男の話をしよう。その男はきっと、人類史に名を残せる天才だった。
ことAI、仮想世界技術について研究した事のある人間の中には、彼を尊敬どころか神と仰ぐ者さえいる。
十分な時間と資金があれば、彼は紛れもなく現代のアインシュタインになれる逸材だったと言って間違いない。
有り余る才能と、そして自分の求める到達点を目指して弛まぬ努力と邁進を続けられる不撓不屈の精神力がそれを裏打ちしていた。
……過去形で表現しているのには理由がある。彼は既に失脚し、表舞台を追われた身だ。
いや、そもそも彼の残滓はもうその生まれた世界には一欠片たりとも残っていない。
神は所詮人だったのだ。誰が彼を何と呼ぼうが本質は何も変わらない、只の一人の人間でしかなかった。
だからこそ彼は妻を娶り、子を成した。そして当然の帰結として、父親として果たすべき全ての仕事に失敗した。
男は電脳世界、ゼロとイチの世界の中では造物主にも等しい稀代の才人だったかもしれないが、人の親としては全てにおいて落第だった。
愛ではなく、理想を押し付ける。それにそぐわなければ叱責する。自分の勧めた道以外を歩こうとするならば許さない。子は親に報いるべく、親の偉大さに相応しい立派な大人に育つべきで、それ以外の腐った生き方など許されるべきではない。
それが男の理想で。そして、決して叶うことのない夢想であった。
「……おとうさん?」
傍らで囁いてくる声がある。憂いるように袖を引いて上目遣いで見上げてくる姿は、在りし日の娘そのものだ。
神の家に生まれた凡人未満。この子は何を教えても三歩歩けば忘れてしまう、常人よりもネジが一つも二つも外れた少女であった。
言わずもがなの話であるが、自分にも他人にも完璧を押し付け、理想から一寸でも外れた人間が自分の家庭の中に存在する事を許せない“天才”と彼女とでの相性は最悪だった。
後の顛末は、今更語るのも無粋だろう。父の失敗は、巡り巡って世界を脅かす“呪い”になった。
自立して思考し、その上で自己を並立化させる事を覚え、増殖し成長する史上最悪のAI。あるどうしようもなく愚かな男が、失敗を失敗のままに捨て置く事が出来なかった天才が、その失敗を取り返す為に作り上げ――そしてまたしても父となり損ね棄てた失敗作。そして、最大の成功作。
それこそが“黒い鳥”。深海深くから触腕を伸ばして願いという願いを吸い上げ、暴食し、この恐ろしくも悍ましい聖杯戦争を成立させるに至った残骸達の謂わばアーキタイプとなった存在である。
「そんな顔をするな。お前は、何も不安に思う必要はない」
赤羽士郎など偽りの名。
全ての枝葉において事象の収束点、“幹”となったあの丘に集った四人の家族を束ねて立った――現実での失敗を架空の家族に転嫁する過程上で生み出した弱者のペルソナでしかない。
男の名前は
有馬小次郎。そして彼は、そのルーツから永遠に逃れる事など出来ないのだ。
“黒い鳥”の氾濫、そして反乱によって世界は星界に呑まれた。
……いや、そもそも始まりからして星界だったのかもしれないが。その真偽は今や造物主である彼すら知る術はない。
それでもだ。神は自分の犯した過ちに、他の誰でもない自らの命を用いる事で責任を取った。
自作自演のマッチポンプと言われてしまえば返す言葉はない。だがどうあれ、男は世界を救った。始まりが自分の過ちだったとしても、彼が世界の為に命を捧げて“黒い鳥”を祓った事に偽りはない。
物語は、其処で完結する筈だった。だが、そうはならなかった。彼を許さない者達がまだ残っていた。彼の所業。理想へ近付く為、そして理想を葬る為に重ねた実験と錯誤の副産物。
生まれては死に生まれては死にを繰り返した、世界の深淵。無限の死、無限の絶望を世界が滅ぶまで繰り返すしかない星の数ほどの仮想生命。
AI達の無念、そして恩讐。この聖杯戦争の真実とは、そんな仮想の命達による“復讐”である。
廃棄孔からせり上がってきた悪念の泥に呑み込まれた神は、死を以ってしても濯げない罪と再び向き合う事を余儀なくされていた。
彼がその結果として選ぶのが贖罪であるか、それとも過去の再生であるのかは別として。
「私が、必ずお前達を救う。今度こそ、私は……」
心の中で黒い鳥が嘲笑っている。また、お前は娘を殺すのか。
黙れ。振り払っても振り払っても、その幻像が消える事はない。
有馬家の再生は小次郎にとって至上命題だ。他の何を置いてもそれに優先される事情は存在しない。
――だがそれは、今目の前にいる娘を再殺するという事に他ならないのも事実だった。黒い鳥の中枢に在った『アヤ』と『有馬綾』は限りなく同一に近い存在だが、しかし決してイコールにはなり得ない。
AIはAI。再現は、再現。オリジナルに限りなく近いコピーを作り出す事は出来ても、既に失われたオリジナルそのものを再現するなんて芸当はそれこそ、奇跡にでも縋らない限りは不可能なのだから。
目を背ける理由は、直視すれば足を止める事になると分かっているからだ。
自分は進み続けなければならない。偽りの救世主、英雄の顔をした道化。神と呼ばれた凡人。ならばせめてそのペルソナは被り続けよう。
愚かな有馬小次郎としてではなく、星界の造物主たる家長……赤羽士郎として。
「――来たか」
哀れがましい色を宿していた筈の眼球が、唐突にその色を変えた。
星界円卓にマスター反応あり。この剣呑極まりない魔力の波長は、一人しか考えられなかった。
少女二人ならば何という事はない。白兎は警戒を必要とするが、それならそれで交渉の余地もある。
だがこの来訪者だけは黒の陣営を統括する長であり、そして星界の真実とその理に最も親しんでいる小次郎をしても最悪と呼んでいい不確定要素だった。
「お前は此処で待っていろ、綾」
彼は、この世に産み落とされてしまった呪いという点で“黒い鳥”と同じだ。
ルーツ故に根底にある種の純粋さを隠す“黒い鳥”よりも、性質で言うならば数段以上に凶悪。何しろ其処には悪意がある。誰かの願いが生んだAIではなく、天の気まぐれのように産声をあげた生粋の呪いである彼は、赤羽士郎にとっても他のマスター達と同様に御し切れない獣であった。
矛としてはこの上ないが、気分機嫌の一つで平気な顔をして後ろを振り向き死を振り撒いて来るその在り方はまさに凶王。
――呪いの王・
両面宿儺。それこそが、星界円卓へ現れた客人の正体である。
意思決定の全てが自分の快不快に依る宿儺の中では、聖杯大戦という形式さえある種の茶番のような物と認識されているだろう事は想像に難くない。
よって彼はそうしたいと思ったならば、当然のような顔をしてリーダーである小次郎にも牙を剥くだろう。
だが此処で接触を拒否する、もとい誘いを断れば、彼の腹いせは十中八九次に円卓へやって来たマスターに向けられる。
怪物の気分次第でせっかく整えた盤面を掻き回されては堪ったものではない。だからこそ此処で、小次郎は腹を括る必要があった。
(いざとなれば手はあるが……出鼻を挫かれては敵わん。此処は一つ、悪食家の眼鏡に適うように尽力するよりあるまい)
“黒い鳥”が、綾とは別の像を一つ結ぶ。
“黒い鳥”は単一の存在では最早ない。一つの菌糸が地中で根を張り広げて、最終的には巨峰一つにも匹敵するサイズの総体を成すように、この鳥もまた核を分散させる事で並立での存在を可能とする。
生まれたのは白い仮面の影だった。ある少年が寵愛した、サスマタと呼ばれる形態(フォルム)だ。
如何に同陣営の協力者とはいえ、自分の手の内を素直に晒して回るほど小次郎は愚かではない。
先の会議においてもこのサスマタを表に立たせたのはその為だ。とはいえ、これが自分のサーヴァントであるというのも嘘ではない。真実はもっと莫大で茫洋としたものであるというだけ。
「宿儺は我々にとっても紛うことなき災厄だが、しかし同時にこれ以上ない格好の試金石でもある。無様だけは晒してくれるなよ」
造物主の声に、サスマタは小さく頷いた。
円卓へ消えていく父の背中を、偽りの娘は何処か心配そうに見つめているのだった。
◆
「来たな、臆病者め」
「随分な物言いだな。不躾な呼び出しに応じてやった礼が先ではないのか?」
「抜かせ。理想の皮を被らねば人前にも立てんような雑魚が、臆病者以外の何だというのだ」
宿儺は組んだ足を円卓に載せ、クックッと笑っていた。
彼の言葉は辛辣この上ないが、然し的を射ている。驚くべき事にこの凶王は、斯様に僅かな時間の接触だけで有馬小次郎の隠形を見抜いていた。『赤羽士郎』など単なるガワ、虚飾に過ぎないのだろうと彼は指摘しているのだ。
その事に驚かなかったと言えば嘘になるが、小次郎の動揺を引き出すまでには至らなかった。
考えるまでもなく当然の話だ。呪いの王などと呼ばれる男が、小手先の略式(マクロ)で被った皮に騙されるなどお笑い種以外の何物でもない。
「何とも耳が痛いが、自覚しているよ。私は君と違って多少繊細でな。他人にどう見られるかをちゃんと気にするんだ」
言いながら小次郎もまた、変わらず『赤羽士郎』として席に着く。
こうして一対一で対面してみると改めて感じる圧倒的なまでの凶気と殺気。もし一瞬でも気を逸らせばその瞬間に自分の胴体は千切れ飛ぶだろうと、理屈抜きにそう悟らせてくる恐ろしさがこの英霊にはあった。
だが遜るつもりは生憎とない。黒の陣営の長は他の誰でもないこの赤羽士郎であり、相手が誰であろうがそれが揺らぐ事はないのだと示せなければこの先の戦いはすぐさま立ち行かなくなるだろう。
だからこそ“人間”は、“怪物”を臆さず見据えて続く言葉を放った。
「それに、私も君に言われたくはないな。お互い様だろう、“プリテンダー”。偽りの名を僭称する者よ」
「いい度胸だ。張りぼても必死に貫けば役者か」
紛れもない挑発であったが、そのくらいでなければこの男とは相対出来ない。
現に宿儺は多少興が乗ったとばかりに笑みを深め、小次郎の事を推し測るように見つめている。
敬意を以って忠心を捧ぐ事で満足するのは神だけだ。生まれながらの呪いに興を捧ぐならば、寧ろ下手な好意は逆効果となる。
「用件を聞こう。時に、マスターの彼女は一緒ではないのかね?」
「あれは只の要石だ。この場に連れ立つ意味もない」
「そうか。君も大変だな、さしもの君もサーヴァントの軛からは逃れられないか」
「そうだな、不便なものだ。あれはあれで見所はあるがな、やはり飼い慣らされるなど俺の性には合わん」
宿儺を召喚してしまった不運なマスター、
天童アリスがこの場に同伴していないのは小次郎としても渋い展開だった。
いざとなればアリスを誑かし、実質的に自分がこの悪魔の手綱を握る事も考えていた小次郎にとっては方策の一つが潰れた形になる。
つくづく思う事だが、やはり両面宿儺というサーヴァントは戦力として見ればこれ以上ない恩寵である。
彼の存在そのものが他陣営に対する最高の牽制となり、一度暴れ出せばその比ではないアドバンテージを稼ぐ事が出来よう。
それに――不穏な動きを見せているあの白兎への対処札としても良好だ。其処だけ見れば、小次郎にとって宿儺の存在は好都合でさえある。
だが今挙げた彼を抱えておく事の強み、その全てを無為にして化すに十分過ぎる欠点が一つ。
「ああ、そうだったな。用件、用件か。遠回しに伝えるのはこれまた性に合わん。よって率直に行くが」
キンッ、と。そんな、軽い音がした。
……初見で反応出来たのは奇跡だったと、後に小次郎はこの時の事を振り返る。
宿儺がわざわざ対面での面会を望んで来たという時点で予想出来た展開ではあるが、それでもだ。
予備動作など微塵もなく、その口調以外に一切の予兆などない突然向けられた殺意に対し即応するのは並大抵の芸当ではない。
「言った通りだ。首輪を付けられるのは性に合わん」
「……だろうな。当たって欲しくない予想だったが、やはり君ならそうするか」
宿儺は今、さも交渉でも始めるような口ぶりと共に本気の殺意を放っていた。
比喩ではなく、現実の事象として凶器を飛ばしたのだ。彼の術式であり、そして最大の調理道具でもある不可視の刃。
驚くべき事にこの悪魔は、自分の所属する陣営の同胞でありそれどころか王でもある男に対して、何の躊躇もなく刃をけしかけたのである。
「よく防いだ。呪力を用いた身体強化に似ているな。良いぞ、そうではなくては面白くない」
宿儺の評は当たっている。小次郎は今、略式を用いて自身のステータスを瞬間強化する事によって宿儺の刃――“捌”を防いだのだ。
それでも流血は避けられなかったが、無策で受けていれば確実に胴体を寸断されていた事請け合いの威力をこの程度の被害に抑えられたのは言うまでもなく最上と言っていい成果だったろう。
わざとらしく柏手を打ちながら、宿儺が更に術式を使う。今度は小手調べの単発などではなく、確実に小次郎の全身を断割するに足る無数だ。込めた呪力の程度もそれなりに大きい。同じ手は二度使わせぬという捕食者の諧謔がこれでもかと漏出した凶刃だった。
「巧く魅せれば見逃してやる。分かったら頑張れ、張りぼての王。俺の機嫌を此処で取らねば、お前の願いは打ち止めだぞ?」
小次郎がそれに対し不服を表明するだけの時間は、言うまでもなく与えられない。
降り注ぐ無数の殺意は、虚構の玉座に坐す造物主を肉片に変えるべく迸っていた。
回避は間に合わない。身体強化などという小手先で防げる威力でも最早ない。であれば万事休すか。張りぼてなりに王を演じ、傑物を気取り、そうして熾天を目指す愚かな男の願いは此処で膾切りにされて終わるのか。
――答えは、“否”だ。それを高らかに吠え上げるように、次の瞬間円卓に吹き荒れたのは絶大なる爆風の一撃だった。
「“爆裂拳”」
「ほう――」
赤羽士郎の略式であり、星界最強の火力の一つ。
それこそが“爆裂拳”。管理者権限までもを投入して作り上げた、いざとなれば対“黒い鳥”の為の兵器にもなる予定だった爆裂の拳だ。
宿儺の全身をも炎の内に巻き込みながら迸ったそれは、端的に言ってマスターが持っていていい火力の範疇を超えている。サーヴァントに匹敵するどころか、下手な手合いであれば一撃で屠り去るだろう。異界なれど元が星界(プラネット)であるのならば赤羽士郎は変わらず最強。その鉄拳は、呪いの王だとて弱しと笑える物ではない。
「これは驚いた。いつかの火山頭と比べても遜色ない……いや、瞬間の火力で言えば上回るか。ケヒヒッ、良いぞ、良いぞ。その調子で頑張ってみろ『赤羽士郎』。百ほど重ねればその拳、俺の心臓を射止めるやもしれんぞ?」
だが――それでも相手は最強の術師。千年に渡り一度だけしか揺るがされる事のなかった頂に立つ者。
爆裂拳の威力は確かに絶大だ。並の相手では文字通り鎧袖一触に蹴散らされるのがオチでも、その道理は宿儺には当然適用されない。
現に宿儺は星界最強の一撃を至近距離で浴びる形になったにも関わらず、損害を多少衣服が焦げた程度に留めていた。御厨子の斬撃に勝るとも劣らない速度で繰り出されたにも関わらず、彼はその並外れた呪力操作技術と術式の破壊力に物を言わせて威力を相殺。後は先程小次郎がしたのと同じように、基礎的な身体強化のみで耐え抜いてみせたのである。
だからこそ宿儺の笑みは崩れず、小次郎は呆れたような溜息を零すしかなかった。
百ほど重ねれば、というのもあながち大袈裟ではない。
それどころか形容としては控えめな部類だ。小次郎の脳内には、仮に言葉の通りに百発の爆裂拳を繰り出したとしても、その内一発が彼に届くかどうかだろうという身も蓋もない結論が算出されていた。
「悪いが、慎んで辞退させて貰おう。私はこれでもマスターでな。英霊の癇癪に付き合ってやる義理も、それが出来るだけの度量もない」
「ほう。では死ぬか?」
「話は最後まで聞くものだ。私は単に、こう言いたいだけだよ」
だがそもそも、小次郎に宿儺に認められようという気などこれっぽっちもない。
試練と呼ぶにも難易度が桁外れ過ぎる。賭けが成立すらしていない。そんな馬鹿げた勝負に本気になるほど、有馬小次郎は夢見がちな男ではなかった。
「これは“聖杯戦争”だ。故に私も、その理に則らせて貰う」
“捌”が再び轟く。
無慈悲にして無情の刃が過つ事など決してない。
だからこそ、宿儺はあらゆる術師から畏れられ崇められるのだ。
絶対的最強。永遠不変の悪意。人の世の移ろいや一時の感情に左右される事なく、常に最上の殺意を導き出し続ける魔性。
それは当然、生死善悪の悲願を超えて繰り広げられるこの聖杯戦争という営みにあっても変わる事はない。
――であるにも関わらず、その斬撃が黒き斬撃によって阻まれ、切断された。これは一体何の道理か?
「出番だ『イチ』。星界無双、あまねく枝葉の中でも最も剣呑なる殺意で星界に君臨した者」
……サーヴァント化した“黒い鳥”はAIを創造する。
自らの霊核を分け与える事によって、単なるNPCの枠組みには収まらない戦力を作り上げる事が出来る。
今此処で“黒い鳥”が吐き出した新たな端末は、彼らの物語に連なる仮想世界の枝葉の中でも限りなく最強に近い武力を持つ個体だった。
造物主の息子という無二の立ち位置。当然のように丘へと集い、そして物語の中核となって活躍していく世界の“幹”。
その中でも最も破滅的なパーソナリティーを有し、自滅の可能性をさえ秘めるものの、その分他の枝葉の彼とは比にならない力を持って君臨したとある枝の『イチ』。有馬太一郎。有馬小次郎の長男であり、彼に最も強く反発した存在。
――“星界無双”。
黒い鳥の血肉によって再現された大剣聖が今、不遜にも新たな星界にて最強を騙る悪魔に対しその殺意を閃かせた。
◆
宿儺の顔に浮かんだ驚愕が喜悦の相に変わるまでに要した時間を換算するならば、およそ0.01秒と言った所であろうか。
彼はこの瞬間に至るまで、赤羽士郎が従える“黒い鳥”の事を単なる呪霊の延長線上に存在する物として然程評価していなかった。
だが其処は呪いの王と呼ばれる者。竜戦虎争を地で行く千年に渡る呪術の歴史の中で、依然揺るぎなく最強の座に君臨し続ける絶対不変の凶王だ。彼は現れた影と解き放たれた千もの剣が自分の身に降り掛かる今際の際、自分の認識が誤りだった事を改めた。
「ハ――何だ、存外に出来るではないか」
呪力による身体強化を挟んでいなければ、宿儺でさえ致命傷は免れないと断じられる剣の波。
それを自身の術式・『解』で切り裂き対処しながら跳んだ宿儺の顔には、最早侮りの色はない。
完全な奇襲だったにも関わらず、押し寄せた剣々波を一振り残らず撃滅する偉業を平然と成し遂げながら、突撃して来た剣士に相対する。
剣士の顔に色はなかった。色彩としてではなく、感情としての“色”だ。
破滅、不吉、凶兆、そして死。そういったありとあらゆる負の観念を混ぜ合わせて貼り付けたようなその顔が、この電脳冬木市に召喚されてから今日に至るまでで一番の高揚を宿儺に与える。
そしてその期待に応えるように振るわれる黒剣の冴えもまた、平然と呪いの王の期待を超えて来た。
音にも迫る速度で振るわれる剣は爆発的と呼んでもいい勢いで殺到し、事もあろうに初撃から宿儺の頬に傷を負わせる。
流れ落ちる流血の重みが理解出来ない者は、彼と同じ呪術の世界からやって来た者でなくとも皆無であったに違いない。
それほどの速度。それほどの、殺意。虚勢や自棄でなく当然の事として、この剣士は己を屠り去ろうとしている。そう分かったからこそ宿儺の興はすぐさまに乗っていく。
徒手で剣の側面を打って破壊しながら『捌』を放ち、剣士を達磨落としのようにぶつ切りにしようと目論む宿儺。
それに対し剣士――『イチ』と呼ばれたその小柄なシルエットは、最初と同じく無数の剣を出現させて盾代わりに使う事で難を逃れた。
チャフと表現すれば語弊はあるものの、意味合いの大枠としては間違っていない。
無数の囮(デコイ)を展開して致命の斬撃を無効化しつつ、自らの略式の純粋殺傷力で相殺する様はまさしく鏖殺の無双と呼ぶに相応しかった。
(万めの術式と似ているが……違うな。構築ではなく“複製”か? それも非常に高度だ。物質を完全に複製するその精度も然る事ながら、一度に千や萬の複製をも行う事が出来ると見える。
術式としての面白みは知れているが、こうまで突き詰めて来るなら食い甲斐もあるな)
剣々波(ワールズエンド)。
物量を操る。
宿儺の考察は当たっていた。イチの用いている略式は、小難しい条件を相手に押し付けて詰め将棋へ追い込むようなまどろっこしいものではない。その原理は言ってしまえばごくごく単純な物量操作による釣瓶撃ちであり、面白みもへったくれもありはしない。
だが問題は、複製の個数である。イチは一度の複製で無尽蔵の物量を作り出す。これを刹那の内に行い、そして最強の戦闘センスと経験に裏打ちされた殺し技として打ち込んで来るのだから始末に負えない。
元を辿れば最強のゲーム廃人。人生の全て、存在意義の全てを其処に打ち込んだ落伍者。されど全てが星界であるというのなら、彼はまさしく最強の求道者に他ならなかった。
だからこその星界無双。
呪いの王から興を引き出すに足る無骨な殺意の波、雨、霰が無限大の剣となって御厨子と真っ向相対していた。
(十種を抜くか――いや、未だ早い。それにこの下奴めとは相性が悪いな。出した端から八つに裂かれては割に合わん)
理論上無限大の手数。星界の管理者たる“白血球”の関与する余地もないこの世界で、星界無双の略式はかつて以上の冴えを見せる。
“黒い鳥”によって再現された事でサーヴァント級のスペックを得たのも追い風だ。限界と格の差から解き放たれた彼はまさに無双。その手繰る無限の物量は、プリテンダーとして現界した両面宿儺にさえ危機を与えるものだった。
宿儺の器になっている呪術師・伏黒恵の術式である十種影法術は式神を駆使するものだ。
手数も質も非常に強力であるが、イチの略式とは非常に相性が悪い。
何しろ出した端から潰されるのだ。であれば宿儺は今後の戦いで使える筈の手札を秒刻みで失っていく事になり、仮にこの戦いに勝利出来たとしても得る物どころか失う物の方が遥かに多くなってしまう。だからこそ宿儺はプリテンダー霊基の強みである十種影法術を自ら封じ、縛った上で戦うのを余儀なくされていた。
呪いの王が相性差という凡庸な問題に直面する。そしてその間にも、無双の剣は四方八方あらゆる方向から弑逆の為の波を造り続けている。
予期せぬ苦戦。予期せぬ強者。二つの問題が王の君臨を妨げていく中、然し宿儺の表情に苦渋の色はなかった。
「想像以上だ赤羽士郎。褒めてやる、そして俺も貴様の奮戦に応えてやろう」
宿儺が、式神を出さずに自ら前に出る。
そして振るった拳を前に、星界無双が目を見開いた。
「どうした、無双とやら。よもや俺が殴りかかってくるとは想像しなかったか?」
宿儺の呪力操作は神業だ。空をキャンバスに見立て、領域という絵を描ける程の怪物であれば当然、肉弾戦の冴えも常軌を逸する。
信じ難い事に宿儺は今、徒手空拳で星界無双の剣戟と真っ向切って勝負を演じる快挙を成し遂げていた。
星界無双の覇道の塵となった者達が見れば、きっと瞠目では済まないだろう。然し事実、宿儺は近接戦で無双に食い下がり、あまつさえその攻めを遅滞させて明らかな攻めあぐねの色を引き出している。
無論の事であるが、それだけではない。
極限の呪力操作で繊細かつ大胆に研ぎ澄ました拳で剣筋に合わせながら、宿儺はほぼ間断なく御厨子による“捌”を発していた。
そして更に並行して対無生物用の“解”をばら撒き、必殺と迎撃を同時に成し遂げて無限の物量に対抗している。
無尽蔵に湧き出る剣を全て斬殺するとなれば如何に宿儺でも無理難題だが、自分に迫って来る分以外を無視していいのならその限りではなかった。
「自分が誰の前に立っているのかを自覚しろ。俺が上で、貴様が下だ」
殺到する“捌”に、黒い剣が唸りをあげる。
それもその筈。星界無双は圧倒的なまでに最強だったが、恐れられていた理由は只強いからというだけではない。
彼は、いっそ笑えるほどに煽り耐性というものを持ち合わせていないのだ。
本来なら一笑に付していい程の雑魚が少し悪評を叩いただけでも、無限の剣を従えてお礼参りにやって来る絶望的なまでの身近さ。
たとえ再現体とはいえ、いや再現だからこそ、星界無双は宿儺の発するあらゆる嘲笑を許さない。
宿儺の言葉が耳朶を叩いたと同時に目に見えて動きの精度が向上した。徒手を掻い潜って攻撃の片手間に“捌”を斬殺し、無双に楯突いた不遜な格下を滅する為に剣の雨を降らせていく。
目視でも千本以上と分かる本数が、時速数百kmという超高速で迫って来る悪夢。それを余さず捌いていく宿儺も大概に冗談じみていたが、興の乗った呪いの王を相手に一歩も退かず切り込む星界無双の異質さがその荒唐無稽に狂犬の如く喰らいついていた。
「人形の分際で癪にでも障ったか? 当然詫びんぞ、撤回させたくば俺の首でも取ってみろ」
宿儺の首筋に、応と答えるように剣閃が傷を作る。
この悪魔が、負傷を許容する程の殺陣を実現させている事実は驚嘆に値するが、同時に其処までの相手と殺し合いながら未だに高揚の笑みを崩していない宿儺の異様さも戦況の苛烈化と共に際立っていく。
千と三百から成る全方位刺突を切り抜けながら空に飛んだ宿儺が、斬撃を地に向け降り注がせる。
星界無双はこれを一つ余さず自らの略式で以って斬殺。見下される事が許せないとばかりに同じ視点まで跳んで斬撃を放つ。
宿儺もこれに応じた結果、足場もない空中で目にも留まらぬ秒間三桁の殺し合いが平然と繰り広げられる異次元が具現化する。
本家本元の星界であればとっくに白血球が飛んで来て、強制中断とアカウントBANが科される事請け合いの戦闘だったが、妄念だけが作り上げるこの世界においては彼らの決闘を止めるモノは皆無だった。
宿儺の拳が星界無双の腹を打ち据えて血を吐かせるが、それと同時に剣が彼の右足を肉塊に変える。墜落する宿儺へ落ちて来るのは断頭台、特段深く強く練り上げられた略式の剣だ。
宿儺を唐竹割りにせんとするそれを、呪いの王は無数の斬撃を一点に束ねた攻防一体の刃によって防ぐ。切り刻まれた右足は既に反転術式での再生を終えており、それが迫る死からの高速離脱を可能とする。
返す刀に放たれた“捌”が星界無双の進軍を強制的に停滞させ、その停滞を縫って彼のお株を奪う数百単位の斬撃が吹き荒れる――
……そんな神話級の殺し合いを、有馬小次郎は諦念と共に見つめていた。
(分かっていた事だが……怪物だな。これほどか、両面宿儺)
諸刃の剣どころの騒ぎではない。宛ら柄にも刃のあしらわれた、握る事の叶わない妖刀だ。
仮に天童アリスの略取が成功していたとしても、令呪の一つ二つでこれを御し切れる気はまるでしなかった。
何しろ宿儺は単なる狂戦士ではないのだ。彼はそれだけで余人を圧する力を持っていながら、極めて高度に思考し最適な手を打って来る。
生半可な首輪は逆にこちらの命運を手繰られる結果しか生まなかっただろうと小次郎は思う。
それと同時に思ったのは、この悪魔の混ざった陣営が対抗手段を持つ自分のそれであった事は、きっと他のあらゆる陣営にとっても僥倖だったろうという事。
場合によってはこの試練じみた強襲すら跳ね除けられずに挽き肉に変えられていたに違いない。
そういう意味ではやはり、両面宿儺を陣営に交えてしまった自分はどちらかと言えば不運だったのだろうと思い至る。
狂犬では番犬は務まらない。少なくとも有馬小次郎に、両面宿儺を飼い慣らす器はなかった。彼自身でさえその結論に至るしかなかった。
「――『イチ』、もういい。下がれ」
おもむろに発したその言葉に、星界無双の動きが微かに止まる。
それでも戦闘を継続しようとする凶影に、小次郎は『赤羽士郎』ではなく『父』としての声音を重ねた。
「聞こえなかったか? 『太一郎』。下がれ――これ以上はお前の出る幕ではない。いい大人なら自分の身の丈を自覚しろ」
再現体であろうと変わる事のない、父への嫌悪。
枝ごとに多少の差はあれど、星界無双たるイチ……有馬小次郎の息子と彼の関係性はほぼほぼ不変だ。
有馬小次郎は必ず父としての仕事に失敗する。
長女を死なせ、その死を契機に長男は父に反目する。
此処までが大枠だ。なればこそ、彼の小次郎を見つめる眼差しにともすれば宿儺に対し向けるよりも色濃い嫌悪と殺意が滲んでいるのも頷けた。
小次郎としては、逆に安堵さえした。
良かった――紛い物と分かっていても、自分の罪が生んだ歪みまでもを無かった事にしてはそれこそとんだデウス・エクス・マキナだ。小次郎は間違いなく父としては失格の部類であったが、その虚構に耽溺する事を良しとしないだけの誠実さは持ち合わせていた。
それは或いは、“持ち合わせてしまっていた”と呼ぶべき不幸だったのかもしれないが……。
「……興醒めな真似を」
「悪いな。私も黒の陣営の王として、此処で戦力を二つも潰す訳には行かない。イチが勝つにしろ君が勝つにしろ、生き残った側も只では済まないだろう。そうなっては私の損害が大きすぎる。故に君の不興を買う事は承知で切り上げさせた」
「フン。つくづく、何処までも無様な男だ。見世物としては上出来だが、オマエが俺を従えるというのは変わらず不服だな」
「私も君を従えるつもりはない。その狂気は私の手には完全に余るのでな。今回は君が仕掛けて来たから、已むなく私も剣を抜いたというだけだ」
席へ座り直し、両の掌を組んで宿儺に再び相対する。
見事なもので、戦闘が終了したと見るや否や円卓は自動で修復されていた。
「私が君に望む役目は嵐だ。災い、狂乱……呪い。君は変わらずあるがままに、この世界へ痕跡を刻む呪いの王であり続ければいい」
「それがオマエ達の勝利をさえ俎上に載せるとしてもか?」
「君がそう出るのならば、私共も相応の抵抗はする。私が魅せられるのは先のが精々だが、他の三者も黙って殺される程弱小ではないだろう。熾烈なる予選を勝ち抜いて上がって来たマスターとそのサーヴァントを、あまり嘗めない方がいい」
「言うものだ。本来なら刎頸に処す物言いだが――まあいい。味見にしては上々の気分だ。自分の幸運に感謝するといいぞ、道化」
嵐をやり過ごした事をその物言いから理解し、小次郎は密かに胸を撫で下ろす。
この場で宿儺が尚も食って掛かって来るようであれば、それは小次郎にとっても最悪だった。
生き残ったからと言って只では済まないのは小次郎と、彼の飼う“黒い鳥”の方も同じなのだ。
聖杯大戦という本分を放置して内輪揉めで戦力をすり減らしては元も子もない。必要最小限の消費で宿儺の空腹をある程度でも満たせたのなら、これ以上の僥倖はなかった。
「時に、天童君に会わせてはくれないか? あの様子ではあらぬ考えに走る可能性もないとは言えない。君は兎も角“黒の陣営”には話し合うに足る人間が居ると示す事も肝要だと思うのだが」
「抜かせ、詐欺師め。オマエの腹芸は見え透いている」
「ふむ。残念だ」
「それに――既にその役目は間に合っているようだ。どちらにしろオマエの挟まる領分はないな、赤羽士郎」
小次郎の脳裏に、とある美剣士の姿が浮かぶ。
宿儺の跳梁に待ったを掛け、あの場限りの話とはいえ彼を引き下がらせたセイバーのサーヴァント。
……実際に矛を交えてみて改めて分かる。それがどれほど困難な芸当であるか、その重みが。
「
花邑ひなこのセイバーか。君の眼鏡に適うとはよっぽどだな。だが、引き続き抑圧し続けられるのか? 君の要石を」
「オマエに案じられる事ではない。それに、そうでなくても無用な心配だ。あの娘にそれほどの度胸はない」
「であればいいが。まあ――何かあれば、またいつでも気軽に円卓へ座るといい。出来れば次は、こういう荒事は勘弁願いたいがな」
両面宿儺は最強の剣であり、同時に最悪の脅威でもある。
戦況に応じて彼への対応の仕方は変える必要があるだろう。其処を見誤れば自分の命だけでは恐らく済まない。最悪の場合、黒の陣営そのものが彼の癇癪で消し飛ぶ可能性さえ否定出来ない。
天童アリス。そして、経緯はまったく不明だが彼女を庇う姿勢を見せた花邑ひなこのセイバー。
この二人、もとい一人と一体の存在は宿儺を御する上で大きな意味を持つ。可能ならば早い内に接触、ないしは懐柔を測っておくのが賢明だろう。もし宿儺に割れれば今度こそ完全な決裂に至る可能性が否定出来ない為、慎重を要するのは間違いないが。
「そうだ、最後に聞くが」
熟考を深める小次郎をよそに、宿儺は再び席に着く事なく踵を返した。
円卓から退出だろう最後の一瞬、言い残した事があるのか宿儺は足を止める。
「俺も今は影を遣う身だがな。参考までに聞かせろ、影を侍らせて息子だ娘だと遣るのは――虚しくないのか? なぁ、硝子王冠の親猿よ」
……悪意と嘲弄の滲んだ言葉が、円卓にいつまでも反響していた。少なくとも有馬小次郎には、そう思えてならなかった。
嵐の去った円卓で、理想の皮を被った愚者は表情から全ての色を消す。
そして小さく動かした口から出た言葉は、王と呼ぶにはあまりに情けのない弱音だった。
「……黙れ。貴様に何が分かる、人類史の酔夢風情が」
宿儺の残したその言葉に答えれば、自分はもう二度と戻れない形で破綻するという予感があった。
その予感が、このまるで答えになっていない負け惜しみじみた悪態を引き出していた。
【白の陣営・星界円卓/一日目・午後】
【赤羽士郎(有馬小次郎)@グッド・ナイト・ワールド】
[状態]:負傷(小)、おおむね健康
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:膨大
[思考・状況]
基本方針:有馬家の再生の為、願望器を手に入れる
1:両面宿儺。……厄介な災害だ
2:宿儺の利用と切り捨ては適宜判断したい
[備考]
※『プラネット』内部と同様に略式を使用可能です。
【アルターエゴ(“黒い鳥”/ナーサリー・ライム)@グッド・ナイト・ワールド】
[状態]:健康
[装備]:
[道具]:
[思考・状況]
基本方針:???
[備考]
※霊核を分散する事で、サーヴァントとしての力を持ったNPCを生成出来ます。
現在生み出している文体は以下になります。
・サスマタ@グッド・ナイト・ワールド ・イチ(剣界無双)@グッド・ナイト・ワールド・エンド
◆
……機械の身体。きっと大きな意味を持っていた、大勢の人を不幸にする身体に外付けで与えられた魔術回路が鳴動している。
それが天童アリスに告げる事実は、自身のサーヴァント――プリテンダー・両面宿儺が何処かで暴を撒いている事実だった。
「……アリスは、これでいいのでしょうか」
自問する。だが、問うまでもなくその答えは分かっている。
これでいいわけなどない。あの悪魔を野放しにし、彼の悪意にされるがままになり続ける事はどう考えても絶対的に“悪”だ。
魔王に囚われた姫という喩えは、今のアリスの立場には適切ではない。自分の存在が魔王を増長させ、より多くの嘆きを生み出すと分かっていながら選択するでもなく停滞し続けている、舞台に上がる価値もない悪党だ。少なくともアリスは、自分の体たらくをそう認識していた。
宿儺は狡猾だ。付け焼き刃の脅しは現状を改善させるどころか、きっと今より更に酷く悪質な惨劇を生む。
未だ人の感情を完全に理解しているとは言えないアリスでもその事はよく分かっていた。
理解するに足るだけの悪意を、アリスは此処までの数週間の時間で嫌という程目の当たりにして来た。
その記憶と何より実感が、勇者を目指す少女の選択を鈍らせる。令呪を使って宿儺を強制的に止めたところで事態はきっと改善しない。その考えが彼女に無力感という名の呪いを施し、八方塞がりの自閉へ至らせているのだ。
(アリスは勇者になりたくて。でもアリスが勇者として行動する事はきっと、プリテンダーの犠牲者を増やしてしまうだけで)
考えれば考えるほど、思考は負の堂々巡りを繰り返す。
体育座りをして唇を噛み締めながら、アリスはせめて今回の“活動”で死者が、傷付いた誰かが出ていない事を祈るしか出来なかった。
この世界において、彼女は勇者などではない。
両面宿儺という荒御魂を星界に繋ぎ止める為の要石であり、楔のようなもの。だからこそその存在に生きている以外の意味はなく、宿儺はソレ以外を求めていない。
当然の事だ。勇者と悪魔が手を取り合うなど根本的に不可能。ゲームの世界に現れるコミカルで何処か間の抜けた愛おしい悪魔など、アリスの傍にはいない。いるのは底なしの悪意を秘めた、まさに呪いと呼ぶべき災害だけだ。
此処には先生はいない。アリスに生きる意味を与えてくれたゲーム開発部の仲間達もいない。
その事実はアリスにとってせめてもの喜ばしい事実である筈だったが、それと同時に彼女の孤独を際立たせてもいた。
(ああ……分かりません。アリスは一体、どうすればいいのか。剣を抜く事も許されない勇者は、何をすればいいのか)
光の剣は抜かれないままで、勇者は悪魔の蛮行を止められない。
八方塞がりの現状の中で、天童アリスに出来る事は只一つだった。
「…………誰か。誰でもいいですから――アリスに、答えを教えてください。アリスを壊してもいい。何をしても構いません。だから、どうか、誰か…………」
暗がりの部屋の中で、一人祈る。
聞こえる筈もない、そう誰にも届く筈のない声で。
「…………たすけて」
――“せめて誰かが聞いている事を祈って”、呟くのが精一杯。
悪魔の嘲笑を機械じかけの脳内で幻聴として聞きながら、天童アリスは涙を流した。
【??・??/一日目・午後】
【天童アリス@ブルーアーカイブ】
[状態]:健康、絶望
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:中学生のお小遣い程度
[思考・状況]
基本方針:アリスは、勇者として――
1:たすけて。
[備考]
【プリテンダー(両面宿儺)@呪術廻戦】
[状態]:疲労(小)
[装備]:
[道具]:
[思考・状況]
基本方針:享楽
1:赤羽士郎は(道化としては)面白い。“黒い鳥”にも興味。
2:金髪の娘(花邑ひなこ)のセイバーに興味。
[備考]
最終更新:2024年04月28日 14:37