うたかたのゆめ(前編)

うたかたのゆめ(前編) ◆Sftv3gSRvM



『―――幻想郷は、平和なんだけどかなり危ういですね。人間らしいドロドロしたやり取りが一切無い平和です。
 ちょっと傾いたり穴でも空いてしまえば、サラサラ血さながらきれいさっぱり流れてしまう』

 これはある男の言葉。
 弾幕で―――例えば投げナイフなら―――人は簡単に殺せる。
 だが、それをしないのは、戦う双方にとって勝敗や優劣など二の次だからである。
 常識に囚われない幻想郷の住人たちは、根限り力をぶつけ合う過程こそを最も重きに置く。
 異変の発端において明確な『拘り』は少なく、妖怪側にとっては暇つぶし、人間側にとっては灸を据える程度の感覚でしかない。
 そこに蟠りや怨嗟は存在せず、さる天人が起こした傍迷惑な騒動でさえ、後顧の憂いなど無いに等しかったのだ。

 だが、それが破綻すればどうなるか。

 権謀術数が飛び交う死のパーティー。
 踏み躙らねば潰される、自己の存亡を賭けた血みどろの鎬の削り合い。
 幻想郷の住人の多くは、他者の命を奪った経験がないわけではない。
 むしろ、人に非ざる者たちは、必要悪の略奪をしたこともあるのだろう。
 それでも、このゲームは同じ『命を奪う』でも、その意味合いがまるで違う。
 捕食を目的としたものではなく、その命が尽き果てるまで、徒に噛み合う事を強要している。
 ある者は穢れから目を背け、またある者は血の味を覚え、多くの者は自分の居場所を求めて奔走する。
 新雪のような儚い平和は今も多くの足跡を刻み続け、犠牲者たちの血によって綺麗さっぱり流されていく―――








 Side A/

「―――妖夢!」

 これは……これは夢? それとも私―――魂魄妖夢―――はあの妖怪に殺されて、冥界に帰ってきたのだろうか。
 温かい両腕に抱きかかえられている。薄く瞼を開けると、そこには見紛うはずのない、捜し求めていた幽々子様のお姿があった。
 でも、そのご尊顔はひどく憂いの色を帯びていて、穏やかな主人の気性を象徴する、下げた眦からは今にも涙がこぼれそう。
 こんなにも切羽詰った幽々子様の声を聞いたのは初めてだった。こんなにも感情を露わにした幽々子様のお顔を見たのは初めてだった。
 私が不甲斐ないばかりに……。そう思うと申し訳なさで私まで涙が出そうになってしまう。
 思わぬ再会に安堵や喜びは勿論ある。だからこそこれ以上の失態は晒せない、と私は緩みかけた涙腺を必死に引き締めた。
 とにかく身体を起こそう、と身じろぎした途端、左肩に強烈な痛みが走る。

「痛……」

 身に刻まれた傷跡を目視することで、私は今更ながらにまだ自分が生きている事を実感した。
 でも、でも今はそれよりも。

「……いえ、何でもありません」

 幽々子様に取り繕うことの方が先決。
 気を揉ますような真似など出来るはずがない。気を遣わせるような素振りなど見せてはならない。
 私は幽々子様の盾なのだから。この方を守り通す一振りの刀であるべきなのだから。

「まだ動いては駄目よ」
「……心配には及びません。それよりも幽々子様がご無事で何よりです。お怪我などは」
「ないわ。……私のことよりもまずはその身を自愛なさい。無理が出来るような傷ではないのよ?」
「……あの妖怪から私を助けて下さったのは幽々子様ですよ、ね?」
「それがどうかしたの」
「助けてくれて、本当に感謝しています。……でもこれ以上、恥の上塗りは出来ません。
 主の御手を煩わせ、あまつさえ庇われる従者に何の価値がありましょう。ここからは命に代えても私が……」
「妖夢」

 ぴしゃり、と。私の決意は幽々子様の静かな声によって遮られた。
 能面のように何の機微も見せない表情は、とても私の言い分に満足しているようには見えない。
 ……やっぱり、不甲斐ない自分に失望されているのだろうか。
 こんなボロボロの姿では、従者の分を説いた所で何の説得力もないのはわかってる。
 無力感に打ち拉がれる私を他所に、幽々子様は不思議そうに私が身に着けている服の裾をつい、と摘んでみせた。

「……さっきから気になっていたのだけど、その服はどうしたの?」
「え? い、いや、今はそんなことどうでも」
「答えなさい。主人の疑問を払拭するのもまた、貴方の務めよ」

 そう言われては返す言葉が無い。私はここに至るまでの経緯を包み隠さず話す事にした。
 その間も幽々子様は、上半身だけ起こした私の背に腕を回し、ふらつく身体をしっかりと支えてくれている。
 心地好さと情けなさが同居した内心は揺れていて、説明中に舌を噛んだりした。……ホント、かっこ悪いとこばかりだなぁ、私。






「……香霖堂」
「はい。以前、人魂灯を落としてしまった時に、……お世話になった店です。店主が不在でしたので、その」
「代わりの服や刃物を拝借したというわけね」
「……です。肌を晒したままでは、集中力が乱れる恐れもありましたし、何より得物がないと不安でしたので……」
「……まぁ、事情が事情ですものね。もし無事に会えたら二人で一緒に詫びましょう」
「はい」

 小さく頷く妖夢を見て、私は言いようのない安堵に胸を撫で下ろした。
 この子は嘘が下手だから、何か疚しいことがあれば、すぐ顔に表れるはず。
 それがないという事は、妖夢はまだ誰も手に掛けていない。
 吸血鬼を襲ったという短慮は、確かに誉められたことではないけれど、小町の話を聞いた時からある程度覚悟はしていた。
 もし妖夢が私の為に誰かを斬っていたとしても、それを受け入れる覚悟を。
 でも間に合ったわ。一線を踏み越えていないのなら、いくらでもこちら側に繋ぎ止められる。まだやり直せる。
 目の前の妖夢は、私の知っている妖夢のまま。
 今はまだ不器用な未熟者だけど、人としての素養を持ち、そして勤勉で実直な彼女は、私には決してない『成長』という無限の可能性を秘めている。
 西行寺家の庭師兼警護役という妖夢の立場は、私にとってあくまで肩書きでしかない。
 可愛い妹であり、手の掛かる娘のようでもあり、何より変化に乏しい冥界の中で唯一、日々の移ろいを感じさせてくれる、―――私の未来。
 変わらないでいてくれた事が嬉しかった。生きていてくれた事に救われた。
 知らず頬を伝う涙。私は背中に回していた腕に力を込め、そっ、と妖夢を自分の懐へと抱き寄せた。

「……幽々子様。泣いて、いるのですか?」
「……ありがとう」
「え?」
「無事でいてくれてありがとう。此処にいてくれて……ありがとう」
「ゆ、ゆゆこ、さま……」
「貴方が涙を堪えるというのなら、私が代わりに泣いてあげる。
 寂しかった、心細かった、と言えないのなら、私が代わりに言ってあげる。本当に……、本当に無事で……よかったっ……」
「……ぁ、……ぅ、っく」

 私の言葉に耳を傾ける、妖夢の細い肩が小刻みに震え出した。
 ぎこちない動作で、それでもしっかりと私の背に腕を回し、抱き締め返してくれる。
 お互いの温もりを確かめ合うかのように、私たちは遅まきながらの再会の抱擁を交わした。
 胸の中に顔をうずめる妖夢の口から、小さな嗚咽が聞こえる。
 震えは一層強くなり、回された小さな手がギュッ、と縋るように私の衣を握り締めた。

「ごめんなさいっ。ごめんなさい……。泣いてたら幽々子様を守れないのに。こんなんじゃ警護役失格だってわかってるのにっ」

 ……無理なき事。
 見た目より長く生きているとはいえ、外の世界を碌に知らないこの子が、こんな野蛮な争いに巻き込まれ心を痛めぬはずがない。
 私の守護という大儀を盾に、ずっとその痛みを我慢してきたのだろう。

「咲く花も をそろはうきを晩なる 長き心に なほ如かずけり」

 泣きじゃくる妖夢の柔らかい白銀色の髪を梳りながら、私は詠(ちか)う。
 この子だけは絶対に死なせない。例え本人が何を言おうと妖夢は私が守ってみせる。
 貴方の開花をこの目で見届けたい。また皆と一緒に爛然と咲き誇る桜を眺めたい。
 それが私―――西行寺幽々子―――の願いなのだから。
 ……でも、同時に全く以って私らしくないとも思う。
 春の亡霊として在り続け、死を司るはずのこの身が、どうして今さら生の光に手を伸ばそうとするのだろうか?

「幽々子様の……鼓動が聞こえます。こんなにも温かくて、優しい音だったんですね」

 ……嗚呼、そういうこと。
 そういえば、今の私の身体には血が通っていたのね。
 亡霊生活が長かったせいか、言われても実感は薄く、反魂した事に特別な感慨も抱けない。
 だけど、こうしている今だけは。
 互いの命の音が通じ合える今だけは、実体である我が身に少しだけ感謝した。






「―――ぐすっ。申し訳、ありません」
「もう。その台詞、これで何度目かしら? いい加減聞き飽きたわ」
「で、ですが。これでは従者としてあまりにも……」

 ……最低最悪。
 私は今、幽々子様に『おぶられて』香霖堂に向かっている。
 肩の怪我を重く見た幽々子様が、一先ずそこで人心地つけよう、と提案したからだ。
 左肩には、水色の布が包帯代わりに巻かれている。幽々子様がわざわざ御自身の袖を破ってまで繕ってくれた応急処置。
 それだけでもいたたまれないというのに、挙句の果てにこの身は、失血と疲労で立つことすらままならなかったという始末。
 最初は傘を杖にしてでも、と粋がったものの、結局は幽々子様の有無を言わさぬ迫力に負け、私はこうして温かいお背中に預かる事となった。
 お気持ちはありがたい。ありがたいのだけど、最早従者としての意地やプライドは死に体同然です……。
 先ほどとは違う意味で滂沱の涙を流していた私に、幽々子様は道すがらぽつりぽつり、と今まで見聞した事を語り始めた。

 ―――死神と出会い行動を共にしようとしたが、彼女はこの殺し合いに意欲的らしく、逃げられてしまったこと。

「……とはいえ、きっと小町も貴方と一緒。大切なものを守る、という信念をもって自分を殺し、死神の本分に徹しているだけなのよ。
 だから止めてあげたいの。妖夢が動けるようになったら、まずは小町を探しに行こうと思うのだけど、それでいいかしら?」
「わかりました。……ですが、彼女が幽々子様に仇なそうとしたその時は」
「……それはないはずよ。彼女の目的は『幻想郷の上役』を残すこと。私もその内の一人らしいから」

 ―――参加者の一人である夜雀の亡骸と会話を試みようとしたが、何の声も聞こえなかったこと。

「私の能力にも制限がかかっているのでしょうね。
 出力と精度のどちらに影響を及ぼしているのかはまだわからないけど、軽々しく試せる類のものでもないし、今は保留するしかないわ」
「どこかに小動物か虫でもいれば試せるのですが……」
「あら。一寸の虫にも五分の魂という言葉を知らないの? 命を粗末に見ては駄目よ。勿論、貴方自身もね」
「……」
「大丈夫、この力は決して使わない。……尤も、どうしても使わないといけない時が来るとすれば―――」
「……?」
(―――それは、貴方を守る時)

 前を向く幽々子様の顔は、背負われている私からでは窺うことが出来ない。
 でもその声は凛としていて、私と大差ないはずの小さな背中が、何故かとても広く感じられた。

 ……だからなのだろうか。
 ほんの一瞬、この背中にいつまでも寄り添っていたい、と不覚にも思ってしまったのだ。

 私は恥じた。
 代々、西行寺の御庭番として主を支えてきた魂魄家の立場も使命も忘れ、幼子のように庇護を求めた。それもあろう事か我が主に対して。
 無責任すぎる。厚かましすぎる。例えそれが一瞬のこととはいえ、許されるはずがない……っ!
 幽々子様に包まれて、私は弱くなってしまっていたんだ。
 この方の優しさに甘え、大事にされている心地よさに腑抜けて、自分の心に刃引きしようとしていた。
 こんなことで幽々子様を守れるのか? 傷まで負って、文字通りただのお荷物にしかなっていないではないか。

 ……私は、何のためにここにいるんだ?






「それにしても懐かしいわね。知ってた? 貴方が小さい頃は、よくこうしてあやしてたのよ」
「……」
「妖夢?」

 何の反応もないことに訝しんだ私は、首だけ回して背後を見やった。
 妖夢の顔は俯いていて、その表情も前髪に隠れていてよくわからない。
 どうかしたの? と訊ねようとする前に、妖夢は地を這うような暗い声でぽつり、と一言呟いた。

「……降ろしてください」
「……どうして?」
「休憩はもう十分に頂きました。ここからは一人で歩けます」
「だからどうして? 今無理をすれば、後になって響くのは貴方にもわかるでしょう? ここは私に任せ「もう甘えられませんっ!」
「よ、妖、夢……?」
「……私は、私はもう子供じゃないんです。頼りないかもしれないけど、士のつもりなんです。
 後生ですから、甘やかさないで下さい。幽々子様の守護者としてお傍に置いて下さい……!」

 面を上げた妖夢の、涙の滲んだ瞳からは、決然とした強い意志が感じ取れた。
 彼女の性格からして、守られる側に甘んずる事を良しとしないのはわかっていた。だからこそ私の決意は黙っていたのに。
 一度これと決めたら、その道へと愚直に邁進する猪武者。それが妖夢だ。
 今の妖夢の目は正にそれ。これ以上、何を言っても無駄だと悟った私は、静かに腰を下ろした。
 まだ多少足がフラついているものの、回復したというのは嘘ではないようで、妖夢は先導するように私の前を歩き始めた。
 お互いを大切に思い合うからこそ、気持ちが擦れ違う事もある。香霖堂に着いてから、そこはゆっくりと話し合えばいい。
 よろめく妖夢の右腕を掴み、自分の肩に回す。こちらに振り向く苦々しい顔を無視して、私は声を掛けた。

「肩くらい貸してもいいでしょう?」
「……」

 ―――目的地まであと少し。








 /Side B

 世間様は立春の時分だというのに、相も変わらずこの森のジメジメした空気は変わらない。
 まー、そのおかげで年がら年中、キノコの採取には事欠かないとも言えるんだけどな。
 それにしても、ここが幻想郷ではないかもしれないって藍は言ってたけど、私にはとても信じられないぜ。
 生き物が不自然なまでにいないって点を除けば、私―――霧雨魔理沙―――を纏うこの空気は紛れもなく、肌に馴染んだ魔法の森のそれだった。
 もし、この場所が本当に『作られた世界』だって言うんなら、どこぞの現人神が裸足で逃げ出す程の奇跡だ。
 殺し合いをさせたいってだけで、こうまで見事に再現できるもんなのか?

 人間モドキ、式神、吸血鬼、オマケに妖精付きという奇天烈な一行は今、魔法の森を北に向かって縦断している。
 目的地は人里ってことになってるんだが、日光に弱いフランの都合を考えて、ギリギリまで陽を凌げる緑の天蓋に世話になろう、って算段だ。
 私が先頭に立ち、その後ろにはフランとスターなんちゃらって妖精。最後に藍が殿を務めて、周囲に気を配りながら歩いている。
 一応、この配置には意味があって、この中で一番森に詳しい私が道案内役。
 妖獣で感覚の鋭い藍が背後の奇襲に備える索敵役、といった所だ。フランたちは知らん。
 本当なら、目利きに自信のある私が罠の発見役も兼ねたい所だけど、地雷の件もある。
 外の兵器は流石に門外漢なもんだから、そこは慎重に移動するってコトで話は纏まった。
 道中の会話は、取り留めのない世間話……ではなく、お互いの情報交換が主だ。
 フランに訊ねてみると開口一番、とんでもない爆弾発言をかましてくれやがった。

「主催者に会ったよ。……八意永琳、だっけ?」
「「何ィ!?」」

 これには私だけじゃなく、二人を挟んで向かい合ってた藍も反応する。
 藍がずい、と身を乗り出して、事の次第を問い質した。

「そ、それでどうなった? 戦ったのか?」
「うん。鬼や河童も出て来て一緒に。……結局、逃げられちゃったけど」
「……萃香とにとり、か。こりゃまた随分と珍妙な組み合わせだな」
「八意永琳は何か言ってなかったか? 例えばこの異変に関しての事とか」
「ん~。私が主催者だとか、私を殺したら皆の首輪が爆発するとか、偉そうに言ってた。……でも」
「でも……何だ?」
「……ううん、何でもない。どっちにしたって、アイツは私が殺すから」

 眉を寄せて訊ねる藍に、フランは思い直したかのように首を振って答えた。
 それにしても永琳のやつ、一体何考えてんだ。
 フランと萃香に囲まれたんだ。そりゃ切羽詰まるのもわかるが、わざわざ自分の立場を悪くしてどうすんだよ……。
 私が執り成すべきか? 証拠もない、確信にも至ってない主観だらけの根拠で?
 ……下手すりゃ永琳と通じてると思われかねない、分の悪い賭けだな。
 でもこのままでいいわけない。あいつに義理立てる理由はないが、誤解されたままくたばられたんじゃ、流石に寝覚めが悪いぜ。

「……そういえば、博麗の巫女も殺し合いに乗ってる、って言ってなかったっけ?」

 皆が立ち止まって思案する中、そこに挙がったのは今まで黙っていたスターなんちゃらの鶴の一声だった。
 その言葉に目を見開いて驚いたのは、紫を通じて結界の管理に携わっている藍。
 霊夢の重要性と、その人となりくらいは知ってるハズだ。……そりゃ信じられないだろう。

「そんな、馬鹿な。あいつも紫様と同じ、幻想郷の立役者なのよ……!
 博麗の巫女なら、我先に異変の解決に向けて行動するはず。まさか、……あの霊夢が」

 口に手を当て、視線を落とし、掠れた声で呟きながらも、怜悧な容貌にそれ以上の動揺は見受けられず、今は何やら考え事に耽っている。
 きっと、霊夢に対抗する術でも練り上げているんだろう。
 まさかと言いつつも、湧き出た可能性に即座に対応するその冷静な判断力は本当に心強い。
 もし、私が藍と同じ立場だったら、きっとこうはいかなかっただろうからな……。

「ああ、忘れてた。紅白が乗ってるってのは多分本当。鬼も同じこと言ってたし。きっとどこかで会ったんでしょうね」
「……私も霊夢に会ったぜ」

 フランに次いで、ポツリ、と零した一言に、三つの視線が同時に私へと注がれる。
 いつかは言わなければいけない事だ。ついでと言っちゃなんだが、軽く永琳のフォローもしといてやるか。

「私がここに来て最初に出会ったのが、リグルっていう蛍の妖怪だった。
 そいつとはまぁ……色々あって逃げられちまったから、慌てて追いかけたんだけど。
 ……追いついた時にはすでに刀を持った霊夢に殺されてた。そして、……私も襲われたんだ」

 思い返すことで、リグルに対する罪悪感がぶり返す。霊夢への恐怖に震えが来る。
 あいつは、リグルは私よりも知恵が回らなかった。そして、私よりも事の本質を見抜いてた。
 小利口な頭で、勝手にこのゲームを異変の延長線上だと決め付けて、リグルを追い詰めたのは……私だ。

 ―――『魔理沙。あんたは何も分かってないのよ。なぁ~んにも』

 ……ああ、今だってさっぱりわかんねーよ、霊夢。
 この殺し合いの意味も、お前が殺しに走った理由も、何もかもだ。考えたくもないっ!
 パチュリーが聞いたら怒りそうだな。「思考する事を止めたその時が、私たち魔法使いの終焉だ」って。
 今となってはもう、……それが叶うこともないけれど。






「―――と、いうわけさ。私は殺し合いの初っ端から、一番意外性の高い出来事に遭遇したんだ。
 だからもう、大抵のことで驚くつもりはないぜ。
 ……例えば、実の主催者は永琳じゃなくて、あいつを傀儡にした別の人物だったとしても、な」
「……!」

 魔理沙の話が終わり、その締めに放った一言に私―――フランドール・スカーレット―――は少し驚いた。
 そんなありもしない例えを、何故わざわざ口にするのだろう。それも思わせぶりな言い方で。
 魔理沙は何か知ってるの? こいつもあの女の微妙な不自然さに……気付いてる?
 黒白の真意を測りあぐねてるのは私だけじゃないらしく、狐の式も神妙な面持ちで口を開いた。

「……何故、そんな事がわかる? お前の口ぶりからすると、ただの比喩には聞こえなかったのだが」
「そいつは気のせいだ。何しろ、イマジネーションは魔女にとって呼吸みたいなもんだしな。
 意表をついたとこまで考えを巡らせちまうのも、別におかしな話じゃないと思うぜ?」
「……」

 あれはあくまで例え話、と主張する魔理沙。……でも本当にそうだろうか?
 八意永琳と実際に対峙した私は、さっきの言葉を聞き流すことなんか出来なかった。
 隣にいるスターに小声で話しかける。彼女も私と一緒に永琳を見た一人だ。今は少しでも他人の意見が欲しい。

「どう思う?」
「うーん。わたしは永琳が主催者だと思うなぁ……。操られてるようには見えなかったし」

 ……確かにあいつの目には、強い意志の光が瞬いていた。私はあの目を遠い昔に見たことがある。
 私の幽閉が決まった運命の日。あの時のお姉様も、あいつと同じ目をしていた。
 何かに耐えるような、覚悟を決めたような、それでいて決して自分を曲げない孤高の決意を宿した瞳。

 ―――『これは遊びなんかじゃない。“殺し合い”なの』

 暇があれば、今も頭の中で勝手に反芻されてしまう、八意永琳の言葉。
 もしかしたらあの女にも、ゲームに対して自分なりの覚悟があるのかもしれない。
 でも、だったらどうしてあの後『楽しいお遊戯』なんて嘯いたの? あいつの本心はどこにあるの?
 ……わからない。
 永琳を殺す事に変わりはないのに、そんな相手の事情を、真剣に考えようとする私自身が何よりもわからない。
 私は変わっちゃったのかな? ―――ねぇ教えてよ。咲夜、パチュリー、美鈴、……お姉様。






 ―――八意永琳は、真の主催者ではない、……か。

 ……成程。一見、奇を衒った意見にも聞こえるが、あながち的外れではないかもしれないね。
 そもそも、月の頭脳がどれ程優れていたとしても、力が伴わなければこの惨劇は生み出せない。
 特に他者の能力に干渉するなど、相手の力を余程上回っていないと不可能なはずだ。
 最初は薬物の線も考えた。だが、薬で抑えられるとしてどうやってそれを飲ませる? 私たちは案山子ではない。
 ならば八意永琳は、紫様や霊夢、私―――八雲藍―――も含めた実力者を全て相手にして、それを圧倒出来る程の絶対的な力を持っている?
 答えは否。実力を隠しているのは何も永琳だけでない。紫様とてそのお力は底が見えない程に、戦慄を禁じえない程に凄まじいのだ。
 何より、彼女が本当に幻想郷のバランスブレイカーなら、永夜異変に関わった紫様が、何の対策も立てずに放置するはずなどない。
 我が主を信頼しているからこその確信。
 世界を模造し、大妖木端妖怪問わず枷を嵌め、博麗の巫女を手先にするなど、八意永琳一人の手で行える可能性は限りなく低い。
 少なくとも協力者、もしくは裏で糸引く黒幕がいると考えるのが自然だろう。

 だが、全ては私の推測に過ぎない。
 紫様と情報交換する際の、見解の一つとしては成り立つだろうが、それ以上でも以下でもない。
 それにしても私は頭が固いのか。先入観に捉われ、こんな簡単な疑問にも至れなかったなんて。
 魔理沙の柔軟な発想には舌を巻く思いだ。やはり彼女に協力を仰いで良かった。
 ……しかし、だ。
 魔理沙は永琳とそこまで親しかったのか? 確か苦手な部類に入る、と聞いた記憶があるのだが。
 なのに何故、彼女をここまで好意的に解釈する必要がある? 欲目で見ていると言ってもいい。
 他に何か根拠があるのか。或いは永琳と魔理沙は、すでに遭遇していて―――

 ―――裏取引を行っている可能性も、無きにしも非ず。

 ……これはまた飛躍しすぎだな。推測にさえならない、私の勝手な憶測だ。
 永琳が傀儡であれ、黒幕に担がれた哀れな被害者であれ、危険視すべき人物である事に変わりはない。
 魔理沙が同類であるとは思いたくないし、殺し合いを止めたいという彼女の願いは本物のはずだ。
 ……だが、一度芽生えた以上は心に留めておこう。
 我ながら勘繰りすぎる、と思わないでもないが、この状況で紫様や橙以外の相手を無条件で、全面的に信用できるほど私はお人よしではない。
 些細な見落としが、時として致命的なミスに繋がることもある。私はそれをよく知っている。
 目下の案件は、霊夢が敵に回っている事と、永琳の生死と直結しているらしいこの首輪の存在。
 そして、魔理沙の動向にそれとなく注意する、と言ったところ、……か。
 やはり人間とは面倒な生き物だな、と私は肩を竦めて嘆息を漏らした。






 その後は特に語ることもなく、湿った風を背に受けて、風来坊よろしく歩くこと早四半刻。
 そろそろ魔法の森の入り口付近。私たちは見知った古道具屋の近くまで差し掛かっていた。
 そうなると必然的に、私の脳裏にはあの物臭な仏頂面が浮かんでくる。
 香霖、か。あいつは今どこにいるんだろう。私たちと同じ空の下にいる事は確かだが、あいつ弱っちいからなぁ。
 こんな理不尽な異変に巻き込まれ、やっぱり途方に暮れてるんだろうか。
 それとも、適当に参加者とっ捕まえて、自慢の薀蓄をタラタラ垂れ流してるのかもしれない。
 ……くくっ。後者の方がよっぽどあいつらしいや。
 その光景を想像して、私は密かに笑いをかみ殺す。……香霖、お前もまだ生きてるよな?

 霊夢が親友なら、香霖は根まで腐れた、切っても切れない間柄と言ったところか。
 でも、私の日常を構成する大切な要素の一つで、あいつがいなくなるなんてとても考えられない。
 それに香霖が死んじまったら、誰が私の八卦炉をメンテナンスするんだ。私はお前以外の奴にこいつを触らせる気なんてないぞ。
 お前もいずれは拾ってやるからな。それまで無事でいてくれよ。

 ……と、そこで私はある事を思い出した。そういやあの店には確か―――

「おーい、ちょっと提案があるんだけど、聞いてくれるか?」
「……?」
「どうした?」

 前を歩いてた私が、突然背後を振り返り声を掛けたことで、三人は不思議そうに聞き返す。

「この先に香霖堂ってボロ屋があるんだが、一旦そこで骨休みをしないか?
 フランも日中歩き詰めは結構辛いだろ。もうすぐ森から抜けなきゃならないんだし」
「私は平気だけど。……別にどっちでもいいよ」
「わたしはさんせー。疲れたしちょっと休みたいかも」
「……あまり気は進まないね。移動を始めてからまだそんなに経ってないし、休むのは人里に着いてからでもいいんじゃないか?」

 賛成一票、反対一票、中立一票……ってトコか。
 でも、反対である藍の意見が一番真っ当な気がするぜ。特に今は、一分一秒が惜しいのは私にもわかってるからな。
 だからこそ、私の我が侭に付き合わせたくなくて、搦め手で切り出したっていうのに。
 ……ま、仕方ないか。藍だって一応淑女なんだし、私の気持ちもわかってくれるだろ。

「……実を言うとだな。あの店には私のエプロンドレスのスペアがあるんだ。
 没収されるほどのモンでもないし、運がよければまだ残ってると思ってな」
「……ああ。そういえば、あそこの店主とお前は馴染みが深いらしいな」
「そいつは心外だが、着替える時間だけでも許可してくれると、とても助かるぜ」

 そう言って血と穴でボロボロになった裾をくいっ、と指でつまんでみせる。
 藍もそれで納得してくれたようで、やれやれ、と苦笑しながらも頷いてくれた。
 歩みを再開しようと、私が一歩足を踏み出そうとしたその時。

「―――あ。ま、待って。今動いた。……人の気配を感じる!」

 その言葉は、獣以上の超感覚を持つ藍……じゃない。
 フランの傍らに立つ妖精、スター―――もうなんちゃらはいらんだろ―――のものだった。
 でも、なんでこいつにそんな事わかるんだ? こういうのは先に藍が気付くもんだろ。
 半信半疑な私は、藍の方に顔を向けて確認することにした。

「藍、ホントか?」
「ちょ、ちょっと! 何でわたしに聞かないのよ! ホントに決まってるでしょっ!!」
「大声を出すな。……いや、私にはわからない。
 何しろここに来てから、力だけでなく身体機能まで大幅に制限されてしまってる状態だからね」
「じゃあ、何でこいつにはわかるんだよ?」

 私と藍が、頬を膨らませているスターを怪訝な顔で見ていると、フランが「あれ? 言わなかったっけ」と小首を傾げた。

「スターは支給品よ。『動く物の気配を探る能力』を用途とした道具扱いでここに来たみたい」
「そ、そうなのか? ……あー。そういや、そんなイタズラもあったようななかったような」
「……つまり、私が気を張って歩く必要などまるでなかったというわけか。何故言わなかった?」
「聞かれなかったから」
「……」

 不満そうにぼやく藍に、フランはしれっとした態度で返す。その隣では、スターが得意そうな顔でふんぞり返っていた。
 ……って、そんな事してる場合じゃない! 本当に誰かいるんなら、少しは用心しとかないと!

「おいガキんちょ! どっちの方角だ? 気配はいくつある?」
「ガキんちょって言うな! わたしにはスターサファイアって名前があんのよ!」
「あー、もう! んじゃスター! 気配がどこにあるのか教えてくれ!」
「……お前ら、少しは静かに出来んのか」

 くっ。『お前ら』って妖精と一括りにすんな。同レベルみたいで割と本気で傷つくじゃないか。
 スターも恥ずかしかったのか、赤らめた頬に手を当てながら目をつぶる。
 しばらくすると特定が終わったのか、スターは香霖堂の方角に向かって指さした。

「……気配は二つ。どうやらあっちにも気付かれたみたいね。動きが大きくなったわ」
「店の中にいるのなら、このままやり過ごすことも出来るだろうが、……どうする?」
「そんなの決まってるぜ」

 そう言って私は歩き出す。―――香霖堂に向かって。
 私たちの目的はなんだ? 仲間を集めて、この殺し合いをぶち壊すことだろ。
 その為には、参加者との遭遇は避けて通れない道だ。ここで尻込みするようじゃ、霧雨魔理沙の名が廃るってもんだぜ!

「戦力的に後れを取ることはないでしょ? ……私も行くわ」
「あっ、待ってよフラン」
「……やれやれ」

 私に少し遅れて、フラン、スター、藍の三人もついてくる。
 ……さーて、鬼が出るか蛇が出るか。
 僅かに高鳴る胸を抑えながら、私たちは今後の未来を占う舞台に向かって、―――歩き出した。


82:人形遣いのフィロソフィ 時系列順 84:うたかたのゆめ(中編)
83:ゆめのすこしあと 投下順 84:うたかたのゆめ(中編)
59:覚めない魔女の夢 フランドール・スカーレット 84:うたかたのゆめ(中編)
59:覚めない魔女の夢 霧雨魔理沙 84:うたかたのゆめ(中編)
59:覚めない魔女の夢 八雲藍 84:うたかたのゆめ(中編)
68:108式ナイトバード 西行寺幽々子 84:うたかたのゆめ(中編)
68:108式ナイトバード 魂魄妖夢 84:うたかたのゆめ(中編)

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最終更新:2009年07月31日 00:51
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