと消えていく。
残されたのは、白銀の姫騎士と可憐な妖精。そして、静かに殺意を研ぎ澄ます紅い獣。
足音が遠ざかると同時に獣が動き、騎士が迎え撃つ。妖精が隙を伺うように飛び回る。
これより始まるのは第二幕。華やかさとは程遠い、魔術と斬撃が飛び交う死の輪舞が幕を開けた。
*
突風に煽られた木々が不規則に騒めく。胸を掻き毟るような不安に襲われ、スーは思わず振り返った。
チカチカと光が点灯して闇を照らし、その合間を縫うようにバキバキと木々がなぎ倒される音が鳴り響く。
視線の先ではアンと名も知らぬ純白の騎士、そして紅い怪物が人外じみた死闘を繰り広げていることが分かった。
そこから兵士である自分が『逃がされた』。戦う力がない足手纏いだと言外に突きつけられ、前線から排除されたのだ。
「助けを呼んでくれ」と言われても、この地獄のような森のどこに善意ある協力者がいるというのか。
惨めさと無力感を振り払うように、痛む右足などお構いなしに地を蹴り、走り出そうとしたその矢先。
「きゃっ!?」
踏み出した左足に何かが引っかかり、無様に地面へ突っ伏す。
口の中に土の苦みが広がるのを感じながら起き上がろうとすると、自分が躓いたものが視界に映った。
それは、真っ二つに折れた女性の死体。スーが祈りを捧げ、紅ずきんが無慈悲に踏み折った残骸。
右足の激痛に顔を歪めながらも「ごめんなさい」と心中で詫びる。弔う事すらできず、自分の不注意で彼女の尊厳を穢してしまったことに深い罪悪感を覚えた。
(……私は、何をすればいいの? 銃もまともに扱えず、魔法も使えない今の私に、何が……)
泥に塗れた拳を握り締め、立ち上がろうとした時、小銃——転移された直後、デイパックから取り出した支給品が目に入る。
瞬間、スーの頭の中で不快な男——ベリアルの下卑た演説が蘇った。
『最低限のバランスの調整ってのが必要でね。君達には後で道具が支給される。その中には君達のプレイを楽しませてくれるグッズが入ってる』
「……道具……支給品!」
一縷の望みをかけ、背負っていたデイパックをひったくるように前に持ってくる。勢いよく腕を突っ込んで指先に触れたものを引っ張り出す。
訓練用のものでも、粗雑品でも構わない。手に取った「それ」が演算宝珠であってください、神様。祈りを込めつつ、手を開く。
「あ……」
メアリー・スーの息が止まる。拾い上げたものは首から下げるタイプの演算宝珠。四つの核が複雑に噛み合い、不気味なほどの魔力密度を湛えた、血のように赤い結晶体。
幸か不幸か。少女の祈りは悪魔に届き、彼女の望んだ演算宝珠(きせき)は支給品として下賜されていた。
それはすべてを奪い去った「ラインの悪魔」ーーターニャ・デグレチャフがその胸に掲げていた呪わしき試作宝珠。
――エレニウム九五式。
*
「ハァァァッ!!」
魔力放出により加速された不可視の刃が空間を断つ。
多少粗があるものの、剣閃は強力無比。周囲の木々を巻き込みながら眼前の紅い魔獣を両断せんとばかりに振るわれる。
対し、紅ずきんは軽やかな(クイック)ステップで嵐のような猛攻を最小限の動きで躱し、捌きながら、血塗れの包丁がアルトリアの白い喉元目掛け一閃。
狙いすました牙が姫騎士の喉元を食い破る寸前。
「きひひひっ!ボクのこと忘れるなんてひどいなぁ!?」
致死の一撃(クリティカル)からアルトリアを守るように、上空からアンの光弾が降り注ぐ。
獣は舌打ちし攻撃を中断。踊るような体捌きで光の雨を回避し、その余波すらも包丁の平で弾き飛ばす。
アルトリアが前衛で攻め立て、アンが隙を埋めるように援護。即興とは思えないほど完成された連携を、紅ずきんは冷徹に捌き続けていた。
(……なんて、やり辛い。見た目はバーサーカーなのに、動きは熟練したアサシンみたい……!)
アルトリアは焦燥に歯を食いしばる。
初撃こそ不覚を取ったものの、膂力と剣速はアルトリアが勝っている。
しかし、紅ずきんは地の利を利用した狩人のような立ち回りと、戦闘経験の多さが垣間見える技量でアルトリアを翻弄していた。
アンの援護のお陰で戦闘は拮抗しているものの、状況は常に綱渡り。
ほんの一手間違えれば、紅ずきんの包丁はアルトリアの肉を骨ごと断ち切るだろう。
その証拠に、深手こそ負っていないものの猛撃を搔い潜って振るわれた赤刃の痕が白肌の至る所に刻まれていた。
そして、均衡が崩れる瞬間が訪れる。
距離を詰め、不可視の刃を振りぬく刹那、アルトリアの眼前に火炎が飛ぶ。
怪物の指から放たれた魔術の焔。対魔力で弾かれる無意味な攻撃。夜を灯す光がアルトリアの視界を鈍らせた。
一呼吸分遅れる横薙ぎの斬撃。生じた隙間を縫うように、紅の魔獣が地面を嘗めるほど屈み、肉薄する。
「しまっ……!!」
振り抜かれた刃がかち上げられ、アルトリアの思考が空白に染まる。紅ずきんの冷徹な碧眼が驚愕に見開いた姫騎士を見上げる。
あと一歩踏み込まれた先は致死の領域。メアリィ・アンが光弾を放とうとするも間に合わない。
「■■■■」
死刑宣告の唸り。血を吸う肉切り包丁がアルトリアの華奢な首を両断する瞬間。
「ーーさせないッ!」
つい先ほど聞いた少女の声と共に、苛烈な魔力を纏った鉛玉が紅の人狼(ビースト)目掛けて飛来した。
空気を爆ぜさせる破裂音を響かせ、夜闇を裂いて突き進む直線の死神。それを、紅ずきんはアルトリアの直感よりも早く察知し、物理法則を無視した足運びで回避した。
「……ッ、何……!?」
体勢を立て直したアルトリアが弾丸の飛来した方向へ目を向ける。
視線の先には数メートルほど宙に浮き、夜風に軍服をなびかせる少女ーーつい数分前に戦闘区域から「逃がした」はずの非戦闘員だった。
膨大な魔力を励起させて銃口を紅い獣に向けるその姿は、先程までの脅威に立ち竦んでいた少女とは別の存在のように思えた。
少女ーーメアリー・スーはアルトリアの視線に気が付くと、申し訳なさそうにペコリと小さく頭を下げた。
「ごめんなさい、助けを呼ぶことも、逃げることもできませんでした。
だけど、貴女たちが私を助けてくれたみたいに、今度は私が貴女たちを助けます!」
*
首から下げたエレニウム九五式が赤く拍動し、メアリー・スーの内に秘めた魔力を汲み上げる。
全身に信仰心と共に熱を与え、少女に一種の万能感を与えた。
出力が制限されているためか高高度飛行は叶わず、浮遊できる高度はアンと同じ程度――せいぜい地上数メートルが限界だった。
それでもーー。
「……できる、今の私なら、あいつを、悪魔を……!」
指をトリガーにかけたまま、必死に昂ぶる殺意を抑え込む。
思い起こされるのは先程の誤射。アンを傷つけた時のように、紅ずきんを必死に抑え込んでいる騎士の少女を撃ちたくない。
高速で戦場を旋回しながらスコープを覗き込み、スーは好機を伺う。
戦況は完全に逆転した。
突如として現れた「魔弾の射手」という新たな脅威。
紅ずきんは正面の騎士を相手取りながら、上空から狙いを定める狙撃手に意識を割かなければならなくなった。
「■■■■■■■■■……!」
自身の不利を悟り、紅い獣は低く唸る。
これ以上戦闘が長引けば「標的」を狩るどころか、自分が狩られてしまう。
そう判断したのか、紅ずきんは迫る不可視の刃を包丁の平で弾き、その反動を利用して、夜闇の深い方角へと逃走を図ろうと地を蹴った。
「逃がすわけないだろ、ぶぁああぁかッ!」
憎き宿敵の離脱をメアリィ・アンが許すはずもない。
上空を旋回しながら光弾の雨を降らし、逃げ惑う紅ずきんを逃走経路を断ち続ける。
追い詰められても尚、紅の獣は自身の生存を掴み取るために妖精の放つ光弾の雨ーー《ソウルの放射》を掻い潜る。
逃げ惑う紅ずきんの前に立ち塞がるのは、下段に得物を構える少女騎士ーーアルトリア・ペンドラゴンの若き姿(リリィ)。
バックステップで後退する獣へと踏み込み、下から上へ逆袈裟に刃を振るった。
「——爆ぜよ、《風王鉄槌(ストライク・エア)》!!」
纏う空気が解放され、破壊を伴う烈風として撃ち出される。
不可視の鞘から解き放たれ、顕れたのは一振りの聖剣ーー騎士王の宝具『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』。
回避する間もなく、暴風を真正面から受けた紅ずきんは、その巨体を宙に浮かせた。
打ちあげられ、回避する『足』を奪われた紅の人狼(ビースト)。それを狙うのは狙撃手、メアリー・スー。
小銃を構え、機を待つ。
胸元のエレニウム九五式が深紅に輝き、スーに秘められた莫大な魔力を汲み取り、小銃に収束する。
点の狙撃では駄目だ。あの獣の卓越した技量ならば、アンの光弾を弾いたように包丁で防がれるだろう。ならば。
記憶を掘り起こし、最適解と思われる術を選択。そして、銃口の前に魔導式を展開。
照準は空を舞う獣へ。スコープ越しに見た巨体がゆらぎ、一瞬だけ紅いフードを被る小柄な少女に変わった。
その姿は獣が作り出した幻影か。それとも神の奇跡が齎した獣の真実の姿が。
どちらでも構わない。今はただ澄み渡る信仰(さつい)に身を委ねればいい。
「ーー神よ。我らに仇なす敵を撃ち滅ぼす力を与えたまえ……!」
ーー《爆裂術式》発動。
「ーーー!!」
夜空を彩るのは神の怒りを体現したかのような純粋な破壊の奔流。
爆風が紅ずきんを断末魔ごと呑みこみ、その巨体を吹き飛ばした。
紅い軌跡を描きながら彼方へと魔獣は堕ちていく。
森に静寂が戻り、夜空に残ったのは銃を下したメアリー・スー。そして、翅を羽ばたかせてくる緑の妖精メアリィ・アン。
呆けるスーの肩を叩き、功をねぎらうようにサムズアップした。
「VICTORY ACHIEVEDってね♪」
*
「それじゃあ、バイバーイ♪アルトリアも、スーも死んじゃダメだからね~♪」
アンは茶目っ気たっぷりに手を振り、森の奥へと軽やかに飛び去った。
気持ちを抑えきれずスーは声を張り上げようとするが、隣に立つアルトリアが肩に手を置き、静かに首を振る。
「別れを惜しむ気持ちは分かりますが……」
「……うん、分かってます。あの子の、アンの気持ちは大事にしなきゃ、ですよね……」
伸ばしかけていた手を下し、しんみりとした気持ちで遠ざかる友の背中を見送る。
紅ずきんを撃退したその後、集った三人の少女は簡単な自己紹介を交わした。
三人で行動しようとスーは提案するが、アンは穏やかな声色でNOを突きつける。
『だってさ、紅ずきんみたいな怪物がいるかもしれないんだよ?少しでも多くの人たちを助けたいし、分かれて行動した方がいいと思うんだ♪』
そう口にするアンの意志は固く、スーは彼女の想いを尊重するしかなかった。
幸い、負傷しているスーの護衛として、アルトリアが同行を申し出てくれた。アンも「騎士様がいれば安心だね」と太鼓判を押してくれたのだ。
『いいかい? 見た目が怪物の奴らは、どんなに可哀想に見えても絶対に同情しちゃ駄目だよ。
奴らは傷ついたふりや、助けを求めるふりをして、ボクたちの命を狙ってくるんだから』
飛び去る前、アンはスーとアルトリアの手を取り、真剣な様子で忠告してくれた。
二人の頭を過るのは凶悪な紅い獣。怪物の卑劣な罠に、今度こそ陥ってはならない。
スーは胸元の演算宝珠を、アルトリアは聖剣の柄を握り締める。
「これからよろしくお願いします。アルトリアさん。力を合わせてあの悪魔を、ベリアルを倒そ……倒しましょう!」
「無理に敬語を使わなくてもいいですよ、スーさん。こちらこそよろしくお願いします」
朗らかに笑い合い、二人は固く握手を交わす。
少女たちは気づかない。
「■■■■■■、■■■■■■■■?」
「■■■■■■■■……■■■■■■■■■■■■■■■■?」
自分たちの精神はすでに蝕まれ、交わす言葉が狂人のそれと同じ、意味を成さないノイズへと変質していることに。
メアリー・スーとアルトリア・ペンドラゴンは気づかない。
「■■■■■■。■■■■■■■■ーー」
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」
力を合わせて打倒したはずの「邪悪な怪物」が、本当は何者であったのか。
そして、自分たちが救おうとしている「人々」が、この歪んだ世界でどのように定義されているのかさえも。
這い寄る少女の支配領域『ワンダーランド』。その狂人(じゅうみん)と同じ認識、価値観に捻じ曲げられた事実に気づかないまま。
高潔な正義感(きょうき)を胸に、この悪辣な殺し合いを打倒すると月夜の下で手を取り合い誓うのだった。
この惨劇の全容を知るのは、主催者であるベリアル、そして――。
*
深夜、森の奥深く。
先ほどまで二人を導いていた「心優しき」緑の妖精――メアリィ・アンは、木々の隙間で一人うずくまり、小刻みに身体を震わせていた。
それは、二人と別れた寂しさに耐えているわけではない。一人になったことで、凄惨な殺し合いに巻き込まれた現実に今更怯えているわけでも決してなかった。
「ぷっ……くすくす……きゃはははははははははッ!!きぃぃひひひひひひひひッ!!」
暗闇に少女の弾けたような哄笑が響き渡る。
腹を抱え、愛らしい顔を醜悪に歪ませ、涙を流さんばかりに悶える。
「きゃひひひひひはははははははぁッ!!ひひひっひひっひひひーひひひひッ!!」
思い出されるのはつい先ほどの惨劇(きげき)。
その辺に落ちていた棒切れを死体だと言い張り、ご神体を崇めるかのように祈りを捧げていたメアリー・スー。
心を穢されたことに気づかぬまま、高潔な騎士として振舞っていたアルトリア・ペンドラゴン。
そしてーー。
「ひひひっひひっひーっひーっ……、ざまぁみろ、紅ずきん……!」
『ワンダーランド』の裏側で愛しのグリムを誑かし、自分を殺させた最悪の失敗作『紅ずきん』の醜態。
特に紅ずきんに関しては、顔面を叩き潰されて殺された恨みもあり、多少は晴らせてスッキリした。
彼女こそがあの二人の認識を根底から狂わせた張本人。
支給品として与えられた手のひらサイズの歯車ーー凶鳥ジャブジャブが『ワンダーランド』の住人たちを狂わせた『狂気の歯車』を用い、スーを出会い頭に、宿敵と対話しようとしていたアルトリアを狂気の世界に招き入れた。
そして、アンの右手の薬指に填められているのは彼女の支給品の一つである『プリケットの指輪』。この指輪のお陰で狂人と化した二人の少女と意思疎通が図れるようになったのだ。
「あー……面白かった。でもさぁ、ボクを主催者(そっち)側にしないのはどう考えてもおかしいよっ!ボクならもっと面白くできると思うのにさっ!」
ひとしきり嗤い終わった後、ベリアルの采配にアンは不満を漏らした。
彼女のねじ曲がった本質は死んだ程度では変わらない。故に。
「そっちがその気ならいいも―ん。脳内お花畑の奴らを狂わせて殺し合わせて優勝するんだっ!
そうしてウサビッチ共に奪われた改変能力を取り戻してやる!待っててね、グリム。ぜぇぇんぶ終わったらーー」
ーー君を迎えに行くから。
*
ーーグリム。先に行ってて。
ーー置いていけない。
ーー……私は死なない。私の物語は、まだ続いているから。
約束よ。グリムも、私の事を………信じて。
ーー信じる。
ーー…ありがとう。
*
「……酷い現実(あくむ)ね」
鬱蒼と生い茂る木の枝の上。叩きつけられた衝撃で折れた枝葉に身を預け、紅ずきんは忌々しげに吐き捨てた。
全身を焼く爆裂術式の熱傷を特技である『新緑の力』ーーギガラウネより簒奪した力を呼び覚ます。
細胞を活性化させて回復を試みるが、治りきらない傷を見て眉を顰める。
(……魔力の消費が普段より大きい。それに、回復量も少ない)
本来なら火傷も含めた傷が瞬時に塞がるのだが、中途半端にしか癒えなくなっていた。
すぐに理由を察し、首に嵌められた枷を指先でなぞる。
「……悪趣味な首輪のせいね。回復に制限をかけて、殺し合いを円滑に進めたいから、かしら」
忌々し気に吐き捨てながら、紅ずきんは先ほどの戦闘を振り返る。
かつての宿敵、メアリィ・アン。あの小賢しい羽虫が自分を「狂気の世界」に引き込まなかった理由。それは明白だ。
(私まで狂わせれば、あの二人が私を『人間』だと認識して、三人で殺しにくる可能性があったから……か。相変わらず、薄汚い計算だけは早いわね)
メアリィ・アンにとって、紅ずきんは「怪物」でなければならなかった。
あの二人の正義感を煽り、自分を排除させるための都合のいい「獲物」として。
「……ポロ、グリム……」
狂気に満ちた殺し合いの世界の中、紅い少女は愛する者たちを想う。
(……置き去りにしてしまってごめんなさい。必ず戻るから、それまで死なないで……)
這いよる少女の群れの中、たった一匹置いていってしまった永遠の相棒、ポロ。そしてーー。
(……グリム、貴方との約束は絶対に守るから。私を信じて待っていて)
残酷な世界でたった一人、心を許した男、グリム。
支給品である《友切包丁》ーー異世界の殺人鬼が使用していた魔剣を握り締め、大切な存在たちに生還を誓う。
「……とりあえず、ここを離れましょう。騒ぎを聞きつけてくるのがまともな奴とは限らないもの」
痛む身体を引きづりながら、紅いフードの少女は闇の奥へと踏み込んでいく。
血濡れた運命に抗い続けた少女の行く末は、神々すらも知りえない。
【メアリー・スー@幼女戦記(アニメ版)】
[状態]:疲労(中)、右足負傷、魔力消費(小)、精神汚染(大)、紅ずきんへの敵意(大)
[装備]:M1ガーランド、エレニウム九五式
[道具]:基本支給品一式、不明支給品×0~1
[思考・状況]:
基本方針:ベリアルを打倒する
1:危険人物には対処する。
2:『ラインの悪魔』がいたら、その時は――。
[備考]
※参戦時期は『劇場版 幼女戦記』終了後。
※飛行魔術に大幅な制限かかけられ、高高度飛行は不可能になっています。
※視覚・聴覚等の認識が狂っているため、同レベルの精神汚染状態でなければ意思疎通ができず、メアリィ・アン以外の参加者が怪物に見えるようになっています。
※元から存在Xに対して妄信的なため、エレニウム九五式の精神汚染が効いていません。
【アルトリア・ペンドラゴン〔リリィ〕@Fate/Grand Order】
[状態]:全身に裂傷(小)、魔力消費(極小)、精神汚染(大)
[装備]:約束された勝利の剣
[道具]:基本支給品一式、不明支給品×0~2
[思考・状況]:
基本方針:殺し合いには乗らない
1:ほかの参加者と接触したい
[備考]
※参戦時期は不明。後続の書き手様にお任せします。
※視覚・聴覚等の認識が狂っているため、同レベルの精神汚染状態でなければ意思疎通ができず、メアリィ・アン以外の参加者が怪物に見えるようになっています。
【メアリィ・アン@BLACKSOULSII -愛しき貴方へ贈る不思議の国】
[状態]:魔力消費(小)
[装備]:プリケットの指輪
[道具]:基本支給品一式、狂気の歯車、不明支給品×0~1
[思考・状況]:
基本方針:優勝して改変能力を取り戻すよっ!
1:集団に紛れ込み、殺し合いを誘発させる。
2:紅ずきんの悪評を広める。
[備考]
※参戦時期はGエンドルートの死亡直後。
【紅ずきん@BLACKSOULSII -愛しき貴方へ贈る不思議の国】
[状態]:全身にダメージ(小)、魔力消費(小)
[装備]:友切包丁
[道具]:基本支給品一式、不明支給品×0~2
[思考・状況]:
基本方針:生還する。手段は問わない。
1:今のところは殺し合いに乗るつもりはない。
2:メアリィ・アンは殺す。
[備考]
※参戦時期はGエンドルートのグリムと分断された直後。
※制限により回復系の特技が弱体化しています。
※ポロを召喚することはできません。
【支給品紹介】
『M1ガーランド@現実』
メアリー・スーに支給。
彼女の父アンソン・スーの使用銃器のモデルとなったとされる小銃。
『エレニウム九五式@幼女戦記』
メアリー・スーに支給。
高度な魔術行使を可能にする演算宝珠の一つであり、『ラインの悪魔』ことターニャ・デグレチャフの常備兵装。
既存品と比較して隔絶した性能を誇るが、ターニャ以外は運用できず、使用ごとに信仰心を植え付けられてしまう。
要は精神汚染機能付きのブーストアイテム。
本ロワでは魔力またはそれに準ずる力を持つ者は誰でも運用できるように調整されている。
反面、使用ごとに元の世界の上位存在への信仰心を植えつけられてしまう。
『約束された勝利の剣@Fate/stay night』
アルトリア・ペンドラゴン〔リリィ〕に支給。
騎士王アルトリア・ペンドラゴンの代名詞とも呼べる宝具の一つ。
最上位に位置する聖剣であり、所有者の魔力を収束・加速させて、光の斬撃として放出することが可能。
本ロワにおいて、通常時は『風王結界』によって刀身が隠されており、任意で『風王鉄槌』を放つことができる。
『狂気の歯車@BLACKSOULSII -愛しき貴方へ贈る不思議の国』
メアリィ・アンに支給。
四悪夢の一人、凶鳥ジャブジャブの持つ人々の狂気を操るアイテム。本ロワでは手のひらサイズに加工されている。
他参加者に向けて使用することで道端の棒切れを死体と思わせたり、使用者以外の正気を保った他参加者を言葉の通じない怪物と認識させるなど、様々な精神汚染を付与させられる。
任意で汚染度合いを調整したり、正気に戻したりすることも可能。
『プリケットの指輪@BLACKSOULSII -愛しき貴方へ贈る不思議の国』
メアリィ・アンに支給。
愛しき少女の解せぬ言語を翻訳する指輪。
装備することで狂気に侵された存在との意思疎通が可能となる。
『友切包丁@ソードアート・オンライン』
紅ずきんに支給。
殺人ギルド『笑う棺桶』首領PoHことヴァサゴ・カザルスが愛用していた肉切り包丁型の短剣。
他参加者を殺傷するごとに性能が上昇する。
最終更新:2026年03月19日 22:41