眞一郎は、下着代わりのTシャツとトランクスだけを身に着け、バスルームから出た。
さっきまで点いていた部屋の明かりは消されていたが、真っ暗で何も見えないというわけではない。
弱まった雪雲の隙間から差し込む月光が、室内を蒼く塗装し、神秘的な雰囲気を醸し出している。
テーブルの上には、二人で食べたシチューの皿がそのまま……
そして部屋の隅に、先ほど自分が脱ぎ捨てた服がきれいに畳んで置かれていた。
「眞一郎くん」
頭上、斜め上の辺りから自分を呼ぶ声。
期待や喜びとは違う『何か』を秘めた透明な声音が、「来て」と短く告げる。
眞一郎も同じ様に「うん」と短く答え、ロフトへと続く階段を登る。
浴室から漏れた湿気とエアコンの暖気で、下よりも少し暖かな彼女の寝所。
たどり着いたその世界で、比呂美は眞一郎を待っていた。
「…………」
「? なに?」
「……あ……いや……」
ブラとショーツ……その上にパジャマの上着だけを肩に羽織って正座している比呂美の姿……
それを目にして、眞一郎は頬が火照るのを自覚したが、前に進む覚悟が萎えることはなかった。
……やはり恥ずかしいのだろう…… 目と目が合うと、比呂美も膝小僧の辺りに視線を落としてしまう。
だが、それもつかの間だった。
眞一郎が真正面に正座するのを感じると、澄み切った顔を上げて比呂美は言う。
「私たち、酷いことしようとしてるね」
「…………」
朋与は今、一人で傷の痛みに呻いている…… それなのに自分たちは……
愛し合っているから……求め合っているから…… それだけでは決して許されない、拭い去れない罪悪感。
それを比呂美も感じているのだろうか?
(……でも……それでも俺は……)
比呂美が欲しい。今、比呂美を抱きたい。今夜でなければ意味が無い。
許されなくてもいい。『最低』の烙印を押されても構わない。
弱い自分……情け無い『仲上眞一郎』を比呂美に見て欲しい。
そして……自分の隣を並んで歩いてくれる大切な存在を……比呂美をこの手に掴みたい…………
「比呂美…… 俺、こんな風にしか出来ない」
「……うん」
それでいい、と比呂美は言った。それがあなたらしい……私たちらしいと。
誰かを傷つけたことから逃げず、ちゃんと胸に刻みつけようとする眞一郎だから……私は愛しているのだと……
(……あぁ……)
誰に感謝すればいいのだろう。この人が……『湯浅比呂美』が自分の目の前に存在することを。
眞一郎はそう思わずにはいられなかった。
「……眞一郎くん……」
比呂美の両腕が、眞一郎を迎え入れる意志を示すように大きく広げられる。
肩に掛かっていただけの寝間着が背中の向こう側へと落ち、比呂美の滑らかな肌が露になった。
(…………きれいだ…………)
視界の左側から差し込む月の光線が、目前の少女の姿を蒼く染める幻想的な光景に、眞一郎は思わず息を呑んだ。
何度も……何度も求めた……心の底から欲する存在がそこにいる。
眞一郎は自分の二の腕を比呂美のそれに交差させるように身体を寄せ、その背中に手を回した。
比呂美の細い腕も眞一郎の後頭部を抱える形となり、熱を帯びた頬と頬が触れ合う。
Tシャツを脱いでおけば良かった、と眞一郎は悔やんだ。たった一枚の薄い綿の布がとても邪魔に感じる。
些細な障害を抜けて比呂美の体温を直接感じたいという欲求が、腕の筋肉に無用な力を込めさせた。
「……んぁ……」
胸を圧迫される形となった比呂美の口から、僅かに声と息が押し出される。
しまった、という軽い後悔を感じ、冷静さを取り戻す眞一郎。
だが、言葉で詫びるのは違うと直感し、腕の力を弱めてから、頬を摺り寄せて謝意を表す。
視界の外にある比呂美の口元が、
ゆっくりと緩んでいくのが分かる。
絹糸のような栗色の髪をひと撫でしてから、眞一郎は少しだけ身体を離した。
自然とお互いの視線を求め合う二人。
「…………」
「…………」
もう名前を呼び合う必要すらなかった。
眞一郎と比呂美の唇は、磁石のNとSが引き合うように、自然と相手の側へと近づいていく。