月見原学園に設置されていたダンジョン・【月想海】の第一層である【七の月想海】を攻略したレオナルド・ビスタリオ・ハーウェイは、ガウェインと共に太陽の光を浴びている。
エネミーやフロアボス達を撃破したことでポイントが手に入ったことを確認してから、レオは悠々自適に月見原学園の廊下を歩いている。かつ、かつ、かつ、と心地よい足音を響かせながら、見なれた風景を眺めていた。
ここが殺し合いの場に備えられた場所だと言われても、やはり実感が湧かない。何故なら、この学園はバトルロワイアルを潰す為に設立された対主催生徒会の拠点となるのだから、争いが起こることがあってはならないのだ。
18:00を過ぎれば交戦禁止エリアでなくなり、学園で戦闘行為をしたプレイヤーに対するペナルティが無くなってしまうようだが関係ない。この目が黒い内は、如何なる戦いだろうと許すつもりはなかった。
今は、一刻も早く帰らなければならないとレオは考えている。あまり遅くなっては、サイトウトモコとジローの二人が心配するだろうから、王としてそれはさせる訳にはいかなかった。
二人はこの学園のどこにいるのだろうか。そう思ったレオは、すぐ近くにいる女子生徒に声をかける。自分を見てもそこまで動揺をしなかったのだから、彼女はNPCだろう。
それなら、そこまで警戒する必要はない。いつも通りに振る舞えばいいだろう。
「レオ先輩、こんにちは!」
「御機嫌よう。少し、お時間を頂いても宜しいでしょうか?」
「はい、何でしょうか? 気になることがあるのなら、何でも聞いてください」
「ええ。僕は今、ある人を捜しているのです。野球服を着ている男の人と、小さな女の子を見かけませんでしたか?」
「男の人と女の子……? ああ、その二人でしたら保健室に向かっていくのをさっき見ましたよ」
「保健室ですか。教えて頂いたことに、感謝します」
「いいえ、こちらこそ!」
「それでは」
女子生徒は温かい笑顔を向けてくるので、レオもにこやかに笑う。
それから一礼して、レオは女子生徒の元から去っていった。
恐らく、間桐桜から特製弁当を貰いに行っているのだろう。このモラトリアムの期間中ならば、どんな参加者でも一つは貰えるようになっているのだから。
彼女の作った特製弁当はとても有難い。サーヴァントのHPを大幅に回復してくれるだけではなく、あらゆる不利状態を解除してくれる。
貴重な回復アイテムを手に入れることができるのは実に僥倖だった。
(一人一個。ということは、今は三つも手に入れることができるようですね。ハセヲさんも早い内に戻ってきてくれれば、もう一つゲットです。そういえば、ハセヲさんは無事でしょうか……何事もなければいいのですが)
ファンタジーエリアに向かったハセヲという少年のことを、レオは考えた。
このような場所で何事もなく過ごすなんて不可能だ。それ自体はレオもわかっているが、やはり気になってしまう。
ハセヲ自身もただのプレイヤーではなさそうなので、あまり心配する必要もないかもしれない。そんなことになったらハセヲに失礼だろうし、ジローやトモコの二人にも示しがつかないだろう。
王として人々を導くのであれば、弱い姿など見せられなかった。民のことを気遣うことは大切だが、それは不安になることではない。
王が弱気になっては民も不安になるだけでなく、そう遠くない未来に国自体も崩壊してしまう。
(ハセヲさん、僕達はあなたの帰りを待っています。あなたが再び僕達の前に姿を見せてくれることを、信じていますよ)
だからレオは、どこかにいるはずのハセヲを思い出しながら太陽を眺める。
彼がこの空の下で何を見て、何を考えていて、何をしているのか。レオには知ることができない。
だけど、どこかで強く生きているはず。それを信じながら、保健室に向かって進んでいた。
「ありがとう、間桐さん!」
そして保健室まであと数メートルになった瞬間、ジローの声が聞こえてくる。
「こんなおいしそうな弁当が貰えるなんて、俺達はツイてるよ!」
「いいえ、これも私の仕事ですから」
続くように桜の話声も耳に届いた。
会話から察するに、やはりジローは特製弁当を貰っているのだろう。そして、自分を待っている間に何気ない世間話をしているのかもしれない。この時間なら、モラトリアムが開始されている学園は安全地帯なのだから。
唯一の不安はペナルティを恐れない危険人物だが、そんな相手への対策はこれから考えればいい。
ジロー達が安全でいることに笑みを浮かべながら、レオは保健室の扉を開いた。
「皆様、生徒会長はただいま戻りました!」
大空で輝く太陽に匹敵する程に朗らかな声でレオは叫ぶ。
保健室の椅子に座っている三人の視線を集めるのに、充分な声量を誇っていた。
「レオ!」
「ご無沙汰しております、ジローさん。お元気そうで何よりです」
「……俺達ってそんなに別れていたっけ?」
「さて、どうでしょうか? 少なくとも、ここは感動の再会と行こうじゃありませんか」
ジローの疑問を軽く流しながら、レオは保健室に足を踏み入れる。
「レオお兄ちゃん! 大丈夫だった?」
「ええ、僕達は大丈夫ですよ。心配してくれてありがとうございます」
ぱあっ、と明るい笑顔を浮かべながらトモコは抱きついてくる。
それに答える為、レオは小さな頭を優しく撫でた。
「凄いね、お兄ちゃん達は! 難しそうなダンジョンをクリアするなんて」
「お褒め頂き、光栄です。でも、生きて皆の元に帰るのも王の務めです。それに、ダンジョンのエネミーを倒したのは僕ではなくてガウェインであることも、お忘れないように」
「それが、私の使命ですから」
ガウェインが頼もしい笑みを浮かべながら頷く。
レオはトモコの小さな体躯を離して、桜に振り向いた。
「サクラもお元気そうで何よりです」
「ありがとうございます。でも、私達NPCは体力の消耗や体調不良に陥るようなことはまずありません。余程のことはない限りは」
「ははっ、それはとても結構ですね」
桜の言う『余程のこと』とは、NPC全体を構成するプログラムに何らかの異変が起きた時だろう。そして、そんな機会など滅多に訪れないはずだ。
これだけの規模の施設を丸ごと再現しているのだから、その為に使用しているシステムにも厳重なプロテクトがかかっているだろう。どれだけの規模かはわからないが、今の状態で達向かうのは無謀としか言えない。何の道具も持たずに、エベレストの山頂を目指しに行くような物だ。
そもそも、詳細のわからない相手をどうやって攻略すると言うのか。この殺し合いを打倒する明確な手段だって見つけていない現状では、運営の穴を突くなんて夢のまた夢。
尤も、道は困難だからこそ乗り越える甲斐があるのだが。
「そうだ、レオ。ちょっといいか?」
レオが運営に対する闘志を更に燃やしている最中、ジローの声が響く。
それを聞いたレオは思考を中断させて、ジローに顔を向けた。
「おや、ジローさん。どうかしましたか?」
「いや……その、さっきのことを謝ろうと思って」
「さっきのこと?」
レオは尋ねるが、ジローの申し訳なさそうな表情を見てすぐに察する。
そういえば、ダンジョンへ向かう少し前に彼のことを怒らせてしまった。その後に去ったジローのことをトモコに任せていたのだった。
「ああ、それでしたら大丈夫ですよ。それにさっきのことは、僕の方こそ不謹慎でしたし」
「それでも、俺はレオに八つ当たりをしちゃった。レオは俺のことを仲間だと思ってくれていたのにさ……情けないよ、本当」
「言ったはずですよ。僕の方こそ不謹慎だったと……どうやら、お互い反省しているようですし、今回のことは喧嘩両成敗ということにしましょう。無理に引っ張っていても、場の空気が悪くなるだけですから」
「……そうだな。これから、気をつければいいよな」
「ええ、その通りです」
ばつが悪そうな笑顔でジローは答える。
今回のことはレオにも反省するべき点があった。西欧財閥の次期当主として、そして完全たる王になる為に様々な教育を受けてきたのだから、この場でも王であるべきだった。そして王の称号を背負うからには、民に不満を抱かせることなどあってはならない。
それなのに、ジローを怒らせてしまったのは完全なミスだ。彼の気持ちを理解するべきだったのだ。
(
岸波白野のサーヴァントも、彼の騎士王は人のまま王となったと言っていましたね……ならば僕も、王である以前に人としても生きる必要があるようですね。人の気持ちがわからない王が治める国など、謀反が起こるだけなのですから)
このバトルロワイアルでも王として生きるのならば、まずはジロー達の気持ちも知らなければならない。彼らのことも理解しなければ、真の団結などできるはずがなかった。
もしもここで、対主催生徒会の一員である彼らのことを理解したかと問われたら、間違いなくレオは首を横に振るだろう。彼らと過ごした時間はそこまで長くないし、また彼らのことについても知らないことが多すぎる。
しかし、それなら知ればいいだけだ。仲間である彼らのことを学べばいいだけだ。そうすれば彼らのことを理解できるし、また彼らだって自分のことを知ってくれるはず。
それもまた、王たる自分のさだめなのかもしれない。そう、レオは確信していた。
(白野さんにアーチャー、そしてガウェインにジローさん……ありがとうございます。あなた達のおかげで、僕はまた大きくなるきっかけを掴めそうです)
どこかにいるはずの岸波白野と彼と共に戦い抜いたアーチャー、そして目の前にいるジローとガウェインにそう告げる。
また一つ、学ぶことができた。敗北を知り、そして生まれ変わった自分がより高みに迎えるようになったのだ。
失敗を嘆くことだけなら誰にでもできる。王も己の行いに悔む時があるだろう。だが、王の使命は民に謝ることではなく、どうすればもっと民が幸せになれるのかを考えることだ。
そうすれば、民だって生きる力を取り戻してくれるし、国も更に繁栄するだろうから。
(白野さんという人に出会い、戦い、そして負けることができてよかった。感謝してもしきれないくらいです。彼には……)
白野との輝かしい思い出を思い返そうとする。
だが、その瞬間にレオは白野という人物に対して一つの違和感を抱いた。
(……彼? 白野さんは男だったはず……でも、どうして少女の姿が思い浮かんでしまうのでしょう?)
彼、という言葉が出たので岸波白野という人物は男。それ自体に間違いはない。岸波白野という人物は、月見原学園に通う男子生徒の一人だという記憶が残っている。
だがしかし、同時に少女の姿も脳裏に浮かび上がっていた。顔立ちがそれなりに整っていて、整った長髪が特徴的な女子生徒。彼女の名前も岸波白野であると、記憶に残っている。
一体これはどういうことなのか。同名の他人がいたという話なんて聞いたことがないし、どちらか岸波白野の名前を騙った偽物であった記憶もない。
疑問は更に深まっていき、レオは記憶の糸を辿ろうとするが……
(それに白野さんのサーヴァントはアーチャー……ですよね? でも、セイバーをサーヴァントにしていたような……いや、もしかしたらキャスターだった?)
考えれば考えるほど、白野の謎は更に増えていく。
かつてガウェインが忠誠を誓っていた騎士王に関する話をしたサーヴァントは、アーチャーという白髪の男だ。彼との戦いは心に強く残っているし、これから決して忘れることができないだろう。それを嘘だったなんて、決してあり得ない。
だが同時に、赤いドレスを纏ったセイバーという少女が、白野のサーヴァントだった記憶もある。しかも、彼女とガウェインが死闘を繰り広げた記憶すら強く残っていた。
ならば、本当のサーヴァントはセイバーなのか? そんな答えが導き出されたが、それも正しいという確証がない。
次の瞬間には、また別の記憶が溢れてくる。
青い巫女服を着ているキャスターというサーヴァントだって、白野と共に聖杯戦争を勝ち抜いてきた。その少女にだって、ガウェインが敗れた覚えがある。
また、どのサーヴァントであろうとも、その時にいたマスターである白野の姿も二つある。男の白野がいれば、女の白野だっていた。
考えれば考えるほど、様々な結末が入り乱れる。どれが本当の記憶なのか。また、どれか一つの結末を選んだとしても、他の五つを偽りだと切り捨てることに強い抵抗を抱いてしまう。
全てがレオにとってかけがえのない思い出なのだから。
(どうやら、僕一人の手には負えそうではありませんね……我ながら情けないことですが)
いてもたってもいられなくなったレオは、傍らに立つガウェインに訪ねることにした。
「ガウェイン、少しお聞きしたいことがあるのですがよろしいでしょうか?」
「何なりと、お聞きください」
「では聞きましょう。白野さんは男か女のどちらだったでしょう? あと、白野さんのサーヴァントをガウェインは覚えていますか?」
単調直入に、レオはそう尋ねた。
ガウェインは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。無論、それはジロー達だって例外ではない。
その反応は至極当然だとレオ自身も理解している。最後に戦った相手のことを思い出せないなんてありえない。どんな嘲りだって受け入れるつもりだ。
ただ今は、この胸に宿る疑問を解消したい。その一心でガウェインを頼りにしていたのだ。
「レオ。貴方は今、何と……?」
「だから、聞いているのです。白野さんと白野さんのサーヴァントについて……」
「まさか、覚えていないと言うのですか?」
「僕自身も信じられないと思っています。あの人のことや、あの人との戦いを忘れるなんてあってはならないでしょう……」
「なら、何故……?」
「僕の中で、白野さんに関する情報があやふやになっているのです。白野さんの性別や、白野さんのサーヴァント……その思い出が、霧がかかったようにモヤモヤしています」
「そんなことが……!」
「ですので、ガウェインに聞きたいのです。貴方の記憶に残っている、白野さんに関する全てを」
信じられないと言った様子で口を震わせるガウェインに、レオは真摯な表情で答える。
きっと、ガウェインは心の中で深く傷付いているだろう。絶対の信頼を寄せているマスターが、何の前触れもなくこんなことを言い出したのだから。
それがわかった上で、レオはこのまま放置していいとは思えなかったのだ。
数秒の沈黙が部屋中に広がった後、ようやく平静を取り戻したのかガウェインは口を開いてくれた。
「……わかりました。それでは、お答えしましょう」
「お願いします」
「岸波白野とは……」
ようやく白野のことがわかる。そんな希望がレオの胸に芽生えていた。
ガウェインからの答えを待つ。だが、待ち焦がれていた言葉が彼から聞けることはなかった。
「どうかなされたのですか、ガウェイン?」
「……」
「ガウェイン?」
ガウェインは何も答えない。
その表情がどんどん曇っていくのを見て、レオは一つの懸念を抱いた。
「まさか、ガウェインも……?」
「……申し訳ありません、レオ。岸波白野に関して思い出そうとしたら、いくつもの人物が頭の中に出てきてしまいます。男の岸波白野と女の岸波白野。そして、その二人が使役するサーヴァント達の顔も」
「やっぱり……!」
その事実にレオはショックを受けた。
自分だけでなくガウェインまでもが同じ状況に陥っている。これがただの偶然とは思えなかった。
他に白野について知っている人物と言えば、この場には桜しかいない。
「サクラ。もしかしたら、貴女も僕達のように白野さんに関する記憶が曖昧になっているということは、ないでしょうか?」
「ごめんなさい。今の私には、プレイヤーの情報をお答えできる権限が与えられていないのです。でも、図書室に行けば何かわかるかもしれませんよ」
「……言われてみればそちらの方が確実ですね。わかりました、ありがとうございます」
桜が言うように、この学園には図書室がある。
そこに行って岸波白野について調べれば真相が明かされるかもしれない。
「お、おい! レオ達はさっきから、何の話をしているんだ?」
「ジローさん、僕達はこれから図書室に行って調べ物をしようと思っています。詳しい話はそちらの方でしたいのですが、宜しいでしょうか?」
「えっ? 俺は別に大丈夫だけど……」
「了解です。トモコさんも大丈夫でしょうか?」
「私なら大丈夫だよ!」
「それは良かった」
ジローとトモコからの承諾を得られたので、レオは笑顔で答えた。
「それではサクラ、色々とありがとうございました。また、後ほど」
「ええ。また会えることをお待ちしています」
殺し合いという状況からにはまるで似合わないような優しい笑顔を、間桐桜という少女は向けてくれる。
彼女の為にも、尚更倒れる訳にはいかなくなった。例えこの学園にいるNPC達が運営によって作られた精巧な贋作だろうと、レオはそれを受け入れる。彼らのことだって、対主催生徒会のメンバーにできるように改竄すればいいだけだ。
そんな新しい決意を胸に抱きながら、この地で出会った仲間達を先導するように廊下を進んでいった。