【解説】
ある老婆がパソコンに熱中している。
早くに伴侶をなくした彼女は、寂しさを紛らわすためにインターネットのチャットを始めたのだ。
家族もそんな彼女のあまりの嵌まり様に皆呆れ顔。ただ、高校生になる孫娘だけは新しい祖母の趣味を歓迎した。
「新しい趣味を持つなんて、いいことじゃない」
インターネットの良いところはその匿名性の高さにある。自ら宣言しない限り、自分が年老いた老婆だということさえ悟られずにすむ。
ある日、チャットの相手だった男からこう尋ねられた。「僕は16歳の高校生。貴方は?」
彼女は咄嗟にこう答えた。「偶然ね。私も16歳。女子高生よ」
嘘をつくのは気が引けたが、彼はとても感じのいい男で、話していて楽しかったから、嫌われたくないと思ってしまったのだった。
それにどうせ会うことはないだろう。ネットの中でだけ、この孫ほど歳の離れた少年と恋人のように語り合えたらそれでいい、と彼女は思った。
彼との密談は毎日続いた。学校の話、バイトの話、友達の話。不思議と話がかみ合わないことはなかった。彼と話している間は、老婆は本当に無垢な少女に戻ったような気分になった。
ときどき彼に正体がばれているのではないかと不安になったが、それとなくヤマをかけて彼にさぐりを入れても、そういった様子は見せなかったのでそのたびに胸をなでおろしていた。
ここまで仲良くなったのだから、それは当然の流れなのかもしれない。彼が「会おう」と誘ってきた。彼女は断る理由を探したが、なにも見つからなかった。
彼女は焦った。嘘がばれてしまう、彼に嫌われたくはない。唯一相談できる相手はチャットに理解を示してくれる孫娘だけだった。そして老婆はひとつの解決策を思いついた。
「私の代わりに、チャットの相手に会いに行って欲しい」
それを聞いた孫娘は驚き、ひどく嫌がったが、必死に懇願する祖母の涙を見て身代わりになろうと決心した。
こんな風に祖母にお願い事をされるのは初めてだったし、なにより同じ女としてこの相談を受けるべきだと判断した。彼女は祖母の涙の中に晩節の恋心を見たのだった。
当日、祖母の依頼を受けた孫娘は不安ながらも、少し浮かれていた。祖母の恋の相手を見れるなんて、そうあるチャンスじゃない。
目一杯のオシャレをして、祖母の心を惹きつけたチャットの君を待つ。しばらくして相手が現れた。だがそれを見た彼女は目を丸くした。
「どうしてお前がこんなとこいるんだよ」「なんであんたがこんなとこいるのよ」
喫茶店で話す2人。なんと、祖母の恋の相手は彼女の高校のクラスメイトだった。どんな人かと胸を高鳴らせていた彼女はがっかり。それは相手も同じようだった。
「俺はただ…」なにかを言いかけて相手はやめた。彼女はそれを責めようと一瞬思ったが、やめておいた。自分にも隠し事はあるのだ。
クラスメイトと言えど、話すのは初めてだった。しかもお互い予想外の事態に気が動転している。話題もすぐに尽き、テーブルを沈黙が覆い始めた。ここままではいけないと感じ始めていた。
先に口を開いたのは彼だった。「お前は嘘だと思うかもしれない。でも聞いてくれ」その話を聞いた彼女は唖然とした。
なんと、彼も祖父の身代わりでこの場にやってきたというのだ。普通なら戸惑うかもしれないが、彼女はすぐに全てを理解した。なんといっても自分も同じ立場なのだ。
ここまで来たら秘密にする必要はない。彼女は彼に全ての経緯を教え、そしてひとつの提案をした。彼も大喜びでその意見に賛同した。
「おじいちゃんの夢を――おばあちゃんの恋を――叶えてあげよう!」
ふたりはその場で計画を立て、すぐに家に戻ってそれそれの祖父母を連れてくることにした。
祖母は帰ってきた孫娘が突然一緒に出かけようというので困惑した。どういうことかわからなかった。だが、結局は娘の強引さに押されて連れ出されてしまった。
出て行った先で見たのは、彼女と同じ歳ばかりの老翁だった。彼女は孫娘にどういうことかと説明を求めた。孫娘は経緯を説明し、小さくウインクをした。「行っておいで、おばあちゃん」
ふたりの老人は最初は戸惑っていたが、次第に状況にも慣れ、話を始めた。肩を寄せ合ってはにかむその姿は、純粋な少年と少女の恋と何も違いはなかった。
遠くから伺っていた彼らの孫たちは、その様子を見て手を叩き合った。作戦は大成功だった。
1年後、ふたりは結婚した。
影武者から華麗な転身を遂げた恋のキューピッドは、大好きな祖母の幸福と、新しく出来た祖父の僥倖に、精一杯の祝福をした。
ある老婆がパソコンに熱中している。
早くに伴侶をなくした彼女は、寂しさを紛らわすためにインターネットのチャットを始めたのだ。
家族もそんな彼女のあまりの嵌まり様に皆呆れ顔。ただ、高校生になる孫娘だけは新しい祖母の趣味を歓迎した。
「新しい趣味を持つなんて、いいことじゃない」
インターネットの良いところはその匿名性の高さにある。自ら宣言しない限り、自分が年老いた老婆だということさえ悟られずにすむ。
ある日、チャットの相手だった男からこう尋ねられた。「僕は16歳の高校生。貴方は?」
彼女は咄嗟にこう答えた。「偶然ね。私も16歳。女子高生よ」
嘘をつくのは気が引けたが、彼はとても感じのいい男で、話していて楽しかったから、嫌われたくないと思ってしまったのだった。
それにどうせ会うことはないだろう。ネットの中でだけ、この孫ほど歳の離れた少年と恋人のように語り合えたらそれでいい、と彼女は思った。
彼との密談は毎日続いた。学校の話、バイトの話、友達の話。不思議と話がかみ合わないことはなかった。彼と話している間は、老婆は本当に無垢な少女に戻ったような気分になった。
ときどき彼に正体がばれているのではないかと不安になったが、それとなくヤマをかけて彼にさぐりを入れても、そういった様子は見せなかったのでそのたびに胸をなでおろしていた。
ここまで仲良くなったのだから、それは当然の流れなのかもしれない。彼が「会おう」と誘ってきた。彼女は断る理由を探したが、なにも見つからなかった。
彼女は焦った。嘘がばれてしまう、彼に嫌われたくはない。唯一相談できる相手はチャットに理解を示してくれる孫娘だけだった。そして老婆はひとつの解決策を思いついた。
「私の代わりに、チャットの相手に会いに行って欲しい」
それを聞いた孫娘は驚き、ひどく嫌がったが、必死に懇願する祖母の涙を見て身代わりになろうと決心した。
こんな風に祖母にお願い事をされるのは初めてだったし、なにより同じ女としてこの相談を受けるべきだと判断した。彼女は祖母の涙の中に晩節の恋心を見たのだった。
当日、祖母の依頼を受けた孫娘は不安ながらも、少し浮かれていた。祖母の恋の相手を見れるなんて、そうあるチャンスじゃない。
目一杯のオシャレをして、祖母の心を惹きつけたチャットの君を待つ。しばらくして相手が現れた。だがそれを見た彼女は目を丸くした。
「どうしてお前がこんなとこいるんだよ」「なんであんたがこんなとこいるのよ」
喫茶店で話す2人。なんと、祖母の恋の相手は彼女の高校のクラスメイトだった。どんな人かと胸を高鳴らせていた彼女はがっかり。それは相手も同じようだった。
「俺はただ…」なにかを言いかけて相手はやめた。彼女はそれを責めようと一瞬思ったが、やめておいた。自分にも隠し事はあるのだ。
クラスメイトと言えど、話すのは初めてだった。しかもお互い予想外の事態に気が動転している。話題もすぐに尽き、テーブルを沈黙が覆い始めた。ここままではいけないと感じ始めていた。
先に口を開いたのは彼だった。「お前は嘘だと思うかもしれない。でも聞いてくれ」その話を聞いた彼女は唖然とした。
なんと、彼も祖父の身代わりでこの場にやってきたというのだ。普通なら戸惑うかもしれないが、彼女はすぐに全てを理解した。なんといっても自分も同じ立場なのだ。
ここまで来たら秘密にする必要はない。彼女は彼に全ての経緯を教え、そしてひとつの提案をした。彼も大喜びでその意見に賛同した。
「おじいちゃんの夢を――おばあちゃんの恋を――叶えてあげよう!」
ふたりはその場で計画を立て、すぐに家に戻ってそれそれの祖父母を連れてくることにした。
祖母は帰ってきた孫娘が突然一緒に出かけようというので困惑した。どういうことかわからなかった。だが、結局は娘の強引さに押されて連れ出されてしまった。
出て行った先で見たのは、彼女と同じ歳ばかりの老翁だった。彼女は孫娘にどういうことかと説明を求めた。孫娘は経緯を説明し、小さくウインクをした。「行っておいで、おばあちゃん」
ふたりの老人は最初は戸惑っていたが、次第に状況にも慣れ、話を始めた。肩を寄せ合ってはにかむその姿は、純粋な少年と少女の恋と何も違いはなかった。
遠くから伺っていた彼らの孫たちは、その様子を見て手を叩き合った。作戦は大成功だった。
1年後、ふたりは結婚した。
影武者から華麗な転身を遂げた恋のキューピッドは、大好きな祖母の幸福と、新しく出来た祖父の僥倖に、精一杯の祝福をした。
