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私が以前とある町工場に勤めていた時の話です。
その町工場は何代か続いている老舗で建物も年代物…、つまりいつ崩れてもおかしくないほどのオンボロ工場でした。
三階建てで一階が生産加工部、二階と三階が事務部で、私はその二階で、常日頃表計算ソフトと戦っている最中常に足下に階下から伝わってくる振動に、いつか床が抜けるのではないかと常に心配し続けていたものでした。
そんなある日、私は宅配便から社長の佐山さん宛の荷物の段ボール箱を受け取っていたので、それを届けるために工場内をブラブラしていました。
と言ってもこの荷物、正確にはその前の日に受け取った物だったりします。すぐに届ける気にならなくて丸一日放置してしまっていたのでした。
なにしろこの佐山社長、これが仕事を全部専務に丸投げして一日中フラフラして所在が全くつかめない人物。
また、この荷物も差出人は社長が後援会会長をつとめているどこかの売れない演歌歌手。
荷物の大きさや振るとチャプチャプ音がするところからすると中身はたぶん一升瓶。
激務に追われた専務にこんなふざけた物を社長に渡してもらうようにと預けるのは忍びなく…。
また、その日は金曜だったのですが、金曜の休憩時間だけは必ず社長は三階の喫煙所に出没するので数少ない社長の身柄拘束のチャンスなのです。
なにしろこの時間社長は職場の中で一番競馬に詳しい東城さんと「日曜どの馬にかけるべきか」と言う重要な会議を行う必要があるそうなので…。
私がこの荷物をしばらく放置していたのは、そのチャンスを待っていたと言うのもあります。
かくして私は、荷物を適当に振り回しながら三階の喫煙所に向かったのでした。
ところで私はこの喫煙所を見るたび、情けないやら悲しいやら、とても複雑な気分にさせられるのです。
なにしろこの工場の至る所が老朽化でいつ崩壊してもおかしくない中で、この喫煙所だけは社長の道楽で最新設備が完備されていて、ここだけまるで別の建築物のように見えてしまうのです。
周囲がアクリル壁で守られ完全防音の室内の真ん中には吸煙テーブルが鎮座し、室内の空気は天井の空調で常に快適な環境に整えられた、無駄に高性能な空間。
何度、「こんな金があるならせめて工場の外壁のひび割れぐらい埋めてくれー!!」と叫びそうになってしまった事か…。
ところがその日の喫煙所は、何か様子がおかしいのです。
私が喫煙所にたどり着くとちゃんと狙い通り佐山社長と東城さん、あと経理の清水さんが喫煙所内にいたのですが、これがどうも様子がおかしい。
喫煙所の一カ所しかない透明な扉から一番遠い部屋の奥で、三人はガタガタ震えながら寄り添うように縮こまっていたのです。
三人は入り口を凝視していて、私が来たことにもまるで気がついていない様子でした。
…なーにをやってんじゃいい歳こいてこのアホどもは、と思いながら手に持った荷物でアクリルをコンコン叩くと、三人は驚いたようにこちらを向き、必死の形相で
【佐山】「・・・・・・・・・・・・・・・・!」(「来るな」的な内容)
【東城】「・・・・・・・・!・・・・・・・・!」(「助けを呼んできて欲しい」的な内容)
【清水】「・・・!・・・・・・・・・!・・・・!」(同室の二人に対し「うるさい黙れ」的な内容)
と、口々に何かを訴えかけてきたのです。
ただし、完全防音アクリル壁のせいで中で、何を言っているのかはこちらには全く届きません。
この時その三人の必死な様子から私が思ったことはと言えば、
…あー、これは「ドッキリ」だな。
誰かここを通りがかった人を驚かせて遊んでやがるなコイツらは。
残念ですが今日は花の金曜日。
とっとと抱えてる仕事を片付けないと土曜出社なんてごめんなので、私はそんなノリに付き合うほど人間が出来ていないのです。そんな訳で、
【佐山】「・・・!・・・・!・・・・・・・・・!」(同上)
【東城】「・・・・・・・・!・・・・・・・・!」(同上)
【清水】「・・・!・・・・・!・・・・!」(同上)
私は三人の必死の訴えが続く中、それを小馬鹿にするようにひらひらと小躍りしながら扉までむかい、開けて、中に踏み込みました。
するとそれまで防音設備で遮られていた三人の言葉が私に襲いかかります。
【佐山】【東城】【清水】「開けるなーーー!!!」
その声のあまりの音量にビックリした私は硬直してしまいました。
【東城】「なんで警告したのに入って来ちゃうの!」
【清水】「いいから早く扉しめてよ!何考えてるのこのXXXXX!」
【佐山】「早くこっちへ来なさい!すぐに扉締めてそこから離れて!」
【瀬方】「…なに?、なに?なんなんですか?」
ただのドッキリのくせしてなんで必死なのこの人たちは。
あまりにもすさまじい剣幕で怒鳴られたので、驚いた私は半泣きになってしまいました。
それが少し腹が立ってしまったので、私はわざと扉を閉めずにズンズンと部屋の中へ入り、
【佐山】【東城】【清水】「扉ーーーーーー!!!」
と叫ぶ三人の声を完全無視し前の吸煙テーブルの上に荷物をドンと置き、そのまま何も言わずに出て行こうとしたのでした。
―ところが、出口の方を振り向いた私は、そこで動けなくなってしまいました。
喫煙所の扉の真ん前、私がここに入る前は確かに誰もいなかったはずのところに何かが立っていて、出入り口を完全に塞いでいるのです。
その何かはカゲロウのように不確かな姿でゆらゆらうごめいて、二つの目だけがはっきりとこちらを睨み付けていました。
私が硬直していると、そのカゲロウはゆっくりと体を動かし始め、半開きの扉から中へ入ってこようとしていました。
え、なにこれ、ドッキリ?ドッキリじゃないの?CGとか映像投影とかそういう類のものじゃないの?
私が微動だに出来ないうちにそのカゲロウは扉枠に手をかけ、ズルズルッとそのモヤのような体を部屋の中に押し込み始めています。
【東城】「どりゃああああああああ!」
不意に私の背後で東城さんが叫びながら扉までダッシュし、そのカゲロウを押し出すように強引に閉めてしまいました。
カゲロウは扉と枠の間に指(のようなもの?)だけが挟まれ、それは少しの間ピロピロと不思議な動きで暴れ、やがてサッと扉の向こうに引っ込んでいきました。
扉もアクリル製で透明のため、扉の向こうのカゲロウの姿がまだはっきりと見えています。
それはまるでゆっくり息をするように揺れ動き、じっと部屋の中を見つめていました。
ふと気がつくと私の体は地べたに座り込んでいて、ガタガタと震え始めていました。多分泣いてもいたと思います。
【瀬方】「なんですかー!なんなんですかあれー!ここ入ってくる時にはあんなのいなかったのにー!」
【東城】「知らないよ!オレが聞きたいよ!そもそも必死で止めたのに入ってきたバカが悪いんだろ!」
【清水】「もーうるさい!狭いところでギャーギャー叫ばないでよ!そんなところであんたらに暴れられるとアイツが何をどうしようとしてるのか見えないじゃない!」
清水さんの「アイツが何をどうしようとしてるのか」と言う言葉にハッとなった私と東城さんが慌ててカゲロウの方を向くと、ソイツは指を挟まれた後もそこから微動だにせず、ただ扉の前に立ち続けているだけでした。
その様子に、私以外の三人は胸をなで下ろしたようでした。
私たちは、私がこの部屋に入る前に三人がやっていたように、カゲロウが塞いでいる出入り口から最も遠い位置に寄り集まり、ソイツが何をどうしたいのかを監視する事にしました。
【瀬方】「…あれ、なんですか?まさか幽霊とか…」
【清水】「(真っ青になりながら)やめてよ!幽霊とかそんなのいる訳無いに決まってるじゃない!誰かのイタズラに決まってる!」
【東城】「オレにもさっぱりだ。ただ、オレがここでタバコを吸っていたら、アイツがいつの間にかそこにいたんだ。」
【東城】「最初は透明な扉に最新設備のプロジェクターか何か仕込まれていて、社長がなにかイタズラを仕掛けてきたのかと思ったよ。」
【東城】「オレ、そういうの全然平気だから『スゲー!』とか言って最初は喜んで扉を小突き回して遊んでたんだよ。」
【東城】「そしたら、社長が来て何食わぬ顔で扉を開けたんだけど、その時アイツが映像ではなく扉の外に実際に立っているモノであることに気がついたんだ。」
【東城】「で、社長は社長で、まるでソイツの存在に気がつかないように体の中を通り抜けて入ってきたと思ったら、いきなり競馬の話を振ってきたんだ。」
【東城】「それでオレは確信した。これは社長のイタズラではないとね。この社長がこれだけ大がかりなイタズラを仕込んだなら、それに触れずにいきなり競馬話出来るような性格では無いだろ?絶対イタズラに関して大層な自慢話をしてくるはずだ。」
【佐山】「その話はやめてくれ!アレを通り抜けてたかと思うと気色悪い!」
【清水】「私もよ!もうそんなこと考えたくもない!」
【瀬方】「…え?『通り抜けてた』って…?…それって…」
【佐山】「…ああ…、さっきな、君もこの部屋に入る時に、アイツの体の中を思いっきり通り抜けて入ってきたんだ…。」
【瀬方】「・・・・・・!!(大驚愕)えー!ぎゃー!イヤー!」
【清水】「うるっさい!!耳痛いから騒ぐな!」
【清水】「…私がここの前を通りがかった時も、社長と東城さんが部屋の隅でガタガタ震えてて何やってるのよと思ったわよ。」
【清水】「で、知らないでここに入ってきてみれば、なんかキモいヤツの体の中を通り抜けたとか言われるし、振り向いたらあんなのがいるし、もう最悪よ!」
【瀬方】「(泣きながら)…え、じゃ、じゃあ私は…」
【佐山】「分かりやすく言うなら『第四の犠牲者』と言うところか?」
【瀬方】「そんなやだーーーーー!!」
【清水】「だからうるさいっての!放り出すよ!?」
【東城】「…そんな訳だから、オレらはかれこれ30分以上この部屋から出ることが出来ないでいる。外に連絡する手段もない。携帯持ってるか?多分圏外になってるはずだ。」
【瀬方】「…ホントだ、圏外…」
【清水】「もうなんで電波も通らない変な場所にしちゃったんですか社長!もう信じられない!」
【佐山】「いや、電波は入るようになってるよ!アンテナを通してあるから!圏外なのはアイツのせいに決まってる!」
【東城】「とにかく!…とにかくアイツの目的がなんなのかは全く分からないが、アイツはとにかく喫煙所の中からしか見ることが出来ない。どうにかしてこの事を外に知らせないと、また誰かがここに入って来て出られなくなってしまう。」
【瀬方】「じゃ、じゃあ誰かの服にメモを書いて見えるように広げておきましょうよ!」
【清水】「あんたペン持ってるの!?」
【瀬方】「無い…(半泣き)」
それから何分経ったでしょうか。
特に有効な方法を思いつかないまま、私たちはただ扉の前に立ちふさがっているその何かを監視し続けていました。
扉の外のカゲロウのような幽霊のようなものはそれから一切微動だにせず、ただ私たちが部屋から出るのを防いでいるだけのようでした。
部屋の中は最新の空気清浄機で常に快適にされているはずなんですが、心なしか気温が上がってきたような、少し焦げ臭い匂いがどこかから漂ってくるような、そんな気がし始めていました。
【東城】「おい、あれ…」
東城さんが不意に声を上げ、階下に通じる階段口を指さします。
そこから工員の相田さんと下尾くんが姿を現しました。
彼らは私たちの姿を見つけると満面の笑みを浮かべながら喫煙所の方に向かって来てしまいます。
【瀬方】「だめー!来ちゃだめー!!」
【佐山】「来るなー!戻るんだー!」
【東城】「何かに閉じ込められているんだ!助けを呼んできてくれ!」
【清水】「だからうるさいっ!うるさいからワンワン叫ぶな!」
…結局、彼ら二人は私たちの必死の説得も聞かず(聞こえる訳もなく)扉の前の幽霊の体を通り抜け、喫煙所内に入り込んできてしまいました。
…私もあんな風にアイツの体をすり抜けてきたのかと思うと、今でも寒気がします…。
ところが、彼ら二人の行動には、私たちと決定的に異なる部分がありました。
私たちは全員扉の前の幽霊の存在に気がついてから異常に気付いたのですが、
彼ら二人は、その存在に気付く前、というか喫煙所の中に入る前からすでに怯えきっていたのです。
【下尾】「ああ、良かった、良かった死ぬかと思った…」
【相田】「社長、ご無事で…。怪我は無ぇか下尾?」
【佐山】「死ぬ?怪我?…一体どういう事だ?」
【相田】「いや、それが言っても多分信じてもらえない事なんですが…」
【下尾】「ゆ、幽霊っす!幽霊がいっぱい襲ってきたっす!それで逃げて来たっす!」
【東城】「!!!!」
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