魔王ルーゼルの復活


 黄昏の都ハルト。
 かつて栄華を極めた壮大な都は、いつしか人々に棄てられ荒廃し、ついには戦乱の世に魔族達の居城と成り果てていた。
 ただ過ぎ去る刻の中で、棄てられた恨みの念が宿るのか、闇に潜む者達は誰彼となくこの都を好み、安息の地とした。
 月のない夜、深淵の闇に抱かれた廃都にひっそりと佇む城の一室。
 所々に年月を感じさせる染みを広げた石造りの床に、一面、真っ赤な血で鮮やかに魔方陣が描かれている。
 その魔方陣の中央に人形を模った像が祭られ、室内を照らす淡い蝋燭の灯火に浮き上がる影が揺らいでいた。
 黒色の先が奇妙な帽子を被り、これも黒色のローブを身に纏った一人の少女が、手にした古びた本を開いて何やら一心に言葉を紡ぐ。
 少女の背後、部屋の片隅には事の成り行きを見守る影があった。
「我が声に応えよ、汝の名は魔族が王ルーゼル。
死を超ゆる者よ、束縛されし永久の闇より目覚めたまえ……」
 少女がはっきりとした言葉を紡いだ。蝋燭の灯火が微かに爆ぜる。
 室内に少女の凛とした声が最期に響いてから幾許かの刻が過ぎた頃、静寂に耐えれなくなったのか男が堪らずに口を開いた。
「本当にこれでよいのか、ヨネア殿」
「その、はず、なんだけどね。間違えちゃったかも、えへ☆」
「ヨネア殿……これは遊びではないのだぞ」
「わかってますよ~だ。おじちゃんはちょっと黙っててよ」
 苦言を呈された事に腹を立てたのか、少女は頬を膨らませる。
 年寄り呼ばわりされたパルスザンは怒る気にもなれず、傍らに控える召使いに視線をやった。彼の召使い女魔族シャルロットもまた、困ったという風な上目遣いでそれに返す。
 魔族が王ルーゼルが、冥王との勝負に敗れその姿を消してから歳月は瞬く間に過ぎた。パルスザンはルーゼルの亡き後、人界から身を引くつもりであったが、他の魔族達に説得され勢力を保とうと骨身を削る。しかし、その過程で仲違いを起こし、反目する同族との戦いに明け暮れる日々を送っていた。そんな彼に、主君の復活を仄めかした一人の少女が居た。
「おっかしいなぁ~」
 手にした本をぱらぱらと捲り、首を捻る。手順に間違いがない事を確認したのか、本を閉じると無遠慮に魔方陣へと入り込み、中央に置かれた像を杖でやたらに叩きだした。
 魔王ルーゼルの四散した身体は、一片の血肉すらその場に残さなかった。だが、彼の強大な魔力は、肉体を失っても僅かながらにその思念を残している。パルスザンはそれを必死にかき集め、彼を模した像へと封したのであった。残された魔力から肉体を再生させる。魔王を現界させたヨネアならばもしや、と、彼は考えた。
 ヨネアは執拗なまでにルーゼルの化身ともいえる像を杖で叩き続けている。そのあまりに遠慮のない様に、さしもの温厚なパルスザンもとうとう怒りを露にした。
「ルーゼル様に対してなんと無礼な振る舞い……もう我慢ならん」
 一歩を踏み出したとき、唐突に室内に変化がおきた。
 血で描かれた魔方陣が煌々と輝きを放ちながら、その血が徐々に像へと流れ染み込んでいく。それはまるで生血を啜るかのようで、その光景に目を奪われていると、閉め切られた室内に怒涛のごとく風が巻き上がり、渦を巻いた。蝋燭の灯火はかき消され暗闇が辺りを支配する。頭に幾重にも響く凄まじいまでの唸りが室内を満たし荒れ狂う。あまりの事にヨネアは驚き、急いでパルスザンの背に隠れる。その横には、彼の手をひしと握り締めるシャルロットの姿があった。
「おお……感じるぞ……ルーゼル様のお力だ」
 パルスザンの目に、室内を縦横無尽に奔る全ての力が、一点に、像に収束をはじめたのが見て取れていた。凝縮された力が像へと取り込まれていく。
 魔王ルーゼルの復活は間近であった。
 像に無数のひびが生じ、内から夥しい闇の波動が漏れ、禍々しい輝きを放つ。
「ルーゼル様……!」
 パルスザンが震える声で叫ぶ。その叫びに呼応するかのように、像が大きく鳴動し、爆散した。


 暗闇に支配されていた室内を、蝋燭の灯火が蒼白く輝き辺りを明るく照らす。まるで主の復活を歓迎するかのように、自然と独りでに灯ったようである。否、正しくは、目覚めた自身の姿を配下達に見せようというルーゼルの配慮であった。
 永い眠り。そう、ただ無に呑まれた彼は、眠っていた。何も感じず、何も考えず、真の闇にたゆたい眠り続けていた。
 何時からそうしていたのかも解らぬ彼の耳に、ひとつの声が響いた。
 ――。
 なんだ、我は眠いのだ。邪魔をするな。
 ――ゼル様。
 うるさい。眠らせてくれ。

 ――ルーゼル様。
 ルーゼル? なんの事だ。
 ――ルーゼル様!
 そうか……我の名であったな。その声はパルスザンか。わかった、今、起きよう。
 永い眠りから目覚めた彼の目に、心配そうな表情を浮かべるパルスザンが映る。その顔は、何故かやけに高い所にあった。


「な、なんだこれは」
 城の一室、ルーゼルが使用していた部屋はそのままに残され、復活を果たした主を迎え入れていた。
 部屋の壁に掛けられた鏡を前に、ルーゼルは戸惑いの声をあげる。そこに映る自身の姿が信じられないという風に、手足を動かしては、つぶさに確認するように目を見開く。
 鏡に映るのは、背の低い小柄な男がひとり。
「やあん、かわいいのだわ!!」
 魔族の雄ドラスティーナが、そんなルーゼルの一挙手一投足に艶やかな歓声で反応している。
 二人のやり取りを背後で見守るパルスザンの口から、自然と溜息が漏れた。
 魔王ルーゼルの復活は成った。儀式は成功した。
 しかし、どこをどう間違ったのか、姿を現したルーゼルは元の彼に比べ極端に背が低かった。他者を圧倒する威厳を湛えた声色は鳴りを潜め、背格好に合った物となっている。まさに子供であり、その表現が一番適切である事は誰の目に見ても明らかであった。復活の際、ルーゼル様の身に何が起きたのか、事の仔細をヨネアに問おうとしたものの、当の彼女は一目散に消えてしまい訊きそびれている。慕い続けている主君に今一度逢えた事は、パルスザンにとって何事にも換えられない嬉しさがあったが、その心中は複雑である。
「ルーゼル、ちょっと波動を試してみるのだわ」
 ドラスティーナが笑みを浮かべて催促していた。
「う、うむ」
 ルーゼルが小さな両手を開いて前に突き出す。彼の得意としていた魔の波動を、その手の平から放とうとする。一声、唸った。
 ポンッという乾いた音が鳴り、煙がもくもくと昇る。
 波動は、魔族であれば大抵の者が容易に扱える力である。以前の彼からは想像もつかない余りの事に、ドラスティーナは堪えられなくなったのか、
「あはははははは」
 と、目の端に涙を浮かべて笑い出した。
 ルーゼルは小ぶりで愛嬌のある顔を真っ赤に染める。
「わ、笑うな!」
「お、怒らないで……ふふ……ほ、ほ、欲しいのだわ。そう、ナイトメアはどうなのだわ」
 ナイトメアは魔王ルーゼルの奥義にして、彼の力の象徴ともいうべきものである。
 ルーゼルもそれならばと、自らを奮い立たせるように、先程と同じように構えをとった。
 結果は前より悲惨だった。プスッという何かが明らかに不発した音が僅かに室内に響いただけで、今度は煙すらも昇らない。ルーゼルは愕然とした表情を浮かべ、両手を床について崩れた。その背にドラスティーナの容赦ない笑い声が降りかかる。
 パルスザンの口から漏れた溜息の原因はこれであった。復活を果たしても、その力は失われたまま。これでは誇り高いルーゼル様に申し訳が立たない。今一度、主君として魔族を率いて欲しいのだが、この状態では到底、他の者に対して示しがつかない。パルスザンは自責の念に苛まれていた。手をついて項垂れる小さな主君に、何か言葉をかけようと考えるも、それはただの慰みにしかならないと思い留まる。復活したルーゼルは、事の顛末をパルスザンから聞かされても、決して彼を責めようとはしなかった。それがまた、パルスザンの心をきりきりと締め上げる。
 その事を知ってか知らずか、ひとり目に涙を浮かべて大笑いをしていたドラスティーナが、ふと黙り込むと、背に生えた美しい翼を羽ばたかせて床に崩れるルーゼルの下へと詰め寄った。
 豊満な胸にルーゼルの小さな顔を押し付けるようにして強く抱きしめる。急に抱き寄せられたルーゼルが、手足をばたばたと動かして抵抗するが、彼女は一向に離そうとしない。その頭を撫でる彼女の表情は、目許に優しさを湛え、愛しむように柔らかい。ルーゼルも抵抗を諦めたのか、なすがままにされていた。
 室内に、ただ、静かな刻が流れる。
 何時までもルーゼルを抱くドラスティーナに、パルスザンがいい加減に声を掛けようと口を開きかけたとき、それを察したのか、彼女が口元に人差し指を添えた。
 不思議に思う彼の耳に、微かな寝息が聞こえてくる。どうやら、胸に抱かれたまま寝てしまったようだった。小さな身体で無理に力を行使して疲れたのだろうか。
 パルスザンは扉を静かに閉め、部屋を後にした。
 静寂に包まれた長い廊下に足音が響く。
 魔王ルーゼルの復活は成った。しかし、その力は完全ではない。
 パルスザンの心に新たな使命が生まれていた。
 ――ルーゼル様を、いつか必ず元のお姿に。
 成すべき事は実に多い。自分に果たして、それだけの力があるのか。
 自問する彼の手を、包むように何かが触れる。
 意志を表すかのように、その手を強く握り返す。
 長い廊下に響く彼の足音に、寄り添うようにもうひとつの足音が響いていた。


  • 熱いね! -- 名無しさん (2020-08-03 20:37:27)
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最終更新:2020年08月03日 20:37