『地獄とは神の不在なり』 テッド・チャン
短編集「あなたの人生の物語」に収録。
全体のレジュメ及び『理解』と表題作のレジュメはこちら→あなたの人生の物語(旧)
表題作のレジュメはこちらも→あなたの人生の物語

著者紹介

1956年生まれ。両親はともに中国本土生まれで、第二次国共内戦中に台湾に渡ったあとアメリカに移住し、そこで出会って結婚する。両親はテッド・チャンを英語で育てたため、テッド・チャンは中国を話すことはできないし、中国系アメリカ人のコミュニティとも縁がない。高校時代から短編を投稿し始めたが採用されなかった。大学卒業後、合宿制の創作講座クラリオン・ワークショップに参加、そこで才能を見いだされ『バビロンの塔』で1990年に作家デビューする。本業はテクニカルライターであり、「書く価値のあるアイディアを思いつかない限り書き始めない」がモットーにしているため、非常に寡作。デビュー以来出した本は『あなたの人生の物語』と『息吹』の2作、18篇の中短編しか発表していない。そういうわけで、SF外ではよく知られた作家ではなかったが、2016年に「あなたの人生の物語」がドゥニ・ヴィルヌーブ監督でArrival(邦題「メッセージ」2017日本公開)として映画化。映画はアカデミー作品賞、監督賞などにノミネート、音響編集賞を受賞するなど高く評価され、原作者のテッド・チャンも一躍有名に。2019年にはオバマ前大統領が『息吹』を夏の推薦図書リストに入れている。
テッド・チャンの魅力はそのSF的ビジョンはもちろん、文体にあると思う。雑誌ニューヨーカーである書評家がチャンの文章には”ジョージ・オーウェルが理想の散文として唱導した、窓ガラスのような透明さ”があると評価している。「窓ガラスのような透明さ」とはオーウェルが『なぜ私は書くか』のなかで述べていることで、良い散文を書くには作家自身の個性を消す努力が必要だと書いている。しかし、オーウェルは政治と芸術の融合についてものべている。ただ透明なだけではなく、「窓」ガラスなのである。テッド・チャンの文章はシンプルでありながらも、私達に寓話的な世界を見せて楽しませてくれる窓なのだ。
1999年は重要な映画が公開された年だといい、その3本とは「マルコビッチの穴」、「マトリックス」、「ファイト・クラブ」。伊藤計劃いわく「ボンクラ」。


作品解説

2001年発表。

ヨブ記

『地獄とは神の不在なり』は聖書の「ヨブ記」に対するある種の不満から書かれたとされている。
ヨブ記は旧約聖書の中盤、知恵文学に分類される。この教訓部分の五書のうち、ヨブ記は第一番目に位置しており、ヨブ記は当時のユダヤ人にとって重要な書であったと思われる。
ヨブ記の内容は次のようなもの。ウツという場所 にヨブ という人がいた。ヨブはとても信仰が熱く、道徳的にも優れた人物で、多くの子供と多くの財産に恵まれていた。そのようなヨブに対しサタンは「ヨブが神を信仰にするのは神が財産を守っているからではないか?」と疑念を持った。そこでサタンは神の許可を得て、ヨブを試すことにした。サタンはヨブから財産を奪い、子供たちを殺し、ヨブ自身も全身をひどい皮膚病にさせた。それでもヨブは信仰心を失わなかった。「わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただいておこうではないか」と苦難を受け入れようとしたのだ。その後、ヨブを見舞いに3人の友人がやってきた。3人はヨブの病気は因果応報だと主張し、ヨブの信仰に不正があったことを認めさせようとする 。しかし、ヨブはこれを拒否し、それどころか自分に不当な災いが訪れるのを見過ごした神の側に不正があると主張するようになる。すると神が現れる。神は被造物である一人の人間が、創造者である神を否定することなどできず、神を疑うことは不敬であると語る。ヨブは神の正しさを認め、苦難から解放される。さらに、財産が以前の倍にまで増え、子孫は繁栄し、140歳まで生きたのだった。めでたしめでたし。
ヨブ記は「旧約聖書の良心」とも言われる。というのも、旧約聖書は全体として因果応報に貫かれとており、律法に従ったものには幸福を、逆らったものには不幸を与える内容になっている。もちろん現実の世界はそのようになっていない。善人にも災いが訪れることがあるということを示したヨブ記があってこそ、旧約聖書には価値があるといえる。ヨブが神への愛を取り戻す過程は、漫然と信仰するのではなく、主体的に信仰することを選択する過程であるとも読める。知恵文学の「知恵」とは、人生において信仰的な選択をする能力なのである。
とはいえ、問題なのは信仰を取り戻したヨブが恩寵をえていいのかということである。神への愛が無条件である必要があるなら、ヨブが神への愛を取り戻したことで幸福になってはいけないのではないか?そのような疑問から書かれたのが『地獄とは神の不在なり』である。


設定解説

 本作の一番の魅力はなんといってもその設定だと思われる。斜線堂有紀の『楽園とは探偵の不在なり』も、その設定に魅了されて生まれたところが大きいだろう。というわけで、設定をまとめておく。
  • 降臨:神の指示により天使が人間界に顕れるとき、一部の人間には祝福を、一部の人間には厄災をもたらす。天使は炎をまとって顕れ、一部の人には奇跡的な治癒を与える一方で、自然災害のように破壊ももたらす。天使はときに特別なメッセージを残すが、典型的なものはこうである――『主の力を見よ』。
  • 天国:一部の人間の魂は死ぬときに天国にのぼっていく。しかし、神の愛の世界に生きる者は、もはや別人なのだ。
  • 天国の光:天国の光が人間界にさしこむのは、天使が現れる瞬間と、天国に戻るごく短い瞬間だけである。この光を浴びた人間は目を失うが、信仰の確かさを保証され、死後は天国に迎えられるのが常である。天国の光は、救われるものになるためのすべての霊的障碍を抑えるのだ。
  • 地獄顕現:地獄顕現は定期的に発生し、大地の下に地獄が見えるようになる。亡者は地獄で永遠の肉体を得て、生者と変わらぬ生活をしている。地獄と人間界の違いは、地獄にあるすべてのものには神が不在であるということだけなのだ。
  • 幻視:天国に迎えられた死者は、ときに生者のまえに黄金の光とともに姿を現す。ジャニス・ライリーの両親が幻視に遭遇したことで、彼女は自分の脚のない状態を天の賜物と考えて育った。
  • 堕天使の降臨:堕天使の降臨は幸運も悪運ももたらさない。たんに人間界を通過するだけである。『みずから決めるがいい。それがわれわれの行っていることだ。おまえたちもおなじようにするがいい』。
  • ヒューマニスト運動:堕天使の言葉に従い、おのれの道徳心にしたがって行動する人々。神を無視したかれらは、死後は地獄に落ちていく。
  • 聖地:降臨が多発している地域。たいてい居住にふさわしくない場所である。巡礼者たちは奇跡を求めてその地を訪れる。
  • ライトシーカー:巡礼者のなかでも、天国の光を求めるものたち。降臨のあいだ天使の近くを追うその行為は危険なものであり、そのような行為による死は自殺と同然である。

登場した天使たち

ナタナエル:ダウンタウンの商店街に降臨。ニール・フィスクの妻、セイラ・フィスクが犠牲になり、セイラの魂は天国にのぼる。
バルディエル:霰を伴って降臨。ジャニスの母親が遭遇し、子宮にいたジャニスが障害をもつ原因となる。
ラジエル:地震を伴って降臨。ジャニスとイーサンが遭遇する。ジャニスには健全な足が与えられたが、イーサンにはなにも起こらなかった。二人はその意味をもとめて協力することになる。
バラキエル:稲妻を伴って降臨。ニールとジャニスが天国の光に打たれる。



所感

なぜ悟りを得た人間は目がなくなるのか気になった。マトリックスで悟りを得たネオが視力を失うように、悟りと盲目には関係があるように思われる。マトリックスではネオが視力を失うのは現実世界でも「光」が見えなくなる一種の覚醒だが、『地獄とは神の不在なり』ではもう少し皮肉があるように思われる。「盲」が「蒙」に通ずるとすれば、目を失うのは「啓蒙」の逆である。啓蒙を失った非合理な世界に生きることが悟りなのだとすれば、皮肉なものではないか。

作品案内

プロフェシー/ゴッド・アーミー:1994年にアメリカで制作されたオカルト・ホラー映画。『地獄とは神の不在なり』の着想もとの一つ。神が人間を愛することに嫉妬した天使たちが、天国で再び戦争を起こす。ザ・B級映画という感じの映画だが、“天使座り“や投げキスで死体が燃えるシーンなどの演出が有名で、一見の価値あり。思想的にもヨブ記と通じ(神への疑いと、信仰の選択)ており、『地獄とは神の不在なり』とも通じるところがある。また、天の光を浴びた人間から目がなくなるのは、この映画に出てくる天使の一人に目がないことに由来すると思われる。
バビロンの塔(テッド・チャン):「あなたの人生の物語」に収録。巨大な塔の建設の物語。旧約聖書的な世界観を題材にしていることは『地獄とは神の不在なり』と共通しているが、テッド・チャンは『バビロンの塔』はSF、『地獄とは神の不在なり』はファンタジーだとしている。
オムファロス(テッド・チャン):「息吹」に収録。天地創造という奇跡がおきたことが明らかになっている世界で、科学者の役割とは?
楽園とは探偵の不在なり(斜線堂有紀): 『地獄とは神の不在なり』に着想を得たミステリ小説。天使の出現により人を2回殺したものは地獄に落ちる世界。天使が理不尽の体現者なら、探偵は理不尽への抵抗者である。天使の存在する世界で、探偵の役割とは何なのか?
最終更新:2023年06月01日 13:25