☆『ちむどんどん反省会』の真相!?


 前回につづき、朝ドラ『らんまん』の話から。

 「おまんらは本当は姉弟じゃない。いとこじゃ」
 とタキが言ったことで、前回の疑問に対して一応の答えは出たことになります。
 ですが。
 みなさんは納得できましたが? 私は納得していません。

 お祭りのシーンで、綾が「峰屋にひきとられなかったら、私はどこにも行くあてのないみなしごになっていた」と竹雄に語ります。ここに、私が納得できないポイントが隠れています。ちなみにここで、第1週で綾を演じていた子役さんによるみなしごになった綾の回想シーンが入りますが、これはイメージ映像で事実とは異なります。綾が峰屋の本家の血を引いてる以上、綾がみなしごになったという連絡は即時に峰屋に届いているはずであり、回想シーンのような状況になる前に救出されていたはずだからです。なんか、回想シーンが出てくると、それが過去のシーンであると信じ込む視聴者が一定数いるみたいで、何度かその視聴者の錯覚を利用したミステリーがつくられたりしてるんですが‥‥
 同じようにタキにはタキの都合があり、いとこというのはその都合から出た言葉である可能性があり、真実である保証はないのです。

 詳しく解説します。
 綾が万太郎のいとこである場合、次の4つのパターンが考えられます。
①綾の父親が本家の嫡子。
②綾の母親が本家の嫡子。
③綾の父親が先代の庶子。
④綾の母親が先代の庶子。
 ①については、前回説明した通り、タキが綾の父親の話を一度もしてないことが不自然すぎます。それ以前に、本家の嫡男の子供なら本家にいるはずで、そもそもみなしごになりようがない。これはありえない。
 ②ですが、第1週の話から、綾が実の母親の最後をみとったと思われる表現がありました。が、土佐で一番の酒蔵の娘の嫁ぎ先ですから、かなりしっかりした家業のある家であったと思われます。これも前回説明しましたが、綾がみなしごになるには両親だけではなく祖父母、そして万が一の場合に家業を継ぐ分家の人々までことごとくが死んでいる必要があります。となると、それを視聴者に説明しないのは、脚本的に非常に問題ではないかと思われます。
 ③ですが、前回ふれたように、本家の血を引くのがタキであり、先代が本家の血を引いていないのであれば、妾の子である綾の父親は峰屋とは関係のない生活をしていた可能性があります。しかし、どうも綾は本家の血を引いているようなので、で、あれば、やはり彼女の父親の話がこれまで一度も出てきていないのは不自然、ということになります。そして綾がみなしごになるには、最低限両親と祖母が死んでいる必要があり、やはり何らかの説明がないと脚本的に問題があると思われます。
 ④の場合、本家の娘であった場合よりはランクは下がるけれど、やはり政略結婚の駒となっていると考えるのが自然であり、この場合も嫁ぎ先が一族全滅しない限り、綾はみなしごにはならないのです。そしてそれに関する説明を怠るのは脚本的に非常に問題であると思われます。
 というわけで、綾が母親の死を看取ったのは事実としても、綾が本家の血をひく万太郎のいとこであった場合、そう簡単にみなしごにはならず、もし一族全滅という異常事態が起きたのだとしたら、それに関しては脚本上で何等かの説明が必要であると思われるのです。逆に、先代が妾との間に生んだ万太郎の父の異母妹であった場合のみ、その母親が死んだことで彼女はみなしごになる可能性があり‥‥つまり、なんの説明もない以上、タキのいとこ発言が前回説明した特殊な事情を盛り込んだ発言で綾は万太郎の叔母であるというのが一番しっくりくるわけです。

 もし本当に綾と万太郎がいとこなのだとしたら、これは『らんまん反省会』が必要です。

 で、ですね。

 『反省会』というと思い出すのが『ちむどんどん反省会』なわけです。
 脚本家と演出家に批判の矛先が集中してますが、それって不当ではないか、というのが私が感じていた疑問。
 ヒロインが空気を読まない、というのが朝ドラの批判でありがちですが、ちょっとそれはどうかと思うわけで。朝ドラの王道と言えば、時代の差別や偏見と闘い、自らの道を切り開いていった女性たちの物語、であり‥‥言い換えると同調圧力に屈しなかった『空気を読まない女』の物語であるわけです。ちなみに『ちむどんどん』以前にヒロインが空気を読まなかったと批判をされていたのは『まれ』ですが、実際には次の朝ドラ『あさが来た』のヒロインこそが最も空気を読まない女だったと思われます。暢子にしろまれにしろ、鶴見や杉並、あるいは横浜や沖縄のど田舎で空気を読まなかっただけであり、ワールドワイドに同調圧力に逆らったあさとは比べ物になりません。まれが空気を読まないことを批判し『あさが来た』で『まれ』の悪夢払拭!とか騒いでいた人々は論理が破綻していることになります。彼らは別の理由でまれや暢子が気に入らず、彼女たちを批判するために空気を読まないという理由をあとづけしただけと思われるわけです。
 が、『ちむどんどん反省会』で問題になっていたのは、暢子のキャラ以上に脚本のアラがどうこう‥‥という話。特に、沖縄県民が受けた県民差別が描かれていない、という批判が多かったわけですが、これは本当でしょうか?
 『ちむどんどん』の脚本を手掛けたのは羽原大介氏。このコーナーでも何度も書いてますが『マッサン』は戦争中に出奔するはずのエマがどうしても家を出る展開にならず、後半のストーリーが破綻しています。結果、後半の物語でマッサン、エリーに続く第3の人物として大活躍しますよ、とホリプロが宣伝しまくっていた泉澤祐希がモブキャラに毛が生えた程度の出演に終わり、ホリプロが激怒‥‥それが『ひよっこ』というオリジナル作品が生み出される原因となったという‥‥。ホリプロとしては、もっと早い段階で泉澤くんのリベンジの舞台をつくりたかったのでしょうが、『まれ』はすでに撮影が始まっており『あさが来た』には泉澤くんにフィットする役がなく『とと姉ちゃん』は男性キャラが非常に少ない作品で『べっぴんさん』は主要な男性キャラが失踪しまくるという特殊な物語で‥‥もうオリジナル作品をつくるしかないという‥‥そして同じホリプロの有村架純をヒロインに迎えることで、何とか場が収まったという話。
 で、問題は、なんでエマの出奔が不発に終わったのかという話。
 実は、エリーに対する余市の人々の人種差別と同調圧力が、血のつながりがなくても親子として固い絆で結ばれていた亀山家を破壊する‥‥そういう展開ではなかったのかと思われるわけです。それが羽原脚本の神髄でもありますし。しかし、どこかに悪い奴がいて、ではなく、いわゆる普通の人々が差別と同調圧力で他人の人生を破壊する‥‥それが、おそらく朝ドラとしてNG判定を受けたのでしょう。あらかじめそこがNGであることがわかってれば、前半で血のつながりがなくても本当の親子になれる、みたいな話をことさらに盛り上げたりはしなかったと思われます。が、それを放送してしまったあとでNGを出されたら、羽原さんとしては打つ手がないわけで‥‥。
 なので『ちむどんどん』の話が来た時に、当然羽原さんは「『マッサン』では差別や同調圧力でヒロインが不幸になる展開にNGが出たんですが、大丈夫なんですか?」という確認をしたと思われます。でも、それに対して東京制作(『マッサン』は大阪制作)の責任者は「なんたって沖縄の本土復帰50周年の記念作品ですからね、大丈夫です!」と根拠のない太鼓判を捺したのではないかと思われます。そして、案の定県民差別の表現にNGがかかり、それが批判の原因となるという‥‥
 これ、悪いのは羽原さんですかね?
 では、本当に『反省会』で批判されているように県民差別が描かれていないのかというと、実はそうではないというのが私の意見。
 まず、賢秀。
 具志堅用高さんがジムのオーナーとして登場して「ボクシングのリングからは逃げても人生というリングからは絶対に降りるんじゃない」という言葉を賢秀に残します。どう考えてもこれ、伏線なんですが、表向きこの伏線は回収されていません。
 が。
 賢秀はなぜ、千葉の養豚農家で住み込みで働くことになったのでしょうか? その辺の事情が物語では一切語られていません。
 実は、本来の予定では全キャラ中、最もえげつない県民差別を受けたのが賢秀ではないかと思われるのです。どこでどんな職業についても、賢秀自身に誤解を受ける原因はあったものの、沖縄県民とさげすまれ、何かトラブルが起こるたびに証拠もなく犯人と断定され‥‥ボロボロになった賢秀は海で死のうと京浜工業地帯とは逆の方向の海岸へと向かい‥‥そこで養豚農家のおやじさんに拾われる‥‥そんな展開ではなかったかと思われます。ちなみに、エピソードの中には事務所においてあった現金の封筒が盗まれた、というのが含まれていたと想像します。これはあとで説明。
 次に悟。
 彼に関しては、独立して自分の野菜の卸業を始めたあたりで、異常なまでに働きづめで、結果倒れるという展開がありました。でも、これ少し変じゃない? いくら今が踏ん張り時、とはいえ、あそこまで働かないと経営を軌道に載せられないなんてことは普通ありえない。ありえないことが起きている、ということは何か事情があるということ。
 悟が倒れたとき、事務所には大量の野菜の箱が積まれていました。単に配達前の野菜なのかと思いきや、県人会で手分けをして当日分の配達を終わらせても、積まれていた箱は、ほぼそのまま。冷蔵室や倉庫に入っていたならまだしも、事務所にその日の配達が終わっても商品が山積み、というのは明らかにおかしい。
 つまり、彼も沖縄県民であるというだけで、ことごとく取引を断られるという差別に直面していたのだと思われるのです。で、何とか取引してもよい、と言われた業者が提示した条件が、不要な在庫もすべて買い取ること(売る場所は悟が自分で探さないといけない)、そして注文があった野菜は東京中を探し回っても、場合によっては隣県まで足を延ばしてでも必ず用意して納品しないといけねいいう非常識なものであったのでは、と予想されるのです。だからこその異常な過労に陥り、暢子との結婚を心の支えにして頑張るしかなかった‥‥ということではないかと推測されるのです。
 そして、暢子。
 表向き、房子の店で働き県民会の人たちと交流していたことで、暢子は露骨な県民差別は受けていません。
 しかし。
 矢作の暢子への敵意にも見えるキツい態度こそが、実は県民差別だったと考えられるわけです。
 矢作に関しては、突如、仲間と3人で『アッラ・フォンターナ』をやめてしまう、というエピソードがあります。これも、あまりと言えばあまりの行動。でも、これも県民差別が原因だと考えれば納得がいく。今まで師と仰いでいた房子が実は沖縄の人間であったと知り、彼の中で、県民差別がどうにもコントロールできなくなったのではと考えられるのです。他の2人も、房子が沖縄の人間だとわかったからこそ、矢作の提案に載ったと考えられるのです。実際にドラマに出てきたシーンでは「このままじゃ一生ただの使用人」みたいなことを言ってましたが、本来は、もっとえげつない言葉が並んでいたのでしょう。
 そして、県民差別があったからこそ、自分の店がうまくいかなくなったときに、フォンターナの権利書を盗んでやくざに売り飛ばすという暴挙にも出た、という‥‥
 そしてやくざたちが店に対して行った嫌がらせも、おそらく県民差別を利用したものではなかったかと考えられるのです。
「みなさん、この店は本場のイタリア料理の店を謳っていますが、オーナーは沖縄の人間です。沖縄の人間に本場のイタリア料理が作れると思いますか?」みたいな。
 そして、多くの客がその言葉にそそのかされて店から遠のくという‥‥
 いわゆる普通の人たちが、房子に非がなく、料理も確かなものだと知っていながら同調圧力で助けの手を出せずにいるところで、唯一「沖縄県民だろうが、命の恩人は命の恩人:というまっとうな意見を述べたのがやくざの親分だったという、羽原節がさく裂していたのではないかと思うわけです。
 そして、矢作のその後。
 『ちむどんどん』で働くことになった矢作は、それでもなかなか心を開いてはくれませんでした。が、そんな矢作が改心するきっかけとなったのが、カウンターに置き忘れたお金を盗んだという嫌疑がかけられたとき、暢子が矢作を信じたこと。このシーンを効果的に見せるのであれば、結果、自殺未遂に至った賢秀のエピソードとの対にするのが一番と思われるわけで。だから、賢秀パートで賢秀に事務所の金を盗んだ嫌疑がかけられるというエピソードがあったのではと推測するわけで。

 つまり。
 表層だけを見ていると、『ちむどんどん』には県民差別を受けて苦しんだ沖縄の人たちの生活が描かれていないように見えますが、羽原さんは可能な範囲内できちんとそれを描いていたことになります。


 だとすると。
 『ちむどんどん反省会』の異常な盛り上がりって、一体何だったんでしょうか?
 世の中には、一定数、とにかく他人を誹謗中傷したいだけの人間がいるにはいます。が‥‥

 なんかですね。工藤美桜が『ちむどんどん』に出演したことに関して、事務所がやたらと宣伝しまくって形跡があるのですね。しかし、実際には工藤美桜は完全にモブキャラとしての出演だったわけで‥‥これは泉澤くんのときと同じで事務所が怒るパターンなのではないかと。
 おそらくだけども、もともとは工藤美桜には1話だけの出演とはいえ、そこそこセリフがあったのではないかと思うわけです。でも、暢子に嫌がらせをする立場の役だったわけで‥‥事務所がNGを出したのか、NHK的にNGな差別発言だったのかはわかりませんが、彼女の活躍シーンは削除され、事務所側がシナリオの変更を要請するも、重要度が低かったことからスルーされ、結果モブキャラとしての出演にとどまった、というのが真相ではないかと予想するのです。
 こうなると、事務所側には脚本家と演出家を攻撃する理由があることになり‥‥『ちむどんどん反省会』が主に脚本家と演出家を批判していることと一致するわけです。証拠があるわけではありませんが‥‥

 ちなみに。
 綾を演じている佐久間由衣は、工藤美桜と同じ事務所。ひそかにNHKと揉めていたことが、キャスティングの理由のひとつとなったということも考えられるわけです。
 ま、でも佐久間由衣さんはいい演技をするので、基本的には実力で役を勝ち取ったのだとは思いますが。



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最終更新:2023年05月03日 17:19