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歯車.2

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歯車










 「えっと……どこだ?」


 琉夏はメモ紙に書かれた手書きの地図を片手に、道に迷っていた。高校時代の学年主任だった氷室に、羽ケ崎学園の科学者を紹介されたのだが、その科学者とやらの家が分からなくなっていたのだ。

 先ほどから似たような細い路地を行ったり来たり、地図に書かれた住所では近くのはずなのだが、目的のアパートが見つからない。

 こんな事ならその科学者の携帯番号を聞いておけば良かった。と頭を掻いて歩き出す。


 ブロロロ……


 バイクの音が後ろから近づいてきて、何気なく脇へ避けながらその姿を見た。


 あーーー


 大きなバイクはSRXという車種で、琉夏が乗っているバイクのSRシリーズより近代的なスポーツタイプのものだ。そしてそのバイクを運転していたのは女性で、琉夏の少し先で止まるとヘルメットを脱いだ。

 ふわりと長い黒髪が肩に落ち、こちらを振り向くその女性の美しさに琉夏は一瞬ドキリとした。


「えっと、もしかしてあなた、若王子先生の家を探してる?」

「ーーーえ? あ、ああ……」


 そう尋ねられ、戸惑いながら答える。

 バイクを降りた女性は困ったように笑いながら琉夏に近づいてきた。


「ごめんなさい、急に。私は、海野比奈。桜井……琉夏君?」

「そうだけど、どうして?」

「若王子先生に頼まれて、あなたを探してたの。今日、知人の元教え子が来るけど、アパートが分かりにくいだろうから探して連れて来てくれって」

「そうなんだ。助かる。おねーさんはその若王子先生の恋人?」


 人懐っこい笑顔で尋ねると、女性は苦笑した。


「ううん。私は若王子先生の元教え子。後ろ、乗って?」

「うわ、俺、女の人の後ろに乗るの初めて」

「私も、男の人を後ろに乗せるの初めて」


 初対面なのに、その女性に何か引っかかる物を感じた。話しやすくはあるが、どこか無理をしているような気がする。

 琉夏は手渡されたヘルメットを被ると、女性の腰に手を回した。


 細いな……


「しっかり捕まっててね。先生のアパート、もう1ブロック先だから」

「まじ? 地図全然違うじゃん!」

「だから分かりにくいんだって、それじゃ行くよ」


 ブロロロロ!!


 アクセルをぐいっと回し、2人は細い道を駆け抜けた。















 若王子貴文という科学者は、まったく科学者らしくない男だった。ニコニコと穏やかで、古いアパートは猫が我が物顔で歩いている。


「やや、海野さん、本当に助かりました! 桜井君、ようこそ。さ、上がってください」

「ども……お邪魔します」


 狭い居間に通され、ちゃぶ台を挟んで若王子と対峙する。

 チラリと伺うと、海野比奈は慣れた様子で台所でコーヒーを煎れていた。


「氷室先生から聞いてます。キミは数学の才能があるんですって?」

「才能? って言われたら分かんないけど」

「今日は色々話しを聞かせて下さい。キミに会うのをとても楽しみにしていたんです」


 嬉しそうに言われると、乗り気でなかったこの訪問も少しだけ来て良かったかなと思われる。


「そうだ、新しい数理論学が発表されたんですけど、桜井君は知っていますか?」


 そう言いながら若王子は机の上のプリントをひっくり返しながら何やらファイルを取り出した。


「これです。どうですか?」

「ーーー様相論理?」

「そうです。コンピューターサイエンスに応用する論理の、新しい定義です」

「へえ」


 見た事の無い数式に、琉夏は楽しくなってきた。


「コーヒーどうぞ」

「ややっ、海野さん、ありがとうございます」

「どういたしまして。私はこっちの机と理論書をお借りします」

「はいはい、何かあったら声をかけてください」


 美味しそうなコーヒーの香りを残し、海野比奈は若王子の後ろにある机を片付けてノートやらペンやらを取り出した。

 その様子を見ていた琉夏に気づいた若王子が、はっとした顔で後ろの海野を振り返る。


「これは……僕とした事が、忘れていました。海野さん」

「はい?」

「前に話しましたが、彼は、今年はばたき学園を卒業した桜井琉夏君。桜井君、彼女は今年僕が赴任している羽ヶ崎学園を卒業して、今は一流大学の一年生、海野比奈さん。びっくり君たちは同級生です。仲良くして下さいね」

「はい、さっき自己紹介しました。よろしくね、桜井君」


 苦笑する海野に、琉夏も笑う。

 同級生かーーー


「ああ、よろしく」

「えっと、今日は彼女は大学のレポートを作る為に僕の所に来ているんです。大学の図書室にない本が見たいと言って」

「ふうん」

「さて、それで、次はこっちなんですけど……」














 若王子の家で、琉夏はすっかり楽しい時間を過ごしてしまった。

 あんなに数学が楽しいと思ったのは初めてだ。学生時代、氷室が会わせたいと言っていた理由もなんとなく分かる。この若王子は、こと数学に関して琉夏と似ているのだ。

 人には解けないような数式が何故か分かったり、ふと思いついたりする。


「本当に楽しかった。また、是非遊びに来てください」


 満足そうに言う若王子に頭を下げる。


「こっちも、楽しかったです」

「それじゃあ海野さん、桜井君をしっかり送って行ってあげてくださいね」

「はあい。本、ありがとうございました」


 若王子に別れを告げ、琉夏と海野はアパートを後にした。


「いいの? 送ってもらって」

「いいよ、私バイクだし、桜井君の家って帰り道だし」

「サンキュ。助かる」

「どういたしまして……」

「何?」


 じっと琉夏を見つめる海野に、首を傾げる。本当に綺麗な顔をしている。


「若王子先生と話しが合う人がいるんだなあって思って、ちょっと嬉しくなった」

「どういう事?」

「桜井君も数式見てたら勝手に答えが分かっちゃうんでしょ? そういう特殊な才能の人なんて滅多にいないじゃない? だから、気持ちを共感し合える貴重な友達が出来たみたいで先生嬉しそうだったから」


 確かに、先ほど琉夏が感じていた通りだ。それを海野も他人ながら感じていたという事か。


「まあね。俺、兄貴にも変人って良く言われるし」

「ふふっ、先生もそんな事言ってた。桜井君お兄さんいるんだ」

「そ、恋愛街道まっしぐら」

「へえ~。桜井君もいい男だからモテそうだけど?」

「俺、頭おかしいから全然。それならあんただってモテそう」

「私? まさか! 私のあだ名、小学校の頃からずーっと“変人”だよ?」

「ぷっ!」

「あははっ! 笑わないでよねっ」

「そっちこそっ。はははっ! そんじゃ、俺ら変人仲間って事? くくっ……」

「そういう事。さて、帰ろっか?」


 まだ笑いが収まらない。こんなに笑ったのはいつ以来だろう?

 琉夏は海野のバイクの後ろに乗り、心の奥の歯車がギシギシと音を立てるのを確かに聴いた。








                                続く…







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