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何より君想ふ3

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何より君想ふ







 星が奇麗だ。

 瑛と別れ、氷上家へ戻った比奈はそれから一週間、いつもとほとんど変わらぬ日々を過ごした。

 少しだけ違ったのは、比奈が瑛に元気づけられて戻って来たしばらく後、帰って来た格の左頬が腫れていた事。

 驚いた女中がどうしたのかと尋ねると、ぼんやんり歩いていて立てかけてあった材木につまずいてぶつけたのだと妙に清々しく答えていた。比奈は近づくのをためらい、手当を受ける格の姿を部屋の外の廊下に座って見守っていた。そのとき格と目が合い、格はとても優しく微笑んでくれた。

 それはもう、とても優しく……。それに慌てて顔を伏せ、その場から急いで立ち去ってしまった。

 あの日以来、比奈は一つの決心を抱いていた。

 それは暇をもらう事。

 瑛のおかげでその選択肢が一番自分にとって最良だと気づいたのだ。

 格の事を好きな気持ちに嘘はつけない。かといって妾になるのはいつかきっと耐えられなくなる。自分以外の女性と格が触れ合っているのだと考えただけでも嫉妬で気が変になりそうなのだ。

 素直になる事。

 今の比奈にはそれが一番だと思った。これ以上瑛に心配をかけさせない為にも、格の前から姿を消すのがいいのだ。


「はあ」


 ずうっと夜空を見上げていた比奈は、一つ息を吐き出して首を元に戻した。

 氷上家当主、つまり格の父と母、女中頭のシノには暇をもらいたいと数日前に伝えた。

 明日の夕方、比奈は氷上家を発つ。


 ぐすっ……


 八年間の氷上家での出来事が次々と頭の中に浮かんで来た。

 初めてこの氷上家に連れられて来たとき、緊張のあまりうまく挨拶出来ない比奈に、一人の少年がそっと手を差し伸べてくれた。

 自分と同じ時の頃の少年は、色白で瞳がキラキラと輝いていて、まっすぐに背筋を伸ばして立っていた。そして比奈に優しくこう言った。


『大丈夫だよ、比奈。今日から君は僕たちの家族だ』


 その一言で比奈の緊張は驚くように解けて行った。すごく真面目で曲がった事が大嫌いで、それでいてとても優しい格。ともに過ごした時間は比奈の格に対する想いの大きさに比例する。

 格の父と母も差別する事なく誰とでもつき合う優しい人だ。女中にも本当の家族のように接してくれる。

 同じ年の友人のいなかった比奈にとって、瑛は良き仲間であり親友だった。


「寂しい、な……」


 そんなかけがえのない人たちと別れるのはやはり寂しい。だが、もう決めた事だ。

 少ししびれた足を伸ばし、ごろりと縁側に横になる。

 昨日、瑛には氷上家を出る事を伝えた。瑛は最初酷く驚いたが、すぐに笑って「お前、強いな」と珍しくほめてくれた。落ち着いたら比奈を訪ねて来てくれると約束もしてくれた。

 この家で働けた事、たくさんの人たちと出会えた事を心から感謝し、比奈は大きく伸びをした。











 二十畳の部屋の中、格は父と母を前に土下座していた。

 そんな息子の姿に、両親は驚いた顔で互いを見て格を見てを繰り返す。

 瑛に殴られてから一週間後の夕方、格は千代美との婚約の解消を訴えて現状に至る。仕事から帰ったばかりの父を捕まえ、大事な話があると伝えて向かい合った。大事な話とは何事かと思えば、婚約を解消してほしいと言われ二人は正直何と言って良いのか分からずにいた。


「格……」


 漸く沈黙を破った父の声は心なしか上ずっていた。


「はい」


 額を畳にこすりつけた状態のまま返事をする。


「お前は自分が何を言っているか、分かっているのか?」

「分かっています……家老である小野田様のご息女、千代美殿との婚約を破棄していただきたい。と言っています」

「そんな事は分かっている。それがどういう事か分かっているのかと聞いているんだ」


 父の怒っているとは違う、低い声が室内に響く。


「分かっています……小野田様と父上の顔に泥を塗る事になります」

「ーーー分かっているのに、婚約を解消したいと言うのだな?」

「はい」


 そこで顔を上げた格を見て、父はふうと息を吐いた。


「理由は言えるのか?」


 父の問いに格は意を決して比奈の事を告げた。

 比奈を心から大切にしたいこと、身分など関係なく夫婦となりたい事。

 語り終えると、母が着物の裾で目頭を押さえた。父も眉間に深いしわを作り、格から視線をそらした。


「父上、母上?」

「格、比奈は……」















 薄暗くなり始めた町を、格は全速力で駆け抜けていた。

 比奈は家族も親族もいない。それがどうしても暇をもらいたいと、格の父は真剣に頼まれた。理由を聞いてもそれだけはどうしても言えないと、泣き出しそうなのを堪えながら何度も何度も頭を下げられた。

 行く当てはあるのかと心配する格の母に、比奈はしばらく旅をして落ち着いたら連絡をする、なんとかなると言って笑った。

 行き先の分からない人を捜すのは不可能に近い。

 格はひたすらあちこちを走り回り、比奈の立ち寄りそうな場所を手当り次第に探しまわった。

 今朝は確かにいたはずの比奈。夕方姿を見かけなくて当然だ。だって比奈は出て行ってしまったのだから。


 どこだ、どこに行ったんだ!? 僕はまだ、何一つ君に伝えていない。何一つ君の口から聞いていないーーー!


 学問は得意だが武芸など体を動かす事がからきし駄目な格は、町外れの川沿いの土手で派手に転んだ。


「わあっ!?」


 ジャリッ!! という激しい擦過音の後に痛みが襲う。


 うっ……くそっーーー僕は、どうしていつも大事な所で何も出来ないんだ……


 地面に這いつくばった状態で、格は拳を地面に叩き付けた。

 弱い自分が情けなくてたまらない。


 比奈だから好きなんだ。


 瑛の言葉が頭から離れない。

 自分だって瑛と同じだ。比奈だから好きなのだ。比奈でなければいけないのだ。

 目を固くつぶり、愛しい人の名前を呟く。


「比奈……」

「はい?」


 !?


 頭上から聞こえた返事に驚き、格はものすごい勢いで顔を上げた。


「ーーー比、奈……」

「格……様」


 二人は互いに見つめ合ったまま、しばらく言葉を出せなかった。

 辺りはすっかり暗くなり、空には月と星が輝き始めていた。

 ふと悲しそうに眉をひそめると、比奈は格の目の前にしゃがんで小さく微笑んだ。


「一体こんな所でどうなさったんですか? あーあ、こんなに砂をかぶって……手も擦り剥けてます」


 着物についた砂を払い落とし、手ぬぐいで傷口を拭う比奈の様子をぼうっと眺めていた格は、何かに操られる様にその手を握り、体を引き寄せた。


「いっ、格様っ!?」


 突然抱きしめられ、比奈は大層狼狽えた。

 どれくらいの時間そうしていただろう。ずっと長い時間のようにも、ほんのひと時のようにも比奈は感じられた。

 格のぬくもりが比奈を包み、比奈の動揺が落ち着き始めた頃、格が言葉を発した。


「良かった……」


 慈しむように比奈の体を腕に抱き、何度も良かったと繰り返す。


「比奈、どこにも行かないでくれ」


 ぴくりと比奈の体が強ばる。


「それは……出来ませんーーー」

「何故?」

「それはーーー」


 そこで言葉を切ると、比奈は格の腕から逃れるように体を離した。

 だが、格はしっかりと比奈の両腕を掴んでいる。


「僕に一言も無く行ってしまうなんて、僕が傷つかないとでも君は思ったのかい?」

「……」

「君にとって僕は、その程度の存在だったのか?」

「違いますっ!」


 急に声を荒げ、比奈は格の目を見返した。


「……ならどうして突然いなくなったりするんだ」


 比奈の荷物はほとんど無い。旅に出るというにはあまりに軽装で、ほんの数日分にも満たない物しか持っていなかった。そんな少ない荷物で、一体どこへ行くつもりだったのか。

 格は比奈の背後にある小さな荷物に顔をしかめる。


「私は……誰よりも格様をお慕いしています」


 格は息を飲んだ。

 自分がどれほどその言葉を望んでいたか、改めて気づかされる。


「最初は大丈夫だと思いました。でも、どうしても格様と千代美様がお二人でおられるのを見るに耐えられなかったんですーーー」


 そこで一息つくと、比奈は目を伏せて続けた。


「私は……女中です。こんな私が格様に対してこんな感情を抱くのは分不相応だという事も重々承知しています。でも……どうしても気持ちを押し殺して、お二人にお仕えすることは出来ないと、そう思ったんです」


 パタパタと音を立てて、比奈の膝に涙が落ちた。

 格はそっと指で比奈の目元を拭うと、微笑んだ。


「僕は本当に馬鹿だ……」


 再び比奈の体を抱き寄せる。


「比奈、良く聞いておくれ」


 腕の中の比奈は黙って静かに抱かれている。それを確認して、格は続けて言った。


「千代美様との婚約は解消してもらう」


 微かに比奈の体が揺れた。


「僕に一番必要なのは、比奈……君なんだ」

「ーーーうそ」

「僕は嘘は吐かないだろう? 僕は、比奈が好きなんだ……誰よりも、一番」


 キュッと比奈の手が格の着物を掴んだ。


「顔を上げて」


 促されるまま比奈は顔を上げる。


 なんて奇麗なんだろう……


 比奈の少し赤く染まった頬と潤んだ瞳に格は胸が締め付けられた。


「僕とずっと一緒にいてくれないか? 女中でもなく妾なんかでもなく、僕の、妻として」


 比奈はくしゃりと顔を歪ませて、それでも格から目を逸らす事無くはっきりと答えた。


「はい……」

「……比奈……もう泣かないでおくれ」


 困ったように笑いながら、格は比奈の頭を何度も撫でた。


「格様……大好き」

「うん、僕もだ」


 そっと両手で比奈の頬を包む手が、微かに震えている。

 鳴り止まない鼓動に、格はどんどん満たされて行く感情に感動を覚えた。少しずつ縮まる互いの距離に、もどかしさと気恥ずかしさが交差する。

 近づいて来た格の顔はとても穏やかで、比奈は破裂しそうな心臓を押さえつけるようにぐっと目をつぶった。

 二人の頭上で柔らかく光る月のように優しい口づけは、二人の頑だった心をすっかり溶かし出した。


 きっとこれから何が起ころうとも乗り越えてゆける。


 この人とならばーーー






                   END 





あとがき

おいおいっ! なんだかすみません。ちゃんとアップされてませんでした…
気付いて良かった、、
これは以前ブログをやっていた時にアップしたことがあったんですけど、こうやってHPにアップ出来て良かったです。
完全に管理人の趣味で書いてしまいました。これは猛烈反省しています。
でも満足(笑)
時代物が大好きなんで、しかもヒロインが氷上と上手く行ったのでよかったっす。
氷上って、実はすごい美形ですよね。
好きだなー。氷上。ゲームの告白も爽やかで好きです(笑)
ええと、それでは最後までお付き合いくださいましてありがとうございました!




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