欺瞞走駆のテクトニアー 第三章「遠征」

友情、信頼、取るに足らない不安定な事柄に人間は非常に左右されやすいものだ。自分も例外ではなく、むしろその上に成り立っている自分である。ただ、それがあるのと無いのとでは状況が非常に変わってしまう場合がある。これだから唯心論は捨てられないと思いながらも、つかめない存在を求めるのだ。今回の『遠征』もそのように。

「パフェ・パフィエは今回のゴールデンウィークに合宿を行う。」
「え、うん?」
賀茂の言葉に不意をつかれたかのように秋は頷く。いつものように蒼色のシャツにジーンズを合わせた賀茂はパフェ・パフィエの二人(もう一人居るそうだが)の前で淡々とそう言い上げていた。
「というと、このメンバーでどこかに行くんですか?」
「ええ、キャンプへね。」
キャンプか。相模大野からだと結構な遠出に感じる。というのも、家族が両働きで忙しくて唯一毎日顔を合わせられる兄とも旅行に行ったことは無いのだ。だから、和葉は県外に出たことが無い。否、訂正すると町田には言ったことがあるがあれは相模原市町田だろう。いや、そんなことはどうでもいい。
「キャンプかー芦ノ湖のなら小学校の時に行ったなあ~~~~」
「レイヴァーが同伴するわ。ガンセリアが発生する可能性があるから、そのときは迅速に移動できるよう航空機を手配している。」
秋の話を無視するように淡々と賀茂が説明する。さすがはCIA職員と言ったところか、ああ見えて事態に対応するための手段は問わなさそうな人間だ。
「それで、合宿というのは何をやるんですか?」
「キャンプだよ!キ・ャ・ン・プ!」
秋が堪えかねたとばかり叫ぶ。少々ばかり五月蝿いとは感じたが、気分が高潮して頬が赤くなっているのが分かる。それほど楽しみなのだろう。
「ええ、私たちも新しいメンバーを迎えたと言うことでありがたいところでもあるのだけど私たちの結束を強めるためにちょっとした旅行に出たほうが良いってことになってね。それで……」
「あ、そういえば何処に行くか決まってなかったっけ、どこだっけ?」
賀茂の言葉を遮って、秋が興奮した面で言う。

「ヴァル・ヴェルデ共和国よ。」


ヴァル・ヴェルデ共和国。
1989年、ブラジルより独立し短期間に何度もの政変を経験し、国政状況は混沌としている。安定している国とは言えないのだが、近年のヴァル・ヴェルデ・オリンピックの開催によって財政は向上し、治安は一定の水準に成りつつある。たしか憲法に共産主義による政治を行うと明記されていたはずだが、中国と同じようにヴァル・ヴェルデ共産党による一党体制で市場経済を導入している。良く分からない国だとは思われがちだが、少なくとも北朝鮮よりは透明なんだろう。

小田急相模大野駅の向かいにあるボーノの相模大野パスポートセンターでパスポートを待ちながらそういったことを考えていた。もちろん異国に行くことなんて初めてに決まっている。受け取ると、荷物をまとめて羽田から飛び立つ。航空券費用含めた交通費はレイヴァーが全部持つらしいから安心なのだが、航空機に乗るのも初めてだ。恐ろしいばかりだ。
航空機に乗ると「Bona tago!お客様はB列16番です。どうぞ~」とヴァル・ヴェルデ語の挨拶であろう言葉と共に客室乗務員が席を指してくる。凄く手際が良かったわけだが、和葉は焦ってフリーズして賀茂と秋に引き連れられてしまった。レイヴァーは苦笑いしていた。B767は両側二席の中央三席で左側から四席取っていた。席に座り、少しするとぽーんと音がなり、シートベルトサインが付いた。
「これより、安全用のビデオを流します。どうぞご注目下さい。
Atentu sinjoro kaj sinjorino. Ni dissendas projekcion sekurecan.」
機内放送の後に席の前方のディスプレイに非常用出口やらの映像が映し出される。秋はそんなもの分かっているかのように振舞っていた。見ないの?と聞いてみる。
「え?私?私はお父さんが外務省の人だから外国によく行くんだよ。だから、こういうせーふてぃーむーびー?は良く見てるし大体同じだしー」
「へえ、そうなんだ。」
そういえば、秋からは結構前から「外国に行く」だの「ちょっと日本を離れる」だのをよく聞いてきた気がしなくもなかった。
いっぽうの賀茂はレイヴァーと何かを話している様子であった。あの人は少々ばかり人となりが分からない。本当は何を考えているかというのが良く分かりにくい。いよいよ飛ぶのか機体が高速で滑走してゆく。怖いのか良く分からずに「ひゃぅ!?」と変な声が出てしまい秋の手を掴む。秋はけらけらと和葉の方を見て大笑いしている。機体もがたがたと揺れているのに秋は大笑いしてるし、賀茂は無表情でレイヴァーの隣に座っている。レイヴァーはレイヴァーで張り付いたような微笑のままである。
瞬間、機体がふわっと浮き上がる。上に押し上げられるような感覚と共に少しづつ機体は安定する。2時24分、フローゲ・ヴァル・ヴェルデ124便は羽田を発った。


「それにしてもレイヴァーも太っ腹だよね~」
隣の秋が機内食のサラダを貪りながら言う。私は魚、秋は鳥を頼んでいた。
「どういうこと?」
「だから、この旅行費は全部レイヴァー持ちらしいじゃん。CIAとはいえ、旅行にお金を出す組織じゃないでしょ?」
まあ、そうだけど。と言いよどむ。
「まあ、私たちのためってのは分かるけどなんか裏があるよね。」
「また、ヴァル・ヴェルデに魔獣が出るとか?」
和葉は思っていたことを口にした。旅行だキャンプだとは言え、非常事態に備えなければ成らないアメリカ政府の近隣に魔獣が出ており、それの討伐を完全に確認できなければ焦るのも無理は無い。そんな危険な前線に出す私たちに金をかけて懐柔しようというのか。浅はかな。
そんなことを思っていると不意に右肩を叩かれる。秋の方を向いて話していたので全く気付かなかったが、振り向くと無表情な賀茂が何か紙を差し出してきていた。
「これは……なんですか?」
「入国書類よ。ほら、Sxtatizigxa dokumento de Respublika Varverdeoって書いてあるでしょ。」
よく見ると確かにそう書いてある。てか、この人ヴァル・ヴェルデ語わかるのかよ。
「……賀茂さんってヴァル・ヴェルデ語が分かるんですか?」
「え、ええ、いや、少しだけ勉強したのよ。ヴァル・ヴェルデの事変以来。」
賀茂は少し悲しそうな表情をした。賀茂の決意は知っていた。それに加えてヴァル・ヴェルデに直ぐにでも飛んで行きたかったと言うほどなのだから。
「こんなことがもしあればと思ってね……」
「え?」
和葉は賀茂が言った言葉が小声過ぎて聞き取れなかったが、そこは無視して秋に入国書類を渡して書いていた。Sxtatizigxa dokumento de Respublika Varverdeoの文字の上に国章らしき図案が載っていた。月桂冠の上に右を向いた鷹、下にはPax varverdae――ヴァル・ヴェルデの平和、と書いてある。平和な国家なら国内の宗教弾圧に出ることも無いだろうに。そんなことを考えていると奥のほうから悲鳴が聞こえた。
"Vivu Galta! Vivu!"
"Cij ne moviĝu! Interfingrigu kaj sidiĝu silente!"
男たちが銃を片手に叫ぶ。客室乗務員を銃で抑え、客室を牽制している。
「ガルタスック教団……」
賀茂が小声でまた言う。今度ははっきり聞こえた。
"La aeroplano dominaditis far kulta asocio de galtasukk! ne rezistu senutile!"
今だ男たちは叫び続けている。ヴァル・ヴェルデ語だろうか。何を言っているのかはさっぱり分からないがテロリストは賀茂の言ったとおりガルタスック教団の関係者であることは間違いないだろう。ならば、どうする。秋の方を向くと秋はニコッと笑って居た。こんな苦境に笑っているとは狂ったのかそれとも精神を律するのに忙しいのかが分からなくなる。
すると、男たちは異様なような目で通路の先の後方を見つめていた。
"Kio estas vi! Deziras mortigon vian!? Remetu vi al segxo via!"
誰も居ないはずなのに男たちは通路の先を見ながら叫んでいる。その様子は誰から見ても異様なものであった。そっと見てみてもそこには誰も居なかった。
"Fekulo!!!! Impertinentulo! mortigu!!!!!"
"Ho! Kalros! Haltigu!"
先程から異常行動をやっていた男は銃を乱射し始めた。後方にずっと銃を乱射する男に仲間のほかの男が制止に入る。
"Ci ankaw!"
"Kio!? Agggh!"
制止に入った男を銃で撃ち殺してしまった。打ち殺した後も銃床で凄い勢いで殴っているところに他の男たちがどすどすとやってくる。
"Cxi ci frenezas!?"
"Ci ankaw"
同じような光景が繰り広げられついには銃撃戦が始まった。混沌とした状態に悲鳴を聞きながら頭を押さえて身をかがめることしか出来なかった。秋も同じように身をかがめて、近くにやってくる。
「私の能力覚えている?」
「な、何をこんな時に?」
今でも頭の上を銃弾が飛び交っているのに秋は笑いながらそこに居るのだ異様としか思えない。
和葉の言葉に秋は少々ばかり頬を膨らませて露骨に不快感を表した。
「幻覚を見せる能力~。」
はっ、と和葉の頭の中に電撃が走る。この娘、テロリスト相手に能力を使って壊滅させようとしている……?
「その通り~」と秋が掲げた指をくるくると回しているとそのうちに銃撃戦の銃撃の音も止んだ。航空機内は静寂と嫌な緊張感に今だ包まれていたが秋が元気よく飛び出すように席を発ち、あたりを見回していた。
「レイヴァー……これはどういうことかしら?」
賀茂がレイヴァーに向って冷ややかな目線を与しながら言う。
「ちょっとした信頼を与えようと思ってね。」

「えーお客様には申し訳ございませんが、当機は緊急事態発生により羽田に戻ります。」
「えー」という乗客の声が和葉には不快に聞こえて仕方が無かった。なぜなら、和葉は地上に早く戻って精神的休養を取りたいと思ったからであった。



「ふざけないで。」
冷ややかにそれでもって怒りが言葉なしにでも伝わってくる。
羽田空港国際線旅客ターミナルに四人は戻ってきていた。ベンチで休憩中の賀茂がレイヴァーに向っての一言であった。
「何のことかな。」
レイヴァーがさらっと言う。
「レイヴァー、こんなことに私たちを巻き込むために旅客機に乗せたの?」
「……結果的には対応できてたじゃないのかな。」
「でも、流れ弾で乗客が死んだ。私たちも死ぬかもしれなかったのよ。」
レイヴァーは立ち上がり、一面ガラス張りのウィンドウから滑走路の方向を眺めた。賀茂からの叱責にレイヴァーは一面も悪気やバツの悪そうなしぐさを見せなかった。
「……公安調査庁からCIAに『テロリストが乗員する可能性がある』と警告を受けていた。日本政府自身はアメリカ政府と張り合っているヴァル・ヴェルデとの関係はどうでもよく、アメリカ政府自身に対応を求めてきたのさ。それで私たちに仕事が回ってきた。それだけのことだよ。それともなんだい、君たちを支援する国家に不義理をしろというのかい。それは『名月を取ってくれろと泣く子かな』だよ。」
それはことわざではない。と和葉が指摘する前に秋が賀茂の肩を持つ。
「まあまあ、解決できたんだしいいじゃないの。良いじゃないの。」
繰り返しの言葉が賀茂をなだめたのかは分からないが、賀茂は少しばかり疲れたような様子であった。
「どうも、レイヴァーさん。」
後ろからの野太い声に少しばかり驚いたレイヴァーは、眼を見開いていた。誰だかは検討も付かないが、どちらも顔見知りのようであった。
「なんのようですかね。こちらはこちらでちゃんと仕事を果たしましたが、そちらに不利になるようなことは何も……」
「ああ、テロリストを殺ってくれたのは助かったけどなあ、レイヴァーさん。羽田に戻しちゃ日本の処理になるんだよなあ。ああ、お嬢さんたちについてはソルシエールだってことは聞いているよ。はじめまして、PSIAの輿齊です。よろしく。」
『よさい』とやらはパフェ・パフィエのリーダ格であると思っていた賀茂に手を差し出した。どうやら握手をしたかったようだが、賀茂は手に唾を吐き掛けて握手でもしてやろうかというような顔であったが、どうやら思いたちが非常に下品だと気付いた様でそのまま無視した。
「あなたが今回の立役者のようね。」
「はあ、納得していないご様子だな?」
賀茂の皮肉に輿齊もどうやら賀茂の主張を予測していたようで確証を得ていた。レイヴァーは輿齊に「ここでは出来ない話なので彼女等も共に移動しよう。」ということでターミナル構内にあるカフェに移動した。移動中に秋が「かふぇ・かふぃえ?」などと言っていたが賀茂諸共酷い空気に包まれた状態に無視されてしまっていた。


「というわけで改めて紹介するよ。彼は私たちアメリカ合衆国中央情報局との橋渡しをしているPSIA、日本国公安調査庁調査第二部第二課の輿齊要さんだ。」
レイヴァーがコーヒーを片手に目の前の図体のでかい男の紹介をする。
「紹介に預かったPSIAの輿齊だ。さっきも言っていたが俺の担当はCIAとの橋渡し、それも特にソルシエール関係の事象だ。あれは世界中でやばいことになっているしな。」
胸ポケットからタバコを取り出し、火をつけようとするがレイヴァーが手で押しとめる。輿齊は「くせでな」と苦笑した。
「私たちの事情を知っているようですし単刀直入に行きます。あなたたちが今回のテロの処理をしなかったのはなんでなんですか。」
賀茂が鋭い口調で切り込んでくる。
「別に俺が君たちを差し向けたんじゃない。これはお上の政治交渉の結果に過ぎない。」
エスプレッソで文句を押し込みながら和葉は、賀茂と輿齊の話をじっくりと聞いてみることにした。
「政治交渉?」
「そうさ、東京の公安課はテロ事件自体把握していたけどアメリカ政府に押し付けようって話でそもそも日本のソルシエールの管理権を持っているアメリカに一泡食わせたいのか国保党の奴等は何を考えているのかよくわからねえな。まあ、結局はアメリカ政府の横暴につけが回ってきた形で君たちにこれを任せることになったのさ。」
「ちょっと待って、そるしえーるって何?」
秋が言う。確かにさっきから輿齊はソルシエール、ソルシエールと言っているが何のことだか良く分かっていなかった。
「ソルシエールはそっちではなんて言っているの?」
輿齊はレイヴァーに問いかけた、レイヴァーは「魔法使いって」と返す。
「そうか、洒落た名前は嫌いなのか。」
「いや、そういうわけじゃない。」
そんなようなやり取りが輿齊とレイヴァーとの間に続いていたが、輿齊が話を断ち切り説明を始めた。
「そういえば、そう。名称が統一されていないんだ。君たちのような……ソルシエー……魔法使いは。」
「どういうことなんですか。」
賀茂が冷静に聞き直す。
「あー、ここからは機密事項だが、まあいいか。世界中では君たちが対処してきたであろう事が連発している。君たちのようなソルシエール組織、まあ日本はパフェ・パフィエだが。それらは大体国家の機密として情報機関とかの配下に置かれている。そのおかげでこの問題の関係国家群は完全に四つに分裂してしまったんだ。」
輿齊が手で四を示す。
「一つはアメリカを筆頭とする日本やら韓国やら中南米に太平洋諸島諸国を含めた西側陣営、二つ目はEUとトルコや西アジアの一部を含む欧州連合陣営、三つはイスラム諸国やアフリカ諸国を含むイスラーム・アフリカ陣営、四つ目はロシアやNIS諸国、中国やら北朝鮮、東南アジアを含めた東側陣営。とまあ、綺麗に分裂してくれたことよ。君たちは、その中のソルシエール組織の一つに過ぎない。日本のソルシエールはそもそも日本が管理する手はずだったが東側陣営がソルシエール、いやあっちではチャロデーイと言ったか。いやそんなことはどうでもいい、ともかくあいつ等が各国家のソルシエールを集結させて軍事力化しようなどという話が大本営アメリカの耳に入るとすぐにCIAは手のひらを返してソルシエールの管理を委任しろと迫ってきた。ロシアのやり方は軍事脅迫的なものだったから、何されるか分からん日本は泣く泣くソルシエールの主導権をアメリカに渡したのさ。」
長話に疲れたのか秋は少々ばかり目が瞑りそうになってパッと開くを繰り返していた。賀茂はいつもどおりの様子で輿齊に向き合っている。
「それで今回政府がお怒りとなって私たちがこんな使われ方をされた訳ですか。」
賀茂は輿齊を責める様に言い立てた。
「ああ、俺らも頑張って『変なことにソルシエールを使うな、国民の安全を守るために居るのだから』と主張はしてみた。でもそんなことJNSCは聞き入れてくれなかった。『ソルシエールにしか制圧できない仕事で、ヴァル・ヴェルデとの大事を起こしたくないし、面倒ごとを国外に持ち去ってくれ。』とな。能力の一覧も知らずに良くも知ったような口を聞くのさあいつ等お偉いさんは。」
JNSCと言うとJapan National Security Council、つまり日本国家安全保障会議ということだ。一線級の内閣のツワモノどもが足をそろえてソルシエールだの魔法使いだの、ガンセリアだのと協議している様子を見れると考えると和葉はその場で笑いがこらえられる気がしなかった。
輿齊はというとやっとこさ自分のコーヒーにミルクを足すところだった。ただ、それはもう既に冷めていた。
「いいか、君たちはこれからもあの国家保守党に振り回される。よくよくあいつらが何をするか見届けるんだな。今回こんな横暴をされ、東側からのソルシエールの圧力もかかっているし、奴等何をするのか分からない。」
国家保守党。仁島和敏総理大臣を筆頭に去年の総選挙にて自由民主党や民主党を大敗させ一瞬で国会を占領したあの極右保守政党のことである。国民はその過激な政策に熱狂し、確かにやろうと思えば何だって出来る。そんな状態であった。
「気をつけろ、奴等は君たちを所詮国家の狗、ゲームボード上の駒としてしか見ていない。だから、もし危なくなったら私のところまで連絡してくれ。」
輿齊はそういって一枚の名詞をテーブルに置く。「時間だな。」と言って席を発った。
「本当にダメな時はそこに連絡してくれ。その時は……今度は絶対に助けてみせる……。」
その背中は哀愁に包まれたかのように見えた。よほど、国保党の命令が管轄を貫いて苦痛だったのであろうか、私たちを保護するための個人的な情なのかは分からないが、酷く疲れているようにも見えた。
賀茂はその名詞を胸ポケットに入れて、席を発った。
「三人ともちょっと来てくれないかしら。」



羽田から離れて東京郊外、時期が時期だけに厚着を何枚も着たような人間が何人も居る。賀茂は無言で二人を引き連れてどこか目的地に向っていた。
秋が「どこへいくの?」と聞いても「まあ、付いて来て。」の一点張りだった。賀茂が何をしたいのか、秋にも和葉にも検討は付いていなかった。もしかして、勝手に動いた秋を叱責するためか。とは思ったがそれにしてもちょっと物陰で言えば良い話で、そもそも相模原の方向には向っていない様子であった。
「ここよ、入って。」
なにやら巨大なドームのような建物の入り口に案内される。周りには人気はなかった。
「ええと、実はパフェ・パフィエの皆には黙っていたことがあって……。」
賀茂が耳の横の髪をくるくると指に巻きつけながら弄ぶ。
「あの輿齊要が言ったことは大体私にも予測できていた。でもこんなに早く大事になるとは思わなかったのよ。だから、混乱させないようにレイヴァーだけの情報で隠してきた。でも、秋も和葉もさっきの話を聞いた様子だと混乱していなくて……その……えっと……。」
何が言いたいのか、賀茂はその先が言えなくなっていた。不快な沈黙が数秒続いた。それは秋の言葉で打ち切られた。
「いいよ、こんなの慣れっこだしそんなに深く考えなくて良いんじゃない?ねえ、和葉?」
いきなり自分に話を振られて和葉は「え、あ、うん」と素っ頓狂な返事しかできなかった。
「許してくれる?」
「うん、別に気にしてないしCIAが絡んでたところから大体何か国家ぐるみであるんだろうなとは考えていたよ。今回もいきなりレイヴァーが情勢不安定国のヴァル・ヴェルデにいきなり旅行に行こうなんて言って来た段階で何かがおかしいとは思っていたし。」
――。
秋はもっと何も考えてない性格かと思っていたが、そうではなく策士的タイプなのかもしれないと虞が沸いたのは今回が初めてであった。
「それで?賀茂ちゃんがここまで私たちを連れてきたのは何か理由があってのことでしょう?」
「ええ、お詫びといっては何だけど賀茂の財団の管理しているこのプールを貸切で利用できるように状態を整えたわ。」
「え、本当に!?ヤバイ!貸切プールだ!!!」
秋が子供のように飛び上がって喜ぶ。まあ、中学生なので子供といえばそうなのだが。それよりも和葉は気になることがあった。
「財団……?って賀茂さんの家はそんな立派なところなんですか?」
賀茂はいやいや違うと手を振って、苦笑した。
「私の叔母に当たる賀茂芽依って人が居てね。その人が立ち上げた組織が賀茂財団よ。色々な事業に投資して手を伸ばしているらしいけれど、今は叔母さんとはあまり連絡が取れなくて疎遠になってるの。システムエンジニアの会社のアシスタントとか今度は言ってたけど直ぐにいろんなところに転々と行ってるから今回はどれくらい持つか……。」
賀茂は横を向いていっていた。
「あ~でも、水着持って来てないよ賀茂ちゃん。入れないじゃん。」
がっと気分が駄々下がりになったかのような表情に秋はなった。しかし、賀茂は食いついたかとの嬉々とした表情でその言葉に答えた。
「付いて来て用意ならいくらでも何でもされているわ。」

「うわあ!何これ!?!?!?」
賀茂に連れられてきた部屋には色とりどりの数々の水着が取り揃えられていた。中にはギラギラ輝くものや色々な意味で際どいものまで何から何まであった。秋はそれらを見て目を輝かせていた。
「いいんですか、こんなことしても。」
和葉は疑問があった幾ら金持ちとしても現代にそんな融通が利くような人は少ないのだろうと思っていた。
「いやあ、叔母さんの財団は色々頭が柔らかい人が揃っているからね。どうぞ楽しんで、ウォータースライダーもあるわ。」
やったとばかり水着を掻っ攫って更衣室に飛び込む秋と対照的に和葉はあまり意欲がわかなかった。というのもこんな寒い時にプールに入るなど考えても居なかったからだった。
「私は寒いし遠慮します……。」
「ああ、それならうちは温水プールだから。」
どうやら彼女の財団は只者ではないらしい。温水プールを都合で動かせるレベルで。吹っ切れて和葉も楽しむ気になったのはまた別の話だ。



「うーん。」
やはり、和葉はまだちゃんと楽しむ気には成れなかった。室内や水温が冷たいわけでも、学校で使うようなあのレオタード様な水着を選んだからでもその理由は違うのであった。
プールサイドでただスポーツドリンクをゆっくりと啜り何が自分の心に引っかかっているのか忘れてしまったことを思い出そうとしていた。
そんな和葉を差し置いて、ウォータースライダーから勢い良く飛び出し、「ひゃっはー!」とか良いながら水面に激突している秋を見ても和葉は二度と彼女を侮るまいと思っていた。
「どうしたの?プールに入って遊ばないのかしら?」
気付いていた賀茂が和葉の横の椅子に共に座る。和葉と違って彼女はプールに浮いているだけというのが楽らしく、秋のように激しくここを楽しむことはしていなかったようだが和葉の様子をみて気になったのかプールから上がって近寄ってきたのであった。賀茂の心配した表情を見て今度こそ和葉は彼女に心配やら離反したり信用を損なってしまうようなことをしてはならないと心に深く刻んだ。
「いや……ちょっとまだ色々考えていて……。」
「もしかして、パフェ・パフィエに政治が絡んでたことを言わなかったのをまだ怒ってるとか……?」
賀茂の表情は深刻さを増しているかのように見えた。彼女のような人には合わない表情。そう思った。
「いや、まあ、そもそもパフェ・パフィエに国際問題が関わっていること自体に驚いたというか……まあ、それでもここから出て行くというわけではないですけれども。」
和葉は賀茂に刺激を与えないように適当に言っておくと、賀茂は少しばかり顔を和らげた。
「国際問題も大事よ。ロシアを含む西側は他国陣営の『魔法使い』も狙ってあわよくば拉致を敢行しているらしいわ。人類にとっての危機なのに、協力もせず私たちのような人間が何人も居るのにそれを政治や軍事、地政学的な利益のために有用に使えない。それだけで何人の人が死んできているのかは数え切れないわ。だから、私たちはクレアのように……」
言い詰まったとばかり、賀茂は口を閉ざしてしまった。クレアとは誰なのか。和葉はパフェ・パフィエに入ったときからの疑問であった。彼女は何もでこの組織にどのような影響を与えたのか。それを知るのが、こんなに早く来るとは思いもしなかった。

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最終更新:2017年12月15日 18:03