連邦影響圏の政治家

本項では、連邦影響圏における政治家について書いていく。




紀元前

フレンティア時代

  • アレス王朝と東西リパラオネ

アレス・アタツァニアター

アレス王朝初代皇帝、リパラオネ人の王朝であったカーイハエ王朝をぶちのめし、リパラオネ人の大半を王国内から追い出したもののフィシャ・レシェールが政治権力を握ったり、着位から20年ぽっちで蛮族リパラオネ人の烏合の衆であるメアパトロネストとの対戦ですぐに殺されてしまう。王朝史では後述するアレス・リンの陰で初代というだけで存在している存在になってしまっているが、アレス王朝を建てた立派な建国者であることを忘れてはならない。落馬で死ぬというあまりにもあっけない死に方であったが。

アレス・リン

アレス王朝二代目皇帝、アタツァニアターが馬から落馬して死んだあとに王位に就いた文化オタクである。ラネーメ圏の文化・芸術の保存と保護のために一年後にヴァイフィスト体制を確立したり、悠里内では有名なあの燐帝字母を策定したのもこのアレス・リンであり、伝統的ラネーメ人の栄光を象徴する人間となっている。東諸島共和国連合アイル共和国の文化省においてもこの皇帝の肖像画が飾ってあるばかりでなく、リパライン語の語法にまで影響を与えるラネーメ文化を醸造したのはこの人物の大いなる貢献のおかげである。非がないように見えるのは後世の人間の神格化のためである。

レシェール・フォルシンス

ファルヒア朝東リパラオネ王国の国王、アレス王朝が反映する一方追い出されたリパラオネ人をまとめるのに苦労していたこの人物であるが、最初のリパラオネ教政治を行った人物として名高い評価がリパラオネ教界隈でないわけではない。しかしながら、後述するマイニア・西リパラオネ共和国が狂い始めたのをはじめに体調を悪化させて死んでしまった。

ヴェルシェ・クラン

マイニア・西リパラオネ共和国の国家代表。もともと国王が居たリパラオネ文化のうち西側は逃げてきた貴族の集団であったために貴族間で誰に従って政治をすればいいかということが議論されるようになった結果、セロ・タノという法律のようなものが書かれた。セロ・タノが言っていることはつまり、「お前ら国王とか神様の導きがなくても、俺らは政治せなあかんのやで。お前らの権利は政治に参加することによって、救い手がいないときは保証されるんや」ということであり、そのために議会などが急速に発達するわけなのだが、そのうちでヴェルシェは非民主的な東に対しては同胞として友好的な姿勢を取り続けたために国内での東に対する反感に気づかず数年後に後述のグリフトに席を追いやられてしまう。

グリフト・ヘーゼフ

西側の政治屋であり、立ち回りの上手いクズである。選挙で徹底的な東側への対立を仄めかし、某ト〇ンプのような手法で上になりあがった人間である。いつの時代もこういうことはいうに事欠かない。しかしながら、結局のところ国内の混乱や貴族共和制への反感をかわし切れずに内戦を起こし、後に和解して内閣を解散するなどしたのちののうのうと生き延びているためよくわからない人間である。

レシェール・クラディエ

特別警察のクールビューティーではない。これまた東側の国王の一人で、フォルシンスが体調悪化でアフの世界に行ってしまった結果生まれた空白に入ってきた。グリフト同様に西側への対立心を燃やしており、当時勝手に行われていた。東側に対する民主化運動の停止を求めて、遂には戦争を始めてしまう。あまりの気分屋で部下もその命令には手を焼いたといわれている。

アレン・バーレー

西側の貴族の一人、セロ・タノの拡大解釈によって貴族共和制から国民共和制への移行を主張した精神病質者であり、結局のところ平和を乱した疑いで参政権と財産が奪われることになった。しかしながら、これでもバーレーはあきらめず、北方の農民とその支持を受ける貴族の支援を受けてグリフト率いる政府に対して反旗を翻すこととなる。こんなドラマチック展開をするわけだが、実に面白いことに東がグリフトに対して民主化活動の停止を条件に加勢したり、戦艦で地上に砲撃を受けたりしてバーレー側は酷く損害を受けるわけだが、これでも逆上した農民は手当たり次第に貴族邸宅や宗教建造物を破壊するようになった。ここまで来るとバーレーでも止められなくなり、グリフトも両手を挙げて国民共和制への移行と内閣の解散を行った。

アレン・ユリューレー

グリフトがお手上げして、内閣を解散した後の選挙で当選したバーレーの息子。東はグリフトの時代に結んだ支援条約の履行を要求したが、これを「俺が締結したわけじゃねえしwwwww」というよくわからない理由で拒否してそのまま東との戦争を開始して、勝ってしまった。

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最終更新:2017年04月25日 19:53