東北大SF研 短篇部会
「さあ、気ちがいになりなさい」 フレドリック・ブラウン/星新一

著者紹介

1906年アメリカ合衆国オハイオ州シンシナティ生まれ。72年没。SFにおける代表作は長篇に『天の光はすべて星』、『火星人ゴーホーム』など、短篇に『スポンサーから一言』、『闘技場』など。
40年代から50年代にかけてのSF黄金時代を代表する作家である。短篇の名手として知られ、短くまとまった巧妙なプロットとあっと驚くようなオチが魅力的。その影響は同じショート・ショートの作家である星新一以外にも、萩尾望都や藤子・F・不二雄、そしてディックにも影響を与えている。また、短篇SFだけにとどまらず、長篇や推理小説も手掛ける多角的な作家である。
かつては人気のある作家だったのだが、時代とともに忘れられてしまった。今では相当数が絶版となり、入手困難な作品が多い。各SF系の出版社、特に東京創元社にはブラウンの作品を供給する使命があるので、即刻復刊していただきたい。
ちなみに今回の作品も、前回私が担当したブラッドベリ「歌おう、感電するほどの喜びを!」と同じく元々は「フレドリック・ブラウン傑作選」としてサンリオSF文庫に収録されていた。収録作品のうち、半分ほどがこの本に、もう半分ほどが福音館書店の「闘技場」という短篇集に収録されている。

訳者紹介

1926年東京生まれ。97年没。東大農学部卒の農学修士(博士課程中途退学)。本名は親一(読み同じ)。代表作は『ボッコちゃん』『おーい、でてこーい』『ゆきとどいた生活』など多数。
言わずと知れた日本SF御三家のひとりにして、ショート・ショートの神様。最近Twitterで話題になったが、父方の大叔父にあたるのが明治の文豪、森鴎外である。この短篇集はブラウンの短篇集と言うよりもブラウンを底に敷いた星の短篇集と言う毛色が強く、ブラウンのファンからすると一言つくものになっている。いずれにしても、東西の短篇の名手の奇跡のコラボなので、非常に貴重な作品である。星の翻訳作品としては、ジョン・ウィンダム『海竜めざめる』やアイザック・アジモフ『アシモフの雑学コレクション』が有名な他、上述の通りブラウンの作品がもう一冊分と現在入手が難しいものが数篇、そしてクリスチーネ・ネストリンガー『トマニ式の生き方』という絵本があるらしい。

各短篇紹介

『みどりの星へ』

短篇集の頭を飾る作品にもかかわらず、「気ちがい」という言葉が早くも登場する危険な短篇。星の文体であるにも関わらず、人名が飛び交い情景描写に富んだ作品なので少し混乱した気分になる一作。星新一ファンとしては、この普段とのギャップがなんともたまらない。

『ぶっそうなやつら』

星の好きそうな作品ではあるが、個人的には筒井っぽいかなとも思う。オチは分かりやすい部類に入ると思うのだが、話の展開の巧妙さで読ませる作品なので、誰でも引き込まれて楽しめることだろう。『みどりの星へ』に続き、ショート・ショートの醍醐味が十二分に楽しめる作品。

『おそるべき坊や』

物語の舞台はブラウンの故郷・オハイオ州シンシナティ。主人公の坊やが買ってもらった水鉄砲が、世界の平和を守ることになるのだが......。オチに登場する「あるもの」や、坊やの趣味が切手収集と言うのがなんとも時代を感じさせて良い。

『電獣ヴァヴェリ』

私の個人的なお気に入りその1。筒井康隆など国内SF作家らに人気のある作品でもある。電気なしにはとても生きていけない現代だからこそ、その魅力が際立つ傑作である。ブラウンとブラッドベリの作品には科学的にはあり得なかったり、科学を否定したりするような作品が多い。その時代的な雰囲気も含めて楽しめる一作。なお、この作品にも「気ちがい」という言葉が登場する。

『ノック』

冒頭の文が世界で一番短いショート・ショートとしても読めるということで有名な作品。星新一が強い影響を受けたことでも有名で、全編「ノックの音がした。」という一文から始まる不思議な短篇集「ノックの音が」はこの作品に由来する。ラストが素晴らしい傑作。

『ユーディの原理』

私の個人的なお気に入りその2。語り手の気が、書き出しから狂っている。流石はこの短篇集に収められるだけはある。命令を口に出して頭を傾ければ何でも勝手に実行してくれる、便利な「ユーディの原理」。SFらしくはない物語だ。しかし、この作品がラストに向かうにつれて、センス・オブ・ワンダーが浮かび上がってくる。この作品を読むときは、ブラウンが酷く遅筆なことで有名だったことを考慮すると、より楽しむことが出来るだろう。

『シリウス・ゼロ』

またまた「気ちがい」という言葉が登場する作品。題が掛詞になっていて、非常にいい題である。星間行商人の男が恒星シリウスに存在しないはずの第零惑星を発見する。着陸してみると、どうやら先人がいるらしく……。あの時代にこのテーマでショート・ショートを書き、しかも面白いというのは流石。

『町を求む』

わずか8頁のショート・ショート。最後の頁で自分のことかと思った人もいるのではないか。話のモデルになったのは、恐らく禁酒法時代(1920~1933)を代表するシカゴの超大物ギャング、アル・カポネであろう。

『帽子の手品』

仲良しのカップル二人組に起こった奇妙な出来事。含みのあるラストがいい。ブラウンの器用さが現れており、明確なオチなどなくても、書き方ひとつで鮮やかに締めくくる。

『不死鳥への手紙』

私の個人的なお気に入りその3。星には珍しい、思弁的な一作。翻訳によって、実際の創作では現れてこないような一面が覗けるのも本作の面白いところ。この作品も「狂気」がテーマになっており、ブラウンの人間観を読み取ることも出来そうな気がする。人間の狂気を描いている点では筒井康隆の作品に似ているが、実際の作風が似ているかはまた別。同じようなテーマでも、作家が違えば作品のもつ雰囲気が異なってくるということの好例である。

『沈黙と叫び』

私の個人的なお気に入りその4。非常に後味の悪い一作。物語に殺人事件が絡んでいるということもあり、推理研の人にも読んでいただきたい作品である。今回取り上げた作品の中ではブラウンの短篇の「うまさ」が一番光る作品だと思う。

『さあ、気ちがいになりなさい』

今回の表題作にして、私の一番のお気に入り。これまででご存知の通り、星は意外と「気ちがい」という言葉をよく使う人で、エッセイや雑文などにはちょくちょく見ることが出来る。(星はショート・ショートを何度も書き直していたので、使っていたとしても後々削除してしまうことが多い)
収録作品の中で一番長く、またやたらかっこいい表紙のデザインもこの作品に由来している。この短篇集を通して語られてきた「狂気」がここにきて裏返る、まさに表題作にふさわしい一作。あなたは自分が正気だと本当に信じているのだろうか。この物語を読んで、あなたも楽になろう。さあ、気ちがいになりなさい。

所感

これまでにブラウンの作品に触れたことがあるという人は少ないのではないだろうか。記憶からなくなっても、ブラウンの残した作品と、その影響力はなくならない。その作品は今でも十分に通用し、また『電獣ヴァヴェリ』のように現代においてより面白さを発揮する作品もある。
この作品集は上述の通り狂気を重視した短篇集である。狂気を描いたSFには、筒井康隆『パプリカ』や夢野久作『ドグラ・マグラ』などの名作がある。SFは自分を全く知らない場所へと連れて行ってくれるものだ。「世界が変わって見える感覚」であるセンス・オブ・ワンダーと狂気は非常に相性がいい。
また、狂気に駆られたSF作家と言えば、ハーラン・エリスンが挙げられるだろう。エリスンは怒りと愛に満ち溢れた作家で、それはまさに『世界の中心で愛を叫んだけもの』に結実している。狂気は人を怒りに駆り立て、愛は人を狂わせる。実は怒りと狂気、そして愛と狂気とは互いに表裏一体のものなのかもしれない。(エリスンにしろ筒井にしろ、なぜ狂った作家は長生きなのか)(愛と狂気だけが友達さ♪)
ショート・ショートや短篇は不当に軽視されがちであるが、時間に追われた現代だからこそその短さが最大の武器になると私は考えている。このブラウンの作品を機に、短篇やショート・ショートといった短く完成された作品群を楽しんでいただきたい。


下村
最終更新:2018年06月01日 13:42