「ねねね、比呂美、比呂美!」
朝、教室に入ると同時に朋与が突進してきた。
「何!?ちょっとどうしたの?」
「実はさっき美紀子から聞いたんだけど、あ、この話、仲上君には内緒にしてね」
「……俺がどうしたって?」
「うゎっ、いた!」
朋与がのけぞった。どうやら本当に気付いていなかったらしい。
「落ち着きなさいよ、朋与。美紀子が何て言ってたの?」
比呂美が苦笑しながら促した。眞一郎に聞かせたくない話題である事は、本人に聞かれ
た時点で諦めている。
「あ、ああ、えっとね。昨日美紀子が隣町のモールに出掛けてたら、誰に会ったと思う?」
「誰……って」
比呂美は眞一郎を見た。眞一郎に聞かせたくない名前って誰だ?まさか彼の両親いずれ
かと言う事はあるまい。眞一郎も首を振った。
「判らないわ、誰?」
「野伏君がいたのよ」
「…………えっと、それが、何?」
眞一郎が訊いた。そんな息せき切って話す事にも、自分に内緒にしなければならない話
にも思えない。
朋与は意味ありげに辺りを見回すと、手招きして顔を近付けるよう指示した。
「……一人じゃなかったのよ」
朋与は小声で言った。
「しかも、相手は愛子さんじゃなかったんだって」
「誰と一緒だったの?」
比呂美は訊いた。何となく、話の中身が見えてきた。
しかし、相手の名前については完全な予想外だった。
「石動さんと一緒だったんだって」
再び、比呂美と眞一郎は顔を見合わせた。
「それ、本当に?たまたま同じ方向に歩いてたとかじゃなくて?」
「あたしもそう思ったんだけど、美紀子が言うには一緒に買い物してて、野伏君は荷物持
ちやってたんだって」
「石動さんと、野伏君」
比呂美が呟いた。
「悪いけど、全く接点が思い浮かばないわ」
「でしょ?正直言って、どっちも相手に惹かれる部分なんて何一つないと思うんだけど、
そうなんだって」
比呂美と朋与のやり取りを聞きながら、眞一郎はぼんやりと思い出した事があった。あ
れは比呂美が一人暮らしを始める直前だったか、三代吉は眞一郎に乃絵の事を言っていた
気がする。
『あいつ、結構いい奴だな』
確か、そんな言葉だったと思う。しかし、三代吉から乃絵の話を聞いたのはそれきりだ
った。
眞一郎は比呂美を見た。彼はこの一年、自分から乃絵の名前を出した事はない。比呂美
も一度、「ちゃんとした話」を聞きたがった以外はあえて乃絵の話題は持ち出さない。特
に話題にするような現在がないのだから当然だが、比呂美が今、乃絵をどう思っているの
かは眞一郎にも不明だった。もしかして、乃絵の名前を聞いて動揺したりしてないだろうか?
「それより何より、野伏君が愛ちゃん裏切ってほかの娘とデートなんて、想像も出来ない
んだけど」
乃絵より三代吉の行動の方が気になるらしい。考えてみれば、もし比呂美がまだ気にし
ているようなら朋与がこの話題を振ってくるはずがないのだ。朋与はむしろ自分に聞かせ
ないようにしていた。
「二人は何を買ってたの?」
眞一郎も話に加わった。なんにせよ、美紀子が二人の姿を見た事は間違いないようだ。
となると何か理由があるに違いない。
「さあ、それはよくわからなかったって言ってたけど、大荷物だったって」
「大荷物?」
「うん、両手で抱え持つような大きな荷物をいくつも持ってたって。漫画みたいな光景だ
ったらしいわよ」
「……何買ったんだろ、そんなの」
「なんか石動さんが歩く後を野伏君が荷物積み上げて歩いてたらしいんだけど、従者のよ
うだったってよ。野伏君の従者はともかく、じゃあ石動さんがお嬢様に見えるかって言っ
たら見えないわよねー」
多方面に失礼な発言をしながら朋与が笑った。比呂美と眞一郎は曖昧に笑うしかない。
「――何やってんだ、お前ら?」
三代吉が教室の入り口に立っていた。三人共に心臓が口まで飛び上がる思いがしたが、
三代吉の表情を見る限り、話は聞いていないようだ。
「あああお早う野伏君なんでもないのよごめんね邪魔してるわよね」
一息に朋与が言い切って三代吉を教室に引き入れる。何となく、その場は散会の雰囲気
になった。
眞一郎が席に着こうとすると、その襟を掴む者がいた。朋与だった。
「仲上君」
朋与は先程までとは明らかに違う、真剣な顔だった。
「さっきの話だけど――」
「う、うん」
「もし事情を知りたいと思っても、訊くなら野伏君にしなさいよね」
「え?」
「いい?絶対に石動さんに訊こうなんてしちゃだめよ。今でもあの娘にとっては、仲上眞
一郎に近づけたくない女ぶっちぎり一位なんだから」
ああ、そうか、と眞一郎は思った。だから朋与は自分にこの話を聞かせたくなかったの
だ。話を聞けば親友と幼馴染のために動く事が判っていて、それで乃絵とまた接近するの
が嫌だったのだ。比呂美は乃絵に対しても今は複雑な感情は残っていない。但し、眞一郎
が絡めば話は別であった。眞一郎に近づく女子は基本的に全て敵であり、朋与でさえ冗談
でも眞一郎に気のあるようなそぶりは見せられない。まして乃絵となれば、朋与が神経質
になっても不思議はない。
「わかったよ、大丈夫、三代吉から訊けば大体は判るさ」
眞一郎はそう言って朋与を安心させた。