関係あるとみられるもの
黒谷ヤマメ(東方地霊殿)
住所
〒602-8385 京都府京都市上京区今小路通御前通西入ル上ル観音寺門前町863
京都市バス10, 50, 51, 55, 101, 102, 203系統「北野天満宮前」より徒歩すぐ
北野天満宮の鳥居をくぐり、参道を少し進んで左に逸れたところにある。
北野東向観音寺
延暦25年(西暦806年)に建立された寺院で、当初は朝日寺と呼ばれていた。
天暦元年(947)には各地の神職に対して「北野に道真の霊を祀れ」という神託が相次いだことから
北野朝日寺の僧最珍らの尽力によって
北野天満宮が設立された。これについては
神明神社も参照。
もとは東向・西向の両堂が存在したが、応仁の乱やその後の火災などで焼失し、東向のみが再建されたとされる。
本堂の左手奥には「頼光の土ぐもの塚石塔籠」があり、謡曲史跡保存会が設置した看板には次のように書かれている。
この蜘蛛灯篭は、もと七本松通一条にあって、
源の頼光を悩ました土蜘蛛が棲んでいたとこ
ろといわれた。明治年間に、この塚を
発掘したところ、石仏や墓標の破片した
ものが出土し何等参考になるものはなかった。
その時の遺物が、こヽにある「火袋」で、
当時、ある人が貰いうけ庭に飾っていた
ところ家運が傾むき"土蜘蛛の祟り"と
いわれたので、東向観音寺に奉納したという。
なお「土蜘蛛」とは我が国の先住穴居
民族で背が低く、まるで土蜘蛛のよう
だったといわれる。
この看板の8行目「祟」の文字はシールで上から修正(?)されていた。
土蜘蛛と源頼光の伝説については
葛城一言主神社(土蜘蛛の墓)に詳しく書かれているのでそちらを参照してほしい。
ここに奉納されている「火袋」は
上品蓮台寺の頼光塚を発掘した際の出土品とされることもあるが、それがなぜここに奉納されたかは不明である。
また、頼光が土蜘蛛を討伐したのは「土蜘蛛草紙」には
金戒光明寺に近い吉田山付近であると書かれているが、
「平家物語」では「北野天満宮の後ろの大きな塚」とされている。
この土蜘蛛塚は北野天満宮の境内ではあるが、後ろではなく前(参道側)にあるため、関連はよくわからない。
黒谷ヤマメは土蜘蛛がモチーフであると明記されているものの、ZUN氏は源頼光に退治された伝説は全然意識していないとのこと。
最終更新:2017年09月27日 01:45