東北大SF研 読書部会
『横浜駅SF』 柞刈湯葉

著者紹介

福島県出身。年齢非公開。現在著作は『横浜駅SF』『横浜駅SF 全国版』(以上KADOKAWA)『重力アルケミック』(星海社)の3冊。また、SFマガジン2018年4月号に短篇の馬鹿SF『宇宙ラーメン重油味』が掲載されている。
現在は大学で生物学の研究者をしている。元々は「イスカリオテの湯葉」という名で活動していたが、書籍化に伴い今の筆名に改める。椎名誠のファンらしい。
本作は2017年の「このラノベがすごい!2018」の「単行本・ノベルズ部門」で新作ランキング1位を獲得したほか、日本SF大賞候補作にもなり、赤野工作『ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム』や碌石らせん『黄昏のブッシャリオン』をはじめとするカクヨム出身の作品の先駆けとなった。

あらすじ

本州の99%は横浜駅になっていた。通常、駅構内には「Suika」がないと進入できないが、ヒロトは「18きっぷ」で5日間限定の入場権を得る。この5日間のうちに、横浜駅のすべての秘密が隠されている「42番出口」を目指すことになった。
横浜駅の中で、JR北日本の工作員ネップシャマイや「キセル同盟」のケイハなどと出会い、彼らの助けもあってヒロトはついに「42番出口」にたどり着く。ヒロトが「非常停止ボタン」を押したことで、横浜駅は死んだ。今すぐには崩壊しないが、やがて横浜駅は自己増殖を止め、完全に崩壊することだろう。

用語解説

横浜駅構造体

鉄道路線を回路にもつ自己複製コンピュータだったもの。今は暴走しており、周囲の人工物を依り代にして際限ない自己増殖を繰り返している。免疫組織として「改札」を有しており、後述の構造遺伝界をもたないものがエキナカに侵入すると、すぐさま「改札」が侵入者を排除する仕組みになっている。
ちなみに、続編となる『横浜駅SF 全国版』ではわれらが青葉山も登場している。青葉山は山の内部まで横浜駅化が進んでおり、全国でも珍しい光景だという。(どうみても東西線です 本当にありがとうございました)

構造遺伝界

横浜駅を構成する物質に伝わる、特殊な振動数をもつなにか。これが伝わったものは横浜駅の一部として取り込まれることになる。逆の位相をもつ「構造遺伝界キャンセラー」を使えば、構造遺伝界を打ち消して横浜駅を構成する物質を非横浜駅化出来る。
この構造遺伝界はコンクリートやアスファルトといった人工物に伝播しやすく、特に金属製品(すなわち鉄道路線)は非常に構造遺伝界を伝えやすい。そのため、鉄道路線で横浜駅と接続していた本州の鉄道路線はまたたくまに横浜駅化してしまった。ただ、電解質を含んだ水には弱く、構造遺伝界が散逸してしまう。

42番出口

伝説の馬鹿SF、ダグラス・アダムス『銀河ヒッチハイク・ガイド』における「生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え」である「42」から。
そういえば作中における某コンピュータの機構と横浜駅構造体の機構は似ている気がする。

各章題の元ネタ

第1章「時計じかけのスイカ」

ディストピアものの名作、アントニイ・バージェス『時計じかけのオレンジ』より。

第2章「構内二万営業キロ」

海洋SFの傑作、ジュール・ヴェルヌ『海底二万海里』より。

第3章「アンドロイドは電化路線の夢を見るか?」

SFでも屈指の知名度を誇る名作、フィリップ・K・ディックアンドロイドは電気羊の夢を見るか?』より。

第4章「あるいは駅でいっぱいの海」

ヒューゴー賞受賞作、アブラム・デイヴィッドスン『さもなくば海は牡蛎でいっぱいに』の旧題である『あるいは牡蛎でいっぱいの海』より。または、同作から題名をとった筒井康隆『あるいは酒でいっぱいの海』より。

第5章「増築主の掟」

ロボットとのファーストコンタクトを扱ったジェイムズ・P・ホーガン『造物主の掟』より。

第6章「改札器官」

現代日本SFの最高傑作、伊藤計劃『虐殺器官』より。

所感

題名と設定だけの馬鹿SFと思って読み始めた作品だったが、しっかりと考えられたSF的な設定に舌を巻くばかりだった。大正以来改修工事の絶えない横浜駅を、そういう生命環をもった一種の生命体と規定することで、ハードSFとしても楽しめるようになっている。まだ設定だけで話に直接かかわってはいないが、「冬戦争」なるものによって荒廃した世界を描いており、ポストアポカリプスものとしても魅力的である。
この作品の魅力は、なんといっても、全編通してすっとぼけ通したその雰囲気と、様々なパロディネタの秀逸さ、そして横浜駅の九龍城塞っぽさ(アジアンカオス)にあるだろう。「Suika」や「18きっぷ」など、実在するものを巧みに物語に持ち込み、独特な雰囲気を構築している。このように現実世界のものを作品世界に持ち込むだけでなく、SF的想像力をふんだんに使い、甲府や長野、京都といった盆地にある都市が発展しているといった作品世界の奥行きを増すような展開があるのも魅力のひとつである。
今作で随所に示された「ユキエさん」なる謎の存在は、次作『横浜駅SF 全国版』でも解決されていない。第三作があるかどうかは分からないが、あるのであればぜひその解決を願いたい。
日本SF大賞は逃したものの、近年のSFは「ちょっと先の現実になりそうな未来」を描いた実直で堅い作品ばかりだったので、ここまで馬鹿に振り切れた作品があって非常に嬉しかった。この作品に並ぶような作品を探し出すのは難しいかもしれないが、電子の海の玉石混淆な中から、気に入った作品を探し出す楽しみを味わってほしい。

下村
最終更新:2018年04月27日 01:10