うたかたのゆめ(後編)

うたかたのゆめ(後編) ◆Sftv3gSRvM



 その後、六人という大所帯になった一行は、香霖堂の居間まで移動し、そこでお互いの情報交換や今後の方針について話し合った。
 ちなみに、魔理沙はいの一番に部屋の箪笥を漁り、見事、替えの衣装をゲットしていたり。

 人数だけでなく、その顔ぶれもまた豪華である。
 現在のゲーム内では、恐らく最大勢力と言ってもいいだろう対主催者派の集団。
 聡い幽々子や藍は、それをうっすらと自覚しているようで、彼女ら二人を中心に、話し合いは厳粛に、且つ慎重に進められた。
 ……その割に、囲む机が使い古された小さなちゃぶ台というのは、些か見栄えに欠けるが。

 まず、上座に幽々子が。その向かい側である下座の座布団に、藍と魔理沙が並んで腰を下ろし。
 そして、幽々子から見て右隣に妖夢が、左隣にフランドールとスターサファイアがちょこん、と座っている。
 つまり、妖夢とフランドールの席は、向かい合っているということだ。
 情報交換によって、博麗の巫女がこのゲームに乗っていることを、冥界の主従は知ってしまった。
 これを聞いた妖夢は、退屈な話し合いに辟易しあくびをかみ殺しているフランドールから、ますます目を離さなくなった。

 主催者、首輪、霊夢、小町についてなど、千々に乱れた断片的な情報を幽々子が纏め上げ、その内容を藍が店から拝借したメモ帳に書き記す。
 会合もたけなわになった頃。筆談による、首輪の盗聴機能についての説明も行われた。
 これはあくまでも小町の推量、と前置きした後、連綿体のように流暢な達筆で、幽々子は信じるに至った経緯を説明する。
 不自然に会話が途切れないよう注意しながらも、藍や魔理沙、そしてフランドールも思い思いの意見を綴って見せた。

 誰もが目を伏せ、物書きに精を出している最中。
 ただ一人、視線を落とさず、真っ向から目の前の相手を見据える少女がいた。

 その少女の名は―――魂魄妖夢。

 弾幕が主流となっている幻想郷において、剣術で己の身を立てようとする半人半霊の変り種。
 その幼い身体に気高き剣士の誇りを宿し、主君への忠誠という『信仰』に殉じようとする殉教者。
 そして、西行寺幽々子という主を、誰よりも慕い、生き延びて欲しいと願う少女。
 亡霊に生き延びて欲しいと言うのも、また滑稽な話かもしれないが、そう思うのだから仕方ない。

 筆談に飽きて、そのままお絵描きへと移行しているフランドールを、暗鬱に見つめる妖夢の瞳には、朧々な殺意の炎が燃え盛っていた……。






『……ゆ、幽々子様! どこに行かれるおつもりです!?』
『藍と魔理沙がいるのよ。このチャンスは捨て置けないわ。何としても仲間に引き入れないと』
『どうかお考え直しを! あの中にはフランドール・スカーレットがいるのですよ!』

 これは、今より少しばかり前の会話。
 第三者が信用できる参加者だと判明した途端、幽々子は腰を上げ、玄関に向かって移動しようとした。
 主人の袖を掴み懸命に諭そうとする妖夢に、幽々子は冷たい声色で今の現状を指摘した。

『だからどうしたと言うの? もし彼女がこの殺し合いに乗っていたとしても、自分の身くらい自分で守れるわ。
 それに、今の貴方に彼女と戦える? 勇気と無謀を履き違えないで頂戴。ここは争わず、穏便に事を運ぶのが一番賢明なの』

 聞く耳持たないばかりか、交戦する気満々だった妖夢の姿勢を、暗になじられてしまう始末。
 悔しさに唇を噛みつつ、妖夢は寝入ってる間に閃いた案を、幽々子に説明することにした。

『……私にだって、考えくらいあります。真正面から挑んでも、太刀打ち出来ないのは理解しているつもりです』
『……考え、ですって?』
『はい。それは―――』

 ―――妖夢の案を聞いて、幽々子は驚いたように口元に手を当てた。確かにそれなら……

『……今の私でも不意を突けるはずです。外せば終わりですが、急所に当てる自信は……あります!』
『……』
『ですから、ここはどうかご自重を。幽々子様にもしものことがあれば、私は……』
『……妖夢、心配してくれてありがとう。でも、それでもね。私は、彼女たちに自分から歩み寄らなければならないの』
『幽々子様っ!!』
『それとお願い。さっき貴方が言ってた考えだけど、……私の身に危険が及ぶまでは決して使わない、と誓って頂戴』
『そ、そん、な……』

 絶望に染まる妖夢の髪を、幽々子はその白魚のようにほっそりとした食指で、丁寧に丁寧に梳いた。
 その心地よい感触に、不覚にもまた妖夢の心は揺れる。
 幽々子は、聖母のように慈愛に満ちた微笑で、妖夢の細い双肩をすっぽり、と掻き抱いた。

『……気負わないで。全てを自分ひとりで抱え込もうとしないで』
『……』
『私を守る、というのならもう止めはしない。だから傍にいて。私を一人にしないで。
 身勝手な主だけど、危険かもしれないけど、どこへ行こうと何をしようと、私についてきて……くれる?』
『……それが、幽々子様の望みであれば―――』

 ―――例え地獄の釜底であろうと、宇宙の果てであろうと、どこまでもお供します。






(……幽々子様、申し訳ありません。切り札を禁ずるという誓い、ここで破らせて頂きます)

 確かに、魔理沙は信用に値するかもしれない。藍になら幽々子を任せられるかもしれない。
 だが、フランドールだけは認めるわけにはいかなかった。
 うやむやになっただけで根本の解決になど至ってない。何故こいつがここにいるという疑問は、今も妖夢の中で燻っていた。
 見方を変えれば、これもまた主人の危機。……何しろ、こんなにもすぐ近くにフランドールがいる。
 今は大人しくても気狂いのことだ。いつ、戯れに主人に牙を剥けるか、知れたものではない。
 1%でも幽々子に害を為す可能性のある要因を野放しにするなど、妖夢に出来るはずがなかった。
 ここは、博麗の巫女でさえ殺し合いを肯定する、そんな世界なのだから。

(幽々子様、お師匠様、どうか……どうか、私に力を貸してくださいっ!)

 祈る。我が一世一代の大仕事に対する緊張で、妖夢の身体が小刻みに震えた。
 望郷の念と、自身の使命と、心の支えである者たちへの想いがない交ぜになって、幼い少女のか弱き心を支配する。
 こんがらがった思考の中で垣間見たのは、自分の本心。自分の本当の願い。
 危険を排除したいという建前を取り払った、妖夢にとって一番大事な、相手を殺す理由だった。

(……ああ、そっか。私、幽々子様に認めてもらいたいんだ。自分が助けになるって証が、欲しかったんだ)

 幽々子と同格であるフランドールを討ち取れば、自分もその高みに手が届く。
 そうしたら幽々子の従者として、自分を誇れるかもしれない。守り手として、ずっと傍にい続けられるかもしれない。
 ……なんて、身勝手な理由。
 自分はこんなにも醜かったのか、と落ち込みそうになる妖夢の脳裏に、かつての幽々子の言葉がよぎった。

『だから傍にいて。私を一人にしないで』

 ……迷うことなど何もなかった! 何故なら私の名はっ!!
 西行寺家が御庭番、幽冥楼閣の姫君の懐刀。誇り高き魂魄家二代目当主―――魂魄妖夢!!

 決然と顔を上げた妖夢は、懐に忍ばせていたスキマ袋に手を伸ばした。

 ―――我が君をお救いするためならば。

 袋の穴をフランドールに向けて、ゆっくりと持ち上げる。

 ―――例え、妖怪が鍛えた楼観剣がこの手になくとも。

 筆談の文字に目を走らせていて、誰も妖夢の不審な行動に気付いていない。
 幽々子も、藍も、魔理沙も、そして……フランドールも。

 ―――私に斬れぬものなど。

 そして。

 ―――あんまりないっ!!

 スキマの中から、牛刀を構えた『もう一人の魂魄妖夢』が飛び出した。






 ―――魂符「幽明の苦輪」

 自身の霊力を、分体である半霊に注ぐことで、もう一人の魂魄妖夢を作り出す分身技。
 無論、それだけではフランドールを打倒することなど出来ない。だから半霊をスキマ袋の中に隠した。
 スキマというだけあって、袋の容量は無限大。人が入れないなどという道理はない。
 相手の虚を突きさえすれば、今の妖夢でも攻撃を当てる事が出来る。
 まして、彼我の間は小さな円卓を挟んだのみ。妖夢の身長分ほどしか距離が離れていない。
 このゲームではどんな強者であれ、その耐久力は人間とほぼ同等。致命傷に刺されば。
 二撃目は……ない!

「うおおおおおおぉっ!!」
「……ぇ?」

 妖夢の裂帛の気迫に圧されて、ようやく目線を上げたフランドールが、目を見開いたまま小さな呟きを漏らした。
 予備動作も、僅かな音すらも立てずに、牛刀を振り翳した妖夢が突然視界を覆ったのだ。驚くなという方に無理がある。
 この事態を露ほども想定していなかった幽々子たちでは認識は出来ても、反応が出来ない。
 幽々子は妖夢を信じすぎた。藍と魔理沙は、半霊がいない事を怪しむだけで終わってしまった。
 凶刃はもはや、フランドールの目と鼻の先。
 誰もがもう一瞬先の、血溜まりの中倒れ伏す吸血鬼の姿を想像した刹那―――

「―――フラーーーンッッ!!」

 この中で唯一人、妖夢の動きに反応したスターサファイアが、フランドールの懐に……飛び込んだ。


 ………
 ……
 …


「……ス、スター?」

 妖精は物事を深く考えない。庇ったとか、助けたかったとか、そんな美談などありはしない。
 気配の動きに敏感なスターサファイアは、誰よりも逸早く妖夢の動きに感付くことが出来た。
 友達が危なかったから、何も考えずに飛び込んだ。ただ、……それだけの話。
 フランドールが震える声で自分の名前を呼んだ事に反応したのか。スターサファイアが気だるげな動作で僅かに首を動かした。
 その胸に生えているのは、一本の凶器。どくどく、と流れる鮮血が、妖精の青い洋服を紅く染め上げた。
 妖夢も、幽々子たちも、何の身動きも取れない。何の言葉も発せない。痛いほどの静寂が香霖堂の居間を支配する。
 凍結した空気の中、返り血で頬を汚しているフランドールが、呆、と我を忘れたまま。
 自身の肩にぐったり、と凭れ掛っている血に塗れたスターサファイアを、強く抱き締めた。

「な、なんで?」
「……ご…め……ね。も……い…しょ…に……い…け……な」
「……なんでよぉッ!!」
「フ……ラ……―――」

 ―――それきり。三月精が一人、降り注ぐ星の光の妖精は永遠に沈黙した。

 フランドールの目から涙は出ない。慟哭の声などあげない。スターサファイアの死など悼まない。
 所詮は支給品として出会った、僅か数時間ばかりの付き合い。
 紅魔館の住人に比べたら、彼女に対する思い入れなど無いに等しかった。
 ……なのに、どうしてだろう?

「……さない」

 命を助けられたからか。最後に自分の名前を呼ぼうとしたからなのか。

「……ゆるさないっ」

 より生々しく他者の死を実感した。
 パチュリーの死を聞いた時以上の、どうしようもないほどの、震えるほどの『怒り』が芽生えた。

「絶対に許さないっ!! お前だけはこの手でバラバラに壊してやるッ!!」

 両者の激突は、もう止められない。






(……しくじった。しくじった! ……しくじったっ!!)

 フランドールを殺し損ねた。絶好のチャンスを、唯一の勝機を取り逃がした。
 傷一つ付けられなかった挙句、何の罪もない妖精を殺し、相手の怒りを煽るだけの結果に終わってしまった。
 ……何てザマだッ! もはや未熟などというレベルで済まされる話ではないッ!!

「幽々子様、お逃げ下さい! ここは私が時を稼ぎます! その間に出来るだけ遠くへ!!」
「妖夢っ!!」

 だが、それでも妖夢は幽々子を守ろうとする。
 取り返しのつかない失敗をしたとしても、常に主の最善を考えて行動あるのみ。
 自分のせいで、幽々子がフランドールに八つ裂きにされるなど、あってはならない。

「よっ、よせ! フランドールっ!!」
「妖夢! テメェ自分が何したのかわかってんのか!! これは幽々子の差し金なのかっ!?」

 藍が身体を張って、今にも飛びかからんとするフランドールを押し留め。
 妖夢の口上を聞いた魔理沙が、最初からそのつもりだったのか、と妖夢に糾弾する。

「や、やめてぇッ!! お願い! みんな落ち着いてっ!!」

 一瞬で阿鼻叫喚の地獄絵図と化した居間の中心に立ち、幽々子は混乱を沈めようと涙ながらに訴えかけた。

「お退き下さい!! これは私の失態です! 何とか私一人の命で済むよう、計らいますから!」
「いいえ! 退かないわ! 貴方は私が守るの!! 生きて、生きて一緒にあの日常に―――」

「―――ガアアアアァァァッッッ!!」

 そんな幽々子の願いを押し潰すかのように、フランドールが獣のような咆哮をあげた。
 羽交い絞めしていた藍を力任せに投げ飛ばし、狂気を含んだ真紅の両眼で妖夢を睨み付ける。
 その吸血『鬼』のような形相は、コンティニューどころか、輪廻転生さえ許さないほどの憤怒に満ち溢れていた。

「幽々子様ァ!!」

 震える足を必死に前に押し、妖夢は幽々子の眼前に立った。
 逆二刀の構えを以って、襲い掛かるフランドールを決死の覚悟で迎え撃つ!!

「―――シネエエエェェェッ!!」
「―――おおおおおぉぉッッ!!」

「お願い。……お願いだから……―――誰かとめてえええぇぇぇっ!!」






 息の根を?






「―――!!」






 魔理沙は思った。
 ああ、この光景だけは、きっと死んだって忘れることはないだろう、と。
 藍は思った。
 まるで、冥界に聳える妖怪桜、西行妖のようだ、と。
 フランドールは思った。
 ……怖い、と。
 妖夢は思った。
 何て、……何て美しいんだろう、と。


 ―――西行寺幽々子の周囲に、狂い咲きの死が満開した。

 その花びらは、桜色の羽を羽ばたかせた、夥しい数の……反魂の蝶だった。


「ぁ……そ、そん……な……」

 幽々子に課せられた制限。
 それは効力でもある(心身ともに健やかな者には通用しない。ある程度、身体や心が傷ついて初めて効果が現れる)。
 精度でもある(狙った箇所へ正確に放てない。蝶は本能によって、常に死に近い者から手招きを始める)。

 そして、何より『制御』が出来なかった。

 これは主催者の悪戯心によるものなのか。幽々子がいくら抑えようとしても、反魂蝶は一向に主の元へと帰ろうとはしない。
 カチカチ、と幽々子の歯が鳴る。
 一切の血の気が失せた顔は恐怖で歪み、眼球が零れ落ちるのではないか、と思うほどに眼を見開く。
 それは絶対の脅威だった。自分が他者と相容れられない証明だった。
 生と死の境界を曖昧にしてしまう忌むべき力が、幽々子の心からの叫びによって発現してしまったのだ。

 蝶たちはひらひら、と漂うように、妖夢に向かってその羽を動かし始める。
 魅入られた表情で、うっとりと死の花びらを眺める妖夢から、小さな呟きが漏れた。

「あ……、ホントにきれい」

 ―――ゴトッ

 そして、それが最期の言葉となった。

 蝶に触れた途端、糸の切れた人形のように、音を立てて崩れ落ちる妖夢を、幽々子は乾いた笑いで見つめていた。
 可笑しくもないのに勝手に笑いが漏れてくる。
 涙なんて出てないのに、それでも視界が滲んでいく。世界が、未来がぼやけていく……。

「よ、妖……夢?」

 じょ、冗談よね? そんなハズないわよね? だってだってずっと私と一緒にいてくれると言ってくれたんだものね妖夢が嘘なんかつくはずないしついたとしてもすぐにバレるものお店の前で魔理沙たちについた嘘なんてバレバレだったわよ貴方はもうちょっと平常心を養うべきかしらうん帰ったらそこを重点的に鍛えなきゃねほらさっさと起きなさいちゃんと嘘だってわかっているんだから私は妖夢のことなら何でもわかるんだから妖夢の成長を見届けるのが私の楽しみなんだからおきておきて私の可愛いようむほらおきなさい私のせいでしんじゃうなんて許さないのにようむは動かなくなって半霊も消えちゃってしぬときに出てくるつめたいものも感じちゃってようむがしんじゃったわたしがころしちゃったようむがしんじゃったの―――あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ァ!!!

 ……狭い室内に、断末魔の如き少女の絶叫が響き渡る。
 もはや、掛ける言葉もない。
 あまりの事態にフランドールでさえ、先ほどまでの煮え滾る程の怒りを忘れてしまっていた。
 頭を振り乱し、その頬に爪を立て、かつてのおっとりとした美貌など欠片も残さず、腹の底からの叫びと共にのた打ち回る幽々子。
 そして、その周りには今も飛び交い続ける無数の反魂蝶。……死を、操る程度の能力。

 身体の震えを必死に抑え込み、意を決した魔理沙が、恐る恐るといった体で幽々子に近づく。
 ほっとけるわけがなかった。このままでいいハズがない。
 何とかこの狂乱を止めさせよう、と蝶の群れを避け、今も蹲る幽々子の肩をポン、と叩いた。

「……なあ、幽々子よ。なんて言ったらいいかわからないが」

 しかし、その言葉は遮られた。
 魔理沙と目を合わせた瞬間、幽々子が少女の顔を胸元へと引き寄せ、思い切り抱き締めたからだ。
 これに絶句したのは、魔理沙だけではない。
 藍も、フランドールも呆気に取られた様相で、本当に嬉しそうに笑う、幽々子の笑顔を見つめていた。

「……妖夢、ようむ。なぁんだ、……そこにいたのねぇ」
「へ?」
「無事でいてくれてありがとう! 此処にいてくれて……ありがとうっ!!」
「ゆ、幽々子……おま、え」
「貴方が涙を堪えるというのなら、私が代わりに泣いてあげる。
 寂しかった、心細かった、と言えないのなら、私が代わりに言ってあげる。本当に……、本当に無事で……よかった……っ!!」
「―――ひっ!」

 幽々子の声に引き寄せられるかのように、蝶たちが主人の元へ向かって飛んできた。
 それを見た魔理沙は小さく息を呑み、このままでは自分まで殺される、と幽々子の肩を掴み、力づくで引き剥がそうする。

「ど、どうして逃げようとするの妖夢。私よ? 幽々子よ! 自分の主人の顔も忘れちゃったの?」
「忘れてんのはお前……だろっ!! 私は妖夢じゃない! は、離せ! ……離しやがれーーっ!!」
「きゃっ!」

 魔理沙に突き飛ばされ、柱に強かに頭を打ち付けた幽々子は、小さな悲鳴と共に気絶する。
 その瞬間、魔理沙の目前まで迫っていた蝶たちもフッ、と消失した。
 ゼェゼェ、と息を荒げ、その場に尻餅をつく魔理沙。動悸が激しい。嫌な汗も止まらない。
 何が怖いって、死ぬこともそうだが、何よりも幽々子の目が怖かった。
 自分を見ているようで、何も映していない空虚な瞳。
 その奥は一切の底が見えず、命を奪うことで、がらんどうな心を満たそうとしているかのようにさえ見えた。
 吸い込まれるような錯覚に身震いし、魔理沙は慌ててブンブン、と首を横に振った。
 チラリ、と気を失っている幽々子の方を見る。
 険の取れた寝顔は穏やかなもので、ともすればそのまま駆け寄って介抱したくなりそうだ。
 ……だが、魔理沙はもう二度と、幽々子に近づきたいとは思えなかった。

「……なによ。なんなのよこれはッ!」

 声の方に振り返ってみると、フランドールがスターサファイアの亡骸を抱え、振り絞るかのような叫び声をあげていた。

「こんなの……、私なんかよりもよっぽど狂ってる。
 これが殺し合いなの? 何でパチュリーやスターが死ななくちゃいけないの? ……こんなの、こんなの絶対おかしいよッ!!」
「……クソッ!!」

 ガンッ! と手近な壁を殴りつけた藍は、倒れ伏す妖夢とスターの手を組ませ、目を瞑ることでお座成りながらの黙祷を捧げた。
 妖夢が纏う白い肌襦袢が死に装束のように見えて、何とも居た堪れない気持ちになる。
 ほんの一瞬でも、自分の式を重ねた妖精の少女の無惨な姿を見ると、やり切れない思いに駆られる。

「なんて、ことだ……」

 固く目を閉じたまま、血が滲むほど拳を強く握り締めた。
 藍は悔やんでいた。確かに一瞬の出来事だったとはいえ、何か他にやりようはなかったのか。
 半霊がいない理由をもっと深く考えていたら、自分がちゃんとフランドールを抑えていれば、あの時ああしていれば……。
 先ほどまでの狂乱を思い返す度、次々と浮かび上がる『たられば』に苦虫を噛み潰す。全ては後の祭りだった。
 そして、こんな時でさえ合理的な思考を冷静に巡らす、自分の頭が今ばかりは恨めしかった。

「……魔理沙、フランドール。休憩は終わりだ。人里に向かうぞ」
「なっ! 何言ってんだよ藍! 幽々子をこのままにしておくってのかっ!?」
「……そうだな。確かにこのまま放置しておくのは危険だ。気絶している今が好機、か」

 そう言って、藍は爪を伸ばし、寝ている幽々子に向かってゆっくりと歩き出す。
 藍が何をしようとしているのか悟った魔理沙は、慌てて幽々子の元まで駆け、バッ、と両手を広げて藍の前に立ち塞がった。

「何しようとしてやがる。まさか、お前まで正気を失っちまったんじゃないだろうな?」
「……正気だ。正気だからこそ、今の幽々子様は捨て置けない。ここで消えてもらわねば、犠牲者が増える一方だ」
「だっ、駄目だ!! ここで幽々子を殺しちまったら、何のために妖夢が死んだのかわからなくなるじゃないか!!」
「……こっちは、その妖夢にスターが殺されたのだぞ。なのに何故庇う? 気が動転しているのはお前の方じゃないのか?」
「わ、わかってる。それはわかってんだ。……でもよぅ」

 ぽろぽろ、と大粒の涙が魔理沙の頬を伝う。
 妖夢も、幽々子も、そしてスターサファイアも。さっきまで普通に自分たちと話し合っていた。
 ほんの僅かばかりの間柄とはいえ、それでも魔理沙にとっては大切な『仲間』だったのだ。
 その仲間同士で殺しあう姿なんて、これ以上見たくなかった。もう誰も自分の目の前で死んで欲しくなんかないのだ。

 ―――『……魔理沙、あんたは何もわかってない』

 ……偽善かもしれない。そういえば妖夢にも言われたっけな、と魔理沙は一人ごちた。
 ここで幽々子を殺さなければ、彼女は確実に危険人物としてこの舞台を徘徊することになる。
 ならば、その責任は自分が取ろう。香霖堂に残り、もう一度彼女の正気を取り戻す道を模索してみよう。
 今は一人になって考えたいし、永琳との待ち合わせの件もある。それも加味した上での魔理沙の結論だった。

「……甘いな、お前は」
「何と言われようと、私は私のやりたいようにやる。お前らは先に人里に向かってくれ。
 私は幽々子を説得してから、二人でそっちに向かうからさ」
「……だからこそ」
「ぐっ! ……ぁ」

 ―――瞬間、藍の拳が魔理沙の鳩尾に突き刺さった。
 ロクに声もあげられないまま、崩れ落ちる魔理沙の身体を、藍は優しく抱き留めた。

「だからこそ、私たちにはお前のような者が必要なのだ」

 気絶した魔理沙を肩に担ぎ、藍は再び幽々子の方へと向き直る。
 魔理沙には悪いが、幽々子はきっともう、……壊れた。
 なまじ力の強い幽々子が暴走すれば、その被害は妖夢だけに留まらないのは明白。
 可哀想だが、ここで仕留めるしかない、と藍が一歩前に踏み出したその時。

「な……に?」

 どこからともなく現れた一匹の反魂蝶が、藍の行く手を阻んだ。まるで主人の身を守るかの如く。

「……妖夢、なのか?」

 それは誰にも分からない。
 反魂した者が、幽々子の力となって甦るなど聞いた事もないし、第一論理的ではない。
 なのに、藍には何故か、その蝶の出現が妖夢の遺志に思えてならなかった。
 くるり、と転身し、外に向かって歩き始める藍に、フランドールは訝しそうな視線を向けた。

「殺さないの?」
「……いや、どうやら一筋縄ではいかないらしい。私たちはここで死ぬわけにはいかないのでね」

 背中を向けたままの藍の答えに、フランドールは怪訝の色をますます深める。
 こんな奴、弾幕の一発も放てば、すぐに壊すことが出来るだろうに……。
 試しに撃とうとして、止めた。寝込みを襲って勝っても嬉しくも何ともない。
 それに魔理沙泣いてたし、とよくわからない理由で自分を無理矢理納得させて、フランドールも歩き出そうとした。
 ……その直前、スターサファイアの死に顔を、最後にしっかりとその目に焼き付ける。

(ありがとう、なんて言わないよ。あなたが勝手にやったことだし、死んじゃったら気持ちも何も伝えられないじゃない。
 ……でも、あなたの顔はずっと覚えててあげる。あなたの代わりにこのゲームを―――壊してみせるわ)

 それは小さな芽吹き。
 ただのお遊びとしか思っていなかった殺し合いに対しての、確かな反逆の狼煙だった。
 このゲームは絶対におかしい。間違っている。それをハッキリと気付かせてくれたのは、他ならぬ目の前の小さな妖精。
 彼女やパチュリーの死を無駄にしない為に、フランドールは戦う。
 今まで、他人の命などケーキや紅茶と同程度にしか思っていなかった破壊の吸血鬼が、抗う理由をようやく見つける事が出来たのだ。



【F-4 一日目 香霖堂 午前】
フランドール・スカーレット
[状態]頬に切り傷
[装備]レミリアの日傘
[道具]支給品一式 機動隊の盾(多少のへこみ)
[思考・状況]基本方針:まともになってみる。このゲームを破壊する。
1.魔理沙に同伴して紅魔館まで向かう。日なたは避けて移動する。
2.殺し合いを強く意識。そして反逆する事を決意。レミリアが少し心配。
3.永琳に多少の違和感。本当に主催者?
4.パチュリーを殺した奴を殺したい。
※3に準拠する範囲で、永琳が死ねば他の参加者も死ぬということは信じてます



【霧雨魔理沙】
[状態]蓬莱人、怪我は全快、服も新調しました。帽子はない。
[装備]ミニ八卦炉、ダーツ(5本)
[道具]ダーツボード、mp3プレイヤー
[思考・状況]基本方針:日常を取り返す
1.現在気絶中。幽々子を説得したい。
2.仲間探しのために人間の里へ向かう。
3.霊夢、輝夜を止める
4.真昼(12時~14時)に約束の場所へと向かう。
5.リグル・パチュリーに対する罪悪感。このまま霊夢の殺人を半分許容していていいのか?
※主催者が永琳でない可能性が限りなく高いと思っています(完全ではありません)
※永琳から輝夜宛の手紙(内容は御自由に)はまだ隙間の中です。
※隙間はほぼ全壊、まだかろうじて使えるレベルです。
※隙間の中に入ってたものは地雷の被害を受けている可能性があります



【八雲藍】
[状態]疲労(小) 気絶した魔理沙を肩に担いでいる。
[装備]天狗の団扇
[道具]支給品一式×2、不明アイテム(1~5)中身は確認済み
[思考・状況]紫様の式として、ゲームを潰すために動く。紫様と合流したいところ
1.永琳およびその関係者から情報を手に入れる。
2.会場のことを調べるために人間の里へ向かう。ここが幻想郷でない可能性も疑っている。
3.霊夢と首輪の存在、そして魔理沙の動向に関して注意する。
4.無駄だと分かっているが、橙のことが諦めきれない。
5.幽々子様を始末すべきだったのに、……私もまだまだ甘いな。

※F-4(香霖堂居間)に、妖夢とスターの死体、妖夢のスキマ袋が放置されています。
※それと藍たちは忘れていますが、六人分の情報を記したメモ帳と筆談の筆跡も落ちています(内容はお任せ)





 ―――白玉楼の中庭にある枯山水庭園。

 その景観は、楼閣の主人である西行寺幽々子にとって、お気に入りの一つである。
 縁側に腰掛けて、粗一つない白砂の水面や、ピカピカに磨かれた朱塗りの反り橋、庭石などを惚、とした表情で眺めていた。
 以前よりも数段手入れの行き届いた庭園を見て、従者の成長を実感し、そして嬉しく思う。

 ……従者、と言えば。
 最近、妖夢は歌詠みに興味を持ったようで、よく筆と短冊を持って自分の所へ教えを請うようになった。
 この雅の中でならば、さぞかし良い歌が詠めそうね、と幽々子は浮ついた心持ちで従者の到来を待ち続けた。

「幽々子様、お待たせしました」
「……あら? 今日は歌会を開かないの?」

 と、そこへ待ち人が現れるも、幽々子はその姿を見て拗ねたように唇を尖らせた。
 昔は幽々子より頭半分ほど小さかった妖夢も、今ではすっかり同じ目線となり、落ち着いた雰囲気を醸し出すようになった。
 しかし、その手に持つのは筆でなく、何故か代わりに二本の竹刀が握られている。

「ええ。ご教示賜っている御恩はちゃんと返さないと。
 というわけで、今日は私が幽々子様に剣術を指南させて頂きますね♪」
「……やっぱり成長したとは言っても、貴方はまだまだ花より団子なのかしらねぇ」
「団子ではありません。剣です」

 詩歌を作る時よりもよっぽど活き活きした顔で、えっへん、と可愛らしく胸を張る妖夢。
 そういえば、妖夢は雨を斬れるようにもなったらしく、長年の目標が達成できた、と喜んでいた。
 どんなに大人びても、そういう所はちっとも変わらないのは、妖夢が妖夢たる所以なのであろう。

「―――あ、れ?」
「……幽々子様?」

 妖夢の息を呑む音が聞こえた。
 頬が熱い、と不思議に思い触れてみると、指先に濡れた感触を感じる。
 幽々子自身も本当に意外そうに、ぽたぽた、と顎先から垂れる雫を、懸命に袖で拭った。

「ど、どうされたのですか幽々子様? ……あ! まさか剣を振るのがそんなにイヤだったのですか?」
「違……。違うのよ……」

 おろおろ、と主人の元へ駆け寄る妖夢の腕を引き、幽々子はぎゅっ、と少女の身体を抱き締めた。
 いつもとまるで様子が違う幽々子に、慌てふためく妖夢の顔は、未熟だったあの頃の彼女に戻ったかのようだった。

「ゆ、幽々子様、本当にどうしちゃったんですか?」
「わからない。私にも、……よくわからないの。でも―――」
「……?」


「―――嬉しいの。ここにこうしていられる事が、嬉しくて嬉しくて……堪らないのよ」


 泣きじゃくる幽々子の髪を、妖夢は子供をあやすように優しく撫で上げる。
 久しく味わなかった、その包まれるような安寧感に、幽々子は幸せそうに、本当に幸せそうに目を閉じた。

 それはもう一つの未来。
 手にする事の出来たかもしれない、幸せのカタチ。
 望郷に身を焦がす亡霊の少女が見た、―――泡沫の夢だった。



【F-4 一日目 香霖堂 午前】
【西行寺幽々子】
[状態]健康 親指に切り傷
[装備]64式小銃狙撃仕様(15/20)
[道具]支給品一式、不明支給品(0~2)
[思考・状況]気絶しているため不明
[行動方針]不明
[備考]小町の嘘情報(首輪の盗聴機能)を信じきっています

※幽々子の能力制限について
心身ともに健やかな者には通用しない。ある程度、身体や心が傷ついて初めて効果が現れる。
狙った箇所へ正確に放てない。蝶は本能によって、常に死に近い者から手招きを始める。
制御不能。それ以外の詳細は、次の書き手にお任せします。

【魂魄妖夢 死亡】
【スターサファイア 死亡】


【残り35人】


84:うたかたのゆめ(中編) 時系列順 88:文々。事件簿‐残酷な天子のテーゼ‐
84:うたかたのゆめ(中編) 投下順 85:無々色の竹
84:うたかたのゆめ(中編) フランドール・スカーレット 94:精神の願望/Mind's Desire(前編)
84:うたかたのゆめ(中編) 霧雨魔理沙 94:精神の願望/Mind's Desire(前編)
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84:うたかたのゆめ(中編) 西行寺幽々子 98:寝・逃・げでリセット! ~ 2nd reincarnation
84:うたかたのゆめ(中編) 魂魄妖夢 死亡

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最終更新:2009年09月09日 20:37
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