「れ――」
朝。
「――令呪十画、だとォ~~~ッ!?」
自身の持つ星座のカードより聖杯戦争運営からの通知を確認した
東方仗助少年が漏らした第一声はそんな復唱であった。
だが、無理もないだろう。驚く彼がおかしいのではない。あくまでも、この討伐クエストの内容がおかしいのだ。
実のところ、聖杯戦争という儀式に例外は付き物である。イレギュラーなサーヴァント、監督役の不正、聖杯の欠陥、等など枚挙に暇がない。
それを差し引いても、この報酬の内容は破格に尽きた。令呪十画というのもそうだが、問題はそのついでのように記された文言。
「希望者は元の世界への帰還」。これに飛び付く人間が山のように居るだろうことは、仗助の脳味噌でも十分に理解することが出来た。
一体どれだけのイレギュラーが起こったならこんな内容になるのかは見当も付かないが――
「……セイバーさん、こいつぁ……」
「ええ」
仗助のサーヴァントである白翼の彼女も、彼と全く同じ感想のようだった。
彼女の表情はいつも通りの鉄面皮。凪の水面のようにそこに揺らぎはない。
その両眼はじっと、開示された件の主従に向けられている。
彼女にしては珍しく、この時向けられた瞳は看護婦としてのものではなかった。
一人の英霊――聖杯戦争に名を連ねた人類史の影法師の一人としての視線が、そこにはあった。
「相当な手練れなのでしょう。いえ、手練れ程度で済むなら易しい。
恐らくは、存在そのものが聖杯戦争を揺るがしてしまうような"規格外"の英霊なのだと思われます。
詳細なステータスまでは開示されていないようですが……マスター。貴方にも分かりますね。語るまでもなく」
「そうスね……俺にも分かりますよ」
燃えるような赤髪の男。それとは対照的に、綺麗すぎて潔癖症かと疑いたくなるほど見事な白一色で染め上げられた機械の鎧。
誰が見たって、尋常な存在じゃないと一目で分かる。人の枠を越え、ともすれば神の領域にさえ達した超常存在――サーヴァント。
この英霊こそが今回の、この馬鹿げた討伐令の槍玉に挙げられた"ライダー"だ。ゴクリと、仗助は生唾を呑み込み口を開く。
「こいつは、"ヤベぇ"。上手く言えねーッスけど、俺の中の『本能』みたいなもんがガンガン訴えてきやがりますよ。"近付くな""関わるな"って!!」
感覚としては、ナイチンゲールと初めて邂逅した瞬間のそれによく似ていた。
自分は人ではないもっと上の存在と相対しているんだ、と直感的に理解させてくる相手。
しかし体感では、ナイチンゲールの時に感じたものより何倍も上だ。
彼女を侮っているわけでは断じてないが、あの時とは比にならないと断言出来る。
その理由は明快であった。――仗助は一目見ると同時に確信してしまったのだ。こいつと手を取り合うことは絶対に出来ないだろう、と。
――彼にそれは何故かと問うても、曖昧な答えを返す以外のことは出来ないだろう。
が、東方仗助という少年の身体を流れる血、その血脈の意味を考えれば自ずと理由が浮かび上がってくる。
偉大なるジョナサン・ジョースターよりも遥か以前から受け継がれてきた正義の血。
どんな巨大な悪を、闇を前にしても決して陰ることのない"黄金の精神"。
一方で討伐令を通じ大々的に発布されたライダーのサーヴァント『
カルキ』もまた、陰ることのない眩い輝きをその魂に湛えている。
両者はよく似ているが、しかし同一では有り得ない。重なり合うことは絶対にない。
"黄金の精神"は人を惹き付け、時に高め上げ、導くもの。その道には朋が、理解者が必ず居る。
対するカルキの精神――言うなれば"清浄の精神"はどこまでも単一で完結している。聖杯戦争という土俵でなければ、その隣にはきっと誰も居ない。
隔絶された救世主。民に救いを運ぶ者。されど、誰にも理解されぬ者。浄化という概念が擬人化されたような存在。
故に似て非なるものであるのだ、双方は。そしてその事をジョースターの血は……それを宿す仗助は、運命的とも呼ぶべき直感で悟ったのである。
だから彼は震えた。恐怖に背筋を凍らせた。それは間違いなく、前人未到の巨峰に挑む登山家が抱く恐れと同種のものだった。
「極めて重度かつ深刻な危険思想の持ち主かつ、運営側への反逆行為」
討伐事由の項に記された文章を読み上げるナイチンゲールの声に仗助はハッと我に返る。
何をぼさっとしているのですかと叱られるかと一瞬恐れたが、どうやらそれは免れたらしい。
仗助も同じ文面へ目を向け、反芻する。フム、と声が零れた。
「街の人を……『魂喰い』っつーんでしたっけ? そういう薄汚ねえ動機で虐殺したとかじゃあないんスね。
正直、"極めて重度かつ深刻な危険思想"なんて人様に指摘出来た身分かよって思いますけど。同じ穴のムジナもいいとこだぜ」
ケッ、と吐き捨てる仗助。
様々な世界から承諾もなしに人を呼び寄せて殺し合いに専念させるような連中がよく言ったものだと心底思うが、それはそれとして。
そんな危険思想を体現したような運営共をして"極めて重度"と言わしめる思想とは一体如何なるものであるのか、気にならないといえば嘘になる。
相容れるものでないことは、前述の通り既に薄々、理屈とはかけ離れた部分で察しているのだったが。
そんな仗助をよそにナイチンゲールは、ゆっくりと目を伏せ口を開く。
「漠然とした物言いではありますが、見当は付きますね」
「マジスか? 教えてくださいよ、セイバーさん!」
「聖杯戦争そのものを破綻させかねない手の思想。
月並みですが――この地に存在する全ての物体を破壊したいだとか、そういう考え方の持ち主なのではないでしょうか。
無論それだけならただの愚かな参加者で済む話です。出る杭は打たれる。聖杯戦争そのものを敵に回して生き残れるような英霊は存在しません」
一度は閉じられた瞼が、またゆっくりと開いた。
「本来ならば、ですがね」
度を越した危険思想は大衆の敵意ばかり買って味方を増やすということがない。
これは仗助が先程口にした聖杯戦争における最もオーソドックスな討伐令……目に余る魂喰いについても同じことが言える。
運営直々に討伐令を発布されるほど向こう見ずに暴れ回る連中は余程の自信家か気違いかのどちらかだ。
そして大半の参加者は後者と判断し警戒する。距離を取る。報酬を求めて討伐クエストに乗る。
「ペナルティを恐れないこいつらは強い。同盟を組みに行こう」などと考える人間がもし居るのだとすれば、それもまた気違いであろう。
だから所謂性根の危険な主従というのは、聖杯戦争において基本長生き出来ない。
だが――そこに"明らかに常識の範疇を越えた"力が介在しているのならば、話はまた変わってくる。
気違いに刃物という諺があるが、まさにあれだ。
いや、それでもまだ生易しい。
サーヴァントという存在が持つ力の大きさを加味して形容するのなら、災害――という表現以上のものはないだろう。
自律思考して襲い掛かる災害。道理を無理で通し、針の穴を押し広げながら糸を通してくる存在。
運営が排除しようと躍起になるのも分かる。……しかし本当にそれだけなのか? そんなありきたりな失敗が、この大規模な討伐クエストを招いたというのか? ナイチンゲールは、そうではないと考えていた。
「マスター・東方仗助。貴方はこの無機質な文字列を見て、何か感じませんか」
「……? いえ、特に何も感じないスけど……?」
「私には感じるものがあります。ひしひしと、伝わってくるものがある」
フローレンス・ナイチンゲールという女は、ある種の狂人である。
人を癒やすこと、救うこと。病みを取り払うことに比喩でも何でもなく全身全霊を費やした鋼の女。
一言"地獄"以外に形容の余地がないかのクリミア戦争において、ただ一人――ただの一瞬も諦めなかった"人間(てんし)"。
彼女にだけは感じ取ることが出来た。無機質に記された討伐事由、過剰なほどの報酬量。その裏に覗く、何者かの深い深い情念を。
昏く濁ったドブ川のように底の見えない、しかし理解不能なほど淀んでいることだけは分かる"こころ"を。
「確信しました。この聖杯戦争は――病んでいる」
かつてナイチンゲールは己がマスターに言った。
この聖杯戦争における自分の役目は"看護"であると。
自分が召喚されたということは即ち、この聖杯戦争に病める者が多く居るか、聖杯戦争自体が病んでいるかのどちらかだと。
そしてこの時、ナイチンゲールの中で心当たりの片翼が満たされた。闇を通じて病みを見たのだ。底知れない復讐心の一端を垣間見たのだ。
「聖杯戦争を止めましょう、マスター。この病みは、必ずや多くの嘆きと多くの犠牲を生み出します。
そうなれば、最早誰にも救えない。何一つとして拾い上げられない。そんな正真の地獄が顕現する前に、必ず」
「……言われるまでもねェッスよ~! 第一その約束はもう今更でしょ、セイバーさん!!」
不敵な笑顔と共に、ガシッとナイチンゲールの両手を握る仗助。
そんなあまりにも青く若々しい反応に、思わず鋼の天使も笑みを零してしまう。
彼らの聖杯戦争はあくまでも守るための戦い。恩寵を求めず、見返りも求めない。守りたいから、救いたいから拳を握り、命を懸けて戦うのだ。
斯くして、彼らの聖杯戦争は真にその幕を開ける。
他の数多の主従と同じく、今日という日を迎えた彼ら。
その行く末は果てしなく、艱難辛苦に満たされている。
これより人外魔境と化していくだろうこの冬木を彼らが無事生き延びられるかどうかは、誰にも分からない。
誇り高い守護の戦意は、何も為すことなく芥のように砕け散るかもしれない。
この舞台に、明確な主役というものは存在しない故に。
されども、彼らは見失わないだろう。抱いた想いを、その誇りを。ダイヤモンドのように煌めく、その魂を。
「ああ、そうそうセイバーさん。朝飯食ったらですけど、パトロールにでも出掛けないスか? 受け身でいるよりかはよっぽどいいと思うんスよねェ~ッ!」
「反対する理由はありませんね。ただしあまり無茶をするようであれば――」
「わ、分かってますよ~ッ。耳にタコが出来るほど聞きましたって!」
先日の事件のこともあり、今の冬木市はお世辞にも治安がいいと呼べる状況にはない。
だというのに世間はゴールデンウィーク。町は今、歪な賑わいを見せている。そこで聖杯戦争絡みの剣呑な騒動が起こればどうなるか……論ずるまでもないだろう。
だからこそのパトロール。未来の犠牲者を少しでも減らすための社会奉仕(ボランティア)だ。
朝食を平らげ終えた仗助はいつも通りの学ラン姿で、意気揚々と外へ繰り出していくのだった。
――そして、その三十分ほど後のことであった。
仗助達が初めて自分達以外のサーヴァントの存在を感知したのは。
隠す気も何もなく、周囲に発散された気配――それはまるで誘蛾灯のように。
憚ることもなく都市のド真ん中で、傍迷惑なサーヴァントが一騎、暴れる相手を待っていた。
◆
「この上ッスね、セイバーさん!?」
「ええ。あちらも我々の接近に気付いてはいるのでしょうが、動く気配はありません。……接敵狙いか、同盟狙いか」
「どっちにしろ傍迷惑なことには変わりねえッスよ~……!」
サーヴァントを誘い出して戦いたいというのなら、言わずもがな。
もし他の主従と接触し、同盟なり交渉なりするのが目的だとしても――場所が悪すぎる。
今仗助達が居るのは新都のド真ん中だ。連休を利用して冬木にやって来た観光客や休日を謳歌する市民が行き交う往来だ。
正しくはそれを見下ろせる高所……現在はテナントの入っていない七階建てのビルの屋上ではあるが、サーヴァントの戦いから民間人を守る安全保障としてはこの程度、余りにも心許ない。
無いも同じだ。もしもその手の事情に頓着しない輩同士がかち合ったなら、否、片方だけでもそういう手合いだったなら、確実に下の往来に被害が及ぶ。
果たして狙ってやっているのか、それとも無自覚なのか。未だ当の本人達と対面していない以上断言は出来ないが、しかし。
「恐らく、全て承知の上でしょうね。狙いが何であれ、この場所を選んだ理由は"戦いにくい状況"の構築にあるのでしょう」
ほぼ間違いなく前者であろうと、ナイチンゲールも仗助もそう踏んでいた。
神秘の秘匿は魔術師であれば誰もが気にかけること。そして真っ当な倫理観の持ち主であれば、一般人を巻き添えにする事は避けたいと思う筈。
良識のない主従であれば知ったことかと無視して暴れ回るだろうが――逆に言えば、良識や分別があるのなら否応なく民間への飛び火を意識させられてしまう。
要するに縛り付きの戦いを強要されるようなものだ。万一の時のペナルティや悪目立ちするというリスクを除けば、成程理には適っている。
「ムカっ腹の立つ野郎ッスね……! 足下見やがって、タコ助がよォ~……!!」
尤も東方仗助個人としては、それはいけ好かない、卑怯者の考え方であった。
人質を取っていい気になっているゲスな小物。どんな理由があったとしても、断じて好感の抱ける姿勢ではない。
使われなくなってだいぶ経っているらしい、埃の積もっている階段を駆け上がりながら、仗助は己が拳を固く握り締めた。
そのまま息を切らすこともなく階段を上り切り、屋上へと続く扉をバン! と乱暴な音を立てて蹴り開ける。
すると開けた視界の先には――怒り心頭の仗助をして毒気を抜かれてしまうようなシルエットが、ちょこんと佇んでいた。
……少女。少女である。
真っ黒なゴスロリ衣装に、首には所有物の証を意味する銀のチョーカー。
顔立ちにはあどけなさが残る……年頃は人間に換算したなら中学生か、高くても高校生程度だろう。少なくとも仗助よりは年下に見える。
だが年頃を推定することは、彼女が気配の主――サーヴァントであるということを加味しても無意味に違いない。
何故なら露出した脚部、その関節は人間では有り得ない形をしていたからだ。
お高いドールなどでよく見られる、俗に言うところの球体関節。
その身体特徴は、彼女が人でも神でもない、"被造物"の英霊であることを如実に物語っていた。
「……、あんたが――」
一体どんなゲス野郎なのだと怒りを燃やしていた仗助は思わず呆気に取られ、一瞬硬直してしまう。
一人佇むその少女人形があまりにも幻想的で、非現実的な可憐さを湛えていたからだ。
ドールだの少女趣味だのそういった領域とは全くの無縁である仗助ですら、心の中でこの人形を生み出した造物主に称賛の念を送ってしまう程。
それほどまでに、この少女人形は――
ガラティアというサーヴァントは、美しかった。
それもその筈だ。元を辿れば彼女は、キプロスの王が女神アフロディーテを模して彫刻した珠玉の逸品である。
神の視界に届くほどの神域の腕前で仕上げられた、最美の女神のイミテーション。
静止していても美しかった彫像は神の温情で命を吹き込まれ、今や静止物では絶対に辿り着けない領域の美を湛えている。
この美に瞠目しない方が異常なのだ。仗助少年が思わず目を奪われてしまったのは普通のことであり、故に誰にも責められない。
責める権利があるとすれば、それは美を持つ張本人――バーサーカー・ガラティア。仗助達を此処まで誘き寄せた象牙人形のみである。
「――下がりなさい、マスター!」
ナイチンゲールが叫び、仗助を押し退けて前に出る。
その次の瞬間だった。扉の真横、仗助達から見て左側の空間より、巨大な彫像の右腕が押し寄せてきたのは。
全長は仗助の身長を数倍した程のサイズ。人間の身で直撃すれば忽ち圧殺死体が出来上がるだろう巨腕である。
それをナイチンゲールは受け止めるべきか否か一瞬逡巡したが、仗助の手を掴んで拳を共に躱すことで難を逃れた。
確証が、持てなかったのだ。象牙の巨腕を己が翼で受け止め切れるかどうかは怪しいものがあると、彼女の直感が警鐘を鳴らした。
「セイバーさんッ、怪我は!」
「私の心配は結構です。それよりもマスターは自分の身を護ることに専念していなさい!」
手で仗助を後方へ押しやりつつ、ナイチンゲールはその鋭い目線を象牙人形へと向ける。
ガラティアは既に地面を蹴り、吶喊を開始していた。速度はかなりのものだ。間違いなく、自分よりも速い。
だが攻めるよりも受け手に回る方が、この霊基のナイチンゲールとしてはやり易い。
バーサーカーとして現界した彼女ならば受けて立つとばかりに攻め込んだろうが、セイバーの彼女は待ちを取る。
されどそれは決して積極性の欠如を意味しない。それが最も効率的だから、そうしているだけのことだ。
「砕けなさい」
ガラティアの口が、妖精の囀りめいた甘美な音を紡ぎ出す。
"音"として見るならば至上の音色に等しかったが、"言葉"として見るならば余りにも冷徹な台詞であった。
そこにはあらゆる感情が宿っていない。道に転がっていた障害物が邪魔だから退ける、その程度の感慨だけが申し訳程度に乗せられている。
振り上げられた拳は小さくか細い。にも関わらず仗助はそこに、己のクレイジー・ダイヤモンドや空条承太郎のスタープラチナ、吉良吉影のキラークイーンの拳を幻視した。
あの見てくれはカモフラージュもいいところ。姿形こそ可憐だが、その実中身は猛獣の類だ。仗助の理解が事ここに至ってようやく目の前の現状に追い付く。
拳は一寸の乱れもなくナイチンゲールの胸板目掛けて突き進み、天使と呼ばれた女の心臓を粉砕する――かに思われた。
「――あら?」
しかしながら象牙の鉄拳は、精微な細腕諸共に純白の繊維によって絡め取られていた。
繊維は他でもないナイチンゲールの翼の片方から伸び、ガラティアの右腕を蜘蛛か何かのように絡め取っている。
『天使の執刀(エンジェル・オペ)』。ナイチンゲールの第一宝具。縫合と切除を一度に兼ねた"手術用双翼武装"だ。
遠目から見ればその光景は皮肉にも、天使が少女を抱擁している風に写ったろう。
ガラティアは未だ自由を保っている左腕で糸の戒めを引き千切ろうとしたが、思考し、実際に身体を動かすまでのコンマ一秒以下の時間が致命的だった。
「甘い。そして、遅い」
ナイチンゲールの片翼が鳥の羽ばたきめいた素早さで振るわれ、ガラティアの左腕を肩口から切断……もとい、切除したのである。
ガラティアが次の行動を起こそうとする前に、染み一つない純白繊維がその両足にまでも絡み付き、ギッチリと戒め身動きを封じる。
ぁ、とガラティアの口からか細い声が漏れた。何か言おうとしたところを遮られた為だった。ナイチンゲールの手が、グッと首筋に押し当てられたことで。
体重を乗せそのまま押し倒し、ナイチンゲールが象牙人形にマウントを取る。そして素早く抜き出したペーパーボックスピストルを、彼女の口に勢いよくねじ込んだ。
ガラティアの腕が地に落ちてから此処まで三秒にも満たない。驚くほど手際よく、ナイチンゲールは象牙の彫像を完全に無力化してしまった。
仮に何か奥の手を使おうとしても、ナイチンゲールの指が引き金を弾き、銃に内蔵されたメスを射出して脳幹を撃ち抜く方が速い。
早い話が、王手。チェック・メイトだ。屋上の決闘は拍子抜けするほどあっさりと、白衣の天使の勝利で決着した。
ナイチンゲールが顔を上げ、周囲を見回す。
ガラティアのマスターらしき人影がないことを察すると、彼女は声を発した。
姿の見えない――しかしこの場を何らかの手段で監視しているであろう敵のマスターへ向けて。
「貴方のサーヴァントは無力化しました。姿を現しなさい、象牙人形のマスター!
五秒以内に何らかのアクションがなければ、このまま引き金を引きます」
仗助が固唾を呑んで見守る中、秒数だけが経過していく。
一秒、二秒。三秒、四秒、五秒。
指定した時間が経つと同時に、ナイチンゲールは一切の躊躇なく引き金を引いてガラティアを銃殺した。
その迷いのなさは人を救う者らしからぬ者だと驚く者も居るだろう。しかしその驚きは、ナイチンゲールという人物を理解しない者の抱く感情だ。
彼女はあらゆる物事に対して、決して容赦というものを持ち込まない。ハッタリや虚仮威しなど用いない。
五秒以内に行動を示せという最後通牒を蹴り飛ばしたのだからそれはそちらの落ち度だと言わんばかりに、象牙人形の現界に幕を下ろす。
――メスで射抜かれたガラティアの口奥には、向こう側が見えるほど綺麗な孔が空いていた。
脱力した人形の孔に、ナイチンゲールの瞳の焦点が合う。
……孔からどろりと何かが溢れてくるのが見えた。
いや、違う。孔からではない。その証拠に繊維で隙間なく拘束した足や腕、可憐なロリータ服までもがその泥のような流動体に包まれていく。変わっていく。氷菓子が急速に溶けるように。
刹那、カッとナイチンゲールの両眼が見開かれた。その瞬間、仗助が何事かを叫ぶ声が彼女の鼓膜を叩く。
「――ナイチンゲールさん、避けろッ!!」……と。
「――――遅えのはお前だよ、バ――――――カ!!」
ハイテンションな男の声がまず最初に届いて。
それから一拍を五つに分割した程度の短い間を置いて、ナイチンゲールの脇腹と太腿を冷たい固形物が貫通した。
口から溢れてくる血潮。激痛に動作を鈍らせることもなく翼を奮って迎撃に移るが、そこに今度はあの巨腕が炸裂する。
ナイチンゲールは繊維の翼を巧みに操って巨腕を受け止めんとするも――力及ばなかった。
衝撃(インパクト)を殺し切れずに痩身が吹き飛び、壁面に叩き付けられて小規模なクレーターを生み出す。
口から先程以上の量の血を吐き出しながら、ナイチンゲールは猛禽類を思わせる鋭い視線で、"先程殺した筈の"象牙少女と、そのマスターらしき奇妙な風体の男を睥睨した。
「やったなバーサーカーちゃん! めちゃくちゃスマートに決まったぜ!? 『もっと上を目指せたね!』」
「お褒めに預かり光栄ですわ、お父様」
……明らかに成人しているであろう背丈のマスクマンが、自分よりずっと小さな人形少女に抱えられて登場するというのは、何とも間抜けな絵面であったが。
だからこそ今しがた起きた現象の異様さが際立った。殺した筈のサーヴァントが泥のように溶けて消滅するという現象。そして、再登場。
彼らにとってはまさに"作戦通り"であった。これほど上手く行くもんかねと、マスターの怪人に至っては自身の幸運を噛み締めてすらいた。
そう、これはなんてことのない手品だ。
華々しく世に君臨する英雄(ヒーロー)等には及びもつかない、三流の手品。
ただそれが、聖杯戦争という舞台の特性と異様なほど噛み合った結果生まれた実戦戦法。
――その要はガラティアに非ず。彼女を従える怪人、分倍河原仁の持つ異能である。
◆
分倍河原仁。
敵(ヴィラン)名を『トゥワイス』という彼の住まう世界は、総人口のおよそ八割に及ぶ人間が"個性"と呼ばれる異能を所持しているという、超特異体質社会であった。
そうなるに至るまでの経緯や社会的事情については割愛するが、何しろそんな異能者の巣窟だ。
"個性"を持たずして生まれた人間はそれだけで絶大なハンディキャップを被ることになる。就職であれ、人間関係であれ。
"無個性"は不幸とイコールだ。世を儚んで自ら命を絶つ者も少なくないくらいには、彼らは強いコンプレックスを抱えていることが多い。
しかしながら――このトゥワイスという男に限って言えば、持たざる者として生を受けた方が幸福であったと言えよう。
彼が正道を踏み外し、万民の敵として追われるまでに落ちぶれた原因は……他でもない、その"個性"にあるのだから。
『二倍』。一つのものを二つに増やす能力。
それが、分倍河原仁ことトゥワイスの"個性"である。
かつて彼はこの"個性"に胡座を掻いて悪事を働き、その果てに重篤な精神異常を抱え堕落するに至った。
そうなる以前から悪党ではあったものの、そうなったことで彼が引き返せない道にまで転げ落ちていったのは確かな事実である。
――閑話休題、ナイチンゲールを襲った手品の種は至極簡単だ。
もうお解りだろうが、この"個性"を用いてトゥワイスがガラティアを二体に増やした。
増やしたガラティアはオリジナルのスペックには数段劣るものの、一応は正式なサーヴァントと同等の気配や情報を持つ。
それを利用して、偽のガラティアをわざとこれ見よがしに配置。誘き寄せた敵に順当な勝利を獲得させる。
そして勝ちを確信した瞬間に、本物の――贋作よりも遥かに強力な力を持った真作のガラティアが奇襲攻撃を行う。策としては、これだけだ。
そもそも存在そのものが規格外魔術に等しいサーヴァントを型落ちとはいえ人の手で複製する等、魔術の世界では超級の絶技に違いない。
だが"個性"は魔術に非ず。魔力など用いない。道理など知ったことではない。ただそういうものだからというそれだけの理屈で不条理を引き起こせる。
結果としてトゥワイスの"個性"は鋼の天使を欺くに至った。象牙の巨腕でその羽ばたきを捩じ伏せるに至ったのである。
◆
「『クレイジー・ダイヤモンド』ッ!! ドラララララララァ――――ッ!!!」
仗助の怒声が響き、その背後に人型の奇妙奇怪な像(ヴィジョン)が浮かび上がった。
ガラティアに向け放たれるラッシュの速度は凄まじく速い。人間の目では、目視することすら困難であろう。
「速すぎだろ! バケモンか!?」と仰け反るトゥワイスとは裏腹に、ガラティアは努めて冷静だった。
宝具――『彫刻師の接吻(アガルマトフィリア)』を限定展開。再び彫像の巨腕を出現させ、仗助のラッシュを一発残さず防ぎ切る。
驚くべきことに、ガラティアの呼び出す巨腕はクレイジー・ダイヤモンドの猛攻を受けて尚傷一つ付いてはいなかった。
限定展開とはいえ高ランクの宝具であるというのも理由の一つ。だがそれ以上に、純粋に強度が異常なのだ。
仗助が連想したのは怨敵・吉良吉影のシアーハートアタック。これの硬さは少なく見積もってもあれと同等だ。以下ということは、絶対にない。
「お掃除致しますね、お父様」
ニコリと笑ってガラティアが細腕を真横に動かせば、それに連動して巨腕が仗助をスタンド諸共薙ぎ払う。
比較的密着していたからか、スタンドで防御することで生じるフィードバックの衝撃はそう大きなものではなかったが。
問題は腕の質量だ。もしこのまま軌道通りに薙ぎ払われたなら、仗助の身体はフェンスを突き破って上空十数メートルの足場なき世界を浮遊することになる。
そうはさせじと仗助は、戦いの中で飛び散ったコンクリート片の一つをクレイジー・ダイヤモンドで殴り付け、"修復"。
元あった場所に戻っていく欠片をスタンドで掴むことで自らも素早く移動、どうにか自由落下の定めを回避する。
「えらく不気味な個性だな!? 『俺は好きだけどよ!!』」
「だあってろッ、この変態野郎ッ!!」
怒鳴り付ける仗助だが、言葉を返している余裕があるのかと言われると怪しかった。
ガラティアが突撃して来ているからだ。ロリータ服をふわりと浮き上がらせながら、手刀でクレイジー・ダイヤモンドを打ち砕かんとする。
尤も、マスターが危険な戦いを強いられている状況を黙って見守っている程、鋼の看護婦は軟な女ではない。
衝突の衝撃で凹んだ壁面をスプリング代わりにロケットスタート。仗助とガラティアの間に、暴走車両もかくやの勢いで割って入った。
「……下がっていなさいと言った筈ですよ、マスター」
『天使の執刀(エンジェル・オペ)』の片翼から繊維を伸ばし、ナイチンゲールは瞬く間にガラティアの痩身を絡め取る。
だがこれは焼き直しだ。ナイチンゲールにとっても、そしてガラティアにとっても、既に一度見た流れ。特にガラティアがナイチンゲールの手の内を知っているのが、大きい。
身を戒める糸を素早く引き千切り、鋭い拳でその頬へ一筋の傷を刻む。流石にこの至近距離では翼の動きの方が数段速いが、そこへの対処は簡単だ。
束縛が追い付く前に自由のままの腕を動かして、再び巨腕を召喚。圧倒的な質量から成る膂力で以って繊維を完全に断絶させる。
ナイチンゲールが地を蹴り、空中でふわりと軽やかなバック転を決めつつ後退する。そこで、仗助が唾を飛ばしながら叫んだ。
「そいつぁ無理な話ッスよセイバーさん! 『クレイジー・ダイヤモンド』……!!」
馬鹿な奴め、とトゥワイスはマスクの内でほくそ笑んだ。
超人社会に生まれ様々な"個性"を見てきたトゥワイスからしても、東方仗助の異能は見事なものであった。
あのNo.1ヒーローにさえ匹敵するラッシュの速度。敵の意表を突ける応用の幅の広さ、土壇場で目の前の選択肢に気付ける視野の広さ。
全て一級品だ。プロヒーローの世界でも十分に通用するだろうと、お世辞抜きでそう思う。だが悲しきかな、此処は聖杯戦争。少年の敵はサーヴァントなのだ。
あの程度ならガラティアの宝具で問題なく圧殺出来る。仗助の圧殺死体を幻視するトゥワイスだったが、しかし。
「ドラララララララァ!!」
「――はァ!?」
仗助がスタンドの拳を向けた先は、ガラティアではなくナイチンゲールの方。
既に一度クレイジー・ダイヤモンドの性質を目視しているトゥワイスだが、それでもこの使い方には一瞬理解が追い付かなかった。
クレイジー・ダイヤモンドの能力は修復。傷付けるのではなく治す能力。多少見た目は荒療治になるが――当然このような使い方も可能である。
拳を浴びた場所からナイチンゲールの負傷が癒えていく。それはまるで、逆回しにしたかのように。
「アリかよそんなん!? 躊躇なすぎだろ! 怖えーな今時の若者! 知ってたけど!!」
「……マスター、貴方という人は――」
大仰に身を反らせて驚くトゥワイスと、静かに困ったような微笑を浮かべるナイチンゲール。その次の瞬間、戦況は大きく動いた。
ナイチンゲールの頚椎を粉砕せんとガラティアが踏み込み、蹴撃を放つ。
それに対しナイチンゲールは、これまた一度見せた手。銀製のメスで構成された片翼を振るっての迎撃に打って出た。
ガラティアにしてみれば予想していた展開の一つだ。故に当然これをいなす手段も、狂化していながら奇妙に理性を保ったその脳髄に浮かばせている。
――バーサーカーならではの並外れた身体能力に任せ、一度放った蹴りを高速で引き戻し、翼の斬撃を空振らせて隙を突けばいい。
過度の負担で脚部が多少罅割れるかもしれないが、その程度の損傷は考慮するにも値しない。
故に迷いなくガラティアは弾き出した返し手を行使し、ナイチンゲールをまた一歩追い詰め返さんとするのだったが――。
「もう一度、同じ言葉を使いましょう」
足を引かんとしたその時、既に象牙製の脚はガラティアの支配下を離れていた。
最初からそう造られていたのではと錯覚するほど美しい切り口で以って、太腿の半ばほどで断ち切られていた。
「"甘い。そして、遅い"」
違う。ガラティアが遅いのではなく、ナイチンゲールが速いのだ。
贋作の分身に戦わせた際に見せたそれよりも数段上。これに反応出来なかったガラティアを責めるのは酷というものだろう。
そのカラクリは単純だ。早い話、ナイチンゲールは交渉の余地なしと判断したのである。
対話は拒絶された。更に敵は頭も回る。マスターまでもを手に掛けるつもりこそないが、サーヴァントはその限りではない。
――ナイチンゲールが持つスキルの一つ、"人体理解"。人がどこを斬れば死亡するか、どこを斬れば生存するかを彼女は知り尽くしている。
人間の形さえ持っているのならば種別が人間である必要など存在しない。神域技術で造られた象牙人形であろうが、理論通りに切除出来る。
そしてこのスキルが機能している場合、ナイチンゲールがその宝具によって行う攻撃の威力と速度にはボーナス補正が与えられるのだ。
ナイチンゲールは荒療治に出ると決めた。ならば切り落とす部位に配慮など不要。正確無比に、最高効率で、手術(オペ)を遂行するまで。
「バーサーカーちゃん!?」
「問題ありませんわ、お父様。修復可能な範疇の傷ですから」
片足で大きく飛び退き追撃を躱したガラティアは、狼狽するトゥワイスに笑顔でそう答える。
それは強がりでも何でもない。寸断された筈のガラティアの脚は全員の見る前で、切断部から再生し始めていた。
彼女はあくまで被造物だ。元を辿れば象牙の彫像。自己修復のスキルで造り直せば、四肢の欠損程度負傷の内にも入らない。
……しかしそれにも限界はある。彼女のスキルで直せるのは、あくまでも霊核の損傷を伴わない範囲の手傷だ。
仮に首を落とされたり、心臓ごと割断されたりしようものならば、スキルが機能する間もなく消滅する羽目になるだろう。
そして――人の形をしたモノの構造について深い見識を持つナイチンゲールが、その弱点に気付いていないとは思えない。
「セイバーさん、気ぃ付けて下さいよ! あの『宝具』、どうも呼び出せるのは手足だけじゃあねえ……!」
「マスターも気付いていましたか。私を射抜いた、最初の攻撃の正体に」
「ええ――ありゃ『指先』だ。『指先』が出たところで腕の呼び出しを中断して、飛び道具として使いやがったんだッ!!」
仗助の分析は当たっていた。
ガラティアはあの時、『彫刻師の接吻』で巨腕の限定展開の、そのまた更に限定展開を行ったのである。
腕のみの召喚を敢えて最初の段階で中断。指先だけ中途半端に呼び出して、本来発揮される筈だったスピードだけを持ち越させた。
結果生まれるのは象牙の散弾である。敵手の能は近接だけに非ず。遠巻きの戦闘も可能なのだ、その気になれば。
「心配は要りません。長引かせはしない」
「こちらの台詞ですよ、お医者様」
「その呼称は不適当ですね。私はあくまで、一介の看護婦に過ぎません」
ごく短いやり取りの後、再び戦闘の世界へと両者は回帰する。
振るわれる翼の軌跡。銀と白。それをいなすゴスロリ衣装の象牙人形。白と黒。
誰かの空想が現実にそのまま投影されたみたいな景色だった。
少女人形と天使。本来静かに愛で、信仰されるべき存在同士が殺し合う人外魔境の一丁目。
互いに狙うは急所のみ。一瞬でも気を抜けばそれで終わる、達人の死合と見紛う無情さがそこにはあった。
ガラティアが巨腕を召喚する――今度は両腕を。片腕だけでの展開に比べて魔力の消費量は当然上がるが、神経質になるほど大きな変化ではない。
ナイチンゲールもこの巨腕ばかりは如何ともし難かった。巨体に似つかわしくない俊敏さも厄介なのは確かだが、それだけならば対処は出来る。
問題は単純に、その質量が齎す破壊力。巨腕の一挙一動にエンチャントされる超重量である。
メスでは切除出来ず、繊維で絡め取るには大きすぎ、両翼で受け止めるには重すぎる愚直極まった"強さ"。
(……ならば――)
ナイチンゲールは声を出すことはなく、唇だけを小さく動かした。
ガラティアの瞳にもその所作は写っていた。しかしそれに首を傾げる暇は、彼女には与えられなかった。
二対の巨腕を前に回避に徹するしかない様子だったナイチンゲールが突如前に踏み込み、吶喊に打って出たからである。
「それは愚策というものですよ、看護婦さん」
来ると言うのならば、望み通り叩き潰す。
巨腕が高速で駆動し、ナイチンゲールへと迫っていく。
さながらそれは指向性を有したプレス機だ。
ナイチンゲールは地を蹴り、そのまま――飛翔。
正真の天使のように空へと逃れる。尤も、これは翼という身体特徴を見た瞬間に誰もが想起する一手だ。
当然ガラティアも予測していた。空に逃れるなら空まで追い掛ければいい。『彫刻師の接吻』はガラティアの意思で動く第三・第四の腕である。
空へ舞う天使。
それを迎え撃つ巨腕。
幻想を通り越して神話の一頁。
上空にてナイチンゲールの打った"手"は、急降下であった。
カワセミの類を思わせる迷いなき急降下。
巨腕はその掌で以って、自ら地へ墜ちる天使を挟み潰さんとする。
――ごぉぉんと、轟音が轟いた。空気がビリビリと震える。
言葉なくただ見守るしかなかった仗助もトゥワイスも、思わず目を瞑ってしまった。
そして、その目が開いた時。そこには――
「愚策では、ありませんでしたね」
「……驚きました。命が惜しくはないのですか?」
巨腕の挟撃を、翼の端を僅かにもぎ取られながらも"挟まり切る前に"乗り越え。
着地し、地を蹴り、ガラティアという敵への処置を締め括らんと猛るナイチンゲールの姿があった。
ガラティアは慌てふためいてこそいないものの、窮地であることは誰の目から見ても明らかだ。
巨腕が如何に速くとも、この間合いではナイチンゲールの翼が振るわれる方が速い。
よってガラティアにとっては避けられるか避けられないか、それだけの勝負になる。
防ぐことは不可能だ。象牙人形の肢体は、仮に両腕を重ねても"切除"の銀翼を阻めない。
「この天使(わたし)を形作ったあの戦場では、そんな感情を抱く暇さえありませんでしたから」
勝負の結果は――ガラティアの敗北であった。
後退しようとするも遅い。その胴を袈裟懸けに銀翼がなぞり、象牙の身体が罅割れる。
しかし奇妙なことに。ガラティアの顔には笑みが浮かび、ナイチンゲールの顔には苦いものが浮かんでいた。
そう、仕留め損ねたのである。ガラティアは回避することは出来なかったものの、一命を取り留めることには成功した。
翼が切り裂いたのは霊核に到達するほんの数センチ前。
それも決して浅い傷ではないが、修復機能を持つ人形にしてみれば取り返しが付くという時点で僥倖である。
「今のは、流石に肝を冷やしました」
礼儀とでも言わんばかりに一言言いながら、フェンスに手を掛け軽やかに登って跳躍。
ナイチンゲールから距離を取りつつ、象牙の巨腕を収めてガラティアは己の胸に刻まれた亀裂をなぞる。
修復は始まっているが、片脚を落とされた時に比べて明らかにその速度は遅い。
とはいえ数十秒もあれば完全に傷は塞がろう。通常の観点での致命傷はこの少女人形には一概に適用出来ない。
「でも次はありません。お父様をこれ以上失望させるわけにはいきませんもの」
「…………」
語る言葉はない。
ナイチンゲールは静謐を湛えたまま再び翼を構える。
ガラティアは構えないが、彼女は狂気宿せしバーサーカー。
平常であることが、即ち構えを取っているのと同義である。
――どちらが動くか。緊迫した膠着を切り裂いたのは、ラバーマスクの敵(ヴィラン)・トゥワイスの軽薄な声だった。
「頑張れ頑張れバーサーカーちゃん! お父様は超、君のことを信じてるぜ!! 『なんて言うと思ったか、お前はまだまだだ!!』」
どっちなんだよと突っ込みたくなるような矛盾した物言いは、しかしガラティアにとっては最早慣れたもの。
愛しい愛しいお父様(アガルマト)の声援に、象牙の人形は精微な顔貌を天使のように綻ばせて片手を振る。
何とも微笑ましい、まさに授業参観の一幕のような光景だった。
――トゥワイスは高揚していた。
翼がガラティアを一閃した瞬間は心臓が止まったかと思ったが、蓋を開けてみればこの通り。
危険域には入ったがアウトゾーンには届くことなく、自分のサーヴァントは未だ元気に笑っている。
ツイてる、と心からそう思った。今日は俺の日だ! と、俗なギャンブル依存症患者じみた台詞を零しそうになった。
彼は敵ではあるが、そう非凡な人格の持ち主ではない。
どちらかと言えば、理解しやすい部類の思考回路を持っている。
彼が所属する"敵連合"の狂った少女や焼殺魔、悪に寄り添う黒霧。そして首領である"後継者"の彼と比べれば、凡庸の一言に尽きる。
だからこそこのように目の前の出来事一つ一つに一喜一憂するのだ。
浅いと笑う者は逆に笑われる。その通りだ、この男は底が浅い。
元を辿れば小悪党。そこに精神障害が上乗せされただけの、言ってしまえば"ありふれた"敵の一人。
こと戦場において、浮ついた心で歩み出したなら果たしてどうなるか?
その答えは、決まっている。
「そんな腐った焼きそばパンみたいな頭したガキのサーヴァントに負けるバーサーカーちゃんじゃねえよな!? ハハハハ!!」
――地雷を、踏むのだ。有形無形の違いはあれど、盛大な爆発を浴びる羽目になるのだ。
バッ、とナイチンゲールが己のマスターの方を見た。
ガラティアにはその動作の意味が理解出来ない。
むしろ好機と判断する。意味は分からないが、わざわざ自ら注意を外してくれたのだ。
隙あり。笑みを浮かべて吶喊し、一撃を放つ。それは受け止められたが、戦いのペースを握ることは出来た。
ならば後は押し切るのみ。さっきの傷のお返しを、その頭か心臓を使ってたっぷりしてやろうと細腕を振り上げて――
「おい、あんた……」
◆
「――――今、この俺の頭の事なんつった?」
◆
――東方仗助には『地雷』がある。
それこそが、彼の最大の特徴であるその髪型……リーゼントヘアーだ。
1999年の時点でも古臭かった髪型。それより更に時が流れたこの冬木市では最早天然記念物にも等しい。
違和感なりおかしさなりを感じるのは当然だ。むしろ突っ込まれたくて、弄られたくてやっているのだなと思われても文句は言えまい。
しかし厄介なことに。彼は自分の頭が馬鹿にされたり揶揄されたりすることが、どうしても我慢出来ない。
憧れの恩人を真似たこの髪型を笑われると途端に心の火山が噴火する。そういう意味では、地雷という形容すらまだ生易しいか。
髪型を貶された仗助の怒りは爆発どころではない。
現代のワイルドハントと言っても過剰ではない程――激しく荒れ狂う。
だからナイチンゲールは、もしそういう暴言を吐く者が現れたなら任せろと言ったのだが……
それで堪えられるならば、地雷とは呼ばれない。
まして状況が状況だ。搦手で翻弄してきた、いけ好かない怪人とそのサーヴァント。
それが自然であるとはいえ、傍観者の立場に甘んじなければならないことへのフラストレーション。
鬱憤が溜まっていたところに、トゥワイスのあの言葉。
……これからどうなるかを語る必要が、果たしてあるだろうか? いやない。
「誰の頭がコッペパンみてえだとッ!? もう一度言ってみろこの田吾作がッ!!」
「えっ、そんな怒るか名も知らぬ少年!? あと俺はコッペパンじゃなく焼きそばパンって――」
「『クレイジー・ダイヤモンド』ォォォォォォ――!!」
困惑するトゥワイスだが、彼は直感的に「まずい」と感じその場を飛び退いた。
社会の敵としてヒーロー達や見習い共と相対した、或いはその戦いを間近で見た経験が此処で生きた。
"個性"……もといスタンドのラッシュが来ると、仗助が吠える前に気付くことが出来たのだ。
トゥワイスは戦闘屋としては三流以下だ。お世辞にも強いとは言い難い。
人並み以上ではあっても、あの馬鹿げた速度のラッシュをいなせるようなスペックも経験もない。
よって此処は逃げるが勝ち。ガラティアに助けて貰おうと人頼みの考えに至り、声を発そうとした――が。
「ドララララララララララァ!!」
コンクリートの地面を砕くクレイジー・ダイヤモンドの拳。
破片と粉塵が舞い、トゥワイスをゴホゴホと咳き込ませる。そして、その視界を封じに掛かる。
堪らず飛び出したトゥワイスの目の前で待っていたのは仁王立ちするクレイジー・ダイヤモンドの像と、青筋を何本も立てた東方仗助。
「お父様!?」
事ここに至ってようやく、ガラティアの思考が追い付く。
父の危機だ。すぐに助けに入らねばならない――そう感じた刹那、しかしその両腕が銀翼によって寸断された。
言うまでもなく、ナイチンゲールである。彼女はマスターである仗助に無茶をさせたくはないと思っていたし、可能なら戦わせたくもないと考えていた。
が、此処で彼を止めに行けばガラティアに隙を与えるだけでなく、仗助がガラティアやトゥワイスの逆襲に遭う可能性がある。
故に此処は仗助ではなくガラティアを止めるのに専念することにした。
ガラティアの注意が自分から外れたのだ。今度は此方がその隙を突く番。
――もう、さっきのように仕留め損ねることはしない。
「チッ……!」
トゥワイスが舌打ちをして、懐から取り出したのは拳銃。
此処に来る前、巡回中だった警官を気絶させて奪い取ったものだ。
流石に敵連合の一人。何の躊躇もなく仗助の顔面に銃口を向けると即座に発砲する。此処まで何秒もかかっていない。
(――おいおい嘘だろ!? 此処まで速ぇのかよ、こいつの"個性"……いや、"魔術"か!?)
しかしどこまでも相手が悪かった。
クレイジー・ダイヤモンドの指先は、トゥワイスが放った弾丸をあっさりと掴み取ってしまったのである。
続けて二発、三発と撃つも結果は同じ。彼我の距離はないに等しいというのに、驚くべき精密性で仗助のスタンドはトゥワイスの足掻きを摘んでいく。
「妙ちくりんなマスク付けやがってよォ~、人のこと言えた義理かテメーッ!! 剥ぎ取ってからブチのめしてやるッ!! ドラァッ!!」
「ッ!?」
クレイジー・ダイヤモンドの腕が勢いよく突き出され。
ラバーの張り裂ける嫌な音が、響いた。
トゥワイスの特徴的なマスクの右上部が引き千切られ、彼の――分倍河原仁の人相が露出する。
「あ――、あああああああああああああ!? やめろ、やめ、やめろやめろやめろやめろ!!
裂ける、裂ける裂ける! 分裂する! ああああ返せ返せ返せ返せ!! 早く俺を包ませろ!!」
「……あぁ!? 何をワケの分かんねーことを――」
ラバーを剥がれた怪人。その中身はごく普通の、どこにでもいるような草臥れた男であった。
異様なのは、その反応である。許しを請うでも罵詈雑言を撒き散らすでも、自分のサーヴァントに助けを求めるでもなく。
まるで発狂したように脂汗を浮かべて叫び散らしているのだ。
仗助は一瞬疑問符を浮かべたが、しかし怒り心頭の彼はそんな些細なことに気を取られはしない。
何も関係なく、宣言通り自分の頭を貶したいけ好かない男をブチのめそうとした――自分自身が今したことの意味に、気付かぬまま。
――こと戦場において、浮ついた心で歩み出したなら果たしてどうなるか?
その答えは、決まっている。
では、こと戦場において、怒りに支配された心で歩み出したならどうなるだろうか?
その答えもまた、決まっている。
地雷を、踏むのだ。有形無形の違いはあれど、盛大な爆発を浴びる羽目になるのだ。
「……な……!?」
ガラティアを絡め取り、いざ唐竹割りにせんとしたその時。
彼女の力でも引き千切られないよう厳重に、何重にも施した筈の拘束が――ギチ、ギチ。ビリ、ビリと音を立て始める。
立て始めてから、事が起こるまでほぼ一瞬だった。繊維がちり紙のように破かれ、ナイチンゲールの脇腹をガラティアの回し蹴りが強く打ち据える。
今回反応出来なかったのは、ナイチンゲールの方であった。明らかに、速度が跳ね上がっている――先程まで見せていたそれとは比べ物にならないレベルまで。
「――よくも」
ポツリと、ガラティアの口から声が漏れる。
とても綺麗な音。天上の管楽器で奏でたような音。
けれどそこには、死神のそれかと見紛う程冷たくドス黒い、怒りの念が凝縮されていた。
――ガラティアはバーサーカーにしては理性的で、意思疎通をするのが比較的容易な英霊である。
しかし彼女の狂化スキルのランクはC。
EX(規格外)でもE(最底辺)でもない、十分な暴力の供給が約束された位階。
彼女に宿る狂気の力が発露するのは、まさしく彼女にとってのとある地雷を、何者かが踏み付けた瞬間だ。
分倍河原仁。トゥワイス。ガラティアの愛する父――そうであると彼女が思い込んでいる、傷物の心を持った小悪党。
彼が傷付けられた時、ガラティアは真の恐ろしさを発揮する。怒りと狂気のマーブル模様にその思考を染め上げて……
全身全霊で、父の敵を排除する。
父を泣かせる者を、虐める者を排除する。
それがアガルマトのための乙女、ガラティアの愛/狂気。
「――よくも、私のお父様に……その汚らしい手を掛けたな――!!」
仗助による制裁が始まろうかというちょうどその時。
ナイチンゲールを知ったことかと置き去ったガラティアの鋭い飛び蹴りが、仗助を貫かんとした。
「!? 『クレイジー・ダイヤモンド』ッ!!」
とっさに気付いた彼はスタンドで迎撃するが――敵はサーヴァント。それも、バーサーカー。
ミシ、と腕が軋む。その感覚に顔を歪めた時には既に、ガラティアは仗助の目の前から消失していた。
「――『上』か……!!」
クレイジー・ダイヤモンドの繰り出した殴打の威力を利用して、そのまま上に跳躍したのだ、ガラティアは。
仗助がそれに気付く頃には全てが遅かった。
仗助の周囲を覆い隠す影。それは言うまでもなく、真上のガラティアが呼び出した巨人の一パーツ。
彫像の巨大な脚が、害虫を踏み潰すように仗助へと襲い掛かる。奇しくもそれは、彼を非日常の世界に導いた甥と邪悪の権化たる吸血鬼が繰り広げた激闘の一幕に酷似していた。
潰れろ。潰れろ潰れろ潰れろ潰れろ潰れろ潰れろ――ひしゃげて壊れて消えてしまえ、父を害する蛆虫め。
仗助はクレイジー・ダイヤモンドを通じて分かるその重量から、ガラティアの煮え滾るような昏い怒りの念を感じ取った。
彼が髪型を貶された時に抱く怒りが嵐のような激情だとすれば、彼女のそれはただ只管に昏く、粘っこい、鬼女の怨念だ。
「う、おおおおおおおおおおおおおおおォォォォッ――――!! ドララララララララ――――」
全力のラッシュを受けても崩れない頑強な巨体。
重機などとは比べ物にならない硬さと重量を併せ持つそれは、当たり前に仗助の全力を押し返していく。
だが、仗助にはナイチンゲールが居る。最低限の抵抗で脚の到達を遅らせることさえ出来ていれば、彼女の援護が必ず到着する筈だ。
サーヴァントとはいえ女性頼みで物を考えるというのは普段の仗助ならば癪に思うところだったろうが、今はそんなプライドなど軽んじるべき状況だ。
目が血走るほど意識を集中させて、全身全霊のクレイジー・ダイヤモンドを撃ち込むものの――
全速力で駆け出したナイチンゲールが到着する、まさにそのコンマ数秒前。
東方仗助の身体が突如くの字に折れ曲がり、ノーバウンドで宙を舞った。
ナイチンゲールは咄嗟にそれを受け止めるも、マスターである彼の意識はその一撃で完全に吹き飛んでいる。
口からは喀血が溢れている――息はあるようだが、決して少ないダメージではないらしい。
ガラティアは、巨脚を囮に使ったのだ。
『彫刻師の接吻』によって召喚された巨像のパーツは全て、対応するガラティアの身体部位と連動して動作する。
その為普通であれば、呼び出した手や脚を攻撃に使いながらガラティア自身も攻め込むというのはなかなか難しい。
しかしながら空中であるなら話は別だ。像の持つ重量はそのまま暴力となり、重力の影響を受けてビルの倒壊にも等しい圧力で仗助を襲う。
脚の巨大さも相俟って、仗助がガラティアの狙いを目視して気付くというのはまず不可能だ。
怒れるガラティアは脚の上から悠々と飛び降り、狂化が乗って跳ね上がった身体性能を遺憾なく発揮して彼の懐へ侵入。
骨も筋肉も内臓も全て潰す勢いで、象牙製の健脚の一撃を見舞ってみせたのだった。
仗助はすんでのところで自分が"嵌められた"ことに気付き、着弾の一瞬前にクレイジー・ダイヤモンドの片腕を防御の為に構えつつ、自らも身体を折り曲げて衝撃を逃がす体勢を取った。
それが幸いし、致命的な負傷にこそ至らなかったが――その意識はインパクトの瞬間に耐えられず、電気の紐を引くが如く断絶してしまったのだった。
「……マスター」
ナイチンゲールは己の不甲斐なさに奥歯を噛み締める。砕けんばかりの勢いで。
全て自分の落ち度だ。敵手の爆発力を見抜けなかった。対応し切れなかった。
これでよくも偉そうなことをマスターに言えたものだ――己の弱さに脳髄が沸騰しかける。
ぐっと意識を手放した主を抱き留める腕に力を込めて、それからナイチンゲールはその視線を敵の主従へと移した。
マスター・東方仗助を傷付けた憎き敵。
しかしナイチンゲールが彼らに向ける視線は、怨敵へ向けるべきそれではなかった。
硬く強い意思の込められた双眸。それは彼女が幾度となく、とある立場の人間に向けてきた目だ。
「ああ、ああ。
お父様、お父様。可哀想なお父様。
どうぞご安心下さいませ……。あなたの娘が今、お父様の不安を取り払って差し上げます……」
「ぐっ、はっ、はっ、バ、バーサーカー、ちゃん……」
歪な姿であった。
人形の少女に頭を撫でられながら、素顔の一部露出した顔で麻薬中毒者めいた言動を覗かせるトゥワイス。
彼がマスクを剥がれた時に見せた反応。それを視認した時から、ナイチンゲールの彼らに対する認識は変わっていた。
彼女は東方仗助のサーヴァントだ。だが、それ以上に――『癒やす者』、なのである。
「貴方は病気です。バーサーカーのマスター」
毅然とした声色で、ナイチンゲールはトゥワイスへ告げた。
その言葉に、荒い息を吐いていたトゥワイスの目玉だけが動き、彼女の方を見る。
ガラティアは殺意の籠もった瞳を向けてきたが、そんなものに怯むクリミアの天使ではない。
バーサーカーのマスター・トゥワイスは……分倍河原仁という男は病んでいる。
肉体ではなく心を。極めて重篤に、今すぐにでも癒やすべき深度で冒されている。
最早目の前の主従はナイチンゲールにとって打ち倒すべき敵ではなかった。
無論、"過程"でそうすることが必要ならば躊躇なく切除を敢行するが、認識が変わったのは事実である。
――即ち、治療すべき患者へ。処置を施し、癒やし、病を克服させるべき庇護の対象へ。
「そのマスクへの極めて強い精神的依存。依存対象の損壊に伴う精神恐慌。
明らかなパラノイアの症状が出ています。早急に治療の必要があると判断しました」
「……あ……? 治療、だと……?」
「――殺してでも。貴方を癒やします。貴方という病人の存在を、私は看過出来ないわ」
「ッざけんじゃねえ……! 勝手なことを言いやがって……!!」
トゥワイスが、目をひん剥いて叫んだ。
彼が現在のようになってからもう何年も経つ。
元は些細な悪事だった。自分の"個性"を利用して甘い汁を吸う、ありふれた行い。
が。彼の"個性"は彼自身に牙を剥いた。手が付けられなくなった――日常が崩れ落ちた。
トゥワイスの話を聞いた人間は誰であれ彼を病気と言って笑った。
何せ情報社会の全盛期だ。そういう本やらサイトやら、目にしなかったと言えば嘘になる。
ではその高尚なアドバイスが実を結んだのか否か。それは今のトゥワイスの有様を見れば分かることだ。
見当違いな分析、知ったような言葉。役に立った試しはないし、クソ食らえと悪態すら吐いてきた。
聖杯戦争に来てまで、こういう輩が現れるのか。病人だと? そんなこと、俺自身が一番知ってるよ。
「……帰るぞ、バーサーカーちゃん……気分が、悪ぃ……」
「いけませんわお父様。お父様を傷付けた汚らしい虫を、きちんと退治しなくては。
心配ありませんよ? 手短に終わらせますので。手足を千切って、目玉を抉って、皮を剥いで肉を潰して神経を編んで骨を―――」
「……バーサーカー!!」
愛する父の口から突然発せられた怒鳴り声に、ガラティアはびくりと身体を反応させる。
ガラティアの狂気はトゥワイスの、父の負った"傷"の大きさに依る。
仮にトゥワイスが仗助によって完全に制裁されきっていたなら、それこそ令呪でも使わねば抑えの効かない狂鬼が生まれていただろうが――
今は幸い、そこまで深い狂気に支配されている訳ではなかった。強く呼び掛ければ意思が通じる。だからこの時、トゥワイスの声はしっかりと届いた。
「……許しません。絶対に、次は殺して差し上げます」
ギリ、と鋭い憎悪の目をナイチンゲールへ向ける少女人形。
それからすぐに彼女は治りかけの腕でトゥワイスを抱えると、フェンスを飛び越えて隣のビルにまで飛び移っていった。
ナイチンゲールは逃すまいと白翼から繊維を放ち、拘束を試みるが――失敗。
ガラティアの呼び出した巨腕によってあっさりと引き千切られ、逃走を許してしまう。
追い掛けようかと一瞬逡巡したものの、腕の中の仗助の感覚がそれを断念させた。
命にこそ別状はないようだが、負傷はある。恐らく肋骨か、どこかの骨が折れている筈だ。
優先順位を間違ってはならない。まずは目の前、手の届く範囲の患者を癒やしてやらなくては。
戦いが終わると、下の方から喧騒の音色が聞こえ始めていることに気付いた。
無理もない。あれだけ派手に戦えば、幾ら舞台が地上から離れた高所であろうと気付く者も出てこよう。
ナイチンゲールは仗助を抱えたまま階段を一フロア分降り、人目に付かないだろう裏路地方面の窓から飛び出した。
初戦の結果は痛み分け。だが――分かったこともある。この聖杯戦争はやはり、病みで満ちている。その事を確と理解出来た。
「……此方の台詞です。バーサーカー」
バーサーカーの最後の言葉を思い返し、鋼の看護婦・セイバーは小さく呟いた。
そこにはやはり鋼鉄のような、何事においても揺さぶられることのない、非常に強固な意思が宿っているのだった。
「絶対に、次は治療を受けていただきます。貴方のマスターには、それが必要だ」
【C-8 新都・繁華街/一日目 午前8時30分】
【セイバー(フローレンス・ナイチンゲール)@史実】
[状態]疲労(小)、脇腹にダメージ(大)、『天使の執刀』に損傷(極小)
[装備]『天使の執刀』
[道具]
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争に巣食う病巣の切除。対象が聖杯であろうと、例外ではない。
1. この場を離れ、マスター(仗助)に然るべき処置をする。
2. バーサーカーのマスター(トゥワイス)は完全に病気。次に会ったなら然るべき処置をする。
[備考]
※バーサーカー(ガラティア)の宝具(限定展開時)について認識しました。
※『二倍』の異能がトゥワイスのものであることには気付いていません。
※現在病人判定されたのは以下のキャラクターです。
・聖杯戦争の運営(人物特定までは出来ていない)
・分倍河原仁(トゥワイス)
【東方仗助@ジョジョの奇妙な冒険】
[状態]気絶、腹部にダメージ(大)、肋骨数本骨折
[令呪]残り3画
[虚影の塵]無
[星座のカード]有
[装備]学ラン姿
[道具]
[所持金]普通の高校生程度
[思考・状況]
基本行動方針:冬木市を守る。
1. …………。
2. 誰の頭が腐ったコッペパンだコラァ!!
[備考]
※バーサーカー(ガラティア)の宝具(限定展開時)について認識しました。
※『二倍』の異能がトゥワイスのものであることには気付いていません。
※ナイチンゲールとガラティアの戦闘の一部が目撃され、繁華街がそこそこな騒ぎになっています。
◆
「……悪いな、バーサーカーちゃん。怒鳴っちまってよ」
「お気になさらず、お父様。お父様の苦しみを理解してあげられなかった、この私が悪いのですから」
トゥワイスが借りている格安家賃のボロアパートに、ガラティアの可憐な姿は完全に不釣り合いというものであった。
この聖杯戦争にて、トゥワイスが最初に目覚めた場所は郊外の廃病院だった。
人の手の入っていないそこに申し訳程度の電気が外付けしてある、とてもではないが健康的な生活が送れるとは思えないような場所。
元は浮浪者の一団が住んでいたらしいが、トゥワイスが目覚めてからはすっかり寄り付かなくなっていた。ひょっとするとこのガラティアが何かしたのかもしれない。
――大まかな事情を理解して、目的を立てたトゥワイスはすぐに拠点を変えた。
衛生環境を気にするほど潔癖になったつもりはないが、あんな場所で誰かに見つかったり噂が立ったりすれば、あまりにも怪しすぎる。
とっとと御暇するが吉だろうと踏んだ。幸い、この世界の分倍河原仁に犯罪歴だとか、そういう面倒なものはなかったし。
そうして行き着いたのがこの、審査も何もあったものじゃない格安アパートだ。
お世辞にもいい部屋とは言い難いし、何なら過去に住人が自殺している曰く付き物件らしいが、今更幽霊なんて恐れる柄でもない。
何せ幽霊より遥かに恐ろしい英霊様を連れているのだ。わざわざ避ける理由もない。
トゥワイスは先の戦いを述懐する。
そうでもしていないと、マスクの破けた部分から自分が張り裂けてしまいそうだったから。
――敵のサーヴァントは、強かった。敵のマスターも、冗談みたいな強さだった。『いいや、思ったほどじゃなかったぜ』
ヒーロー二人を同時に相手取ったような気分だ。分かっちゃいたが、この聖杯戦争という儀式を勝ち抜くのは並大抵のことじゃないらしい。『初耳だね』
討伐クエストに対する身の振り方も考えておく必要がありそうだ。後先考えない立ち回りをしようものなら一瞬で詰みかねない。ヤバい難易度だ。『イージーモードさ』
この世界には死柄木弔も、トガヒミコも、荼毘も、Mr.コンプレスも、スピナーやマグネもいない。……マグネは元の世界にももういないか。『今は実家に帰ってるだけだよ』
あの無能ヤクザ共やいけ好かないオーバーホールでもいいから味方が欲しいと、トゥワイスは本心からそう思う。『いらねえよボケ!』
自分の"個性"がもっと戦闘向きであったならと、そんな無意味なIFに思いを馳せずにはいられなかった。『同じことだよ』
と、その時。
「失礼しますわ、お父様」
「うおっ!?」
いきなりガラティアがトゥワイスの前に座ったかと思うと、ラバーマスクに手を当ててくる。
ただでさえ過敏になっているトゥワイスは、思わず声をあげてしまった。
見ればガラティアの傍らには何やら裁縫道具のようなものが広げられている。
まさか、とトゥワイスが言うと。
ガラティアはにこりと、先の怒り狂った姿からは想像も出来ないほど穏やかに微笑んでみせた。
「こんな事もあろうかと、お店から拝借しておきました。
傷付いてしまったお父様を優しく包むのも、ガラティアの役目ですから」
「……バーサーカーちゃん……」
「はい?」
「君は天使だ。結婚しよう……」
「ふふ、喜んで」
――聖杯戦争においても、敵(ヴィラン)は敵(ヴィラン)。
されど彼ら、彼女らにも悪党なりの日常というものがあるのだった。
たとえそれが歪んでいても。社会の敵もまた、人間なのだ。
【B-9 安家賃のボロアパート/一日目 午前8時50分】
【バーサーカー(ガラティア)@ギリシャ神話】
[状態]胸にわずかな痛み(極小)
[装備]裁縫セット
[道具]
[思考・状況]
基本行動方針:全てはお父様の為。お父様と永遠に生きる為。
1. お父様のマスクを直してあげる。
2. セイバー(ナイチンゲール)とそのマスターは必ず殺す。許さない。
[備考]
※セイバー(ナイチンゲール)の宝具(『天使の執刀』)について認識しました。
※東方仗助のスタンドについて、その性質を認識しました。
【
トゥワイス(分倍河原仁)@僕のヒーローアカデミア】
[状態]精神疲労(小)、魔力消費(小)、ラバーマスク修繕中
[令呪]残り3画
[虚影の塵]有
[星座のカード]有
[装備]コスチューム姿
[道具]
[所持金]並の成人男性よりは持っている
[思考・状況]
基本行動方針:優勝し、『俺』を取り戻す。
1. 結婚しよ『犯罪だぜ!?』
2. 病人? そんなことは俺が一番分かってる。『俺は健康さ』
[備考]
※セイバー(ナイチンゲール)の宝具(『天使の執刀』)について認識しました。
※東方仗助のスタンドについて、その性質を認識しました。
最終更新:2018年06月19日 14:54