#03
Afzarfrirga
「……。」
「……。」
燐は人型のレディネス・ウェポンであるノイと共に、日本海海上都市の防衛省の施設内に居た。燐もジェネシスとなる認定を受けて、機構から月に一度、10~20万円辺りの手当金が支給されると通告を受けた。幸い一人暮らしだったものの、学校の転入処理やら引越しまで端島が勝手に手配をしているところを見ると、その用意周到さに身が震えた。
今朝は用意された公務員宿舎の部屋から午前5時に端島に直通回線でたたき起こされた挙句に、防衛省の施設に呼び出され、今、ただの少女にしか見えない人型のレディネス・ウェポン、ノイと一緒に部屋の中に閉じ込められてしまっている。
予定の時間は既に数十分も超過していた。
端島も誰も全く来る気配が無かった。ただノイと二人だけ、部屋に残されていた。長時間待っているのも退屈だったのでノイに話しかけようとしていた。
(綺麗な髪だな。)
端島から後で聴いたことだが、人型レディネス・ウェポンはどうやら制作された際に自らをトニーナスチェーと自称したそうだ。トニーナスチェー、地球上のどのような言語で探しても全く関連の無い言葉になったんだそうだ。「それでも、自分たちはトニーナスチェーである。」とひたすら言ったそうである。ノイはレディネス・ウェポンとしてネイムレスのコアから精製され、人形に整形され、思考の中心であるコアには何の制限も課していない。ただ単に、ネイムレスが人間を襲うものであるのと対照的になっているのは、何故作られ、誰の側に付き、何を救うかの違いでしかない。
しかし、人間をここまで殺して、一体ネイムレス達は何を守ろうとしているのか。自分たちの命か、はたまた大切な何かか、いずれにしろ大切な故郷を奪い、世界中を恐怖の底に陥れている罪はそんな理由では拭えるものではなかった。
「なあ、ノイ……だっけか?」
名前を呼ばれたノイは鮮明に色塗られたインク・ブルーの髪を揺らして、振り向く。
「俺は八ヶ崎燐って言うんだ。ジェネシスになれるって端島さんに言われたけど、能力はネイムレス誘引。君は何て呼んだら良いんだ?」
ノイは、じっと燐を見つめながらその言葉を咀嚼しているようであった。そして、ふと、喋ろうとして喋るのをやめる。そのようなことを何回か繰り返していた。
「あ、無理して喋らなくて良いんだ。ご、ごめん。」
バツが悪くて、顔を傾けるとノイがこちらに向き直った。
「La lex es l'nix la firlex. Selene niv mi lkurf cossa'l cun fi mi lkurf fhasfa, fontalsen larta firlex niv la lex. Co firlex mi'd lkurfo?」
「えっ?」
ノイは諦め顔になって、そっぽを向いてしまった。その瞬間、目の前のドアが開き端島が現れた。
「端島さん、遅すぎでは無いですか。」
「いや、すまないな。政府の馬鹿どもがここでのレディネス・ウェポン開発の段階的中断を申し出てきてな。馬鹿を言うなと正気に戻らせてやった。」
白衣姿のままで燐の真向かいに座ると共に、後ろに居た人物を呼び寄せた。
「そちらは?」
燐が訊くと、端島はバツが悪そうに頭をかきながら、ため息をついた。
「こいつは、国立言語学研究所の
藤見桜だ。ノイの言葉に関する研究をこちらから依頼したところだ。」
言葉?
そういえばさっき話しかけたときには良く分からない言語で話していたような。
「あの……ノイは何語で喋っているんですか。」
「彼女はね、端的に云うとこの地球上に存在しない言語で喋っているの。」
藤見が話している間に割り込んでくる。
ノイ自身は顔を背けたまま話を聞いているようであった。
「――どういうことですか?」
端島は自分の持ってきたアタッシェケースを机の上で開けて中の書類を燐の目の前に差し出した。
「ノイの発話の記録データだ。ちなみに君が先程駄弁っていたのも記録されている。」
何か聞いてはいけない事を聞いてしまった気がしたが、燐は頭からそれを振り払い、書類を読んだ。
「全く分りませんね。」
「だろうな。」
防衛省の重鎮端島とはいえ、言語に関して精通しているわけでもなさそうだ。ましてや、ロシアで日本人学校に通っていた燐が分るとすれば学校英語と日本語と、少しばかりのロシア語のみである。分るはずも無い。
「誰もわからないんじゃ、意思疎通ができないわけで、そういうわけで国立言語学研究所に何語か見極めてもらおうとしたわけだが――」
「この地球上の自然言語とは全く持って適合しない、それでもって重要な事が発覚しました。」
端島は持ってきたお茶のボトルを呷る。
「
アフの子孫事件と言うのは知っているかね。もっとも、この名前ではなく『2014年同時多発テロ』という名前で知っているだろうが。」
燐は記憶を探り始めた。
2014年同時多発テロ、と言うと数十年前世界を脅かしたキリラーム教の過激派であるESESという武力組織がヨーロッパや中国、アメリカ大陸全体を同時に攻撃し、政府崩壊直前までに至ったテロ事件である。そんな事件とノイの言語が何の繋がりが在るのか。
「『2014年同時多発テロ』、というのは国際社会がそうやって隠すようにオブラートをかけただけで、実際は
アフの子孫事件と呼ばれている。キリラーム教の過激派だとか、ESESの示唆によるテロだとか言われているが全部大嘘だ。政府や国際社会がそうやってベールをかけて見えないようにしているだけに過ぎない。」
燐は机を小突きながら、端島を一瞥した。
「どうしてそういう陰謀論的な話になるんですかね。話が全然見えてきませんね。」
「だろうな、実際俺もそうだった。」
端島はもう一枚書類を取り出して、燐の目の前に置いた。幾つかの爆破されたような残骸や読めない文字の羅列などがそこにはあった。
「キリラーム教の過激派テロ組織の攻撃だとするとおかしい点がいくつかある。一つは、地球上に存在しないはずの兵器技術、戦闘様式の存在だ。人が消えただの、頭がいきなり破裂しただのの報告が前線兵士からは出ている。もちろん秘匿されたがな、どうやってかは聞かない方が良いぞ。精神衛生に悪い。あと、二つ目がそれら兵器の残骸に書いてあった謎の文字だ。あれは地球上の言語では使われない文字だったらしい。三つ目、奴等は同時に政府を破壊できるほどの武力を持ちながら一定時期を越えてから退却したことだ。主義主張を押し通すためなら政府を破壊して、宗教政府を立てれば良いのにおかしいことだろう。劣勢でもなかったのにな。」
燐の目の前にあった読めない文字の羅列、それは謎の攻勢勢力の文字であったということか。
「じゃあ、この事件は誰が何のために攻撃を仕掛けたんですか。まさか、異世界からの侵攻だとか言う訳じゃないでしょうね。」
端島は頭をさすりながら、燐に向き直った。
「俺も科学者だし、そういったことは言いたくないのだが、異世界とこの世界が密接に関係していて、異世界側から何らかの理由で侵攻して来たというのが事実らしい。謎の言語を使う人間がいきなり防衛側戦力に加勢してきたという記録がある。」
「彼等が使う言語は今は
リパライン語と呼ばれていますが、地球上では一人の人間が作った創作言語ということになっています。ノイさんが喋る言語には、それに強い類似性が見られます。ここから、ネイムレスは
アフの子孫事件に関係する可能性がありますし、対話でできるならしたほうが良いなという考えなんですよね。端島さん。」
端島は頷いて、燐の肩を取る。
「まあ、そういうことだ。八ヶ崎燐よ、君は
リパライン語を習得して、ノイとの意思疎通を取るのだ。」
「はぁ!?」
驚いて身を乗り出す。ジェネシスに成れるからといってここまで来たはずが、良く分からない外国語を勉強して、良く分からない人工生物と話せと言われて承諾できるはずが無かった。
「それ、俺である必要ないですよね。例えば、そこの藤見さんとかでも。」
端島は苦そうな顔をして燐を睨みつける。
「
八ヶ崎翔太と
アレス・シャルを知っているか。」
燐はいきなりの質問にぎょっとした。
八ヶ崎翔太。自分と同じ苗字だが聞き覚えが全く無い。
アレス・シャルの方は全く持って、聞いたこととの無い人名だった。
「いえ、全く知りませんね。」
「
八ヶ崎翔太は君の叔父にあたる人間だ。
アレス・シャルと協力して、前線に向って戦っていたという情報がある。つまり、ここで分るのは面白いことにこっちの人間も超能力者になれるってわけだ。」
「超能力者って言っても――」
存在理由を持っている少年少女達は今になっては有名な超能力者集団だろうが、と言いかけたところに端島が言う。
「おっと間違えないで欲しいが、ここで言ってるのは一端のジェネシスとは格が異なる。ともかく、燐君。君にはその素質がある。ネイムレスをぶっ殺したいのであれば――おっと。」
端島が腕時計を一瞥して言う。どうやら、何かの予定が在る様だ。
「話はここらへんで終わりにしよう。二人は解散かデートでもしてな。」
端島は世話のない言葉を吐いて、部屋を後にした。
「ほぉ……デートねぇ……。」
藤見が嘆息したように声を上げる。
「お二人さんには少しばかり時間を空けてもらおうかな。」
ノイの仏頂面も合わせて、藤見のニヒルな笑いは何かこれから起きるようなことを象徴しているように感じた。
ネイムレスによる終末が近づいているにもかかわらず、我々は「自分だけは」という心持で暮らしている。そう暮らさなければ、誰しも精神を狂わせてしまうに違いない。無用な混乱を避けるため、ジェネシスと世界防衛機構の働きを賞賛し、その活動をマニアックに観察し、酷いところではアイドルもどきになっている場合もあると聞く。全く持って理解できない。ネイムレスの被害が拡大して、それへの対抗手段としての唯一の武器であるジェネシス達を神聖視するのは人間の本能的な縋りが理性を操作しているようなもので、全く健全であるとはいえないのである。
社会を維持するために、精神を維持するためにそんなことは無視されている。だが、人類共通の敵として、ジェネシスのようなか細い対抗手段のみを認めるというのは、海辺にコバルト爆弾を置いて数メートルの堤防で守るようなものである。数十メートルの津波が来れば、全ては無意味と化す。ジェネシスとはそういうものであると思っている。
最終更新:2017年12月30日 01:27