ANARCHY FOREVER FOREVER ANARCHY 第4話
◆
「…振り向かないで下さい…」
「…振り向かないで下さい…」
背中を突く鋭利な感触と対照的な、落ち着いた穏やかな声。葦屋我堂の背後を取れる者などそうはいない。暗い林に現れた蘆屋の追っ手はやはり恐るべき手練れだった。
「…遅刻した『外野』だな? こんだけ素早いのに、なぜ取引に遅れた?」
顔の見えぬ蘆屋の女は答えない。だが彼らと異国船の取引を台無しにして僅か数時間、疾風のごとく逃走した我堂を容易く捕捉した相手だ。振り返ればその瞬間、彼女の鋭い武器は我堂の心臓を深く貫いているだろう。
「…それにお前の声、聞き覚えがある。京都にいたか? それとも…」
「…喋らないで下さい。我堂…さま…」
離反者とはいえ、主たる葦屋一族の殺害を躊躇っているのか、彼女の鋭い武器は動かない。呼吸を整え、記憶の底から聞き覚えのある女の声を呼び覚ました我堂は、両手を挙げたまま静かに尋ねた。
「…もしかしてお前、『つう』か?」
「……」
彼女の変わらぬ沈黙で我堂の問いを認めている。『つう』…この名を口にするのは何年振りだろう。背後の刺客が彼女であるなら、任務とはいえその逡巡は当然だった。
◆
『…ねえ、つうはどこからきたの?』
…暗殺、密約と裏切り、そして人体実験。掃討作戦前から延々とその血なまぐさい生業に明け暮れる蘆屋一族に生まれた我堂は、物心ついたときからずっと母を知らず育った。
だが、彼は決して不幸な少年ではなかった。万全に警備された小綺麗な子供部屋で、外界の子供たちが見たこともないようなピカピカの三輪車に乗った我堂の傍らには、常に優しい『つう』がいたのだ。
我堂より幾つか年上の彼女が、果たしてどこから来たのかは判らない。いつも白いエプロン姿で柔和な微笑みを浮かべ、我堂の我が儘に決して逆らわなかったつう。
だが、彼は決して不幸な少年ではなかった。万全に警備された小綺麗な子供部屋で、外界の子供たちが見たこともないようなピカピカの三輪車に乗った我堂の傍らには、常に優しい『つう』がいたのだ。
我堂より幾つか年上の彼女が、果たしてどこから来たのかは判らない。いつも白いエプロン姿で柔和な微笑みを浮かべ、我堂の我が儘に決して逆らわなかったつう。
…食事の世話、ボール遊びに鬼ごっこ。彼女が添い寝して読んでくれる絵本に、我堂は心躍らせながら眠りに就いたものだ。
あくまでも比較的な話だが、我堂が蘆屋一族のなかでは朗らかな性分に育ったのは、つうの温もりに包まれて育った幼い日々のせいかも知れない。
献身的な『姉や』であった彼女が乳母の仕事だけでなく、幼い我堂には決して見せなかった妖しい力で彼の護衛も兼任していたことに気付いたのはいつだっただろう…
あくまでも比較的な話だが、我堂が蘆屋一族のなかでは朗らかな性分に育ったのは、つうの温もりに包まれて育った幼い日々のせいかも知れない。
献身的な『姉や』であった彼女が乳母の仕事だけでなく、幼い我堂には決して見せなかった妖しい力で彼の護衛も兼任していたことに気付いたのはいつだっただろう…
『…つうは我堂坊ちゃまのお世話をするため、御伽の国から参ったのですよ…』
そして、ある日突然いなくなったつう。おそらく別の任務に就いたのだろう。
すでに一族の歩む昏い道に足を踏み入れていた我堂は、周囲の誰にも彼女の過去と今を問い質すことはしなかった。
顔見知りの失踪など詮索すれば周囲の者を苦しめるだけ。いつしか蘆屋の常識を疑問にすら感じなくなっていた我堂。彼はつうを『いなかった』ことにして生きてきたのだ。
だが、今でも我堂は時々つうの味を真似たクッキーを焼いてみる。懐かしく、でも何かがほんの少し違う味。それだけが姉のように慕った彼女と我堂を繋ぐものだった。
すでに一族の歩む昏い道に足を踏み入れていた我堂は、周囲の誰にも彼女の過去と今を問い質すことはしなかった。
顔見知りの失踪など詮索すれば周囲の者を苦しめるだけ。いつしか蘆屋の常識を疑問にすら感じなくなっていた我堂。彼はつうを『いなかった』ことにして生きてきたのだ。
だが、今でも我堂は時々つうの味を真似たクッキーを焼いてみる。懐かしく、でも何かがほんの少し違う味。それだけが姉のように慕った彼女と我堂を繋ぐものだった。
◆
…朝靄に煙る林のなか、彫像のように佇んだ二人の周りに幾つかの殺気が集結してくる。つうと共に任務に遅刻した蘆屋の殺人部隊だ。彼らは息を潜め、つうが裏切り者を刺し貫く瞬間を待っていた。
「…動かないで…下さい…」
まるで懇願するようにつうが囁く。しかしその細い声音とは裏腹に、我堂の背中を抉る切っ先はじりじりとその力を強めている。追憶など過去の遺物。我堂とつうの心には全く同じ葛藤が暴れ回っている筈だった。
(…くそっ…こりゃ『鎌鼬』の出番か…)
一見無防備に見える我堂の背中は、真後ろの敵を瞬時に切り裂く『鎌鼬』の呪式をペイントしたレザージャケットに守られている。
蘆屋を出奔してから、苦労して安倍系の術者から学んだこの技は、ずっと後ろを守る者を持たぬ我堂の誰も知らない切り札だ。
思い出を断ち切り、先に蘆屋らしい非情な刃を振るった者が生き残る…しかし我堂の薄い唇は、もう何度となく喉までせり上がる『鎌鼬』の起動呪文を呑み込んでいた。
蘆屋を出奔してから、苦労して安倍系の術者から学んだこの技は、ずっと後ろを守る者を持たぬ我堂の誰も知らない切り札だ。
思い出を断ち切り、先に蘆屋らしい非情な刃を振るった者が生き残る…しかし我堂の薄い唇は、もう何度となく喉までせり上がる『鎌鼬』の起動呪文を呑み込んでいた。
「…何故…貴方が取引の妨害を?…」
「…ま、いろいろあったんだ。まさか蘆屋が絡んでるとは知らなかった…」
曙光射す林に濃密な殺意を振り撒く処刑部隊は、つうの小さな指示でその動きをピタリと停めていた。しかし隠し切れぬ彼らの苛立ちは、指揮官たる彼女への明らかな不信に違いない。
「…つう様、速やかに始末を!!」
不遜な雑魚の台詞に舌打ちした我堂は、彼ら『外野』が取引に遅刻したのは、何らかの方法で自分の乱入を知ったつうの計らいであることを確信した。
そして、刺客たちがお互い、常に油断なく猜疑の眼を注ぎあうのが蘆屋の流儀だ。たとえこの隊の指揮官がつうであっても、もはや時間稼ぎなど通用しない。
そして、刺客たちがお互い、常に油断なく猜疑の眼を注ぎあうのが蘆屋の流儀だ。たとえこの隊の指揮官がつうであっても、もはや時間稼ぎなど通用しない。
「…動かないで…我堂坊ちゃま…お願いです…」
もはや悲痛な囁き。つうと我堂、どちらにとっても空しく苦悩に満ちた時間だけが流れる。長い空白の歳月を経た二人は互いを信じ、力を合わせこの窮地を共に逃れるだけの絆をもう持ってはいなかった。
(…所詮…俺もつうも、蘆屋の人殺しなんだよな…)
…信じるのは己の力のみ。強靭な生への欲求が我堂の心を修羅に変えようとした刹那、彼女の震える鋭い刃もまた、我堂の背をグサリと穿っていた。
「窮奇…招来!!」
我堂の口から迸る招魔の絶叫。冷たい痛みを背中に感じながらも、ある種の恍惚と共に彼は背後のつうに向け『鎌鼬』を放つ。かつて姉弟だった二人の再会と訣別は、高く哀しいつうの悲鳴で終わった。
(…許せ…つう…)
そして倒れたつうを振り返ることなく、我堂は押し寄せる刺客たちにその牙を剥く。つうに刺された背中の傷は浅手だったが、その鈍い疼きはただ我堂の心をどす黒い憤怒だけに染めた。
「…全・員…殺・す!!」
解放された鎌鼬は耳障りに軋みながら、木々の枝ごと刃向かう敵をすっぱりと切断する。我堂の鉄棒の重い唸りも、いつになく残忍にその音と重なる。
瞬く間につうの配下であった異形の力を持つ戦士たちは叩き潰され、ずたずたに切り裂かれて曙光射す松林に散らばった。
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解放された鎌鼬は耳障りに軋みながら、木々の枝ごと刃向かう敵をすっぱりと切断する。我堂の鉄棒の重い唸りも、いつになく残忍にその音と重なる。
瞬く間につうの配下であった異形の力を持つ戦士たちは叩き潰され、ずたずたに切り裂かれて曙光射す松林に散らばった。
◆
「…つう…」
虚ろな静寂が戻った松林に眩い朝の日差しが落ちる。殺戮を終えた我堂はその悲しげな瞳をそっとつうの亡骸に向けた。木漏れ日に舞い上がる、純白の羽毛。
生涯を蘆屋の忌まわしい規律に縛られ続けたつう…美しい鶴の異形は、その本来の姿で息絶えていた。
生涯を蘆屋の忌まわしい規律に縛られ続けたつう…美しい鶴の異形は、その本来の姿で息絶えていた。
「…そ、んな…」
跪いた我堂を絶句させたものは、つうの朱に染まった異形の姿ではない。血に濡れた細い嘴の先に、彼女がしっかりと咥えている小さな電子機器。それは…
(…畜生…なんてこった…)
天衣無縫の無頼漢を気取る我堂の居場所など、蘆屋一族はいつでも把握していたのだ。もう、つうに詫びる言葉すら我堂には思い浮かばない。
おそらく産まれたときから我堂の体内に埋め込まれていたであろう発信機は、まるで不吉な黒い虫のようにポトリ、とつうの嘴から零れ落ちた。
おそらく産まれたときから我堂の体内に埋め込まれていたであろう発信機は、まるで不吉な黒い虫のようにポトリ、とつうの嘴から零れ落ちた。
つづく
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