アットウィキロゴ
.


 雨夜燕。
 初星学園高等部アイドル科3年1組。生徒会執行部副会長。
 学園Nо.2のアイドル。実力相応のプライドを持ち、尊大な態度を取る。自分にも他人にも厳しいが、面倒見は良い。
 幼馴染の十王星南をライバル視しており、いずれ星南を超えて『一番星』になると公言している。






 私は最善の選択をしていたはずだ。
 雨夜燕は、そのように己の行動を振り返る。

 始まりは、義憤だった。
 命も尊厳も踏み躙る、殺人ゲームの強要。真っ先に勇敢な反意を示した、星晶獣と呼ばれた少女の敗死。皆を高みから嘲笑う、ベリアルという下衆。
 空想が現実となったような超常の力が蔓延る空の島で、己の命もまた脅かされている。その事実への恐怖心など、とっくに怒りで消し飛んだ。

――…………舐めるなぁっ!!

 感情を声として口から放出しなければ、身体が爆発してしまいそうな錯覚があった。故に、夜空へ向かって叫ぶ。
 雨夜燕の信じる正義が、貴様の享楽に屈するものか。
 雨夜燕の追求する夢を、貴様の穢れた餌に頼って叶えてたまるか。
 雨夜燕の体現するアイドルが、貴様の座す観客席に向けて媚び諂うと思うなよ。
 初星の校章に誓って、殺し合いの強制には断固として抗う。誰かを殺せというなら、まずは貴様だ。燕がベリアルへの反逆を決意するのは、至極当然の話であった。

――お前までいるとはな……なんであれ、無事そうで良かった。

 志を同じくする者は、決して少なくないはずだ。協力者を集い、共にベリアルの首を獲りに行こう。
 燕の希望的な見立ては、思いのほか早く実を結ぶこととなる。およそ十分後、燕が最初に出会ったのは、既知の間柄の人物、初星学園の後輩だった。
 後輩の少女もまた、不幸にもデスゲームに巻き込まれた当事者ということだ。
 敢えて特定のコミュニティから複数名を選抜しているのか。そうだとすれば、他にも学園の生徒達がこの場に誘拐されているのだろうか。
 まさかどこかに、十王星南も。

――……くそっ。愚かな考えを。軟弱だぞ雨夜燕。

 誰もが憧れる『一番星』。信頼に値する人柄と求心力、カリスマ性。その在り方で、勇ましい激励で、彼女は人々の胸に勇気を灯す。
 星南がここにいてくれたら、むしろ心強い……などと、ほんの一瞬でも期待してしまった己を、燕は深く恥じ入った。
 光に灼かれながら、羨望の眼差しを注いで崇めることは、自分では超えられないと諦めて屈服することと裏表。『学園Nо.2』なんて称号にしがみついているうちは、星に手など届かない。
 そんな弱腰の態度を改めなければならないと、既に決意したはずではないか。
 星南の存在を、拠り所にしてはならない。もし星南もここにいるなら、私がお前を守ってやると言えるくらいの気概でなければ。勿論、守るというなら目の前の後輩も同様だ。
 心の支えには、私がなる。恥ずかしげもなく、後輩の前で宣言する。これで少しは、後輩が抱えるだろう不安感を晴らしてやれただろうか。

――しかし……なんなんだこの生き物は? 何、ポケモン?

 それにしても、戦いのための手段を各人に支給するとは伝えられていたが、生物が渡されることもあるとは。
 後輩が引き連れていたのは、大型の猫とも兎ともつかないような、四足の黒い動物だった。全く見たことの無いその生物は、ポケモン、という種だそうだ。
 燕が愛好する異世界ファンタジーの創作物でも、モンスターと共に旅路を行く人間はよく見かけるが。こうして現実となって目の前に未知の生命が現れると、さすがに身が強張ってしまうものだ。
 憮然としたまま佇むそれは、ブラッキー、という名らしい。ちゃんと良い子ですよ、と後輩にその鮮やかな毛並みを撫でられても、特に嫌がる素振りを見せない。
 促されて、燕もブラッキーに触れてみる。膝をついて視線を合わせてみると、そこには夜闇の中でも爛々と煌めく紅玉色があった。光の中には吸い込まれそうな闇を内に秘めているようにも感じられるブラッキーの瞳から、感情の色は読み取れない。
 理解できないなら、これから仲良くなればいい。ブラッキーにもきっと、本来の飼い主がいるはずだ。その者のもとへ送り届けるまでの、一緒に過ごす仲間だ。
 ブラッキーの額を、ゆっくりと撫でてやる。燕なりの、親愛と善意を込めて。

「やっぱり、優しい方なのですね」

 その声は、確かに燕を称賛しているのに。
 なぜか、よくわからないが、良くない予感がした。
 顔を上げる。次の言葉を紡ごうとしている、艶ぼくろの上の唇が見えた。

「ブラッキーさん、『でんこうせっか』」

 はたや、と呼び掛けようとした声は途切れた。目線を合わせることは、叶わなかった。衝撃が、燕の全身を襲ったから。
 宙に放り出されて、激痛を知覚し、遅れてようやく、自分が攻撃を受けたことを燕は理解する。
 誰に。わかっている。目の前にいたブラッキーだ。
 誰が、ブラッキーに。決まっている。ブラッキーを従えている彼女だ。

「な、ぜ」

 秦谷美鈴は、雨夜燕に殺意を向けていた。
 そうとも知らず、燕はまんまと先手を取られた。
 己の不覚を悟ると同時に、重力に従って落下するはずだった燕の身体は、素早く身を翻したブラッキーと再び衝突し、舞い上げられた。






 ブラッキー。
 げっこうポケモン。イーブイの進化系。
 イーブイのなかよし度が高まった状態で夜にレベルアップすると、ブラッキーに進化する。
 秦谷美鈴に支給されたブラッキーは、「エクシード社」社長にして実働部隊「エクスプローラーズ」のトップ、スピネルの所有する個体である。






 ブラッキーは、あるトレーナーに付き従っているポケモンである。
 何より重んじているのは自らのトレーナーとの信頼関係であり、それ以外の物事、たとえばトレーナーが人間社会においていかなる身の上であるかは、何ら重要ではない。
 その人物が、たとえば非合法的な組織を密かに運営していようと。表向きは経済力で、裏側では暴力によって社会の支配を目論み、歯向かう者を情報操作によって不当に貶めることを常套手段としていようと。人間の価値観で言えば、善悪の二分において明確な「悪」の人間であろうと。
 ブラッキーには、どうでもいい話だ。ポケモンとして、親愛なるトレーナーへの忠誠を示す。この身をブラッキーに進化させるほどの強い絆を結んだ、彼の望みを果たす。為すべき務めは、ただそれだけだ。

 そんなブラッキーは、意図せずしてトレーナーから突然引き離されてしまった。
 人間同士の殺し合い。その促進のための、道具。ブラッキーはそんな立場に置かれているのだと、一人の少女から説明された。
 秦谷美鈴。殺し合いの参加者の一人となった彼女が、今のブラッキーにとっての代理のトレーナー、ということになっている。
 美鈴は、ポケモンという生物種自体を知らないらしい。しかし、知らないなりに、モンスターボールに添えられた簡単なテキスト情報をもとに、ブラッキーを使役して他の参加者と戦えばよいのだと理解したようだ。未知の生物に対する怯えなど、すっかり無くなったかのように、美鈴はすぐに状況に適応していた。

 美鈴は、どのような過程によってこの空島からの脱出を試みるのか。
 それもまた、ブラッキーには重要でないことだった。殺し合いを催したベリアルなる者を打倒するのか、それともベリアルの言葉に従って優勝を目指すのか。本来のトレーナーのもとへ無事に帰ることが叶うなら、どちらでも構わないのだ。
 そして、どちらの道を選択したのかを美鈴自身の口から聞かされることのないまま、代わりにこれから美鈴が取る行動についての説明を受けた。
 美鈴が先に姿を捕捉した雨夜燕という人物に、美鈴が接触を図る。美鈴が命令したら、ブラッキーはその人物を攻撃せよ。ただし、決して殺さないように手加減すること。
 つまり、殺し合いに乗るということではないのか。その気になれば生身の人間に致命傷を負わせるなど容易であるのに、なぜわざわざ生き永らえさせる必要があるのか。
 その意図もやはり、探る必要の無いことであった。理由はどうあれ、今は彼女に従うのみである。万が一の場合、独自の判断で応戦する必要があるだろうとも感じつつ、ではあるが。
 こうして、命令通りに『でんこうせっか』の一撃を雨夜燕にお見舞いした。瀕死と言わずとも、体力を十分に削れる程度の勢いで。
 一撃、二撃と激突され、燕は空から地に落ちた。

「秦谷……っ、何の、つもりだ……!?」
「『バークアウト』」

 驚愕と混乱、苦悶と非難が混ざった燕の声は、すぐに掻き消される。
 地面に付したままこちらを睨む燕に向けた、音波によるブラッキーの追撃。ただし、あくまで振動で身体を痛めつける程度に抑えた威力だ。

「あ、が、あああああああっっ!?」

 しかし、十分。両腕で辛うじて防御の姿勢を取り、それでも耐えきれず燕は無格好にのたうち回る。
 反撃も逃避もままならず、このまま一方的な勝利を収めることも容易い状況だ。一言命じてくれれば、威力を上げて燕の五体をもう一度吹き飛ばせることだってできる。

「……っ。ああ……これは確かに」

 だからこそ、ブラッキーには理解できない。

「なかなかの、辛さですね」

 美鈴はなぜ、“『バークアウト』の波動の中を歩きながら”燕へと向かっているのか。
 まるで、濡れて震える身体を必死に温めようとするかのように、両手で自らの身体を押さえつけながら。燕と同等の苦痛を、確かに全身で感じながら。しかし、美鈴の悠然とした歩みは決して止まる気配がない。
 まるで必然性の無い自傷行為。ブラッキーもついに『バークアウト』を中止してしまうような、死なれては困る人間の突然の暴挙。怒りを込めて、ブラッキーは美鈴に吠える。

「駄目ですよブラッキーさん。ちゃんと、わたしごと燕先輩を苦しめてあげないと」
「秦谷、何を……お前、狂ったか!?」
「まあ、なんて人聞きの悪い」

 相変わらずの微睡むような声色。後ろ姿から、美鈴の顔は伺えない。
 最初の攻撃命令を下した瞬間から、その表情は変わっているのだろうか。

「燕先輩、」

 仰向けとなった燕の身体に、美鈴が跨っていた。
 燕が下で、美鈴が上。どちらが主導権を握る側であるか、明白な構図。
 美鈴の両手が、そっと、燕の喉に添えられる。

「わたしは今から、」

 ブラッキーと秦谷美鈴は、決して仲良しなどではない。少なくとも現時点では、お互いに利用し合うだけの冷淡な関係である。
 美鈴の真意など知らないし、既に美鈴が築いた同族との友愛を自ら破壊しようとすることを、諫める義理も特に無い。この殺し合いを終えて別れた後、美鈴が迎える未来がいかなる有様となるかなんて、まるで興味が無い。
 ただ、強いて言えば。
 勝ち残る上で不利な事態を招かないか、警戒をする必要はあり。それ故に、適切な判断を都度下せるように美鈴の動向を注視し、可能なら余計な言葉に頼ることなく意図を汲めるようになるのが望ましくあり。
 だから、奇妙な言動を重ねる美鈴が今まさに実現しようとしている行為も、見届ける必要があり。

「正気で、あなたを殺めるんです」

 つまり、一つの事実として。
 ブラッキーは、秦谷美鈴という人間/アイドルから、目を離せずにいる。






「か、は」

 首を絞め上げられ、呼吸が途切れる。生命活動が滞る。
 秦谷美鈴が全力で、雨夜燕を絞殺しようとしている。
 この短時間で完全に消耗させられてしまった身体では、ろくな抵抗も叶わない。辛うじて美鈴の腕を引きはがそうとするが、ほとんど無駄な抵抗だ。

 鈍化しそうになる思考を、必死に巡らせる。どうすれば、美鈴を止められる?
 動機は、わからない。
 死の恐怖に怯えるような素振りは見えなかった。参加者の情報が知らされていない今、知人を死なせたくないと決断することも無いはずだ。
 或いは、燕自身が恨まれていた? 日頃の厳しい態度が、反感を買っていた?
 ……いや、それも無いだろう。憎いなら、笑って罵倒の一つ二つは言うはずだ。今も無言で、表情を変えずに両手に力を籠め続ける美鈴には、合致しない。
 自分はこれでも、美鈴には嫌われていなかったはずだ。

「はた、や」

 どうやら自分は、美鈴のことを思いのほか何も知らないのかもしれないと、思わず自嘲したくなる。
 だが、たとえそうであったとしても。美鈴の決断の理由を、理解できないとしても。
 燕から美鈴に伝えられる言葉は、まだ残っている。
 同じ学び舎で、同じ生徒会室で、同じレッスンルームで。やり方や生き方は違えども、同じ志を掲げ合った仲ではないか。
 だから、この一言を伝える。

「やめろ……お前も、」

 体力は尽きかけている、新たな元気も得られそうにない。しかし、やる気なら満ちている。
 共に歩んだ日々を通して、美鈴から燕への好印象が蓄積されていると信じている。
 原動力は十分。燕のプライドに懸けて、この言葉で美鈴を止めてやる。
 端的な叱咤に、ありったけの理論武装を籠めて。

「お前も、まだ、アイドルだろう……!」

 美鈴の両手が、止まった。
 寮の瞳が、呆けたように開かれる。

「……アイドルは、人を殺してはいけない」

 淡々と、美鈴の口から延べられるのは、燕が伝えたかった続きの理屈。
 随分と酷い目に遭わされてしまったが、それでも、美鈴は燕を殺していない。殺さずに済んでいる。
 美鈴は、まだ引き返せる。ここで引き返さなければ、アイドルとして終わりだ。

「人を殺したアイドルは、もうアイドルじゃない」
「ああ、そうだ……」

 今は息も絶え絶えで、美鈴の反芻を待つしかない。己の過ちへの後悔は、あとで聞いてやるしかない。
 そうだ、自分達にはいくらでも、これから言葉を交わすための時間があるのだ。
 特異な状況であったことに免じて、燕個人の怒りについては、いつもより長めのお説教で済ませてやろう。
 その後は、いつも通りの先輩と後輩に戻って。いつものように美鈴がサボる度に燕が怒鳴る、あの賑やかな日常に、二人で帰るのだ。
 だから、まずはそこをどいてくれ。ずっと体重を乗せられて、さすがに辛いのだ。
 ようやく戻りかけてきた体力で、美鈴へ声をかけようとして。

「ぐ」

 解放されないままだった燕の首への圧迫が、再び始まった。

「…………なんて、いったい誰が決めたのでしょう?」

 告げられたのは、燕の説得の全否定。
 美鈴の殺意がちっとも萎んでなどいなかった事実を、酸素不足の脳への衝撃として突きつけられる。

「が、ぁっ……!?」
「わたしなら、なれますよ。人を殺しても尚、皆さんを惹きつける存在に」

 アイドルは、何を失くせばアイドルでなくなるか。
 その解釈が、燕と美鈴で全く違っていた。

「血でずぶ濡れの衣装であろうとも、ええ、踊ってみせましょう」

 当たり前の正義感では、秦谷美鈴を止められない。
 気付くのが、あまりに遅すぎた。

「だって、わたしは、すごいアイドルですから」

 秦谷美鈴は、己への絶対的な自信によって我儘に生きている。
 気付いていないわけでは、なかったはずなのに。

「…………ぁ」

 最後のターンで選んでしまったのは、何のアピールにもならないトラブルカード。
 永遠の眠気が、燕の身体を包み込んでいく。
 靄のかかった視界の中に、幼馴染の姿が見えた。
 見上げる先の輝く星となった瞬間と、そんな未来を掴むとは思えないただの泣き虫だった頃。
 一瞬のうちに次々と交錯していく数々のこの光景が、走馬灯というやつか。
 燕の人生は、ここで終わる。
 思い出の心地良さに、ゆったりと浸されていく意識。
 すべてを手放してしまおうとしたその時、燕の聴覚は、それを捉えた。

「ごめんなさい」

 ……何を、腑抜けている。
 この命が尽きるまで、まだ僅かでも時間が残っているではないか。
 雨夜燕というアイドルの人生の成果を、追想に求めている場合ではない。
 そんな暇があるなら、最後まで、目の前にいるたった一人に向き合うべきだ。
 私は、誰かを救えるアイドルでありたいのだ。

「……謝る、なら」

 なけなしの力を絞り出す。追加の説得のターンを、無理やり捩じ込む。
 もう逆転の目は無いなど、関係ない。カッコ悪くとも、足掻くのだ。
 ほら、見てみろ。秦谷が今、どんな顔をしているか。
 贈るべきコールが、まだ一つあるだろう。

 ……ああ、もしかしたら。
 これを先に言えていれば、私はお前を止めてやれたのかもしれないのに。

「泣く、くらいなら……やるな……馬鹿者が…………」

 ぽつり、と。
 頬に水滴が落ちる感触。
 それが、雨夜燕の受け取った、最後のレスポンスだった。






 まあ、それなら仕方ないですね。
 底冷えするようなそんな声が、確かに自分の内側から聞こえてしまったのを、秦谷美鈴は覚えている。

 人の命を手にかけるなど、美鈴の約十六年間の人生を通して培った価値観では、決して許されない所業だ。
 だからこそ、ベリアルへの反意を示すのが当然に取るべき行動のはずだと、わかっているはずなのに。
 美鈴の頭は、冷静に思考を始めていた。
 自分には、殺人ができるのか。

 最初に見つけた参加者が雨夜燕であったことは、幸運でも不幸でもあった。
 燕がいるなら、他にも顔見知りがいるかもしれない。もしかしたら、「まりちゃん」だって。
 ベリアルを苛烈に攻め、しかし首が爆ぜて死んだ少女。彼女のような者とも渡り合える武器として提供された、ブラッキーという怪物。今も首に巻きついて離れない、致死の枷。
 既存の常識を容易く超越する環境下で、美鈴は淡々と推測していた。仲間達もこの島にいるとして、その全員と無事に合流して生還を果たすことは、果たして叶うのか。
 それは、無理だろう。今度こそどうしようもないお別れの時が、来てしまうのかもしれない。誰かの訃報を、きっともうすぐ聞くことになる。
 そして、悲観に浸って凶器を捨てれば、待っているのは自らの死。二度とスポットライトを浴びられない、見知らぬ孤島での終幕。
 美鈴の思考は、さらに進む。
 自分は、殺人をするべきなのか。

 いや、たとえ完全無欠のハッピーエンドが達成できないとしても、殺人という一線を越えてはいけない。
 己への警鐘に、反駁があった。
 そもそも、わたしは、人を殺したくないのか。絶対に、どうしても、人を殺すなんて嫌なのか。
 反論は、聞こえなかった。

 ブラッキーに、一つの指示を出した。美鈴の号令と共に、燕を攻撃せよ。
 美鈴が実行さえしなければ、こんなものは質の悪い冗談だったとして終わる話だ。
 希望を捨ててはならないと、合流した燕は美鈴に説く。厳格で、立派な人柄だと改めて認識する。志が綺麗であることと妥当であることは別の話だ、なんて声には、聞こえない振りをした。
 美鈴に背を向けて、燕はブラッキーとのコミュニケーションを図ろうとする。目の前に晒される、とても無防備な姿。
 喉が鳴る。声に出してしまえば、事は始まってしまう。

――やっぱり、優しい方なのですね。

 駄目。言っては駄目。言うべきではないことだ。
 わたしは、燕先輩を殺したくなんかないはずだ。
 素敵なあなたを、わたしは殺せないはず。
 本当は。
 本当に。
 ……本当に?

――ブラッキーさん、『でんこうせっか』。

 発声は、嘘のように滑らかに完了した。
 瞬く間に空を飛んでいく燕を見ながら、人はこんなに軽いんだなあ、なんてことを呑気に思った。

――秦谷、何を……お前、狂ったか!?

 そうであったなら、むしろ言い訳もしやすかったのだろう。
 正気のままに、美鈴は燕を殺そうとしている。最初の一歩を踏み出して尚、途中でやっぱりやめようと踏み止まることもできるチャンスを、敢えて自分自身に残しながら。
 ブラッキーには致命傷を与えさせず、燕の苦しむ姿を直視した。
 ポケモンの攻撃がどれほど痛いか、自分の身でも味わってみた。
 燕の息の根を止めるための手段には、どんな武器にも頼らず自らの素手を選んだ。
 自分が今、どれほどの非業を犯しているのか、確実に実感するための過程だった。

――ごめんなさい。

 己への痛苦を何重にも科しながら、しかし、美鈴の身体は止まらない。
 罪悪感があるはずなのに、感情が、理性を堰き止められない。
 最後に聞こえた燕の説教に、何かを言い返すよりも前に、最期の一押しは済んでいた。

「終わってしまいました」

 下に横たわるのは、既に事切れた燕の肉体。
 誰を導き照らすことも無くなった、誇り高いアイドルの残骸。
 彼女はもう、美鈴を叱ってはくれない。

「ありがとうございます、ブラッキーさん」

 傍らに立ち、頬を寄せてくるその挙動は、ブラッキーなりの労いだろうか。初めて大罪を犯してしまった少女への。
 ならば伝えよう。今の美鈴の、混じり気の無い本心を。

「疲れました」

 人の命を奪ったのに。よりにもよって、尊敬する先輩を手にかけたのに。
 ぽんと出てきた感想は、たったこれだけ。

「……少し、休ませてくださいね」

 人を殺すなんて、確かに嫌だ。こんなノルマを絶え間なく熟すなど、きっと心も体も耐えられない。
 しかし、言い換えれば。
 休息を適度に挟みながらであれば、殺人を重ねるのも案外耐えられそうだな、と。
 嫌なことは、なるべくやらない。でも、必要と思った限りでは、自分のペースでちゃんとやろう。
 まるで、普段のレッスンに対する態度の延長線上にあるかのように、美鈴の理性は、非道への見通しを立てていた。

 わたしに、できることだと判定した。
 わたしが、するべきことだと判断した。
 わたしの、したくないことではないと判明してしまった。
 だから、美鈴は手を血に染めた。ただそれだけの話だった。

「ブラッキーさん。わたしも今、びっくりしているんですよ」

 人を殺めても、わたしはアイドルになる。
 燕に語ったあの言葉は、自分でも思いがけずに紡がれたものだった。
 自らの意思で罪を犯したアイドルなど、普通は大衆に受け入れられまい。無事に帰ったところで、軽蔑や恐怖の視線が美鈴に注がれるだろうことは、論ずるまでもないことだ。
 だから、燕を殺した時点で、美鈴のアイドルとしての生命は断たれてしまうのか。
 否、と。美鈴は結論を出したのだ。
 だって、わたしは、すごいアイドルですから。
 理由なんて、これで十分。この身に宿る全能感に、冗長な根拠など要らない。

「わたし、自分で思っていたよりもずっと、悪い子だったみたいです」

 燕に言われて、涙を流していたことを自覚した。
 悲しいから、美鈴は泣いている。
 しかしそれは、罪人となってしまったことや、大切な絆を断ってしまったことへの絶望ではなく。
 人として抱かなければならないはずの後悔の念が、胸の中に湧き上がってくれないせいなのだろう。
 心残りなんて、土をつけるならステージ上が良かったな、と思った程度だった。
 そんな風に、無感情な己の有り様を受け入れようとして。

「……ふふ」

 やっぱり、無視できない熱情に向き合うことにした。
 亡き燕の、頬を撫でる。悲愴の形で固まってしまった燕の表情。既に光が失われた双眸。
 これら全てが、美鈴のせいで作り上げられた。
 息絶える瞬間まで、燕は美鈴のことを想い、一心に見つめ続けていた。その瞳には、美鈴が映し出されていた。
 視界を、美鈴で染め上げられた。その背の向こう側にあったはずの、輝く『一番星』なんか見ることなく。
 あなたの人生の集大成となる最期の時を、秦谷美鈴が、ひとりじめ。

「こんな感覚、知りたくなんかなかった」

 ああ、なんて残酷で、甘美な痺れ。
 漏れ出る嘆息は、悲喜こもごもの音色。
 指でなぞってみた己の口が、綺麗な『三日月』の形を描いていた。

「さようなら、燕先輩。どうかお空で、お元気に」

 そっと燕の瞼を閉じさせて、永遠の別れを告げた。
 自分はきっと、天には昇れない。二度と再会など叶わない。
 ならばせめて、生きている限り、あなたの怒声をいつまでも覚えていよう。
 ゆっくりと、思い出を噛み締めるための時間が、今は必要だった。
 ……それに。
 もし、大好きなあの子も同じ空の下にいるならば。今の自分の姿をどう思われるかと、心の準備をしておかなければ。

「わたし、泣きませんよ。やるからには」

 身を丸めたブラッキーの身体に、背を預ける。体温と毛並みが、ちょうどよい心地よさだった。
 ぼーっと夜空を見上げながら、両目を手で擦る。もう涙で歪められなくなった視界の中、澄み切った黒のキャンパスで、星々が綺麗に、忌々しいほどに輝いている。
 休息にはうってつけの、静かな環境だ。

「……ふぁ」

 お休みの時間が好きだ。だから、誰に何と言われようと、休みたいと思ったら休む。
 わたしは、わたしに正直であろう。それが、秦谷美鈴の譲れないプライドだ。






 秦谷美鈴。
 初星学園高等部アイドル科1年2組。生徒会執行部会計監査。
 素行が悪く、傲慢さが著しく、そして実力は本物である。
 すべての星々を塗りつぶす、夜空のようなアイドルになることを目指している。





【雨夜燕@学園アイドルマスター 死亡】





【秦谷美鈴@学園アイドルマスター】
[状態]:健康(小程度のダメージを、次話時点で解消できる程度に回復の見込み)
[装備]:ブラッキー&ブラッキーのモンスターボール@ポケットモンスター(2023)
[道具]:基本支給品、ランダム支給品×1~5
[思考・状況]
基本方針:最後まで生き残る。わたしらしく、のんびりと。
1:もし、まりちゃんもここにいるなら――
[備考]
※参戦時期は未定。



【支給品紹介】

【ブラッキー&ブラッキーのモンスターボール@ポケットモンスター(2023)】
秦谷美鈴に支給。スピネルのブラッキーと、それが入ったモンスターボール。
ブラッキーの技はバークアウト、リフレクター、でんこうせっか、イカサマなど。
最終更新:2026年03月22日 16:13