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ぐちゅり、ぐちゅり。

 水気の多い泥を捏ねるような、あるいは熟れた果実を握り潰すような音が、静寂に包まれた森の片隅に響いていた。音の発生源は一人の青年。何の変哲もない学ラン姿に、可も無く不可もないショートヘアー。まさしく、特徴がないことが特徴と言えるだろう。
 ──ただひとつ。その体から無数の巨大な螺子が生え、さながら奇妙なオブジェと化していたことを除けば。

 体中から鮮血が滴り落ち、黒い制服をさらに濃い闇色に染めていく。
 痛みはある。当然だ。神経が断裂し、筋肉が悲鳴を上げている。だが、彼はその激痛さえも日常茶飯事であるかのように、へらへらと貼り付けたような笑みを崩さない。

 『あーあ、やっぱり、この程度じゃ死ねないか』

 独り言ちて、彼は自身の太腿に深々と突き刺さった螺子を引き抜いた。肉がめくれる不快な感触と共に、傷口からどっと血が噴き出す。

 『首輪の爆破条件は確認済み。禁止エリアの境界線も把握した。あとは──』

 彼は顔色ひとつ変えず、血に濡れた手でひときわ太く、巨大なマイナス螺子を持ち上げた。それを、自分自身のこめかみへと向けて。

 『死んだらどうなるか、だよね』

 ブチュッ。

 実験動物に針を刺すような手つきで、彼は自身の側頭部に螺子を叩き込んだ。肉が破裂する音が響き、制御を失った体が地面に倒れ伏す。静寂を取り戻した森の地面に、赤い血の海が静かに広がっていった。

【球磨川禊(めだかボックス):死亡】

 『──やれやれ、自殺ってのは痛いね。だから嫌いなんだ』

 だが、次の瞬間。たった今、脳漿を撒き散らして倒れたはずの場所で、彼は「立って」いた。
 穴の空いた頭蓋骨も、失われたはずの血液も、身体中を串刺しにしていた螺子さえもなく。まるでビデオテープを巻き戻したように──否、最初からその傷自体が「なかった」かのように、無傷の状態で佇んでいる。

 『さて、と』

 彼は何事もなかったかのように口を開き、まるで肩の凝りをほぐすような仕草で首を回すと、パンパンと学ランについた見えない埃を払った。つい先程まで、そこには脳漿と鮮血の海が広がっていたはずだ。だが今は、森の湿った土の匂いしかしない。
 これはまさしく、彼の持つ史上最悪の過負荷「大嘘憑き」がこのバトルロワイアルにおいても有効であることの証明だった。

 『死んだのに、あの「教室」に行かなかった。安心院さんに会えなかったのは寂しいけれど……これは収穫だね。彼女はこのゲームの運営には関わっていない。もし彼女が噛んでいるなら、こんな回りくどい無視の仕方はしないからね』

 どこからか取り出した髪櫛で、乱れてもいない髪を丁寧に整えながら、球磨川は無表情で虚空を見上げた。

 彼の「大嘘憑き」は、自身の死さえも「なかったこと」にする。だが、今回の蘇生には奇妙な違和感があった。本来なら、死の直後には「面会」があるはずなのだ。彼が死ぬたびに転送される精神世界──あの古びた教室で待つ、安心院なじみという名の超越者との邂逅が。そこでの会話を経て、彼は現世へと舞い戻るのがいつものルーチンだ。

 だが、今回はそのプロセスが丸ごと欠落していた。教室を経由することなく、暗闇から直接叩き起こされたような感覚。まるで死んだ事実そのものが、システムエラーで弾かれたかのようだった。

 おちょくられているのかとも考えたが、これほど回りくどい方法を彼女はしないだろう。付き合いの長い彼女の性格は、球磨川自身が一番理解しているつもりだった。

 ゆえに──この殺し合いという事態が、彼女に関係のない場所で偶然引き起こされたものであり、自分は不運にもそれに巻き込まれてしまったのだろう。そう球磨川は結論づけた。

 『確かベリアルちゃんだっけ? これだけ大舞台をセットできるなんて、彼には結構期待できるかもなあ。これはもしかすると、僕の安心院さんを倒せるスキルホルダー探しの旅も終わるかもしれないね』

彼の思考は驚くほどクリアだった。自分の頭を吹き飛ばした直後だというのに、恐怖も混乱もない。あるのは、新しいおもちゃを与えられた子供のような、無邪気で残酷な好奇心だけ。

 カチャリ、カチャリ。

 彼は左手で首元の冷たい金属に触れた。緩やかに、確実に喉元を締め付ける首輪。文字通り、生殺与奪の権を他人に握られる感覚。一般人であればパニックに陥るであろう状況を再認識しても、球磨川は楽しそうに目を細めた。

 『これ、邪魔だね』

 言うが早いか、彼は無造作に「それ」を発動させた。
 ためらいも構えもない。呼吸をするように、瞬きをするように。この世の理を書き換える悪魔のスキルを、首輪へと叩きつけ──

 『「大嘘憑き」──この首輪をなかったことに……おっと』

 球磨川はきょとんとした顔で、自身の右手を見つめた。ただ漠然と、それでいて直感的な理解。この首輪は特殊能力の類では外せない。実際に使ったが、発動しない。いや、発動が効いていないというべきか。手応えはあっても、それでも首輪は健在だった。

 『……ふーん。なるほど。ベリアルちゃん、性格悪いねー。僕の考えもお見通しってわけだ』

 彼はわざとらしく肩をすくめ、首元の拘束具を愛おしげに撫でた。この首輪はただの能力封じではない。あえて能力を使わせた上で、肝心な部分だけは干渉させない。「無駄だ」と分からせるためだけの意地悪な仕様。その陰湿さは、球磨川にとってむしろ好感触ですらあった。

 『ま、いいや。君がその気なら、僕はこの状況(不幸)を楽しむことにするよ』

 彼はデイパックの存在を思い出し、視線を落とす。そこで初めて、隣に転がっている二つの物体の存在に気がついた。一つは支給品らしきデイパック。もう一つは──原型を留めぬほどに損壊した、肉塊と化した死体だ。性別すら判然としないその残骸を前に、球磨川はパッと表情を明るくした。

 『おや、こんなところで寝てるなんて無防備だね。おーい、大丈夫かい?』

 彼は迷いなく死体のそばにしゃがみ込むと、まるでクラスメイトに話しかけるような気軽さで顔(だったもの)を覗き込んだ。当然、返事はない。ただ生温かい鉄の臭いが漂うだけだ。

 『無視かぁ、つれないなぁ。でも、僕は嫌いじゃないよ』

 球磨川は頬杖をつき、濁ったような、それでいて澄んだ瞳で死体を見つめる。

 『出会って数秒で死に顔(すっぴん)を晒してくれるなんて、大胆だね。そういう無防備な女の子が、僕は大好きなんだ』

 わざとらしく肩を落としながら、球磨川はその赤黒い肉塊へと愛おしそうに右手を伸ばした。彼にとって、人間か物体か、生きているか死んでいるかなど些細な問題なのだ。そこに「不幸」があるなら、彼は等しく愛でることができる。

 『せっかくだし、お近づきの印として、君のその散らかった顔。僕が綺麗にしてあげるよ』

 彼の右手が、彼または彼女の体に触れて──

 バチッ。

 『うわっ! ……っと』

 弾けるような稲妻が視界を覆った。そして、肉のこげたような匂いが鼻をつく。

 『あーあ』

 球磨川は自身の右手を見下ろした。 まるで高圧電流に当てられたように、人差し指と中指が根本から焼き切れ、炭化した皮膚が周囲を覆っている。

 『へえ、なるほど。そういうことね』

 指を千切り飛ばされたことによる激痛にも、彼は眉ひとつ動かさない。ただ瞬きをする間に、失われた指は何事もなかったかのように元の姿を取り戻していた。

 あの時、頭の吹き飛んだ女性が生き返らなかった理由。そして、今。死体への干渉が防がれたことを省みると、球磨川の脳内は一つの仮説を弾き出した。

 『多分ブロックされてるのかな。他の子に僕の「大嘘憑き」を使うのは』

 単純明快、そして効果的な制限。他者への無差別な「大嘘憑き」の発動を防ぐという手段は、球磨川禊というイレギュラーをただの一参加者へと蔑める良い方法だと言えるだろう。

 彼はわざとらしくため息を吐きながら、肩をすくめた。

 『あーあ、制限ばっかでやになっちゃうよ。もっと自由でもいいと思うんだけどねえ』

 不満げに足元の石を蹴り飛ばす。同時に、眩しいものを感じて彼は空を見上げる。もうすぐで夜が明けるのだろう。空の向こうから、真っ赤な太陽が顔を出し始めていた。

 その光景を見て、思いついたように球磨川は口元を弧に歪める。他人への干渉が不可能ならば、その舞台ならばどうだ? 

 『「大嘘憑き」』

 彼は太陽に向かって、両手でネジを構えた。

 『──この世から太陽をなかったことにした』

 ……何も起きない。明け方の空は憎らしいほど澄み渡り、太陽は嘲笑うように輝いている。

 『時間をなかったことに』

 『色をなかったことに』

 『……雰囲気をなかったことに』

 矢継ぎ早に、彼は世界の改変を宣言した。だが、世界の景色は一つとして変わらない。依然として、球磨川禊に不都合なままだ。全てが徒労。意味を持つこともなく、球磨川の言葉は虚空へと消えて行った。

 『ま、仕方ないか。いつだって逆境。それが僕(過負荷)の専売特許だからね』

 球磨川は再び足元の死体へと視線を戻した。治せなかった。生き返らせることができなかった。普通の人間なら無力感に打ちひしがれる場面だろう。だが、彼は──笑っていた。ただ、それは先ほどまでの冷たさを持っていない。

 『ごめんね。どうやら君を直すのは、僕の力を超えてるみたいだ』

 彼はしゃがみ込んだまま、目の前の肉塊の頭を優しく撫でた。血糊が手にべっとりと付着するが、気にする素振りも見せずに。

 『でも安心してよ。きみが負けたこと、僕はずっと覚えててあげるから』

 彼はどこからともなく一本の巨大な螺子を取り出すと、死体の枕元へと突き立てる。彼なりの即席の墓標のつもりだろう。満足そうに頷くと、球磨川は指先で螺子の頭をなぞり、金属をバターのように削って文字を刻み込む。

 《名も無き敗者、ここに眠る》

 『うん、いい感じ。……あ、そういえば』

 ふと、彼は思い出したように顔を上げた。脳裏に浮かぶのは、このゲームの開幕早々に散った、褐色の肌を持つ少女のことだ。
 圧倒的な暴力の前に為す術なく敗れ、首から上を失った彼女。その無念、その絶望。

 『あの子も、いい負けっぷりだったなあ』

 彼はニヤニヤと笑いながら、墓標の裏側にもう一行、言葉を刻み足した。

 《空の戦乙女も、またここに眠る》

 会ったこともない、名前も知らない。けれど、理不尽に踏みにじられた「弱者」であるという一点において、球磨川禊は彼女たちの味方であると決めていた。

 『さて、お葬式はこれでおしまい!』

 乾いた音を立てて手を合わせると、彼は瞬時に興味を切り替えた。その視線の先には足元に転がるデイパック。生き残るための物資が詰まった、この絶望的なゲームの参加者にとって希望の箱だ。

 『ジャンプなら、ここで凄い力が宿るアイテムなんかが出てくるんだろうけどねー』

 彼はデイパックの底を掴むと、躊躇なく逆さまにした。中身を確認しながら丁寧に取り出すなどという几帳面な真似はしない。ただゴミ箱をひっくり返すように、乱暴に振るだけだ。

 ガシャガシャ、ドサッ!

 重苦しい音と共に、中身が地面へとぶちまけられた。水、食料、地図、コンパス、名簿帳にスマートフォンなどの基本支給品に混じって、明らかに場違いな物体が二つ、自己主張激しく転がっている。

 『へー。これなに? CD?』

 球磨川はまず、虹色に輝くCDのような円盤を摘み上げた。だが、その感触は硬質プラスチックのそれではない。まるで生きた内臓を触っているかのような、生温かい弾力がある。

 『……うっわ、きもちわる』

 ポイッ。

 一切の躊躇もなく、彼は支給品を手放した。放り投げられたディスクは回転し、背後の草むらに落下して行く。表面に書かれた《スター……》という文字と、拳を振り上げる人影が一瞬煌めいたような気がしたが、彼は興味なさげに視線を切った。

 『次はこっちか。あはは、映画でしか見たことないよ、こんなの』

 彼の視線が、黒光りする鉄塊へと移る。正式名称M134──通称、ミニガン。毎分何千発もの弾丸を吐き出す、通常のバトル・ロワイアルならばオーバースペックの重火器だ。球磨川は細い腕でそれを持ち上げようとして、すぐに顔をしかめた。

 『おっ、重……! 無理無理、こんなの持ったら肩が凝っちゃうよ』

 鉄塊はビクともしない。常人なら「重くて使えない」と嘆く場面だ。だが、彼の思考は斜め上に突き抜けている。

 『それにさあ。こんなゴツイの構えてたら、まるで「やる気満々」みたいじゃん』

 彼は埃を払うように、ミニガンに向かって手をかざした。

 『僕は弱い過負荷(マイナス)だ。勝とうなんて思ってないし、努力なんて一番嫌いな言葉だ。だから──』

 ふわり、と。

 彼が掌を振った瞬間、その空間から「質量」が消滅した。
 音もなく、光もなく。数十キロはあったはずの鉄の塊が、最初から存在しなかったかのように掻き消えたのだ。

 『うん。「所有者のいない無機物」なら消せる』

 彼は満足げに頷き、空になった掌を握ったり開いたりして感触を確かめる。

 『他人の装備品はダメ。他人の肉体もダメ。でも、そこに落ちてるだけのゴミなら、僕の嘘で塗りつぶせる。……なるほどね』

 このゲームにおけるルールと、自身の過負荷。その境界線ギリギリが見えてきたのだ。彼はニヤリと笑う。そして、支給品をおとなしくデイパックの中に戻そうとして──

 『おや?』

 ふと、彼の視線が散らばったガラクタの山から取り出したデイパックの口に吸い寄せられた。何か、白いプラスチックの取っ手のようなものが飛び出している。

 『あはっ、これだこれだ! こういうのを待ってたんだよ!』

 途端に、彼は宝物を見つけた子供のように表情を綻ばせた。宝箱を開けるような手つきで、それを引っ張り出す。彼が掲げたのは、どこにでもある白い拡声器だ。
 銃でもない。剣でもない。ただ音を大きくするだけの戦闘においては何の意味も持たないガラクタ。だが、球磨川禊はミニガンを見た時よりも遥かに嬉しそうに、そのチープなプラスチックを愛でた。

 『重たい銃より、切れ味のいい剣より。僕みたいな過負荷(マイナス)には、こういう「役に立たない」道具がお似合いだよね』

 鼻歌まじりに彼は彼は物資をめちゃくちゃにデイパックに放り込むと、それを背負い直した。
 そして、右手には自身のトレードマークである巨大な螺子を。左手には、この殺し合いには不釣り合いな拡声器を握る。

 『うん、ベストマッチだ』

 彼は満足げに頷くと、軽やかな足取りで歩き出した。目指すのは森の奥、ひときわ高く聳える山の頂点。隠れるわけでもなく、逃げるわけでもなく。まるで遠足に来た小学生のような心持ちで彼は山頂を目指す。

 やがて、彼は山頂にある古びた展望台へと辿り着いた。錆びついた手すりの向こうからは、辺り一面に広がる鬱蒼とした森と、その先に建設された無機質な都市エリアが見える。
 ふと、遠くからドォォン……という爆発音が風に乗って聞こえてきた。すでにどこかで命の奪い合いが始まっているのだろう。通常ならば、ここで息を潜めて隠れるなり、漁夫の利を待つなどの選択肢を取るはずだ。

 『おいおい、僕を置いていかないでよ。あんまり急かされると、足を引っ張りたくなるじゃないか』

 だが、彼は左手の拡声器を持ち上げると、迷わずその電源スイッチをオンにした。



 キィィィィィィン。



 森の静寂を、甲高いハウリング音が切り裂いた。

 『あー、あー、テステス。本日は晴天なり。マイクのテスト中。えー、聞こえますかー?』

 キーンと、再び耳障りなハウリング音が余韻を残して消える。
 返事はない。当然だ。命のやり取りをしている最中に、どこの誰とも知れない馬鹿な放送に「聞こえてますよー」なんて律儀に返すお人好しはいない。
 けれど、森全体の空気が変わったことだけは肌で感じ取れた。張り詰めた緊張感。警戒。そして、隠しきれない困惑。見えない無数の殺意が、この展望台へと一斉に向けられている。

 『うんうん、感度良好。みんな聞いてくれてるみたいだね』

 球磨川は満足げに頷くと、わざとらしくコホン、と咳払いをした。これだけ注目されれば十分だ。彼はニヤリと口元を歪め、改めて拡声器を口元に構え直した。

 『はじめまして! 愛と勇気に満ち溢れた主人公のみなさん! 暴虐と悪逆の限りを尽くす悪役のみなさん! そして──』

 一拍置いて、彼は満面の笑みで告げた。

 『今にも死にそうなモブキャラのみなさん!』

 能天気な声がスピーカーのノイズ混じりに、森全体へと木霊する。どこかで爆発音が止んだ気がした。 
 誰もが耳を疑っているのだろう。殺し合いの最中に、これほどふざけた放送が流れるなどと。だが、球磨川は構わず畳み掛ける。

 『僕は球磨川禊! この殺し合いを裏から糸引く、正真正銘の黒幕でーっす!』

 森の空気が、ピキリと凍りついたのが分かった。恐怖、警戒、あるいは殺意。無数の視線が、この展望台へと突き刺さる感覚。

 それを肌で感じ取りながら、彼はクツクツと喉を鳴らす。

 『──というのは勿論、嘘なんだけど。あはっ。今信じた馬鹿、どれくらいいるー?』

 彼は可笑しくてたまらないといった様子で、展望台の手すりをバンバンと叩いた。

 『いやあ、ピュアだねえ! そんなんじゃ、オレオレ詐欺に引っかかって老後には破産しちゃうよー!』

 あははは、と乾いた笑い声が、静寂の森に不気味に響き渡る。
 他には誰一人として笑っていない。ただ一人、球磨川禊だけが、この異常な状況を心底楽しんでいる。ひとしきり笑った後、彼はふっと声を落とした。

 『ま、安心してよ。僕は聞いての通り、弱くて惨めな過負荷(マイナス)だ』

 彼は自嘲するように肩をすくめた。

 『僕は弱いからね。きみたちと戦わないし、邪魔もしない。ましてや優勝して願いを叶えるなんて、おこがましいにも程がある』

 彼はここで言葉を切り、大きく息を吸い込んだ。そして、展望台から見下ろす有象無象のプレイヤーたちへ向けて、恭しく宣言する。まるで、これから上演される悲劇の幕を開けるかのように。

 『それでも、僕がきみたちに約束してあげられることが一つだけあるんだ』

 その顔には、いつも通りの貼り付けたような笑みが浮かんでいた。

 『君たちがどれだけカッコよく戦っても。どれだけ無様に死んでも』






 【その「無意味な結末」だけは、僕が最後まで見届けてあげる】






 『あ、もし道端で会ったりしたらよろしくねー!(笑)』



 キィィィィィィン。


 再び甲高いハウリング音が鼓膜を打ち、プツリと音声が途切れる。彼が電源の切れた拡声器を下ろした時には、森は元の静けさを取り戻していた。

 だが、その静寂は先ほどまでのものとは質が違う。ピリピリと肌を刺すような、無数の殺意と警戒が入り混じった、まるで針のむしろのような沈黙。

 『うんうん、いい空気だ。みんな僕のことが気になって仕方がないみたいだね』

 球磨川は満足げに頷くと、デイパックに拡声器を乱雑に押し込んだ。
 地図も名簿も見ない。そんなものに頼らずとも、彼には分かる。不幸な人間、敗北に近い人間、そして──「物語」の中心になりそうな人間が、どこにいるのか。

 過負荷(マイナス)特有の嗅覚が、彼を呼んでいる気がした。

 『さーて、僕もスタンスを固めたわけだし、さっそく誰かを冷やかしに行こーっと。仲良くなれるといいなあ!』

 彼は軽い調子で言い放つと、展望台の錆びついた手すりに足をかけた。
 眼下には断崖絶壁。遥か下には鬱蒼とした樹海が広がり、落ちればタダでは済まない高さだ。普通なら、来た道を戻るか、階段を探す場面だろう。

 けれど、球磨川禊は躊躇わない。

 『歩いて降りるなんて、面倒くさいしね』

 彼はまるで、体育館の壇上から飛び降りるような気軽さで、トン。と虚空へ身を投げ出した。
 重力が彼を捕らえ、風が頬を切り裂く。急速に迫り来る地面。避けようのない激突の予感。それでも落下する彼の顔には、変わらぬニヤニヤ笑いが張り付いていた。

 グシャ、という音が響くのは数秒後のことだ。もちろん、彼にとっては「なかったこと」になる些細な痛みでしかない。

 『それじゃあ、行ってきまーす』

 負完全、球磨川禊。

 最弱にして最凶のイレギュラーが、空の底へと墜ちていく──。





【球磨川禊@めだかボックス】
[状態]:健康。現在落下中。数秒後には地面と激突。
[装備]:特になし。
[道具]:基本支給品一式、拡声器。
[思考]:このゲームの「敗者」、その行く末を見届ける。
1:誰かを冷やかしにいこーっと。
2:安心して! たとえ死んでも、僕が君のことを覚えててあげるから!
3:そういや、安心院さんはどうしてるんだろう? もしかして参加してたりするのかな?

[備考]
「大嘘憑き」による直接的または間接的な他者への干渉と、首輪への干渉が防がれることを確認しました。自身と所有者のいない物体には、通常通り発動が可能です。
支給品の「スタープラチナ」のスタンドディスクを手放しました。
最終更新:2026年02月10日 12:40