「アド・バード」椎名誠

作品紹介

異常に発達した広告に支配された世界を冒険するマサルと菊丸の兄弟の物語。
人間の営みにより崩壊した世界が描かれた作品は数多くあるが、広告による終末という他に類を見ない独特の世界観が特徴的な作品である。
1987年から1989年まで「すばる」で連載され、1990年に集英社より出版される。同年、日本SF大賞を受賞し、「SFが読みたい! 1990年ベスト1」に選出される。

作者紹介

椎名誠(しいなまこと)
1944年東京都生まれ。作家、エッセイスト、写真家。79年、エッセイ『さらば国分寺書店のオババ』でデビュー。口語的にカタカナ混じりで書かれた昭和軽薄体という文体(例「小説」→「ショーセツ」)で書かれたスーパーエッセイが人気を博す。短編「中国の鳥人」は本木雅弘主演で映画化されている。担当者と同じ年代だと小学校の国語の教科書に掲載されていた「アイスプラネット」の作者をイメージする人も多いかもしれないが、『アド・バード』、『水域』、『武装島田倉庫』などSF小説も多数執筆している。

作品概要

K二十一市に住む、安東マサル、菊丸兄弟は、行方不明になった父、咲次郎が生前にメッセージを残したというマザーK市へと旅立つ。途中で出会ったキンジョーという男が一行に加わるも、ヒゾムシやワナナキといった生物に襲われる危険な旅であった。暴力的に環境保全を行う団体や、広告やアンドロイドにおびえる街の人々、砂に埋まった都市、地面に突き刺さった飛行機…。どうやら高度な文明も豊かな自然も十数年前の何かが原因で崩壊したらしい。なんとか一行はマザーK市へと通じるトンネルまでたどり着くものの、直前でキンジョーが二人を裏切る。マサルと菊丸はどうにかマザーK市へ出たが、そこは騒がしく目障りな広告が目立つばかりで、人影は見当たらなかった。果たしてキンジョーの狙いとは。そして咲次郎はどこにいるのか。

作品解説

異常発達した広告により文明が崩壊した世界を舞台にしたロードノベル。辛うじて生き延びた人々は、危険な広告生物たちにおびえながら細々と生活を営んでいる。
ポストアポカリプスに分類される作品だが、文明崩壊の原因が広告による作品は、過去に類を見ない。
この手のポストアポカリプス作品の多くは、テクノロジーの暗い一面を表現することで、読者にセンスオブワンダーを抱かせる。例えばターミネーターであれば、人工知能が人類を越えて進化した恐怖を描いている。多くの人は人工知能やマイクロマシンに全幅の信頼を置いているわけではなく、どこか恐ろしいものとしてとらえている。このような作品は観客が暗に抱いている恐怖心を文章化することで、共感を引き起こし、人気を博していると思われる。
一方多くの人は、広告に騙される心配はしても、広告に世界が支配されるのではないかという心配はしていないのではないだろうか。誰も恐怖を抱いていない広告という存在に巨大な力を持たせた『アド・バード』という作品は、椎名の常人離れした豊かな想像力の賜物ではないだろうか。
この作品の魅力は何と言っても独特な語感の造語である。「するべ肉」、「ねご銃」、「ずり車」といったガジェットから、「ワナナキ」、「ヒゾムシ」、「インドカネタタキ」のような異常生物につけられた名称は、間の抜けた感じとともに現実離れした雰囲気をまとっている。特に異常生物につけられた名称は、その存在の禍々しさを、読者に直接認識させることを可能にしている。
この作品の特徴は、舞台となっている世界がどのように形成されたのか、その詳細が明らかになっていないことである。登場人物の言葉や、舞台の描写から高度な科学技術に支えられた豊かな社会が十数年前に起こった「電気粛清」や「デンキ戦争」によって崩壊し、どうやらそれには、ターターとオットマンという企業グループの過剰な営業妨害が原因らしいということが示唆されているが、実際何があったのかはよくわからない。過去の出来事の詳細を読者の想像にゆだねることで、「電気粛清」と言った出来事をより一層恐ろしくさせている。

椎名は、『アド・バード』のような崩壊した世界を舞台とした作品をよく書いており、しばしばこのような世界は「椎名ワールド(シーナワールド)」と呼ばれる。固有名詞が漢字であることなどから、近未来の日本が舞台のようにも思われるが、椎名自身はインタビューで、「椎名ワールド」を自分の頭の中にあるもう一つの世界のことだと語っている。

登場人物

安東マサル
主人公。弟の菊丸とともに、父・咲次郎が最後にメッセージを残したマザーK市へと旅立つ。おぼろげながら、きれいな海や文明崩壊以前の豊かな生活の記憶がある。

安東菊丸
マサルの弟。幼い頃に赤舌に襲われた経験から、赤舌を過剰に怖がっている。

キンジョー
高架道路でマサルたちと合流した男。アタフタボウルやホログラム発生装置など便利な
道具を持っており、道中何度もマサル達を助けることになる。K二十二市でアンドロイドであるということが判明する。故障した際、スギモトに直してもらうが、発声機能が道化仕様になってしまったため、関西弁を喋るようになり、ふざけたているように見えてしまう。

脳髄男
マザーK市を車に乗ってパトロールする男。マサル達にはマザーK市の役人だったと説明している。

安東咲次郎
マサル、菊丸の父。「夕空晴れて…」を口笛で吹く癖がある。マザーK市にいるときに、犬男に伝言を託す。

スギモト
K二十二市の住民。他の住民からはオットマンの隠れ社員だと疑われている。キンジョーの修理やマサル達一行の脱走の手助けをする。

八木沼平吉
ヤギのような顔をした、K二十一市の居酒屋「ファーブル」店主。

用語

ターター
マザーK市を二分する商業資本の一つ。発明に関してはターターさんのワンマン体制だが、彼の特出した才
能により、アド・バードを開発し、オットマンに先立って空を制圧する。

オットマン
マザーK市を二分する商業資本の一つ。ターターグループと違い、二百人以上のグループで研究、開発をしていた。

けつでっか
マザーK市で市民綜合相談をになう広域情報検索装置。マサル達に咲次郎の居場所を教える。

アドバード
ターターが開発した複雑な思考をする鳥であり、文字の形に編隊飛行をして宣伝するほかに、オットマンのコントロールする虫を食べて攻撃する。複雑な思考は、人間の脳を移植されたが故であり、もともと人間だったころのターターへの恨みを持ち続けているためターターさんを襲う。

ワナナキ
オットマンが開発したロボット昆虫。アド・バードに対して酸を出して攻撃をする。

ヒゾムシ
ターターが開発した化学合成虫。もともとはオットマンがコントロールする虫を攻撃するために作られたが、急速な自己増殖や勝手な自己進化により、オットマンにも制御できなくなった。作中の時点では、地中では飽和状態にあり、人にも寄生するようにまでになっている。

BOW(赤舌/地ばしり/海ばしり)
オットマンの開発した異態進化生物。ヒゾムシを食べる、ターターの設置したブッデの像を襲撃するなどの役割を担う。同じ種類とは思えないほど大きさに個体差があり、大きさや生息場所によって呼び名が変えられるが、いずれも共通して体の下側からキレエチレンガスのような臭いを放つ。

『アド・バード』ができるまで

インタビュー「小説を育てる——「アド・バード」をめぐって」で椎名は雑誌編集者をしていた頃から、雑誌「宣伝会議」で掲載される未来の広告に注目しており、自身でも新しい宣伝方式を考えてみるなど、広告に対する興味があったと述べていた。
椎名と目黒考二との対談「椎名誠の仕事 聞き手目黒考二」で目黒は『アド・バード』の原型は三つあると述べている。1972年に目黒考二の個人誌「星盗人」に掲載した「アドバータイジング・バード」、1976年に椎名が編集を担当していた「ストアーズレポート」に掲載した「クレイジー・キャンペーン」、1977年に「奇想天外」新人賞に応募した「アド・バード」である。
また椎名は『アド・バード』やその原型の他にも、「巣走屋本店」、「ゴミ」など行き過ぎた企業活動が行われた世界を舞台にした短編をいくつか書いている。
1977年版「アド・バード」以外は『本人に訊く〈壱〉よろしく懐旧編』に収録され読むことが可能である。以下、この二作の簡単な説明。

「アドバータイジング・バード」
 広告汚染が広がり、人がいなくなった都市で冒険を始める男の話。『アド・バード』の4-1「蚊喰い虫」、5-1「街」の原型と思われる描写が多数見受けられる。ターターとオットマンの対立する『アド・バード』とは異なり、ここではクレイジー・トンプソンとアニマル・デンツーという実在の広告代理店の名前をそのまま借用した会社が対立している。対立企業の商品の使用する消費者を直接妨害するなど、『アド・バード』より広告会社間の対立がはっきりと描かれている。

「クレイジー・キャンペーン」
 百貨店を中心とした二大トラストが形成された世界を舞台にした作品。『アド・バード』の舞台と違い、消費活動が一応は活発に行われている。ただし、デパート同士の客の取り合いが異常に激しく、露骨に行われている。冒頭で宣伝する鳥「アド・バード」が登場するほかは、小説『アド・バード』との関連性はあまり見受けられない。

読書案内

『武装島田倉庫』『水域』(すべて椎名誠)
『アド・バード』と共に椎名誠SF三部作に挙げられる作品。互いにストーリーにつながりはないが、三作とも終末世界を舞台にしている。

『横浜駅SF』『横浜駅SF 全国版』、「冬の時代」(『人間たちの話』に収録)(すべて柞刈湯葉)
著者は椎名誠に影響を受けたと述べており、上記三作でもその影響は色濃く表れている。特に「冬の時代」で描かれる、寒冷化した世界に適応するように遺伝子改変された生物たちによって再構築された生態系は、いわゆる「シーナワールド」を彷彿とさせる。また、異なる世界が舞台だと思われる『横浜駅SF』と「冬の時代」で共通の「電気ポンプ銃(電ポン)」を登場させるシステムは、椎名も好んで使っている。

『地球の長い午後』(B・W・オールディス)
自転が止まり、植物を中心とした現代とは全く異なる生態系が形成された遠未来の地球の話。インタビュー「小説を育てる——『アド・バード』をめぐって」では、椎名のこの作品への熱を語っている。また、『アド・バード』は生態系がガラリと変わった世界が描かれており、この作品からの影響がうかがえる。また夜の側で発掘されたアジテーションをする鳥型機械はアド・バードそっくりである。

部会を終えて

  • 『S-Fマガジン』1990年6月号「今月の新刊」、1991年3月号「1990年マイベストSF」において、『アド・バード』にJ.G.バラード、B.W.オールディス、P.K.ディック、R.シェクリイ、筒井康隆の影響が指摘されている。指摘通り、『アド・バード』はバラードの終末世界、オールディスの異形生物、ディックの治安の悪い世界を基に、椎名独自の想像力で構築されたストレートなSF作品であると思う。文体の面では口語的で鷹揚な語り口が、筒井の影響をうかがわせる。
  • シェクリイについては寡読だが、「危険の報酬」で描かれた、人の死まで娯楽とするような過激な番組を製作するような行き過ぎたテレビ局は、『アド・バード』の消費者に危害を加えてまで成長しようとするターターやオットマンに通じるものがあるのではないかと思った。このような奇怪な企業は筒井の「ベトナム観光公社」でも描かれている。
  • 「少年と犬」(『世界の中心で愛を叫んだけもの』収録)も『アド・バード』と同様に終末ロードノベルであり、比較をしてみるのもいいかもしれない。
  • 『デスストランディング』の「K○市」という地名や、『メタルギアソリッドガンズオブザパトリオット』に登場する鳥型広告機械は、『アド・バード』のオマージュかと思われる。

<広告の今昔 『アド・バード』の未来の広告と現代の広告>
  • 作中、マザーK市のホテルダウトで、部屋の広告を消すには追加料金がかかるという設定は、現代のYouTube Premiumのような存在を予見していたといってもいいのではないだろうか。
  • 作中では、企業から消費者へ一方的に広告を流すだけだが、現代ではSNSの普及による人類総発信者社会が到来し、バズマーケティングのように、消費者の投稿が広告としての役割を果たすようになっている。消費者自身が広告塔となる再帰的な構造は、作中では描かれておらず、著者の予想から外れたものなのであろう。
最終更新:2022年03月16日 11:32