今日のtepu

2007年末旅のしおり

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tepu

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作成:陽子 web加工:私

12/29

アクセス

新幹線とバスで広島港へ    船で切串へ
新大阪  広島
07:32  08:52
07:46  09:18
07:58  09:25
08:06  09:35
08:21  09:42
08:38  10:13
08:51  10:20
08:59  10:31
宇品  切串
09:15  09:40
09:45  10:10
10:00  10:25 *
10:15  10:40
10:45  11:10
11:00  11:25 *
11:15  11:40
11:45  12:10
13:00  13:25 *
13:15  13:40
13:45  14:10
料金450円(*は800円)


切串に着いたら、自転車を組み立てて走行スタート!

サーイクリング、サーイクリング

さっそく昼食

候補1    候補2
四季の味ひらの 海辺の海鮮市場
0823-43-0080 0823-40-0170

立ち寄り場所

海上自衛隊第1術科学校   江田島八幡神社
旧海軍兵学校は、明治21年に東京、築地から移転して以来、海軍将校養成の基地として、若い人の憧れを集めてきました。現在では、海上自衛隊の幹部候補生学校や第1術科学校などになっています。構内にある教育参考館には、旧海軍関係の資料など1200点が展示されています。特に、神風特攻隊員たちの遺書や遺品が見る人の胸を強く打ちます。 数千年以前からここに鎮座していたと推測される神社で島の総氏神とされています。108の石段を登ると石の鳥居の正面に森に囲まれた拝殿が見え、境内からは、旧海軍兵学校の全景が望まれます。

鈴木三重吉文学碑
明治38年8月、鈴木三重吉は東京帝大1年の時、心の愁いをいやすため来村し、回船問屋下田家に滞在しました。そこで、女主人と長女初代と弟らの、厚い人情と温かい風土にふれ、次第に病が軽くなりました。その時、夏目漱石に近況報告として書き送ったのが、漱石の激賞を得て一躍文壇に登場した処女作「千鳥」です。そして、旧下田屋敷跡に立つ碑に刻まれている「親のそばでは泣くにも泣けぬ沖の小島へいって泣く」は、能美島滞在中の三重吉の心境を友人に書き送った手紙の一節です。

お宿

  坪希旅館
江田島市沖美町畑
0823-48-0018




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