アグリェフと刃_第一章

第一章 乾いた地

 車窓の外には何も無い荒地の先には都市が広がっている。まるで、いきなり砂漠の真ん中にフェーユのビル街を出現させたかのようにビルが乱立していた。間もなく目的地のヘオサフィアである。
 県横断鉄道の三等自由席車両の席に腰掛けるこの男――ゴーシア・ドゥ・ノウヴデリエ・ゴーノウヴシアは連邦軍隷下ファルトクノア共和国陸軍の木賊色の軍服に身を包みながら電車の中を揺れていた。普通ならこんな軍服を着て、鉄道に乗れば乗客に距離を置かれるだろうが、今はそうではない。この車両に居る人間を見ればそんな事は一目瞭然であった。共和国陸軍の軍服に身を包んだノウヴデリエを除いても、ファルトクノア議会の党中央から送られてきたお偉いさんやら他兵科の兵士やら、なんといっても車両の最前後部に臙脂色の制服の内務省警察がウェールフープライフルを構えている時点でそもそもこのご時世の状況は分かるというものであった。
 2034年はフィシャがアンポールネムで予言しているようにこの世に無の世界が現れたかのような状態になっていた。獣人テロ組織ミーゲン・ラネーミャン自由解放のファラヴェ――MLFFは北部にあるガンセリアの親ファルトクノア政府派の知事を殺害し、犯行声明を発表した。隣接するヘオサフィアでは、同じ獣人勢力が警察詰め所や役所を襲撃し、制圧されてしまった。そんな中、政府はMLFFの押さえ込みのために各州の18歳以上の男子を徴兵した。ノウヴデリエもそんな一人であった。
 ノウヴデリエの故郷はヴェディアである。ヴェディアとこれから向うヘオサフィアはそもそもファルトクノアの端から端ということでそれだけ戦況が傾いているのであろうということが手にとって見えるようであった。ただし、今のファルトクノアで兵役を拒否するなんてことをやれば、内務省警察に捕まえられ、強制収容所に送られた挙句ショアン人と同じ目に会うと考えるととてもじゃないができないことであった。
 ノウヴデリエの隣にはもう一人木賊色の軍服が座っていた。同僚であるファイリア・ドゥ・カギエ・ファイカリアである。カギエはノウヴデリエとは中等学校からの仲でお互いのことはよく知っているつもりだった。
 ノウヴデリエは鉄道の長旅で酷く退屈を呈していたので、同僚の読んでいる新聞が今頃になって気になってきた。彼も彼で、乗ってから数時間ずっと新聞を読んでいて本当に新聞を読んでいるのかという疑問があった。
「そんな熱心に読んで、何が書いてあるんだ?」
 カギエはノウヴデリエの方を向かずに答える。
「ショアン空軍機をうちの空軍が落としただとかだって」
 そういえばそんな話も在ったなとノウヴデリエは思い出した。
 8月12日にショアンはMLFFへの支援を始めていた。ショアンは先の第一次スラーン戦役においては多大なる被害を受けたはずであったのに、ファルトクノア内部での紛争に手を貸し代理戦争として参加する事を表明するのはショアンがファルトクノアから領土を奪還する事を今だ考えているということである。きっと裏にはベリオンやら良く分らないシャントヴェートの国々が絡んでいるに違いない。
 そんなことを考えながらもカギエの読んでいる紙面を眺めると「反革命的帝国主義国家」だの「狂信的獣人思想傀儡政権一味」だのの言葉が躍っていた。ノウヴデリエが顔をしかめるとカギエは紙面から目を逸らしてノウヴデリエに微笑しながら言った。
「日刊共和国ったらいつもこんな感じだろ?逆に完全正義国家ショアンとか言い始めたらこっちが参っちゃうさ」
 ノウヴデリエは然りと思って頷いてみせた。

 そんなこんなで列車はヘオサフィアの中央駅に到着した。駅は軍人と政治家で溢れかえっていた。臙脂と黒と木賊色の制服で丸でアナログ迷彩のような色合いであった。カギエにそんなことを言おうと思ったが、そもそもアナログ迷彩なんてウェールフープ戦しか知らない大抵の連邦軍兵士が知るわけもなかったので言わないことにした。
 中央駅からは、バスで移動することになっていた。戦線の最前線であるというのにヘオサフィアの街はまるで内戦など無かったかのような感じであった。
 ファルトクノアとユエスレオネは基本的に町並みが違う。両親に過去にユエスレオネの首都であるリーネ・ヴェ・キーネに連れていってもらった事があるが、あの様子は圧巻させるものであった。高層ビルが立ち並び、煌びやかな店や公園がそこかしこに存在していた。ユエスレオネは惑星ファルトクノアの空中に浮いている巨大空中要塞であるのだが、そんな空想科学小説めいた事実も忘れるほど、そこには自然があり、社会があった。しかし、建国してからのファルトクノアはというと然うは問屋が卸さない状況にあった。隣国のショアンやらケードゥワンとの対立から始まり、ファルトクノア社会行動党の一党独裁状態や、ヌーネンフュールどもとの植民地解放戦争を経て、国内情勢はどんどん暗いものになっていった。
 カギエは嬉しそうに外を見ていた。彼自身はこの内戦が始まってから、どうやら内務省警察に捕まっていた時期があったらしい。というのも、カギエの友人には獣人が居たらしく、テロ組織との関係が疑われたらしい。あいつに限ってテロ組織に関係しているなんてことはないだろう。そんなことを考え始めるとノウヴデリエは酷く心配を覚えた。

 オリーブ色に塗装された建物が見えてくるとノウヴデリエとカギエはお互いに目配せして降りる事を確認した。実は二人ともファルトクノアが植民地戦争に突入してからというものバスや公共交通機関を利用する事が少なかったからだ。戦争が始まるとすっかりバスや電車が止まってしまうので隣町までいくのには歩きか自転車を使わなくてはならなかったが、そもそもショアンが同時に国境付近でファルトクノアと対立を起こしていたためにいつ国内でテロが起きたりするか分ったものではなかった。なので、国民の大半は数年は家に篭りっきりになっていたから、ノウヴデリエとカギエは二人ともバスや電車の乗り方というものがよく分らなくなっていた。
 ノウヴデリエは普通に手を挙げて、次降りますと告げたところ、バスの運転手は気だるそうに応答しながら降車所に寄せてくれたので安心した。
「バスごとき使うのに挙動不審になるなんて、まるでウェールフープ技術が伝来したばかりのユーゲ人くらいに非文明的だな。」
 カギエは皮肉気味に言った。
「それ以下だよ。」

ノウヴデリエたちは海松色の建物の門を探していた。目的地であるヘオサフィア県共和国軍事務所であることは間違いないが、どこから入るかよく分らなかった。二人で建物の周りをうろうろと探し回ると怪しまれる可能性もあったので、地図を確認することにした。
「カギエ、地図は持ってきているよな?どうにかそれで入り口がどこか分らないか。」
「召集状なら持ってるけど、こんなもんヘオサフィアの中央駅から大体の位置しか載ってないぜ?」
 取り出した地図をノウヴデリエは覗き込む。縮尺も適当な駅からの位置関係を表した図だった。これでは入り口がどこかなど分るはずも無かった。
「どうするかねえ……」
 カギエは参った様子であった。召集に遅れれば何をされるか分らないからである。ノウヴデリエもため息をついて建物を眺めていると、何やら唸るような音が聞こえてきた。その音は少しづつ大きくなってきていた。
「おい、ノウヴデリエこれはまずいぞ。」
 カギエは目を窄めて、大粒の汗を額に零しながら言った。ノウヴデリエもその状況は分っていた。軍事務所の全体号笛が表すのは駐屯軍の全隊出動である。きっと近くのラッテンメ人による攻勢が激化したのだ。
 ノウヴデリエは、共和国兵が出てきた側に走り出す。カギエもその後ろをついて来ていた。軍事務所内に入ると、既に中は空っぽになっていた。中の標識を見て、兵舎へ走り出す。
 同じ陸軍の軍服を着た人を見つけて、走り寄る。
「遅いぞそこの召集兵!武器を持って、ガリファーリアまで行けとの命令だ。」
 カギエはすぐに指された兵舎へ向って走り出すが、ノウヴデリエはすぐに状況を理解する必要があると思っていた。
「ガリファーリアはヘオサフィアの北部ですね?一体何が?」
 兵士は頭をかきながら答えた。
「俺も良く分らん、召集兵全員が駆り出されるんだったら大事に違いない。兵舎内にウェールフープライフルとイールドベストがあるからそれ持って早く来るんだ。」
 ノウヴデリエは危機感を覚えていた。ファルトクノア全体を覆っている閉塞感というものは実は忌々しい戦禍だけで構成されているわけではない。情報というものが全く届けられないのだ。大体のファルトクノア人はそんなことは全く知らない。なぜなら、情報が届いていないのであれば、物事が無かったと思い込むほか無いからだ。しかし、ノウヴデリエは知っていた。ユエスレオネでは全てがオープンであった。ファイクレオネやカラムディアや更にはファルトクノアで過去何が起こったか、手に取るように分った。今何が起こっていて、何が問題で、何が喜ばしいのかが目の前に宝石が撒かれたかのように情報が散っていた。でもファルトクノアは違う。過去在った事を無かったことに、現在無かった事を在ったことに、未来考えうる事を考えないように、人々をそう生きさせている。そうすることで人々を支配している。そして、人々もその生活に頼っている。自分の国の危機的状況なんて誰も聞きたくないであろう。自分だけの事を考え、公は公が自分で思考すれば皆が幸せになる。そうして、ラヴィル首相を中心にこの国は出来てきた。そういう歴史があった。
 だから――
「おい、何立ち止まってるノウヴデリエ!早く行くぞ!」
 カギエがイールドベストとウェールフープライフルを持ってきていた。ノウヴデリエはそれを受け取って装備すると、先ほどの兵士のところまで行くと兵士はそれを確認して、二人を乗せるためにオリーブ色のバンに向って手を振った。敵に見つかりづらい様にオリーブ色に塗装されているはずの車両の側面には大きく【ファルトクノア陸軍 ヘオサフィア軍事務所】とリパライン語で書いてあり、軍の紋章が塗装されていた。カギエはその車両を一瞥してノウヴデリエに向きかえると小声で話し始めた。
「ノウヴデリエ、泣く子も黙る共和国兵とは言うが紋章で敵が死ぬか?」
「死ぬんじゃないか、敵は。どちらの敵かは知らんが。」
 ノウヴデリエが車両に乗り込む。
「全くお笑いだ。アーデーレーペーやカレブァみたいな歴史上の大量殺人鬼でも旗を掲げれば逃げるってか。」
 カギエが乗り込むと車両は動き出した。

 目の前に広がる荒廃した都市はノウヴデリエを驚かせた。それはバン自体に窓が付いていなかったから外の景色を見る事が出来なかったこともあるが、それよりもヘオサフィアでは何も無かったかのように意気と熱とに感慨に打たれていたのだが、ここガリファーリアでは街の喧騒が全く聞こえてなかった。人が全く居ないのだ。それに加えて、ビルのガラスは幾つか割れており、地面には破片が散乱していると思えば、その横でウォムカ車がひっくり返って炎上している。青果食料品店らしき店は爆発を受けたのか一角が黒焦げになって、天井の電気供給線が垂れ下がって、接触してはショートを起こしていた。背後の壁には弾痕が幾つもあった、ここでラッテンメ人と共和国兵士が戦闘を行なった事は紛うことも無い事実だろうと思った。
 引率する軽装車特科兵士に連れられてノウヴデリエとカギエはバンで到着したところから前線へ移動するところであった。先ほどの特科兵が言っていたようにファルトクノア共和国軍の上層部は限られた情報しか隷下の兵士に渡さないのだ。それが必要な情報と必要じゃない情報を分けて隷下の兵士に変な心配をさせないことが一番の理由だとすればそれは真っ当なことだろうがこちらとしてはそれでも気になるものは気になるというものだった。
 全員(とはいえ五名程度)が到着していることを確認した特科兵はじきに本隊へ向けて前進する事をノウヴデリエたちに伝えた。ノウヴデリエやカギエたちは前進の準備をしているバンを背にウェールフープライフルを手に周囲を警戒していた。正規兵たちは何かはよく分らなかったが重要な武器を手に前進するようでその組み立て道具などをまとめていた。そんなところノウヴデリエは周囲をしっかりと警戒していた。ただ命令のために警戒に集中していたわけではない。獣人が出てくれば、武器を持っていようがなかろうが殺してしまおうと考えていたからだ。その瞬間はすぐに訪れた。
 確かに獣人が路地からこちらを覗いているのをノウヴデリエは見ていた。ノウヴデリエはすぐにウェールフープライフルの銃口をそれに向けたが発砲するかは迷っていた。その獣人はどう見ても少女であったからだ。身長はノウヴデリエの半分ほどで、獣人の伝統的な衣装であるアグリェフェードを着て、銃口を向けられても向かいの路地からこちらを覗き続けていた。多分戦闘員ではないはずだと思った瞬間、その獣人の子供はこちらに向って走り出した。
 手にはファルトクノア共和国軍が使っている手榴弾を持っていた。
 「ッ、敵襲!」
 カギエの叫び声で我に戻る。天が裂かれたかのような衝撃音と顔の真横で銃口が光っているのが確認できた。ノウヴデリエは、獣人の子供に目を引き付けられたままだったのでそのまま目の当りにしてしまった。ウェールフープライフルの銃撃がその幼い体を数発も貫通し、銃撃は片腕を吹き飛ばした。また、銃弾が手榴弾に当たったのか瞬間閃光と大きな爆発が路地の側で起きた。挟む両側のビルが爆発で崩れ、獣人少女の上に降りかかった。獣人は弱いケートニアーと呼ばれるほどにケートニアーとネートニアーの間の性質を持つと呼ばれているが、あの爆発を見ると生死の別なんて考えるまでも無かった。
 爆破によるビルの倒壊で砂埃が舞って視界が悪くなっている中、また銃声が聞こえた。今度は別のところから銃撃を受けているようであった。ノウヴデリエは何が起きているのか、自分が何をしでかしたのかよく理解できず立ち尽くすことしか出来なかった。カギエのタックルの強い衝撃でバンの影に追いやられた瞬間、立っていた場所を通過した銃弾が背後の壁に禍々しい弾痕を幾つも残した。ノウヴデリエはここで始めて気付いた。自分たちは待ち伏せを受けていたのだ。
「お前は、まさかここがショアン人の時と同じように行くとでも思ってたのか?」
 カギエが口調を尖らせながら言う。ノウヴデリエは顔を振って否定を表すことしか出来なかった。目の前では何人かの共和国兵士が被弾で負傷していた。カギエは、イールドベストの中から小さい黒い箱を取り出す。箱の中から茶色のアンプルを取り出して兵士の傷口へと流し込む。アンプルの中身は確かウェールフープ可能化剤だった。ケートニアー兵とネートニアー兵の使い分けが明確にされているユエスレオネ軍とは違い、ファルトクノア軍は未だにケートニアー兵とネートニアー兵を使い分けていなかった。ウェールフープ可能化剤の安全性は個人との適合がまちまちであるというところに疑問点があったが、ファルトクノア共和国軍はこれを押し切って応急手当には兵士一人一人にこの茶色アンプルを渡すのみであった。適合しようが適合しまいが、大きく負傷したときやケートニアーの致命傷に対する応急手当にはこれしかないという状態で共和国兵は戦っていた。
「そうじゃないぞ。これは戦争だ。あの猫耳厚着のゴミ共はマジだ、ショアンの土人をウェールフープの棍棒で殴りつけたときとは状況が違うんだ。」
 カギエはアンプルの中身を流した後に、バンの横に出て応戦を始めた。最初は圧倒的な量の差があると思われたが、相手方の数はそれほどでもないようであった。ノウヴデリエはバンの助手席のドアを開け、物を漁り始めた。中に通信機があれば、前線の部隊か後方支援で待機している部隊にでも連絡して、助けを請おうと思っていたからだ。相手の数が少ないにしろ、正規兵が負傷した状態では敵の接近を妨げるために弾幕を張ったりして応戦するのが関の山で、弾薬がなくなれば全滅の可能性もあった。
 バンの中には一応無線機が在ったが、ノブを捻ろうが、スイッチを入れたり消したりしても何も反応しなかった。この戦闘が始まったときの爆風か銃撃がどこかの部品に当たって壊れたのだろうとノウヴデリエは思った。
「おい、カギエ。このままやり続けてもこっちが劣勢だ。さっさとヘオサフィアに戻った方がいい。」
 応戦するカギエは、息を切らしながら、ノウヴデリエを一瞥した後にまたウェールフープライフルの引き金を引いて応戦し続けていた。
「分った、負傷したのを早く乗せて、後は突っ走るぞ。」
 ノウヴデリエは頷いたのち、助手席から降りてバンの脇のドアを開ける。負傷兵は二名居たが、二人とも気絶していてウェールフープ可能化剤が効いているのか効いていないのか、ノウヴデリエにはよく分らなかった。負傷兵を引きずってバンに入れる。時間が無い中、少しばかり乱暴になるのは致し方なかった。
 応戦を続けるカギエと目配せしてから、バンのエンジンを起動させる。瞬間カギエが助手席に飛び乗った。ここで初めてノウヴデリエたちのやろうとしたことがわかったのか、獣人が物陰から完全に体を出して射撃を始めたのが見えた。カギエもノウヴデリエももうこれ以上の交戦は無意味と判断していた。
「そういえば、ノウヴデリエ。お前何時運転免許を取ったんだ?」
 カギエは銃を撫でながら、不思議そうに尋ねていた。
「そうだな、アイカムズのゲーム以来だな。」

 強い日照りがカーテンを越して、パイグ将棋の駒たちを照らす。艶出しされた表面が光を得たかのように輝きだす様子をノウヴデリエはあまり気にせず、船の入水判定のために裁き木を投げた。
 最初の出撃は散々であった。目の前で少女がウェールフープライフルで吹き飛ばされ、瓦礫に潰されるなどという惨状を見たからには少しばかりの休養がほしいというものであった。
 軍事務所に戻ってきた時、上官にはこっぴどく怒られるものと思っていたが、そうでもなく無傷で帰ってきたノウヴデリエとカギエを見て、感嘆しているといった様子であった。多分、ファルトクノア国内の情勢から考えてどう見ても共和国軍側が劣勢であるということから地方から集められた碌な訓練もしていない召集兵は捨て駒として利用してやろうという魂胆で上層部は動いているのであろう。物量作戦は確かに連邦軍の十八番と言えるものだが、こんな辺境の狭い国土で無理やりそれをやっているあたりがいかにもファルトクノアらしいというものだ。こっちにとってはこれっぽっちもありがたいことではないが。
 負傷した正規兵はすぐに軍事務所内の医療施設に運ばれた。カギエの応急手当は――応急手当というほど高度なことをやったわけでもなく――成功していたらしく、奇跡的に全員がウェールフープ可能化剤に適合したと軍医が言っていた。二人はその後戦況報告を上官に要求されたので、獣人少女からの突撃から囲まれて交戦を始めるところまで細かく報告をした。その時の上官の顔たるや今でも目蓋に張り付いて離れなかった。
 どうやら話を聞くに、このような少年兵や女性による捨て身の突撃は獣人側の勢力が何回もやっていることらしかった。共和国兵が進撃して獣人の実行支配地域を奪還したとしても、少年や女性に限らず元々非武装であったと思われた人間が手榴弾や拳銃、小銃を持ち出して基地や巡回する共和国兵に突撃していく。何故こんな事がおきているかというと、共和国兵は大体が召集兵で構成されていっている現状のため、集中力が低く子供や女性には油断をしており、すぐに武器を奪われて被害が出てしまうという散々な有様だった。しかし、ノウヴデリエが見たあの獣人の少女もファルトクノア共和国軍の利用している手榴弾を使って突進してきた。自分もその有様を構成する人間の一人だと思うと、頭が痛んだ。
 そんなこんなで今日はちょうど共和国兵のうち召集兵は屋内待機を命令されていた。何故かというと、前述のようなことが前線の後ろで何回も起こっているので連邦本土の陸軍の救援を呼んだらしい。連邦陸軍のヴィヨック・ノアフィス総司令官は、共和国軍に対して召集兵の使用を即刻止めるようにラヴィル首相に直接忠告したらしいが、どうにも上官の発言からは召集兵を現段階で廃止する必要はないと考えている感じであった。
 そういった経緯でノウヴデリエたち召集兵は屋内待機を命令されていたが、兵舎に押し込められているというわけではなかった。兵舎内には連邦陸軍兵たちが入るとかいう話で、正規兵も追い出され軍事務所近くのホテルやら空き家を内務省警察に走らせて無理やりこさえたらしい。なんともこれもファルトクノアらしいといえばファルトクノアらしい話だった。ただ、これに関しては召集兵を少しは丁寧に扱っているという雰囲気を感じていた。
 ノウヴデリエとカギエは同時に帰ってきたことから上官から屋内待機を伝えられて軍事務所に一番近いホテルを紹介してもらった。召集兵はヘオサフィアだけでも数百居たらしく、さすがに二人で二部屋は押さえられなかったらしいが上官の配慮に関しては素直にありがたいと思った。ホテルの部屋の中にはパイグ将棋が据えつけられていて、暇を持て余していたノウヴデリエとカギエは共にその布と木片に魅了されて、何回も季節を回していた。いくらファルトクノアみたいにユエスレオネ化されたとはいえ、ボードゲームはおいてあったらやりたくなるのはヴェフィス人の性である。五回くらい全季節を回すと、据付の冷蔵庫に入ってるリウスニータを賭けて戦った。結果としては和皇神力の全同色役をカギエが作ってノウヴデリエの負けになってしまった。カギエの打ち方は実に巧妙でパイグ人の名人の対局を見ているようだった。
 カギエ姓はそもそもリパラオネ系のヴェフィス人ではなく、パイグ系のヴェフィス人らしく、その名字もパイグ語で筆の複数形を意味するクア・グーを無理やりヴェフィス語の規則に沿って整形したものだ。パイグの家系なら将棋が上手いのも納得できる。ただ、ヴェフィス人になったカギエ家の人間にパイグ人の面影が残っているのかというとそうでもないというのが答えだろう。そもそも、ヴェフィス人自体がリパラオネとフレリオン人のとの混血であるから、ヴェフィス人にも色々な人間が居るということは分かりきったことだ。
 カギエは賭けパイグ将棋に勝ち、リウスニータを飲み干してもまだ物足りなそうな顔をしていた。屋内待機を命じられた身の上、勝手に外に出て内務省警察やら憲兵やらに見つかれば何をされるか分かったものではなかった。しかし、パイグ将棋くらいしかない部屋の中でできることは限られていた。ノウヴデリエはふともしかしたら軍上層部は自分たちのことをパイグ人だと思っているのではないかと思った。まあ、冗談であるのだが、本当にそうだったら死線に回さずに後方で整備やら設計やらさせてるはずであろう。

「外へ出ないか、ノウヴデリエ。」
 カギエは小さく笑いながら、飲み干したリウスニータの缶を蹴って退けた。ノウヴデリエには溢れ出る好奇心を抑えきれずそう言ったらしいように見えた。ノウヴデリエにとってもそれがたいそういい思いつきのように見えてきたのは、とてつもない退屈さが彼らを包んでいたからだ。何ということもない彼らは招集前はただの若者で学生に過ぎなかった。学生生活に退屈することなどノウヴデリエとってはなかった。そこには、友人がいて、生活があって――日常があった。そうした生活から抜け出して招集されて各地の軍事務所で訓練を受けるという日々がノウヴデリエに課せられても、そこには同じように同僚がいて、生活があって、日常があった。
 でも、派遣されてから、つまり今は起承転結の「起」と「結」が目まぐるしく入れ替わるようで日常や生活を感じる暇がなかったと思えてきた。そして、いきなりホテルの一室に閉じ込められたところで良いものと感じれるのか、というとそうでもなかった。
「しかし、内務省警察やら憲兵の奴らはどうするんだ?見つかったらどうなるか分からないぞ。」
 カギエはかぶりを振って、否定した。
「今は本土人が来てるんだぜ、余計なことしなければあいつらも俺らのガキの頃の先生くらいにチャチなもんになるさ。」
 ノウヴデリエは然りと思った。内務省警察や憲兵がファルトクノアで恐れられているというのは確かに事実である。しかし、そもそも奴らが担当しているのは大体が国内の治安を維持し、社会行動党の秩序を安定させることである。共和国兵が逮捕されたなんてことは聞いたことが無いし、それに加えてカギエの言うことももっともであった。
「それじゃあ行こう、だけど俺はヘオサフィアはよく知らないんだ。元々観光する気でもなかったしな、行く目当てはついてるのか?」
 カギエは、頷いて肯定した。
「ちょっとした穴場があるんだ。ヘオサフィアには、友人が居てな。」
 カギエは財布や地図、部屋のキーなどをまとめ始めた。ノウヴデリエはカギエの友人の存在を怪訝に思って居た。準備が出来ると部屋の鍵を締め、エレベーターで地上階まで降りてホテルを出る。受付の人間にはバレないようにフード付きの服を着て、通り過ぎていった。
 日の光がいつにも増して強く感じる。ノウヴデリエは長い間部屋に引き篭もっていたからだと思った。ファルトクノア人はこう見えて外出好きなのである。ヴェフィス人はオタクだという偏見と体制が体制であることからか、ファルトクノア人も外出を好まないと思われがちだがそうではない。私たちは実に外出が好きな民族だといえると思う。
 カギエも例に漏れず、外に出られて顔色がガラリと変わったように見えた。どうやら本当に外に出たかったらしい。いつの間にか街の風景はガラリと変わったが、それでもカギエは道をまるで分かっているかのように進んでいっていた。ノウヴデリエはどうかというと来たこともなかったヘオサフィアの街に魅せられていた。
 ファルトクノアは元々ショアン王国の領域であったのは良く知られることだがヘオサフィアはその中でもショアン王国の建造様式の建物を比較的良く保存していた。シャントヴェートの風に当てられた新しめの形と素材はショアン王国特有の田舎っぽさと共に隣接している。これら建造物はファルトクノア紛争の時に多くの地域で戦闘の影響で破壊されたものの、このヘオサフィアは戦闘がほぼ無かった為にそれら建造物が残っていた。そんな景色の中歩いていくと、カギエは薄暗い路地に入っていくようであった。ノウヴデリエは一瞬心配したが、カギエのような人間は良く良い抜け道を知っているものだから多分大丈夫だろうと思った。そんな薄暗い路地にもショアン王国特有の紋様が見られる。こんなものはファルトクノアの中央部では見られないものであった。そんなところで、カギエがいきなり立ち止まる。ま後ろを付いていっていたノウヴデリエは詰んのめってぶつかりそうになっていた。
「どうした、カギエ?」
 ノウヴデリエが顔を覗き込むと、カギエは顔をしかめていた。カギエの見つめる先には木賊色の軍服三人がアグリェフの生えた少女を囲んでいた。少女は頭から血を出し、血に濡れた肩を震えながら抱え、目は恐怖と混乱で満ちていた。軍服の一人は干渉者の存在に気づいたのかノウヴデリエたちの前に近づいてきた。その手には血がついたパイプを持っていた。
「何だ、その目は。俺らは、共和国兵だぞ、銃後が重要なこの任務を──」
 軍服の男は少女の腹を蹴り上げた。人間から出る音とは思えないような音と共に地面に叩きつけられる。踏みつけた虫のように少女は地面で腹を抱えて細かく震えながら倒れ込んでいた。
「批判するつもりか?」
 カギエは、先制攻撃を加えようとしたノウヴデリエを手で退け、獣人の少女を一瞥した。
「共和国兵は本日は屋内待機のはずですが、一体どういう事でしょうか。」
 男たちはそれを聞くとニヤニヤしてお互いを見合った。
「いやなあ、こいつがよぉ」
 つま先で背中を突かれても、少女は震えながら特別な反応をすることはなかった。
「こいつは俺の奴隷なんだが、言うことを聞かないつもりらしくてな。せっかく、戦場から連れ出してやったのに恩知らずだからちょっぴり痛めつけてやろうと思ってな。」
 ノウヴデリエは戦慄を覚えた。俗に共和国兵のあちこちで噂になっている正規兵の獣人奴隷の問題である。正規兵らは戦闘の後獣人を捕縛するのだがその報告の量は女性が男性に対して異常に少なかった。つまるところ、捕まった獣人は大体強制収容所に送られることになるので、それを助ける代わりに獣人の女を共和国兵は性奴隷としているということだ。
「そういや、お前ら屋内待機のことを知ってるってことは招集兵のやつらだな?お前らも獣人に恨みがあるだろ?」
 男は持っていた鉄パイプをノウヴデリエたちの前に落とす。
「やっていいぞ。まあやらないで、逃げるんだったらお前らを内務省警察に軍紀命令違反で引き渡すまでだけどな。」
 ノウヴデリエの脳内はきりきりと頭痛がするようであった。別に獣人を傷つけることなんかには反感はない。だが、今回の外出は軍での作戦のために出てきたわけではないのだ。獣人を見たくないだけではなく、どうでもいい噂が現実に現れてノウヴデリエは著しい混乱を催していた。そのうえ、やらなければ正規兵に軍紀命令違反のお墨付きを頂けてしまうというおまけ付きの混乱だった。
 カギエはかぶりを振って、しゃがんてパイプを持ち上げた。軍服たちはそれを見て拍手をしたり、褒めてるようにみえて茶化していた。しかし、カギエは持ち上げたそのパイプをノウヴデリエの方に差し出す。
「先にお前がやれよ、ノウヴデリエ。お前の両親は――」
「それ以上いうな。」
 ノウヴデリエはカギエの言いたいことを理解していた。だから、そんな理由付けをして手を汚すことから逃れたカギエを軽蔑してその手からパイプを強引に奪った。少女の前に出ていくと、先程の軍服が少女の髪を引っ張って、立たせた。少女は依然として腹を抱えていて、それでも立っていたが、逃げようとする様子はなかった。逃げようとしても、無意味であるということが分かっていたのだろう。
 ノウヴデリエはパイプを振り上げる。カギエが顔を背けたのが見えたが容赦しないでそれを振り下ろそうとした瞬間、大声の警告が聞こえた。

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最終更新:2017年02月15日 22:34