うたかたのゆめ(中編) ◆Sftv3gSRvM
「……何だか、外が騒がしいわね」
幽々子と妖夢が香霖堂に辿り着いてから、半刻ほどの時を刻んだ頃。
妖夢の世話を一通り終えて、ようやくの一息を入れていた幽々子の耳に、誰かががなり合う声が聞こえた。
当然、それは妖夢にも聞こえていたらしく、すぐさま布団から飛び起き、緊張した面持ちで傘と牛刀を構える。
「……短気を起こしては駄目よ。もしかしたら味方になってくれるかもしれないわ」
「いえ。幽々子様に『もしも』が起こるなど、万が一にでもあってはならないのです。
警戒するに越したことはありません。……どうかお聞き分けを」
「妖夢……」
従者の使命感に取り憑かれた妖夢は、据わった双眸をギラギラ、と滾らせている。
そして、怪我などなかったかのような素早い動作で、居間を囲む襖を取り外し始めた。
視界を開けることで相手の奇襲に備えるそれは、適切な段取りであるとはいえ、どこか時代錯誤的なものが感じられる。
その様子を黙って見ていた幽々子の顔が曇る。妖夢の行動には、明らかに一戦交える構えが見受けられたからだ。
沈痛な面持ちで目を伏せる幽々子の視界に入ったのは、自分の親指に巻かれている包帯。
結局、彼女には妖夢を説き伏せることが……出来なかった。
―――香霖堂につくなり、幽々子がまず始めたことは、救急箱を探すことだった。
居心地悪そうに佇む妖夢を店の奥に座らせると、棚に陳列されている商品から、店主の指定席である勘定台まで念入りに調べた。
何とかそれらしいものを見つけた後は、妖夢の服を脱がせ、傷口を水で洗い、薬草をすり潰した軟膏を塗りつける。
ついでに、と汗だくだった妖夢の身体を手拭いで拭こうとしたのだが、それは流石に「自分でやります!」と止められた。
左肩の噛み跡も、胸元の裂傷もそれほど重い傷ではなかった。処置も早かったし、これなら傷口が膿む心配もないだろう。
最後に慣れない手付きで晒木綿を巻きつけ、その上に箪笥から見つけた大きめの肌襦袢を着せる事で、簡単な手当は終わった。
その後は、居間の中央に手早く布団を敷き、しばらく横になっているよう言いつける。
半ば放心していた妖夢を力づくで寝かせると、今度は自分のスキマ袋から水と握り飯を取り出し、これを口に入れて精をつけなさい、と差し出した。
下女のように忙しなく動き、甲斐甲斐しく世話を焼く白玉楼の主人に、妖夢は頭がおかしくなりそうなほどに混乱していた。
最早、心地良いなどとは微塵も思わない。あるのは恐縮、困惑、そして―――どうしようもない苛立ち。
甘やかされれば自分は付け上がる。それなのに、幽々子は上に立つ者としてやってはいけない行動を繰り返している。
(幽々子様はそんなに私を堕落させたいのですか。優しくされればされるほど、惨めになるのに……)
それでも、柔らかな微笑で労わる幽々子に表立って逆らえるはずもなく、妖夢は渋々ながらも頷いていた。
だが、妖夢にもこれだけは譲れないというラインがある。決して聞き入れられない事がある。
それが、床についた妖夢に話掛けた主人からの、一つの申し出だった。
「……妖夢、聞いて頂戴。今の貴方の体調は、正直芳しいとは言えないわ。
おまけに得意の得物もない。……自分がまともに戦える状態でない所まではわかっているわね?」
「……はい」
「妖夢が私を守りたいと思ってくれる気持ちは、本当に嬉しいのよ。頼りにもしてる。
でもね。貴方の身体が回復し、楼観剣のような刀を手に入れるまでは、貴方に戦う事を禁じます」
「……それは、命令ですか?」
「命令よ」
「私の代わりに、……幽々子様が戦うというのですか?」
「……ええ。だって私には誂え向きな武器があるんですもの。それとも、貴方に銃が扱えるのかしら?」
幽々子はそう言って、脇に置いてあった64式小銃を手に取り、掲げてみせた。
本当のところは幽々子とて、近代武器の知識など無いに等しい。実際に撃ったこともない。
銃の外観を一通り調べて、漠然と撃ち方を覚えた気になっている程度だった。
だが、妖夢を納得させる材料になるというのなら、ハッタリでもなんでも使うべきだろう。
「……」
妖夢は何も喋らない。暗い表情で顔を俯かせて、僅かに拳を震わせているだけだ。
(……悔しいでしょう。悲しいでしょう。無力な自分を呪ってさえいるのかもしれない。
だからこそ、これを糧に一層精進なさい。武芸に励み、未熟な精神を鍛え、過去の己に打ち克ちなさい。
貴方はこれから強くなるの。だから今は、私に頼るのも決して恥ずかしい事ではないのよ)
若い妖夢にはこれから輝かしい未来が待っている。その為にも、目の前の新芽をここで無碍に摘ませるわけにはいかない。
自身に課した誓いを新たにしながら、幽々子が少女の反応を静かに待っていると、突然妖夢が自分のスキマ袋に手を伸ばした。
その突発的な行動に幽々子は思わず面食らってしまう。
スキマから牛刀を手にした妖夢は、両手で柄を持ち直し、目一杯上まで持ち上げた後、そのまま自分の喉笛目掛けて、返す刃を振り下ろ―――
「よっ! 妖夢ーーっ!!」
―――される前に、絶叫を上げた幽々子が組み伏せることで妖夢の凶行は止められた。
二人の身体はそのまま縺れ、遂には刃物の奪い合いに発展した。
「は、放してっ! 放してくださいっ!!」
「……っ!」
興奮しきっている妖夢の決死の抵抗に、手を伸ばした幽々子の指先が刃に触れてしまう。
反射的に手を引っ込める幽々子の丸めた親指からは血が滴り、真紅の細い川が手首を伝って流れた。
それを見た妖夢の顔が蒼白になる。牛刀を取り落とし、ガタガタ、と全身を震わせ、半泣きになって幽々子の元に跪いた。
「ごっ、ごめんなさい! ごめんなさい幽々子様!! 今、傷の手当を……」
―――パシンッ!!
慌てた体で、救急箱を探そうとする妖夢の頬に、幽々子の平手打ちが飛んだ。
呆然、と自分が何をされたのか理解しきれないまま、半人半霊の少女は熱くなった頬を抑える。
その耳に飛んだのは、柔和な普段の主人からは考えられない程の激しい叱責だった。
「……このっ、うつけ者! 大馬鹿者っ!! 貴方今、自分が何をしようとしたのかわかってるの!?」
「も、もうしわけ」
「謝る前に申し開きなさい! 何故……なんでこんな……馬鹿なこと……っ」
幽々子のあまりの剣幕に、妖夢は更に怯えの色を強くして、額を低く畳に擦り付ける。
止め処なく溢れる涙は、ポタポタ、と畳にいくつものシミを作った。
しかし、泣いているのは妖夢だけではなかった。
怒鳴り散らす幽々子の喚声も、次第に涙声に変わって行き、言葉尻の方になると嗚咽で詰まり、言葉にならなくなる。
傷ついていない方の掌で顔を覆い、咽び泣く幽々子。妖夢は涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げ、意を決して己の不遜を貫いた。
「分別も弁えず、出過ぎた真似を請うているのは重々承知しています。……ですが!
幽々子様の助けになれないのなら、足を引っ張るくらいなら私は喜んで死を選びますっ!!」
「ふ、巫山戯ないで! 貴方が死んでしまったら何の意味もないじゃない!」
「ふざけてなどいません! 私が使えないというのであれば、どうぞ遠慮なくお切捨て下さい。
私は、幽々子様のお背中に隠れてまで、生き恥を晒すつもりなどありません!!」
「……どうして、どうしてわかってくれないの? こんな殺し合いの場で主従を持ち出した所で、それが何になるっていうの?
私はただ……、貴方と一緒に平和だった日常に帰りたいだけなのに……」
「……私とてその思いは同じです。でも、これだけはどうしても譲ることが出来ないんです。
幽々子様に守られるだけの立場に甘んじてしまったら、私はきっと……」
……幽々子の警護役でいられなくなる。傍に仕える理由を失ってしまう。
妖夢にとって、それは死ぬよりも辛い恐怖だった。
確かに幽々子は自分よりも強い。彼女に全てを任せれば、二人とも無事に帰れるかもしれない。
少なくとも、満身創痍の自分がしゃしゃり出てくるよりは可能性が高いだろう。
しかし、それでは駄目なのだ。例え無事に帰れたとしても、幽々子の傍にはもういられない。
ここぞの有事に盾にすらならず、脇に隠れて主人の戦いを見守るだけ。どこの世界にそんな警護役がいるというのだ。
例え幽々子が許したとしても、自分の信念がそれを許せそうになかった。
それに、誇り高き魂魄の家名に泥を塗るような不名誉を、我が師も許してくれるはずがない。
幽々子の命令は、妖夢の身体を生かす為だけのもの。これを受け入れれば、魂魄妖夢は死ぬ。
守護者としての矜持が、士の魂が、己の居場所が失われる。それは少女にとって、殺されるのと何ら変わりないのだから。
―――親の心子知らず
正確に言うと親子ではないが、今の幽々子と妖夢の関係はまさにそれだった。
融通の利かない妖夢は、妥協という言葉を好まない。特に今は自分の進退が懸かった正念場。
何を言おうと折れるはずもなく、幽々子の説得は遂に、……徒労に終わった。
お互い真っ赤に泣き腫らした瞳。ごめんなさい、と何度も謝り倒しながら、幽々子の指の治療をする妖夢。
気まずい空気が流れ、こんなにも近くにいるのに、幽々子にはお互いの心の距離がどんどん離れてしまっているように思えた。
妖夢を諭すのは最早諦めるしかなかった。無理に従わせようとすれば、今度こそ自刃しかねない。
ならば自分は一体どうすればいいのか? ……その答えはもう決まりきっている。
(……仲間を探しましょう。妖夢や私の負担を減らしてくれる同志を集め、大人数で行動するしかない。
紫、藍、閻魔様、小町、霊夢、魔理沙。思い当たるだけでも信用のおける者はそれなりにいるわ。
彼女達が見つかれば、妖夢だってそうそう無茶はしないはず。とにかく今は人手が欲しい。
……そう考えると、美鈴や静葉と別れたのは早計だったかもしれないわね)
初志貫徹。行動指針は何も変わらない。
いや、最初は死を振り撒く自らの存在を懸念し、誰彼構わず行動を共にするのは憚っていた。
だが今はもうそんなつもりは毛頭ない。妖夢を止められないとわかった以上、相手を選べるほどの余裕がないのだ。
その事に不安を覚えないわけではないが、死の誘いはあくまでも己の意思で操る力。自分が気を付けさえすればそれで済むこと。
願わくば、頭数が揃うまで大きな戦闘は避けたいものだが、そればかりは神のみぞ知る。
……先の事ばかり考えていても仕方ない、と幽々子は俯いていた顔を上げ、悄然として正座する妖夢の方に向き直った。
「……とにかく、今は休みなさい。足手纏いになりたくないなら、ね」
「……はい」
主人を傷つけた負い目からか、妖夢は素直に頷くと、そのまま用意されていた布団に改めて横になった。
よっぽど疲れていたのか、すぐに浅い寝息が聞こえてくる。
(……せめて今ばかりは、この愚かしいほどに高潔な従者に、どうか一時の安息を)
妖夢の安らかな寝顔を見下ろしながら、幽々子はそう祈らずにはいられなかった。
それから幾許かの時が経ち、幽々子たちは第三者の声を拾うに至る。
距離が離れているからか、誰の声までかはお互いわからなかったが、複数の参加者がここに向かっていることは間違いない。
襖を全て外し終えた妖夢は、次に相手の確認をしようと、店の窓の前に半身だけ乗り出した。
……ッ、と妖夢の息を呑む音が聞こえた。その尋常でない反応に、幽々子の瞳が不安げに揺れる。
「誰が近づいてるの?」
「……八雲藍と霧雨魔理沙が。その後ろに見たことのない妖精もついてきています」
「……本当?」
ああ、何て僥倖なのだろう、と幽々子の顔が花のように綻んだ。
あの二人……特に藍は、文武共に申し分ないし、何よりあの紫の式だ。十分信用に値する。
妖夢のフォローにうってつけの存在が、向こうから現れてくれたのだ。
突然、降って湧いた事態の好転に、幽々子は見るからに喜色満面の様相でホッ、と胸を撫で下ろした。
「それと」
「まだ何かあるの?」
だが、そんな幽々子の脱力を遮るかのような強い調子で、妖夢は話の続きを切り出した。
蛇足かと思い何の気なく問うたものの、妖夢の顔を見て幽々子は眉を顰めざるを得なかった。
桜色の唇を強く結び、虎視眈々と獲物を狙う鷹のような鋭い瞳で、ある一点を凝視している。
声を掛けられても幽々子の方には振り向きもせず、掠れた声で最後の一人の名前を叫んだ。
「―――フランドール・スカーレットっ!!」
ここ香霖堂は、幻想郷で唯一、魔法の道具から外の世界の道具まで、幅広い分野の商品を取り扱っている古道具屋である。
ただ、店主である森近霖之助の気質に難ありなのか。
売れない、売らない、拘らないの三拍子によって店は大量の用途不明品で溢れ返っていた。
尤も、店主だけにはその名前と用途がわかっているので、それも気にしていないが。
しかし、何も知らない傍から見れば、使い道のないガラクタを後生大事に溜めているとしか思えない。ちなみに魔理沙もその一人だ。
店内だけでは納まらず、店の外にまでガラクタの山を築き上げる香霖堂を前にして。
「……ゴミ屋敷ね。まるで」
フランドールが辛辣な評価を下すのも無理なきことであった。
「まー、その意見には大賛成だが、あれで店の中は意外と居心地がいいんだぜ? 小休止するにはもってこいの場所さ」
魔理沙の微妙なフォローに、フランドールは「ふーん」とあまり興味なさげに相槌を打つ。
その間にも、藍とスターサファイアは、侵入する前に少しでも情報を得ようと、じっ、と香霖堂の全貌を見据えていた。
「……確かに誰かいるな。だけど、匂いも音も薄すぎて特定が難しい。……そっちはどうだ?」
「一人はウロウロ歩き回ってて、もう一人はあまり動いてないね。でもそれ以上のことは」
「十分だ。……それにしても本当に大した制限だな。この白面金毛九尾の狐に、まさか人間の視点を味合わせてくれるとは、ね」
そう言って、スターサファイアの頭を撫でながら、藍は皮肉げに口元を歪める。
柔らかな猫っ毛の黒髪に触れた藍の目が、一瞬だけ悲しみの色を帯びていたことに、スターサファイアは気付かなかった。
「結局、詳しいことはわからず終いか? だったらもうさっさと入っちまおうぜ。実際に会ってみないことには何も始まらないだろ」
「馬鹿を言うな。出会い頭に攻撃されたらどうするつもりだ。
……とはいえ、忍び込むような真似をすれば、余計な不興を買うしな。さて、どうするか」
「あなたって物事を複雑に考えて、遠回りするのが好きなのね。……狐だからかな?
こんなの簡単なことじゃない。敵だったら壊しちゃえばいいだけなんだから」
三者三様の意見は、平行線を辿ったまま、一向に咬み合う気配を見せない。
そんな中、今も香霖堂の気配を探っていたスターサファイアが、突然素っ頓狂な声をあげた。
「……きっ、きた! みんな! 二人ともこっちに向かってる!!」
こっち、とは香霖堂の玄関先のことだろう。つまり謎の人物は、自分たちと邂逅を果たす意思があるという事。
それはこちらを味方に引き入れるためか、それとも……。
「向こうから御出座しってわけか! 話が早くて助かるぜ!」
そう言いつつも、ポケットに入ってるミニ八卦炉を震える手でギュッ、と握り締め、臨戦態勢を取る魔理沙。
「皆、油断するなよ。スターはどこかに隠れてるんだ!」
「う、うん」
スターサファイアに避難を促し、こちらも鋭利な爪をギラリ、と伸ばして、いつでも飛び掛かれるよう構える藍。
「私はとりあえず観戦ね。外じゃあまり戦いたくないし」
日傘を手放せないからか、二人から一歩引いて、それでも弾幕だけはいつでも放てるよう力を蓄えるフランドール。
そして、香霖堂の引き戸がガラガラ、と音を立てて開かれ。
その奥から姿を見せた人物は―――
「いらっしゃい、藍、魔理沙。……そして、悪魔の妹。歓迎するわ」
目元が少し腫れているものの、それ以外はいつものおっとりとした微笑みを讃えた西行寺幽々子と。
「……」
傘と牛刀を構え、血走った目でフランドールを睨み付ける魂魄妖夢の両名であった。
「幽々子様……か!」
「お、お前ら何でこんなところに」
思わぬ人物の登場に目を丸くした藍と魔理沙が、警戒を解いて驚きの声をあげる。
「あなた……あの時の辻斬り魔?」
「……」
一方、フランドールは見覚えのある顔に、片眉を吊り上げて不機嫌そうに呟いた。初対面があれでは印象が最悪なのは無理もない。
だが、妖夢は何の反応も返さない。ジリジリ、と二つの得物を腰溜めに構えて、親の仇を見るようにフランドールを睥睨しているだけだ。
そのあからさまな喧嘩腰の態度が、フランドールの癪に触った。
「……そう。あの時の続きがしたいっていうのね。……いいわ。遊んであげるっ!」
「フランドール・スカーレットォォォ!!」
その言葉を引き金に、激昂した妖夢が地を蹴り、フランドールに襲い掛からんとした、まさにその時だった。
「おやめなさい! 妖夢っ!!」
「……ぐっ」
幽々子の叱咤にピタリ、と妖夢の足が止まる。フランドールも襲撃者ではなく、その主人の方に冷ややかな視線を向けた。
蚊帳の外の魔理沙と藍は、因縁めいた二人のやり取りに、唖然とするしかなかった。
「……うちの従者が大変失礼しました。この異変の熱にあたって、少し混乱しているだけなの。
前回の無礼も含めて、どうか許してあげてくれないかしら?」
「ゆ、幽々子様っ!!」
「貴方は黙ってなさい」
慇懃に礼を取り、午睡の亡霊嬢は破壊の化身に謝罪した。
妖夢が何か言おうとする前に、その後頭部を抑え付け、半ば無理矢理に低頭させる。
それを見ていたフランドールがクスッ、と幼さの残る無邪気な笑顔で、今までのお返しとばかりに目の前の主従を扱き下ろした。
「つまり、犬の躾も出来ていないってこと? だったらあなたはお姉様以下の愚かな主人ね。
咲夜なら頭を下げさせられる、なんて無様を晒したりはしないもの」
「いっ、言わせておけばッ!!」
「妖夢! ……返す言葉もないわ。今後はよく言い聞かせます。……だからここはどうか」
「……ふん」
あくまで許しを乞う幽々子に張り合いを失くしたのか、フランドールは興がそがれたとばかりにそっぽを向いた。
争いを諌めようとする主人の意を汲んだ妖夢も、無言のまま牛刀をスキマの中に納める。
今もフランドールに睨みを利かせているが、幽々子の目もあるせいか、表立った敵視は控えることにしたようだ。
緊迫した空気がようやく薄れたところで、魔理沙と藍が幽々子たちの元へと歩み寄った。
フランドールとスターサファイアは、暇つぶしのつもりか、香霖堂に置いてあるガラクタの山を繁々と眺めていた。
「幽々子様、ご壮健で何よりです」
「貴方もね、藍。その様子だと紫はまだ見つかっていないのかしら」
「……はい。あの方のことですから、そうそう大事には至らないと思うのですが」
「信頼しているのね。……彼女が羨ましいわ」
「は?」
「……独り言よ。気にしないで頂戴」
憂い顔の幽々子と、戸惑い顔の藍が挨拶を交わしているその隣では、魔理沙が少々遠慮がちに妖夢に話し掛けていた。
「……なあ、さっきのあれは一体何だったんだ? フランに個人的な恨みでもあんのか?」
「あんたこそ、どうしてあんな危険な奴を連れて歩いてるの?」
「お、おいおい。そりゃ噂だけ見りゃ警戒すんのもわかるけどさ。それにしたって、さっきのはちょっといきすぎだぞ?
これから皆で力を合わせなきゃって時に、わざわざ輪を乱すような真似してどうすんだよ」
先ほどの蛮行をやんわりと窘める魔理沙に、妖夢の顔が険しくなる。
自由を象徴するかのような、勝手気侭な生き方をしている魔法使いと、その双肩に自分の命よりも重い責任を担っている従者。
対照的な両者の思想が交差するはずもなく、妖夢は眉間に皺を寄せたまま、吐き捨てるように呟いた。
「……魔理沙、あんたは何もわかってない」
「あん?」
「魔理沙や霊夢はいいわよ。異変解決の為に沢山の幻想郷の住人と関わってきたんですものね。
皆と力を合わせるって、参加者のほとんどと顔見知りだからこそ言える台詞だって自覚しているの?」
「……そ、そいつは……」
「よく知りもしない相手に、幽々子様の命を預けるなんて、私には出来ない。
あの方たっての願いだから、今はこうしてあんた達と顔を合わせてるけど、本当は……」
「待て。それ以上は言うな。……その先を聞くと、私までお前を信用出来なくなっちまいそうだ」
「……」
片手をあげて、妖夢の吐露を制する魔理沙。
顔を俯かせて黙りこくる妖夢を、幽々子は心配そうに、藍は表情を面に出さずに見守っている。
気まずい沈黙が漂う間も、魔理沙は決して妖夢から目を逸らそうとはしなかった。
頭を冷やすために、すぅ、と一呼吸。普段よりもどこか大人びた顔で、魔理沙は再度の説得の言葉を紡いだ。
「……お前が幽々子を守りたいのはわかってる。
だからこそ、だ。使えるモンは全部使っとけ。……私たちを利用しちまえ。
妖夢が何を思おうが、この戦いはお前らだけで終わらせられるほど甘くない、ってのはわかってるんだろ?
持ちつ持たれつやっていこうぜ。信用云々は後からついてくるもんだ。今ないなら、これから作っていきゃいい」
「……うん」
心を通じ合わせる。それにはまず、その者と関わることから始めなければいけない。
誰だって最初から信頼し合っていたわけではない。 魔理沙と霊夢にも、妖夢と幽々子にも、そこに至るまでの過程がある。思い出がある。
それがないというのなら、新たに作っていけばいいだけなのだ。
ニッ、とはにかむ魔理沙の笑みを見て、妖夢も小さく頷いた後、釣られるように、少しだけ……ほんの少しだけ笑顔を浮かべた。
そんな二人を傍らで見ていた幽々子が、その朱色の瞳をゆっくりと細める。
「……眩いわね。星の光というものは」
「ええ。種族や立場に関係なく、その者のありのままを受け入れ、いつの間にか心を開かせてしまう。
私たち妖怪にはない、非常に稀有な才能と言えるでしょう。……このような殺し合いの場においては、特に」
と、そこへ微妙に口を尖らせたフランドールと、妖夢の存在にびくびく、と怯えるスターサファイアが戻ってきた。
「……ねぇ、話まだ終わらないの? いい加減、ここにいるのも飽きてきたんだけど」
妖夢は、視界に入った吸血鬼を睨み付けようとして、そこで思い直したように、視線を逸らした。
それでも、さりげなく幽々子の前に立つなど、常に一定レベルの警戒心を以って接している。
さして気にした素振りも見せないフランドールは、ふと浮かんだ疑問を妖夢に訊ねる事にした。
「そういえば、あなた……あの『霊魂みたいなもの』はどうしたの?
最初会った時は、周りにふよふよ浮いていたのに、今はないじゃない」
「……ッ!」
―――その時。魔理沙は見た。藍も聞いた。スターサファイアも、感じた。
妖夢の顔色が明らかに変化した瞬間を。ゴクリ、と白い喉が鳴る音を。
そして、半人半霊の少女の気配が以前のものと比べ、僅かながら変化しているという事実を。
(フランに言われるまで気付かなかったけど、そういえばこの人、最初会った時と気配が違う?
何か足りないような、弱々しくなっているような……、あ~! なんだろうこのモヤモヤ感!)
スターサファイアは、心の中でう~ん、と頭を捻る。知恵はあっても知識に乏しい妖精には、これが限界だった。
むず痒い背中に手が届かないような、そんなもどかしさ。違和感は感じているのに、それをはっきりと伝える事が出来ない。
更に妖精は集中力が持続しない。
風船のように膨らんだ違和感は次第に萎んでいき、最後の方になると「ま、いいか」の一言で片付けられた。
「……あ、ああ。多分、この殺し合いの制限のせいだと思う。最初は残っていたんだけど、いつの間にか消えてたんだ。
その事で特に不自由はしてないし、気にしてもいない。……それに、そんな事お前にはどうでもいい話でしょ」
「……確かにどうでもいいけどね」
「ちょっと待て。確か半霊ってお前の一部っていうかお前自身のはずだよな? それなのに、気にしてないってのはどういう事だよ?」
「う、うるさいな! 私は幽々子様をお守りする為にここにいるの! 自分のことなんか考えてる余裕がないのよっ!」
「わ、わかった! わかったから耳元で怒鳴るな!」
魔理沙の質問に対し、必要以上に噛み付く妖夢を見て、藍は疑念を抱かずにはいられなかった。
隣に立つ幽々子をチラリ、と流し見る。
案の定、そこには従者の未熟さに疲れた顔で溜め息を吐いている、亡霊嬢の姿があった。
最終更新:2009年07月31日 00:53