東北大SF研 読書部会
『時をかける少女』 筒井康隆

著者紹介

1934年大阪府大阪市の生まれ。代表作は『時をかける少女』『家族八景』『パプリカ』『残像に口紅を』『虚航船団』『旅のラゴス』など多数。
同志社大学ではじめ心理学を学んだ後、美学・美術史学に転向。学業の傍ら俳優活動に精を出し、学生演劇界では有名だった。卒業後は展示装飾を手掛ける会社を経て独立し、デザインスタジオ「ヌル・スタジオ」を設立。1959年12月に創刊された「SFマガジン」を読んで衝撃を受け、翌1960年6月にボーナスをつぎ込み、父と弟3人の計5人でSF同人誌『NULL』を創刊。一家で同人誌を出している物珍しさが評判となり、たびたびメディアに取り上げられていた。この創刊号が運よく江戸川乱歩の目に留まり、乱歩主宰の雑誌『宝石』に転載される形で雑誌デビューを果たした。
言わずと知れた日本SF御三家のひとりにして、最近ではついに文豪と言われるようにもなった日本SF界きっての問題児。清廉潔白な星や正統派な小松の作品とは異なり、エログロナンセンスやキワモノ、時事ネタ、メタ、パロディなどなんでもござれな作風で、一口では言えない幅広い作品を手掛けている。
この作品は「中三コース」の1965年11月号から「高一コース」の1966年5月号に連載された。今でもなお有名なこの作品によって、筒井は少年少女にSFというものを広く知らしめ、60年代から70年代へと続く第一次日本SF黄金期の土台をつくった。

あらすじ

中学三年生の芳山和子は、友人の深町一夫、浅倉吾朗と一緒に理科室の掃除をしていたが、ふたりが離れている間に誰かが作成した薬品を吸い込んでしまった。その薬品は不思議な、甘いラベンダーのような香りがした。そして和子は意識を失ってしまった。2人に助けてもらったが、運よくけがはどこにもなかった。ラベンダーの香りは、どうしてか大切な香りのような気がしたが、分からなかった。
あの香りをかいでから、和子は体の調子がおかしいと感じていた。ある夜、地震のために家の近くで火災が起こり、それを見に行ったために翌日学校に遅刻しそうになっていた。急いで道路を渡ろうとしたとき、車にひかれそうになったような気がしたが、気がついたら自分の部屋のベッドの上だった。その日経験した出来事は、全て和子が“昨日”経験したものだった。和子はそれから起きる出来事を予言し、また巻き込まれるはずだった事故を回避した。色々と考えをまとめると、どうやら和子はタイムリープ出来るようになったようだ。
和子は、タイムリープの原因と思われるあの薬品を作った人物を突き止めに、過去へ戻った。理科室にいた人物は、深町一夫だった。一夫は実は未来人のケン・ソゴルで、時間移動出来るようになる薬品を作って試してみたところ、誤って現代に来てしまったのだと和子に話した。一夫は、未来に戻るためにもう一度薬品を作ろうと学校の理科室に入った際に、自分の作った薬品の入った瓶を割ってしまい、和子に気付かれたのだった。
和子は一夫と長い付き合いだと思っていたが、実は、一夫は現代に1か月しか滞在しておらず、それ以外の期間の記憶は全て催眠による架空のものだった。一夫は和子に恋をし、1か月の間現代に留まっていたのだ。一夫は和子に全てを伝えたあと、歴史が改変しないように、自分を知る人物の記憶から、自身とタイムリープに関する記憶を全て消去した。
後日、和子はラベンダーの香りをかいで、なぜだかとても懐かしく思った。いつか、だれか素敵な人に会える、そんな気がした。

悪意に関する研究

筒井康隆の「子供向け」作品を鑑賞する上で、まず最初にやらなければならないことは、筒井康隆が作品に込めた悪意を探し当てることである。あの筒井康隆が真面目に子供向けの話や単純に良い話など書くはずがないのだ。
例えば『佇むひと』という短篇がある。この作品、筒井にしては妙に感情を押し殺した乾燥した文体で物語がつづられており、話の中身自体もやるせない、この世の理不尽に疲れ切って憔悴した男を描いたものだ。しかし、ちゃんと読み解いていくと、この主人公はそういった「無気力」を装っているということが分かってくる。世間では文体の印象と表面的な話の流れから「いい話」と認識されているが、それは完全に筒井康隆の思うつぼであり、筒井の筆力によってそう思い込まされているだけなのだ。そういった、一見した印象とちゃんと読み解いた末に受ける印象が全く異なる作品を書くことが出来るのが筒井康隆なのである。
さて、本題の『時をかける少女』である。この作品も筒井康隆には珍しい、悪意のない良質な子供向け作品のように感じられる。今回レジュメを作成するにあたって何度も読み直し、研究を重ねたが、筒井特有の悪意を特に感じ取ることは出来なかった。比較的初期の作品に当たるとはいえ、『時をかける少女』以前の作品(『マグロマル』『最高級有機質肥料』『ベトナム観光公社』など)で既に筒井はあの黒い作風を確立させている。とすると、筒井は珍しくこの作品には悪意をこめていないと考えられる。
その証拠となる作品がある。『シナリオ・時をかける少女』(1983、新潮文庫「夢の検閲官・魚籃観音記」収録)である。映画版のシナリオという体で始まるのだが、芳山和子の中学校は校内暴力の嵐が吹き荒れており、作中で不良中学生が婦女暴行するわ浮浪者を撲殺するわでひどい作品になっている。最初だけは元に忠実なのだが、すぐ話が脱線して映画を撮影している監督の言葉が入ったり、原作料の話をしたりとメタくなってくる。そして最後には映画に呆れた原田知世のセリフでこう終わる。「知世はもう、すぐ未来に行きます」

先進性に関する研究

『時をかける少女』は発表から半世紀以上が経った今でも、依然として名作として高く評価されている。その理由には、『時をかける少女』に秘められた先進性がある。
まず、ライトノベルの始祖としての先進性である。この作品ではSFを基にボーイ・ミーツ・ガールが描かれ、「突然トラックに撥ねられ死んだ」という状況から「超能力を使って」復活し、「世界の修正」を行った。すなわち、現代のライトノベルの典型である「SF要素」「恋愛要素」「異世界転生」「超能力」「セカイ系」を全て網羅しているのである。書籍として流通する以外にも、電子の海に無数に存在する現代のライトノベルの源流は全てこの『時をかける少女』にある。この作品が半世紀以上前に発表されたということに驚きを隠せない。
また、最後のシーンでは、「誰だか分からないが、きっと素敵な人に会える気がする」という旨の語りがある。これは『君の名は。』の先駆けとも言えるのではないだろうか。そもそも『君の名は。』は時間と恋愛を絡めたアニメーション作品であり、この作品を語る上で、細田守監督によってアニメーション化もされた、まさに同ジャンルの作品である『時をかける少女』の存在は欠かせないであろう。
筒井康隆がどこまで意図してこの作品を作りあげたのかは、誰にも分からない。しかし、結果的に『時をかける少女』はジュヴナイルやライトノベル、そして映画やドラマ、アニメーションに至るまで広範囲に及ぶ強大な影響力を有するに至った。<文豪>による良質なジュヴナイルとしても、また日本のサブカルチャーの原点を知る記念碑的作品としても重要な位置を占める作品である。

まあ身も蓋もないことを言ってしまうと、筒井としては単に「売れる作品を書いた」だけのことらしい。『時をかける少女』、「エスパー七瀬」シリーズ、『パプリカ』の「三人娘」は「よく稼いでくれる孝行娘たち」とのこと。特に『時をかける少女』は「一番稼いでくれる、ええ娘じゃあ」だとか。


※超能力ものも、かつては小松左京『エスパイ』のようにSFの下位ジャンルとして扱われていた。しかし時代が下るにつれて作品が増え、一般に馴染んでいくうちにSFとは特に見なされなくなった。

※セカイ系とは、ボクとキミとでセカイが成り立っているような作品群のこと。ざっくりいえば、ボクとキミとの活躍次第で世界が滅んだり、救われたりするような作品のこと。『エヴァ』の人気に追随して「極端に閉じた人間関係の中で極端に大きな物語が進行する」作品を揶揄した言葉。代表的な作品は『新世紀エヴァンゲリオン』『最終兵器彼女』など。

所感

ところどころ古びているが、それでも話の流れ自体は非常に面白い。今では『君の名は。』や『STEINS;GATE』(あと『ポプテピピック』?)のように、時間ものに分類される作品などもはやSFとして扱われにくくなってきているが、それもすべてはこの『時をかける少女』がタイムスリップという概念を一般に浸透させたおかげなのである。
時間SFがなぜ人口に膾炙されるのか。それは、誰もがひとつは「過去にああしておけばよかった」という事柄を抱えているからではないだろうか。ひとによってそれは受験であったり、部活や家族関係、友人関係であったりと様々であろう。その中でも特に恋愛に関してならば、誰もがこれまでに一回は過ちを犯したことだろうし、かつ取り返しがつかず、また誰にも言えないものだろう。そういった誰もが経験し、心に秘めている一種の願望的なものが、時間SFと恋愛を組み合わせた作品によって実現されるのだ。『時をかける少女』は映像化されるたびに人気を博し、また新海誠監督の『君の名は。』が邦画市場歴代まれにみる大ヒットを記録したのは記憶に新しい。SFは決して死んだわけではない。適切に題材を選び、現代化を施すことによって、何度でも時を超えて生き続けるのだ。
海外にも時間と恋愛を絡めた名作が見られる。(ネタバレ防止のため題名のイニシャル)ジュヴナイルSFとして有名な『N』(1956)や今なお国内で圧倒的な人気を誇る『T』(1961)など挙げればきりがないが、どれもこれもいい終わり方をしていて憎らしくなってくる。
ちなみに、本作の登場人物は主人公の芳山和子を除いて全て元ネタとなる人物がいる。
 深町一夫、神谷真理子:翻訳家の深町眞理子
 浅倉吾朗:翻訳家の浅倉久志
 福島先生:編集者・翻訳家・作家の福島正実
 小松先生:作家の小松左京
 米屋の新ちゃん:作家の星新一
なお、中国のSF文学賞として2010年度から始まった、過去一年間の中国語SF作品のトップを決める中国幻想星空賞(略称:星空賞)で第1回翻訳部門賞を受賞したのは『時をかける少女』であった。なお、2位以下はニール・スティーヴンスン『スノウ・クラッシュ』、テッド・チャン『息吹』、アーシュラ・K・ル=グィン『闇の左手』となっており、英語圏のオールタイムベスト級の名作3作を押さえて堂々の1位。
決選投票には残らなかったが、乙一『夏と花火と私の死体』や飛浩隆『グラン・ヴァカンス 廃園の天使Ⅰ』、小林泰三『海を見る人』と思わしき作品もノミネートされていた。日本から欧米に輸出出来ていないだけで、日本SFは既に世界基準だったのかもしれない。
余談だが、『時をかける少女』は中高生向けにしては妙に簡単すぎる文体や傍点の使い方、最後の語り口などから、筒井作品と言うよりも小松作品らしい印象を受ける。

※『スノウ・クラッシュ』は「タイム」誌が2005年に発表した「1923年以降に英語で発表された小説ベスト100」に選出されたポスト・サイバーパンクSFの傑作。

補足

筒井康隆のファンとして、特におすすめしたい作品や作品集をおすすめしたい。以下、適宜読み飛ばしてもらって構わない。

「佇むひと─リリカル短篇集」(角川文庫)
とりあえず今回初めて筒井を読んだ、という幸せな人にはこれ。<文豪>筒井康隆の筆力をもってすれば、人を感動させることなんか簡単なのだ、ということが分かる一冊。筒井康隆の天才性は、読者が自身の文章を読んだときにどう感じるかということを完璧に計算して作品を創り上げるところにある。特におすすめなのはこのレジュメにも登場した『佇むひと』と『時の女神』『睡魔のいる夏』『怪段』『母子像』。
『佇むひと』は前述の通り。筒井の仕掛けた二重性を存分に味わってほしい。『時の女神』は筒井には珍しい、毒のない感動的な作品。題名の通り、時間もののSFである。天才の描き出す感動を堪能してほしい。『睡魔のいる夏』は最初期特有の少しぎこちない、他人事のような文体がかえって恐怖を浮き彫りにする作品。『怪段』はホラー作品のお手本のような作品。リリカルながらもちょっと涼しくなるような、過不足のない傑作。最後に紹介するのは筒井康隆の最高傑作のひとつとして名高い『母子像』。SFかといわれると微妙だが、作品全体に漂う陰鬱な文体と、それによって引き出されるうす暗い情景の巧みさには言葉に出来ないものがある。一度読めば、この物語を決して忘れることはないだろう。

『残像に口紅を』(中公文庫)
「アメトーーク!」でカズレーザーに紹介されたことで有名になった一冊。知っている人もいるだろうが、この作品はリポグラムという文学技法を用いて書かれた作品である。リポグラムとは、簡単に言えば文字制限のことである。物語が進むにつれて、世界からは音(ひらがな一文字に相当)が消えていく。作品の途中、筒井は使用できる文字が相当数減っているにもかかわらず高度な文学議論や濡れ場を展開させ、ついには使用できる文字がなくなるまで物語を描き切った。これを天才と言わずして何と言おうか。

「ベトナム観光公社」(中公文庫)
このレジュメに出てきた『ベトナム観光公社』『最高級有機質肥料』『マグロマル』が収録された最初期の作品集。表題作『ベトナム観光公社』は筒井にとって最初の直木賞候補作となった作品。この作品自体も大概なのだが、『最高級有機質肥料』を読んでいただければ、そのヤバさがはっきりと分かるだろう。もし直木賞を『ベトナム観光公社』で獲っていたならば、『最高級有機質肥料』を含むこの短篇集が「直木賞受賞作」の帯付きで大量に流通することになっていたかもしれないのである。まあその世界線も見てみたい気はするが。『マグロマル』はまぎれもない筒井の最初期SF作品の傑作のひとつ。この作品が50年以上前に書かれたということを考えると、人間は全く変わらないものなんだなと思ってしまう。

『家族八景』(新潮文庫)
心理学を自身のSFの主軸に据えた筒井ならではの、三度目の直木賞候補作となった連作短篇集。他人の心が読めるエスパー少女・火田七瀬を主人公に、女中として住み込みで働いた8つの家庭のそれぞれの心の闇を描いた作品である。
直木賞の選考では「八景とも暗すぎるというので落ちてしまった」(石坂洋二郎)とされたが、この8つの景色のうちにひとつでも明るいのが混じっていたならば、その途端作品全体の雰囲気が崩壊することは明白である。それなのに「暗すぎる」とは、選者の目が腐っているか、SFに対する無理解かのどちらかだろう。ぜひ読んで実感していただきたい。

『ビアンカ・オーバースタディ』(角川文庫)
今や押しも押されもせぬ<文豪>になった筒井康隆の書いたラノベ。
『時をかける少女』の作者として筒井を知っている人には「へえ、あの『時かけ』の人がまたラノベ書いたんだ」と映り、多少なりとも筒井を知る人には「筒井か、もう老大家のくせにメタいことするなぁ」と映り、筒井ファンからは「あの筒井が悪意なしに今更ラノベを書くわけがない」と映るという、作品発表段階の時点で既にメタ構造をもつ作品。
 主人公は気の弱い男子高校生で、超絶美少女のビアンカに精液を搾り取られるというひどい内容。しかも全編にわたって事あるごとに搾り取られる。筒井康隆はこの作品において、「お前たちが結局ラノベでやりたかったことはこういうエロいことなんだろ、そうなんだろ?」ということを表したかったのではないかと思う。ちなみにカバーと挿絵はいとうのいぢ。完全に確信犯である。

「日本SF傑作選1 筒井康隆」(ハヤカワ文庫JA)
日下三蔵の編による日本SF第一世代の傑作選第一弾。収録作品は前述の『佇むひと』『最高級有機質肥料』『マグロマル』をはじめ『東海道戦争』や『おれに関する噂』『顔面崩壊』『蟹甲癬』など文字通り傑作SFばかりが25作。高いけどその分元は十二分に取れる。
とりあえず、これを読んでくれたらほとんど間違いがない傑作短篇集。リリカル短篇集「佇むひと」を読んだ後、長篇に手を出す気がなかったらこれを読んでいただきたい。これを読めば、筒井がまぎれもない天才だということが分かるはず。そして筒井作品を読み進んでいけば、筒井康隆という天才がSFという場にたまたま降り立っただけだということが分かってくると思う。

これまで長々と書いてきたが、これまでの作品全部もう読んでいるという方や、いやもっと紹介すべき作品があるだろうという方がいたら、ぜひ入会して私と友達になってください。これまでの作品を全部読んだ方は、後で私に個人的に連絡してください。今度一緒に食事でも酒でも行きましょう。
なお、巷で話題の『旅のラゴス』は筒井らしからぬ駄作なので読まなくてよい。


下村
最終更新:2018年05月13日 03:55