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株式会社黒ばら本舗(くろばらほんぽ、英:KUROBARA HONPO)は、東京都墨田区に本社を置く化粧品、医薬部外品の製造販売などを行っている企業。
企業概要
社名 株式会社黒ばら本舗
コーポレートサイト https://www.kurobara.co.jp
本社 〒130-0004 東京都墨田区本所2丁目17番7号
TEL 03-3625-0040(代表)
代表 代表取締役社長 滝澤 芳子
創業 大正12年11月3日
主要取先 全国主要卸問屋
コーポレートサイト https://www.kurobara.co.jp
本社 〒130-0004 東京都墨田区本所2丁目17番7号
TEL 03-3625-0040(代表)
代表 代表取締役社長 滝澤 芳子
創業 大正12年11月3日
主要取先 全国主要卸問屋
沿革
- 大正12年(1923年)関東大震災後の11月、創業者初代社長瀧澤直治郎(新潟県柿崎町出身)が当時の本所原庭町28番地に於いて化粧品製造、一般油脂類の販売を業として「瀧澤勇昇堂」を屋号として創業開始。
- 昭和5年(1930年)油脂取扱部門を充実強化し、化粧品原料・石鹸原料等に販路を拡張。特に、粉末石鹸の主要原料として主流を占めていた醤油副産油(醤油アブラ)を野田醤油株式会社(キッコーマン)の特約店の権利を取得、月々18リットル入り缶2,000~3,000缶を取扱い、活況を呈した。
- 昭和16年(1941年)事業拡張に伴い法人化。「合資会社瀧澤勇昇堂」となる。 第二次世界大戦への道を進むにつれ、化粧品原料も戦時物資統制下に入り割り当て配給制へ。 化粧品原料である植物油原料が減少する我が国において、当時の業界団体「日本化粧品工業統制組合」に加盟する各メーカーに向け、植物油全量の割当配給業務を弊社が代行。 その一方で、弊社従業員も順次徴兵動員される。
- 昭和20年(1945年)東京大空襲により、3ケ所の倉庫・工場及び本社社屋が全焼失。無尽に帰す。終戦を機として、動員された従業員も帰還が始まる。
- 昭和21年(1946年)敗戦による極端な原料不足の折の中、油脂・原料等を取扱っていたルートからの供給を得て生産も徐々に向上、販路も全国的に拡大。
- 昭和24年(1949年)合資会社を株式会社瀧澤勇昇堂に組織及び名称改組。
- 昭和27年(1952年)「東信用組合」を設立。社長瀧澤直治郎が初代理事長に就任(昭和49年4月退任)。
- 昭和28年(1953年)「ネオポアン」ヘアクリームを開発、業界に先駆けて新発売。
- 昭和31年(1956年)化粧品部門強化のため、「株式会社瀧澤勇昇堂」を「株式会社うた椿」に社名改称。
- 昭和37年(1962年)油脂部門を分割、「有限会社黒ばら油脂」を設立。更に、増資を機に「株式会社黒ばら本舗」に社名変更、化粧品専業へ。
- 昭和39年(1964年)我が国初のデオドラント「レッグフレッシュ」を開発、医薬部外品として発売。
- 昭和43年(1968年)4月:社長瀧澤直治郎、勲5等雙光旭日章授与。
- 昭和49年(1974年)4月:瀧澤直治郎が社長退任、会長に就任。同時に瀧澤亮一が代表取締役社長に就任。
- 昭和53年(1978年)10月:社長瀧澤亮一、東京都知事より薬事関係発展に寄与した功績により、感謝状授与。
- 昭和58年(1983年)2月:こめぬか成分を配合した基礎化粧品「みはだ」ラインを発売し、スキンケア部門に参入。
- 昭和59年(1984年)10月:保険衛生に寄与した功績により、東京都知事より功労章授与。
- 昭和60年(1985年)10月:薬事衛生における業務精巧により、厚生大臣より表彰状授与。
- 平成10年(1998年)3月:滝澤亮一が社長退任し会長に就任。同時に滝澤芳子が代表取締役社長に就任。
- 平成11年(1999年)7月:埼玉県羽生市羽生小松工業団地に倉庫建設。
- 平成15年(2003年)「純椿油」ツバキオイルシリーズ発売(4アイテム)。
- 平成17年(2005年)資本金3,500万円に増資。
- 平成20年(2008年)墨田区本所に第二工場を完成。
- 平成25年(2013年)11月:創業90周年を迎える。
- 平成28年(2016年)純椿油と椿オイルシリーズで、「すみだモダン」認証。
企業理念
誠意と感謝の気持ちで誰からも愛される会社を目指し、多くの人に安心で信頼される商品の開発・製造に取り組んでいる。
大正12年(1923年)に本所区原庭町において初代社長、瀧澤直治郎が化粧品製造販売並びに一般油脂販売業「滝澤湧昇堂」を創業。
大正15年本所地区区画整備により、元本社所在地本所2丁目に移転し本格的に化粧品製造販売に入る。
昭和21年戦災により全焼した事務所・工場を新築、事業を再生し、戦後の復旧に努めました。昭和29年に我が国初めてのヘヤークリーム(液状)の製品化に成功し、昭和37年に現在の「株式会社黒ばら本舗」に社名変更し、今日に至っている。
化粧品は今では健康及び生活衛生面での必需品として、また、生活文化向上の責務をもった重要な業種となる。
その中で「黒ばら本舗」は自然が作り出した天然成分にこだわり、それらを商品化することでナチュラル志向の人々へ美しさを提案してまいりました。
幸いに人の本来の美しさに目覚めた自然派の方々に支えられ、企業としても好調に伸長している。
大正12年(1923年)に本所区原庭町において初代社長、瀧澤直治郎が化粧品製造販売並びに一般油脂販売業「滝澤湧昇堂」を創業。
大正15年本所地区区画整備により、元本社所在地本所2丁目に移転し本格的に化粧品製造販売に入る。
昭和21年戦災により全焼した事務所・工場を新築、事業を再生し、戦後の復旧に努めました。昭和29年に我が国初めてのヘヤークリーム(液状)の製品化に成功し、昭和37年に現在の「株式会社黒ばら本舗」に社名変更し、今日に至っている。
化粧品は今では健康及び生活衛生面での必需品として、また、生活文化向上の責務をもった重要な業種となる。
その中で「黒ばら本舗」は自然が作り出した天然成分にこだわり、それらを商品化することでナチュラル志向の人々へ美しさを提案してまいりました。
幸いに人の本来の美しさに目覚めた自然派の方々に支えられ、企業としても好調に伸長している。
椿油
椿油(英名/カメリアオイル:camellia oil)とは、ツバキ属ツバキ科に属する各種のツバキの種子から採取される油の総称で表示はカメリア種子油。
日本で椿の代表といえば、「ヤブツバキ」。冬から早春にかけて花を咲かせる。
もともとヤブツバキが日本の椿の代名詞となったのは、石油のない時代に貴重な油を採取するのにその大きな種子が適していたからともいわれている。
椿油と日本人との関わりは1200年前の万葉集の時代までさかのぼります。当時から椿油は食用、灯用、化粧用等、私たちの生活において様々なシーンで使われてきた。
そのため、椿は古来より園芸だけでなく、重要な油用植物として扱われてきた。
それから江戸時代に時を移し、椿油は整髪料として巷に普及した。
日本で椿の代表といえば、「ヤブツバキ」。冬から早春にかけて花を咲かせる。
もともとヤブツバキが日本の椿の代名詞となったのは、石油のない時代に貴重な油を採取するのにその大きな種子が適していたからともいわれている。
椿油と日本人との関わりは1200年前の万葉集の時代までさかのぼります。当時から椿油は食用、灯用、化粧用等、私たちの生活において様々なシーンで使われてきた。
そのため、椿は古来より園芸だけでなく、重要な油用植物として扱われてきた。
それから江戸時代に時を移し、椿油は整髪料として巷に普及した。
事業所一覧
本社 | 東京都墨田区本所2-17-7 |
第一工場 | 東京都墨田区本所2-17-7 |
第二工場 | 東京都墨田区本所2-18-5 |
オフィス | 東京都墨田区東駒形2-3-2 |
配送センター | 東京都墨田区東駒形2-3-2 |
倉庫 | 埼玉県羽生市小松台2-705-27 |