5月20日 読書会レジュメ 

「ちーちゃんは悠久の向こう」 日日日(あきら)


<プロフィール>


1986年7月29日生まれ。奈良県出身、千葉県在住。

第4回新風舎文庫大賞:文庫大賞『ちーちゃんは悠久の向こう』

第1回恋愛小説コンテスト:ラブストーリー大賞『私の優しくない先輩』

第6回エンターブレインえんため大賞 佳作『狂乱家族日記』(6/2発売)

第8回角川学園小説大賞 優秀賞『アンダカの怪造学』 (6/2発売)

第1回MF文庫J新人賞 佳作『蟲と眼球とテディベア』



<インタビュー>






<あらすじ>


モンちゃんと、その幼馴染のちーちゃん。壊れた両親から虐待を受けながらも、ちーちゃんを支えに、けなげに生きるモンちゃんだった。ところが、ある日ちーちゃんに幽霊が見えるようになってから、世界は反転し始める……。



<キャラ>


久野悠斗:モンちゃん。主人公、視点キャラ。

歌島千草:ちーちゃん。メインヒロイン。オカルト大好き。

武藤白:陸上部部長。

林田遊子:同級生。不思議系もとい解説ガール。

御前江:林田の友人

父、母、その他同窓生たち。



<内容について>


レーベル自体が一年前にできたものであり、他のラインアップも関係ないものばかりだが、形式はライトノベル由来だろう。他の作品も、その手のレーベルから出版されていくみたいだし。ちなみに、筆者がライトノベル度診断表(web版)を用いた所、51点のDという結果だった。特に、キャラの書き分けを喋り方に依存している辺りはいかにもな感じである。

痛みに鈍感だ、というちーちゃんは、「自身のなさでは誰にも負けない」今風のキャラ。だが、「この世界に興味なんてない」と言いながら、社会やら体育会系に対する客気を発露しているのはいただけないし、つまらない。この様な表出は「私の優しくない先輩」でも見られて、若さだなぁ、と思う。

 記述が一人称で、これは最近の「生きにくさとサバイバル」(@高橋源一郎)を描いた若い世代の「ぶんがく」に多いパターンである、としていいだろう。特徴的な書き方として、うぞうぞ、ぐじぐじ、ぶわぶわ等々、擬音語を多様することや、興奮してきたことを表す際、語尾に「ッ」「!」「ぇ」などをつけること、等に気づいた。

当初、ちーちゃんには普通の家族がいて、幸せな生活をおくっている。しかして、モンちゃんは虐待を受けており、非日常にいるのだ、という風に読者はリードされる。ところが、ちーちゃんに幽霊が見えるようになった時、そこに現れた「幽霊世界」こそが、実は「非日常」であり「悠久の向こう」であって、モンちゃんのいるのは日常だ、という二人の立場の逆転が行われる。

 少し補助線を引くと、「幽霊世界」とは「プラネテス」でハチマキが一人きりで惑う「宇宙」であり、「ひぐらしのなく頃に」における綿流し以降の雛見沢だ、と言える。つまり、我々の社会のシステムが機能している場所が「日常」であり、その外側に踏み出す、もしくは踏み出してしまった時に現れてくる、理解不能でロジックの通じないものこそが「非日常」なのである。そういう観点から見ると、不謹慎な言い方かもしれないが、普通にメディアを賑わして、すぐに忘れ去られてしまいそうなモンちゃんの境遇は「日常」でしかない。

 そうしてみると、タナベの「愛」によってハチマキが日常に回帰したのと同様に、ちーちゃんはモンちゃんの「愛」によって「人間世界」に留まることは可能だった筈である。ところが、この作品ではモンちゃんが浮気!をしてしまったが為に、ちーちゃんは「悠久の向こう」へと逝ってしまう。

最終的には、反転しきった世界で二人は結ばれる?という結末になっている。これは「最終兵器彼女」のラストと重なるハッピーエンドになっている、と思う。

とどのつまり、立ち位置が変わっても二人は変わらない。そんな二人がいるのが「きみとぼく」の世界である、ってな所でどうだろう。

最後に付け足しておく。この作品のホラーパートを面白く感じたのなら、「ひぐらしのなく頃に」は非常にオススメである。「ひぐらし」の方はミステリーとしての結末があるみたいだが。



<更なる蛇足>


「桜の木の下は屍体が埋まっている」は、梶井基次郎の「桜の木の下には」が最初らしい。

あとがきと解説は不要だ、と思う。

阿蘇裸君影悲女とは?ゾクラッド様とは?


2018.11.22 Yahoo!ジオシティーズより移行
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なお、内容は執筆当時を反映し古い情報に基づいていることがあります by ちゃあしう
最終更新:2019年03月26日 00:04