わたしと教授の秘境探検記 『白鳥島』

 砂浜に寝転び空を見上げる。一羽の鳥が自慢するように翼を大きく広げて、外へ羽ばたいていくのが見えた。次いでまた一匹ほれもう一匹と いう具合だ。彼らは自由でいいな、と思った。
 それに引き換えわたしたちときたら……

「リーンス! こっち来いよ、凄いぞ! ほら、これも……おや、これはまさか!」
 さっきから教授はずっとあんな調子だ。大きな子供のように顔をてからせながら、あちこち走り回っている。微笑ましいとは思えない。
いやまったく。
「教授、うるさいです」
「うるさいとは何だ! こんな宝の山を目にして、どうして大人しくしていられよう」
「じゃあひとりでやっててください。わたしは今、たそがれてるんです!」

 教授は目をパチクリし

「こんな昼間からか?」
 わたしはもう無視することに決めた。だいたい、この状況でどうしてそう能天気でいられるのか。もっと心配事とかないのだろうか。

 例えば、もうお家に帰れないどうしよう! とか
 ごめんね、お母さん、お父さん。一人娘の晴れ姿を見せられないで! とか
 幾らでもあるだろう。

「――それより教授。この島から出る方法、何か思いつきましたか?」

 教授は目をパチクリし

「あー……忘れてた」
 だろうと思った。魂を吐き出すくらい大袈裟に溜息をつくと、教授ではなく海の方に視線を投げる。

 背後から鳥の鳴き声が聞こえ、更に一匹が外の世界へ羽ばたいていった。

命からがら島に着いて、まず最初にわたしが陸地に飛び降りた。教授が何やらうるさかったけれど無視しておいた。

 島はやはり想像通り、抑えるもののない自然がのびのびと成長していた。しかし未知の生物やら何やらはとんと見つからない。精々、島に生息している鳥たちが僅かながら、魔翌力に反応したことくらいだ。
 教授は先住民(現在はもう滅んでしまったか出ていってしまったか定かではないが、現在は島にいない)の残した変な絵とか文字とかを毎日恋人を見るようにいつくしんでいる。
 期待していた分、それはとてもがっかりな現実だった。あらかた調査を終えてしまったわたしの脳内で現在最も重大な問題はもちろん

 白鳥海域

 島を守護する濃密な霧と、そこから発生する無限の兵隊たち。魔翌力に反応して爆発を引き起こすから、今まで誰も島に近づくことはできなかった。しかし教授の旧友が魔翌力を使わずに動く船を開発したおかげで、とうとう辿り着くことができた。

 あの悪魔の海域を超えられたのは奇跡に近い。どうやら霧が見える範囲までが奴らの行動範囲らしかった。島からでは僅かに霧が見えない。
しかし帰る時は、必ずあの霧を超えていかなければならないというのだから気が滅入る。

 しかし、わたしたちを運んできた船はもう既に天に召されてしまった。
 非常にまずいことに、早急に代わりを探さなければならないのだが、木造の手漕ぎのボートでは気が遠くなるほどの時間がかかる。魔翌力を使えば爆撃。打つ手なし。
 完璧に閉じ込められてしまった。

 教授は、わたしは思う、どうしてあんなに余裕なんだろう。あの人は怖くないのか?もう二度と大学に戻れないかもしれないことが。どうして、わたしは悔しい、わたしは震えが止まらないのだ。まだ教授よりもずっと子供なのだと思い知らされる。

 それが、とても、悔しくて

「教授、これ、何ですか?」
「白鳥だよ。俺たちを散々いじめてくれたな。魔翌力を放出しておびき出し、捕まえた」

 その鉄製の檻にはあの見るもおぞましい霧の胴体を持つ悪魔たちが何匹も何匹も。

「わたしは食べませんよ」
「誰も食べろだなんて言っとらん。それよりも、何か気付くことはないか?」

 気付くことと言われても。どうして教授がこんなに多くの鳥たちを集めたのか。とうとうシンリ的なストレスで頭がおかしくなったのか……

「あ――。この鳥たち、島にいたのと似てますね。特に羽の部分」
「その通り。こいつらは正真正銘あの鳥たちだ。羽だけ……胴体はごっそりと取り替えられちまってる。まあ、つまりはそういうことだ」

 教授曰く、その鳥の胴体、つまり霧にあたる部分はれっきとした魔翌力であるらしい。『反魔翌力』と呼ばれている。まだ発見されてから日の浅いものだ。
 それは魔翌力でありながら、魔翌力と接触することで凄まじいエネルギーを生み出す。
 船の動力部分と衝突して爆発が起きたのはそのせいだ。しかし接触しただけでは爆発は起きず、近くにたまたま火種となる物があったから爆発が起きたらしい。

「だけど。羽だけが鳥たちって、どういう?」
「島のあちこちに資料が彫られていてな。過去に魔族たちが住んでいた痕跡を見つけた。正確な解読は不可能だったが、大まかな流れを掴むことはできた。
 あの霧は紛れもなく魔族たちが作った物だ。どうやって作ったかはわからんがな。ああして霧が島を覆うものだから、飛び立つ鳥たちは、いやでもあの霧に捕まってしまう。捕まれば最後、二度と元には戻れない。あの鳥たちは恐らく島の外にメスを探しに出かけているのだろう。
生態系のバランスが崩れているからな。そして鳥たちは魔翌力に反応する性質を持っている。反魔翌力たちはそこに目を付け、鳥たちに寄生し魔翌力 との接触を図っているのだ」

「それ、まるで反魔翌力が明確な意思を持っているような言い草ですね」

「意思など持たない。あれはただそういう風に“生きて”いるだけだ。善意も悪意も何もない。そういう仕組みなのだと理解すれば、後は簡単 だ」

 ニヤリと悪魔の顔。

 ギーンと回転する刃を、思い切り突き刺し、ぶった切る。もう何本目かの木材が倒れた。そろそろいいかしら。
 これだけあればボートを作るのには事足りるだろう。木材を分担して運んで行く。
 魔法を使えれば簡単なのだが、白鳥たちを刺激するのは極力控えるように、と教授が言ったために、こうして力仕事に精を出さなくてはなら ないという次第だ。
 女にさせる仕事ではない。

 教授は手漕ぎボートを作れ、と言った。
 あの鳥たちを使い、魔翌力と反魔翌力の摩擦によって生じるエネルギーを使って船を進めるという作戦らしい。そんなに上手くいくのか、かなりの不安が渦巻いている。
「というか、当の教授はどこに……」

 いた。海の向こうを、円筒形のよくわからない道具を使って一心に見ている。
 何をしているんですか、と訊ねると、霧が晴れる時間帯を見ているらしいことがわかった。何でも数日間に数秒だけ、霧は晴れるらしい。
「……」
「どうした。何か言いたいことがあるなら言うがいい。三割くらいは聞いてやる」

 わたしは視線を足元に這わせ、舌を軽く噛み、腕を組みながら言葉を探すように少しだけ沈黙して、それから一大決心のように言葉にした。

「教授は、……その。何時もはおちゃらけてるじゃないですか。なのに、どうして、こんなときだけ真面目になって――いいえ。違う。そんなことじゃない!」

 ――教授は、怖い、って思ったことないんですか?

 波の揺れがやけに大きい。鳥たちのさえずりがやけにうるさい。遠くで船造りに精を出す皆の声がはっきりと聞こえる。
 教授は目を細めて、考え込む時によくそうするように、遠くをじっと見た。

「怖いな。うん、かなり怖い。だけどそれよりも先に足が動いてるんだ。危険の方へ。口が動いてるんだ。危険に挑ませてくれ、と。俺は頭が悪いからそんな風に無鉄砲に突き進んじまう。――その、悪かったな」
「悪かった?」
「お前には随分と怖い思いをさせたんだな、って。あんな風に誘って、本当にすまない」

 どうしてそんなことを言うの? どうしてそんな顔であやまるの?

 教授はしばらく居心地悪そうにしていたが、やがてまた霧が晴れているか確認した。よくわからない宝物を大事に抱える子供のようにして。
 何だか、その時、わたしには教授がずっと遠くにいるように感じられた。
 絶え間ない波の音があざけっているようだ、わたしは歯がゆい気持ちでいっぱいになった。どうしてこんなことを訊いたんだろう?

 気まずくなることなんて、想像できたはずなのに。

 船が完成した。船室もある立派な手漕ボート(漕がないが)。何故か翼のような装飾が施されている。名前は教授が『白鳥号』と命名した。
 船の尻の部分には捕えた白鳥たちを奴隷のように乗せている。
 霧が晴れる時間帯に法則性を見つけた教授は、早速、出発の時刻を指定した。

 教授は他の船員たちと話をしている。わたしはぼんやりと海面を見て、今回はどのくらいの嘔吐するのだろうかと考えた。そろそろ世界記録に乗るかもしれない。
 海面と言ってもそれは遥かに下にある。白鳥号は、現在、島の中で最も高く海に近い崖の上で停まっている。ここから白鳥たちに魔翌力をぶつけ、飛び立つという、なんともメルヘンな計画らしい。

 わたしは、まだ、やっぱり怖い。

「リンス。大丈夫か?」
「……何のつもりですか教授? 下手な作り笑いはやめてください。おぞましいです」
「フン。可愛げのない奴め。心配しないでも白鳥号はそんな華奢じゃない。何しろ俺のアイデアだからな」

 それが最も泥船に近いのだが。
 わたしは身体を抱く。寒さではない。震えが、止まらない。

「リンス……もしも今日が嫌なら、出航日を先に延ばしても」
「いいえ、いいえ、違うんです。だってわたしは今」

 船室から船長が声を張り上げた。時間だ。

「船で空を飛ぶなんて、すっごい、楽しそう、です」

 教授は張り手をされたような顔でわたしを見ると、やがてニィと笑った。

 もちろん肩肘を張った言葉だった。恐怖心は鋭い牙を剥いて、わたしが今まで舐められぬようにしっかりと着ていた虚栄心というドレスを、あっさり剥ぎ取ってしまった。
 丸裸になったわたしが、それでも最後まで手放さなかった、意地。
 教授はきっと汲み取ってくれたのだ。その消えかけのか弱い最後の炎を。

『五秒前――』

 今から船は海原ではなく空を駆ける。霧の裂け目を狙って。わたしたちの後を、どれだけの白鳥が追いかけてくるか、考えただけでもぞっと する。
 そして、そのままどれだけ飛行するのだろうか。海面に着陸する時の衝撃は?

『――三、二ぃ、――』

 すべては考えるに値しない。これからの冒険の迫力に比べれば、小さな問題よ!

『一っ、――――出航だああああ!!』

 わたしはパイプのような機関に思い切り、魔翌力を流し込む。
 出航を祝うような白鳥たちの泣き声。反魔翌力たちの雄たけび。
 船は凄まじい爆音とともに大空に飛び立った。


 ねえ教授。何だリンス? わたし、今、笑えてますか? 笑ってるよ。小憎たらしいくらいにな。ですよね、……ヘヘ、どんなもんです、やっぱ白鳥なんて怖くないです!そうか……おっ、と艫に白鳥が。キャアアアア! 悲鳴を上げるなブス。うるせー黙れクソ教授オゲエエエエエエエ。バカ、吐くなこのやろゲエエエエエエエエエエエッ! お前ら汚いわぁ、吐くなら外に吐ゲボロンバアアアアアアアアアアアッ! ギャアアア船長がゲロったぞオオオ!

 どうしてこんなことに……。酸っぱい物を無理矢理呑み込んで、わたしは船室の地獄絵図と外で重なっているだろう白鳥たちの死屍累々のこ とを思う。
 酷い画だ。しかし、時に人生は汚れたり震えたりしなくてはならないんだと思う。
 それが冒険というものなのだろう。
 わたしは今、清々しい気持ちで一杯だ。こんな風にこれからも教授と一緒に冒険ができたらいいな、と思う。そして何時かあの人を――


NYT新聞 号外

『時計塔に方舟が突っ込んだ!!

 ××年○○月△△日
 ――住民たちが空を飛ぶ船を見つけたと警察機関に通報が入る。見ると、実際にその船は翼をはためかせて空を駆けていた。また艫の部分から鳥の羽のような物を撒き散らしており、誰かがこれは神鳥の羽だ、と言ったことから地面に落ちた羽を巡るバトルロワイヤルが勃発する。
 船はそのまま飛行を続け、やがて街の重要文化財でもある『ベルベッド時計塔』に突っ込み、停止した。幸いなことに怪我人は出なかったらしいが、わたしはあの船に人が乗っていたことの方が驚いた。
 アグレッシブな登場を見せたこの白鳥のような船。伝説に記された『ノアの方舟』に何らかの関係があると見做され、様々な大学教授たちが船員たちにインタビューをしていたが、彼らは喋るより先に吐瀉物による洗礼をした。そのことがきっかけで、教授たちがブチ切れ凄まじい攻防の果てに時計塔が完全に壊れたらしいが、教授たちは容疑を否認している。
 とある教授はこの騒動のことを『ノアの逆襲』と呼んだ。
 後に判明したが、彼らは『白鳥海域』の調査をしていた一団らしい。彼らがどうしてどうやってこんなことをしたのかは未だ不明である。
 なお時計塔に関しては住民が尽力して復興を急いでいる。

                                                NYT新聞より抜粋 原稿:ミケネコ』

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2011年07月10日 22:43
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。