タイム・リープ ~あしたはきのう~
作者:高畑 京一郎
1967年生まれ。静岡県出身。
1993年に『クリス・クロス 混沌の魔王』で第一回電撃ゲーム小説大賞<金賞>を受賞する。
その後もメディア・ワークスで活動を続け、『タイム・リープ』、『ダブル・キャスト』、『Hyper Hybrid Organization』の作品を出している。のだが、デビューから十数年が経っているにもかかわらず4作品しか出ていないということから作者の執筆速度の遅さが良くわかるだろう。当時のファンは既に若くはなく、ライトノベルを買うには抵抗のある年齢なってしまったのではないだろうか。
作品紹介
第一回電撃ゲーム小説大賞<金賞>受賞作。ちなみにこのときの<大賞>は『五霊闘士オーキ伝 五霊闘士現臨!』(土門 弘幸)である。
これは現実と仮想現実を扱った作品。ある科学者が嗅覚以外の五感を仮想現実において再現できるほどの超高性能のコンピュータを作り出し、その性能の宣伝として、抽選で選ばれた人々にその仮想現実内でのゲームを楽しんでもらう、といった内容。テーマとして存在するのは、「どこまでが仮想現実で、どこからが現実だったのか」、ということだろう。
類似する作品として『クラインの壷』(岡嶋 二人)がよく挙げられる。
高畑京一郎の第三作。
主人公は自分と同名の少年がビルから墜落死するのを目撃する。その日から彼の体を彼のものではない意思が動かすという事態が発生するようになる、というもの。
- 『Hyper Hybrid Organization』
アンチ・ヒーローもの。正義の味方に恋人を殺されてしまった主人公が、悪の組織に入って正義の味方を倒そうとする話。正義の味方と悪の組織という、現在ではギャグとしか思えない設定のくせに全く笑えるところがない異色作。
現在のところ、メインストーリーが三作、外伝が二作出版されている。
タイム・リープのメディア・ミックス作品
原作を忠実に再現したシナリオでセリフなども結構そのままらしい。
ライトノベルの実写化というのはコレくらい。結構珍しい。
監督は少女大好きで人生踏み外してしまった今関あきよし、主演はポケモンにも出ていた佐藤藍子、少年役は川岡大次郎である。
これはドラマとは異なり、シナリオに少々変化がある。開始早々殺人事件が発生するのだが、このシーンは作中では浮いているとしか思えない。他にもイロイロと付け加えられた展開があり、そのどれもが微妙。さらには何故か登場人物の名前まで変わっている。こうしたことから、原作ファンからはこの映画はなかったことになっているらしい。
作中の時系列 若松編
月曜日
・階段で鹿島翔香が落ちてくる。
火曜日
・平穏な一日。
水曜日
・なにやら視線を感じる。と思っていたら、昼休みに図書館で鹿島翔香におかしなことを聞かれる。
思わず冷たくあしらったが、少し気になったので鹿島を追いかけて話を聞いてみることにする。
中庭で追いついたとき、鹿島の上に植木鉢が落ちてきた。
・怯えている鹿島を保健室に連れて行く。
保健室で、鹿島が時間跳躍した、という告白を聞かされる。植木鉢が落ちてきた瞬間に木曜の朝に跳び,放課後に階段で転んだと思ったら今日の昼に戻ってきたらしい。精神科へ行くことを勧めたかったが、その前に一つの賭け約束をする。
木曜日
・賭けの結果がでる。予想外といえばいいのか、予想通りといえばいいのか、とにかく負けた。
鹿島の言うことを真剣に考えなければならなくなった。
・まずは昨日聞いた通りに、階段で落ちてくる鹿島を待つ。…本当に落ちてきた。
その直後、いきなり鹿島は車に轢かれるなどとわめきだす。未来で車に轢かれると言いたいのだろう。
落ち着かせたあと、明日のことを聞いてみる。だが、明日の俺は鹿島に何も教えなかったらしい。
・とりあえず信じたつもりで話を聞くために鹿島の家に行くことにする。
タイムトラベルは歴史を改変する。ならば変えないほうがいいときは、事前情報通りに行動せねばならない。この他にも、タイムリープに関する考察を行う。その確認として、鹿島を月曜日に跳ばせることにする。
・月曜に行ってきた鹿島に話を聞く。また、日曜の夜の記憶がないことも判明。タイムリープは日曜の夜に何らかの理由で始まったらしい。
金曜日
・朝から鹿島の家まで迎えに行く。昨日聞いた予定通りに、学校をサボり鹿島に数学で百点を取らせるための勉強
を行う。
放課後、事前情報通りに鹿島には黙って後をつける。
- そして、車に轢かれそうになった彼女を助ける。そのとき車がナンバープレートを隠していたことから、鹿島が狙われていることが明らかになった。
鹿島に、水曜に植木鉢を落とした犯人を突き止めるための策を伝え、再び月曜に跳ばせる。
戻ってきた鹿島に策の成否を確かめた後、関から手紙を受け取り犯人の正体を知る。それと同時に、明日自分が犯人に腹を刺されることも知らされる。腹を刺されても大丈夫な方法を考えねばならない。
土曜日
刺されても大丈夫なようにさらしと空き缶で腹を固めたあと、刺されたあとに犯人を捕まえるため関に助力を頼む。
犯人を呼び出す。
・犯人を捕まえ、事件解決。
以上。
作者本人の弁
ひと口に「時間ものSF」といってもいろいろありますが、僕の中のランキングで最上位に並び立っているのは、『時をかける少女』と『
夏への扉』です。
数ある「時間もの」の中でも、この二つは、とにかく印象的でした。
『時をかける少女』でいえば、まずなんといっても「ラベンダーの香り」。最初に読んだ時にはどんな花なのか知らなかったため、初めて実物を前にして香りを確かめてみようと思った時、妙にどきどきしたのを覚えています。そして未来人ケン=ソゴル。このネーミングセンスには痺れました。
『夏への扉』では、猫のピートくんもさる事ながら、どんな状況に置かれてもくじけない主人公の強さとその対応能力の高さに惹かれました。
ですが、これらの作品が好きだったからといって、すぐに自分でも書いてみようと思ったわけではありません。きっかけというべきものは幾つかありましたが、中でも一番大きなものは、とある漫画でした。
ゆうきまさみ氏の「時をかける学園」。タイトルで分かるように、『ねらわれた学園』(原作 :眉村卓)と『時をかける少女』とをまとめてパロったような漫画なのですが、その中に、こんなやりとりがあったのです。
「そんなの……でたらめよ。だって、どうすればテレポートとタイムリープをしながらパジャマに着替える事ができるの?」
「……芳山くん。あまり細かいことをくよくよ考えない方がいいよ」
よくある「突っ込んではいけない点」を指摘した部分なのですが、この台詞を目にした時、>僕は、ではどうすればこの矛盾を解消する事ができるだろうかと、ふと思ったのです。
しかし、その点について考える前に、最初の関門がありました。
それは、地球は静止していないという事です。走っている電車の中で五分後の未来へ飛べば、その人間は電車の外へ飛び出してしまうでしょう。そして地球の移動速度は、電車とは比べ物にならないほど速い。過去へ向かうにしろ未来に向かうにしろ、時を跳躍すれば、宇宙に放り出されてしまうに違いないと、僕には思えました。(だとすれば、絶対静止系の確認もできるだろうな、とも思いましたが、まあこれは余談です)
というわけで「物質を伴っての時間跳躍」は無理だと、僕は結論しました。少なくとも、>>『時をかける少女』のような日常の中での話には使えません。
そこで「意識だけ」ならどうだろうかと考えたわけです。無論「意識」も突き詰めて考えれば物理現象なわけで、結局は同じ事なのですが、こちらならなんとかこじつけられそうな気がしましたし、なによりこの方法ならばパジャマに着替える必要がない。
ただその発想にも、元ネタはありました。F・M・バズビイ氏の「ここがウィネトカなら、きみはジュディ」もそうですし、当時WOWOWの無料放送時間帯にやっていた海外ドラマ「タイムマシンにお願い」も形は違えど、意識だけの時間移動をテーマにしていました。
ただ「タイムマシン……」は話のスケールが大きすぎる点で、「ここが……」は主人公たちがその状況を受け入れてしまっている点で、僕の嗜好とは、ずれがありました。『夏への扉』のように、対決する姿勢が欲しかったのです。
というわけで「意識だけの時間移動があり、それをなんとか元に戻そうと努力する話」と、大枠はそれで決まりましたが、「元に戻す方法」を考えるためには、やはりどうしても「タイムパラドクス」を僕なりに攻略しなければなりませんでした。
それがかなりの難物で、挫折しそうになりもしたのですが、そんな時、ふとこんな話を耳にしたのです。
あるテレビ番組に占い師が出演しました。彼は未来を予知できるそうです。司会者は、ではこれから私があなたを殴るかどうか予知してくださいと言いました。占い師は困惑したようですが、殴らないと答えました。すると司会者はぽかんと占い師を殴って、外れましたねと勝ち誇った。……という話です。
僕は占いなど信じていませんが、この話を聞いた時、それはフェアじゃないだろうと思いました。占い師の予言を「聞いたあと」なら、その逆の行動を取るのは容易だからです。仮に彼が本当に未来を予知していたのだとしても、この方法では「外れ」にさせられてしまうでしょう。この勝負を公平にするためには、占い師は予言の結果を紙にでも書いて伏せておき、司会者が行動を決定してから照らし合わせるべきでした。
そして、そう考えた事がひとつの糸口となったのです。
仮に真実の予言者がいたとして、彼がその予言を誰かに知らせたとする。すると、その相手は未来を変える事ができる。従って予言は誤りとなる。つまり、知らせるという事、そして知るという事が重要なポイントとなるわけです。そしてその考え方を、過去についても当てはめれば……。
これなら、いける。そう思いました。この考え方なら「タイムパラドクス」を回避できますし、なにより「知る行為」が事象を決定するあたりが、なんとなく不確定性原理のようで格好いい。
というわけで、この考え方に基づいて話を組み立て、ようやく『タイム・リープ』が出来あがったわけですが、こうして振り返ってみると、随分あちこちからネタを引っ張ってきているんだなぁと、自分でも思います。
なにかと苦労させられた小説ですが、「タイムパラドクス」という巨人に対し、それなりに善戦できたのではないかと思えますので、その点では満足しています。また読者の方からも過分な評価を戴き、恐縮しつつも嬉しく思っています。
そして、もし『タイム・リープ』を読んだ方が、「いや、この小説には矛盾がある。それを解消するには……」と、また新たな《時間もの》を産み出して下さったなら、これに勝る喜びはありません。それは、ウェルズより連綿と続く《時間ものSF》の系統図の中に、僕も入れたという事を意味しますから。
(SFオンラインより抜粋)
考察
なんでラノベの作品なんか読まなくてはならないんだ、と考えた人もいるかもしれないが、この作品に関しては内容は真っ当なSFといってよく、内容も良く考えられている作品であるから文句を言わないで貰いたい。とはいえ、十年以上前の作品で古臭いというのは確かだが。
この作品は、ライトノベルなどと見下されるジャンルの本でありながら未だに新たな読者を獲得し続ける貴重な作品である。その理由は、読みやすい文章と、よく練られた構成が大きな魅力を放っているからだろう。読みやすい文章に対する考察など何をすればいいのか分からないので、ここでは構成がどのように巧いかを考えてみたいと思う。
この作品では、ヒロインは時間を移動できるにもかかわらず未来人も超能力者も、そしてもちろん宇宙人も出てこない。また、大きな犯罪や一攫千金の野望などがかかわってくる要素も存在していない(普通の犯罪は関わっていたが)。つまりこの話はかなり日常的な作品であり、少し悪い言い方をすればスケールの小さな作品なのである。普通に考えればこのことは物語をつまらなくする原因にしかならないだろう。しかし、この作品の場合はそうなっていない。それは何故か、そのことを説明する前に、すこし別の話をしたいと思う。それはヒロインの行動目的である。彼女は初めにタイム・リープしたときから一貫して自分の身に何が起こって、どうしたら元通りになるのかを考え、行動している。このことを踏まえれば、この物語が日常的であるということが意味を持つ。人は、日常の中に何か異変が起こればその原因を解明し、元に戻ろうとする。この作品のヒロインの行動はまさにそれで、読者が同じ状況にあれば選んだであろう、違和感のない行動を取り続けているのだ。余計な設定がないからこそ登場人物たちの行動は常に明快で読者に違和感や不快感を与えづらいのである。この予定調和ともいえる登場人物たちの行動が作品を読みやすくし、その結果として作者独自の時間跳躍に対する面白い発想を際立たせているのだろう。
さて、次にこの作品のタイム・リープのアイディアの面白さについて考えたいと思う。わたしがこの作品を気に入っている理由は作品の流れに矛盾や不明快な点がないことである。ただし、理論が正しいといっているわけではない。作者も気づいているようだが、そもそも人の記憶も物理現象である以上、記憶を持ったまま時間を跳躍するのは無理である。私がこの作品で秀逸だと考えているのは、タイム・パラドックスに対する考え方なのだ。タイム・トラベルを扱う作品の多くではタイム・パラドックスをどのように扱うかが話の焦点になる。これは当然のことで、歴史を改竄するためでもなければ、そもそも過去へ行く必要など無い。しかし、この作品ではタイム・トラベルは単なる事故として扱われている。そして、その事故を解決するためにはタイム・パラドックスを起こしてはいけない、という方向に話を運んでいるのだ。「鶏が先か、卵が先か」、タイム・トラベルものを書くにあたって誰もが悩み、そして結局万人が納得する答えなど見つけ出せないこの命題を回避し、現実を改竄することなく、その上で物語の流れに一つの筋道をつけ、無理のない展開で綺麗にまとめている。このことから『タイム・リープ』は、タイム・トラベルものとして間違いなく傑作といえるだろう。
あと、あまり作品自体とは関係ないが『クリス・クロス』から『ダブル・キャスト』までの三作品は「意識」というものを主題として扱っていたように思われる。だからどうした、というわけではないのだが。
長々と駄文、失礼しました。微妙に手抜きくさいですが、こんなもんで勘弁してください。以上。
言及されている作品について
・ラベンダーの香り :『時をかける少女』(筒井 康隆)
『タイム・リープ あしたはきのう』は『九十年代の時をかける少女』と呼ばれている。実際、何点かオマージュであると思われる部分もある。車にはねられそうになったとき時間を跳躍することとか。
ちなみに、この作品には未来人や超能力者が出てくるとか。
誰もが一度は見たことがあるはず。
- 猫が扉を探す :『夏への扉』(ロバート・A・ハインライン)
もし読んでいない人がいたら、読んでみるのもいいかと。これもいい作品。
- 夢の内容が分からなけりゃ、夢判断はできない :ごめんなさい。調べきれませんでした。
アメリカのドラマで1989~1993に放送された。原題は『Quantum Leap』で直訳すれば『量子跳躍』となる。
どういう訳しかたをすればこんな邦題になるのだろうか。
主人公は天才物理学者のサムで、彼は事故で過去に飛ばされ、様々な時代に行く。それぞれの時代で、サムは全く別人の体に見え、まるで意識だけが旅をしているかのように扱われている(あくまで、まるで、である。見た人は分かるだろうが)。そして、それぞれの時代で、サムは体を共有した人と悩みを共有し、解決しては別の時代に行く、という話らしい。ちなみに、日本では放送を打ち切られた。
蛇足
- タイム・トラベル:思いのままに未来の世界や過去の歴史上の世界へ行くこと。ただし人口冬眠や催眠術など未来の世界によみがえるのは、この範疇には入らない。
- タイム・スリップ:会社の帰り道、美人に見とれて歩いていて電柱にぶつかって気を失い、気が付いたら江戸時代にいた。-などというのがタイム・スリップ現象。時間の流れに異常が起こり、特定の人物や場所が過去や未来に連れていかれる現象で、時震ともいう。タイム・トラベルと似ているが、タイム・トラベルがタイムマシンなど何らかの装置を使って意図的に行われるのに対し、タイム・スリップは無作為な自然の力による点が大きな違いである。
(横田順彌著『異次元世界の扉を開く-SF辞典』(広済堂、1977/05/15日初版)より引用)
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最終更新:2019年03月26日 00:21