東北大SF研 短篇部会
「これはペンです」 円城塔

著者紹介

円城塔(えんじょうとう EnJoeToh)
 1972年北海道札幌市生まれ。博士(学術)。代表作に『Self-Reference ENGINE』、『これはペンです』、『道化師の蝶』、『エピローグ』など。
 われらが円城塔である。91年東北大学理学部物理系に入学し、物理第二学科(現在の地球物理学科)に進学。在学中は当会に所属し、SFではなく南米文学や前衛文学を中心に読んでいた。95年に学部を卒業し東京大学大学院総合文化研究科に進学、2000年博士課程修了。以後ポスドクとして北大や京大、東大で勤務するも、次年度の研究費と給料が確保出来なくなったためウェブエンジニアとして07年に知り合いの経営する民間企業に就職した。
 一方、研究の合間に書き溜めた原稿を指導教官の東大教授金子邦彦に見せたところ、小松左京賞か日本ファンタジーノベル大賞に応募することを勧められた。そののち阪大教授菊池誠にも読んでもらい、日本ファンタジーノベル大賞を勧められるが締め切りが過ぎていた。そのため06年第7回小松左京賞に応募したものの最終候補作に留まる(受賞作無し)。同じく最終候補作だった伊藤計劃『虐殺器官』とともに早川書房に持ち込み、07年デビュー。これを機に伊藤計劃と親交を深めた。
 同年『オブ・ザ・ベースボール』で第104回文學界新人賞受賞、第137回芥川龍之介賞候補。したがって、ほぼ同時期にSFと純文学の両方面で才能を認められてデビューしたことになる。(そもそも円城塔の前ではもはやジャンルなど存在しないのかもしれない)
 「レムの論理性とヴォネガットの筆致(大森談)」「ボルヘスとユアグローとテッド・チャンを足して5で割る(本人談)」などと言われる作風で、「分からないけど面白い」「ちゃんと文章を読み進めているのになにも頭に入ってこない」のが特徴。一応本人曰く「見たままを書いている」らしい。言葉そのものの欠陥や小説という構造に対して非常に挑戦的で、その点では高度に文学的で前衛的。しかし、難解なのはひとつの側面であり、本質としてはギャグである。円城塔の作品を完全に理解するのは不可能なので、気軽に訳の分からない世界を楽しんでほしい。

 以下、主な受賞歴
「オブ・ザ・ベースボール」 第104回文學界新人賞
「烏有此譚」 第32回野間文芸新人賞
「道化師の蝶」 第146回芥川龍之介賞
「屍者の帝国」 第31回日本SF大賞特別賞、第44回星雲賞 国内長編部門
『Self-Reference ENGINE』 フィリップ・K・ディック賞 特別賞(次席にあたる)
文字渦』 第39回日本SF大賞、第43回川端康成文学賞(短篇「文字渦」に対して)

解説

 「叔父は文字だ。文字通り。」という冒頭の文が全てを語っている。以上。
 とすると絶対ついてこれない人がいるので、きちんと解説を行っていく。(ただし、円城塔の作品はその形で書かれなければならなかった作品なので、解説すれば解説するほど野暮なものとなる)
 まず、円城塔の作品の本質はギャグである。これは先にも示した冒頭の文「叔父は文字だ。文字通り。」から明らかである。円城塔は基本的に法螺吹きであり、思いついた空想を並べてそれを作品にしてしまうような作家である。楽しみ方としては、一つの作品から自分の気に入った部分を探すように、文の意味をあまり考えないようにしてとりあえず読み切ってしまうというものがある。こうして適当に読み流すうちに、自分の好きな円城塔というものが見えてくるので、それを楽しめればいいと思う。
 次に、円城塔の作品は言葉の欠陥や不思議さを楽しむものである。これは先にも示した冒頭の文「叔父は文字だ。文字通り。」から明らかである。円城塔の作品の主題として頻出するのが「自己言及性」、すなわち「Self-Reference」な要素である。「この文は偽である」など、自己言及はパラドックスを起こしやすく、文章とし非常に面白い要素であると言える。この自己言及をあらゆる形で行っているのが円城塔である。デビュー作『Self-Reference ENGINE』をはじめ、『文字渦』「松の枝の記」などの作品や、「円城塔」自身にも自己言及のモチーフが見られる(円城塔というペンネームは東大院時代の指導教官金子邦彦の小説「唯物史観」に登場する「円城塔李玖」という小説生成機関に由来する)。この言葉の欠陥や不思議さ、自己言及性は法螺話と非常に相性が良く、円城塔の作風の根幹を成すと言っても過言ではない。しかしながら、その自己言及性や法螺話によって非常に難解になっているので、読みなれていな方は適当に読み流すのがいいと思う。
 最後に、円城塔は、信じられないものを最初に提示し、それがいかに正しいかを事例や理論をもって証明し、最初に提示された信じられないものから導き出されるもっとも衝撃的ななにかを提示して終了する。これは先にも示した冒頭の文「叔父は文字だ。文字通り。」から明らかである。この要素こそ、円城塔のSF性(あるいはセンス・オブ・ワンダー)を決定づける要素である。
 一般に、円城塔の作品が難解であり、また解説が困難である理由として、円城塔の作品を分かりやすく言い換えると元の作品になってしまう、というものが挙げられる。
 また、円城塔は自身の過去の作品で扱ったモチーフについて、過去作品で扱った部分に関する説明を省いてそこから先の考察をはじめることがあり(例:『Boy's Surface』収録の「Your Heads Only」におけるセル・オートマトンと、後の『文字渦』収録の「梅枝」で展開される議論)、過去作を読んでいないとかなり苦戦するような部分も存在する。一度ハマると抜け出せなくなる理由のひとつである。

所感

 円城塔の初期作品であるが、ストレートに最新長篇『文字渦』に接続する作品。円城塔のギャグ性・文字と言葉への志向性が明らかに表れている作品だと思う。
 基本的に円城塔の作品は文字通りに受け取って、意味不明になったところできちんと文字通りでない意味を考えるようにするのが読むコツ。とはいえ、叔父は文字であるのだが。
 「これはペンです」の所感ではあるが、私個人としては一緒に収録されている作品、「良い夜を持っている」の方を薦める。この作品は非常に分かりやすく、視覚的なSFなのでこちらの方が楽しく読めることだろう。
 「良い夜を持っている」が面白かったら、次はホルヘ・ルイス・ボルヘスの『伝奇集』収録の短篇「記憶の人、フネス」を読むことを薦める。この作品は「良い夜を持っている」の直接の元ネタである。
 うすうす気づいている人もいるだろうが、円城塔は非常にパロディ的な作家である。自分の作品のパロディをすることはザラであり(先述の過去作のモチーフの再使用は自己言及的なパロディ)、『文字渦』収録の「誤字」では伊藤計劃パロディまで披露した。円城塔作品に頻出する「無限の文字列」「小説の自動生成」というモチーフはボルヘスの「バベルの図書館」にルーツを求めることが出来、またボルヘス「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」の現実世界が虚構に塗り替えられるというアイデアは「エピローグ」で、「『ドン・キホーテ』の作者ピエール・メナール」の作者とテクストとの間の関係性に関する考察は『文字渦』「梅枝」、「松の枝の記」などで扱われる。
 この作品を読んで、円城塔をもっと読んでみたい、という方には、まずボルヘスの『伝奇集』とミルチャ・エリアーデの「ムントゥリャサ通りで」、スタニスワフ・レム「ソラリス」などを読むことを薦める。これらを読めば、円城塔の作品に対する見通しが非常に良くなるだろう。
 ぜひ円城塔作品を読んでもらって、深いところまでじっくりと話を出来たらと思う。円城塔こそが、日本SFのみならず日本文学の最高峰である。
最終更新:2020年02月10日 14:46