チェンジ・ザ・ワールド☆
何より君想ふ2
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何より君想ふ
比奈は眠れなかった。
何度寝ようと試みても、それを阻むように夕方の光景が鮮明に頭の中で再生されるのだ。
上手く笑えただろうか? 声が震えていた事に気づかれなかっただろうか?
買い物から戻った比奈はシノに連れられ、氷上家当主の部屋へと向かった。そこで告げられたのは格と格の許嫁千代美の新居での女中頭となること。
否応無しに突きつけられる現実に、比奈は大声で叫びたい衝動に駆られた。
好きだと言えたらどんなに楽だろう。
もし、自分が女中ではなく武士の娘だったら。
もし、格が武士でなかったらーーー
ぽろり
涙が零れた。
現実はそう甘くない。どんなに想っても格は自分の主人であり、自分は女中なのだ。
寝返りを打って、隣で規則正しい寝息を立てる同じ女中の寝顔に向けて小さくため息を一つ吐く。
諦めるしかないのだ。
ーーー諦める? 私ったら何自惚れてるの? 諦めるも何も、初めから叶わないって分かってたじゃない!……違う。私、ちょっとだけ期待してた……買い物に行く時も、夕方客間から出て行った時も、もしかしたら追いかけてくれるんじゃないかってーーー今日だけじゃない。ずっと、言ってほしい言葉を待ってたーーーそんな訳ないのに。
「やっぱり馬鹿だなあ。私」
呟いた自分の声が酷く惨めに聞こえ、比奈は余計に眠れなくなった。
障子の外に聞こえる風の音に合わせて一つ二つと思いを巡らして行った。
「はあっ!?」
見事に晴れ渡った青空の下で、素っ頓狂な声が辺りに響いた。
「馬鹿。お前絶対馬鹿だろ?」
馬鹿を連呼する若い男の横で、比奈は不満そうに頬を膨らませた。
「もう、そんなに馬鹿馬鹿言わないでよ! これでも真剣に考えたんだから!」
「馬鹿に馬鹿って言って何が悪いんだよ。大体お前、いくら自分が好きな男と身分が違うからって、寝ずに悩んで出した答えが妾ってやつがあるか、この馬鹿」
「うう、瑛の意地悪……」
比奈の横で薪割りをしているのは比奈の幼なじみで、氷上家から五間ほど先に住む下級武士の息子、佐伯瑛だ。
「お前さ、そんなんで本当に幸せになれると思ってるのか?」
しょんぼりと地面に足で穴を掘り始めた比奈に、薪を割る手を止めて瑛が尋ねる。
「……だって、仕方ないじゃない。格様は次期当主なんだもん。私なんか良いとこ妾、悪くて一生女中」
ふいっと瑛から顔を背けると、比奈はそれきり黙ってしまった。
「俺だったら……」
沈黙を破ったのは瑛だった。
「俺だったら、身分なんて気にしない。本当に本気で惚れてるんなら、どんな事してでもそいつと一緒になりたい、幸せにしてやりたいって思う……」
「瑛ーーー」
「……かもしれない」
「もーーーーう!! 折角良い事言うなって感動しかけたのにっ!」
急に真面目な顔からおどけた調子に変わった瑛に、比奈はむくれる。
「はははっ! 勝手に感動する比奈が悪いんだろ?」
「このっ、私の感動を返せ!」
パシッと瑛に向かって振り下ろされた手は瑛によってあっさり阻まれて、比奈は自分を見つめる瑛の熱い眼差しにドキリとした。
「俺じゃ……駄目か? 俺ならお前を泣かせたりしない。たとえ許嫁がいても、お前を連れて駆け落ちぐらいする。日本一幸せにしてやる」
ドクン
見た事のない瑛の真剣な表情に、彼の本気が伝わってきた。
しかし、比奈はそれに気づかぬ振りをしてへらっと笑った。
「またあ、もう騙されないんだからね!」
「ーーーちぇっ、学習しやがったか」
そう言って二人で笑い合った。
瑛はいつも口が悪かったりちょっと意地悪だったりするが、比奈の事を本当に大切にしてくれていた。
幼い頃両親が死に、他に親戚もなかった比奈は女中見習いとして氷上家にやって来た。知るものなど一人もいないこの町で一番最初に出来た友達が瑛だった。自分よりも身分は遥かに上なのに、そんな事などまるで最初から無いように振る舞う瑛に、何度救われたか知れない。
先ほど瑛が言った言葉はおそらく本心だ。だが、比奈は瑛に甘えてはいけないと思った。たとえ格の事で傷ついているとしても、瑛の優しさを利用するような事だけはしたくなかった。それに、瑛との関係は今のような状態だから上手くやって行けるのだと思う。
「まあ、本当に辛かったら氷上家を出て行くってのも選択肢の一つだと思うけどな」
瑛の一言に、比奈ははっとした。
そうか、暇をもらうことも出来るのかーーー
「ありがと、瑛」
「何がだよ?」
素っ気なく言う瑛に、照れ隠しにする目を伏せる癖を見つけて、比奈は笑いながら立ち上がった。
「さて、そろそろ戻らないと、またしかられちゃう」
「おう、戻れ戻れ。お前がいると邪魔なんだよ」
「はいはい、お邪魔様!」
「シノさんに叱られてろ」
そして比奈は瑛に手を振って佐伯家の裏庭から出て行った。
通い慣れた道を歩いて帰りながら、心の底から瑛に感謝した。格の事を、いつかきちんと忘れられるような気がした。
ジャリ……
「何だ、忘れ物か?」
比奈が出て行ってしばらく、聞こえた足音に瑛は顔を上げた。
「氷上……」
そこにいたのは比奈ではなく、格だった。格は黙って瑛を見ている。その表情はどこかしら強ばっていて、今にも泣き出しそうに見えた。
「佐伯君ーーー」
絞り出すように発したその声は枯れていて、瑛は一瞬何か考えるような仕草をすると鉈を置いて立ち上がった。
「こっちこいよ」
格を促すと瑛は路地の奥へと歩き出した。格は黙ってそれに着いて行く。
しばらく歩くと瑛の家のちょうど裏手に出た。そこを右に曲がると小川があり、対岸へ向かって木の橋が作り付けられていた。その橋を渡ると小川沿いに三反ほどの畑があり、横には木々が元気よく育つ林がある。緩やかなカーブになっているその曲がり鼻に林の中へ通じる林道があって、さらに奥には少し開けた場所があった。そこには無造作に置かれた座るにはもってこいの岩が二つ並んでいた。
「座れよ、話、あるんだろ?」
そう言って奥の岩に座った瑛に力なく返事をすると、格は手前の岩に座った。
沈黙が続く。
木々の葉が風で揺れる音、小鳥のさえずり小川のせせらぎ、天から降り注ぐ緑色の光。
全てが美しく、瑛は大きく深呼吸をした。
「さっき、比奈が訪ねていただろう?」
急に話し出した格に少々驚いて、瑛は途中で深呼吸を止めた。ぶはあと息を吐き出し、ちょっとむっとした顔で答える。
「ああ、来たよ」
「佐伯君……君は子どもの頃から随分と比奈と仲が良いな」
「あ? まあな」
格が何を言わんとしているのか計りかねている瑛は、足下の小石を足で転がしながら適当に相づちを打つ。
「君には許嫁はいるのかい?」
「はあ?」
前からおかしなやつだと思っていたけど、こんな支離滅裂な事を言うやつじゃないよな……
「氷上、悪い。お前の言いたい事がさっぱり分からない」
瑛に言われて、格は俯いた。
「……すまない。比奈から少しは聞いているかも知れないが、僕には許嫁がいるんだ」
知ってるよ、んな事とっくにーーー
「互いの両親もかなり乗り気で……なんせ相手は家老である小野田様のご息女だからね」
格の困ったような笑顔に腹が立つ。
「それで?」
なんとなく話が読めて来た瑛は、岩に座り直して続きを促した。
「それで……僕が結婚したら、彼女を……比奈を佐伯君の所で引き取ってくれないか?」
「はあ?ーーーなんでだよ?」
「僕は、比奈の事が好きだ。それなのに一緒にはなれない……なのに父上は僕と許嫁専用の女中に比奈をするつもりなんだーーー君は耐えられるかい? 自分が一番愛したい人に、他の女性と生活を共にしている姿を見られるのをーーー僕は……僕は耐えられない。だから、比奈が心を許している君になら、安心して比奈を任せられると思ったんだーーー」
「ーーー勝手な事いいやがって!!」
バキッッッ!!
「うっ!」
突然飛んで来た瑛の拳に、格は思い切り左ほほを殴られ派手に草の上に倒れた。
驚いて瑛を見上げる。
「お前どうしてそんなに馬鹿なんだよっ!? お前だけじゃない、比奈のやつもだ! 好きな女に他の女といるのを見られるのが嫌だから引き取れだ? 比奈は物じゃない!」
瑛は大声で怒鳴ると、倒れた格の胸ぐらを掴んだ。
「いいか良く聞けよ! あいつさっき俺に何て言ったと思う? あいつはなあ、妾でもいいからお前のそばにいたいって言ったんだぞ!? 昨日の夜、一人で寝る事も出来ずにすっからかんの脳みそ振り絞って出した答えがそれだったんだぞ!? 分かってんのか? あいつはそんぐらいお前の事が好きなんだぞっ!?」
そこまで一気に言うと、瑛は乱暴に手を離して立ち上がり、がしがしと頭を掻いて格を見た。それから近くに落ちた格の眼鏡を拾って格の目の前に差し出した。
「俺は比奈が好きだ」
格は瑛の手から眼鏡を受け取ろうとのばしかけた手を止め、目の前の男の顔を見た。
真っすぐで、迷いなどない強さの宿った瞳。
「お前が身分だとか家柄だとかにそんなにこだわるんだったら、あいつはやれない」
ピクリと格の体が震える。
「お前が折角俺に比奈をくれるって言うんなら、遠慮なくもらう。ただし、佐伯家の女中としてではなく、俺の嫁としてもらうからなーーー俺は身分なんて気にしない。だっておかしいだろ? たまたま生まれた家でそいつの価値が決まるなんて……俺は、比奈だから好きなんだ。女中でも城の姫様でも関係ない。比奈という一人の人間が好きなんだ……」
ぐっと瑛の手から受け取った眼鏡を握る手に力を込めると、格はゆっくりと立ち上がった。
「ーーー佐伯君……すまなかった。僕は……とんでもない間違いを犯す所だったよ……」
そう言って顔を上げた格の目には、一つの決意がみなぎっていた。
「ありがとう、これで失礼する」
頭を下げて林道を帰って行く格の後ろ姿に向かって、瑛は呟いた。
「なんか俺、すげーおせっかいだよな」
自然と口元がほころんでいる事に、瑛は気づいていなかった。
続く…
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