◆Ok1sMSayUQ
Stage3.
楽園
「来てやったぜ」
一歩踏み込むと、そこは青白い光とのっぺりとした暗闇が支配する陰気臭い空間だった。
あちこちにある箱のようなものは何かの機械なのだろうが、自分達が地上の城を根こそぎ吹き飛ばしてしまったからなのか動きは止まっている。
そうでなければ、ここに来ることなど出来はしなかったのだが。
「来てしまったか」
視線の先、部屋の最奥にある机に頬杖をついて座っているのは一人の男だった。
恐らくはアレが――『楽園の素敵な神主』。
自分達を殺し合いに巻き込み、見世物のように眺め、霊夢を初めとした様々な幻想郷の皆を狂わせてきた元凶。
言い換えれば、この男さえいなければ、今回の異変だって起こらなかった。この男一人のためにどれだけの苦しみが生まれ、どれだけの悲鳴が木霊してきたのか。
湧き上がる思いは、しかし怒りや悲しみに変わることはなく、静かに魔理沙の中へと堆積してゆく。
それは追随する五人の仲間も一緒のようで、魔理沙に歩幅を合わせ、一言も発することもなくついてきてくれていた。
任されているという感覚がある。いや、それぞれに任せあっていると言う方が正しいのか。
自分ひとりだけの気持ちではなく、仲間全員で選んだものこそが選択であるというように、自分達は固まって進んでいる。
そう感じられることが、魔理沙に勇気を与えてくれていた。
「それにしても、よく踏み込む気になったね。別にあの城を破壊したところで、首輪が無力化できる保障なんてなかったのに」
「確信はあったさ。前にも言ったはずだぜ、お前は首輪の爆発如きで物語を終わらせたくはないはずだとな」
言い切り、六つの首輪を机の上に放り捨てる。カラカラと思ったよりは軽い音を立てて、男の手元に外された首輪が転がった。
分厚い眼鏡の奥にある瞳がちらと動き、なるほどと納得の色を見せたように感じられた。
「小手先の問答はもういい。お前が何者か、教えろ」
一方的に尋ねてくるばかりで、手の内を見せようともしない。
目的も、動機も、一切を語ろうとしない癖に自分達には探るような言葉ばかり投げかけてくる。
先ほどの会話では逃げられたが、もう逃げ道はない。
ミニ八卦炉を魔理沙が構えるや、文が団扇を、空が制御棒を振りかざす。
「鬼ごっこはお終いです」
「だんまりを決め込むなら、たとえ神様でもふっ飛ばすよ」
後ろに控えている三人も、いざとなればすぐに飛び出せる用意を整えている。
逃げ場などどこにも存在しない。加えて男は見る限り丸腰のようだ。どんな能力があったとして、無傷ではいられない布陣のはずだ。
そんな状況だというのに、男はまるで焦る様子もなく、鷹揚に椅子から立ち上がり、落ち着けとでも言うように手をヒラヒラと振る。
「無礼は承知だよ。すまなかったね。それで、まずは僕の正体だっけ? 答えよう」
のんびりとした口調に少々苛立ったが、そうなっては相手の思う壺だと心を鎮め、魔理沙はミニ八卦炉を下ろす。
文と空も気勢を削がれた形で、それぞれの得物を下ろした。
「君達が思っている通り、僕はこの世界の造物主と言っても過言ではない」
造物主。こうもあっさり口に出されると真実はあまりにも陳腐なものだと皮肉の口を開きたくなる思いに駆られる。
そうなると、自分達ですら作り上げたと言うべきなのか?
生まれた疑問に答えるように、続きの口が開かれる。
「君達は別だよ。正確なところを言えば、君達が今居るこの世界、そして仕組みを作ったと言うべきかな」
「仕組み……私達の記憶操作にも関係が?」
「鋭いな、東風谷早苗。そう、この世界にはちょっとした決め事があってね。
端的に言うなら、『この世界で見た、元の世界とよく似た風景は、違和感が生じにくくなる』とかね」
「え、えっと、どういう……?」
「つまり、この世界に動物や虫がいないのをおかしいとも思わなくなるということさ、サニーミルク」
「あっ、そういえば!」
「まあこうやって一度認識してしまえば明らかな違和感となってしまう程度のものだけどね」
「道理で……では、異変に対する記憶が混ぜこぜになっているのも同じ理由ですか」
「そうだな、まあ半分はそうとも言える。もう半分は博麗霊夢が仕組んだことなのさ」
「なっ、霊夢が……!?」
「別に僕の存在を認知していたわけではないよ。より具体的に言うと、数ある異変の解決パターンから、霊夢が一番いいと思った結果を引き寄せた」
「なんだと……!?」
「僕が異変の解決パターンを用意したんだ。例えば、西行妖の異変。あれは博麗霊夢、霧雨魔理沙、十六夜咲夜の三人に二つのパターンの異変解決法を持たせた。
そして霊夢が、無意識下で彼女が一番いいと思ったパターンを選んだのさ。僕がその三人を選んだのは、まあ人間だからって理由だけどね」
軽く冗談を疑うレベルの言葉だったと言ってもいい。
つまり、それは、あの異変の解決は予め定められたものであり、解決できる人物も既に三人しかいなかったということだ。
そして結末は霊夢が無意識で選んだものであり……自分の意志で行動したと思っていたことは、全てこの男の筋書き通りということだった。
なるほど、造物主を語れるわけである。ひょっとするとこの結果自体、用意されたものだったのかもしれない。
言葉一つで絶望感に包まれかけた魔理沙だったが、膝をつきたくなることだけは堪えた。
鵜呑みにするな。考えろ。自分の頭で論理を紡ぐんだ。
「……私達は別、と言ったな。もしお前が筋道を考えなければ、お前の書いた結果に収束されることもないんだな」
「もうひとつ。霊夢さんが結果を選ぶことを放棄しても同じことになりそうですよ」
紡いだ言葉を援護してくれたのは文だった。
そうだ、ひとりじゃない。
誰も諦めていない。少しだけ周囲を見回し、全員気力は失う様子など欠片もなかった。
全く、頼もし過ぎると悪態をつきたくなった。
「そうだね。まさしく今回はそのパターンだ」
「……それだと、その霊夢が結果を選ぶことを放棄したってのは?」
「恐らくだが、萃香の時の異変と天子の時の異変だ」
「う、うにゅ。私関わってない」
「はは、正解だ、霧雨魔理沙。あの異変に関しては僕はそれほど筋道を考えてはいない。精々霊夢が関わるようにしたくらいだ。誰が解決するかは決めてないよ」
「だろうな。あの時の霊夢は私でも勝てたんだ。異変となっちゃ常勝のはずの霊夢にな」
そして、今回も。
「……さっきから、霊夢霊夢ってやけに贔屓にしてるように見えるんだけど?」
「君は尖ったね、
フランドール・スカーレット。確かに贔屓にはしてたよ。でもね、それは彼女の願いを僕が汲み取っていたからだ」
「霊夢の思い通りに世界を動かしてたって言いたいの?」
「かもね。彼女の思想は気に入るものがあったからだ」
フランドールの視線が向くのが魔理沙には分かった。
より霊夢を知悉しているのが自分であることは明白だ。それに霊夢と戦い、一番言葉を交わしているのは自分だ。
「霊夢は、幻想郷のために色々やってた。最初はきっと、皆のために」
いや最後まで、霊夢は幻想郷のことを考えてはいたのかもしれない。
望まぬ形ではあっても、もうそうするしかないと決断して、もうこれ以上は変わることはないのだと絶望して、霊夢は皆殺しを望んだ。
「博麗の巫女自体は妖怪が選んだものに過ぎないが、能力を与えたのは僕だ。誰をも特別視しない彼女は主人公に相応しかった」
「確かに霊夢の思い通り世界を動かせるんならそうだろうが……選択肢はお前が与えたんだろ。私からすれば、お前が選択肢を狭めているようにしか思えない」
「これでも最善の選択肢は与えたつもりだ。原因は寧ろ君達にあったと思うけれど?」
「……ああ。最後は、私達が変わらなかったことに失望して殺すしかないと思った」
「そう、結局君達はこうでもしない限り何一つとして変わらなかった」
「認めたくはないが事実だった」
こんなに幻想郷から人妖が失われて、ようやく気付くほどには。
「ですけど、今の私達には信じられるものがあります。信じるものがあります。私達はただ見下してるばかりじゃない。
臆病だけど、恐怖に怯えてるかもしれないけど、間違いに気付ける心があるんです」
「色々語ってくれたところ悪いけど、やっぱり私はあんたが嫌いだ。そんなに変わるところを見たかったんなら、自分が降りてくれば良かったのに。
眺めるだけで関わろうともしない。他人事のように見てきただけのお前を、私は認めるわけにはいかない!」
早苗と空が強く反発し、戦うことも躊躇わない強靭な意志を見せる。
文も、フランドールも、サニーミルクも無言ながらも同調する。
「……敵対するつもりかな? 目的は一致していると思うのだけれど、ね。霊烏路空」
向けられた言葉に対し、男はただ言葉を返した。
それだけのはず、だったのに。
「え……っ!?」
「消え……た」
つい先ほどまで、そこにいたはずの、空の姿が。
いたことですら、幻であったかのように。
跡形もなく消えていた。
一切の痕跡もなく。
「君達は勘違いしているようだが、僕は幻想郷を滅ぼしたいわけじゃない、フランドール・スカーレット」
「――!」
口を開き、なにがしかを喋りかけたフランドールは、次の瞬間には粒子の塵となって消失した。
その塵ですら暗黒に飲まれて溶けて消える。呆然と見つめているしかなかった間に、男は次の祝詞を告げていた。
「心配はいらない。あるべき場所へ君達を戻しただけだ、サニーミルク」
今度はサニーミルクが。
「君も好きだったよ、射命丸文。よく苦しんだ。もういい」
文が。
「やめろ……! もういいだろ、やめろっ!」
「君達の勇気は無駄ではなかった。きっと次に引き継がれるだろう、東風谷早苗」
魔理沙が絶叫し、早苗に無我夢中で手を伸ばす。
早苗も手を伸ばしかけ、しかし指は絡まることもなく。
彼女もまた、砂よりも小さい粒子となって消えた。
握った拳にすら、彼女達の残滓は感じられず。
――そして誰もいなくなった。
「ふざ……けんな」
崩れ落ち、床を殴りつける音だけがたった二人しか残されていない部屋に残響した。
やっとここまで来たというのに。創造主がただ一言名前を呼んだだけで、全てが喪失した。
読み違いだったというのか? こんなあっけない方法で全てを終わらせ、終止符を打つほど自分達の存在は取るに足らないものだったというのか?
「絶望したかな」
靴が床を叩く音が聞こえ、近づいてくるのが分かる。
勝負にならないことなど分かっていた。無駄な抵抗でしかないことも承知だった。
自分達はとうの昔に、最初から終わっていたのかもしれない。
けれども、だとしても。
「諦められるか……諦められないよな!」
立ち上がり、膝を立てたその瞬間には、魔理沙は男の喉元にミニ八卦炉を突きつけていた。
殺せるか分からない。殺したとしても、あるべき場所に戻ったという皆を救い出せるか分からない。
その先で幻想郷には帰れるのか。幻想郷が無事である保障はあるのか。無明の闇に踏み出すことでしかないというのに。
「私は霊夢と約束したんだ!」
「やり直す、って?」
動じない。動じるわけがない。
当然だ。我侭を突きつけているだけの自分に論理など欠片もないのだから。
意地だ。仲間が消されて激情に駆られているだけなのだと、自分でも分かる。
「このまま戻ってやり直せると思うかい? そこまでして、君に得られるものはあるのか? 君の何が救われる?」
「……私は……!」
「皆が楽しく暮らせる幻想郷。けどその中に君はいる? 今の君は蓬莱人だ。同じ時間は生きられない。いずれ別れが来て、そして孤独になる」
「っ……」
「それでも他者がいるならいい。でもね、何万年、何億年が経過して、その時まで幻想郷が続いていると思う? 君では到底支えられない」
魔理沙は、答えることができなかった。
それを見て取った男が、続けざまに言葉を吐く。
「今の幻想郷は残念ながら終わりだ。だがやり直せる。君が優勝者になればいい」
「やり直すんだ。文字通り。今度は君が霊夢の役割を果たす。いや霊夢と共に未来を選択できるようになる。僕がそうする」
「紅霧異変から、ね。最初は戸惑って、適切な未来を創造できなかった。だが今度は違う。異変は君と霊夢で解決するんだ」
「君と霊夢は話し合う」
「協力して異変を解決する」
「時には仲違いもするだろう」
「けれど最終的には、絆を深め合いながら解決してゆくんだ」
「それは妖怪達、引いては幻想郷中に波紋を起こす」
「わだかまりは少しずつなくなってゆくのさ」
「宴会が始まって、博麗神社はいつもの陽気な騒ぎに包まれる」
「君はただの人間として、それを眺めていられるんだ。隣には霊夢がいる」
「君と、霊夢が望んだ世界だ」
「そして僕も望む。幻想郷にはね、こんな外の世界みたいな争いはいらないのさ」
「少女達は、ただ可憐であって欲しいだけだ」
「けれど霊夢一人では為し得なかった」
「霊夢と同じ願いを持つ者が欲しかった」
「霧雨魔理沙。君だ」
それが、私。
真に幻想郷をやり直すために、私は選ばれた。
そしてこれは、まず間違いなく私の望んだ結末であった。
やり直せる。ここで無念のうちに死んでいった者は蘇り、普通の人間に戻り、軋轢や逼塞が生まれない世界へと歩いてゆける。
きっと、それは、みんなが望んだ世界なんだろう。
今の私じゃ決して掴み取れない理想郷なんだろう。
これ以上文句のつけようもない終わり方に違いない。
苦しかった。悲しかった。辛かった。そんなここでの出来事は、きっと生まれるための痛みで、
報われる。救われる。繋がれる。あるべき場所に戻ったという彼女達も、きっと幸せを始めている。
孤独じゃない。ひとりじゃない。そんな場所に戻れるのだ。
待っているのは悲惨なんかじゃないと断言できる。
だから、私は――
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最終更新:2012年10月05日 21:43