(……一体、どうなってるの?)


朝田詩乃/シノンは、己が置かれているこの摩訶不思議な状況に、ただ困惑を隠せずにいた。
つい先程まで自分は、馴染みのカフェでキリトやアスナ達と共に第五回BoBへの対策を講じながら一時を過ごし、
そして自宅への帰路へと着いた筈だった。

しかし……どういうことか、そこからの記憶が定かではない。
ただ、気がつけばあの異常な広場……ゲームのスタート地点に立たされていた。
まるで頭の中に靄がかかったかのように、何も思い出せない。
そこに至るまでの過程が、すっぽりと抜け落ちているのだ。


(……分かっているのは、ここが仮想世界だって事ぐらいか……)


唯一、シノンが現状について分かっているのは、
自身が何かしらの手段で強制的に仮想空間へとログインさせられている事だろう。
その証拠が、今の自分の姿―――慣れ親しんできた、GGOのアバターだ。
だが、ここは断じてGGOではない。
何故なら彼女が立つこの街―――マク・アヌは、GGOが持つ荒廃した世界観とはまるで異なる場所だからだ。
近いものがあるとすれば、彼女が同じくプレイしているALOだろう。

ならばここはALOか、或いはそれに近いファンタジー系VRMMOの中なのか?
そう問われれば、答えはまた否である可能性が限りなく高い。
GGOのアバターそのままで他のVRMMOに立つという事が、まずありえないのだ。
コンバートでアバターデータを移されたにしても、容姿はその世界観に合わせたモノへと少なからずの変化がある筈。
それがこうして、全くそのままの姿で立っているというのは、通常のVRMMOの中ならありえない事なのだ。

つまりここは、ALOでもGGOでもないどころか……VRMMOであるかですらも怪しい、全く異質な仮想空間。
おもちゃ箱をひっくり返したかのような、多くの世界観をごちゃ混ぜにしたような舞台ではないだろうか。
殺し合いをする為だけに生み出された、継ぎ接ぎだらけの世界ではないのだろうか。

(……殺し合い……)

頭の中で呟くと共に、己の背筋が急に冷たくなるのを感じた。
あの広場での恐怖的な光景が、鮮明に思い出されたからだ。
正直、あの光景は仮想空間のそれだとはまるで感じる事ができなかった。
現実と変わらないかのような、妙なリアルさがあったが故に。

そして、あの時……広場に立っていた榊という男は、己にこう告げた。

「この世界での死は、真の死である」と。

それが意味するのはつまり……


(……まさか……ここで死んだら、本当に……?)


そんな馬鹿な話など、ある訳が無い。
そう否定できれば、楽な話なのだろうが……しかし、シノンにはそれが出来なかった。
まず先述したように、あの光景が妙に現実味のある代物であったから。
そして……彼女は、これと同じ事例を二つも知っているからだ。


(……ソードアート・オンライン……)


その一つめは、言わずと知れた『ソードアート・オンライン事件』……通称、SAO事件。
世界初のVRMMOということであらゆるメディアから脚光を浴びていたそのゲームは、開発者の茅場晶彦によって、発売日当日に突如としてデスゲームへと変貌を遂げた。
彼は、全プレイヤーに対してこの様な仕様を述べたのだ。


―――ゲーム内でHPがゼロになった瞬間、プレイヤーが装着しているゲーム機『ナーヴギア』より高出力マイクロウェーブが照射され、脳を破壊する。


それが、茅場晶彦が仕掛けたデスゲームの仕掛けであり……今の状況は、まさに同じではないだろうか。
ログアウト不可能という状況もまた完全に一致しているだけに、可能性は高い。
つまり、今自身が着けさせられているものは、ナーヴギアか。
或いはそれに類するものではないだろうか。


(……でも、まだ分からない。
もしかしたら、死銃と同じ仕掛けかもしれないし……)

しかし、まだ他にも可能性がある以上、断定はしなかった。
シノン自身も大きく関わった、二つ目の可能性―――死銃事件の例があるからだ。
かつてGGO内で起きたその忌むべき事件は、まだ彼女にとっても記憶に新しい。


―――死銃<デス・ガン>と名乗るアバターに銃殺されたプレイヤーは、リアルでも死を遂げる。


それが死銃事件の概要なのだが……その真相は、単純明快且つ恐ろしいモノだった。
ゲーム内で死銃がプレイヤーキルを行うと同時に、もう一人の仲間が『リアルで』そのプレイヤーを殺害する。
そうする事で、あたかもアバターが超人的な殺人を行っていたと錯覚させていたのである。

閑話休題。
シノンが今考えている可能性は、まさにそれだった。
態々ナーヴギアの様な道具を使うことなく、HPがゼロになったプレイヤーに、榊かその仲間かが直接手を下す。
こういう形でも、真の死を与える事は可能だ。


(……どちらにせよ……私達の命は、あの男の手の中……)


よく小説などでは『心臓を鷲掴みにされる』という例えを見る事があるが、それはこういう感覚を言うのだろうか。
榊はいつでも自分を殺せる……その事実に、シノンは吐き気すら覚える程の圧迫感を受けていた。


(……嫌……!)


死にたくない、生きていたい。
いつの間にか酷く震えていた右手首を左手で強く掴み、シノンは目に見えぬその恐怖に強く耐えていた。
しかし、このゲームで生き残るには……他の誰かを殺す必要がある。
そうしなければ、自らの身がウィルスに蝕まれてしまうからだ。

勿論、シノンは人殺しなんてしたくなかた。
だが、それ以外には生存する為の方法が無い……やるしかないというのか。
結局は、あの榊の思い通りに動くしか道は無いというのか。


(……ふざけないでよ。
そんなの……誰が思い通りになるものか……!)


答えは否。
シノンの選んだ道は、ずばり反逆……榊の打倒であった。
このまま、あの男の思い通りになんかなってたまるか。
何を企んでいるかはしらないが、本当の命を賭けた殺し合いなんて、絶対に間違っている。
止めなければならない、いや、止めてみせる。
そんな強い想いを胸に、彼女は対主催のスタンスを決めたのだった。

しかし相手は、言わばゲームマスター……この仮想空間の主だ。
果たして、抗ったところでプレイヤーに過ぎない自分達に、勝ち目があるのだろうか?


(……普通に考えれば、システムに抗う事は出来ないかもしれない。
でも、私は知ってる……そのシステムを裏切って、奇跡を起こした二人を……!)


だが、彼女は希望を知っている。
それこそが、ソードアートオンラインをクリアした証……キリトとアスナが起こした奇跡だ。


アスナは、ゲームマスターである茅場晶彦が施した絶対麻痺を、キリトを守りたいという一心で解除した。
それは茅場にとって完全に想定外の事態であり、決定的だったキリトの死を覆した。


キリトは、HPがゼロになりながらも消滅せず、茅場晶彦の予想を超える最後の一撃を放った。
それもまた茅場にとって完全に想定外の事態であり、成す術も無く彼は刃に倒れる事となった。


二人は、絶対的な存在でもあるゲームマスターの思惑すらも超えた奇跡を起こし、無事にSAOをクリアに導いたのだ。
それこそが、絶望を打ち消すシノンの希望だった。
あの二人の様に、如何に辛い状況であろうとも、諦めなければ道はきっと見える。
奇跡を知るが故に、彼女はそう強く信じる事が出来た。
そして何より、あの二人は勿論、リーファやクライン、リズベットやシリカ、エギルといった面々がもしこの場にいたなら―――まさか内数名が、本当にいるとは思っても見なかったが―――、
この殺し合いを絶対に止めようとするに違いない。
ならばここで、自分が弱気になってどうする。
大切な仲間達の為、親友達の為に、この殺し合いを止めてみせよう。
相手が強大な存在であったとしても、所詮は同じ人であり、人が作ったシステムに過ぎない。
ならば、必ず倒せる筈だ……いや、倒してみせよう。


(そうと決まったら……ひとまずは、装備を確認しないとね)


そこまで考えて、シノンは己の支給品を確認する事にした。
殺し合いに乗るつもりは一切無いが、自衛の為に最低限の武器は必要だ。
出来る事なら狙撃銃の類、それも愛銃のヘカートⅡを引き当てられれば理想的と言える。
しかし、そう都合よくいけるとも限らない……この妙な世界観の舞台ならば、ALOで扱っていた弓矢が来るなんて展開もありえるだろう。
だが、この際それでもまだ当たりの方だ。
もしもここで刀剣の類でも引けば、シノンには到底扱いきれる代物じゃない。
せめて、何かしら使い慣れた装備が着てほしい。
そう願いつつ、ウィンドウを開いてみて……


(……よかった、一応外れは引かずにすんだみたい)


安堵のため息をついた。
幸いな事に彼女に支給された道具の一つは、GGOにおいて尤もポピュラーな武器―――ハンドガンだったのだ。
すぐにオブジェクト化させ、その手で握り締める。


(けどまぁ、私がこれを持つのも不思議な気分ね)


FN・ファイブセブン。
ベルギーのFN社が開発した実在する拳銃であり、GGOにおいてキリトが手にしたサブウェポン。
死銃との闘いで決定打となる一撃を与える事に成功した、シリカにとっては少々縁のある武器だ。
これは、GGOにはじめてログインした彼の為に自身が選んだ武器なのだが、今度は自分の手にそれがある。
グリップ越しに、頼もしさにも似た何かが伝わってくる……何とも不思議な気分だ。


(他には、何があるだろう)


ファイブセブン以外には何が支給されたのか。
その手の銃からウィンドウへと再び視線を戻し、リストを確認する。
するとそこには、彼女にとって全く見慣れぬあるアイテムが存在していた。


(バトルチップ……?
GGOでは見たことがないアイテムだけど……)


それは、バトルチップという名のアイテムだった。
近代的・近未来的な名称だが、少なくともGGOでは見かけない代物だ。
ALOでも勿論無いし、何か別のVRMMOで取り扱われているアイテムだろうか。
だとすれば、この世界はやはり無茶苦茶なごちゃ混ぜ空間という事になりそうだが……



――――――コツッ。




「っ!?」


不意に背後から聞こえてきたその音に、シノンは考えを中断させられた。
石畳の上を歩く、明らかな足音。
それも大きさからして、位置はそう離れてはいない。
何者かが近くにいる……接近しつつあるという事だ。
すかさずシノンは背後へと振り返り、同時に銃口を向けた。
もしもこれで、相手が殺し合いに乗っていない人物だったなら申し訳ないが、そうでないなら十分な牽制になる。
一体、近づいてきているのは誰か。
最大限の警戒心を発揮しつつ、前方に視界をやり……


「……え……?」


シノンは、我が目を疑った。

彼女の目の前に立っているのは、黒に近い深緑のスーツを身に纏い、同じく黒のサングラスで顔を隠す長身の男だった。
完全に黒尽くめというどこか不気味な服装ではあるが、そこはシノンも然程驚きはしなかった。
ブラッキーの異名まで持つ程に黒好きのキリトという、身近すぎる例があるからだろう。

では、彼女が何に驚かされたかと言うと、それはその男の表情にあった。
考えてもみてほしい。
殺し合いという非常識の舞台にいきなり呼び出された人間が、開始後間もなく銃口を突きつけられれば、どんな反応を見せるか。
普通は驚くなり慌てるなり、何かしらネガティブなそれを返す筈だ。

しかし、目の前の男は違った。
銃口を突きつけられた、この状況で……唇の端を上へと持ち上げている。


獲物を見つけた肉食獣かの様に、男―――エージェント・スミスは、シノンに対して笑みを浮かべていたのだ。




◇◆◇



(ここは……マトリックスの中なのか?)


エージェント・スミスとシノンの遭遇より、時計の針を少しばかり戻した頃。
それまで自身がマトリックス内で見てきたどの風景とも違う異質な街並みに、スミスは違和感を覚えていた。
己がこうしてこの姿で立っている以上、ここは間違いなくマトリックスの中の筈だ。
だが、この光景はどうだ?
まるでファンタジー映画の中からそのまま引っ張り出してきたかのような、どこか中世的な街並みは。
人間達に見させる「夢」はあくまで、平凡かつ平和な現実世界である筈……
ならばこんなものがマトリックスの中にあるとは到底思えないし、作る意味が無い。

だが、現実として自分は今、そこにいるのだ。

(……エグザイルどもの仕業か。
ならば、あの榊とかいう男も……)


考えられる可能性があるとすれば、エグザイル―――役目を終えてソースに戻り削除される事を拒んだ、マトリックスに留まり続ける不法プログラムによる、意図的な改変か。
実際、データ改竄する力を持つメロビンジアンや、モービル・アヴェニュー内でのみならば限定的に神に等しい力を発揮できるトレインマンという例がある。
つまり榊は、それに似た能力を発揮できるエグザイルか。
或いはその力を持った配下を持っているという事になる。


(……忌々しい真似をしてくれる……!)


スミスの苛立ちは、この上ないものだった。
後一歩で預言者―――オラクルを取り込み、無欠の存在として君臨する筈だった。
ネオを、アンダーソンを消し去れるだけの力を手に入れ、彼に奪われた全て―――即ち世界そのものを手に入れる筈だった。
だというのに、この現状は何だ?
気がつけばこの様な茶番劇の舞台に立たされ、一個の配役にされている。
あの榊という男は、あろう事か自身を駒として扱っているのだ。
当然、許せる筈が無い……許すつもりなど毛頭無い。


(いいだろう……殺し合いが望みなら、その通りにしてやる。
ただし殺すのは、貴様も含めた全てだ……!!)


故に、スミスの目的は唯一つ。
この殺し合いに勝ち残り、そして己の行く道を拒んだ榊すらも消しさる事だ。
どんな有象無象が参加しているかはしらないが、所詮敵では……


(……待て……)


そこまで考えて、スミスは思い出した。
榊が説明を行ったあの広場で、とある一人の男を目撃した事を。
それは彼にとって、決して他人とは言い難い相手……モーフィアスだった。


「ッ…………!!」


直後、彼はすぐさまある可能性に気付いた。
自分だけではなく、あのモーフィアスまでこの場に呼び出されていた。
ならば……当然あの男がいてもおかしくはない。
あの目覚めの時以来、モーフィアスの傍らには常に彼がいたのだから。
絶対に……彼もまた、存在している筈だ。


「……フハハハハッ!
 そうか……榊だったな。
 貴様の事は気に喰わんが、一つだけ感謝してやるぞ!
 よくぞ、彼を……アンダーソン君を招いてくれた!!」


忌むべき救世主―――ネオもまた、この世界にいる。
スミスは高らかに笑みを浮かべると同時に、榊へと感謝の意を述べた。
それは確たる証拠がない、スミスの推論でしかない。
しかし彼には、不思議と確証があった。
ネオは自身と同じく、この殺し合いに参加していると。
己がこうして立っているならば、ネオもまたいて当然であると。


「フッ……面白いじゃないか……」


こうなると、話は別だ。
確かに榊は気にくわないし、未だその身を八つ裂きにしてやりたい程に憎悪はある。
だが、ネオと殺し合う舞台を用意してくれた事だけは、感謝している。
それが己にとって、何よりもの望みに他ならないからだ。

やがてスミスは、獰猛な笑みを浮かべたまま歩みを始める。
ネオを探しだし、この手で復讐を遂げる為に。
もしもそれまでの間に、他の参加者に出会ったならば、その時は速やかに撃退。



そして……目的を果たす為に、新たな『己自身』に変えるだけだ。

全ては、忌まわしき救世主を殺す為に。



◇◆◇




かくして今、両者は出会った。
シノンにとっては、最悪といってもいい強敵として。
スミスにとっては、都合のいい獲物として。

二人は、互いに真正面の相手へと鋭い視線を向けあっていた。


「……はじめまして、お嬢さん。
 顔色がすぐれない様だが、私の顔に何かついているかね?」


先に均衡を破ったのはスミス。
彼は、銃口を突き付けられているにも関わらず笑っている自身に驚愕する目の前の少女へと、わざとらしく問い掛けた。
それが相手の恐怖心を煽る行動だと、分かっているからだ。


「……ええ、そうね。
 『私はこの殺し合いに喜んで参加します』って、書かれているわよ?」


対するシノンは、その意図を読んだのだろうか、すぐに表情を切り替えクールに返答をした。
尤もそれは表面だけで、内心ではとてもじゃないが穏やかな気分ではいられなかった。
何故なら、彼女には予感があった……直感していたからだ。


(こいつ……かなり、やばい……!!)


そうでなければ、銃口を突き付けられてあんなにも余裕を保てる訳が無い。
シノンは、かつて死銃と対峙した時と同じ……否、それ以上のプレッシャーを全身で感じていた。
目の前の男は、とてつもなく危険な存在だ。
一瞬でも気を抜けば……命が危ない。


「それはそれは……御忠告ありがとう。
 貴重な意見だ、今後の参考にさせてもらうよ」

「……今後、ね……それは何の今後なのかしら?」


銃口は男の脳天へと正確に向けられ、トリガ―は発射寸前まで引き絞られている。
本当に僅かな力が加わるだけで、銃弾は即座に発射される状態だ。
しかし尚も、スミスの表情は崩れず。

そして……遂に彼の口から、この硬直状態を打ち破る一言が放たれた。


「決まっているとも……君を殺した後の事、だよ」



――――――バァンッ!!



その一言が発せられると同時に、マズルフラッシュが深夜のマク・アヌを照らした。

同時に放たれた弾丸は、寸分の狂いも無くスミスの脳天目掛けて突き進む。
二人の距離は、僅か十数メートル程度しか離れていない。
如何に武器がハンドガンとはいえど、スナイパーとして数キロメートル先の相手を幾度となく討ち抜いてきたシノンにとって、外す事などありえない距離だった。


「え……!?」


しかし……弾丸が撃ち抜いたのは、虚空だった。
つい一秒前までそこにいた筈の標的の姿が、突如として消え失せていたのだ。


「成る程、腕は悪くない様だが……私には当たらんよ」


だが、シノンが真に驚愕したのはその後だった。
消え失せたスミスの声が、いきなり至近距離……自らの足元より聞こえてきたのだ。
咄嗟に彼女は目線を下に落とすと、そこには案の定、消えた標的がいた。
そして同時に、その姿が彼女へと全てを悟らせた。
スミスが余裕の表情を取っていた理由が、はっきりと分かってしまった。


(そんな……弾丸を避けて、一瞬の内にここまで……!?)


スミスは、弾丸が放たれると同時に前傾姿勢を取って弾丸を回避。
そのまま、とてつもないスピードでシノンに急接近したのだ。
実にシンプルで分かりやすい、そしてありえない回避法だ。
幾らAGI極振りのステータスにしたとしても……ここまで視認出来ない程のスピードが出せるなんて、普通じゃありえない。




――――――ドゴッ。



「カハッ……!?」


直後、シノンの腹部に強烈な衝撃が加えられた。
スミスの正拳が、彼女を捉えたのだ。
そしてそれは、到底拳とは思えぬほどの威力だった。
まるで、大型の車にでも追突されたんじゃないかと思える程に重々しいのだ。



――――――バゴォンッ!!



そして実際に交通事故にあったかの如く、シノンの体は派手に吹っ飛ばされていた。
四十メートルは離れているだろう民家の壁に激突し、その身は半ば埋もれる形になっている。
全身を襲う痛みもまた、半端な代物ではない。



(……ペイン・アブソーバが……効いてない……)


その痛みは、通常のVRMMOじゃありえないものだった。
痛覚が、現実世界とまるで変わらない……ペイン・アブソーバが効いていないという事だ。
おかげで今、シノンの体には相当の激痛が走っている。


(……いや、それよりも……!)


しかし、今はその痛みすらもどうでもよくなる程に、恐ろしい事があった。
それはスミスの攻撃力だ。
自身のHPバーに視線を移してみると、既に五割近くが奪われているではないか。
ただの拳一つで、ここまでのダメージを与えられたのだ。


「ふむ……一撃で仕留めるつもりだったのだがね。
 人間風情にしては、大したものだ」


それでも、スミスにとっては納得のいく一撃ではなかった。
彼はこの一撃だけで、シノンを絶命させるつもりだったのだ。
それが出来なかったのは、一重に彼女のステータスの高さが理由だった。
如何にAGI型で防御力が低いとは言え、シノンはGGOじゃトップクラスの実力を誇るプレイヤーだ。
当然アバターのレベルも相応に高く、おかげでスミスの一撃でも即死には至らないぐらいの耐久力はあった。


「……化け物……」


尤もそんなシノンにとっても、スミスは遥かに規格外の存在だった。
圧倒的な攻撃力とスピード、判断能力を兼ね揃えた魔人。
プレイヤーは勿論ボスモンスターでも、ここまで出鱈目な相手はまずいない。
化け物と称する他に、上手い呼び方が思いつかないぐらいだ。


(兎に角、接近されるわけにはいかない……!!)


シノンは痛みに耐えて腕を動かし、再びトリガーを引いた。
放たれた弾丸の総数は、実に十発。
回避行動を取られてもカバーが出来る様、広範囲にばらまく形での乱射だ。


「甘いよ、お嬢さん」


だが、スミスはまたしても驚くべき行動でそれを回避してきた。
彼は石畳に拳を叩きつけ、空へと派手にまき散らしながら粉砕したのだ。
銃弾はその粉塵の防壁に阻まれ、同じく空へと放り出される。
ただの一発も、彼の身に届く事は無かった。


(……攻撃が、まるで通じない……)


少なくとも、ファイブセブンではこの相手は倒せない。
非常に残酷な事実だが、そう認識する他なかった。
もしこの場にへカートがあれば、まだ十分に闘えるかもしれないのだが……
せめてそこまではいかずとも、何か、現状を打開できる武器が欲しい。
目の前の相手に通ずる武器が……そうでなければ、このままだと成すすべなく殺されるだけだ。


(……待って。
 そういえば、さっき……!)


そこまで考えて、シノンはあるアイテムの事を思い出した。
つい先程、名称だけを確認した謎の支給品……バトルチップ。
あれがどんな代物かは分からないが、少なくとも『バトル』という単語を用いられている以上、戦闘用という事だけは確かだ。
ならばここは、賭けるしかない。
何もしないでやられるぐらいなら、一か八か……この未知のアイテムを使ってみる他ない。


(奴が近づいてくる前に……早く……!!)


すぐさまウィンドウを出現させ、アイテムの項目へと指を動かす。

同時に、スミスが動いた。
シノンが何かをすると察して、早急に片を着けるべく接近してきたのだ。
凄まじい勢いで、両者の距離が迫る。


(アイテム……バトルチップ……!)


項目に触れると同時に、アイテムを使用するか否かのウィンドウが出現する。
目の前には、既にスミスがそこまで迫って来ている。
コンマ一秒でも遅れれば、死は免れない。
兎に角、僅かでもいいから早く。
シノンはこれ以上無いというスピードで、アイテム使用の項目に指を伸ばし……力強く、押した。

その、直後。


「む……!?」


シノンからやや離れた前方。
スミスのまさに目の前に、鈍い銀の光沢を放つ巨大な多面体が出現したのだ。
自身の突進を防ぐ為の、苦し紛れの防壁といったところか。


「……フッ……ささやかな抵抗というところか。
 少々、驚かされはしたが……!」


こんな金属の塊など、己の前では障害にすらならない。
この程度で自身を止めようとは、舐められたものだ。
そう嘲笑すると、スミスは勢いを一切落とす事無く、目の前の多面体目掛けて拳を突き出し……






直後。
その肉体は、凄まじい衝撃と共に遥か後方へと吹っ飛ばされた。





◇◆◇


「……何とか、なったみたいね……」


シノンは賭けに成功した事に、安堵のため息をついた。
彼女に支給されたバトルチップの名は、プリズム。
その効果は、使用者の前方へと巨大な一つの多面体―――プリズムを召喚するというもの。
そして、召喚されたプリズムの特性は……与えられたダメージを、全方位へと『反射』する事である。
そんな物を全力でぶん殴れば、どうなるかは説明するまでもない。
スミスは、自身の拳の威力をそのまま跳ね返される形になったのだ。


(……あれで……あの男が、死んだかもしれない……)


しかし安堵も束の間、シノンは急激に胸を締め付けられる感覚を覚えた。
無我夢中だったが故に、考える余裕が無かったが……あの男を倒したかもしれないという事は。
言いかえれば、人を殺したかもしれないという事なのだ。

そう……かつて、母親を守る為に強盗を射殺してしまった、あの時の様に。
それは未だにシノンの心を苦しめる、消える事が無い一生の傷跡だ。
あの時と同じ罪を、またも犯してしまったのではないか。


(……それでも……それでも、後悔はしない……!)


それでも、シノンは己の行動を後悔しなかった。
かつての自身ならば、罪悪感に押し潰されどうしようもなくなっていただろう。
だが……今の彼女は違う。


――――――おねえさん、おかあさんをたすけてくれて、ありがとう。


あの日、自身は確かに罪を犯したが……それを許してくれた、自身のおかげで救われたと言ってくれた、優しい親子と出会えた。
その親子と引き合わせてくれ、自らの罪を知った上でなお、友達になってくれた者達がいる。
自身を救ってくれた……大切な者達がいるのだ。
もしもあの男を放っておいたなら、そんな優しい心の持ち主達でさえ淘汰されかねなかった。
命を奪ったというその罪は、当然一生のものとして背負わなければならない。
それが分かっている上で……シノンは、選択したのだ。
守る為に、戦う事を。



「……ひとまず、ここから離れないとね」


とりあえずは、この場から離脱する事が最優先だ。
あの男を殺したかもしれない、とは思ったものの……あれだけ規格外の相手だけに、生きている可能性は十分ある。
ならば、今の装備で勝つ事はどう足掻いても不可能だ。
ファイブセブンでは火力も弾速も、あの男を相手どるには役者不足。
プリズムはどうやら一定時間が立たなければ再使用は出来ないようだし、そもそも使えたところでもう一度同じ手が通用するとは思えない。
あの男は絶対に倒さなければならない相手だが、勝ち目も無しに挑むのは論外だ。

よってここは、今の内に引くしかない。


(……装備を整えて、仲間を集めないと。
あの男を倒す為……そして、この殺し合いを止める為には……)


【E-3/マク・アヌ/1日目・深夜】
※シノンとスミスとの戦闘により、街の一部が大きく破壊されています。

【シノン@ソードアートオンライン】
[ステータス]:HP50%弱、疲労(大)
[装備]:FN・ファイブセブン(弾数9/20)@ソードアートオンライン、5.7mm弾×100@現実
[アイテム]:基本支給品一式、プリズム@ロックマンエグゼ3
[思考]
基本:この殺し合いを止める。
1:男が復活する前に、この場から一度離れる。
2:殺し合いを止める為に、仲間と装備を集める。
[備考]
※参戦時期は原作9巻、ダイニー・カフェでキリトとアスナの二人と会話をした直後です。
※このゲームには、ペイン・アブソーバが効いていない事を身を以て知りました。
※エージェントスミスと交戦しましたが、名前は知りません。
 彼の事を、規格外の化け物みたいな存在として認識しています。
※プリズムのバトルチップは、一定時間使用不可能です。
 いつ使用可能になるかは、次の書き手さんにお任せします。


【FN・ファイブセブン@ソードアートオンライン】
ベルギーのFN社が開発した、実在する自動拳銃。
その名称は5.7mm弾を使用することに由来しており、拳銃としては破格の二十という装填弾数を誇っている。
優れた貫通力を持ち、人体に対しては高い破壊力を持っている。
GGOにおいてはキリトのサイドアームとして扱われていた。

【プリズム@ロックマンエグゼ3】
自分の前方3マス前に、巨大なプリズムを召喚する。
このプリズムに攻撃が当たると、周囲八方向に反射され、ダメージを与える。
特定のチップと組み合わせて使用した場合、とてつもない破壊力を生みだす事も可能となっている。





◇◆◇



「……チッ……人間如きに、してやられるとは……!」


激突の衝撃により、壁が崩壊した民家の中。
横たわっていたエージェントスミスは、立ち上がると同時に、忌々しげにシノンに対する苦言を吐いた。
彼女の予想通り、スミスは生きていた。
無論ダメージは受けているものの、そこはやはり規格外のエージェント。
彼自身の全力を与えてもなお、倒しきるには至らなかった様だ。


(私に手傷を負わせた代償は大きいぞ……覚悟は、出来ているんだろうな……?)


ネオを打ち倒す。
スミスは、そのドス黒い執念だけでシステムに抗い、エグザイルとしてマトリックスに留まり続けた存在だ。
言わば負の感情こそが、彼の原動力……エネルギーと言っても過言ではないだろう。
そして、今……彼の胸中には、それまでよりも更に強大な負の感情が渦巻いている。


全ては、復讐という目的を果たす……その為に。



【F-2/マク・アヌ/1日目・深夜】

【エージェント・スミス@マトリックス】
[ステータス]:ダメージ(中)
[装備]:無し
[アイテム]:基本支給品一式、不明支給品0~3
[思考]
基本:ネオをこの手で殺す。
1:殺し合いに優勝し、榊をも殺す。
2:シノンは出来れば、ネオに次いで優先して始末したい。
[備考]
※参戦時期はレボリューションの、セラスとサティーを吸収する直前になります。
※ネオがこの殺し合いに参加していると、直感で感じています。
※榊は、エグザイルの一人ではないかと考えています。
※このゲームの舞台が、榊か或いはその配下のエグザイルによって、マトリックス内に作られたものであると推測しています。


003:クロスレンゲキを決めろ/穿たれし翼 投下順に読む 005:負けない愛がきっとある
003:クロスレンゲキを決めろ/穿たれし翼 時系列順に読む 005:負けない愛がきっとある
初登場 シノン 030:digital divide
初登場 エージェント・スミス 030:digital divide

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最終更新:2013年04月12日 14:31