ゆにば 第05話
事の発端は、頚城智世のうっかり発言であったかもしれない。
それを受けた鈴木和美が思いついた提案を、霧谷雄吾があっさりと承諾してしまったことにも問題があったのかもしれない。
あまりにも唐突な依頼内容は、メイド喫茶ゆにばーさるでウェイターとして働いてもらいたい、という突拍子もないもので、結希の導きで霧谷と事務所で引き合わされるまでは、まさか自分がそういうところでアルバイトをすることになろうとは、思ってもみなかったケイトなのである。
しかし、そういう羽目に陥ってしまった一番の原因が、実は自分にあることも十分承知しているケイトは、ことさらそのことについて文句をいうつもりは毛頭ない。それどころか、海よりも深い反省の気持ちで一杯なのである。
一ヶ月もの間、出会う機会を作るどころか結希と電話ですら話をしていなかった。メールのやり取りですら忘れていた。しかしそれ以上にケイトが反省したのは、「一ヶ月も経ってたっけ?」と思ってしまった自分自身の呑気さと、それを智世に指摘されるまでなんとも感じていなかった自分の鈍さ、結希への気配りの足らなさであった。
聞けば、ケイトと会う機会が持てなかった結希の落ち込みぶりは物凄かったらしく。
『檜山ケイト分不足によるうっかりどじっ娘促進病』との診断を下されるにいたって、この度の要請と相成ったわけである。
午後三時から、ちょっと遅れての仕事始め。執事のユニフォームに身を包み、店舗前の清掃から始まって、気心の知れた上月司の簡単なレクチャーを受けたケイトは、
「ま、試しにやってみ」
という、実に気楽な発言に後押しされて、ぎこちなくではあるが数人の来客対応までこなしてみせた。
入り口の扉が開き、小さなチャペルが軽快な音を鳴らす。
数人の女性客が、わいわいと談笑しながら店内へと入ってきた。司を初めとして、メイドやウェイター一同が声を揃え、「お帰りなさいませ、お嬢様」と唱和する。なんとかみんなとテンポをずらさないように、ケイトもなんとか執事の決まり文句を言うことができた。
「ほれ、オーダー取ってこいよ」
「ええっ!? つかちゃん、いきなりは無理だってっ!?」
どすん、と背中を小突かれたケイトが、司に小声で叫ぶ。
「なーに、目ぇ泳いでんだよ。へーきへーき。お前、結構本番に強いタイプだし、それにこれは俺のカンだけど………。
ま、上手くいくはずだから」
「む、無責任なこと………」
抗議しかけるケイトをぴたりと指差し、司がドスの聞いた声を出した。
「いまさらビビんなって。ほら、待たせるんじゃねーぞ?」
ばんばん、と背中を叩かれた。
ケイトが教えてもらったのは簡単な定番の決まり文句に接客時の言葉遣いや対応の仕方、それも基本中の基本としか呼べないようなことを二、三分で叩き込まれただけなのである。「うう………ひどいやつかちゃん………」と情けない捨て台詞を残し、ケイトがよろめくように今しがた来店した女性たちのいるテーブルへとまろびでた。
丸テーブルに腰掛けた妙齢の女性たち。みな、二十代半ばであろうか。おそらく、仕事を終えたOLのお姉さまたちだろう。ケイトの近づく気配に、彼女たちが揃って顔を上げる。
どういうわけか、ケイトの顔を見るなり、
「あらっ」
と目を丸くし、喜色を浮かべてニコニコし始める。
「………? お、お待たせいたしまた、お嬢様方。ご、ご注文を承りますっ」
緊張で固くなりながら、なんとかかんとか最初の台詞は間違えずに言うことができた―――多分。
いまかいまかとオーダーを待つケイトが、固唾を呑んで立ち尽くす。二秒。三秒。なぜか、お姉さまたちはなにも言わずに、愉しそうにケイトを見つめ続けていた。
「あ、あの………」
なにか自分はおかしなことを言ったのか。言葉遣いを間違えたり、もしかしたら失礼なことをしてしまったのか、と背筋を冷たい汗が伝う。就業初日から、なにかとんでもない粗相をしでかしてしまったのだろうか、と息を飲むケイトに、OLの一人が唐突に声をかけた。
「私、ケーキセットのA。ダージリンのホット、チョコケーキで―――ねえ、キミ、新しい執事さん?」
「えうっ、あ、は、はいっ!?」
マニュアルにないっ!? こういう質問をされたときの対応は、つかちゃんに教わってないっ!?
「じゃあ、私も。あ、アイスコーヒーとショートがいいな。ふーん、『けいと』クンっていうんだー」
「は、はいっ、あの………」
「ダイエット中だし、私ケーキはパス。あ、これいい。玉露と和菓子のセットなんてあるんだー。私、これにするわね。
ね、『けいと』クン、これならカロリー低いよねー?」
「え、た、たぶん、そうじゃないかな、と………」
「それじゃ私は気にしないで食べちゃおー。チョコレートパフェ、カプチーノ、それと持ち帰りでクッキーセット包んでもらっちゃおー」
「えーっ!? そんなに食べちゃうー?」
「あははは、後で後悔するわよ、絶対」
賑やかで華やかな喧騒に圧倒されて、ケイトが口をぱくぱくさせた。頭の中が真っ白になる。
ジャームやファルスハーツとの戦いでだって、ここまで自分を見失ったことはない。立ち尽くしたケイトに振り向いたお姉さまの一人が、「じゃ、そういうことでよろしくね」とウィンクを投げてくる。まずい。非常にまずい。ケイトは自分が絶体絶命のピンチに、いま追い込まれてしまっていることに気づいて、乾ききった唇を舐めた。
「お、お嬢様方。た、大変申し訳ありません。実は」
「んー? なに、切れてるメニューでもあったりするー?」
「そ、そういうことではなくてですね、あの………」
思わず口ごもるケイトである。しかし、言わなければならない。恥を覚悟で、お客様に怒られる覚悟でこれだけは言っておかなければならない!
それを受けた鈴木和美が思いついた提案を、霧谷雄吾があっさりと承諾してしまったことにも問題があったのかもしれない。
あまりにも唐突な依頼内容は、メイド喫茶ゆにばーさるでウェイターとして働いてもらいたい、という突拍子もないもので、結希の導きで霧谷と事務所で引き合わされるまでは、まさか自分がそういうところでアルバイトをすることになろうとは、思ってもみなかったケイトなのである。
しかし、そういう羽目に陥ってしまった一番の原因が、実は自分にあることも十分承知しているケイトは、ことさらそのことについて文句をいうつもりは毛頭ない。それどころか、海よりも深い反省の気持ちで一杯なのである。
一ヶ月もの間、出会う機会を作るどころか結希と電話ですら話をしていなかった。メールのやり取りですら忘れていた。しかしそれ以上にケイトが反省したのは、「一ヶ月も経ってたっけ?」と思ってしまった自分自身の呑気さと、それを智世に指摘されるまでなんとも感じていなかった自分の鈍さ、結希への気配りの足らなさであった。
聞けば、ケイトと会う機会が持てなかった結希の落ち込みぶりは物凄かったらしく。
『檜山ケイト分不足によるうっかりどじっ娘促進病』との診断を下されるにいたって、この度の要請と相成ったわけである。
午後三時から、ちょっと遅れての仕事始め。執事のユニフォームに身を包み、店舗前の清掃から始まって、気心の知れた上月司の簡単なレクチャーを受けたケイトは、
「ま、試しにやってみ」
という、実に気楽な発言に後押しされて、ぎこちなくではあるが数人の来客対応までこなしてみせた。
入り口の扉が開き、小さなチャペルが軽快な音を鳴らす。
数人の女性客が、わいわいと談笑しながら店内へと入ってきた。司を初めとして、メイドやウェイター一同が声を揃え、「お帰りなさいませ、お嬢様」と唱和する。なんとかみんなとテンポをずらさないように、ケイトもなんとか執事の決まり文句を言うことができた。
「ほれ、オーダー取ってこいよ」
「ええっ!? つかちゃん、いきなりは無理だってっ!?」
どすん、と背中を小突かれたケイトが、司に小声で叫ぶ。
「なーに、目ぇ泳いでんだよ。へーきへーき。お前、結構本番に強いタイプだし、それにこれは俺のカンだけど………。
ま、上手くいくはずだから」
「む、無責任なこと………」
抗議しかけるケイトをぴたりと指差し、司がドスの聞いた声を出した。
「いまさらビビんなって。ほら、待たせるんじゃねーぞ?」
ばんばん、と背中を叩かれた。
ケイトが教えてもらったのは簡単な定番の決まり文句に接客時の言葉遣いや対応の仕方、それも基本中の基本としか呼べないようなことを二、三分で叩き込まれただけなのである。「うう………ひどいやつかちゃん………」と情けない捨て台詞を残し、ケイトがよろめくように今しがた来店した女性たちのいるテーブルへとまろびでた。
丸テーブルに腰掛けた妙齢の女性たち。みな、二十代半ばであろうか。おそらく、仕事を終えたOLのお姉さまたちだろう。ケイトの近づく気配に、彼女たちが揃って顔を上げる。
どういうわけか、ケイトの顔を見るなり、
「あらっ」
と目を丸くし、喜色を浮かべてニコニコし始める。
「………? お、お待たせいたしまた、お嬢様方。ご、ご注文を承りますっ」
緊張で固くなりながら、なんとかかんとか最初の台詞は間違えずに言うことができた―――多分。
いまかいまかとオーダーを待つケイトが、固唾を呑んで立ち尽くす。二秒。三秒。なぜか、お姉さまたちはなにも言わずに、愉しそうにケイトを見つめ続けていた。
「あ、あの………」
なにか自分はおかしなことを言ったのか。言葉遣いを間違えたり、もしかしたら失礼なことをしてしまったのか、と背筋を冷たい汗が伝う。就業初日から、なにかとんでもない粗相をしでかしてしまったのだろうか、と息を飲むケイトに、OLの一人が唐突に声をかけた。
「私、ケーキセットのA。ダージリンのホット、チョコケーキで―――ねえ、キミ、新しい執事さん?」
「えうっ、あ、は、はいっ!?」
マニュアルにないっ!? こういう質問をされたときの対応は、つかちゃんに教わってないっ!?
「じゃあ、私も。あ、アイスコーヒーとショートがいいな。ふーん、『けいと』クンっていうんだー」
「は、はいっ、あの………」
「ダイエット中だし、私ケーキはパス。あ、これいい。玉露と和菓子のセットなんてあるんだー。私、これにするわね。
ね、『けいと』クン、これならカロリー低いよねー?」
「え、た、たぶん、そうじゃないかな、と………」
「それじゃ私は気にしないで食べちゃおー。チョコレートパフェ、カプチーノ、それと持ち帰りでクッキーセット包んでもらっちゃおー」
「えーっ!? そんなに食べちゃうー?」
「あははは、後で後悔するわよ、絶対」
賑やかで華やかな喧騒に圧倒されて、ケイトが口をぱくぱくさせた。頭の中が真っ白になる。
ジャームやファルスハーツとの戦いでだって、ここまで自分を見失ったことはない。立ち尽くしたケイトに振り向いたお姉さまの一人が、「じゃ、そういうことでよろしくね」とウィンクを投げてくる。まずい。非常にまずい。ケイトは自分が絶体絶命のピンチに、いま追い込まれてしまっていることに気づいて、乾ききった唇を舐めた。
「お、お嬢様方。た、大変申し訳ありません。実は」
「んー? なに、切れてるメニューでもあったりするー?」
「そ、そういうことではなくてですね、あの………」
思わず口ごもるケイトである。しかし、言わなければならない。恥を覚悟で、お客様に怒られる覚悟でこれだけは言っておかなければならない!
「も、もう一度、オーダーを仰っていただいてもよろしいですか………」
沈黙が、店内に落ちた。
だってしょうがないじゃないか。あんなオーダーのされ方するなんて思ってもみなかったんだから。なにを注文されたかなんて、言われた端から忘れていったさ、ああそうさっ!(泣)
だってしょうがないじゃないか。あんなオーダーのされ方するなんて思ってもみなかったんだから。なにを注文されたかなんて、言われた端から忘れていったさ、ああそうさっ!(泣)
ああ、最初から失敗しちゃったな―――落ち込みかけるケイトを救ったのは、しかし意外にもオーダーを忘れられた当のお姉さまたちで。どっ、とみんながみんな、目に涙を浮かべて笑い出す。しかも口々に、「かわいー」「この新人クンそれ系かー」「ゆにばにいなかったタイプだよねー」「萌えるー」となぜか非常にウケがよろしい。
「あ、あのー………」
「あはは、ああ、ごめんね。オーダーね。ホットダージリンとチョコケーキのAセット、同じくアイスコーヒーとショートケーキ。ここまでおっけ? で、彼女が玉露と和菓子の和風セットで、あと単品、チョコパフェ、カプチーノ。帰りにクッキーセットのお持ち帰り………書けた? 大丈夫?」
ウィンクをくれたお姉さんが、すらすらと言ってのける。なんか面倒見のいいくだけた調子の人だ。なんとなく、ちえりさんに似ているな………一抹の寂寥感と懐かしさと共に、ケイトはそんなことを思い出している。
「は、はいっ、ありがとうございましたっ」
悪戦苦闘してオーダーを取り終えて。そのテーブルから逃げるように立ち去り厨房へと向かうケイトの姿を、お姉姉さまたちは目を細めて微笑みながら見守っていた。
「あはは、ああ、ごめんね。オーダーね。ホットダージリンとチョコケーキのAセット、同じくアイスコーヒーとショートケーキ。ここまでおっけ? で、彼女が玉露と和菓子の和風セットで、あと単品、チョコパフェ、カプチーノ。帰りにクッキーセットのお持ち帰り………書けた? 大丈夫?」
ウィンクをくれたお姉さんが、すらすらと言ってのける。なんか面倒見のいいくだけた調子の人だ。なんとなく、ちえりさんに似ているな………一抹の寂寥感と懐かしさと共に、ケイトはそんなことを思い出している。
「は、はいっ、ありがとうございましたっ」
悪戦苦闘してオーダーを取り終えて。そのテーブルから逃げるように立ち去り厨房へと向かうケイトの姿を、お姉姉さまたちは目を細めて微笑みながら見守っていた。
「あ-、やっぱ俺の見込み通りだわ。上手くいくとは思ってたけど、まさかここまでとはなー………」
半分呆れ、半分感心し。
無理矢理送り出した手前、一応はケイトの初オーダーを見守っていた司がつぶやいた。
なにか失敗しても、なにかやらかしちまっても、それを許してもらえるというのは―――もっと言うなら、あばたをえくぼと思ってもらえるのは、本人の資質に負うところが大きい。それはたとえば、トレイをひっくり返しても可愛いの一言で許してもらえる結希であり、空手メイドという珍妙なジャンルを受け入れさせてしまった狛江の、天性のキャラクターと天真爛漫な明るさだし、口が悪くても「ツンデレ」の一言で萌えさせてしまう桜であったり、と。
それぞれの個性を「萌え」として認識させることのできる稀有な資質の持ち主だけなのだ。
ある意味、そういうキャラを持った人間だけが、メイド喫茶という特殊な空間で生き残ることの出来るものたちといえようか。
薄々感付いていたことであったが、やっぱりケイトは―――
無理矢理送り出した手前、一応はケイトの初オーダーを見守っていた司がつぶやいた。
なにか失敗しても、なにかやらかしちまっても、それを許してもらえるというのは―――もっと言うなら、あばたをえくぼと思ってもらえるのは、本人の資質に負うところが大きい。それはたとえば、トレイをひっくり返しても可愛いの一言で許してもらえる結希であり、空手メイドという珍妙なジャンルを受け入れさせてしまった狛江の、天性のキャラクターと天真爛漫な明るさだし、口が悪くても「ツンデレ」の一言で萌えさせてしまう桜であったり、と。
それぞれの個性を「萌え」として認識させることのできる稀有な資質の持ち主だけなのだ。
ある意味、そういうキャラを持った人間だけが、メイド喫茶という特殊な空間で生き残ることの出来るものたちといえようか。
薄々感付いていたことであったが、やっぱりケイトは―――
「ふーむ。檜山ケイトの持つぴーしーいち能力………さすが、といったところだな」
「うわっ!? て、てめえ、この馬鹿兄貴っ、なに勝手に厨房から出てきてわけわからねえこと言ってんだよっ!?」
ケイトを見守る司の背後に、不可解極まりない言葉を吐きながら現れた上月永斗―――認めたくはないが、司の実の兄―――が立ち、しきりに感心している。
「弟よ。ヤツは選ばれた星の下に生まれた恵まれし男。我々のようなみそっかすが太刀打ちできる相手ではない」
黒のロングコート。長身で痩身。鋭い眼光で辺りを睥睨する姿は、なみなみならぬ迫力があるのだが。
普段の珍妙な言動のおかげでイマイチ軽んじられがちな男。それが、上月永斗である。
いまは、頭にかぶった白い三角巾のおかげもあってか、なおさらコミカルに見えてしまう。喫茶ゆにばーさるの厨房を預かる自称“伝説のコック”は、普段に似つかわしくない思案顔をして司に声をかけた。
「こいつは………荒れるぜ。嵐の予感、だ」
「あん? 嵐って、どういうことだよ」
片方の眉を吊り上げていぶかしむ司。ああ、それはな………と、意味深な表情を作る永斗。
「………………」
「………………」
がさごそ。すっ。かちっ。しゅぼっ。ふ――――っ。
「おい、馬鹿兄貴、タバコ吹かすなよこんなところでっ!?」
「ふっ………」
「つーか、わからねえくせに気分だけでなんか言う癖、いい加減に直せよっ!?」
電光石火のツッコミである。
要するに、さもなにかに気づいたかのように登場し、いかにもな台詞で場を攪乱し、もっともらしい態度でカッコつけているだけなのだ。別段特別な思案や意見を持っているわけではなく、ただ単に目立ちたいか、もしくは司に構ってもらいたいだけなのであろう。
だがしかし、永斗言うところの『ぴーしーいち能力』というのが、普段の彼の妄言にしてはやけにリアリティがあるのが不思議である。なんとなく、司も「ああ、そういうものなのかな」と納得しかけてしまうところが恐ろしい。
店内に再び目をやると、こまねずみのようにくるくるとテーブルとテーブルの間を行き交うケイトの姿。
不思議と、今日は女性客の入りが普段以上に盛況で、なぜか一様にケイトの『受け』がよさそうだ。
「うわっ!? て、てめえ、この馬鹿兄貴っ、なに勝手に厨房から出てきてわけわからねえこと言ってんだよっ!?」
ケイトを見守る司の背後に、不可解極まりない言葉を吐きながら現れた上月永斗―――認めたくはないが、司の実の兄―――が立ち、しきりに感心している。
「弟よ。ヤツは選ばれた星の下に生まれた恵まれし男。我々のようなみそっかすが太刀打ちできる相手ではない」
黒のロングコート。長身で痩身。鋭い眼光で辺りを睥睨する姿は、なみなみならぬ迫力があるのだが。
普段の珍妙な言動のおかげでイマイチ軽んじられがちな男。それが、上月永斗である。
いまは、頭にかぶった白い三角巾のおかげもあってか、なおさらコミカルに見えてしまう。喫茶ゆにばーさるの厨房を預かる自称“伝説のコック”は、普段に似つかわしくない思案顔をして司に声をかけた。
「こいつは………荒れるぜ。嵐の予感、だ」
「あん? 嵐って、どういうことだよ」
片方の眉を吊り上げていぶかしむ司。ああ、それはな………と、意味深な表情を作る永斗。
「………………」
「………………」
がさごそ。すっ。かちっ。しゅぼっ。ふ――――っ。
「おい、馬鹿兄貴、タバコ吹かすなよこんなところでっ!?」
「ふっ………」
「つーか、わからねえくせに気分だけでなんか言う癖、いい加減に直せよっ!?」
電光石火のツッコミである。
要するに、さもなにかに気づいたかのように登場し、いかにもな台詞で場を攪乱し、もっともらしい態度でカッコつけているだけなのだ。別段特別な思案や意見を持っているわけではなく、ただ単に目立ちたいか、もしくは司に構ってもらいたいだけなのであろう。
だがしかし、永斗言うところの『ぴーしーいち能力』というのが、普段の彼の妄言にしてはやけにリアリティがあるのが不思議である。なんとなく、司も「ああ、そういうものなのかな」と納得しかけてしまうところが恐ろしい。
店内に再び目をやると、こまねずみのようにくるくるとテーブルとテーブルの間を行き交うケイトの姿。
不思議と、今日は女性客の入りが普段以上に盛況で、なぜか一様にケイトの『受け』がよさそうだ。
ふと―――
背後になにやらうそ寒い不穏な空気を感じて、鳥肌が立つ。
この感覚は―――!?
この感覚は―――!?
「………兄貴」
「なんだ弟よ」
司が躊躇いがちに口を開く。
「兄貴の言うとおりだぜ………来るな………嵐」
「なんだ弟よ」
司が躊躇いがちに口を開く。
「兄貴の言うとおりだぜ………来るな………嵐」
ついーっ、と目だけを動かして、その異様な感覚の出所で視線を止める。
柱の影で。店内のケイトの様子をジト目で面白くもなさそうに―――というか、明らかにふてくされた顔をして。
柱の影で。店内のケイトの様子をジト目で面白くもなさそうに―――というか、明らかにふてくされた顔をして。
薬王寺結希が「うーうー」と涙目で唸り声を上げていた。
「ああ………それも大嵐が、な………」
永斗が―――なぜか愉しげに、そう言った。